07◆ ただ待っていてくだされば
太った男はネイランと名乗った。
細身で初老の男はファーストンと名乗った。
そして彼らの主――つまりは社長は、部屋の奥のどでかい机の向こうで、大量の書類に埋もれるようにして顰め面で座っていた。
社長の名前はアルフレッド・ダフレン。この会社を一代にして築き上げた天才である。
俺たちの来訪を知らせに走った番兵は、ネイラン氏とファーストン氏に「救世主が来た!」と伝え、ネイラン氏が俺たちを迎えに走り、ファーストン氏が社長のところへ走り状況を整理していた――ということらしい。
ちなみにネイラン氏とファーストン氏は、ダフレン社長の参謀であるらしい。
ダフレン社長は御年六十四。
結構なご高齢であるが、未だに黒く艶々した頭髪をたっぷりと蓄え、口髭も同様にたっぷりと蓄えて整え、浅黒い肌に怜悧な黒い目と、強面ではあったものの理知的な面差しをしていた。
ものすごい不機嫌そうではあったが、俺たちに対して機嫌を損ねているのか、それとも彼を取り囲む書類の山に対して機嫌を損ねているのかは分かりかねた。
とにかくもディセントラが俺たち全員を紹介し、挨拶の口上を述べたところで、唐突にダフレン社長が目の前の執務机をばーんっと叩いた。
「用件は分かっとる! つまらん言い掛かりでわしの従業者どもを生活苦に陥れてみろ! ただでは済まさんぞ!」
あ、俺たちに対して機嫌を損ねてたんだ。
俺がこっそり納得していると、ファーストン氏とネイラン氏がもはや泣き出さんばかりに彼らの主に取り縋った。
「救世主さまに向かって何を仰いますか!」
「おやめください! おやめください!」
なんだこの状況。
普通、もっとこう、言い訳とかからスタートするものじゃないの。
俺が訝しく思ったことを、当然他の五人も訝しく思っている。
唸り声すら上げそうなダフレン社長を一旦置いておいて、俺たちは素早く目を見交わした。
(働いてる人のこと考えてるし、いい人っぽくない?)
トゥイーディアの目がありありとそう言っていた。
(何か事情ありそうだから聞いてみないと分からないわよね?)
ディセントラの目がそう念押ししていた。
(とにかくこの場を静めないことにはどうにもならないぞ)
コリウスの目がうんざりとそう物語っていた。
アナベルとカルディオスと俺が、申し合わせたようにこっくりと頷き、ディセントラが素早く社長に向き直ってにっこりした。
「再三申し上げているのですけれど、お話を聞かせていただけません?
わたくしどもは御社を責めるために参ったのではございません。状況を伺い整理するために参ったのです――状況を整理する手段に、場合によっては多少物理的な力が含まれることは認めますが」
脅しととられかねない言葉を、あくまでも冗談めかして口に出して、ディセントラは女王のような仕草で周囲を見渡した。
「立ち話もなんですから、できればどこかに座らせていただきたいのですけれど?」
棒を飲み込んだような顔で、ファーストン氏がネイラン氏を見て、引き攣った声を出した。
「――なぜ応接室にお通ししなかった?」
ほんとにな。俺たちもそれを疑問に思うよ。
とはいえネイラン氏の顔を見れば理由は一目瞭然。
相当焦ってたんだろう。
息を吐いて、コリウスが呟くように言った。
「――先触れも出さず、大変失礼申し上げた」
その言葉が合図になったかのように、ネイラン氏が深々と頭を下げた。
そのまますすすと扉の前まで移動していって、絞り出すような声を出す。
「……応接室に、ご案内いたします……」
斯くして俺たちは応接室に移り、ようやく落ち着いてダフレン社長と向き合うことが出来たのである。
応接室は三人掛けのソファが向かい合うように配置され、その間に樫材のローテーブルが置かれていた。
ダフレン社長およびネイラン氏、ファーストン氏と俺たちが向かい合って座るとなると、当然ながら俺たちは三人あぶれることになる。
そのことにはたと気付いたらしきネイラン氏が、つむじ風のように素早く応接室の外に出て行き、しばらくしてから、かなり簡素な造りの丸椅子を三脚、えっちらおっちらと運んできた。
遂に見かねて、トゥイーディアとアナベルが椅子を運び込むのを手伝った。
