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09◆ 怪しいからこそ

 運河の辺、船着き場でのんびりと俺たちを待っていた四人は、見知らぬ青年がくっ付いて戻ってきたことに当然ながらびっくりした様子だった。


「――誰、その人?」


 眉を寄せてあからさまに嫌そうな口調でアナベルに誰何され、フィルは眦を下げた。


「……思ってたより、救世主って冷たいんだね」


「うるせぇぞ」


 他所からアナベルを悪く言われる筋合いはねぇよ。


 ちょっといらっとした俺は、進み出て来たカルディオス(視線はばっちりフィルの方)に抱えていた紙袋の一部を渡しつつ、きっぱりと言った。


「そいつ、俺たちの財布を()ったやつ」


「えっ、無事だよね? あれ、税金なのよ?」


 トゥイーディアが目を丸くして立ち上がり、ディセントラがめちゃめちゃ頷いた。


「大丈夫大丈夫、すぐ取り返したから。――はい、コリウス」


 革袋を返却されたコリウスは、――というか、待っていた四人全員が、もうそれだけで状況を悟った様子だった。


 代表して、トゥイーディアが蟀谷を押さえ、確認するように訊いてきた。


「ディセントラ、相変わらずね……優し過ぎるわ。その人、何か事情があるのね?」


 肩を竦め、ディセントラはトゥイーディアの言葉の前段を流した。

 これまでの人生でも何回も言われているからだろう。


「そうみたいなの。まあ、これからその事情を聞くんだけど」


 ディセントラに振り返って見られ、フィルはてへっと微笑んだ。図太すぎないか、こいつ。


「ええっと、初めまして。俺はフィル。

 ――あの、実は俺」


 うん、と頷く俺たち。

 地面に座り込んでいた全員が立ち上がり、期せずしてフィルを包囲するように立つ。


 その上に俺が灯火を浮かべているから、離れた所から見ると相当怪しい集団に見えることだろう。

 事実、船を待つ他の人たちからの視線が痛い。


 フィルは誰の方を向けばいいのか逡巡する様子を見せてから、ディセントラの方を向いて話し始めた。


「この間まで真っ当に働いてたんだけど、つい最近失業しまして……」


 続けられたその言葉に、ディセントラとトゥイーディアが気の毒そうに顔を顰めた。

 アナベルとコリウスは無反応。

 カルディオスは「で?」と言わんばかり。

 俺はそこそこ無反応。同情してやってもいいけど、こいつ、掏りだからね。


 ディセントラの同情の表情に勇気を貰ったらしく、フィルは元気を取り戻して話し始めた。


「働いてたのは、イリズ卸っていう会社で――ダフレン貿易と同じ、世双珠の卸をやってる会社――あっ、ダフレンの方が全然でかいけど」


「――その会社、密輸団のせいで売上が立たなくなって倒産したりしたの?」


 ディセントラの、先を読んだ質問に、フィルはぱちんと指を鳴らした。こいつ、呑気だな?


「惜しい、お姉さん。――倒産はしなかったけど赤字が出てさ。給料払えんから出てけって馘首さ(くびきら)れたんだよ。だから、その、褒められないことして日銭を稼いでたわけで」


 カルディオスが、俺から受け取ったパンの紙袋を片手に、もう片方の手で顎を撫でた。翡翠色の目がきらりと光った。


「イリズ卸って確か――バリンレッジの会社だな?

 ここからかなり距離あるけど、なんで遥々ブロンデルまで来た?」


 す、とフィルの目が泳いだ。

 他の人なら見逃したかも知れないけど、俺たちはばっちりそれを見た。何しろ人生経験が長いので。


 もうやだこいつ。絶対に厄介ごと持って来るじゃん。


「――よくあんな小さい会社知ってんねー」


「俺、一応将軍の息子だからね」


 カルディオスは顎を上げた。


「国内のある程度の会社は知ってる。あと、敬語を使え」


 将軍の息子、と聞いて、フィルは目を見開いた。

 緊張を誤魔化すように、彼が唇を舐めるのが見えた。


「すみませんでした。――えっと、ブロンデルに来た理由、ですよね。実を言うと、ダフレンに勤められないかなーって、働き口を探しに来たんですよね……まあ、駄目でしたけど」


