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14◆ 救世主はどこだ

 馬鹿だろ。


 なんで自分たちの全財産といっても差し支えない世双珠を、敢えて自爆の手段に選ぶんだ?

 馬鹿だろ。


 この密輸団には馬鹿と狂人しかいないのか。

 そもそも自爆する時点でおかしいだろ。生きろよ、諦めるなよ、俺たちだって別に皆殺しなんて考えてないんだからさ。


 魔王を殺しに行くとき以外には生きることに貪欲で、あと正気で、そこそこの知恵もある俺たちに、この捨て身の策を読めるはずがなかった。


 あと、世双珠って頑丈って聞いてたけど砕けんのな。



 ――と、そんなことを俺は考えていた。



 周囲は当たり前だが大火事だった。

 俺がすぐに鎮火して、今はぷすぷすと燻る瓦礫のみだけど、ごうごうと燃え盛っていた炎の勢いには閉口したものだ。

 見たところ、この倉庫には油とかそういう、火勢を増すものは置いていなかったように思う(いや、もう確認のしようがないんだけど)から、これはもう世双珠自体が燃えていたと考えた方が納得できそうだ。


 俺は火事の中に何も考えずに突っ込んで行ける唯一の人間だが、それとは関係なく、周囲が火事になると同時に炎に対して防壁を築き、今もなおその防壁を維持して、瓦礫と化した倉庫内に座り込んでいた。


 表情は、鏡がなくとも自覚している、鬼のような形相のはずだ。



 俺がわざわざ防壁を張っている理由は三つある。


 まず一つめ、周囲にある危険が炎だけではなかったということ。

 石造りの天井が落っこちてきたんだから、いくら俺といえども防がないと潰されるのだ。


 そして二つめ、熱に対して耐性があるのは()()()だということ。

 つまり、服は普通に燃えるんだよな。あの火勢の中にいれば、俺は髪一筋たりとも焦げないにせよ、服がぼろぼろになるのは必至。

 俺とて真っ裸でここから出て行きたいわけではない。

 まあ、鎮火が終わっている今となってはこの理由はどうでもいい。だが防壁を張った瞬間には、割と切実な理由だった。


 そして三つめの理由が――


「てめぇら馬鹿だろ」


「――――」


「――――」


「なに考えてんの? 何をどう考えたら自爆しようなんて考えに至るわけ? 分かるように説明してくんない? 大火事じゃん、どうすんの? 罪を重ねるその神経が理解不能なんだが」


