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輪番制で救世主を担当してきたのに、今回の俺は魔王らしい  作者: 陶花ゆうの
6 おまえはとっくに忘れたんだろうけど
334/464

38◇◆――翻意

 カルディオスに注がれる圧倒的な魔力量は、少しでも魔力に敏感な人間にとっては、闇夜に煌々と点る灯火の如くにその存在を知らしめるものであるらしい。


 おれが、遥かな距離を跨いで青髪の侯爵を眺めていたのはやはり、この女侯がカルディオスに何かを仕出かすのではないかという警戒のゆえだった。

 この女侯が勝手にカルディオスを殺そうとでもするならば、おれは速やかにこの女侯の命を奪ってでも、それを止めなくてはならない。


 何しろ、今この瞬間に、おれが明確に生存を望んでいる唯一の人間がカルディオスだったから。


 女伯がカルディオスを守っていた間はまだ良かったが、その守りも喪失したとあって、おれはいっそう用心深く、青髪の侯爵を見張っていた。


 とはいえ青髪の子は勘が良くて、何度か訝しそうに周囲を見回し、おれの視線に気付いている風情を見せていた。


 侯爵は、人気(ひとけ)のないところでパルドーラ伯爵に詰め寄っていたときと変わらず、今もカルディオスを戦争を引き起こした張本人と睨んでいて、あるいは戦争を引き起こした人物と関わりがあると睨んでいて、カルディオスが王宮で騒ぎを起こし――単なる不法侵入者がいるという騒ぎだったのだろうが、カルディオスは兎角目立つので、恐らくその容姿を語る言葉込みで騒ぎになったはずだから、それで侵入者がカルディオスだと女侯も気付いたのだろうが――リーティに彼がいるのだと確信してからこちら、断じてカルディオスをリーティから出さないよう触れを出していた。


 ()から思えば、君主がいる王都内で、人流まで抑制する権限を彼女が持っていたとは考えづらい。

 だから多分、それなりに価値のあるものを対価にした取引が袖の下で盛大に行き交ったのだろうが――そしてこのときの青髪の子は、相手の身の安全という、これ以上ないものをちらつかせることが出来る立場だったのだろうが――、()()()()()()()にとっては、それは別に関心の対象になることではなかった。


 ともかくも青髪の侯爵は、十日に及んで誰もカルディオスを自分の前に引っ立てて来ないことに、盛大に腹を立てている風情だった。


 彼女も、カルディオスを捜索していることだけが仕事ではなくて、むしろ日常の多忙さは彼女を観察しているおれが驚くくらいのものだったが、事ある毎に、「あの少年は見付かったのか」と周囲を問い詰めている声は尖っていた。


 侯爵としては、パルドーラ女伯がカルディオスを匿っているのではないかと疑っている様子もあったが、正面切ってはそれを女伯に問い質すことはなかった。

 揉め事になることを避けたのかも知れないし、女伯に対する気遣いだったのかも知れない。


 興味がないからおれには分からない。


 侯爵はそうやって、散々にカルディオスの行方に関しては焦れていた。

 ゆえに、カルディオスの魔力の気配を感知したときには、一見冷静に見えても、かなり喜んでいることが分かる声音で傍に人を呼び付け、リーティの街区を指示して、「ここにあの少年がいるはずだから、早く行ってわたくしの前に呼んで来なさい」と、猟犬に言って聞かせるが如くに命令を下していた。


 まだ朝も早かったからか、彼女は特段着飾っているわけでもなく、むしろ髪も下ろして簡素極まりない衣裳を身に着けていたのみだったが、声音は着飾っているときと全く同じに冷ややかで鋭かった。



 おれは未だに、人間の感情というものを汲み取ることが得意ではなかったが、それでも青髪の女侯の声音に籠められている喜びが、例えばカルディオスが空腹時の食事を喜んだり、夏の暑いときに小川を見付けて喜んだりしていた、そういう喜びと同義のものではないことを理解した。


