16◆ 物理攻撃のみ受け付けます
その身の丈、四十ヤードを超えている。
俺がこれまで見たことのあるレヴナントの中では最大だ。
なんで今に限って出て来るんだ。
ああああああ、と絶叫するレヴナントの突然の出現に、落ち着きつつあった廃墟は一気に恐慌に陥っていた。
悲鳴が上がり、動ける者はパニックになって走り出し、一瞬のうちに周囲は騒然。
眠気はどこかに吹き飛んでいき、俺はその場で身構えた。
ここが倉庫街で良かった。
でもこいつが市街に出ればとんでもない被害になる。
何が何でもここで仕留めねば。
同じく身構えるカルディオスとアナベル、そしてトゥイーディア。
――ん?
何してんだトゥイーディア。
「何してんだトゥイーディア」
俺が思ったことそのまんまを、カルディオスが口に出してくれた。
びっくり顔で自分を見るカルディオスを、同じくびっくり顔で見返すトゥイーディア。
「え? 何か変?」
「何か変――っておまえ。休んでろよ」
そうだそうだ。
胸中で深く頷く俺。
何しろあんなに出血してたんだし、無理は良くない。
が、トゥイーディアはあからさまに膨れっ面をした。
外見十六歳だからいいけど、おまえ精神年齢いくつだよ。可愛いけど。
「嫌よ。なんで引き下がらないといけないのよ。今は私が一番強いでしょ」
「いや血。背中に血がべっとりだから。そんだけ出血してんだから」
カルディオスが至極尤もなことを言い立てている間に、レヴナントが二度目の絶叫を轟かせていた。
天を仰いで咆哮する、揺らめく輪郭の灰色の巨人。
その頭部にぱっかりと開く裂け目から、延々と絶叫が吐き出される。
その騒音に顔を顰めつつも、トゥイーディアは強い口調で言い放った。
「治った怪我よ。それに私がふらふらでも、きみよりは強いんですけど、カル」
「ああん?」
挑発するトゥイーディアに凄むカルディオス。
冗談とじゃれ合いの響きのある言葉の応酬に、俺は羨ましさで泣きそう。俺が同じこと言うと、口調からして喧嘩にしか突入していかないからね。
そんな二人を後目に、アナベルがぼそっと呟いた。
「言い合いは後にして、あれを片付けましょうよ」
「そうだな」
と、これは俺。
一歩踏み出して、それからちょっとだけトゥイーディアを振り返る。
「あと、トゥイーディア。多分俺もおまえと同じくらいは強いぞ」
「へえええ?」
含みを持たせてにっこりして、トゥイーディアは腕を組んだ。彼女は案外負けず嫌いなのである。
「ついこのあいだ、あの兵器相手に苦戦してませんでしたっけ?」
「あれは相手が悪かった。あと、俺の善戦がなけりゃおまえ、船ごと海の底に沈んでただろ」
ぐ、と言葉に詰まって、トゥイーディアはふんと顔を背けた。しかし直後に俺に目を戻して、
「まあ、――あのときはありがとうございました」
「えっ」
素で驚く俺。なんで礼言われんの?
カッコつけたかったのとちょっと悪ノリして挑発しただけなんだけど。
あのときは、助けた側がトゥイーディアであって、助けられた側が俺だっていうのは客観的な事実じゃね?
きょとんとする俺を他所に、「待てよ」と何かに気付いた様子のカルディオス。
「条件反射で止めちまったけど、イーディ。深く考えなくてもイーディの得意分野なら一発なんじゃね?」
あっ、と声を揃える俺たち。
何しろ今までガルシアでは、世双珠を使った戦闘しかしてこなかった。
ああああ、と三度目の絶叫を轟かせながら、レヴナントがぐるんっと首を回した。
そして、奴からすればほぼ足許にいる、俺たちを見た――目はないけど、多分見たってことだろう。
膝を撓め、ゆるゆるとその巨大な手を俺たちに向かって伸ばしてくる。
揺らめく輪郭とは対照的に、しっかりと形作られた五指が接近してくるが――市街地目指して動き出されるよりは数十倍マシな行動に、場違いにも四人揃って安堵の溜息。
なお、周囲は阿鼻叫喚。
トゥイーディアが、す――と、レヴナントに向かって手を上げた。
「――トゥイーディア! アナベル! ちょっと待って!!」
ディセントラの声が聞こえてきた。
少し離れたところにいたディセントラとコリウスが、レヴナントを回り込むようにして走って来る。
なんで名指しでトゥイーディアとアナベル?