 しょぼん、と項垂れたフィルを急かすように、アナベルが端的に口を挟んだ。


「で? 掏りがあたしたちに何の用なの?」


「フィルです、すみません……」


 悲しそうにそう言って、フィルはディセントラを見上げた。


「あの、実は、プラットライナに連れて行ってほしくて……」


 ディセントラが軽く目を瞠ったが、そんな優しい反応に留まらず、横から毒舌が繰り出された。


「プラットライナでまた掏りをするの?」


 アナベルが歯に衣着せずに言い、フィルは半泣きの表情を作ってそちらを見た。


「酷くないですか!? 違いますよ!?」


「あたしはそこのと違って平民だから、敬語は結構。

 ――じゃあ、密輸団に入るの?」


 そこの、と言われたカルディオスはとぼけた顔をしたが、一方で、敢えて神経を逆撫でするようなアナベルの言葉に、フィルが唐突に激昂の表情を見せた。


「違う!! 誰がそんなことするか!」


 怒鳴って、その一瞬後にはっとした顔で表情を取り繕う。

 そして、アナベルから目を逸らしながら、誤魔化すように言った。


「やだなー、なに言ってんの……」


 気を取り直すように咳払いして、フィルはまたディセントラと目を合わせた。自分の味方になってくれるとすればディセントラしかいないと思っているらしい。



「――やっぱりこう、密輸団には思うところがあるわけですよ。だから、手伝わせてほしくて……」



「却下」


「却下」


「却下」


「却下」


 俺、コリウス、アナベル、カルディオスの声が見事に揃った。

 フィルは目を剥いた。


「瞬殺で全否定!」


「有り得ませんね」


 更なる否定を重ねて、コリウスは冷徹な濃紫の目でフィルを見た。さすがというべきか、掏りであろうと親しくない人間には丁寧な言葉遣い。


「まず、手伝いにならなりません。足手纏いがいいところです」


「ひどっ」


 呻いたフィルに、アナベルが首を振る。


「事実よ。――こちらに全くメリットがないの」


「み、密輸団の手口知ってるよ? あと俺、プラットライナも行ったことあるから、道案内くらいなら出来るよ?」


 物悲しそうに訴えるフィルに、今度は俺が首を振った。


「駄目だ。危ない」


「気遣ってくれるのは嬉しいけれども!」


 叫ぶフィルに、とどめとばかりにカルディオスが言い放つ。


「それに単純に、おまえ、怪しい」


 ぐ、と言葉に詰まるフィル。自分の怪しさは承知のところのようだ。

 しばし俯いて震えていたが、やがてがばりと顔を上げ、


「頼むよ!」


 開き直ったように叫んだ。


 ここは船着き場だから、船を待つ人が他にもいる。

 その人たちが、何事かと俺たちの方へ首を伸ばした。


「おま、うるさ」


 言い差す俺の言葉を遮るように、フィルは地面に膝を突いてディセントラに取り縋る。

 ディセントラ以外の俺たち五人は一斉に顔を強張らせた。

 こいつ、縋って効果的な相手を分かってやがる。


「頼むよぉ、俺もう後がないの。失業した人間に世の中冷たい。世知辛い。まともな働き口にも拾ってもらえないし、俺もう駄目なの。

 でもほら、密輸団壊滅させましたって、こいつが役に立ちましたって、あんたたちがちょこっと俺を持ち上げるようなこと言ってくれれば、俺、一気に英雄だよ? よく頑張ったねって世間様から褒められて、多分再就職もできるよ? 多分ダフレンが拾ってくれるからさあ。

