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04◆ いつかあなたのことを

 一晩を汽車の中で明かした俺たちは、翌日の夕方に帝都ルフェアに入った。


 駅はルフェア郊外にあり、駅の出入り口はかなり入念に警備が敷かれていた。

 さすが帝都。


 帝都を守る防壁の内側にこの駅はあるわけだから、ここで怪しい人物を入れてはなるまじという感じなんだろうね。

 駅から出るときに、皆さんが滞在目的を訊かれたりだとか荷物検査を受けたりだとか、検問を通らなければならないようだった。

 だが、やはりと言うべきか俺たちはここをパス。


 使者さんが駅の人のところへ駆け寄り、何やら囁くだけであっさりと出口へ誘導された。


 検問を受ける人々の列を悠々を追い越す俺たちを見て、何人かが「救世主」と呟いていた。

 噂が広まるの早すぎないか。



 本日は曇り空。

 雨模様というわけではなく、薄く雲に覆われた空は明るい。


 そんな空の下、帝都は馬鹿でかく広がっていた。


 郊外にある駅から仰いで見えるほどに高く聳えているのは皇城。近くに行けばますますでかく見えることだろう。

 駅前は石畳の広場になっていて、辻馬車や乗合馬車が乗客を待って列を作っている。

 その向こうに見える整然とした町並み。

 見える範囲の建物は全て色味が統一されていて、壁は薄く黄色がかった灰色味の白、屋根は赤に近い橙色。三階建て以上の背の高い建物が多いようだ。


「今日はどこに泊まるんでしたっけ」


 アナベルが誰にともなく尋ねた。

 丸一日汽車に乗った後だから、身体の強張りに顔を顰める人が多い中、見事な無表情である。


 ちなみに俺も平気。なにしろ十日間の汽車の旅を経験しているからね。


「はい、準備は整っております」


 メリアさんが答え、使者さんに目配せした。

 使者さんがすさかず先導のために前に出る。


「こちらへ――どうぞ」


 誘導されたのは一台の辻馬車の前だった。黒塗りの立派な四頭立ての馬車である。


 護衛の人も含めてそれに乗り込み、がらがらと走り出す馬車。


 コリウスが溜息を吐き、眉間を押さえた。

 こいつ一人なら、多分かなり早く宿に辿り着くだろうからうんざりしてるのかも知れない。

 瞬間移動にはかなり制約があるから――どういう条件で使えるものなのか、この長い付き合いでも全然教えてもらってないけど――、宿まで一瞬で着くかどうかは分からないが、どっちにしろこいつは空を飛ぶのも十八番だから。


