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輪番制で救世主を担当してきたのに、今回の俺は魔王らしい  作者: 陶花ゆうの
6 おまえはとっくに忘れたんだろうけど
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31◇ ――事の次第

 おれはちょうど、カルディオスから貰った例の機械を弄っているところだった。


 町から離れた人気のない木立の端の方で、すっかり葉の散った木の根元に座り込んで、機械を動かしたり止めたりしていた。

 機械は動かしてみると、楕円部分が高速回転しながら低空を飛び、ちかっ、とその上端を輝かせたかと思うと白い炎の筋を吐き出し、おれは飽きることなくそれを眺めていた。


 地面が黒く焦げた斑点模様を描き、しゅうしゅうと煙を上げていたが、それも特段おれの困るところではなかったので。


 おれが余りにも熱心に観察していたからか、途中のいつからか、ムンドゥスもどこからともなく現れて、おれの隣にちょこんと座って同じものを見ていた。

 いや、その視線の向きさえも、もはやおれにすら分からなかったけれど。


 忙しく飛び回る機械を眺めつつ、おれはふと思い付いて、ムンドゥスの方に声を掛けた。


「ねえ、きみ、これを作り直せば動かせるって言っていたっけ?」


 ムンドゥスは頷く。

 ぽろぽろと欠片が落ちる。


 それから不明瞭な声で、小さく尋ねてきた。


「ほしい?」


「そうだねえ」


 おれは呟いて、何の気なしに言った。


「たとえば、これの何倍もある大きさでさ、これと同じものが沢山あったら壮観だと思わない?」


 実際にそれを想像して、おれは気を良くした。

 それに、自分の作ったものがそんな風に壮観な景色を作り出していたら、カルディオスもびっくりしてくれるかも知れない。


 ――ああ、そういえば。


 と、おれは考える。


 ――カルディオスが、彼をびっくりさせるつもりならば、ちゃんと彼自身の旅を一人旅だと思わせておかないといけない、というようなことを言っていたことがあったっけ。

 一人旅だと思っているところにひょっこりおれが現れたら、それはびっくりするだろう、と。


 思わず指を鳴らす。

 ムンドゥスが罅割れに覆われた顔を上げて、おれの指先をじっと見る。


 ――まさにこの状況だ。

 カルディオスが、おれの、少しばかり雑だったことは認めるが、とにかくその偽装を見破っていなければ、おれが死んだと思っている。

 カルディオスはなんとも的外れなことに、おれを人間だと思っていた。それは即ち、おれが命を持たないことを知らないということだ。

 そうやって思い込んでいるところにおれが姿を見せれば、それはもう驚いてくれるに決まっている。


「……思わぬところで上手くいくものだね」


 おれは呟いたが、同時にカルディオスが、「びっくりさせ過ぎだろーが!」と怒鳴るところも想像して、思わず微笑んだ。


 言いそうだ。


 だがすぐに、愉快そうに笑ってくれるに違いない。


 ムンドゥスはどうやら、おれが何を言っているのか理解していないらしい。

 ただ首を傾げて、それから、ぽろぽろと破片を落とす小さな手で、カルディオスが作った機械を指差した。

 そして、呟いた。


「あなたがほしいなら」


「作ってくれるの」


 おれが笑った、ちょうどそのとき、地響きが轟いたのだった。




 ――正確には、耳で聞いた音ではなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()、世界中に散らばるおれの耳目の、その多くが一斉に捉えた音だった。



 同時にムンドゥスが、まるで頭の上に何か重いものを落とされたかのように、かくんと項垂れた。



「どうしたの?」


 便宜上尋ねたものの、おおよその答えは予測できた。


 ムンドゥスを傷つけるとすれば、痛みを与えるとすれば、それはおれか――おれに準ずるものか――、魔法か、そのどちらかだ。



 どこかで誰かが、とんでもない規模の魔法を使ったのだ。



 そう予想を立てて、おれは立ち上がった。


 かくんと項垂れたムンドゥスは、そのままふらふらと頭を揺らしていたが、おれに出来ることはそもそもないし、第一おれはムンドゥスにとっては有害なものなので、傍に留まる道理もない。



 何があったのだろう。



 懸念があったというよりも、むしろ待ち構えるような気持ちで、おれは目蓋を下ろしてみた。


 いつものように、おれの耳目がおれに情報を運んでくるのを待った。



 二秒が経って、おれは何かがおかしいことに気が付いた。



 いつもうるさいくらいにおれに情報を運んでくるおれの耳目が、一向にその役目を果たさない。

 いや、正確にいえば、役目を果たしてはいる。


 だが、何かが見えたと思った途端にその視界が砕けて失せていく、そんな感覚が数千に亘ってあった。



 色が見え、それが砕け、音が見え、それが割れる。



 ――何が起こってるんだ?