 だから頼むよ、連れてってよぉ。傍に置いといてくれるだけでいいからさあ」


「――それ、私たちがダフレンさまに直接口利きするのでは駄目?」


 困り切った様子のディセントラが、取り敢えずフィルの肩を撫でてやりながら尋ねる。


 フィルはぶんぶんと首を振り、


「無理無理、ダフレンの社長はコネで人選ぶような人じゃないって!」


 まあ、そんな感じはするな。


 梃子でも動かなさそうなフィルに、コリウスが額を押さえて呟いた。


「僕がこいつを退かそうか、ディセントラ?」


「怪我するでしょ、駄目」


 ディセントラがきっぱりと答え、いよいよこの青年を持て余す雰囲気が俺たちの中に溢れた。


 俺としては正直もう、こいつを運河に放り込みたい。

 財布掏った時点でもう心証最悪なんだよ。

 ディセントラ、毎回毎回優し過ぎるだろ。


「おいディセントラ、おまえ――」


 責任持って何とかしろ、と言い差した俺を遮るようにして、今までずっと口を噤んでいたトゥイーディアが、おもむろに口を開いた。



「――連れてってあげればいいじゃない」



 全員、思いっ切りトゥイーディアを振り返った。


 視線の集中砲火を喰らったトゥイーディアはむしろきょとんとして、


「だってその人、密航でもしてついて来そうじゃない。揉め事は嫌だし、それならもう認めちゃう方が早いんじゃない」


「馬鹿なのか?」


 反射的に俺は言っていた。

 言った瞬間、意図に反して口調に冗談っぽさは欠片もなかったと自覚した。


「馬鹿ってなに?」


 トゥイーディアが飴色の目を不快そうに細めて俺を見て、気持ちは重々分かるが俺は死にたくなった。


 違うそうじゃない俺は冗談で――うわあああ。


 失敗した冗談は失言。

 思ったことをするっと口に出さなくてもいいじゃん、俺。

 いや、代償も多分に働いたところだとは思うけどさ――思うけどさ!


