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12◆ 乱闘

 そもそも最初から、全てタイミングが良すぎた。


 プラットライナの密輸団を壊滅させることが決まった直後に、俺たちに接触してきたこと。

 怪しい動機を並べ立てて俺たちに付いて来たこと。


 大体の事情は推察できる。


 こいつはそもそも密輸団の一味で、救世主(おれたち)の動向を密輸団に伝えることが仕事だったんだろう。

 俺たちが密輸団を壊滅させることを決めてから、こいつが動くまでが()()()()点については、思うところがあるが。


 今も恐らく、救世主が動いたから拠点から撤退するよう、慌てて伝言をしに来たところ――といった感じか。


 俺たちがあの老婦人のところを去ってから、こいつも必死に近道を使いつつ走ったんだろうな。

 老婦人が密輸団の拠点を喋った瞬間のこいつの心境は察するに余りある。



 トゥイーディアは最初からそれを疑って、わざわざこいつを同行させたわけだ。

 尻尾を掴むために――あるいは、もしかしたら、こいつ自身を助けるために。


 密輸団に入るの? と煽ったアナベルに対し、激して怒鳴ったこいつを見たからだろう。



 フィルは灰緑色の目を見開いてディセントラを見詰め、辛うじて、といった様子で微笑を浮かべた。


「――は、早かったね……」


 一方、フィルと向き合っていた大男は、椅子を蹴立てて立ち上がり、憤怒の目でフィルを見ていた。


「フィルてめぇ、遅かったんじゃねえか!」


「だってこいつらが動いたの、ついさっきですよ! 俺がプラットライナに入ったのもさっきです! 何も言いようがない――ってぇッ!!」


 言葉半ばで勢いよく殴られ、フィルは蹲った。

 すぐに顔を上げた彼の唇の端が切れて血が滲んでいる。


「口答えすんじゃねえ! 拾ってやった恩も忘れやがって!!」


 喚く大男に、二階にいる密輸団の連中が息を止めた感覚があった。


 侵入者である俺たちに向かって来ることもなく、窺うように大男を見ている。


 階下の乱闘の音が床を通じて聞こえてきていた。

 椅子やテーブルが薙ぎ倒される騒々しい音、怒鳴り声、誰かが壁や地面に叩き付けられる音。

 階下の方に魔術師がいたのか、魔法どうしが激突する衝撃音も聞こえてくる。


 それに比して、この二階の静かなことは異様である。


 ディセントラが足を踏み出した。

 迷いのない足取りでテーブルの前まで進み、蹲ったフィルのすぐ傍に立つ。


 フィルが怯えたようにディセントラを見上げた。


 大男が肩を怒らせてディセントラを見下ろし、感情に任せて拳を振り上げた。


 が、その拳がディセントラに届くことはなかった。


 ぴたり、と意に反して空中に固定された己の拳を見て、大男が唖然とした顔をする。

 その顔を睨み上げて、ディセントラが厳然とした声を出した。


「――黙れ、見苦しい」


 大男に指を突き付け糾弾するディセントラを、フィルがぽかんと口を開けて見ている。


 その間に俺とカルディオスは周囲を見渡し、魔力の気配のする人間がいないことを確認。


「この事態にあってただ喚くだけとは。性根も能力も、三流にも劣る。

 ――ここの首領はどこにいる。まさか貴様のような無能が務めているわけではないだろう」


 ――ディセントラはどうやら、真剣に腹を立てているらしい。

 貴族のときの名残の、堅苦しい口調が出てきているのがその証拠だ。


 大男の顔面が赤黒く染まった。


「この、小娘が……っ!」


「そう見えるか?」


 傲然と顎を上げてそう言って、ディセントラが軽く右手を振った。


 途端、弾けるように大男の身体が吹っ飛んで背後の造り付けの棚に激突した。

 ばきぃっ! と物凄い音がして棚が砕け、濛々と木屑と粉塵が舞う。


 大男が棚を破壊して激突した漆喰の壁に放射状に罅が入るのを見て、「レヴァンさんっ!」と複数の声。なるほど、あいつの名前はレヴァンね。