応接室の入り口側に、向かって左からファーストン氏、ダフレン社長、ネイラン氏が腰掛け、奥側のソファに左からコリウス、ディセントラ、カルディオスが座った。
その後ろに置いた丸椅子に、アナベルを真ん中にして俺とトゥイーディアが座る。
全員、トランクは足許に置き、俺は片足を自分のトランクに乗っけた。
「――度重なるご無礼、誠に申し訳ございませんでした……」
ネイラン氏とファーストン氏が深々と頭を下げる一方、ダフレン社長は腕を組んで反っくり返っている。
救世主を相手にしても怯まないこの態度、俺は結構好きだ。
いえいえと俺たち全員が首を振り、「で」と言わんばかりにディセントラが本題に入った。
「――陛下からの書状に、わたくしどもがお邪魔した理由も記されていたとは思うのですが」
「分かっとると言ったろうが! この青二才どもめ!」
ダフレン社長が吼えた。
ネイラン氏は涙ぐんだ。
ファーストン氏は全てを覚悟した顔で、ディセントラの瞳を見据えて言い切った。
「――主の無礼はこのわたくしの無礼として、罰はわたくしに下さいますようお願い申し上げます」
「うちの者に指一本触れてみろ――」
社長がますます猛ったところで、ディセントラがすっと姿勢を正した。
元より背筋は正していたが、それに加えて胸を張った。
その挙動だけで、思わずといった様子で社長が言葉を呑み込んだ。
さすがディセントラ。
王女様の経験もある彼女は、こういう場でどうすれば目を引くのか心得ているし、何ならめちゃめちゃ場慣れしているし凄みもある。
一瞬で静かになった応接室で、ディセントラは艶やかに微笑んだ。
誰が、今のこいつが平民だといって信じるだろうかというほどの、外交用の笑顔だった。
「もちろん、ダフレンさまの大切な労働者の皆さまには、指一本とて触れるつもりはございません。
よろしいですか、お話しくださいませ」
最後の一言に凄みを籠めて、しかし口調は和やかなまま、ディセントラは少し首を傾げてみせた。
「陛下からは、何やら御社からの納税が未だ為されていないと伺っております。
理由をお聞かせ願っても?」
ふん、とダフレン社長が鼻を鳴らしたが、どうやら遥か年下(に見える)ディセントラに気圧されたのを誤魔化すためのようだった。
あと、頭ごなしに税を納めるよう迫るのではなく、理由を聞かせるよう話を運んだディセントラに対する警戒を、少々緩めたように見える。
「――断じて陛下に対する逆心はない」
ようやく普通の音量の声でそう言って、ダフレン社長はソファの背凭れに身体を預けた。
「納めるものがない、これに尽きる」
俺は――というか、俺たち全員が――、「聞き間違いかな?」という顔をした。
アナベルに至っては、露骨に室内を見渡した。応接室には絵画も飾ってあったから、恐らく、「売れば金になりそうなのに」という意味の仕草だろう。
その仕草が見えたのか、社長は今度は身を乗り出してきた。
「いいか、青二才ども。商売というものはな」
カルディオスが脚を組んだのが見えた。
まあ、こいつは商家に生まれたこともあるから、「そっちこそ青二才じゃねえか、聞いてやろう」みたいな心境なんだろう。
俺は目の前にある、カルディオスの後ろの背凭れに肘を突いた。
「ルドベキア、態度」
アナベルから小声で叱責が入り、俺はあからさまに目を丸くして社長を指差す。「相手の態度があれだろ?」の意である。
アナベルは溜息を吐いて額を押さえた。
「どこで儲けが発生するかが大切なんだ、分かるか? ――うちの場合は」
ダフレン社長は髭を撫で、続ける。
「世双珠の採掘業者から世双珠を仕入れる。それを卸す。仕入れ値と卸値、その差額で儲けが発生するわけだ。採掘業者では売買にまで手が回らん、そこをうちが請け負っている」
とんとんと指先でローテーブルを叩き、社長は憤りを声に籠めた。
「上手い商売だなんだと言われているが、いいか? 世双珠は一歩間違えれば兵器にもなるものだ。
それを、相手が果たして妥当な目的で使用するのか? はたまた、法外な値で売りに出すような悪徳業者ではないか? あるいは、犯罪に使われることはないか?
