05*◆言葉で許し得ないもの
言葉にもならない不定形の記憶、情動や風景といった繊細な色の羅列から、情報を拾うことは案外に難しい。
私の得意分野の魔法――あるいは固有の力――は、〈ものの内側に潜り込むこと〉。
その魔法を使って、他人の記憶や思考を読むとき、私は大抵、自分が拾いたい情報だけに集中する。
侵すべからざる人の聖域を侵すに当たって、それは最低限の礼儀で――かつ、そうしなければ、とてもではないが人の抱える情報は膨大で、知りたい情報に辿り着く前に、情動と思考の海に溺れてしまうから。
だから、ヘリアンサスが唐突に私に送り込み、流し込んできた情報は、とてもあの一時に私が飲み干せるものではなかった。
ために私は――たぶん、この魔法を会得すると同時に身に着けていた自己防衛の方法なのだろうけれど――、ヘリアンサスの全生涯を、横目で流し見るようにして受け流して、さながら頭の中のひとつの抽斗にそれを仕舞い込むようにして、必要とあらば、喩えるならば、私はその抽斗の前に座り込んで、ひとつひとつその把手を引く。
とはいえ、流し込まれた情報は、前述したように言葉ではない。
風景であったり、情動そのものだったり、色であったり味であったり。
あるいは思い出そのものが、色や匂いを帯びて思い出されることもある。
そのために、私の知っていることは、本当に切れ切れで、曖昧で――ただし、ヘリアンサスが認識していることのうち、彼が言葉で以て理解していることは、私も理解している。
それは、例えば――
例えば、世界にとって魔力が毒であること。
例えば、あの奇妙な女の子――ムンドゥスがヘリアンサスの姉であって、世界そのものであること。
例えば、『対価』のこと。
例えば、〈特別〉ということ。
特別ってなんですか、と尋ねたときに返ってきた、「特別っていうのは、ヘリアンサスにとっての、私です」という答え、その意味。
「ご報告なんですが」と切り出されたときには、「いつも聞いています」と答えるべきだということ。
空というもの。青い色の意味。
涙が宝石であるということ。サイジュのこと。
ヘリアンサスの激烈に動く感情も、私は知っている。
それは、例えば――
例えば、苦痛に対する痛烈な恐怖。
搾取に対する膨大な激情。
約束を破られたことへの憤恨。
その約束がやっと果たされたことへの、名前のつかない膨大な感情。
それから――
――それから、私の助力をどうしても必要としている理由。
私はヘリアンサスが嫌いだ。
憎んでいるといってなお足りない。
今後の生涯を通して、絶対に動かないと断言できる二つめの感情が、ヘリアンサスに対する憤恨と嫌悪だ。
――けれど、それでも、話をしたのだ。
ヘリアンサスは、今はもう、私に何をしたのかを理解している。
だからこそ、その理解があったからこそ、私たちは話をしたのだ。
言葉の上では決して許せないと思ったことを、言葉を以て許すべきだと話をしたのだ。
お互いに責任を取ること。
お互いに頼みを聞くこと。
私は救世主だから、過去の救世主の行い全部の責任は、今は私にある。
だから、私はこいつを守らねばならない。
――斬れば血も出る、そうだろう、こいつの記憶が確かならば、私たちがそう在るように決めたのだから。魂を与えて命を与えたのだから。
そして、ヘリアンサスは私の名誉を傷つけて敵を作っている。
私のみならず私の、延いてはお父さまの家名にまで傷をつけた。
だからヘリアンサスは今後、私をあらゆる誹謗から守らねばならない。その責任がある。
私はヘリアンサスの頼みを聞く。
ヘリアンサスが必要としている助力を差し伸べる。
――どんなに業腹であっても、ヘリアンサスの頼みを撥ね付けてそのときのヘリアンサスの顔を見てみたいものだと思ったとしても、――私はヘリアンサスの頼みを聞く。
――私は、ヘリアンサスとは違う。
子供じみた意地だろうが何だろうが、私が譲るべきではない一線があって、例えばそれは私怨と憤恨のために人間を手に掛けるようなことで、だから私はヘリアンサスの頸を叩き斬りたい衝動を、これから千回も万回も呑み込まねばならない。
こいつはお父さまを殺したのに、と、ひたすらに叫ぶ自分自身の声を、私は一回一回宥め賺して、永久に胸の中に留めておかねばならない。