 俺の呪詛の言葉を受けつつも、自分たちが生きているということに茫然としている様子の二人――言うまでもない、密輸団の魔術師二人、こいつらを守るためである。


 さすがに、こいつらが死刑になるかどうかは判事の判断に委ねるべきところであって、ここで見殺しにするのはちょっと後味が悪かったのだ。

 だから俺は自分の意思でこいつらを助けて守っているわけだが、それでも腹が立っていないわけがない。


 ちなみにコリウスは大丈夫だ。

 爆発を察知すると同時に、瞬きの間に姿を消していた。恐らくは瞬間移動で難を逃れたのだろう。


 コリウスが無事なら俺のすることも単純で、コリウスが助けに来てくれるまでの間、ここで瓦礫の山が俺たちを潰そうとするのを凌ぎ続けることのみである。


 俺が〈無から有を生み出すことは出来ない〉という絶対法を、魔王の権能で突破して創り出したのは、半透明の薄い膜の見た目をした防壁である。

 一瞬にして瓦礫の山となった倉庫の床の上、俺と魔術師二人を半球形に覆い、降ってきた瓦礫を防いでいる。



 周囲を見渡せば、半透明の膜越しに見えるのは降ってきた瓦礫――爆発した世双珠の火力が凄すぎて罅割れているし、漆喰は焦げている。

 特に頭上に重なる瓦礫の密度は相当なもので、防壁が重さにみしみしと軋んでいた。

 軋んでいるとはいえ、破れる気配がないことは術者である俺には分かる。

 けれども、他の二人はあからさまにびびって頭上をちらちらと窺っていた。


 いや、今さら怖がるならそもそも自爆すんなよ。


 頭上から、がらがらと瓦礫が取り崩される音が聞こえてきた。

 コリウスが救助を開始してくれたらしい。


 俺はどっかりと座り込んだまま片膝を立て、そこに肘を突いて顎を乗っけた。


「俺、降伏するように言ったよな? なんでそれ蹴ってまで自爆すんの? 死にてぇの? なあ」


「――――」


「――――」


「なぁにが、『()られるくらいなら』だよ。生きてこそだろ。

 てかそもそも、ここにあった世双珠の一つたりとも、本来はてめぇらのもんじゃねえだろ」


 魔術師二人は膝を揃えて座り直し、項垂れて俺の言葉を聞いてた。

 だんまりを決め込むその態度に、更に俺はいらっとした。


「何とか言えよ、おい」


 あからさまに縮み上がる二人。


 今現在自分たちを守っているこの魔法が絶対法を超えていることは明らかなので、いよいよ「目の前にいるのは救世主なのだ」という実感が湧いてきたという顔。

 正確には魔王だからこその魔法なんだけど、細かいことは置いておこう。

 いや、細かくないけど、こいつらには関係ないからね。


 ちら、と目を見交わす、青白い肌の小男とひょろりとした長身の男。


 俺が拳で床を叩くと、「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げ、小男の方がなぜか頭を庇いながら捲し立てた。


「親父さんの――首領の命令でしたんで……! 仕方なく……仕方なく……っ!」


「他人の命令で死ぬこと以上に馬鹿なことがあるか!!」


 俺、大喝。

 これまでさんざん勅命もらっては死んできたから、言葉には尋常でない重みが籠もる。


「はいぃぃぃっ仰る通りでっ!」


 小男、更に頭を庇って身を縮める。

 ぎんっ、と今度は長身の男の方に目を向けると、彼は目を固く瞑って口を真一文字に引き結んでいた。蟀谷から流れる冷や汗が内心の動揺を物語っている。


 俺は思わずもう一度床を殴り、


「大体、ここだけ爆破したって何にもならねぇだろうが! 一から十まで馬鹿だな!」



「――いえ」



 長身の男が唐突に口を開き、俺は一瞬、何を言われたのか分からずぽかんとした。


「……は?」


 長身の男が、目を開けて俺を見ていた。

 目の色は濁った緑色。沼のような色の目に俺を映し、長身の男はうっそりと続ける。


「ここだけでは……ありません」


 俺は思考停止した。

 少なくとも自分ではそう思ったが、気付くと俺は膝立ちになり、両手で長身の男の襟首を締め上げていた。


「どういうことだ! 他にどこをやった!?」


 怒鳴る自分の声で我に返った俺。

 瞬きして目の前の男に焦点を合わせると同時、男は俺から目を逸らしつつ、答えた。


「世双珠の自爆は――世双珠そのものを燃料として世界の(のり)を書き換えるので――強烈ですし伝播させやすいですし――」


 眩暈がしてきた。俺はがくがくと男を揺さぶる。

 隣の小男があわあわと逃げ腰になっており、自分が相当ぶち切れた顔をしているのだと分かった。


「理屈はいい! どこをやった!?」


 怒鳴る俺の手から逃れようとしつつ、男はぼそっと答えた。



「ここにある――世双珠全てを――」



 愕然として、俺は思わず相手の襟首を絞める手を緩めた。

 すかさず俺の手から逃げ出し、防壁の中で最大限に俺と距離を置く長身の男。


 だがその表情も、もはや俺の目には入らず。


「ここ――って、……この倉庫街か……?」


 茫然と尋ねた俺に、俺の表情を窺うようにしながら頷く長身の男。

 俺は血の気が引いていくのを自覚した。


「……全部……?」



 瞼の裏に蘇ったのは、トゥイーディアを置いてきた倉庫だ。

 二階には世双珠はなかった。だが一階には大量にあった。


 あれが全て――爆発した?