 女侯の喜びはどちらかといえば、仄暗い残忍さすらあるものだった。



 ――カルディオスがただそこにいるだけでは、女侯が彼の居場所を察知できるとは思えなかった。

 つまり、何かの弾みでカルディオスが些細な魔法を使ったのだ。


 おれの耳目を通してその状況を遡って見てみればそれは明らかで、カルディオスは寒さに耐えかねて、ささやかな暖かさを自分のところに呼び込んだようだった。


 そういう繊細な魔法は苦手な奴だった。

 それでもその魔法を敢行したということは、相当に寒かったんだな、とおれは思い、同時にあいつが、夕立に打たれてずぶ濡れになったときなんかにおれの隣まで来て、当然のように「乾かして」と要求してきたことを思い出して微笑ましく思う。


 何はともあれ、カルディオスが使った些細な魔法を女侯が感知したのだろうが――


 危ないな、とおれは思う。


 今はムンドゥスも傍にいなくて、というのも彼女は、気が向いたときかおれが呼んだときにおれの傍にいるが、それ以外のときは好きにどこかに行っているようだったので(もしかしたら、()()()()()()()()の傍に行っていたのかも知れない)、理の当然として彼女に預けている――というか持たせている――カルディオスから貰った例の機械も、おれの手許にはなかった。


 つまりはおれは一人でいて、ムンドゥスに向かって、「これはどうなると思う?」と尋ねることも出来なかったわけだ。



 雲上船が頭上低空を飛ぶ気配があった。


 また、どこかの町の生存者を捜して飛んでいるのかな、という程度に、おれはそれを意識の端に留めた。


 今はそれよりも、カルディオスの命運が気に掛かっていた。



 どうしようか、とおれが考えているうちにも、青髪の侯爵の臣下が城下に繰り出して行く。


 リーティは広いので、自分たちがそうやっているうちにカルディオスが逃げ出してしまったらどうしよう、と思ったのだろうが、馬車も動員して結構な人数で町まで繰り出して、侯爵が示した街区を包囲する形にまずは広がって、それからその輪を徐々に縮めていって、そうやってカルディオスを捕まえる算段のようだった。


 大袈裟だな、とおれは思ったが、それは裏返せば青髪の女侯の怒りの度合いを示した態勢なのかも知れなかった。


 おれは、その包囲網にルドベキアが掛からないかどうかも気にする。


 ルドベキアもまだリーティにいるようだったから、事によると巻き込まれることもあるかと思ったのだ。


 だが、どうやら大丈夫そうだった。

 ルドベキアは都市の片隅で、退屈そうに階段に腰掛けてぼんやりしている。



 おれがルドベキアの姿を見て、彼に対する消滅した情と、そして今もなお質量を増していく、彼に向けざるを得ない愛について考えているうちに、カルディオスの方が捕まった。



 おれは、すばしっこいカルディオスのこと、てっきり上手く逃げ切るものだと思っていたが、追手から一旦は猫のように逃げ出したカルディオスはしかし、追い縋って来た人間から彼らの身分――つまりは、自分たちはキルディアス侯の臣下である、ということ――を明かされるや、実に諦め良く逃走を中断したのだ。


 もしかするとカルディオスも、彼の師匠である例の女伯が口走った、「キルディアス侯が血相を変えて自分を捜している」という台詞を覚えていて、どうして自分が捜されているのか確認しなければならないし、あるいはキルディアス侯に誤解があるならば、それを解かねば(まず)いことになる、という認識があったのかも知れない。

 あるいは単純に疲れていたのかも知れず、これからも侯爵が自分を追い続けるとすれば、そこから逃げ続ける自信もなくて、早いうちに捕まっておいた方がいい、と思ったのかも知れなかった。