そうしてヘリアンサスの千年の妄執を叶えてやらねばならない。
それに、角度を変えて見ても、このヘリアンサスの頼みを断るわけにはいかない。
ヘリアンサスは、どうやら本当に、掛け値なしの本音を以て、あの子のことを考えて、私の助力を必要としている。
なぜそれほど、あの子の全生涯の記憶を取り戻させることを嫌うのか、それはどうやらヘリアンサスが故意に隠しているけれど、私が――そんなものがこいつの中に存在するとは、ついぞ考えたことのなかった真心を持って、こいつは私の助力を必要としている。
そして、ヘリアンサスは私の頼みを聞く。
こいつがどれだけ、この世界から消え失せたくないと思っているかを、私は文字通りに理解している。
妄執どころか盲愛だ。
ヘリアンサスは、執念というにも憚られるほどの激しさで、この世界そのものに焦がれている。
だから、賭けをしようと言ったのだ。
ヘリアンサスは随分と、賭けの内容を警戒しているようだった。
私が言ったのならばヘリアンサスは乗らねばならない。
かつてヘリアンサスは私を、盤上遊戯の対局相手だと言った。
ならば今の私たちは何だろう、差し詰めが決闘相手といったところか。
ヘリアンサスは私に理解を求め、すなわち白旗を揚げたようなもの。
私が同じく白旗を揚げて花を差し出すのか、あるいはそのまま剣を突き出すのかを、ヘリアンサスは注意深く見定めようとしていた。
私の嫌悪のありったけを、どうやらこいつは理解しているらしい。
――私はヘリアンサスの頼みを聞くまで、その賭けの内容には触れない。
それをヘリアンサスは責められない。
なぜならヘリアンサスも今まで、同じことをしてきたから。
とはいえ単純な意趣返しで、私は口を噤んでいるのではない。
無いとは思うが、万が一、ヘリアンサスが千年の妄執よりも、自分自身がこの世界に存在し続けること、その偏執にこそ傾倒してしまうかも知れないと思ったのだ。
ヘリアンサスにとって、世界そのものはルドベキア。
好きではないけれど愛している、切り離せないほど深く彼の中に根を張る存在。
そしてヘリアンサスにとって、その世界に色を与え、渇き切った喉を潤す時間を与え、あらゆる傷と痛みを笑い飛ばすに足る情を与える存在こそが、カルディオスだった。
愛してこそいないけれど大好きなのだ――明るくて、眩しくて、万物を指差して名前をつけていく、季節そのものみたいな声の持ち主が。
――あの子は嫌がるだろうな、と思う。
狂い切ったヘリアンサスには理解できないだろうが、あの子は優しいから――自分の記憶を取り戻すために、ヘリアンサスが私のお父さまの命を『対価』として捧げたのだと知れば、自分の責任ではないことまで自分の責任だと感じて、もしかしたらまた泣いてしまうかも知れない。
――でも、カルディオスには申し訳ないけれど、私はヘリアンサスの頼みを聞く。
カルディオスが記憶を取り戻し、ヘリアンサスが失くした正気を、僅かながらも補ってくれることを望む。
だってそうしなければ、ヘリアンサスはさすがに私の頼みを聞かない。
この怪物が、自らの権利だと信じて疑わないこの世界での生存を、たかが私との口約束で諦めるものか。
だから賭ける。
カルディオスに賭ける。
あの子がもう一度、ヘリアンサスにとっての情を呼び覚ますに足るものとなることに賭ける。
――私の頼みは、ヘリアンサスに、私の望みに副う協力をさせること。
私の望みは一つ、――ヘリアンサスの記憶においては、かつてルドベキアが一度延長したこの世界の寿命を、再び削られているその寿命を、今度こそ完全に救うこと。
ムンドゥスは傷付いていて、もうぼろぼろになっていて、ルドベキアがかつて先延ばしにした寿命にさえ、再び限界が近付こうとしている。
――それは、困るのだ。
だって、それでは、あの人が生きていけない。
ヘリアンサスのことを嗤えない、私だって十分に妄執の生き物だ。
私はルドベキアが好きで――これほど冷ややかに接されているというのに、いっこうに諦め切れない私に、私自身が呆れ果てるほどで――あの人が生きていける世界が欲しいのだ。
今のあの人の寿命より、この世界の寿命が一瞬であっても長ければそれでいいか、と思おうともしたけれど、駄目だった。