 恐らく倉庫は倒壊しただろう。

 それをトゥイーディアはあの一瞬に予期できただろうか。

 救世主である彼女には、法を超えて自衛する手段がない。

 それにトゥイーディアは絶対に、二階にいた全員を守ろうとするはずだ。俺がこの二人を咄嗟に守ったのと同じように。



 トゥイーディアは、それでなお無傷を保てるだろうか。



 彼女が怪我をしているかも知れないと考えた瞬間、冗談抜きに眩暈がした。

 世界が一周ぐるりと回ったほどの衝撃。


 だがそれも、傍目には茫然としているだけに映っただろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 ――トゥイーディア。



 ばくばくと心臓が打つ。



 ――怪我をしているかも知れない。痛い思いをしているかも知れない。 

 煙に巻かれて苦しんでいたりしないだろうか。煙には毒がある。吸い込むと意識朦朧とする――そして最悪は死に至る毒。

 如何にトゥイーディアが並外れた力を持っているとはいえ、身体の造りまでが常人と異なるわけではない。

 そしてそれは、他のみんなにしても同じこと。



 吐き気がした。



 ――万が一にも、トゥイーディアの命が危険に晒されているなどと考えようものなら気が狂いそうだった。

 だから俺は必死になって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()案じる。

 それより悪いことは起こらないはずだと自分に言い聞かせる。



「――おまえを殺しておけば良かった」



 もはや息を吐き出すにも等しい声で、俺は囁くようにそう言った。


 この大惨事の引き金を引いたのは、間違いなく目の前のこの男――それと、こいつを止められなかった俺だ。


 あの一瞬に、躊躇わずに、こいつを殺すべきだったのだ。

 変な慈悲をくれてやったから、俺は躊躇った。降伏を待った。


 そんなことはするべきじゃなかった。



 ふつふつと怒りが湧いてくる。

 この状況に対する、自分に対する、沸点を遥かに超えた怒り。



 ――トゥイーディア。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 顔色が変わった俺に、長身の男は引き攣った笑みを浮かべた。


