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06◆ ちょっとした頼まれごと

 翌日、俺たちは盛大に見送られて出発した。


 格式ばった移動ばっかりでさすがに疲れてきたが、これが最後だ。あとは自由だ。



 皇城には白い旗が翻る。

 救世主専用の旗なんて、勿論のこと準備があるはずないので、これまでも一色に染め抜いた旗が使われることが多かった。


 今回は白か。白旗か。

 魔王を前に敵前逃亡有り得ると宣言した俺たちに対する皮肉かな。



 前回の出発のときには、盛大なパレードが催された。

 何しろヘリアンサスがあれこれと大陸に手を出してきていたから、救世主の登場は本当に待望の出来事だったのだ。


 それに比べて今回は落ち着いていてほっとした。

 この辺には魔王の活躍の有無が出たといえるだろう。

 皇城内でこそ、一国の重鎮が見事に出揃って武運を祈られたりしたが、用意されていた馬車に乗って駅に向かう途中、救世主を見ようと待ち構えている人は沿道に並んでいる程度で、前回みたいに町の人総出というわけではなかった。それでも結構な人数だったけど。


 メリアさんや護衛の人たちとも、皇城でお別れだった。

 ここからは俺たち六人だけだ。


 俺は正直ほっとしたけれど、メリアさんはトゥイーディアのことが心配でならない様子だった。

 身分のある人がずらりと並んでいる中、使用人であるメリアさんは後方に控えていたが、ずっと何か言いたげにトゥイーディアを見ていた。



 馬車の中で、ちょっと寛いだ姿勢を取りながら、ディセントラがそのことを思い出したらしくトゥイーディアに向かって言った。


「メリアさん、ずっとあなたのこと見てたわね」


 言われたトゥイーディアは苦笑する。

 ちなみに、今日もみんなガルシアの制服である。なんだかんだで動きやすいのはこの服だろうということで。


「私のことが心配なのよ。一緒にいるようになって――八年か。私が八歳であの子が十歳のときからだから」


 指折り数えてそう言って、トゥイーディアは窓の外を見た。


「お母さまが亡くなってすぐ、お父さまが捜してくれた、私と歳の近い完璧なメイドさん」


 なんとなく、俺たちは口を噤んだ。


 俺たち全員、両親に対する情に欠けている。下手したら顔も名前も忘れてしまうほどだ。

 いつもはトゥイーディアも同じだが、今は――生まれた直後に一切の記憶を失っていた人生においては、トゥイーディアは本物の親子の情愛を持っている。

 それは頭では分かっているけれど、自分に事寄せて考えられないから、俺たちはこういうときの気の利いた言葉を吐けない。

 上辺だけならいくらでも言えるけれど、トゥイーディア相手にそれは出来ないからね。


 俺たちが黙り込んだことにはっとして、トゥイーディアは慌てた様子で話題を変えた。


「えっと、最初はどこに向かうんだっけ?」





◆◆◆





 ――俺たちが最初に辿り着いたのは、帝都より汽車で南に三日の距離にある、ブロンデルという都市だった。



 言わずもがなのことだが、ずっと汽車に乗って真っ直ぐに海へ向かい、そのまま真っ直ぐ魔界へ向かうわけにはいかない。

 食糧の調達とかもある(ごはんを食べないと死ぬ。俺は身を以て知ってる)。

 たまにはまともな寝床で寝ないと体調を壊す(俺ももう何箇月もまともに寝られないのは勘弁願いたい)。

 だから町には立ち寄らなきゃならない。


 だからこそ、「どうせ救世主が一泊するならついでに」とお願いされることもある。

 簡単に言ってしまえば、魔界に向かう前に幾つか用事を頼まれているのだ。


 これは魔界遠征の勅命を受けた直後に皇帝から伝えられたことで、あくまでも「依頼」であって「命令」ではないという体裁のため、他国の騎士であるトゥイーディアも信義云々を言わずに従うことになる。


 そのうちの一つがブロンデルでのこと。


 徴税が滞っているらしく、救世主の威光を以て解決してこいとの仰せである。


 正直めちゃくちゃ嫌だ。

 他の揉め事ならまだやりやすさはあるが、経験上、税絡みの揉め事は面倒なのだ。


 まず第一に、納税を渋るということは納税者側が生活に窮している場合が多いということ。

 金はありますが納税したくありませんという場合、説得に応じてくれることもあるので楽だが、ガチで納めるものがなく、「無い袖は振れぬ」という状況の場合、解決策がなくなる。