私は、たとえルドベキアがルドベキアという名前で生まれなくなったとしても、彼の一部でも引き継いでいる誰かであれば、その人が幸せに生きていかなければ我慢が出来ない。
笑顔は私に向けられなくていい、手を握られるのは私でなくていい、――それでも彼に生きていてもらいたい。
私は彼の声が好きで、笑うときの目の細め方が好きで、彼の大きな掌が好きで、しっかりとした骨格の指が好きだ。
彼が私に笑い掛けてくれたらどれだけいいだろうと思うけれど、それが生涯有り得ないことだと分かっていてもなお、もうどうしようもなく彼が好きだ。
たとえ彼が、何かの理由で見目が変わって生まれてきてしまったとしても、私は彼がルドベキアだというそのことだけを以て、また彼の全部を好きになるだろうと思う。
彼の物事の捉え方、気配りの仕方、変に慎重で、それなのにときどき抜けているところ、そういうところが好きだ。
案外に自己肯定感が低いところ、自信がないところ、自分のことをかっこいいと認めてくれないところ、平気で無茶をするところ、そういうところにやきもきしてしまって、それでも全部が好きで仕方がない。
アナベルのことがあったから、いよいよ諦めなければならない恋と思って目を瞑ってきたけれど、――駄目だ、私は弱い。
――『あなたの足許を千年支えてきた気持ちを、あたしのために落とさなくていい』。
アナベルはそう言った。
――彼女は私の気持ちを知っている。
ならばこれが、私の恋慕を許す言葉でなくて何だという。
許されてしまえば、もう私は自分の感情を止められない。
この感情を堰き止める方法を私が知っていたのなら、もうとっくの昔に、私はルドベキアを目で追うことをやめられていたはずなのだ。
――私は彼を嫌えない。
理解できない彼の行動を責めるにしても、恋慕が許されてしまえば、私はどうしても武器を置いて、彼の目を見て、言葉を以ての説明を待ってしまうようになる。
私は彼を好きになったことを後悔したことは一度もなくて、この恋慕があったからこそ、私はこれまで救世主として生きてこられたのだ。
生まれると同時に絶望し、もう嫌だと思って目を閉じそうになる度に、その瞼の裏に浮かんできて、私を繋ぎ留めてくれたのはルドベキアだ。
何百回も失恋していて、そのうえ更にひどい失恋をしたけれど――彼に武器を向けられることが、あれほど胸が痛むものだとは思わなかったけれど、――もう本当に、この恋は永遠に片恋として決定づけられてしまっているけれど。
それでも、彼が私のことを覚えていてくれるならば、それは救世主としての姿であってほしい。
たくさん格好悪いところも見せてしまっているけれど、それでも最後に彼の記憶の片隅に残るとすれば、その私の姿は、最後まで救世主として生きた、せめて少しは彼を感心させるに足るものであってほしい。
そうすれば私は、この恋にも少しは妄執以上の意味があったのだと、そう思って大事に大事にこの想いを抱えていくことが出来る。
憤恨も怨嗟も胸を抉るほどに痛いけれど、平気な顔は出来ないけれど、――私には、それを呑み込む大義があると、そう思える。
◆*◆
「――出来れば、」
と、コリウスが言った。
彼は警戒するようにヘリアンサスに視線を当てていたが、言葉はトゥイーディアに向けられていた。
「今現在、誰が何をしようとしているのか、僕には分からないんだが。アナベルは特にそうだろう。
――それが安全であるかどうか含めて、お互いの立ち位置について、少し話したいんだが」
“それ”、と示されたのはヘリアンサスで、彼は少し肩を竦めるようにする。
それから視線でトゥイーディアを追った。
トゥイーディアは、ゆっくりと円卓の縁を回って、アナベルの隣の椅子を引いて腰掛けようとしているところだったが、その視線に気付いた様子で顔を上げて、ヘリアンサスを一瞥したあと、アナベルとディセントラの頭越しにコリウスを見た。
「――大丈夫よ」
トゥイーディアが、ゆっくりとそう言った。
自分の頭の中で噛み砕いた言葉を、丁寧に丁寧に並べていくような語調だった。
「大丈夫。ここにいる間は、絶対に、私たちを傷つけたりはしない」
奇妙に思えるほどの確信を籠めてそう言って、トゥイーディアは息を吸い込む。
ヘリアンサスへ視線を移した、その目の色が妙に平坦だった。
「――よほど千年の妄執が重いのね。
コリウス、」