 フィルは愕然とした顔でレヴァンを見て、ディセントラを見た。

 顔にありありと、「こんなに強いなんて」と書いてある。こいつは救世主を何だと思ってたんだろう。


 レヴァンは気絶したらしく、呻き声ひとつ上げない。

 そちらをもはや一瞥だにせず、ディセントラはフィルを見下ろした。



 もう完全にディセントラの独壇場。

 俺とカルディオスはその間に、周囲の密輸団の連中に投降を勧め始めた。


 この町の警吏がまともに機能していないのは、町の中心に密輸団が拠点を構えている段階で重々分かることだから、隣町くらいの警吏に身柄を差し出すことになるだろう。

 だがその際にも、今投降しておけば悪いようにはしない、などと言っておく。


 それでも素直に聞き届けられるわけもなく、破れかぶれに殴り掛かってきたり、刃物を抜いて斬り掛かってきたりする奴ばっかりなわけだけれども、問題なし。

 この程度なら手加減しながらでも制圧できるからね。

 運よく魔術師はいないわけだし――トゥイーディアの方は大丈夫かな。


「だっ、誰か親父さんのとこに知らせに行って来い!」


 誰かが叫んだ。親父さん、というのが首領のことだろう。


 叫んだ奴をカルディオスが狙い撃ちにした。

 圧縮した空気の塊で胸部を強打され、白目を剥いて倒れるならず者。


 その身体を跨ぎ越し、短刀構えて一直線に迫って来る男がいる。

 俺は思わず鼻で笑うと、一秒と掛けずにその短刀の刀身を溶かし切り、高熱に赤く滴る金属の滴に目を丸くする男を蹴り飛ばして床に沈めた。


 ガルシアで訓練して体力戻しといて良かった。

 魔王の城から脱出した直後の、箱入り育ちが祟った俺だったらちょっとしんどかったかも知れない。



 一気に二階も騒然となったわけだが、俺とカルディオスだけで問題ないと分かっているのか、ディセントラは落ち着き払ってフィルの前に膝を突いた。


「――さて、フィル。個人的に気になるんだけど、どこからどこまでが嘘だったの?」


 個人的に気になることを今訊くなよ、ディセントラ。

 まあ、この乱闘が終われば警吏に引き渡すことになるだろうから、今のうちにと思って訊いてるんだろうけど。


 フィルは茫然とした様子で唇を半開きにしていたが、訊かれたことで我に返ったのか、薄く笑顔を顔に貼り付けた。


「――あはは……、何これ。お姉さんたち、こんなに強かったの……」


「フィル?」


 重ねて、問うように語尾を上げて名前を呼ばれて、フィルはぎゅっと目を瞑った。


「……全部だよ。ほぼ全部。イリズ卸で働いてたとか、ぜんぶ嘘」


「なるほどね」


 ディセントラが頷く。


 その彼女に、隙を突かんとして一足飛びに迫る小柄な男を、俺は手加減した熱波で後ろへ押し遣った。

 服が煙を引き、パニックになったらしき男が上着を脱ぎ捨てる。

 俺はそのまま、圧縮した空気を男の後頭部をぶん殴るように見舞って気絶させた。


「――世双珠だ! 世双珠を持ってるはずだっ、見付けて奪え!」


 誰かの号令が掛かった。冷静に指示を出すところは感心だが、残念ながら的外れだ。

 俺もカルディオスも世双珠なんか使っちゃいない。


 うおおお、と声を上げながら突進してくる四十半ばの小男。

 取り敢えず俺に体当たりして、何とかして世双珠を探そうとしたんだろう。

 勇敢なことだとは思うし、探られて痛い懐もないけれど、付き合ってやる道理もない。


 なので俺はそっちに指を突き付け、ごくごく狭い範囲の空気を硬化させた。

 直後、ごんっ! と痛そうな音を立て、小男は硬化した空気に頭をぶつけて昏倒。

 悪いな、と思いつつも、俺は次なる一人を蹴り飛ばす。



 ディセントラはちらりともこちらを見ない。


「最初から、救世主(わたしたち)の動向をここに伝えるのが目的だったのね」


 フィルはこくりと頷いた。素直なことである。


 ていうかディセントラ、いつになったらこっちを手伝ってくれるんだ。

 別に、カルディオスと二人で手に負えるからいいけれども。

 