「――そうだ、殺せばいいだろう、どうせ救世主といえども人間だ、どうせ薄汚い人間だ!」


 その言葉の殆どが、俺の耳を右から左に通り抜けていく。



 トゥイーディアのことしか考えられない俺は、徐々に無表情になっていく。

 俺に課された代償が、トゥイーディアを案じる色を俺の表情から奪うために。表現できる感情が削られていく。激情の出口が塞がれていく。


 心臓が激しく打ち、息が荒らぎそうになる――だがそれすら出来ない。



 もはや気が遠くなり掛けたそのとき、最後の瓦礫を吹き飛ばして、防壁の真上にコリウスが現れた。

 俺の魔力の気配を辿って助けに来てくれたのだ。


 夜空を背負って立つコリウスは、白皙の頬に焼け焦げた汚れをくっ付けていて、険しい顔をしている。

 その顔を見ただけで、俺は周辺の惨状を察した。


 コリウスが指を上げ、防壁を解除するよう俺に合図した。

 応じて、俺が即座に防壁を消し飛ばす。

 途端に四方に積み上がっていた瓦礫がこちらに転落し掛けたが、それは全てコリウスが留めた。


 なおも(うずたか)く周囲に積み上がっている瓦礫のせいで、俺は倉庫街の様子を見て取れない。

 むしろそれが幸いだったかも知れない。外の様子が予想を超える惨状だった場合、トゥイーディアのことを考えて俺は気絶するかも知れないから。


 軽い身ごなしで俺のすぐ傍に飛び降りてきたコリウスに、俺は思わず縋るように言っていた。


 これは、この案じる気持ちは、()()()()()()()()()()()()()を案じるものだ。


「――コリウス、他のところは――カルたちは――」


 コリウスの眼差しは冷ややかだった。絶対零度に冷えた瞳で、俺以外の二人を見据えて吐き捨てる。


「爆発したときに、爆心地にいたから他の爆音に気付かなかったんだ。――とにかくみんなと合流するぞ、ルドベキア。街が燃えている、鎮火を頼む」


 頷いた俺は、息を吸い込んだ。


 ――鎮火は、火から熱を奪うことは、俺にとっては容易いことだ。

 熱に関することでは、俺はこの世の他の全てに優先される。

 燃えている炎を視認する必要もない――その分精度は落ちるけど。


 もしかしたら倉庫街の外、普通の市街の灯火まで消したかも知れんが、この際それはどうでもいい。


 コリウスが俺に手を伸ばした。

 俺はまだ自分が膝を突いたままだったことに気付いて、その手を取って立ち上がる。


 俺が顔色を失くしているのを見て、コリウスは眉を寄せた。


「――ルドベキア、どうした。確かに死者は出たかも知れないが、みんなは無事だろう。こんなことでどうにかなるほど柔ではないさ」



 ――分かってる。

 その気になればみんな、各々で生き残るための手段を講じるだろうことは。


 事実これまでも俺たちはそうやって生き残ってきた。

 だけど俺たちとて、ここまで大規模な市街での災害――しかも人災に遭うのは初めてだ。

 以前までの人生では、これほどの威力を持つ兵器となるものは、それこそ俺たちの魔法くらいだったから。

 それに、ついこのあいだ襲ってきた兵器だって、前回の人生でも今回の人生でも、出現したのは海の上――一般人はそれほどいない場所だった。


 それでも、みんなの対処能力がこの危機を上回るだろうことに疑念はない――そう、守る対象さえなければ。


 あちらに置いてきた四人のうち、自分の身を守ることを多少犠牲にしてでも周囲を守りそうなのは、ディセントラとトゥイーディアだ。

 ディセントラはまだいい。あいつの得意分野は、多少なりとも守護の方向に応用が利く。


 だが、トゥイーディアは。


 トゥイーディアとて、自分だけを守るならば余裕だろう。

 周囲一帯を破壊し尽くして、自分に害為すものを消し飛ばせばいいだけだから。


 でも、トゥイーディアは周りに人がいるときに、絶対にそんなことはしない。

 他人を巻き込むことを恐れるから。


 俺だって、自分がトゥイーディアよりも強いと思い上がる気は毛頭ない。

 あいつを信じていないわけでもない。


 だがそれでも、俺の中では、あいつの()()()()()()()()よりも、あいつの()()()()()()()()()の方が勝るのだ。


 だが俺は、トゥイーディアに対する心配だけは、表情にも態度にも、言葉にも行動にも表わすことが出来ない。



 息を吐いて、俺は首を振った。


「いや――そうだよな。ごめん、俺がこいつらを見逃したせいだ」


 こいつら、と示したのは、言わずもがなの魔術師二人。

 コリウスはもはやそちらは一顧だにせず、切って捨てるように言った。


「密輸は死罪に値するものではない。この二人が強奪や殺人にどれだけ関与していたのかは、これから警吏と判事が明かすことだ。さっき、おまえが問答無用でこの二人を殺すことをしなかったのは、正しい」


