05◆ いざ拝命
とうとうトゥイーディアに嫌われたかも知れない。
いや、嫌われるよりもっと悪いかも知れない。
だって、魔王って。魔王って、俺たちの永遠の仇だし。殺すべき相手だし。
――私、いつかあなたのことを、魔王だと思ってしまうかも知れないよ。
「うあああああ」
トゥイーディアの言葉が頭の中で反響し、貸してもらった部屋の中、寝台の上で一人頭を抱える俺。
なんで? ここにきて急になんで? あんなにはっきり、魔王はヘリアンサスだって断言してたのに。
しかも「あなた」って呼ばれた。今まで以上に心の距離が開いてる。
何なの今生。もう嫌だ。
――私と雑談くらいはしてみてよ。
したい。雑談どころか、話したいことはいっぱいある。
それなのに、この代償のせいでトゥイーディアに魔王だと思われて殺されたら堪ったものじゃない。
なんか泣きそう。
緊張で眠れないと思うが――って言われたときは鼻で笑えたのに。
確かに緊張は全然してないけど、トゥイーディアの中で俺の心証が最悪の更に向こうに行ったかと思うと寝られない。
枕に突っ伏し、自分の行いを顧みる俺。
精神年齢いくつなんだって話だけど、こればっかりは仕方ない。
それに今までの人生、平均寿命をとってみると二十歳くらいだからね。
トゥイーディアが訳もなく俺のことを魔王だなんて言うはずない。悪いとすれば絶対に俺だ。
俺が、気付かないうちにトゥイーディアに何かしたのだ。しかも相当なことを。
だが、記憶の重箱を片っ端から引っ繰り返しても、それらしい記憶が出てこない。
いや、いつも俺はトゥイーディアに対しては相当に失礼な振る舞いをしてるんだけどね。
でもだからこそ、抜きん出てやらかした記憶がないというか。
「うううう」
呻く。心当たりがないのがなお辛い。
どう頑張ってもフォローできないじゃん。
ただでさえ代償のせいで、トゥイーディアの前では嫌な奴なのに。
自分が何をしてしまったのか、必死に思い出そうとしているうちに夜は更けていく。
翌朝、寝不足で輪を掛けてぼんやりしている俺に対して、トゥイーディアが全て忘れたかのようにけろっとして挨拶をしてきたのは余談である。
悩んだ時間が長かったせいもあり、思わず肩透かしを食らった気分でこっちも言われたことを忘れ掛けた。
――トゥイーディアが嘘や冗談であんなことを言うわけがないと、分かっていたはずだったのに。
◆◆◆
馬車の中で欠伸を噛み殺した俺を見て、カルディオスがちょっと目を丸くして顔を覗き込んできた。
「おいルド、眠いのか? まさかの寝不足か?」
「――うるせぇ」
がたんごとんと揺れる馬車の中、ガルシアの制服を着た俺は呻く。
馬車の中には俺たち六人の他にもメリアさんと使者さん、護衛の人たちがいる。
明らかに寝不足といった風情の俺に対して、救世主以外の皆さんは暖かい目を注いでくれる。
むしろ、「まさかの寝不足」というカルディオスの発言の方が意味不明だろう。
念願の制服にトゥイーディアは嬉しそうだった。
外套の襟に触ってみたりウェストコートをちょっと引っ張ってみたりと楽しそうにしていて、彼女の方には全く寝不足の気配すらない。ちょっと空しい。
「ちょっと、しっかりしてよ?」
ディセントラが眉を寄せて俺に向かって言った。
端からは、「陛下に謁見賜るのだからしっかりしてよ」という意味に聞こえるだろうが、実際は違う。「合わせる口裏が山ほどあるんだからしっかりしてよ」だ。
今日の俺たちの任務――皇帝に謁見し、ガルシアを襲った兵器について魔界で調査する任を賜ること。
そして恐らく突き付けられるだろう「魔王討伐」の任をなんとかして躱すこと(なんとかして、と考えているだけで、俺はぶっちゃけ祈っているだけである)。
あと、無いとは思うが俺の出身に触れられた場合、カルディオスの親父さんに説明したとおりの説明を、より深く掘り下げて話さなくてはならなくなる。
何しろ、救世主六人組の中で出自が明白でないのは俺と、平民であるディセントラとアナベル。
アナベルについては実質、カルディオスと一緒に育ったようなものだから問題はなく、ディセントラにしても今の両親がどこにいるのかを明示できる。
俺だけが何もないのだ。しかもガルシア入隊は最近。