 街灯と街路樹の並ぶ大通りを馬車が進む。


 窓から見ると、人通りはかなり多い。

 大通り沿いは、住宅地というよりも店が多い印象だ。

 特に宝飾品や高級な布地など、贅沢品を扱う店が目立つ。


 貴族に生まれついたときは、ああいう店にも普通に入ってたな……。


 そんなことを考えていると、ディセントラが出し抜けに尋ねた。


「――そういえば、カルディオスとコリウスは帝都(ここ)にも普通に来てたんだっけ?」


「あ――ああ、そうだな」


 コリウスが頷き、カルディオスは肩を竦める。


「俺はそんなに。最後に来たのは餓鬼の頃だよ。――なあアナベル?」


 話を振られたアナベルが眉を顰めた。


「そうね。あたしもお付きで来ていたものね」


「そんな不機嫌そうな顔すんなよ。甘いもの奢ってやったじゃん」


「あなたのお父さまのお金でね」


 間髪入れぬ応酬に、トゥイーディアが笑い出した。


 ちなみにトゥイーディアはアナベルと違って甘いものが嫌いだ。

 食べられないことはないみたいだけど、好き好んで食べているところは見たことがない。

 紅茶なんかを飲むときも、アナベルは砂糖があればそれを溶かし込むけれど、トゥイーディアはそのまま飲む方が好きみたいだった。



 そうこうしているうちに目的地に着いた。


 宿を想像してたんだが、違うな。

 これ、どう見ても貴族の邸宅だな。



 蔦模様の(くろがね)の門を馬車が通る。

 庭園の向こうに聳える邸宅を窓から見ながら、俺はカルディオスとコリウスを振り返った。


「――知り合いの家?」


「知り合いではないが、どなたのお宅かは分かる」


 コリウスは襟を正し、どことなく面倒そうに呟いた。


「この国の宰相閣下のご自宅だ」


 救世主を一晩泊めるには妥当な家か。


 車留めに馬車が停まる。

 一瞬後、外から扉が開け放たれた。


 居並ぶ使用人の列に、俺たちは何となく会釈した。


 あれよあれよとトランクは運び出され、俺たちは手ぶらで屋敷へと案内された。

 俺たち六人が正面玄関に通されたのに対して、メリアさんや護衛の人たちは勝手口へ回るよう指示された様子だ。

 使者の人だけは俺たちを先導する形で歩いている。恐らく従者の立ち位置も任されているんだろう。


 壮麗な玄関扉をくぐった先、玄関ホールでこの家の主――即ち、宰相閣下とその奥方が俺たちを待ち構えていた。


 玄関ホールは吹き抜けの高い天井を備え、真上で水晶が飾られたシャンデリアが輝いていた。


 宰相と奥方の後ろにもずらずらと使用人の皆さんが並んでいる。

 何人いるんだこれ。まさか屋敷の総勢で俺たちをお出迎えか。要らないんだけど。


 そんなことを呑気に考えつつも、俺はみんなと一緒に一礼。

 こういうときの礼儀作法に不安はない。


 俺たちを代表して、トゥイーディアがつらつらと挨拶を述べ始めた。他国民である彼女は一番この場で礼を尽くさなければならないからね。

 いつもは貴族のお相手はディセントラに丸投げすることが多いので、声音は少し緊張していた。