 ――いや、口調が怒っている。

 理性でこんな言葉を吐いてはいるが、コリウス、内心では「殺しときゃ良かったのに」って思っている口調だ。

 俺も概ね同意する。けど今は、もはやこの二人はどうでも良くて。


「行くぞ」


 コリウスに声を掛けられ、俺は頷いて瓦礫に手と足を掛けた。

 コリウスが微妙に瓦礫を動かして、俺が登りやすいように段差を作ってくれる。


 そうしてから、コリウスが徹底的に冷たい口調で吐き捨てるのが聞こえてきた。


「――そこの二人。ここから出たいのならば瓦礫を登れ。今は瓦礫が崩れないようにしてやっているが、ここから僕が離れ次第、すぐに崩れてくると思え」


 他人に対する丁寧な口調を崩すほど怒っている彼の声音に、確かに自分たちを生き埋めにしようという意思を感じ取ったのか、二人が俄かに慌てて立ち上がる気配。

 小男に関してはその反応も分かるが、長身の方。さっき殺せばいいとか俺を煽ってなかったか。


 まあどうでもいいけど。トゥイーディアに何かあったらぶっ殺すけど。



 俺が瓦礫の山を登り切ると同時に、コリウスが前触れなく俺の隣に出現した。



 積み上がった瓦礫の上に立って見渡せば、倉庫街の惨状は俺の予想を超えていた。


 まず、殆どの建物が倒壊している。

 世双珠が保管されていたのだろう多くの建物は全壊――というよりは吹き飛んでいるし、その他の建物も、悉く屋根が吹き飛び、壁も崩れている。

 濛々と立ち込める粉塵が月明かりを白く霞ませ、未だ街の上空に漂う煙が、ついさっきまで猛威を揮っていたのであろう火災の凄まじさを物語る。

 倉庫の間を走っていた小道も、瓦礫に埋もれて使い道にならない有様だ。

 断続的に瓦礫が崩れる音に加え、あちこちから呻き声が聞こえてくる。瓦礫の下敷きになったならず者もいるんだろう。



 俺は思わず生唾を呑み込んだ。

 頼むからみんな無事でいてほしい。


 滑り降りるようにして瓦礫の山を下る。

 魔術師二人組も恐らく同じようにしているのだろうが、もう興味もない。


 そのまま、みんながいるはずの方向指して歩き出す。


 そして、当然のような顔をして俺の隣を進むコリウスに、思わずちらりと目を向けた。


「コリウス、先にみんなのとこに戻って――」


「いや、出来ない」


 言下の即答に、俺は建物の破片を蹴ってどかして進みながらも、思わず額を押さえた。


「もしかして、俺が一人じゃ危ないから――とか思ってんのか?」


「そんなことを考えるわけがないだろう」


 あからさまに溜息を吐いてそう言って、コリウスは呟く。


「瞬間移動が出来ないと言っている」


 俺は目を見開いた。

 往路は出来て復路は出来ないとか、そんなことあるの?