穿ってみれば怪しまれるだろう。
でもまあ、たぶん大丈夫だ。魔王がここにいるなどと、常人の想像の及ぶ範囲ではないし。
もう一度欠伸を押し殺して、俺は肩を竦めてみせた。
「分かってるよ、大丈夫だ」
煌びやかに広い皇城の大広間で、壁際にずらりと並んだ重臣たちに見守られながら、俺たちは勅命を受けた。
横一列に並んで硬い床に跪き、頭を垂れた俺たち。
対するは玉座から降り、宰相を従える皇帝。真紅の毛皮のガウンを床に引き摺りつつ(いつの時代も、布地は高級品だ。身分が高いことを示すには、たくさん布を使った衣装を身に着けるのだ)、豪華絢爛なお飾りの大剣の剣脊を俺たちの肩に当て、勅命を一人一人に下す。
それを五回繰り返したあと、最後のトゥイーディアに対してだけは対応が違った。
傍に立つ宰相が捧げ持つ銀盆から、くるくると丸めてあった羊皮紙の書状を二通取り上げ、一度トゥイーディアを立たせる。
書状はレイヴァス国王からの勅命を記したもので、それをトゥイーディアの目の前で読み上げ始めたのだ。
自国民であるトゥイーディアに対して、救世主として役割を果たすよう求める文面である。
最後に、アーヴァンフェルン帝国皇帝から役目を命じる勅令を受けることを許すことが明記されていた。
トゥイーディアはその文書を自分の目で見て、御璽が押印されていることを確認し、承認の意を籠めて血判を押さねばならなかった。国境を超える救世主の扱いが、如何に繊細かを示している。
トゥイーディアも徹底的に内容を検めていた。自分のせいで戦争とかになったら取り返しがつかないからだろう。
レイヴァス王の書状は同じものが二通あり、一通は皇帝の手元で、そして二通目はこれから海を渡り、レイヴァス王国で保管されることになる。
つまり、トゥイーディアは二回血判を押さねばならなかったということだ。痛かったかな。
その一連の流れが終わってから、トゥイーディアも俺たちと同じように跪き、その肩に剣脊を当てられて皇帝の勅命を受けた。
曰く、救世主として南の魔界に赴き、不遜にも帝国の要衝ガルシアを侵攻せんとした兵器につき調査し、二度と同じことのないように云々。
魔王の一言が出ることを俺たちは相当警戒していたが、この時点ではなかった。
良かった。俺が自分で自分の首を獲らないといけなくなるところだった。
全員が勅命を受け終えたところで皇帝は玉座に戻り、俺たちは跪いたままで退出の命令を待った。
早くしてくれ。珍しく緊張してきたじゃないか。
だがまだ号令が掛からない。
ここから、居並ぶ重臣たちが一言ずつ挨拶していくのだ。
前以て聞いていた流れとはいえ、退屈極まるうえに妙な緊張感がある。
これが終わったあとに、皇帝が「ついでに魔王を」とか言い出したら俺は切れるぞ。そんな軽いノリで言うなよ。重いノリで言われても困るんだけどさ。
ちなみに、居並ぶ重臣たちの中にはカルディオスとコリウスの父親もいた。
二人とも、誇らしくてならないという目で息子を見ていて、コリウスは淡々とその視線を受けていたが、カルディオスはちょっと居心地が悪そうだった。
まあ、一度も父親と思ったことはないんだろうな。
重臣の皆さん(何人いるのか、途中までは数えていたけど飽きてやめた)の挨拶が終わると、またしても皇帝が口を開いた。
高まる緊張。嫌な予感。
果せるかな皇帝が言った。
「――話によれば、魔界には魔王が……」
終わった、と俺が内心で呻いた瞬間、コリウスが顔を上げ、朗々たる声を出した。
「――陛下」
ざわめく謁見の間。
主君の言葉を遮るとは何事か、という非難の眼差しがコリウスに集中する。
コリウスの親父さんは先程までの表情から一転、顔色を失くした。
だがそんな雰囲気など感知せぬと言わんばかりに、コリウスは滔々と言葉を続けた。
「無論、わたくしは――そして彼らも、救世主ですから」
跪いて頭を下げたまま、俺はその言葉を聞いていた。
目の前に見えるのは謁見の間の、磨き抜かれた白大理石の床。
「魔王と相見えた折には首級を上げる所存ではございますが――果たして」
もしかしてコリウスは、皇帝に魔王討伐を命じられたときの言い訳をずっと考えていたんだろうか。迷いのない口ぶりだった。