 カルディオス、大丈夫なんだろうか。


 おれは覚えず、いつものようにそわそわしてしまったが、カルディオスは少なくとも、おれよりは自分の身の安全に敏感なはずだ。

 そのカルディオスが、特段の抵抗もなく侯爵麾下に同行することを承諾したのだから、今はまだ手を出さなくてもいいだろう、と結論する。



 カルディオスは馬車のひとつに乗せられて――といっても、例によって馬車自体は雑多な色の塊にしか見えず、カルディオスの動作からおれはそう推測したわけだが――、そのときばかりは周囲を警戒し切った眼差しで見て、外套の頭巾を被ったうえにその襟元を摺り上げ、顔の下半分を隠して、小さくなって警戒心を剥き出しにしていたが、どうやら彼に同行する侯爵の臣下たちにとっては、カルディオスの並外れた美貌よりも何よりも、彼らの主人の命令に従うことが最優先であるようだった。


 カルディオスがそのまま、王都を北上して王宮に運ばれる。



 おれはそれを見守りながらも、ルドベキアが相も変わらず階段に座り込んでいるのも観察している。



 カルディオスが、落ち着かない様子で周囲をきょろきょろと見回しながら、どうやら王宮に到着したのか、馬車から降りて――そういう動作をしたことで分かった――どこかに連れられていく。


 カルディオスは緊張しているのか、いつもと違って少し猫背ぎみになっていた。

 警戒心という針を皮膚の下にびっしりと並べているようですらあって、おれはやっぱり、カルディオスが捕まらないように気を遣ってやるべきだったかな、と思って後悔する。



 カルディオスが、推察するところによればキルディアス侯の邸宅に連れられたまさにそのとき、偶然にも同時に、ルドベキアの方も動いた。


 はっとした様子で立ち上がり、振り向いたかと思うと、そのまま不自然に凍り付いたのだ。

 彼の傍に、別の人間が近付いて行くのが見えた。



 同瞬、音が聞こえた。


 おれはそれを聞き流し掛けたが、妙に耳についたために目蓋を持ち上げた。



 地を這うようにして、どこかの町が崩壊していく音が聞こえていた。

 これは単純に、おれが大きな音を聞きたいがゆえにその音が聞こえる場所にいたというだけの話だったが、目蓋を上げるまで意識することも忘れていた。


 おれがいたのは、恐らくもう原型は留めていないだろうその町の傍の、木立というにもささやかな細木の集まりの、更にその端っこで、音が聞こえたのは細木の集まりの奥の方からだった。