視線を翻してコリウスに目を戻し、トゥイーディアが強張った表情で苦笑する。
苦労して言葉を作るようにしながら、続ける。
「誰が何をしようとしているか、ね。コリウス、ヘリアンサスのことは気にしなくていいわ――ほんとに、もう、こいつにとっての目的は終わったも同然で、」
ヘリアンサスが、僅かに目を見開いた。
俺はそれを見てから、トゥイーディアを見た。
――話はした、と言っていた。
ヘリアンサスも、全く同じことを言っていた。
話す時間はあっただろう――葬儀の合間にも、ヘリアンサスとトゥイーディアには、二人になる局面が多々あったはずだ。
だが、一体何を話したという。
そもそも話して理解が出来るものか。
言葉の上での理解も容赦も、予め踏み躙るに有り余ることを、ヘリアンサスはしているのだ。
トゥイーディアがヘリアンサスに視線を運ぶ。
いっそ言葉が喉を傷つけているのではないかと思えるほどに不自由そうに、彼女は呟いた。
「――後は相手次第でしょう」
そう言って、トゥイーディアがすとんと椅子に腰を下ろす。
アナベルが、一瞬の躊躇を挟んでから、おずおずとトゥイーディアの手を取った。
トゥイーディアがびっくりしたように肩を震わせて、アナベルを見る。
首を傾げて、さら、と蜂蜜色の髪の一筋が、肩を滑って胸の前に落ちた。
「――イーディ?」
アナベルが控えめに呼び掛けて、大粒の薄紫色の瞳を瞬かせてから、ちらりとヘリアンサスを見た。
しかしすぐにトゥイーディアに視線を戻して、確かめるように呟く。
「イーディ、あたしたちは大丈夫でも、あなたは違うでしょう?」
トゥイーディアが、意図を取りかねた様子でいっそう首を傾げる。
まじまじとアナベルを見詰める表情が、いっそあどけなくさえ目に映った。
「アナベル……?」
「あたしの目を覚まさせたの、あいつでしょう?」
ヘリアンサスの方へ頭を傾けるようにしてそう言って、アナベルがじっとトゥイーディアの目の奥を見詰める。
トゥイーディアが瞬きした。
「そのときに……とにかくあいつが、あたしの目を覚まさせるのに必死だったのは分かるんだけど、その理由が、たぶん、」
言葉を切って、アナベルが俺を見る。
俺は曖昧に肩を竦めた。
アナベルはトゥイーディアに視線を戻して、あやふやな考えを言葉に纏めようとしているように、考え考え言葉を選びながら。
「――ルドベキアを死なせたくないと思っていたことは分かるの。その理由は分からないんだけど。
――あと、イーディ、あなたの力がどうしても必要だって思ってたことは」
俺はちらっとヘリアンサスを見た。
――あのとき、俺が処刑寸前で、トゥイーディアが俺に背を向けたあのとき、どうしてアナベルが駆け付けて来ることが出来たのかを、俺はようやく理解した。
ヘリアンサスが、無理やりにアナベルの目を覚まさせていたのか。
どうしてヘリアンサスが力づくでトゥイーディアを止めず、あるいはあの処刑場にいた全員を始末してしまわず、アナベルの目を覚まさせるという間接的な方法で、トゥイーディアをあの場に留めたのかが俺には分からない。
確かに、力づくでトゥイーディアをあの場に留めたとして、そのときにトゥイーディアがどう動いたのかは未知だが――
ヘリアンサスはむしろ興味深そうにアナベルを見ていた。
アナベルの目を覚まさせるときに、ヘリアンサスからアナベルへ流れ込んだ何某かの情報があったにせよ、その内容を、ヘリアンサス自身ですら、初めて知ったというように。
「イーディ」
アナベルが、伺うように名前を呼ぶ。
トゥイーディアの表情が強張っていた。
剣山を呑むとしても、これほどの苦しげな色は浮かぶまいと思えるような――その双眸の色。
「イーディ。ヘリアンサスが、あなたのことを必要としていたとして――」
コリウスとディセントラが、身動きもせずにアナベルとトゥイーディアを見ていた。
――二人は知っている。
なぜヘリアンサスがトゥイーディアの助力を得ることに固執しているのかを知っている。
俺の他に、もう一人。
ヘリアンサスが最初の人生の記憶を取り戻させたいと思っている人間。
その一人に対しては、記憶を呼び起こすための魔法を、ヘリアンサスではなくトゥイーディアが遣う必要がある――そのこと。
「――イーディが応える必要がある?