 第二に、無茶な徴税が行われている場合があるということ。

 必要以上の重税を課している場合は論外だが、必要最低限の徴税であっても、取り立てる手段が暴力的であれば救世主として為政者側を咎めなければならなくなる。

 こうなると、俺たちに頼み事をしてきた皇帝陛下との間で板挟みである。


 今回、納税を渋っているのは世双珠の流通を担う会社の一つ、しかもその中の最大手、ダフレン貿易という会社らしい。

 無い袖は振れぬ、という状況には陥っていないだろうが、それゆえに嫌な感じもする。


 今の時代の生活基盤ともいえる世双珠の流通は、国が選定した会社が行っている。

 つまり国が認めた優良な会社が国に反逆しているのである。ややこしい臭いしかしない。


 まあ、ややこしいからこそ救世主に振られたんだろうけど。


 世双珠は、仕組みすらよく分かっていない天然のものなので、人の手が加わるのは流通と売買の時点のみだ。

 ちなみに世双珠の産地はド田舎諸島のどこからしいが、世双珠が余りにも重要なものなので、盗掘を防ぐためにも産地については極秘の扱いで、採掘を担う人の他には、一国の元首くらいしか正確には知らないのだそう。


 採掘されてきた世双珠を、流通を担う会社が仕入れて卸し、それをガルシアにもあった、世双珠を扱う店が仕入れて人に売る。あるいは汽車とかを造る会社が仕入れて利用する。

 世双珠の卸売りなんて美味しい商売だろう、寡占市場になっていないかが心配だ。


「それはないかな」


 寡占市場にならないのか、という俺の問いに、ブロンデルに向かう汽車に揺られながらコリウスが答えたところによると。


「一社独占の市場になってしまえば、世双珠の卸売価格が高騰する。従って小売価格も高騰する。そうなると世の魔術師は一気に財政難だ。そうならないよう、流通会社にはそれぞれ『枠』が設けられている。その枠の中で世双珠を売買するようにと、一年に扱うことの出来る世双珠の数が決められていたはずだ。そうすることで常に複数の流通会社が成り立つようにして、価格競争を煽っているわけだ」