 どうでもいいことを考えていないと発狂しそうだ。

 歩を進めるごとに立ち込める、粉塵の埃っぽさと肉の焦げる臭い。火災に巻き込まれて命を落とした者がいるのだ。

 自業自得だと思わないこともないが、それでもやはり感情は動く。


 それに何より、惨状を見れば見るほどみんなのことが心配になる。


 でかい瓦礫はコリウスが指先一つで動かして道を拓き、俺たちは黙々と元居た場所を目指して歩いた。

 道中、明らかに手遅れではない――助けられそうな人もちらほらといて、そういった連中を瓦礫の下から引っ張り出すのにかなりの時間を喰った。

 本音を言うとそんなことはしたくなかったんだが、さすがに見捨てて逃げるようでは救世主をやっていられない。



 内心ではただ一人の名前を祈るように唱えつつ、俺たちは十数分を掛けてようやく、元居た場所に戻った。

 戻った瞬間、俺は吐きそうになった。



 ――倉庫街の中で最も大きかった倉庫は、原形を留めていなかった。

 端的に表現するならば瓦礫の山だ。

 壁の一部も残らず、割れ砕けて積み重なっている。

 乱闘を繰り広げていたならず者たちは、建物の外にいたことが幸いした様子。地面に倒れ伏したまま瓦礫も被っていない。


 俺が吐くのを堪えることが出来た理由はただ一つ、その瓦礫の山の前に、カルディオスとディセントラの後ろ姿を見たからだ。

 ――とにかく、二人は無事。


「カル! ディセントラ!」


 地面に倒れるならず者たちを避けてそちらに駆け寄りつつ、叫ぶように名前を呼ぶと、カルディオスが振り返った。

 頭から埃を被ったように薄汚れてしまっているが、大きな怪我はない様子だ。


 彼のすぐ傍で座り込み、祈るように両手を組んで顔を伏せているディセントラはぴくりとも動かない。

 無力に祈っているようにも見える姿だが、違う。


 彼女の周囲に、濃密な魔力が渦巻いていた。

 得意分野の魔法を使って、今この瞬間も瓦礫の中の誰かを守っているのだ。


「カルディオス、状況は? アナベルとトゥイーディアは?」


 コリウスがやや早口に尋ねる。

 カルディオスは珍しいくらいに険しい顔をして、手にした斧槍を肩に担いだ。


「アニーは無事。まだ出て来られてねぇけど、咄嗟にトリーが庇った。俺が助けようとしたんだけど、下手に触ると瓦礫が崩れるからおまえを待ってたんだ、コリウス」


 頷いたコリウスは、ディセントラの隣に進み出ながらも、少々顔を強張らせた。


「――アナベル『は』無事? トゥイーディアはどうした」


 俺の心拍数がえげつない程に上がっていた。

 顔にも態度にも出せないが、もしも代償がなければ、足が震えて立っていられなかったかも知れない。

 息をするのも苦しい。


 カルディオスは端的に吐き捨てた。


「イーディはどこにいるか分からない。二階にいただろ? トリーが咄嗟に守るにも無理があった」


 俺は失神しそうになった。

 目が回る。


 トゥイーディア。


 コリウスが無表情に俺を振り返り、口を開いた。

 口調は冷静だったが、抑え切れない危惧の色が声に出ていた。


「――ルドベキア。さすがにこうも暗いとやり辛い。明かりを頼めるか」


 頷いた俺は、傍目からすればコリウスよりも平然としているように見えただろう。

 カルディオスとディセントラの無事を確認でき、アナベルもディセントラのお蔭で無事であることは確実となれば、あとは俺が案じるのはトゥイーディアのみ。

 彼女を想う心を誰にも伝えることが出来ない俺が表情に出せる心配は、もう底を突いたのだ。


 震えることもない手を上げ、ぱちん、と指を鳴らす。

 途端、周囲の闇が払われた。暗がりに慣れた目には眩しいほどの光源が、俺たちの頭上に出現する。


 頭上数十ヤードのところに、俺が呼び出した巨大な火球が出現したのだ。


 ほの赤く(まばゆ)く光る火の玉が、夜空に突如として現れた太陽の如くに倉庫街を照らし出す。

 ぎょっとしたような声が複数聞こえたから、どうやら周囲には意識がある者もいるようだ。


 炎の光に照らされた倉庫街は、その惨状を余すことなく視界に訴える。

 だがそれももう、さして俺の心を動かさない。


 トゥイーディアさえ無事でいれば。


 顔を伏せ、祈るようにして固有の力を使い続けるディセントラの隣に立ったコリウスが、小声で彼女と相談を始めた。

 ディセントラが魔法を解除しない限り、コリウスの魔法は瓦礫に干渉できない。


 がら、と瓦礫の一部が転がり落ちてきた。

 ディセントラが魔法を解除し、コリウスが瓦礫全体を支え始めたのだ。


 そこから精緻なパズルを解くが如くに、コリウスが瓦礫を慎重に引き抜いていく。

 時折小声で、ディセントラに瓦礫の保持を頼んだりしている。


 俺とカルディオスは息を呑んでそれを見ていた。



 やがて――永遠にも思えた数分ののち、コリウスが「見えた」と呟いた。



 その瞬間、腰が抜けたようにカルディオスがその場に座り込み、だがすぐに立ち上がって瓦礫に駆け寄った。俺もそれに続く。


 コリウスが瓦礫を引っこ抜いて、かつ上に積み重なる瓦礫が落ちないようディセントラと共同で保持しているから、さながら瓦礫で出来た洞穴のようにも見える空間が開いていた。