 また、音が聞こえた。


 しゃん、と軽やかに響く、それは金属どうしが擦れ合うような微かな音で――



 ――おれは瞬きして、動きを止めた。


 正確にいえば動きを止めたのはおれの意思ではなく、そのときおれは動けなくなったのだ。



 冬枯れに葉を落とした細木が連なるその向こうから、灰色の、裾の長いローブを纏った人間が複数、真っ直ぐにおれを目指して歩を進めていた。


 朽ちた落ち葉をさくりさくりと踏んで、迷いもなく整然と、おれを見て近付いて来ている。


 しゃん、しゃん、と、その腰帯に通された金属の飾り輪が、歩く度にささやかな音を奏でていた。



 ――ああ、



 おれはそう考えたが、もはや思考すら、本来の思考の残滓のようなものに成り果てていた。



 ――さっきの雲上船は、こいつらを乗せていたものだったのか。

 上空からおれを見付けたんだろうか。


 この世界は広いのに、よくも――よくもまあ。



 風が吹く。


 葉を落とした細い木の枝が一斉にそよぎ、撓って、かさかさと音を立てる。

 足許で、朽ちた落ち葉も乾いた音を立てて滑った。



 ――おれは考えることをやめる。感じることをやめる。動くことをやめる。

 声の出し方を忘れ、口の開き方を忘れ、立ち上がることを忘れる。


 それはもう反射であって、五百余年掛けて培われた習性であって、今さらもうどうしようもないものだ。



 一切の動きを止めて、それこそまさに一つの鉱物のように固まったおれの目の前に、連中が立った。




 ――サイジュをする、あの連中だった。




 連中は急いだ様子すらなく、悠然とおれの前に現れた。



 おれが立ったり動いたりするわけがないと、連中はよく知っていたのだ。





◇◆◇





 バーシルはじろじろと俺を見て、ばう、ともう一度吠えた犬におざなりに手を振って、繰り返すように言った。


「――でかくなったな、おまえ」


 俺は頭のてっぺんから爪先まで震え始めていた。

 声が出なかった。


 多分この場にレイモンドやチャールズがいれば、俺の状態が異常だと察して、素早く俺を庇ってくれたことだろう。

 トゥイーディアがいれば――自分のこんな醜態を彼女に見られた日には、俺は間違いなくそのまま死を選ぶことだろうが――「どうしましたか」と訊いてくれたことだろう。


 だがバーシルにとっては、これこそが自然な、見慣れた俺の姿だった。


 特段の疑念を覚えた様子もなく溜息を吐いて、バーシルは言葉を続けた。


「まさか、本当にリーティにいるとはね。――おまえ、何やってんの」


 俺は口を開いたが、声が出なかった。


 俺が返答に詰まることはよくあることだったから、バーシルは訝しそうに周囲を見渡して、頓着なく自分の質問を続けていた。


「チャールズは? おまえ、あいつらと一緒にいたんじゃなかったのか。

 ――いや、まあ、当然別行動か……」


 バーシルは自分自身に呆れたように、あるいは疲れたように(かぶり)を振り、俺はそこでようやく、まともに疑問を覚えることに成功する。


 ――“当然”別行動?

 どうして?


 俺は確かにチャールズたちにこれ以上ない不義理を働いて別行動に移ったが、どうしてそれをバーシルが「当然」と表現する?


 俺のささやかな表情の変化に、どうやらバーシルは気付いた。


「ああ」と呟いて、頬を掻く。

 寒そうに白い息を吐く。


「――おまえ、なんで俺がここにいるんだって思ってるな? まあ、そりゃそうか……」


 バーシルはそう言って、肩を竦めて大きく息を吐くと、ついさっきまでの俺と同じように、今しがた自分が下って来た階段に腰を下ろした。


 すかさずその膝に犬がじゃれ掛かりにいったが、鬱陶しそうに手で追い払われる。


「おお、()み」と両手を擦り合わせてから、バーシルは改めて俺を見て、苦笑した。


 俺は動けなかった。


「おまえ、お役目は失敗だって? 大義があるって言っただろうに、まったく。――んで、あのあと島で古老長さまにぶち切れられたんだって? また櫃に入れられてたって聞いたぞ。まあ、古老長さまはずっと苛立っておられたしなあ。おまえのお役目に進展がないってんで。ムンドゥスを見ては発狂しそうなお顔をなさってた」


 俺は息も出来ない。

 櫃の中の、あの病的な冷たさを思い出して、全身が粟立つような感覚に襲われていた。


「しかも、」


 と、バーシルが俺を見て顔を顰める。


「地下神殿に、おまえ、穴開けてたんだって? まったく――気付かなかった俺も同罪だってんで、あのときは俺も酷ぇ目に遭ったよ。ぶっ殺されるかと思ったぜ」


 俺は全身を震わせながらも、辛うじて動いた。

 即ち、膝を屈め、右手の指先を額に当てて、それからその指先をバーシルの足許に向かって動かしたのだ。


 島における謝罪の仕草――恐らく俺がこれまでの生涯で、最も多く行ってきた動作だ。


 バーシルはそんな俺を見て、何ともいえない表情で目を細めていた。


「……変わらんなあ、おまえは……」


 俺は膝を屈めたまま動けず、ひたすらに全身を震わせる。


 バーシルは息を吐いた。


「守人が消えて母石が消えて、こっちは大騒ぎだったんだ。さっさとおまえのお役目を中断させて呼び返すって案も出るには出たが、まあ、こっちも一枚岩じゃない。母石が無事だっていうことは分かってたからな、魔法は殺すべきだっていう意見が結局は通されたんだが――なあ」