「魔法も世知辛くなったもんだなあ……」


 思わずしみじみしてしまう。魔法なんて、本来は身一つで使えるはずのものなのに。



 ――と、そんなことを思いながらも、俺たちは恙なくブロンデルに辿り着いた。




 運河の畔に栄えている町で、運河を絶え間なく行き来する何隻もの船が吐き出す煙のせいで、少し空が低く感じられた。この日は曇天だったのでなおいっそう。


 灰色の石造りの、背の高い建物が目立つ。

 建物の正面(ファサード)は飾り立てられて町並みを華やかにし、道路は建物に圧迫されてやや狭かった。とはいえ馬車が擦れ違う程度の幅員はある。

 どこもかしこもそんな感じで、小ぢんまりとした民家は見当たらない。

 この都市の労働者たちは、恐らく仕事場に半ば住まうようにして生活しているか、あるいは集合住宅じみた場所に住んでいるらしかった。

 宿もあったが、高級宿か、あるいはその正反対に振り切った「ぶら下がり宿」しかなかった。


 平民のディセントラは、十五歳のときにガルシアへ向かう際、路銀を尽かして已む無くぶら下がり宿を使ったことがあるとのことだったが、「最悪だった」と。


「ロープ一本に身体引っ掛けて寝られるわけがないじゃない。それに、普通の女の子なら襲われてたわよ」


 と、吐き捨てるように言っていた。


 俺たちはその広い都市で、乗合馬車を使って目的地へと向かっていた。

 各々荷物はトランク一つ。ちなみに俺たちの路銀の管理はコリウスが、暗黙のうちに請け負っていた。




 目的の会社は運河を望む場所にあった。


 石造りの建物ばかりが立ち並ぶブロンデルにおいて、珍しくも煉瓦造りで目立っている。

 赤茶けた煉瓦の建物は三階建てほどと見られ、三つの棟が並んで渡り廊下で結ばれていた。

 数えるのも馬鹿馬鹿しいだけの数の窓硝子が、曇天にさえ光を拾って反射に煌めいている。

 屋根からは幾つか細い煙突が伸びているが、暖かくなってきたこともあり、煙を吐いてはいない。

 敷地の目一杯に建物を建てた感じがありありとして、建物の周辺には申し訳程度の芝生が敷かれていた。



 その近くで乗合馬車を降りた俺たちは、短い距離を歩いて門の前へ。

 (くろがね)の門は装飾が施されていることもなく武骨で、高さは俺の身長よりやや高い程度。

 塀は少し低く、俺からすれば不用心に見えた。


 門の前には警備の番兵が二人立っていて、眼前に来た俺たちを胡乱げに見遣った。

 納税を渋るこの会社あてに救世主が向かうことは伝達されていたはずだけれど、俺たちをぱっと見てすぐにそうだと分かれと言うのは無理があるよな。


「――ご用は」


 一応丁寧さを繕った誰何に、ディセントラがにこっとして応じる。

 番兵が二人とも顔を赤らめた。


「あら、お聞きされてません? わたくしたち、陛下の依頼で参じたのですけれど。お取次ぎ願えますか?」


 困惑で二人の番兵が同時に瞬きするのを見て、コリウスが声を低めて囁いた。


「――救世主です。内密のことですので、お早く」


 番兵が二人同時に目を見開き、素早く顔を見合わせた。

 さしずめ、「おまえ行く?」「俺残る?」といった遣り取りを視線で交わしたんだろう、一人があたふたと門の中へ駆け込んでいく。


 それを俺は一番後ろから見ていた。

 隣にはトゥイーディア。

 俺が自らこの立ち位置を確保できたわけではない。

 面倒だなーと思って一番後ろを歩いていると、トゥイーディアも一番後ろに来たというだけの話だ。

 距離が近くなったので俺はちょっとどきどきしていたが、絶対にトゥイーディアに他意はない。自分が他国の人間だから遠慮するべきだと理解して、敢えて後ろに来ただけだ。


 待つこと数分。


 先ほど門の中へ駆け込んで行った一人が、明らかに焦っている太った男を連れて戻ってきた。

 太った男は禿頭を汗で光らせ、しきりに顔をハンカチで拭いながら、小走りでこちらに向かって来る。

 かっちりとした服装をしていたが、さして地位が高いようには見えない。


 門まで辿り着いた男は、ぜぇ、と一度大きく息を吐いた。

 そして、元より開いていた門を更に大きく開け放とうとしつつ、上擦った声で言った。


「――お待たせしてしまって! どうぞどうぞ! 中へ! いやあこんなにお早いお越しとは! お待たせしてしまって申し訳ない! 中へどうぞ! もてなしも出来ませんが! どうぞどうぞ!」


 熱烈に招かれ、最初にディセントラが、にこっと優雅に微笑んで門をくぐった。

 続いてコリウス、カルディオス。次にアナベル、最後に俺とトゥイーディア。


 番兵の二人は、恐らく状況がよく呑み込めていないのだろうが、それでも最敬礼で俺たちを見送ってくれた。


 こういう場面では、取り敢えず貴族歴の長いディセントラと、なんだかんだでいつも身分のある生まれを引き当てることが多いコリウスに先陣を任せるのが、長年の俺たちの習慣になっている。


 門をくぐれば、そのすぐ先が建物の入り口である。

 入口の真上には真鍮のプレートが掲げられ、そこには『ダフレン貿易』と飾り文字で彫刻されている。


 せかせかと俺たちの前に立って案内しつつ、太った男は顔を拭きつつ立て板に水で喋り続けた。


「帝都の方からお手紙は頂戴しておりまして、ええ、それが三日ほど前のことでして。いやあ目を疑いましたな! 救世主の方々がガルシアから帝都に向かわれているとの内容でして、うちにもお運びいただけるとのことでしたが、いやまさかこれほどお早いお越しとは!」