 むしろ周囲の大乱闘を気にせず話を続けられるディセントラがすごい。

 フィルはさっきからちょいちょいこっちに視線を泳がせているというのに。


「分からないことが二つあるんだけど」


 ディセントラがのんびりと二本の指を上げた。



 直後、カルディオスがぶっ飛ばした一人が天窓に激突して硝子を揺らし、騒音と悲鳴にフィルがびくっと身体を竦める。

 ちなみに落下してきたそいつの下敷きになり、別の一人が哀れな悲鳴を上げた。

 どすん、と落ちた二人分の体重で床が揺れる。



 だがそれも全く気に留めず、ディセントラは言葉を続ける。


「まず一つね、――どうして私たちの財布を()ったのか」


 びくついたことを恥じたかのようにぎゅっと唇を引き結び、フィルはディセントラに視線を戻した。


「まだそれ言う?」


 フィルは唇を曲げて吐き捨てたが、ディセントラは涼やかな態度を崩さない。



 いやマジ、ディセントラ、周り見て。

 それなりに混沌の様相なんですけれども。


 背後から組み付いてきた一人を背負い投げの要領で壁に向かって投げる。

 魔法の補助を存分に使って俺が投げたそいつは、「え?」みたいな顔をしながら吹っ飛び、不運にもそいつと壁との直線上にいた二人を巻き込んで造り付けの棚に激突した。

 三人分の体重が掛かり、棚板がばきばきと折れて木屑を舞い上げる。



 上がる悲鳴と怒声に、フィルがまたしても目を見開いてこっちを見た。


 ぱちん、と軽く指を鳴らしてフィルの視線を自分に戻し、ディセントラは考え深げに続ける。


「目的からすれば、財布を掏るなんて最悪の手だったと思うのよね。素直に――っていうのも変だけれど。私たちに嘘の事情をそれっぽく話して、連れて行ってくださいと言う方が、私たちに同行できる可能性は高かった」