 これまで、おれが関心を向けてなお状態を知ることが出来ないのは、ヴェルローの女王ただ一人だった。


 それ以来の異常に、おれは無意識に首を傾げていた。

 考え事をするときは首を傾げるものなのだと、ルドベキアがおれに教えた通りに。


 おれは少し考えて目を開き、それから振り返って、ムンドゥスを見た。


 ふらふらと揺れていたムンドゥスは相変わらずだったが、砕けて壊れてしまいそうという程ではなかった。


 それを確認してから、おれは呟くように頼んだ。


「――ねえ、それ、おれのお気に入りなんだ。見てて。

 で、気が向いたら、それを大きくしたのを幾つか作ってよ」


 ムンドゥスは頷いたりはしなかったが、彼女が了承したことをおれは知っている。


 おれは前に向き直り、またもう一度目蓋を下ろして、一歩前へ踏み出した。



 ――ぴりぴりと肌が痛む。



 おれが望む場所に、何かが起こっているまさにその場所に、おれを運ぶために。










 目を開けるよりも先に地響きが、今度こそ実際に、おれの耳に振動として聞こえてきた。


 地面ががたがたと震えているので、おれは瞬間、雲上船の中に自分が現れたのではないかと思いそうになった。


 ――だが、違う。


 目を開けてみれば、眼前は暗く、まるで夜になったかのようだった。


 だが、それも違う。


 頭上を厚く瓦礫の山が――というよりも、瓦礫の雲だろうか――が覆っているがために、陽光が遮られて辺りが薄暗く見えているだけだ。

 加えて粉塵が立ち込めて、辺りは濃霧の中のようだった。


 足許が激しく揺れている。

 ぐらぐらと視界が揺れ、なかなか定まらない。


 自分がどこに立っているのかと見下ろせば、つい先程まで土中に埋まっていたのだと主張するかの如き色合いの、石造りの建物の基礎の上だった。


 おれの足許にもびっしりと罅が走っていて、おれはそこにおれの姉を連想する。


 度重なる揺れが、石造りの建物にとっての致命傷となっているようだった。

 めきめきと音を立てて、あちこちに罅が走っていく。


 雷鳴のように、辺り一帯で建物が倒壊していく音が轟いていた。

 人間の悲鳴も聞こえる。


 建物の欠片が宙を飛ぶ音も聞こえてきて、おれは若干の口惜しさを覚えて顔を顰めた。

 ――間違いなく、こういう事象は珍しいものであるはずだ。

 カルディオスにも見せてやれば良かった。


 建物が倒壊し、崩れ落ちながら砕け散り、凄絶な音が周囲に散らばる。


 聞こえる音は、もはや音というよりも衝撃そのものに近く、おれが人間であれば、耳の奥の方の膜が破れそうなくらいだった。

 ところがおれときたら、全く恥ずべきことにも生き物ではないので、少し顔を顰めるくらいで済んでいた。


 めきっ、と一際大きな音がして、おれの足許ががくんと沈んだ。

 足場にしていた建物が、とうとう瓦解していこうとしているらしい。


 おれは溜息を吐いて、一歩前に進んだ。

 その一歩先には何もなく、だがおれの意思に従って、しっかりとおれの足許を支える足場になる。


 揺れない足場に移ったことで、視界も安定した。

 おれは瞬きし、改めて周囲を振り仰いで、思わず声を上げてしまう。


 誰かが大きな掌で、地面を引き千切っては放り投げているようだった。


 真下から見てみれば、放り投げられた地面や建物の破片が、嵐に乗るように巻き上げられて、上空で渦を巻いているのがよく分かる。

 空中で擦り減っていくように、瓦礫の破片は段々小さくなって、その代わりに辺りに立ち込める粉塵が濃くなっていく。



 いつの間にか人間の声は途絶えていた。



「これはすごい」


 おれは思わず呟いて、カルディオスがよくやっていたように口許に手を宛がった。


「これは、」


 そこまで口に出したとき、唐突に、別のおれの耳目が拾ったのだろう姿が脳裏に(よぎ)った。