 その奥に、全身に粉塵汚れをくっ付けたアナベルが、平生変わらぬ無表情を覗かせている。


「アニー!」


 カルディオスが感極まったように叫び、膝を突いてそちらに手を伸ばした。


「もう会えないかと思ったぜ。こっちに来られるか?」


「ええ、あたしは」


 やや掠れた声でそう答え、アナベルは冷静に言った。


「なんとか一緒に庇えた人たちがここにいるんだけど、足を折った人もいるの。コリウス、多少乱暴な手段でもいいから引っ張り出せる?」


「やってみよう。取り敢えずこちらへ、アナベル。そろそろディセントラの涙腺が限界だ」


 こく、と頷いて、アナベルが這うようにしてこちらへ進んできた。

 ごつっと音が響いて「いたっ」と小さな声がしたところを見るに、頭を打ったな。


 数分を掛け、瓦礫の狭間を這って安全地帯へ帰還を果たしたアナベルに、ディセントラが号泣を堪えつつ抱き付く。

 それを「はいはい」といなしながら、アナベルは薄紫の目を細めた。


「――トゥイーディアはどこ?」


「まだ見付かってない」


 カルディオスが答え、アナベルは眉間に皺を刻んだ。


「二階にいたのよね? あたしよりは上で生き埋めになっているはずだけど――」


 アナベルと一緒に生き埋めになっていた生存者たちを、腹立たしげに次々に魔法で引き寄せながら、コリウスが憤りを籠めた声を出した。


「正直に言えば、こんな連中を救助しているよりもトゥイーディアを捜したいんだが」


 内心で猛烈に賛成する俺。


 コリウスに引っ張り出され、地面に投げ出されたならず者どもが、ひぃひぃと悲鳴を上げている。

 かなり乱暴な魔法で移動させられたのは明らかだから、今この瞬間に骨を折った奴もいるんだろう。


「――だめ、ちゃんと助けなきゃ」


「まあ、ここで見殺しにしたら、後であたしたちがトゥイーディアに怒られそうだけど」


 ディセントラとアナベルが同時に言い、アナベルは瓦礫の山を振り仰いだ。


「一瞬でも魔法を使ってくれれば、気配くらいは分かりそうだけど――」


「さっき、トリーと俺で同じことを言ってたんだ」


 カルディオスが言い、斧槍をぎゅっと握り締めた。


「全く、一瞬たりとも魔力の気配がない。気絶してんのかも知れねえ」


 俺は息を止めた。

 最悪の可能性が脳裏を過った瞬間、アナベルがこの世の終わりのような声を出していた。


「……死んじゃってたら、」


「アナベル、さすがに怒るぞ」


 カルディオスが断固とした声を出し、アナベルはすっと顔を背けた。

 その様子を、さすがに憤懣を覚えた様子で一瞥してから、カルディオスは全員を見渡した。


「イーディが気絶してる場合、起きてもらわなきゃどーにも出来ねぇ。

 取り敢えず呼んでみる?」


 馬鹿みたいな提案だが、どこにトゥイーディアがいるかも皆目分からない以上、それくらいしか出来ることがないのも事実。


 即座にディセントラが叫んだ。


「トゥイーディア! イーディ!」


「返事なさい、トゥイーディア!」


 存外に素早くアナベルも叫び、カルディオスも同じく声を揃える。

 コリウスもまた、瓦礫に埋まっていた要救助者の最後の一人を引っ張り出し終え、声を張り上げた。


「トゥイーディア!」


 夜陰に響くトゥイーディアの名前。



 俺はじりじりしていた。


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 俺の思いが天に通じたのか、きっと振り返ったカルディオスが怒声を上げた。