 曰く、一晩の宿に感謝する、明日に備えて緊張があるが非常に心強く思う云々。


 それに対して宰相閣下も挨拶を返す。


 曰く、大任を前に落ち着かぬところがあるだろうが、せめて汽車の旅の疲れを当家で癒してほしい、不足があれば何でも言ってほしい云々。


 それに対してトゥイーディアが卒なく礼を述べて、一旦解散。

 数人の侍女さんが進み出てきて、俺たちを部屋に案内してくれる。


 玄関ホールから続く階段を上がり、絵画の飾られた廊下を進み、更に階段を上がったところで俺たち男性陣に一人一部屋。

 女性陣はそこから更に奥まったところに部屋を用意されていたようだ。


 部屋の前で、身支度を整えたら晩餐があるので出て来るようにと指示を受ける。

 コリウスは愛想よくそれを聞いていたが、カルディオスは「面倒くさい」と思っているのが顔に出ていた。

 俺は無表情だった自信がある。だって退屈だし。


 割り振られた部屋に入ると、さすがというかめっちゃ広い。

 居間に当たる部屋と寝室に当たる部屋が一続きになっている感じ。

 壁際には暖炉もあって、春になった今は火が入っていないものの、彫刻の施されたマントルピースはもはや鑑賞用と言ってもいいかも知れない。


 使用人の誰かが先回りして、俺のトランクを運び込んでくれていたらしい。

 居間に当たる部屋の丸机の傍に、トランクが置かれていた。


 ――身支度を整えろって言われてもなあ。


 経験からの感想だが、救世主の身なりにとやかく言う人間はまずいない。

 救世主なんているだけで有難がられがちだし、武力としては一級だし、変に難癖つけてくる奴はいないのだ。

 過去に、救世主になった誰かのお供として貴族の家に招かれたときは、そりゃもう嫌味の嵐に出遭ったけれど。

 今回に限っては、俺たち六人全員が救世主の扱いなわけだし――思えばそういうのは初めてだな。


 警戒しなければならないのは、自分が非礼を働くことではない。

 俺みたいな平民出身の救世主には、必ずといっていいほど確実に、貴族の派閥争いがくっ付いてくることだ。

 別に政治に口を出せと言われるわけではない。


 貴族の皆さんがこぞって、自分の娘と縁組させようとしてくるのだ。


 救世主と縁を繋ぎたい家は山ほどあるというわけ。

 確かに普通、平民がいきなり超好待遇を受けた挙句に綺麗な貴族のお姉さんに(しな)を作られたら陥落するかも知れないが、俺に限ってそれはない。

 貴族を経験済みということもあるし、覚えがある限り昔から好きな人がいるからね。

 なんかそれっぽく迫ってくる人も過去にはいたが、怖いのでさっさと逃げ出すことにしている。


 今までは、言葉は悪いが、俺たちは刹那的に生きていけた。

 だからカルディオスがふらふら遊んでいても、ディセントラがどっかで結婚しようと、みんな何となくそれを流していた。

 魔王討伐に向かって、生きて帰って来られるか分からない――っていうか記憶にある限り、百発百中で返り討ちに遭っている。だから、たとえそれまでに何をしようがどうせ一緒だ――と思っているところがちょっとあった。