 雑多な色彩に囲まれた、それは後ろ姿だった。

 青紫の豪奢な衣裳を纏って、長い銀髪を揺らしながら空中を歩き去っていく男の――


 おれは無意識に頭上に視線を向けて、理解を籠めて瞬きをする。


 この上空のどこかに、恐らく雲上船だろうとは思うが、おれの耳目を積んだ何かがある。

 それが今、あの姿を捉えたわけだ。


 あの銀髪――カロックの皇太子。


「なるほど」


 おれは呟いて、粉塵に曇る視界に目を細めた。


「あの皇太子がこれをやったんだな」


 それから首を傾げる。


 周囲を見渡すも、もはや辺りには瓦礫の山と呼ぶにも烏滸がましいほどの、残骸めいたものしか残っていなかった。


 辛うじて形を保っていた建物が次々に倒壊していく音が、遠く残響めいて耳に届く。


「――で、ここは一体どこなんだろう」





◇◇◇





 おれはそんなことを疑問に思ったが、大陸中に散らばるおれの耳目から情報を拾っていけば、一日と経たずに事の前後は知れた。


 おれが目にした、壊滅していく都市だが、ああなったのは一箇所ではなかったらしい。


 おれは思わず笑ってしまったが、どうやら銀髪の皇太子は、パルドーラ伯爵の領地を丸ごと、ああして砕いていったらしい。

 几帳面に境界を守ってそうしたようで、パルドーラ領と接する隣領の、まさにその端の町の住人たちが、「何はともあれ自分たちは助かった」と胸を撫で下ろしている様子も、おれには見えた。


 ものの見事に粉塵と化した伯爵領を見ているのは気分が良かったし、何より論理はよく分からなかったが、これを以て例の伯爵は非常に(まず)い立場に追い込まれたらしい。


 そういったことを把握していくにつれて、おれは自覚できる程度には機嫌を良くしていたが、一方で怪訝に思わざるを得ない部分もあった。


 ――確かに皇太子が行ったことは痛快だが、だがそれにしても、あの皇太子であっても楽な手段ではなかったはずだ。

 大きな事象の改変は、それだけ大きな魔力を消費する。

 人間の身体は魔力のための器だから、魔力を失えば疲弊する。


 それをどうして、わざわざ?


 理由を知りたいと思っても、推測できる土俵がおれにはなかった。

 そのうえ銀髪の皇太子は、内心をそう簡単に他人には吐露しない性格らしい。


 おれの耳目から齎される情報を、遡って過去のものをも把握していっても、彼がそれらしいことを言っているところは見掛けなかった。



 思い出してみればカルディオスは、何かの行動の前に必ずおれの同意を得た。


 町に入るときは、「この町に寄るけど、いい?」と訊いてきたり、食事の前には、「この店でいい?」と訊いてきたり、宿を取るときは、「ここでいいか?」と訊いてきたり。

 町に入らないときも同様で、「この辺で寝る?」とおれにいちいち訊いてくることもあった。


 それを踏まえると、人間というのは一緒にいる誰かに、行動を報告ないしは相談するものかと思っていたが、案外違うのかも知れない。

 カルディオスが、ここでも特別だっただけかも知れない。



 ただ、一度だけ、ぼんやりと世双珠を通して銀髪の皇太子を観察しているときに、『なんということを』と詰る声を見た。


『なんということをなさったかお分かりですか。あなたがこれほど非情な方とは思わなかった』と声は詰り、そのあとすぐに泣き崩れるようにして途切れたかと思うと、『いえ』と自分の言葉を否定する。


『あなたが本当に非情な方であれば、どれほど良かったかと思います』と。


 それに応じるように、すぐに銀髪の皇太子の声が見えた。

 なんとなく、相手に言い聞かせるような口調でさえあった――『きみは関係のないことだから』。



 それから更に数日、皇太子の近辺の世双珠を通してその様子を見たり、言動を観察したり、皇太子がいる皇宮の噂を拾ってみたりしているうちに、ようやくおれにも、銀髪の皇太子の動機の欠片が理解でき始めた。