 俺の知らなかった経緯をあっさりと口に出して、バーシルは両手で顔を拭う仕草をした。


「今じゃ諸島は殆どもぬけの殻だぜ。古老衆のほぼ全員が全員、守人とおまえを捜し回ってる」


 俺は、拳大の氷を腹の中に詰め込まれたようにすら感じ、吐き気を催した。


 ――そうだろう、捜されていることだろう。

 俺の離反は当然に、〝えらいひとたち〟も知るところになっているのだろう。



 つまり俺は、これから殺されるのだろう。



 殺されることを待ち望んでいたはずなのに、この期に及んで俺は恐怖を止められなかった。


 あの銀髪の皇太子とか、トゥイーディアとか、そういう人に殺されるなら良かった。

 顔も名前も知らない誰かに殺されるのでも大歓迎だった。


 だが、〝えらいひとたち〟のことは怖かった。


 結果ではなく経緯が、あの人たちそのものが俺の、拭い難い恐怖の対象だった。



 蒼白になっている俺をまじまじと見て、バーシルは長い息を吐き出した。


「――おまえ、なんでまたあんなことを……」


 もはや俺の行為の何を指して、「あんなこと」と言われたのか、俺には理解できなかった。


 ――お役目を疎かにしたことか。

 地下神殿に穴を開けたことか。

 皇太子に呪いを掛けたことか。

 カロック帝国を焼き払ったことか。



 立っていられなくなって、俺はよろよろとその場に膝を突き、項垂れた。


 バーシルは、そんな俺から視線を外したようだった。

 ちらりと窺うと、目の前をうろうろする犬に向かって話し掛けるような具合で、淡々と言葉を続けていた。


「俺たちは少し前からリーティ(ここ)に居てな。っていうのも俺が、もしかしたらおまえがここまで戻って来るかも知れんと言ったからだ。毎日毎日、あちこち歩き回っておまえを捜し回ってた。