疑問に思ったのは俺と同様だろうが、トゥイーディアは既に魔法を発動して――
――――。
「――トゥイーディア?」
めちゃめちゃ訝しげに、カルディオスが名前を呼んだ。
それもそのはず、トゥイーディアは魔法を発動したはずなのに、こっちに向かって手を伸ばすレヴナントに異常が見られない。
トゥイーディアの、他と比べても圧倒的に濃密な魔力の気配はするのになんで。
見ればトゥイーディアも、面食らったような顔をしている。
そしてはっとした様子で、
「ちょっと待って下がって!」
叫んだ。
四人纏めて後ろへ飛び退る。
一秒後、ゆるゆると伸ばされたレヴナントの手指が地面に激突した。
どがっ! と音がして、上がる土埃、煽りを受けて崩れる傍の瓦礫。
普通に手を伸ばしただけに見えるのに、何なんだこの威力。
土埃にげほげほと咳き込み、カルディオスが怒鳴った。
「イーディ! 何してんだ、真面目にやれよ!」
「やったってば!」
こちらも咳き込み、叫ぶトゥイーディア。
「ちゃんとやったのに効かなかったの!」
「はあ!?」
カルディオスが目を剥き、アナベルも驚いたように目を瞠る。
俺も「は?」と短く声を出した。
何しろ、あのトゥイーディアである。
相手が(魔王を除き)何であれ、跡形も残さず粉砕できる、破壊に特化した女である。
その魔法が効かないとは一体。
そのとき、傍にディセントラが駆け込んできた。
「――だから待ってって言ったじゃない!」
勢い余ってカルディオスに激突しながら叫ぶディセントラ。
彼女の少し後ろで、コリウスがレヴナントを振り仰ぐ。
「え? え? どういうこと? てかトリー、痛くなかったか?」
カルディオスがディセントラの二の腕を掴んで支えながら言い、支えられて体勢を立て直したディセントラは、真面目な顔で俺たちを見回した。
「――今から、ちょっと矛盾することを言うけれど、聞いてね」
頷く俺たち。
レヴナントが四度目の絶叫を轟かせる。
その声に負けじと、ディセントラもまた声を張る。
「いい? レヴナントには、物理攻撃は効かない」
こくん、と再び頷く俺たち。
確かに、大砲で撃とうが何をしようが、魔力の介在しない攻撃は、レヴナントに有効打を与えられない。
ディセントラは真面目な顔のまま続けた。
「でも、レヴナントには、物理攻撃しか効かない」
全員、は? と声を漏らす。
なに言葉遊びしてんだ。
だが、ディセントラの言うことだ。
救世主仲間の言うことを、俺たちは頭ごなしに否定したりしない。
眉を寄せつつも、トゥイーディアが言った。
「分かりやすく言ってくれる?」
「つまり、魔法を以てした物理攻撃しか駄目なの」
早口にそう言って、ディセントラは俺たちを順番に見る。
「この中で、世双珠を使わずレヴナントを相手にしたことのある人は?」
俺が挙手。他は沈黙。
ディセントラは指を鳴らして俺を指差した。
「やっぱりね。――ルドベキア、あんた、レヴナントを燃やしたでしょ?」
「そうだけど」
頷く俺に、ディセントラは言葉を重ねた。
「レヴナント自体を発火させたんじゃなくて、燃やしたんでしょ?」
俺は瞬き。
「え、それがどうかした?」
「つまりね、」
レヴナントを横目に見つつ、ディセントラは口早に捲し立てた。
「世双珠を使うときでも、――例えば、〈動かすこと〉に特化した世双珠を使うときでも、レヴナント自体を動かすことは出来ないでしょ?」
「――そういえばそうね」
アナベルが口許に手を遣って呟く。
論が見えてきた俺が、レヴナントを振り仰いで、レヴナント自体を発火させようと得意分野の魔法を使うが――不発。
が、自分に何かをされようとしたことは感づいたのか、レヴナントがまたも絶叫し、頭を激しく左右に振った。
「……なるほど」
呟いて、俺は腕を組んだ。
「つまり、あれ自体を燃やすんじゃなくて、燃えてる炎で攻撃して初めて打撃が通るってわけだな?」
「そう、そう」
ディセントラが猛烈に頷き、トゥイーディアを示した。
「だからイーディの得意分野は、直接レヴナントを破壊しようとしても効かないの」
続いて自分と、アナベル、コリウスを示す。
「私とアナベルの得意分野もそう。私は直接レヴナントを〈止める〉ことは出来ないし、アナベルもレヴナントの〈状態を推移させる〉ことは出来ない。コリウスも、レヴナント自体を〈動かす〉ことは出来ない」
「なるほどなー」
カルディオスが呑気に述懐。
「世双珠しか使ってこなかったから気付かなかったわ。――てかトリー、なんでそんなこと知ってんの?」
「ガルシアに向かう一人旅の最中に遭遇したことがあるの」
ディセントラはあっさりと言った。
当時彼女は十五歳だったはずだが、十五歳の娘の一人旅にレヴナント出現って、ディセントラじゃなかったらその場で人生終了するような案件だ。
「そのときに得意分野の魔法が使えなくて、危ないところだったわ」
なるほどな。
俺は思わずトゥイーディアを見て、嫌味っぽく言っていた。
「――対レヴナントだと、おまえより俺の方が特攻向きっぽいな」
「はああ?」
トゥイーディアが俺を見た。そしてカルディオスから斧槍を奪い取る。
「わ、ちょっ」
不意打ちに声を上げたカルディオスの手の中で黒く色を沈めていた斧槍は、トゥイーディアの手の中で忽ちのうちに黝い煌めきを放ち始めた。
――が、それを、トゥイーディアはそのまま俺に押し付けてきた。再び黒く色を沈める斧槍。
「――――?」
受け取りながら首を傾げる俺。
その俺に向かって、トゥイーディアは嫣然と微笑んだ。屈託のない笑顔ではなくて、めちゃめちゃ含むところのある笑顔だ。
「言ってくれるじゃない。――舐めないで、私は救世主よ」
肩に掛かる髪を払い、トゥイーディアは断言する。
「得意分野の魔法が直接は効かないから、だからなに?