 ――簡単に言ってしまえば、どうやら、おれが書き換えた書簡がおれの予想を遥かに上回って作用したらしい。



 銀髪の皇太子は、筆跡も女王のものに相違ないあの書簡を、当然ながら女王が(したた)めたとして受け取った。

 そして、ヴェルローからの宣戦布告の可能性について、真剣に吟味したのだ。


 その対応を討議する場を眺めてみる。


 世双珠が見ていたその光景を、脳裏で再現してみる。


 ――皇太子は書状を見下ろしたまま動かない。

 重臣たちは不安にざわめき、皇帝と皇子は、度を失いこそしていなかったものの、言葉を失っている。


 そしてやがて、皇太子が顔を上げる。

 皇帝をちらりと見てから、皇太子は常よりもやや低い声で呟く。


『――黙殺は出来ない。無礼を咎めることも出来ない』


 誰も応じなかったが、見交わされる瞳は全て恐慌の色のあるものだった。


『そして今さら条約を破棄したいと言い出せば、レンリティスも黙ってはおるまい。元はこちらから、締結を急かした条約だ』


 声が上がる。


『ヴェルローを敵に回すよりは、まだ』


『おまえが戦線に出るか?』


 皇太子はにこりともせず、そう声を上げた臣下を一瞥する。

 書状から手を離し、顎を撫でる。


 目の下に翳が落ちている。

 疲れ切った表情をしているが、おれはそこに寄せる情を持たない。


 うろうろと視線を迷わせた挙句に、皇太子の弟だろう男が口を開く。

 声は躊躇いがちだったが、一縷の望みを懸けるようでもあった。


『……殿下に――皇太子妃殿下に、ヴェルローに赴いていただけば、その分時間は稼げましょうが』


『駄目だ』


 皇太子が応じた。

 断言というよりは哀願だった。


『駄目だ――皆も知っていようが、ヴェルローは人質の身の安全を保証しない……交渉の決裂と同時に人質の首が曝された話は多い――その上、協議が決裂しなくとも、脅迫の意味で人質に手を掛けた例もある……。護衛も無駄だ、あの女王には通じない――』


『しかし――』


 言葉を重ねる弟に、初めて皇太子が声を荒らげる。


『たかが時間稼ぎのために、私の最良の友人の命を捨てるというのか?』


 直後に、失言を悔いるような顔をして皇太子が口を噤んだ。


 皇帝も、皇子も、重臣すらもがしばしざわめく。

 おれには理解の埒外であったが、皇太子が皇太子妃を評した言葉が不適切であったようだった。


 皇太子は束の間表情を歪めたが、すぐに再び口を開く。

 声音は落ち着いていた。


『戦は避けるべきだ。妃を人質に入れることも避けたい。

 ヴェルローはもはや、我々が口先で条約の締結を取りやめたのだと申し入れても、妃を人質に求めることは続けるかも知れぬ――我々は、女王陛下の機嫌を損ね過ぎたようだ』


 淡々とそう言って、皇太子は片手で顔を拭った。


『条約は――応じればヴェルローと戦になる。まさかこうまで堂々と宣戦を予告するとはな。

 条約を蹴っても、今度はレンリティスが黙っておるまい――下手を打てば、こちらも戦だ』


 皇太子が指を立てる。


『ヴェルローと戦になったときのことを考えよう。

 まず、戦力だが、』


『以前も議論いたしました。拮抗です。単純に考えますとヴェルローの戦力が勝りますが、今回はヴェルローは海を越えて補給線を伸ばす必要があるうえ、雲上船も足りぬものかと』


 我々がそのように調整してきました、と、応じる声には迷いがない。

 皇太子は頷きつつも、『だが』と呟く。


『それは女王陛下も、勿論のこと把握しているはず……私たちが気付くことに、あの女王陛下が気付かないなど有り得ない――』


 皇太子が声を落とす。


『意図が見えない』


 皇帝が頷く。


『然様、ヴェルローに何らの利点もあらぬ』


『陛下の仰る通りにございます。

 ――女王陛下も、戦となれば戦力拮抗――今までとは違う、敗戦が有り得るとご存知のはずだ。それをなぜ、このようなことを仰るのか……確実に勝利できる見込みが、あちらにあるとしか思えない』


 おれはなんとなく、申し訳なくさえ思った。

 ――意図はない。単純におれが書き換えた。


 それだけだ。


『あるいは私がそのように深読みすることを見越して、敢えて手札を偽っているのかとも考えられるが、有り得ない――あの女王陛下はそのようは危ない橋を渡ることはなさらない。