 ディセントラに戻した視線を、フィルはまた逸らした。

 今度は他に気を取られたためではなかった。


 薄紅の目でその様子を観察しつつ、ディセントラは更に続ける。


「そして、二つ目ね、――どうして、今、私に刃向かってこないのか」


「それはあんたが――」


 反射的な反駁の言葉を吐きながらも、フィルは目を逸らしたままだった。


「――強すぎるからだろ。周り見てりゃ分かるよ」


 周り、と口の中で呟いて、ディセントラもまた周囲を見渡した。


 そこで、俺とカルディオスが二階にいた殆どの連中を伸していることに今更気付いたような顔をして、明るく笑った。


「カルディオス、ルドベキア、お疲れさま。あと二、三人じゃない」


「いや手伝えよ!?」


 そう言いつつも、カルディオスはやれやれと言わんばかりの呆れ顔。


 ディセントラは肩を竦めてフィルに向き直り、首を傾げた。


「――確かに私たちは、救世主なんだから強いんだけど、――でもそれだけ?」


「…………」


 フィルが押し黙る。


 その彼の唇の端に滲んだ血を、指先で軽く拭ってやって、ディセントラは眦を下げた。

 声色は途轍もなく優しかった。



「――フィル、あなた本当は、密輸団になんていたくないんでしょう」



 フィルの唇が震えた。灰緑色の目がディセントラの薄紅の目を見上げた。


「……だって――」


 震える声を押し出して、フィルが叫んだ。


「他にどうすりゃ良かった!? 生きていくにはこれしかなかった! 餓鬼の頃に親が殺されれば、もう他に俺を守ってくれる人なんていなかった! あそこで、」


 壁際で折れた棚板に埋もれるようにして頽れるレヴァンを指差して、フィルは興奮したように立ち上がる。

 視線の高さを合わせるようにして、ディセントラも立ち上がった。


「あそこで引っ繰り返ってるあの人! あの人なら、汚い仕事を引き受ければメシを食わせてくれた! 俺が生きるには、これしか――」


「フィル」


 捲し立てるフィルの声を遮って名前を呼んで、ディセントラは溜息を落とした。



「――出会った時点で私たちに助けを求めていれば、あなたの人生は変わっていたかも知れないわね」



 言葉を引いて、息を呑んで、フィルはディセントラの顔を見た。

 やがて緩く息を吐いた彼の顔に浮かんだのは、力の抜けた表情だった。


「……そうかもね。――救世主なんて名前でも、どうせ警吏と変わりないって、……思ったんだけど……」



 その言葉の語尾と同時に、俺が、立っていた最後の一人の鳩尾を殴って床に転がした。

 カルディオスは平気そうにしていたが、俺はちょっと息が上がっていた。やっぱり付け焼刃の体力では、長い間訓練に身を置いてきた人間には敵わないらしい。

 明日は筋肉痛かも知れない。治せるからいいけどさ。


「――ディセントラ、話、終わった?」


 息を整えつつ問えば、ディセントラがこちらを向いて頷く。

 短い時間しか一緒にいなかったとはいえ、フィルに肩入れしていたと分かる顔である。こいつは肩入れしてしまうと相手に弱い。


 思わず腹の底から溜息を吐き、俺は言った。


「じゃあ、この辺の連中縛り上げて、次行くぞ」


 ちょうどそのとき、軽い足音が階段の方から聞こえてきた。


 思わず身構えつつそちらを見れば、顔を出したのはトゥイーディアだった。

 二階に顔を出した初っ端に俺と目が合い、トゥイーディアが軽く唇を尖らせる。


「ちょっと、そんなに睨まないでよ」


「睨んでねーよ」


 言い返した俺にはもはや頓着せず、トゥイーディアは軽い動作で二階の床を踏んだ。

 右手には黝い細剣。半ばを結い上げた蜂蜜色の髪が、さすがに少し乱れていたものの、その他は平生と変わらず落ち着いていた。呼吸すら乱しておらず、勿論のこと傷もない。


 内心で俺は大いに胸を撫で下ろした。


「ん? イーディ、一人か?」


 カルディオスの問い掛けに、トゥイーディアは肩を竦める。


「コリウスとアナベルは下で、気絶させた人たちを縛ってくれてるの。ちょうど下に縄があって。私は、こっちがまだ片付いてないなら加勢しようと思って来たんだけど――要らなかったわね」


 にっこりと微笑んだトゥイーディアは、続いてフィルを見た。

 フィルは顔を伏せたが、その挙動にはさして心を動かした様子もなく、トゥイーディアは冷淡なまでの声を出した。


「――そういえば、やっぱりあなた、そっちだったのね」


「いやだから!」


 フィルが顔を上げ、勇敢にもトゥイーディアに噛み付いた。

 すげぇな、俺ならトゥイーディアにこんな声を出されたら何も言えない。


 というか、“だから”も何も、さっきのフィルの懺悔タイムにトゥイーディアはいなかった。

 ディセントラから事情聴取されトゥイーディアにも冷たい物言いをされ、色々とこいつも混乱しているのかも知れない。


「俺だって――」


「あのね」


 フィルの言葉を冒頭でばっさりと遮って、トゥイーディアは噛んで含めるように言った。


「あなたの声は下まで届いていたけれど、――でも、()()()()()?」


「イーディ」


 ディセントラが窘めるように名前を呼んだが、トゥイーディアはそれを無視して続けた。


「あなたと同じ生い立ちの人が、全員あなたと同じ道を歩んでいるわけではない。同情はするけれど、罪は罪。今までの清算の必要はあるわ。酌量の権限ならば判事にある。身の上はそこで(おっしゃ)い」