当事者なのに俺は全然考えていなかった。申し訳ない限りである。
「魔王が如何なるものかは分かりかねますが、わたくしどもが即座に討伐敵うものでしょうか」
ここまで言ったとき、壁際の誰かが声を上げた。
「――おめおめ引き返して来ると抜かすか!」
俺は正直、いらっとした。
そんなこと言うならおまえが行って手本見せてみろよ。行って殺されてみろよ。すっげー怖いから。
だが表には出さない。
俺は救世主だから、守るべき対象に切れたりしない。
コリウスもまた、涼しいまでの表情で切り返した。
「態勢を立て直し確実な討伐を可能にするためにも、撤退を視野に入れる必要があると申し上げております」
ぐぬ、と黙った壁際の誰か。
そちらをもはや一瞥もせず、コリウスは玉座の皇帝を見上げた。
「元より今回のお役目は、ガルシアを襲った兵器の調査。魔界に同じものが二つとないことを確かめ、帝国、延いては大陸全土の安寧を図ることが目的のはず」
そういう話でこの六人を引っ張り出したんでしょう? と言外に迫るような口調で慇懃に言って、コリウスはすっと頭を下げた。
背筋を伸ばし、片膝を立てて片手の拳を床に突き、頭を下げる姿勢は文句のつけようのない程綺麗だった。
「ですのでどうか、その成果を生きて持ち帰ることをお許しください。魔王と見えたわたくしたちが、今は敵わぬと判断したときは、撤退を視野に入れるお許しを」
「――――」
皇帝は答えない。
沈黙の時間が一秒、二秒と過ぎる。
敗北を可能性としてであっても論じるとは何事か、と叱責されるか。
あるいはここで折れてくれるか。
あるいは条件付きの譲歩か。
我がことなので俺は息を止めた。
このまま譲歩が得られなければ、最悪マジで別の魔族の首を持ち帰ることになってしまう。あんまり意味のない殺しはしたくない。
でも魔王討伐を命じられてしまえば、それを果たさず帰還した後の処遇が、多分目も当てられないものになるはずだ。
俺が沈黙を七秒数えた瞬間、今までずっと頭を下げていたトゥイーディアが顔を上げた。
そして、切り込むように鋭く、言った。
「――皇帝陛下」
謁見の間に凛と響くその声。
「わたくしが忠誠を誓い、リリタリスの息女として、騎士として剣を捧げたのはレイヴァス国王陛下ただお一人」
俺はこっそり息を呑んだ。
マジか。リリタリスは騎士の家系と聞いていたが、国王に剣を捧げたという言い回しを使うということは――トゥイーディアは叙勲されているのか。
レイヴァスのお国事情は知らないが、男性よりも膂力に劣る女性が叙勲されるのは並大抵のことではないはずだ。しかも、トゥイーディアはまだ十六歳。尋常でない才覚と努力が窺える。
「わたくしの主君より、此度わたくしが招集されました、ガルシアを襲撃した兵器についての調査には――先ほど拝受いたしました御命に従うよう、書状のとおりに承りました。
ですが、」
続く言葉を悟ったのか、皇帝が零す息の音がトゥイーディアの言葉の語尾に被った。
「魔王討伐については主君の命にあらず。無論救世主として、魔王に相見え討伐可能と判断した暁には討ち取る所存ではございますが、わたくしの命は主君のもの。許しなく魔王のために散らせることは出来ますまい」
ゆえに、と言葉を継いで、トゥイーディアは、見なくても分かるほどに強い飴色の眼差しで玉座の皇帝を射抜いた。
「――魔王に見え今は敵わぬと判断したとき、わたくしは退くこととなります。
救世主が一人欠けたまま、それでもなお無暗に命を散らせとは、聡明と名高い皇帝陛下は仰せになりますまい」
投げた。判断を投げた。
――というか、最後の一言を敢えて譲った。
これで面子を保てとばかりに突き付けている言葉は一つ。
そしてかなり非礼に当たるこの言動も、トゥイーディアが救世主でありかつ他国の騎士であるがゆえに、この場で強く咎めだてするわけにはいかない物事だ。
更に言えば、トゥイーディアは「主君の命令さえあれば魔王討伐に赴く」と暗に言っている。
先にレイヴァス側と魔王討伐について話を詰めていなかった、アーヴァンフェルン側の失策を突いているのだ。これではレイヴァス国王を言葉の上でも責めるわけにもいかない。
コリウスの論法から引き継いで、皇帝の退路を断っている。