そういう全てを考慮して査定して、こっちは売る相手を見極めるんだ。わしもわしの従業者どもも、ただの働き蟻とは訳が違うんだ!」
ディセントラが真摯な態度で頷くのが見えた。
「儲けが出れば、それを次の仕入れに充てる。あるいは従業者どもの給与に充てる。もしくは、こういう――」
ばんっ、とローテーブルを掌で叩いて、
「社の物を買うことに充てる。使った分の金と儲けた金、この差額が利益になるわけだ、分かるな?」
うんうんと頷く俺たち。
それを睨み据えるように見て、社長は言葉を吐き出した。
「――利益の中から税を払う、これが通常だ。そして、今年は利益が出とらん」
ディセントラが首を傾げた。
彼女が何を言うのかを察知して、社長ががっしりした腕を大きく振る。危うく殴られそうになったファーストン氏が仰け反ってその掌を躱した。
「無論、わしの采配が誤ったゆえの赤字ならば、その辺の――」
壁際の絵画を指差して、
「ものを売ってでも税は納めよう。これは義務だからな。なあ、お嬢ちゃん?」
お嬢ちゃん、と呼び掛けられたのはアナベルだった。
アナベルがさっきこれ見よがしに部屋の中を見渡していたのを、社長はばっちり見ていたらしい。
アナベルは特段反応せず、氷の如き無表情で社長の視線を迎え撃っていた。
「だが、」
視線をアナベルからディセントラに戻し、社長は憤然と己の膝を叩いた。
「今回は違う。今回、儲けが出なかったのは断じてわしのせいではない」
「――つまり?」
ディセントラが首を傾げる。
それに対し、ファーストン氏がそっと言った。
「――密輸団でございます」
「はあ」
「我が社が仕入れた世双珠を載せた汽車が、密輸団に襲われたのです」
カルディオスがちょっと身を乗り出した。
「ちょっと待て? そんなに大量に一気に仕入れたのか? 儲けが吹き飛ぶくらいに? それは社長、あんたの采配ミスだろう」
尤もな指摘だったが、社長は思いっ切り胸を張った。
「誰が一回だと言った」
「三度でござます……」
打ちひしがれた声でファーストン氏が細くした。
ネイラン氏も大きな身体を縮めて項垂れている。
「密輸団が、密輸する世双珠を得る手段は強奪か、あるいは存在しない会社を装ってわたくしどものような卸の会社を騙して仕入れるほかありません」
俺は思わず同情の眼差しで三人を見た。
今回の俺は生まれが生まれだから、他人の不幸ももはや他人事とは思えない。
「無論、社長のご指示で仕入れの経路の変更ですとか、そういった打てる手は打ったのですが、三度にも亘って仕入れの金だけを払い、売上にならない状況。経費だけが膨れ上がり収支の均衡が保てず」
ファーストン氏がちょっと涙ぐみ、ネイラン氏が後を引き取るようにして口を開いた。
「お通りになる際にご覧になったと思いますが、仕入れた世双珠全てを強奪されたわけではありません。不幸がこれ以上重ならなければ、業況の回復は十分に見込まれるところです、ええ。ただ――」
ちら、と社長を見るネイラン氏。社長は憤懣やるかたなしと顔面で語っていた。
「――世双珠がそういった輩に渡らぬため尽力し、もはや国の資源ともいえる世双珠の真っ当な流通を守ってきたのだ! それがこの屈辱!
仕入れを任せていたうちの従業者に死者も出たのだ! 我慢ならん!
税の督促で徴税官どもがのこのこ向かって来た際に、奴らを通して陛下に密輸団について上申させていただこうにも、徴税官はそれはならんと梨の礫!