 守人のことも一応訊いてはみたが、駄目だね。なんだか知らんがリーティの教会はだんまりを決め込む」


 何か返事をしないとバーシルが怒るかも知れないとは思ったが、俺は声が出せなかった。


 そして俺がそういう状態に陥っていることに、バーシルは慣れ切っていた。


「まさか本当に戻って来るとはなあ」


 バーシルがそう言って、俺に視線を戻した。


 俺は目を閉じたかったが、瞼も凍り付いたかのように動かなかった。


「おまえ、お役目の間、ここにいた間だ。楽しかっただろ」


 バーシルが、責めるようにそう言った。


 図星を刺されたこともあったが、そもそも恐怖で、俺は首肯も儘ならなかった。


 だが、バーシルは確信した声で続けている。


「――だろうな……レイモンドはいいやつだ。あんなおまえを放り出したはずがない――いちいち世話を焼いて、気を遣ったはずだ。

 そりゃ、おまえが戻りたいとすりゃ諸島の方じゃなくて、こっちだ」


 俺は辛うじて頷いた。

 レイモンドの名前が出たからだった。


 ようやく、俺の喉が動いて声を絞り出した。


「……――レイ、どこにいるの」


 バーシルが瞬きし、口を半開きにして、ぽかんとした。


 それからみるみるうちに目許を強張らせたかと思うと、くしゃっと自分の髪に手を突っ込み、呻いた。


 その挙動に俺がぎょっとしていると、バーシルは俺を見て、瞬きし、唇を噛んだあとに、言った。


「――可哀想にねえ……」


 意味が分からずに、俺は瞬きする。


 バーシルは息を吸い込んだ。


「……レイモンドがどこにいるかは、俺も知らん。――で、だ。

 俺たちがおまえを捜してたのは、無駄話をするためじゃない」


 俺の喉が再び凍り付いた。


 バーシルはそんな俺を見て、また、長々と息を吐く。

 息が真っ白になって空中を漂って、たなびいて消えていく。


 疲れ切った仕草で、バーシルは自分の膝の上に肘を置き、掌で額を支えた。


「――おまえ、本当になんで、あんなことしたんだ」


 俺は震えながら、再びあの仕草をした。


 つまり、右手の指先を額に当ててから、その指先をバーシルの方へ動かしたのだ。

 とはいえバーシルはその仕草を見ておらず、俺をなじるように続けていた。


「誰にだか知らないが呪いを掛けた上に、おまえ、カロックをあんな風にしちまって」


 俺は凍り付いた。


 バーシルは顔を上げて俺を見て、呻いた。


「おまえ、知ってるか。巷で今やおまえは魔王として有名だ。真っ黒な髪の魔王だとよ。どこの御伽噺だよ、まったく。何も知らずにカロック上空を飛ぼうとした雲上船も墜ちたんだぜ」


「――――」


 俺は微動だに出来ず、このままどこかの穴に吸い込まれていきたいと思いながら、ひたすらにその場に膝を突いている。


 バーシルは、せめて俺にあれこれ説明するべきだと思ったのか、それとも単純に何かを話していたかったのか、抑えた声で言葉を続けた。


()()もそうだ。レイモンドたちに、呪いの仕組みについてはおまえに話すなと古老長さまが念押ししてたはずだ。おまえのことだから、母石を使って呪いを掛けかねないってな」