 絶叫渦巻く胸中を全く映さぬ俺の無表情に、トゥイーディアの表情が険を帯びる。

 やべっ、と思った瞬間に、アナベルが俺たちの間でうるさそうに手を振ってくれた。


「ルドベキア、喧嘩売らないで。トゥイーディアは買わないで」


 むかっとした顔のまま、トゥイーディアが俺から顔を背けた。

 それをやれやれというように見ながら、コリウスが口を開く。


「話を戻すが。――そいつを連れて行ったところで役に立たないぞ?」


 コリウスの反論に、気を取り直したらしきトゥイーディアが、蜂蜜色の髪を揺らして首を振った。


「そうかな? ――いちいち癇に障ること言ってくださるルドベキアさん、プラットライナの地理は分かる?」


 訊かれて俺は首を振る。


 内心ではめちゃめちゃ安堵していた。

 トゥイーディアは、本気で怒ったときは俺を無視する。

 だから、話し掛けてくれたということはまだ大丈夫。ぎりぎりセーフ。


「突拍子もないこと言い出す方が悪いんだろ。――地理? 分かんねぇよ。でもそんなの、行ったことないならみんな一緒だろ?」


 謝る代わりに悪態を吐き出した俺に、溜息をひとつぶつけてから、トゥイーディアは軽く(かぶり)を振った。


「私たちは何とかなるわよ。他の町を知ってるから。でも、きみはド田舎出身でしょう。大都市は散策の経験もないでしょ。もう造りからして分からないでしょ」


 “大都市は”、という言葉の前に、“この時代の”という枕詞が付いていることを、フィル以外の全員が言外に聞き取った。


 いやまあ、そうだけど……。


 トゥイーディアは淡々と言葉を続ける。


「町をみんなで調べるために別行動になったときに、きみが迷子になったら笑えないじゃない。最初にちょっと案内してもらっておくだけでも変わるんじゃない?」


 それはそうだけど……。


 それなりにでかい密輸団なら、町の住人側も、どこが奴らの本拠地かなんて暗黙の内に知ってるだろう。

 密輸の規模がでかくなれば、近くの住人に隠し通すのは無理だ。

 そしてそれを告発させないくらい、暴力沙汰か何かで近隣住民を押さえ込んで沈黙を強制しているんだろう。

 迷子になるも何も、別行動をするまでもなく、聞き込みでもすればあっさり居所は割れるんじゃないか。

 如何に密輸団が恐れられていたとしても、俺たちは救世主。期待を懸けて口を割る人もいるはずだ。

 そこから密輸の現場を押さえて――とかならかなり大変だけど、俺たちはとにかく連中を制圧すればいいのだ。

 居所さえ割れてしまえば、俺はみんなについて行って、後は乱闘あるのみ。

 そして乱闘となれば当然、


「でも、危ないこともあるかも――」


 俺の反論に、トゥイーディアは不意ににこっとした。

 ちょっと含みのある笑い方ではあったが、トゥイーディアは俺の無礼を許してくれたらしい。


 態度には出せないもののどきっとした俺に、トゥイーディアは心から残念そうに、


「優しいね――どうしてその半分も私には優しくないんだか」


 言われた言葉に、俺は無表情で顔を背ける。

 内心は半泣き。


 褒められたのは嬉しいけど、そうじゃない。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 俺の態度には特段の反応を示さず、トゥイーディアはみんなの方を向き直った。


「でもまあ、大丈夫でしょう」


 トゥイーディアは言い切って、まず自分を、それから俺を示した。


「私も、ルドベキアもいるのよ。何が起こっても、一般人一人守り切れないなんてことはないでしょ」


「いやいや、イーディ、待て」


 カルディオスが口を挟んだ。

 ディセントラに縋りついたままのフィルをびしっと指差して、声を高くして言い募る。


「こいつ、怪し過ぎるだろ。わざわざ連れて行く意味あるか?」


「怪しいからこそでしょ」


 トゥイーディアはあっさりと言った。


「こんな町中に怪しい人間を置いておくより、私たちの目が届く方がむしろ安全でしょう」


 ご尤もで。



 トゥイーディアの言葉には、俺たちの中でも相当な重みがある。

 何しろ、対外的には俺たち全員が救世主ということになっている今生であっても、実際のところ正当な救世主はトゥイーディアだ。

 全体の意思決定において、トゥイーディアの言葉が重く見られるのは仕方のないことだ。



 フィルは忙しなく発言者に目を向けてきょろきょろしていたが、俺たちの意思が翻りつつあるのを敏感に察して、むしろびっくりした顔をしていた。


「うわすげぇ……お姉さん何者?」


 問われたトゥイーディアではなく、カルディオスがやや苛立った声で答えた。


「救世主だよ。それからレイヴァスの騎士だ。――敬語を使え」


「はいっ」


 元気よく返答したフィルは、もはや俺たちに同行できることを確信した顔。

 なんかちょっと悔しいけど、その確信は間違っていない。


 フィルの顔を見て溜息を零し、アナベルがディセントラに向かって言った。


「――ディセントラ。責任持って、その子のお世話しなさいね」


「そうなるわね……」


「俺、犬猫か何かなの?」


 立ち上がったフィルの素っ頓狂な声に被って、運河を接近してくる船の汽笛が轟いた。


 暗く沈んだ水面の上を、船首に世双珠の灯りを点した外輪船が滑るように波を割り、近付いてくる。


「おー、俺、結構ぎりぎりでお許しもらえたんだね」


 嬉しそうに灰緑色の目を細めるフィルに、俺は思わず溜息を落とした。


「てめぇが掏りなんかしねえで素直にお願いしてれば、もうちょっとすんなりいったかも知れねえぞ。

 ――なんでわざわざ財布掏った? 逃げ切る気もなかったのに?」


 俺の問いに、フィルは答えなかった。



 ただちょっと、今までとは違う種類の微笑みを、もの寂しそうに浮かべただけだった。



 蒸気を吐く船が船着き場に接岸する。

 跳ね橋のようにして、船から乗船のための足場となる板がするすると下ろされてきた。そこを駆け下りてきたまだ若い乗組員が、少年特有の高い声を張り上げる。


「ヴァーナ、プラットライナ、ヘリッツ行でーす!

 乗る人はこっちー! ここでお金払ってくださーい!」



「――行こうか」


 路銀を管理するコリウスが、まずトランクを手にして歩き出した。


 それに続いて、俺たち全員が各々トランクを拾い上げて歩き出す。



 ――乗船の時間だ。












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