――きみはその武器に助けてもらいなさい、私は素手で結構。
二人で先陣切るわよ。もたもたしてると置いていくから」
「こんなときでも揺るぎない犬猿の仲を発揮しなくていいから!」
ディセントラが苛立って叫ぶ一方、薄紫の目を細めてアナベルが一言。
「――イーディ、出血が祟ってぶっ倒れるんじゃない?」
アナベルが真顔で水を差すのに、トゥイーディアはにこっとして答えた。
「きみがそう言うなら大丈夫じゃない? アナベル」
嫌味すぎる一言に俺は絶句したが、アナベルは愕然とした様子でトゥイーディアを見た。
「ちょっと待てイーディ、おまえ、レヴナントと戦ったことあんの?」
カルディオスが慌てた様子で止めたが、トゥイーディアは当然とばかりに頷いた。
「もちろん。カル、忘れてない? 私は騎士よ。
国王の剣として、災害に対処するのは当然の責務なのよ」
俺の想い人が強すぎる。
が、
「待て、トゥイーディア。無理をするな。あとおまえ、今回の人生では独断専行が過ぎるぞ」
コリウスが堂々と割って入り、初めてトゥイーディアが言葉に詰まった。
救世主が集まって話し合っている様子は遠目からも見えるのか、四方から「早くなんとかしろよ!」と悲鳴じみた声が聞こえてきた。
「うるせぇぞ犯罪者ども!」
カルディオスが怒鳴り返し、「もう駄目だ」「終わった」「どうせここで死ぬ」と、絶望に満ちた叫び声が明るい夜空に木霊する。
「ちょっとカル! 怖がらせてどうするの!」
トゥイーディアが眉を寄せたが、そのトゥイーディアの肩を有無を言わさず押さえつけ、コリウスが言い放った。
「そんなに心配なら、おまえが守る方に回れ。
――レヴナントに有効な得意分野を持つのは、ルドベキアと、カルディオスと、僕だ。カルディオス、得意分野は使いたくないだろう?」
悪びれなく頷くカルディオス。
「うん、やだ」
「ならば、今回先陣を切るのは僕とルドベキアだ。――ルドベキア、異論は」
俺は首を振った。
トゥイーディアは少し不満そうにしていたが、がっしりとディセントラに手を握られ、戦線に立つことを断念したのか力を抜いた。
飴色の目が複雑そうに俺とコリウスを映したものの、「イーディ、鏡を持って来たら自分の顔色の悪さ分かる?」とディセントラに凄まれて、諦めたように目を瞑る。
「――分かったわよ、もう」
レヴナントは出現してから一歩も動かず、ただ絶叫を繰り返している。
改めてその巨躯を見上げ、コリウスは目を細めた。
「――まず最初に見極めるべきは、――見極める前に斃せることが最善なんだが、」
コリウスが淡々と呟く。
「あのレヴナントが、どの程度の知能を持っているかどうかだ。木偶レベルであればいいが、何箇月か前にカルディオスが討伐に向かったような、ああいうレベルだと厄介だ」
俺は木偶レベルの知能しか持っていないレヴナントにしか遭遇したことがないので、言葉を控えた。
今まで俺は、レヴナント相手に苦戦したことがない。
初見のときでさえ、精々が驚いた程度で相手にもならなかった。
今回も同じように片付きますよう――と内心で祈り、俺は、斧槍を握るのとは逆の左手の指を鳴らし、レヴナントを指差した。
ぱちん、と指が鳴ると同時に、レヴナントの周囲の空気が硬化し、レヴナントを閉じ込める檻となる――
――はずが、レヴナントは何かを察した様子で咆哮し、瓦礫を蹴って真上に跳んだ。
俺が生んだ火球の光に影を生じさせ、大きく跳ねたレヴナントが少し離れた瓦礫の上に着地する。
崩れる瓦礫、上がるならず者の悲鳴。
そして轟くレヴナントの絶叫。
――ああああああ。
俺が硬化させた空気が、何も捕らえることなく煌めき、俺が魔力を注ぐことを止めると同時に燦然と輝きながら砕け散っていく。
――え? レヴナントってあんな俊敏に動くもんなの?
驚く俺を他所に、コリウスが呻いた。
カルディオスもめちゃめちゃ嫌そうな顔をする。
そして、アナベルが平淡な口調で呟いた。
「――残念ながら、知能は高い個体のようね」
マジかよ。
 