 そうだ、と、俺は掠めるように考える。


 ――レイモンドは、使節団のみんなは、呪いの詳しいところについては俺に説明しようとしなかった。

 俺にそれを説明してしまったのはトゥイーディアだ。


 そして、そうか、わざわざ口止めしていたということは、〝えらいひとたち〟にとっては呪いは与太話ではなくて、実現の可能性のあるものだったのか。


「俺たちは、」


 バーシルが、低い声で呟いた。


「おまえの魔力の気配には敏感だ。おまえが生まれてからこっち、ずっとおまえを見張ってたんだから、当然そうなる」


 ――そうだ。

 俺がヘリアンサスに手品を見せてやっていると、〝えらいひとたち〟は大抵それを把握していて、俺を櫃に押し込んだ。


「おまえがあそこまでの魔法を使えば、当然、俺たちには分かる」


 そこまで言って、バーシルは怪訝そうに眉を寄せる。


「――ただ、まあ、俺たちも不思議なんだが……、おまえ、何回呪いを掛けたよ? あとの二回は多分、おまえじゃなかったとは思うが」


 俺は答えられなかった。

 声が出なかった。


 バーシルはそんな俺をまじまじと見て息を吐き、階段に腰掛けたまま脚を組んだ。


「……まあいい」


 呟いて、バーシルは軽く息を吸い込んだ。


「まあ、正直なところ、俺もここでのんびり喋ってる場合じゃねえんだ。おまえを連れて行かなきゃならん」


 俺の息が、痙攣するようにして止まった。


 ――やめてくれ、と懇願したかった。

 そのための声を絞り出そうとするのに、息すら止まって声は出ない。


 そんな俺をちらりと見て、バーシルはむしろ同情するかのように言った。


「ああ、おまえ、多分殺されることはないよ。そこは安心していい」


 違う、と、俺は思う。


 ――殺されることが怖いのではない、〝えらいひとたち〟が怖いのだ。

 死ぬよりも恐ろしいのだ。


 俺が呼吸すら出来ていないのを見て取って、バーシルは肩を竦めた。


 そして、言葉を選ぶように視線を泳がせたあと、指を鳴らして(その音にも、俺はびくりと震えた)、俺を指差した。


「例えばだ、おまえが――そうだな、」


 ちら、と、うろうろと歩き回る犬を見て、バーシルは言う。


「おまえが、手許で番犬を飼ってたとするだろ」


 唐突な例え話に、俺は瞬きする。

 そしてようやく、細く息を吸うことに成功する。


 バーシルは続けた。


「噛まれれば只じゃ済まないが、調教の甲斐あって自分には牙を剥かないとする」


 調教、と、バーシルははっきりとそう言った。

 だが俺は、その言い回しに感想を覚えることすら難しかった。


「で、その番犬が、他所で粗相をやらかしたわけだ」


 バーシルがそう言って、よいしょ、とばかりに階段から立ち上がり、ぱたぱたと衣裳の埃を払った。

 無言で震える俺に歩み寄って傍に屈み込み、バーシルは俺の肩を叩く。


 意識するよりも先に俺が頭を庇って小さくなると、バーシルは苦笑した風情だった。



「――飼い主としては()()()()()()、その番犬を絞めなきゃならん」



 殺すんじゃないか。

 絞めるってことはそういうことだろう、前言撤回が早過ぎないか。


 ――俺はそう思ったものの、勿論のことそれを口に出せるはずもなかった。


「ただ、なあ」


 バーシルは言葉を継いで、ぽん、ぽん、と、ゆっくりとしたテンポで俺の肩を叩く。


「その番犬に、()()()()()()()()()が寄って来るかも知れんとなれば話が変わる」



 ――一番の財産。


 〝えらいひとたち〟の、一番の財産。



 ――そんなの考えるまでもなく明らかだ。


 ――ヘリアンサスと、母石だ。



 俺がそう悟ると同時に、バーシルが俺の顔を覗き込んだ。


 突然のことに俺は目を見開いて硬直したが、俺のそういう顔も、バーシルは当然ながら見慣れている。


 レイモンドやチャールズが、「どうしたんだ」と言って気遣ってくれた俺の様子の大半は、バーシルにとっては日常だったのだ。


「あのときおまえ、守人と一緒にいただろ」


 バーシルがそう言って、俺はバーシルの言う「あのとき」を正確に察する。


 ――俺がカロック帝国を焼き払った、あのときのことに違いない。


 俺のその直感を裏付けるように、バーシルは恬淡と言葉を続けた。


「呪いを掛けたのはおまえだ。誰に呪いを掛けたのかは訊かん。こっちもそこまで興味はない。

 ――けどな、あの魔力はおまえのだ。で、おまえが呪いを掛けたなら、さすがのおまえでもそこで魔力は()()()()()()になるはずだ」


 俺は頷いた。

 痙攣するような動きになったが、だがそれでも、首肯として伝わったはずだ。


 バーシルは目を細める。


「――おまえが呪いを掛けた直後に、カロックがああなった。……まあ、俺たちもすぐにカロックの状態に気付いたわけじゃねえが――あれもおまえの魔力の気配だった」


 俺の肩に手を置いて、バーシルが立ち上がる。

 ふう、と息を吐いて腰を伸ばして、バーシルは建物に区切られて狭く見える空を見上げ、吐き出すように言った。


「さてそこで、“なんで魔力が()()()()()()になったはずのおまえが、その直後にでかい国一つを焼き払えたのか”って話になる。

 ――古老長さまは、そこに守人が関わってたんじゃないかってお考えらしい」


 俺はバーシルを見上げ、瞬きした。



 ――そうだ。確かに、ヘリアンサスさえいなければ、俺がカロックを焼き払うこともなかった。


 皮肉にも古老長さまだけが、俺の行為を誤解していないということになる。



「……俺」


 俺は呟いた。


 バーシルが瞬きし、顔を顰めて俺を見下ろす。


 俺は必死になって、(つか)えながらではあったものの、言葉を吐き出した。


「俺、そうなんだ、ヘリアンサスが。――けど、誰も知らないから。ヘリアンサスのこと、誰も知らないから。だから誰も――この国の人たちとか。今どういう状況なのか、たぶん、分かってないんだ。だから、教えに――伝えに――行かないと」