 三日前に手紙がここに届いていたと聞いて、俺はちょっと面白くなかった。

 俺たちが帝都を出発したのが三日前である。つまり手紙が書かれたのは更に前。あの皇帝、俺たちに面と向かってここでの用事を言い付ける前に、どうやら手紙を書いたらしい。

 いや、皇帝が直々に書いたのではないかも知れないけれども。


「今日と分かっていれば(あるじ)が門の前に待機していたものを! 何分(なにぶん)急なことでしたので、こうしてご足労を願ってしまっているというわけでして――」


 建物の中は明るい。外から見ても分かったように、大きな窓が幾つも開いているからだ。

 煉瓦の壁に寄木細工の床、廊下はそれほど広くなく、並ぶ扉の間隔から推しても、大部屋もそれほど多くない。幾つもの小部屋に分けられている様子だ。


 何人もの人が書類の山や木箱を抱えて歩いており、中には手車に木箱を積んで運んでいる人もいた。

 女性もちらほら混じっていて、女性が家の中に籠もることを強制される時代は終わったのか、と俺はちょっとした感慨を覚えた。

 働く女性はだぼっとした輪郭の紺色のつなぎ(オーバーオール)を着ていて、髪をバンダナで押さえている人が多かった。


 擦れ違いざまに、トゥイーディアがごくごく小さな声で、思わずといったように「かっこいい……」と呟くのが聞こえた。

 うん、似合うと思うよ、トゥイーディア――ってことを、俺は絶対に伝えられないんだけど。


 擦れ違う人みんなが、俺たちをびっくりしたように見ていた。

「救世主がいる」という驚きではなく、「この人たちは誰だろう」という驚き。


 思うに、救世主が会社訪問することは、従業者一人一人にまでは伝えられていないんだろうな。

 まあ、下手したらパニックが起きるもんな。


「五十番の部屋にあるはずのリッキンゼム行の箱が一つ丸ごとないんだけど!」


「それ、もう出荷されてますよ」


「今日の夕方のはずじゃないの?」


「汽車の予定が少し変わって――」


「バールから書類が届いたんですけど、オルタリゼ商会宛ての一箱って七番でしたっけ?」


「そうです。あっ、ロッツェ商店あての一ダース、出荷は明日に変更です!」


「了解」


 忙しない会話があちこちから聞こえてきて、太った男はますます汗を滲ませた。

 焦った余りだろうけど、この人は名乗ることすら忘れている。


「本当に、何のおもてなしもなく申し訳もございません! 何しろ見ての通り、働くことしか能のない者たちの集まりでございまして――ええ、その、何と言いますが礼節に関しましては教養が、その、お恥ずかしい限りではございますが」


 喋り倒す彼の言葉を遮ることはせず、ディセントラがにこにこ頷いている。

 男はもはやディセントラしか見ていない。後ろをくっ付いて行く俺たちとしては気楽なものである。



 俺たちはちらちら見られながら奥に進み、階段を昇り、渡り廊下を歩き、更に階段を昇った。

 三つ並んだ棟のうち、真ん中の棟の最上階に来たことになる。


 この階には人の出入りがなく、しんとしていた。

 他の階が作業場として使われているのに対して、ここは多分偉い人がいる場所である。


 その奥の両開きの扉の前で、太った男はようやく一息ついた。

 足を止め、俺たちを振り返って気まずそうに言う。


「中に主が――その、ご無礼もあるかとは思いますが……」


「構いません」


 ディセントラが物柔らかに言った。


「お話を伺いに来たのです。礼節を求めに来たのではありません」


 台詞の字面と口調とで、上手く硬軟の印象を保っている。

 ディセントラはこういうことが出来る貴重な奴だ。


 コリウスでは硬いばかりの口調になるし、カルディオスでは威厳が保てない。

 アナベルは冷ややかさが先に立つし、トゥイーディアは相手の事情が分かっていない場面で厳しいことを言うのが苦手。

 俺はどっちかというとアナベル寄りで、威圧ばっかりになるタイプだ。


 もはやディセントラを俺たちの代表と見做したらしき男は、ほう、と息を吐いた。

 それから、真鍮のドアノッカーを指先で持ち上げ、三度、ノックの音を響かせた。


 中から、「お入りください!」と裏返った声が響いた。


「……そんなに不意打ち過ぎたのか、俺たち」


 揃いも揃って震え上がっているらしき会社の人たちの様子に、思わず俺は小声で呟いた。

 完全なる独り言ではあったが、思わぬ返答があった。


「そうみたいね。気の毒なことしちゃったねぇ」


 トゥイーディアが、申し訳なさそうな目で太った男を見ながら答えてくれたのだ。

 思わぬ形ではあったが会話が成立し、俺はちょっとどきどきした。まあ、そこから会話を発展させようとすると案の定口が開かないわけだけれども。


 両開きの扉を、太った男が勢いよく開いた。


 同時に、扉の向こう側にいた細身の男が飛び出して来た。

 初老で、顔に寄った皺一本一本に悲壮感が溢れていた。


 そして叫んだ。



「――主は悪くないのです!」



 お、おう……。



 むしろきょとんとした俺たちだったが、ディセントラが素早く言っていた。



「ですので、お話をお聞かせ願えません?」















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