「おいルド! さすがに呼べよ!」



 ありがとうカル。大好きだ。



 俺は口を開いた。表情は、傍目には面倒にさえ映っただろうな。



「――トゥイーディア!!」



 俺が叫んだその瞬間、瓦礫のどこかが動いた。

 がらがらと音がして、小さな破片が転がり落ちてくる。


 そして――



 俺は思わず泣きたくなった。

 顔にも出せないがめちゃめちゃ安堵した。



 ――トゥイーディアの魔力の気配。

 微かではあれ漂う、紛れもない彼女の生存の証。



 同じものを感じ、一斉に安堵の息を吐くカルディオスたち。

 ほう、と大きく息を吐いて、カルディオスが呟いた。


「……マジで、気絶してたっぽいな」


 これでおおよその場所の目星がついた。

 トゥイーディアがいるのは、瓦礫の山の、俺たちから見てやや左上方だ。割と上の方で生き埋めになっているらしい。


 コリウスが一歩踏み出しながら、俺を振り返った。


「助けに行く。ルドベキア、一緒に来い」


 すぐにでも走り出したい俺は、でもそれが出来ない。


 俺はどこかに頭を打ち付けたくなった。



 トゥイーディアを助けに行けないなら、もういっそトゥイーディアを忘れたい。


 忘れさえすれば、トゥイーディアは俺の〈最も大切な人〉ではなくなって、俺は何にも縛られずにあいつのために動くことが出来るのに。



「なんで俺?」


 心にもないことを尋ねた俺に、コリウスは凄絶に不機嫌な目を向けた。


「――トゥイーディアが傷を負っていた場合のためだ。治癒はおまえにしか出来ないんだ、早く来い」


 俺は頷いた。



 ディセントラが瓦礫全体を〈止め〉て、俺たちが瓦礫を這い上る間、意図せずしてトゥイーディアを押し潰してしまうことがないようにする。

 トゥイーディアがいると思しき箇所の近くに達したところで、さっきと同じようにディセントラからコリウスが瓦礫を引き受ける。そして、瓦礫を順調に上から崩していった。


 俺は内心、じりじりしながらそれを見ていた。

 コリウスが、普段の彼からは考えられないほど豪快に瓦礫を退けては放り投げていく。


 幾つか大きな破片を――恐らく、屋根に当たる部分だったんだろう――を退けたところで、瓦礫の質が変わった。

 徹底的に粉々になった、瓦礫というにも違和感のある、粉末状の砂礫。


 それを見て、俺はおおよそのところを察した。

 恐らく爆発の瞬間、やばいと思ったトゥイーディアが、降ってきた最初の瓦礫の幾つかを徹底的に破壊したのだろう。

 上からどでかい石の塊が降って来るのと、粉末状に砕けたものを被るのとでは、危険度がまるで違ってくるからね。


 さすがトゥイーディア。けど、呼吸は大丈夫か。


 コリウスが無言で砂礫を引っ繰り返す。

 砂礫の中に、透き通った硝子の破片が混じり始めた。この倉庫には天窓があった。その名残だ。


 トゥイーディアが天窓の真下辺りにいたとすれば、恐らくもうすぐ近くにいる。


 ざらざらと音を立ててコリウスが砂礫を浚う。


 俺はコリウスが掘り進める瓦礫の穴を覗き込むようにしながら、表情には出せない全てで祈っていた。


「――抜けた」


 コリウスが呟いた。


 砂礫の中から、また大きな破片が覗いている。

 トゥイーディアが呼吸を確保するために、敢えて大きな破片の陰に潜り込んだのだろう。



 もうそろそろ、さすがに、顔を見せてくれてもいいんじゃないか、トゥイーディア。


 まだ見えない。

 トゥイーディアの、あの蜂蜜色の髪ですら見えない。



 コリウスも同じことを思ったのだろう、顔を顰めた。

 す、と指を振る。がたん、と、砂礫の間から覗く大きな瓦礫が動いた――その瞬間、



「――ぶはっ!」



 瓦礫の間から手が、次いで頭が出て来た。


 だがそれは、俺たちが待ち望むトゥイーディアではなかった。



 金褐色の髪のフィルが、咳き込み、口に入った砂礫を吐き出しながら、瓦礫を手で辿るようにしがみ付いて顔を出したのだった。











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