 でも、今回は違う。

 今回は長い人生になる予定なのだ。


 だから、いつも以上に行動には気を配って、あとあと面倒に巻き込まれないようにしなければ。


 とか何とか思いつつ、俺は暖炉の上に掛けられた鏡を一瞥。

 ちょっと髪を直してから、再び廊下に出た。


 そこで待っていた侍女さんに頭を下げられ、取り敢えず会釈を返す。


 待つこと二、三分でカルディオスが、それから五分ほどでコリウスが出て来た。


 今度は大広間へ案内される俺たち。

 カルディオスがこっそり欠伸を噛み殺し、俺はこっそりとそこに肘鉄を入れておいた。



 頭上のシャンデリアと卓上の蝋燭で照らされる広い大広間。

 晩餐の準備は万端。


 給仕に当たってくれる人たちが既に俺たちを待ち構え、宰相さんとその奥方は早くも席に着いていた。


 自分も席に座りつつ、卒のない世間話を始めるコリウス。さすが。

 ここはこいつに任せておけば大丈夫。

 俺は「自分は平民なので分かりません」と言わんばかりの表情を作り、ぼーっと女性陣を待つこととした。


 そこから十分ほどして、女性陣三人が到着した。

 さすがというべきか着替えている。


 トゥイーディアは山吹色のドレス、アナベルは紺色の、平民のものとしてはちょっと良さげなワンピース、ディセントラはさっきまで着ていたものとは違う意匠の赤いドレス。

 アナベルは髪が短いから結ってはいないが、残る二人は髪の一部を結い上げている。髪を全て結い上げるのは既婚者の髪型だ。未婚の女性は、髪の一部は下ろしたままにする。


 遅くなったことを口早に詫びつつ、三人が着席。


 それを合図に、食前酒を持った給仕の人たちが大広間に入ってきた。


 くると思った食前酒。

 こういう晩餐では酒が出ない方が珍しいよな。


 トゥイーディアたち五人が一斉に俺を見た。

 俺は顔を顰め、「分かってる」と重々しく頷く。


 ――こいつら全員が知っている俺の弱点が一つある。酒に弱いのだ。別に絡み酒とかではない。

 飲むと即効で寝る。そして起きない。

 それだけだが、過去には俺を担いで部屋に戻らなければいけなくなったカルディオスやコリウスから苦言を呈されたことも多々ある。

 対してトゥイーディアとカルディオスは酒豪。どれだけ飲んでも顔色を変えない――羨ましい限りである。


 今、全員が俺を見た意図は一つ、「飲むな」だろう。


 ――分かってるよ、俺だって宰相閣下の家で爆睡を晒すつもりはない。


 ちょっと渋い顔をしつつも、乾杯の合図に合わせて軽くグラスを掲げ、ちょっと口を付ける振りをする。

 酒精の匂いが鼻孔を擽った。

 下手すると匂いだけで酔うかも知れないので、早々にグラスは卓の上へ。


 晩餐の間、俺は話は他の連中に任せ、ちょこちょことひたすら食べた。


 さすが貴族、いいもん食ってる。

 メインの七面鳥の丸焼きとかめちゃめちゃ美味かった。柔らかくて肉汁たっぷりで、山葡萄のソースがよく合ってた。


 食いながらちょっと思ったけど、今生の俺は育ちのせいでいつも以上に食い意地が張ってるかも知れない。


 途中、ガルシアに出た魔界の兵器の話になったときだけ、トゥイーディアから話を振られたけれど、一言二言話すだけに留めた。

 宰相閣下は、「平民だから緊張してるんだろう」みたいな柔和な顔で頷きながら聞いてくれたが、緊張してる割には俺がぱくぱく食い過ぎだって思わないのかな。


 会話は他の五人に丸投げした俺だったが(アナベルもその感じで、俺と似たり寄ったりの黙りっぷりだったが)、役に立つ情報はあるかも知れないので聞き耳は立てておいた。


 当たり障りのない話が多くて特段なにも無かったが、旅路に関する情報はあった。

 プラットライナという町が世双珠の密輸団の拠点になってるから気を付けろだとか、港町としてルーラは海賊が多いから使うなだとか。うん、ルーラには海賊船に乗って入港できたくらいだからね。


 そんなこんなで晩餐は終了。


 屋敷は好きに使ってくれとのことで、このあと湯殿を貸してくれるらしい。

 明日は皇帝との謁見なので、緊張して寝られないかも知れないから、心を落ち着かせる香りの花を湯舟に浮かべるよう指示したとのことだったが、心配ご無用。普通に寝られます。