 言い切って、トゥイーディアは俺たちを見渡した。


「ルドベキアの言う通り、その人も含め全員縛って、次に行くわよ。他のところも叩かないと、壊滅とまではいかないでしょう」


 ディセントラの態度との余りの違いに、フィルが絶句するのが見えた。


 ディセントラも、額を押さえて嘆息している。

 言い方を考えてよ、と言わんばかりに()()()とした薄紅の目が、トゥイーディアを見て細められていた。


 同じ救世主ではあっても、俺たちにも各々の考え方というのはある。


 ディセントラが割と誰かに肩入れしてものを考えるのに対して、トゥイーディアは俯瞰で物事を考えるタイプだ。

 同情したり義憤を覚えたりということがないわけではない。むしろ大いにある方だが、それでも感情と結果を切り離して考えるのがトゥイーディアなのである。


 俺とカルディオスはこの二人の差異には慣れたものなので、今更びっくりすることもない。


「イーディ、こっちには縄がない」


 フィルの様子には頓着せずに、カルディオスが両手を広げてそう言った。

 それを受けて、トゥイーディアは「もう」と言いつつ階下に向けて踵を返す。


「分かった、階下(した)からちょっと借りて来るから――」


 待ってて、と言葉を続けようとしたのだろうトゥイーディアは、しかしそこでぴたりと言葉を止めた。

 眉を寄せ、俺たちの方を振り返って首を傾げる。


「――なんか聞こえない?」


 同瞬、俺も気付いた。

 すっと横に視線を滑らせると、カルディオスも気付いたらしい、鹿爪らしく頷いていた。


「うん、あれだ。大騒ぎになったから気付いたんじゃねーの?」


 うわあ、と言わんばかりに顔を顰め、トゥイーディアは左手で自分の顎に触れた。


「面倒ねぇ」


「そーか?」


 カルディオスが首を傾げる。


「向こうから来てくれるなら万々歳じゃん。ここで迎え撃って、来た連中から伸していこーぜ」



 ――元より外は騒がしかったが、その騒がしさの種類が先程とは違っていた。

 こちらに押し寄せるように響く、無数の怒声。



 考えるまでもなく、密輸団の連中が俺たちに気付いたのだ。

 侵入者を排除しようと向かって来ている。


 トゥイーディアが、「どうする?」というように俺とディセントラを見た。

 カルディオスの言葉を受けてのことだろう。


 ふう、と息を吐いて、ディセントラが考え深げに言葉を作る。


「そうねぇ、表に出て乱闘してもいいけれど、そうするよりはここで迎え撃った方がいいでしょうね。四方八方に気を遣わなくて良くて、入って来た人を何とかするだけで良くなるもの」