更に二秒の沈黙を挟み、皇帝は返答した。
その声に、聞くだけではっきりと分かるほどに色濃く、驚きが滲んでいた――何に驚いているんだろうか。救世主が命を惜しんだことに驚いているんだろうか。
「――うむ。
無論、救世主に無為に命を散らせとは言わぬ。――だが、」
俺は安堵の溜息を喉で押し殺した。
「此度に魔王討伐が果たされなかったときは、二度目の勅命があると心得よ。――リリタリスどの、そなたの主君にも、そのときには異論はなかろう」
「――我が主君のお心のうちは測りかねます」
そう言って、トゥイーディアは再び頭を下げた。
――助かった……。
「――普通、あんなびっくりした声出すか?」
魔界遠征のほかにも幾つか依頼(という名の命令)を受けたのちに謁見の間から解放され、私室とは別に準備された、救世主が自由に使っていいらしい広間にて、カルディオスがやや憤然とぶちまけた。
広間にはチンツ張りのソファが用意され、ローテーブルには人数分の檸檬水が準備されている。
とはいえ、俺たち六人のうち三人はここにいない。
今夜は救世主歓迎の祝宴が催されるらしく、そのための身繕いで女性三人は与えられた私室へ早々に引っ込んだのだ。
ちなみに、周りには侍女さんたちなども含めて誰もいない。
誰かいたなら、カルディオスもこんなことは言い出さない。
「俺たちが命惜しんで悪いかよ?」
ソファに腰掛けもせず、腕を組んで憤りを声に載せるカルディオスを一瞥して、同じく立ったまま、コリウスが首を振った。
「いや、そんな印象ではなかったな――僕はお顔を拝見していたが。
単純に、予想外のことを聞いて驚かれていたように見受けた」
俺はソファに腰を下ろし、肩を竦めて冗談めかした。
「歴史から抹消され続けた俺たちの、これまで魔王に返り討ちに遭ってきたって事実を、各国元首だけが知ってるのかも知れねえぞ。
今まで唯々諾々と魔王討伐に飛び出して行ってた俺たちのことを知ってたのかもな。今回に限って変なこと言い出したのにびっくりしたんじゃね?」
「やめろよ、笑えねぇ」
カルディオスが唸り、疲れた様子でシャツの襟を緩め、ソファにどっかりと腰を下ろした。
「今回だって魔王がいつも通りのあいつだったら、躊躇いなく殺しに行ってただろ」
そりゃあなあ、と頷く俺とコリウス。
どうしてそうするのかを、もうずっと昔に忘れたというのに、俺たちは必ずヘリアンサスを殺しにいくのだ。
ふう、と息を吐いた俺は、そういえば、と話題を変える声を上げた。
実を言うと気になっていたことがあるのだ。
「――そういえば、あのレイヴァス側の書状ってどうやって準備したんだ?」
「ああ、あれね」
カルディオスが答え、背の高いグラスからぐっと檸檬水を呷った。
「レイヴァスまで普通に行ってたら相当の日数掛かりそうなもんだけど」
俺の更問に、口許を拭ったカルディオスがふっと笑った。
「ルド、世双珠だ」
背凭れから半身を起こし、カルディオスは指を振ってみせる。
「魔法で、距離に関する世界の法は書き換えられるだろ? だけど、“どことどこの間の距離を書き換えるのか”、正確に分かってないと駄目――一インチの誤差でもあれば魔法は失敗する、だから実質、不可能な魔法」
「世双珠を固定しておけばいいってことか?」
首を傾げる俺に、カルディオスは頷く。
「そうそう。まあ、めちゃめちゃ高価だし、国家元首くらいしか持つの許されてないと思うけどな。世双珠を使った装置があって、その世双珠に、予め国交のある国の同じ装置までの距離を、よく分からんが覚えさせておくらしい。だから声と、姿と遣り取りが遠隔で出来る」
俺は眉を寄せた。
「――でも、あの書状を直筆で書くことは出来ないんだよな?」
「出来ない。あれは代筆。でも御璽があっただろ?」
カルディオスが言い、コリウスが補足するように付け加えた。
「つまり、御璽の印影を写し取るんだ。書状の内容は双方で確認できるし、御璽をそうして掲げて見せられるのは一国の主のみ。だから実際の署名捺印と同じと見做される――というのがここ百年の慣習らしい」
へえ、と頷いて、しかし俺は頭を振った。
「自分で訊いておいてあれだけど、そんなことより、コリウス。
さっきはありがとうな。一瞬マジで偽装工作しなきゃならないかと思った」