 湯殿は総大理石の造りでだだっ広かった。

 高貴な身分の人の入浴には手伝いで女官がついてくるのが通常だが、俺が断固拒否。コリウスとカルディオスのとりなしで、付き添いなしの入浴となった。

 カルディオスが面白そうにしている一方、コリウスは「我侭言うな」と言わんばかりに俺を見てきた。ごめんって……でも嫌なもんは嫌なの。


 湯殿から上がり、全員揃って借り物の黒いガウンを着た俺たち男三人だったが、その後の行動は見事に違った。


 カルディオスは侍女さんをナンパしてくると宣言してどこかへ消え、直後にコリウスは宰相閣下からお呼び立てを喰らった。

「カルディオス、これを見越したな……!」と恨み節を瞳で語りつつ、コリウスはにこやかに晩酌の招待に応じた。

 良ければ俺も、と言われかねない気配を察知して、俺はとっとと逃げ出した。だって面倒くさいからね。



 湯殿で火照った身体を冷やすべく、広い屋敷を適当に練り歩く。


 人気のない廊下でも掛燭には灯が入れられて明るい。

 さすが金持ち、と思いつつ、庭園を望む大窓が幾つも開いた廊下を歩く。


 そうしながら外を見て、ふと、窓の外がバルコニーになっていることに気付いた。

 晴れた日にはお茶でも出来そうな、広いバルコニーである。


 ちょうどいいから夜風に当たろうとバルコニーに出ると、昼間に空を覆っていた雲は晴れていて、頭上に月が見えた。

 明日には満月かな。


 しんとした夜の空気の中、月明かりを受けてバルコニーは青白く照らされている。


 眼下に広がる庭園には明かりが入っているのか、橙色の光が見えた。

 庭園を覗こうと、石造りの欄干に歩み寄り――



 ――俺は硬直した。



 全然気付かなかった。


 びっくりするほど静かに、気配もなく、トゥイーディアがそこにいた。



 月明かりが蜂蜜色の髪を照らし、小さな光輪が生まれている。

 結い上げたり束ねたりはせず、流したままの長い髪が、緩く巻きながら背中まで覆っていた。

 欄干に両肘を乗せて庭園を望んでいる後ろ姿。

 黒いガウンを腰紐で締めて、足許は白い室内履き。

 欄干の上で身を乗り出すようにしているから、ちょっと爪先立っている。


 隣に行きたかったが、俺の足は勝手に後退り始めていた。

 ここで自分から寄って行ったら好意が知れるからだろう。この代償、いつもいつもマジで何なんだ。


 が、すんでのところでトゥイーディアが振り返った。

 振り返って、びっくりしたように飴色の目を見開いて、髪を耳に掛けながら呼び掛けてきた。


「――ルドベキア?」


 俺の表情は、どんなだろう。

 面倒そうな顔だろうか。鬱陶しそうな顔だろうか。


 しかし、俺の喉は辛うじて、義理のように返答を押し出していた。


「……なんだ」


 俺の表情は幸いにしてトゥイーディアには見えなかったらしい。

 トゥイーディアはのんびりと続けた。


「こっち来なよ。すごく風が気持ちいいよ」


 俺は内心で息を詰めた。

 俺の代償がこの事態をどう捉えるかを推し量るために。


 だが以外にも、俺の足は素直にトゥイーディアの方へ踏み出していた。


 しかし、立った位置はトゥイーディアから二ヤードは離れていて、その距離をちらりと見たトゥイーディアは顔を顰めた。

 飴色の目が、夜の暗がりで黒に近い色合いに光る。


「――いや、そんなに嫌なら来なくていいんだけどね」


 嫌じゃないんだけど。


 そう言いたいのに、それはやっぱり言葉にならず、俺はむすっとした声で言っていた。


「そんな格好で何してんだ」


「風に当たってるの」


 見て分からない? とでも言わんばかりにそう答え、トゥイーディアは両手で欄干を押し出すようにして伸びをした。


「いつもはメリアが目を光らせてるから、こんな格好で部屋の外なんて歩けないの。お父さまが私のために見付けてくれた完璧なメイドさん。

 でも今日は、アナベルとディセントラがメリアに構ってくれてるから――」


 もう一度欄干に肘を乗せて、トゥイーディアは吐息混じりに呟いた。


「気が楽なの」


「…………」


 だんまりを決め込む俺に、トゥイーディアはちらりと視線を向ける。


 俺はそれを視界の隅で見ながら、意識の全てをそっちに集中させている。

 トゥイーディアの方から仄かにいい香りが漂ってきて、そういえば湯舟には花が浮かべられてたんだな、と思った。


 俺の視線は、トゥイーディアからすれば庭園に向いているように見えるだろう。

 そのことにやや不満そうに唇を曲げて、トゥイーディアは愚痴の口調で呟いた。


「本当にきみ、私にだけは無関心だよね。

 ――あのねえ、きみにとってはどうでも良かったかも知れないけど、私はここのところずーっとあの魔王の相手をしてたのよ。ちょっとは労ってくれても良いんじゃない?」


「はいはい」


 そう言ってから、俺はふと思いついてトゥイーディアの方を見た。


「――そういえば、あれは?

 今回の、――」


 声を低めて、万が一にも誰にも聞かれないようにして、俺は続ける。


「――俺が魔王になったからくりは?」


「――――」


 トゥイーディアが息を吸い込んだ。

 そうして微笑んで首を傾げた。


「……さあ。何のことだろ。分からないわ」


「おい」


 俺の声があからさまに低くなったことには気付いただろうが、トゥイーディアは()(すさ)びのように黝く煌めく指輪を弄びながら眼下の庭園を見て、わざとらしくも声を上げる。


「わあ、見て。この庭園、藤棚があるのね。綺麗。なんとなく藤棚って懐かしい感じがして好きだわ」


「おまえな」


 俺は庭園には一瞥もくれない。


 今なら、トゥイーディアは「ルドベキアは自分を詰問のために見ている」と勘違いする。

 だから、今の俺はトゥイーディアの顔をしっかり見られる。

 この貴重な瞬間に、他の何も視界に入れるつもりはない。


 俺が頑として視線を逸らさないのを、やっぱり詰問のためだと思ったのか(まあ、目付きからして他の理由を察するのは無理だろうな)、トゥイーディアは軽く溜息を吐いて俺を見上げてきた。