 フィルが顎を落としてディセントラを見た。


「ま、マジであの人数と()んの……?」


「“あの人数”って言われても、ここからじゃ見えないから何とも言えないわね」


 ディセントラは軽やかに返した。それから俺たちに視線を戻して、腕を組む。


「ただ、ちょっとこの人たちを縛ってる時間はないわ。階上(うえ)に一人、階下(した)に一人、見張りを残すことで対応しましょ」


 俺たちはこくりと頷いたが、フィルはますます絶句していた。


「え……? あんたら、六人しかいねぇんじゃねえの……?」


 今度は、ディセントラもその声を無視した。


「誰が見張りをするかだけれど……」


「コリウスは論外だ」


 俺がきっぱりと言った。


「あいつは遊撃が出来る。見張りに残すのは無駄遣いだ」


「分かってる分かってる」


 ディセントラは軽く手を振って、指に顎を載せた。


「アナベルにお願いできるかしら? あの子、大乱闘よりは見張りの方が好きだと思うし――」


「言ってみてくるわ」


 カルディオスが請け負い、跳ねるように階下に向かって駆け出した。

 一足飛びに階段を降りてすぐ、よく透る声が聞こえてくる。


「――お客さん大量に来てるっぽいぞ。縛ってる時間ねーから、アナベル、見張り頼めるっ?」


 一拍の間を置いて、階下からカルディオスの大音声が轟く。


「“いい”ってーっ! アナベル見張りしてくれるってさーっ!」


「りょうかーいっ!」


 階段の一番近くにいたトゥイーディアが下に向かって叫び、それからディセントラに向き直った。


「アナベルには階下(した)の見張りを頼みましょう。あの子の得意分野なら、乱闘にちょっとした援護も期待できるでしょ。――で、階上(うえ)は私が見るわ」


 ディセントラが瞬きした。

 俺もちょっと面食らった。


 それを気まずそうに見ながら、トゥイーディアは蜂蜜色の髪の一房を指先で弄ぶ。


「だって、私だとこう……力加減を間違えるとえげつないことに……」


「それ、みんなでしょ」


 そう言いつつも、ディセントラは納得した顔をしていた。

 トゥイーディアの得意分野は俺たちの中で一番やばいしな。


 俺たちの顔に納得の色を見て、トゥイーディアは手にした細剣をひゅん、と振った。

 途端、細剣がぐるりと捻れて輪になる。


 それを、トゥイーディアが俺に向かって放った。


「え、おっ」


 不意打ちだったので変な声が出たが、恙なくキャッチ。

 黝く輝いていた輪は俺の手の中で、速やかに黒く色を沈めた。


 俺はトゥイーディアを見て、首を傾げた。


「使えって?」


「どうせきみが前線に出るでしょ?」


 トゥイーディアもまた首を傾げて俺を見て、不意に微笑んだ。

 俺は息を止めたが、それを顔には出せない。


「――怪我しないようにね。あと、焼死体なんて作らないようにね」


 なんて優しいんだ、トゥイーディア。


 この先百年はこの顔と言葉を思い出せることを確信しつつ、俺は素っ気なく頷いて、手にした黒い輪を軽く一振り。

 途端にそれは、今度は槍の姿に変じた。


「行くぞ、ディセントラ」


 足早に階段に向かう俺とディセントラを、ひらひらと手を振ってトゥイーディアが見送った。

 ばたばたと気絶しているならず者たちの中でのその呑気な仕草はいっそシュールだが、この程度の三下ならばトゥイーディアの相手にもならないだろうから、妥当な光景ではあった。


 階段に足を掛け、振り返ったディセントラがフィルに向かって言葉を投げるのを、俺は背中で聞いていた。


「――フィル。今度こそそこにいるのよ、いいわね?」


 俺はさっさと階段を降りていたので、ディセントラに応答しただろうフィルの声は聞こえなかった。




 階下も酷い有様だった。


 割れた机や粉砕された椅子が散らばり、その中にばたばたと倒れ伏しているならず者ども。

 誰の仕業か知らないが、誰かが壁際に人を投げたらしく、世双珠の中に突っ込むようにして気を失っている者もいた。

 地面に下半身を埋め込まれたまま気絶している奴もいる。誰だ、人を地面にぶっ刺したのは。

 天井にも罅が入り、ぱらぱらと漆喰の欠片が落ちているところを見るに、天井まで勢いよく投げ飛ばされた不幸な奴もいるんだろう。真下の地面で気を失っている連中のうちの誰かだろうな。



 そんな絵面の中に、究極に面倒そうな顔をしたアナベルとコリウス、それから常と変わらぬ様子のカルディオスがいた。


 一応は人助けの最中だというのに、隠すこともなく面倒そうにしているアナベルとコリウスの性格は、割とディセントラの正反対のところにある。

 アナベルは救世主であるという自負がまだ強いが、コリウスに至っては、ガルシアに巨大兵器が出現した際、周りを見捨てて逃亡することすら一考するくらいである、推して知るべし。


「おまえらさ、気持ちは分かるけど、顔。表情くらい何とかしろ」


 思わず俺が物申すと、横からカルディオスが噴き出した。


「あ?」


 そっちを見ると、カルディオスは面白そうに俺を見て、


「いや、“気持ちは分かる”って、ルド。

 おまえいっつも、何だかんだで人助けするじゃん」


「――――」


 それは高確率でトゥイーディアを助けに行く()()()か、あるいはトゥイーディアのことを思い出して動いているだけだ――とは言えない俺は、曖昧に肩を竦めてそっぽを向いた。