「――はッ」


 バーシルが、短く笑った。

 本当に、咄嗟のことで笑ってしまったと言わんばかりの、可笑しげな声だった。


 俺は瞬きする。

 輪を掛けて混乱する。


 そんな俺を見下ろして、バーシルはいっそう目を細めて、


「相変わらず馬鹿だなあ、おまえは」


 しみじみとそう言って、彼は手を伸ばして、俺の二の腕を掴んで立ち上がらせた。


 突然のことに俺は驚いて、引っ張られるがままに立ち上がり、よろめく。

 足が冷えて痺れている。


 ふらつく俺を支えて、バーシルが俺の衣服から埃を払う。



 そして俺と目を合わせて、微笑んだ。


 冷えた、冴えた、微笑だった。



「――俺たちが、これまで散々苦労して隠し通してきた母石の、守人のことを、今さらおめおめ他人に明かすと思うか?」



 俺は瞬きする。

 え、と声が漏れるが、バーシルはそのことにすら微笑を深める。


「古老長さまは半信半疑ではいらっしゃるが、守人がおまえのところになら寄って来る可能性もあるんだ。番人のことは、守人も認識はしてるかも知れないっていうのが俺たちの考えで――まあ、俺からすりゃ、番人の中でもおまえは別格のはずだ。守人にとってはな」


 俺はひたすら瞬きする。


 バーシルはまた俺の肩を叩いて、俺の額を小突く。

 ごく軽い力だったが、俺はよろめいた。



「……おまえの母親を追い掛けていったのは俺だからな。

 守人があんな風に振る舞うとは――今でも驚きだが、まあ、守人がおまえだけは特別視してたとしても不思議じゃない」



 ――『おれの愛するおまえのすることなら』


 あの黄金の双眸が脳裏に甦って、俺はますます言葉を失う。



 バーシルは浅く微笑した。

 唇が歪んで、顰め面に似た微笑を作った。



「――ここにきて、古老長さまも方針転換だ。

 魔法を殺して世界を救う、断腸の思いで下されたご決断を翻された。

 ――()()()()()()()()()()()。それを信じようとさ」



 俺は唖然として口を開ける。



 ――そんなはずはない。

 自浄作用があるならば、とっくにそれが機能しているはずだ。


 あんな、あれほどぼろぼろに割れたムンドゥスを見てなお、古老長さまはそんなことを言うのか。



「古老長さまは」


 そう言って、バーシルが俺の腕を引く。

 歩き出そうと促しているのだ。


 俺は引っ張られてよろめき、躓いた俺の動きを咎めるように、また犬が吠える。


「おまえを手許から離したのが浅慮だったと今ではお考えだ。手許に置いて、おまえのことは隠しておいて、静かに守人の番をさせておくのが良かったとな。

 ――それに今となっちゃ、おまえにお訊きになりたいことも()()()とあられるらしいからな」


 俺の胸が痙攣した。


 助けてくれ、と思ったが、もはや誰に対して助けを求めたのかすら、俺には不明瞭だった。


 足を踏み出すことも儘ならないほどに震え上がる俺を振り返って、バーシルが苦笑する。


「――引き摺ってでもおまえを連れて来いとさ。古老長さまのご命令だ」



 俺は悲鳴を上げようとした。だがそれが声にならなかった。



 ――恐怖が過ぎたゆえ、それもある。



 だが、別の理由もあった。



 ――バーシルが足を止め、唐突に一方向を振り仰ぐ。


 その方向に王宮があることを、俺は知っている。



「……おいおい」



 バーシルが呟く。

 声が強張る。



「マジかよ。……大盤振る舞いだな、おい」






















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― 新着の感想 ―
[良い点] 意外とバーシル平気そうですね。えらいひとたちに簡単に怯えられては、ルドベキアがトゥイーディアへの思いから恐怖を克服する、みたいな熱いシーンが見れなくなるので個人的にはいい感じです。今後そん…
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