さっき、と言われてなぜか微妙そうな顔をしたコリウスは、立ったまま檸檬水を一口含み、それから言った。
「――礼はトゥイーディアに」
「え?」
目を丸くする俺に、コリウスはやや非難がましい目を向けた。
「僕としては、魔王討伐を命じられてもその場は受けておいて、アナベルが言ったように身代わりを立てる方針で追及を逃れればいいと思っていたんだ」
「おいマジか」
ぽかんと口を開けた俺に、コリウスは溜息。
「それを、トゥイーディアがわざわざ僕に頼んできたんだよ。自分は他国の人間だから強く口を出すことは出来ない、だから貴族である僕にってね。
僕がああ言って、そこで陛下が折れてくださればトゥイーディアが口を出さなくても良いはずだったんだが」
俺は首を傾げた。
「トゥイーディアは――身代わり作戦に反対だったのか?」
「違う――まあ、賛成か反対かと言われれば反対だろうが」
コリウスは手にしたグラスをテーブルに戻し、苛立った瞳で俺を見た。
「魔王討伐を命じられたら、おまえが負担に思うだろうと気を回したんだ。
それに、無いとは思うが魔王討伐をせずに戻ってきて理由を追求されたときに、おまえの以前までの経歴が全て白紙だと気付かれるリスクがあるからと」
俺はどきっとした。心臓の辺りがぎゅっとなった。
だが、顔にも態度にもそれは一切出ない。我ながらふてぶてしいまでにしれっとした顔で、俺は、「あ、そう」と言っていた。
「ルドベキア、おまえな」
「ルド、そりゃないぜ」
二人から思いっ切り態度を窘められ、俺は肩を竦める。
本心を言うと、もう泣きたい。
何なんだこの代償。
呪いみたいなもんじゃないか。
続いて催された祝宴について、語ることは多くない。
立食形式のパーティで、煌びやかに着飾った貴族がわんさかいた。
俺とアナベルとディセントラはガルシアの制服で、カルディオスとコリウスとトゥイーディアは自前の盛装での参加だった。
ここの衣装の選択には露骨に貧富の差が出たといってよかろう。
ていうか嵩張る盛装をどこに隠し持ってたんだ、三人とも。
「おまえ、それなりにいい服持ってんじゃなかったの?」
尋ねた俺に、ディセントラは悔しそうに、
「あくまで平民の手が届く範囲のものだもの……! ここで着たら嫌な意味で浮いちゃうわ。それは自尊心的に無理……!」
とのことだった。
とはいえ元の容姿が整っているディセントラは大いに目を惹き、途中から貴族の坊ちゃんたちに囲まれていた。
まあ、あいつはあしらいには慣れてるから心配ない。本気の好意を向けられると割とあっさり陥落するけど。
コリウスとカルディオスは実家のための挨拶とめどなく、トゥイーディアも似たようなもので、ずっと愛想笑いを浮かべていた。せっかく着飾っていたのによく見られなかった。
俺はアナベルと二人で「平民なので作法が分かりません」という表情を浮かべて壁際にいた。
こういうとき、若い貴族は男女問わず救世主のナンパに動きがちだ。
ディセントラは早速それに捉まったわけだけど。
俺もアナベルもそういうのは断固拒否なので、二人でくっ付いているのが都合がいい。あと何気なく、アナベルは俺が酒を飲まないか監視していた。
二人してぼーっとパーティを眺めている。
これもう何回目だろう。前回も前々回も、出立直前のパーティはこうして凌いだ気がするな。
そんなことを考えていると、もはや恒例となった会話の口火をアナベルが切った。
「……あなたも不思議とこういうの苦手よね」
「まあ、だるいから」
俺も俺で、毎回同じ答えを返している。
ちなみに、ずっと以前まではアナベルも普通にパーティに参加していて、俺は一人で壁際にいることが殆どだった。
だけど今は、アナベルは頑なにこういう場所を拒む。
理由は分かるから、俺はアナベルの盾の役割も自負して傍に立つ。
会場を巡る小姓から酒を勧められ、受け取らないわけにもいかないので受け取った俺は、一口も飲まずにそれをそのままアナベルへ。
アナベルは自身の分を飲み干した空のグラスを俺に渡し、ちょっと嫌そうな顔をしながらも俺の分にも口を付けた。
俺はアナベルをナンパから守り、アナベルは俺を酒から守る。
完璧な共生関係である。