何のための税だ!? 国を豊かにするための税だろう! 何のために国を豊かにするのだ!? 民草の幸福のためだろう! え!?」
めちゃめちゃ真っ当なことを唾を飛ばして叫ばれて、俺たちは頷くしかない。
何一つとして反論の余地はない。仰る通り。
が、同時に俺は嫌な予感も覚えていた。
ちら、とアナベルを見ると、アナベルも薄紫の目に警戒を浮かべていた。
アナベル越しにトゥイーディアを見ると、トゥイーディアは次の展開を予期したらしく、「もう分かりました」といった風な顔をしていた。
ディセントラもおよそ同じ予想を得たらしく、ひとつ息を吸い込んでから、確認するように尋ねた。
「――因みになんですけれど、これまでの蓄えで税は納められます?」
「出来る。だが徴税官のあの態度――」
延々と続きそうな愚痴の気配を察して、ディセントラは素早く片手を挙げてそれを止めた。
そして、自分の両側にいるコリウスとカルディオスを見遣ってから、ゆっくりと言った。
「わたくしたちが密輸団を壊滅か、あるいはそれに近い形で打撃を与え、ダフレンさま、あなたの大切な会社と従業者の皆さまに二度と危害が加わらないと約束できれば、陛下のご命令通り、恙なく徴税に応じてくださいますか」
ディセントラをじっと見てから俺たち一人一人を一瞥していき、ダフレン社長は腕を組んだ。
「その言葉が事実となれば、無論」
正直俺としては、「払えるものがあるなら払っておけよ」と思わなくもない。
儲けが出た分を超える資産を割くのは嫌だという、これでは我侭のようなものである。
だがそれでも、皇帝が権力に物を言わせて徴税せず、敢えて救世主に頼ったということは、それだけダフレン貿易は国にとっても重要な会社ということだろう。
何しろ社会基盤たる世双珠の流通を担う会社の最大手、ある程度ならば我侭も押し通せるといったところか。
下手を打って世双珠の流通が乱れ、混乱が起きることを避けたいのだとあからさまに分かる。
「よろしい」
ディセントラはそう言って、軽く首を傾げた。
「その密輸団の拠点ですが――」
「プラットライナにある、との噂でございます」
ファーストン氏がこそっと囁き、驚きを籠めて俺たちを見た。
マジの暴力沙汰で、俺たちが税を取り立てると予想していたんだろうな。
プラットライナか。
そういえば宰相の家に泊まったとき、晩餐の席でちょっと言われた気がするな。
場所はどこだろう。俺はアーヴァンフェルン帝国の地理に疎いから分からないけど、他のみんなが知ってるだろう。
ディセントラが頷いた。
それを合図に、俺たちはトランクを手に一斉に立ち上がった。
それに合わせて、わたわたとファーストン氏とネイラン氏が立ち上がる。
それを他所に座ったまま、お手並み拝見とばかりに俺たちを見るダフレン社長を見下ろして、ディセントラは言い放った。
「それではダフレンさま。お手元のご資金をご準備いただいた上でお待ちください。事情が事情ではございますが、恐らく、延滞税が加算された額になりましょう」
ダフレン社長の唇が面白そうに歪んだ。
ぺこぺこと頭を下げるネイラン氏とファーストン氏に対しては、コリウスが短く声を掛けた。
「見送りは結構です」
ネイラン氏とファーストン氏は戸惑った様子で瞬きした。
救世主の来訪がこれほど短時間で終わるとは思っていなかったのだろうし、まさかこんなことを言い出すとも思っていなかったんだろう。
「は――はい、あのっ」
ネイラン氏が頭を下げつつ、叫ぶように言った。
「お、お気をつけて! わたくしどものために、掛替えののない救世主さまたちに何かあれば許されません!」
そんなに俺たちって頼りなく見えるかな。――というか。
俺は思わず生温く笑ってしまう。
しかし一方では、トゥイーディアが朗らかに笑っていた。
そして、この部屋に入ってから初めて口を開いてそれに応じた。
「――大丈夫ですよ」
飴色の目は、俺の大好きな救世主としての眼差しで、ダフレン貿易の社長に向けられていた。
「私たちは救世主ですから。
――それにこの旅は、それほど急ぎの旅でもないのです。
お気になさらず、ただダフレンさまにとっての吉報を待っていてくだされば良いのです」