 ここに乗り込む際に開け放った扉は、わざわざ閉めたりしていないのでそのままになっている。


 そしてその向こうから、こちらへ向かって怒声を上げて突き進んで来る一団が見えていた。

 というか、距離にすればもう幾許(いくばく)もない。


 扉の方に一歩踏み出しながら、俺はちらりと他の四人を振り返る。


「取り敢えず、掛かって来るのを伸してく作戦でいいか?」


 頷く四人。

 アナベルは倉庫の奥の方へ下がり、「自分は見張りなので」って顔をしている。


「コリウス、適当に遊撃して攪乱してくれ」


 コリウスが頷く。

 面倒そうにしていても、こいつが仕事を怠ることはまずないので大丈夫だ。


「俺がちょっと外に出て防ぐから――」


 敷居を一歩跨いで、俺は槍を構えた。


「カルとディセントラは、援護と俺が取りこぼした分を頼む」


 そして、向かってきた先頭の一人のどてっぱらを、槍の柄で薙ぐようにして払った。

 瞬間、淡く光って周囲の空気を小規模ながらも強く押し出す槍。


 ぐ、と身体を折って悶絶するそいつを蹴り飛ばすついでに、周囲に熱波を撒き散らして後退を促す。

 夜陰に鮮やかに真紅と黄金の火の粉が散り、我ながら綺麗な光景である。


 とはいえ、そんな感想を密輸団の連中が抱くはずもなく。


「やろう、魔術師だ!」


 叫ぶ声に、俺は思わず笑ってしまった。


「分かってて来たんじゃねーのかよ」


 続々と押し寄せるならず者の群れの半ば辺りで、唐突に驚きと痛みの悲鳴が上がった。

 見るまでもない、コリウスだ。


 瞬間移動なんて見たことも聞いたこともないだろう密輸団の連中が、あからさまに顔を強張らせた。



 そういえば、名乗ってなかったな、と思い付いた。

 トゥイーディアはきっちり名乗っていたというのに。



 三人纏めて槍のリーチを生かして突き飛ばし、軽い火傷で済むよう配慮しながら炎を熾して周囲を威嚇。

 赤く閃いた炎はすぐに消し止めて、怯んだ相手を圧縮した空気で突き飛ばし、後続を巻き込ませながらドミノの如くに倒れ込ませる。


 警戒を強めた密輸団の連中(状況の把握が遅すぎるので、もしかしたら酒を飲んでいたのかも知れない)を、ひょいっと槍を肩に担いで見渡して、俺はお決まりの口上を述べ立てた。



「ただの魔術師じゃない、こっちは救世主だ。

 ――密輸、強奪、及び殺人、その他諸々の罪でおまえたちを捕らえに来た。怪我したくなかったら投降しろ」



 一瞬の静寂。救世主がガルシアにて発見された噂を、多分全員が思い出していることだろう。


 そして――


「うるせぇ! しょっ引かれたら後はねぇぞ!」


「魔術師――ディルとエドウィンを連れて来い!」


「おうよ! ()られるくらいなら灰にしちまえ!」


 自ら罪を重くする真似を選んだ密輸団に、俺は内心で深々と溜息を落とした。





 ――と、まあ、制圧は順調だった。


 さすがにこの人数、俺一人なら苦戦しただろうが、後ろからカルディオスとディセントラの援護が入るし、コリウスが出し抜けに出現しては数人を叩きのめすという離れ業を披露してくれている状況。


 苦戦するはずもない。



 密輸団の殆どの人間が殺到しているのではないかと思うほどの大人数ではあったが、十分も経つと死屍累々、目に見える範囲では倒れている人間の方が多くなってきた。

 さすがに全員気絶させ切れたわけではなく、呻きながらも身体を起こし、なおもこちらに向かってくる連中の執念はもはや賞賛ものである。


 倉庫の中では、気絶していた数人が目を覚まそうとするも即座にアナベルに叩きのめされるということが複数回起こっており、恐らく二階のトゥイーディアも同じことをしているであろうと推察できる。



 殴ったりどついたり軽く燃やしたりと、重労働を重ねつつも倒した相手にまで気を遣い、後続に彼らが踏み潰されないようにして、順調な戦果を挙げていた俺だったが、ふと気付いた。



 あれ? ()()()()()()()()()()()()? と。












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