あいつは、――あたしが言えたことではないけれど、」
アナベルの声が少し掠れた。
トゥイーディアの手を握るアナベルの指から力が抜け掛けて、それを引き留めるように、ぎゅう、とトゥイーディアが指に力を籠める。
アナベルが目を伏せた。
声はごく小さかった。
「……あなたのお父さんを殺しているのに」
――居間が静まり返った。
風が吹いて、バルコニーに通じる大きな窓が微かに揺れて小さな音が鳴る。
かちこち、と時計が針を進める音が、やけに大きく耳につく。
そして、トゥイーディアが大きく息を吸い込んだ。
「――ありがとう、アナベル」
小さな声でそう言って、トゥイーディアが息を吐く。
次に声を出したときには、その声はしっかりしていた。
「でも、話をしたの」
トゥイーディアがヘリアンサスの方へ顔を向けた。
ヘリアンサスはいつもと同じ、憎らしいまでの無表情だったが、トゥイーディアがそのことに腹を立てた様子はなかった。
まじまじと――抽象画に籠められた意味を丁寧に汲み取るような眼差しで、ヘリアンサスのその顔を眺めて、トゥイーディアが呟く。
「……話をしたの。
――ヘリアンサスは、」
ヘリアンサスは、瞬きもせずにトゥイーディアを見詰めている。
答え合わせをするような慎重さを以て、トゥイーディアが言葉を続けた。
「おまえは、お父さまに何をしたのかは分かっていないんでしょうけど、」
声が僅かに震えている。
怒りのゆえだ。軽蔑のゆえだ。
トゥイーディアの眼差しに、嫌悪の限りが煮詰められている。
「――私に何をしたのかは、もうちゃんと分かっているでしょう」
ヘリアンサスが首を傾げた。
何かを疑問に思った風ではなくて、ただ考えている風だった。
トゥイーディアはその仕草を見守って、それから急に、居間の入口に立ったままになっている俺に視線を向けた。
そして、低く呟くように。
「……皮肉にもあなたのお蔭で、ルドベキア」
俺は瞬きする。
ヘリアンサスを窺ったが、彼は俺に視線を向けなかった。
トゥイーディアを見詰めたまま、ヘリアンサスは彼女の言葉を追っている。
「――あなたとそいつが……どういう関係だったのかは、あなたの側からのことは分からないけれど、ヘリアンサスの側のことはよく分かる。
こんなに大切にしている人の息子なら、そうでしょう――生まれる前から特別で、話が出来るようになれば世界そのものに等しい。――本当にずっと待ってたのね」
淡々と、読み上げるようにそう言って、トゥイーディアは目を細める。
俺はぽかんと口を開けてトゥイーディアを見ていた。
――どうしてトゥイーディアが、そこまでのことを知っている。
どうして、俺とヘリアンサスが、俺が生まれる前から関係があったことを知っている。
ヘリアンサスは黙っている。
トゥイーディアが話すことを聞いて、何かを確認するような顔をしている。
「おまえにとってルドベキアは、――本当に息子みたいなものなのね。
おまえに、親子の情が正しく理解できているとは思えないけれど」
皮肉っぽくそう言って、トゥイーディアが息を吸う。
「そのルドベキアが処刑台の上で、刑まで時間がない状況を見て――それはそれは恐ろしかったでしょうね」
首を傾げて、トゥイーディアが、強張った唇を無理に動かすみたいにして、苦笑した。
「――自分以外がルドベキアの命に手を掛けるのは、耐え難いほど苦痛なのね、おまえ」
息を吐いて、目を伏せて、トゥイーディアが呟く。
もういっそ、言葉を絞り出しているようですらあった。
「……こいつが、――私に何をしたのかは分かっているから、だから話をしたのよ」
ヘリアンサスが、小さく呟いた。
「――お互いに責任は取る」
「取る責任がイーディにある?」
ディセントラが語調を荒らげたが、ヘリアンサスは肩を竦めただけだった。
代わってトゥイーディアが呟いた。
「あるのよ。
――それから、私はこいつの頼みを聞く。こいつは私の頼みを聞く」
恬淡とそう言って、トゥイーディアがぎゅっと目を瞑った。
何か、彼女を奮い立たせるに足る何かを、必死に思い描いているかのようだった。
「……大丈夫よ。私はこいつとは違う。大丈夫よ」
ディセントラが、言葉を失った様子でトゥイーディアを見詰めた。
――トゥイーディアが、絶対に言葉で許し得ないものを、言葉で許そうとしている。
アナベルが、何かを言おうとした。
だがそれよりも早くトゥイーディアが顔を上げて、ヘリアンサスを見た。
そして、無表情に呟いた。
「……そこにおまえが立ってると、カルが入って来られないわ」