 月明かりを弾く飴色の目に俺の影が映って、俺はちょっとどきっとした。


「――生まれについては……」


 言い差して、少しだけ瞳を泳がせて、それからトゥイーディアはもう一度、俺の目をしっかりと見て、言った。



「生まれについて、()()()は本当に気の毒だったわ、ルドベキア」



「…………」


 思わず、俺は言葉を失った。


 トゥイーディアは本気で白を切るんだろう。

 それどころか、二度とこの話題に触れてほしくなさそうだ。


 ――「あなた」と俺のことを呼んだのがその証拠だ。


 トゥイーディアの、相手との距離感は彼女が呼ぶ二人称に表われる。

 親しい相手には「きみ」と呼び掛け、嫌っていたり軽蔑していたりする相手には「おまえ」と呼び掛ける。

 そして、距離を取りたい相手や、あるいは自分を怒らせた相手には「あなた」と呼び掛けるのだ。


 これだけ無視したり素っ気なく接しても、トゥイーディアは俺のことを仲間だと思ってくれているから、いつも「きみ」と呼んでくれる。


 それを、今、彼女は無意識にではあれ、俺と距離を置きたいと口調に出した。



 ――意地でも隠し通すつもりなのだ。



 黙り込んだ俺から目を逸らし、夜風に靡く蜂蜜色の髪を軽く撫でながら、トゥイーディアもまた口を噤んだ。


 何を考えているんだろうか。

 俺が魔王になったからくりを思い返して、恐らくそれを知ったのだろう前回の死に際のことを思い出しているんだろうか。


 ――嫌だな、とふと思った。


 トゥイーディアが、痛かったり、辛かったりしたときのことを思い出しているのは嫌だな、と。


 だがそう思っていても、俺は何も言えない。

 気を逸らすようなことを口に出すことも出来ない。


 完全にバルコニーの上が沈黙に包まれる。

 遠くに人声が聞こえてきた。この邸宅のどこかの話し声が、夜陰を伝って聞こえてくるのか。


 数分がそうして流れたのち、ふと思い出したように、トゥイーディアが呟いた。


「――そういえば……」


「あ?」


 沈黙が途切れたことに内心でほっとしつつ、トゥイーディアの方へ首を巡らせる。


 トゥイーディアは俺を見ていない。庭園の、橙色の灯りに照らされる藤棚の方を見ていた。

 だが、続けた言葉は俺を見て、躊躇いがちに発せられた。


「――番人……」


「は?」


 思わず俺はトゥイーディアから視線を外し、周囲に目を遣った。

 番人――即ち警備の番兵がいるのかと思ったのだ。


 だが、周囲は無人。


 俺の挙動を見て、トゥイーディアはむしろきょとんとして、


「――番人って言われて、何もぴんとこない? 心当たり、ない?」


「は?」


 俺は思わず瞬き。


「何のことだ?」


「なんでもない、ごめん」


 口早にそう言って、トゥイーディアは苦笑した。


「気にするのも馬鹿馬鹿しい奴の言ったことを気にしてたわ」


 眉を寄せる俺を見上げて、トゥイーディアは眦を下げる。


「――それにしても、きみ……」


 風が強く吹き、トゥイーディアの蜂蜜色の髪が翻った。

 同じく翻りそうになったガウンを押さえ、トゥイーディアはぼそりと、ともすれば風に紛れてしまいそうな程に小さく、囁いた。



「……私と雑談くらいはしてみてよ。

 そうじゃないと私、いつかあなたのことを――」



 続く言葉に、俺は目を見開いた。



「――魔王だと思ってしまうかも知れないよ、……ばかもの」



 愕然とする俺に、ちょっと気まずそうに手を振って、トゥイーディアがバルコニーから屋敷の中に戻って行く。


 それを引き留めることも、言葉の真意を尋ねることも出来ず、俺はしばらく、馬鹿みたいにバルコニーの真ん中に突っ立っていた。
















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