 億の人民の命を抱えていらっしゃるのだ、そのような博打に走る方ならば、ああも版図を拡げることは不可能だったはず――』


 考えられるとすれば、と、皇太子が指を揺らす。


『女王陛下御自らが戦場に立たれることだ』


 場の全員が息を引く気配がある。


 おれはまじまじとそれを見る。

 まるでその場に立っているかのように鮮明に、過去のその一幕を眺めている。


『女王陛下が御自ら動かれるとなれば、我が国に勝機はない』


『しかし――』


 臣下の誰かが口を開く。

 皇太子が面倒そうに手を振って、それを黙らせる。


『ああ、私も、それは有り得ないと踏んでいた。ああも広大な版図を治める方だ。むざむざ玉座を空けられるなど有り得ない、と。

 ――だが、実際は、どうだ?』


 皇太子が机を叩く。

 机というか、正確には、その上に広げられた書状を。


()()だ。――女王陛下は宰輔すらにも信頼を置かず、独裁に近い形で連合王国を知ろしめしておられる。だからこそ、あの方がむざむざ国を空けるなど有り得ないと踏んだ。レンリティスも同様だったはずだ。

 ――だが、』


 皇太子が書状を掴む。


『勝機なくば戦は起こされない方だ。――在位は六十余年、後継を育てていらっしゃったとしても不思議はない……考えるべきだった……抜かりがあった、まずはそれを詫びよう。

 だが女王陛下が仮に、その後継に数日であれば国政を任せることが出来ると考えていらっしゃれば、この国とヴェルロー王都までの往復程度はなさるやも知れぬ――』


 固唾を呑む臣下を睥睨して、皇太子が呟くように言葉を閉じた。


『……ヴェルローのこの警告、聞き流すには重い――』


『しかし、条約を破棄しては』


 皇太子の弟が声を上げる。


 皇太子は机に肘を突き、その掌で額を押さえた。

 その彼の挙動を見て、その場が軽くざわめいたのが分かった。


 どうやら皇太子は滅多に、こうした疲労の見える仕草を取らないらしかった。


『分かっている、今度はレンリティスと戦になる可能性があろう。

 ――ヴェルローとは違って、レンリティスは地続きの国だからな。加えて大魔術師が二人』


 皇太子が顔を上げ、薄く苦笑する。


『パルドーラ閣下には、以前お会いしたばかりだ。敵に回すには恐ろしい。あの方の魔法は、軍勢から戦意を根こそぎにすることも可能だろう。

 キルディアス侯には、私が立太子される以前に一度お会いしたことがある……当時はあちらも、まだ侯爵位を継いではいらっしゃらなかったが――あの方の魔法は、瞬間的な脅威こそパルドーラ閣下や――それこそ私には劣ろうな。だが、我が国の穀倉地帯をあの魔法で悪天候に晒されるのは、国の存続が危うくもなろう事態だ』


 皇太子が一同を見渡す。


 おれはまじまじとそれを見て、ようやく皇太子があれほど大掛かりな手段を採った理由の、その欠片を理解しつつあった。


『――さて進退窮まった。

 ヴェルローを無碍に出来ぬ。レンリティスも無碍に出来ぬ』


 皇太子が両手の指を組む。


 繊細な仕草で、おれは彼の仕草が、ルドベキアともカルディオスとも随分違うものなので感心する。


『レンリティスに現状を説明し、理解を乞うことも難しい。

 私が女王陛下の立場であれば、我が国に使者を遣ると同時に、レンリティスにも使者を遣るだろう。カロックとの条約罷りならじ、とな。――レンリティスはそれを黙殺して条約を選んでいる。あちらもまた、我が国との共闘を視野に入れているはずだ。今さら下りたと言って許されようはずもない』


 皇太子が皇帝に視線を向ける。


 冴えた濃紫の目を、おれは印象に残した。


『陛下におかれましてはご記憶でしょうか、以前に申し上げた――』


『最も優先すべきは我が国の安堵。然様に余が教えた』


 皇帝が、言葉を引き取るようにして言い切る。

 皇太子が苦笑する。


『まさに。またこうも申し上げました。

 他国の誹りはお気になさらず、大魔術師を擁さぬ国であれば、私の敵には成り得ぬと』


 皇帝が瞬きをする。

 妙にゆっくりとした瞬きだった。


 だが返答は短く明瞭だった。


『――聞いたとも』


『進退は窮まりましたが、道が絶たれたとも思いませぬ。

 ――今この状況、我が国が手を打つことが出来るとすれば、』


 皇太子が指を鳴らす。


『現在、レンリティスは我が国を警戒してはいない。条約の調印を待っている、それだけです』


 皇太子が視線を落として、こつこつと指先で机を叩く。


『――女王陛下がここまで固執なさるとは考えなかった……私の落ち度だ』


 またおれは申し訳なく思う。


 きみの考えは正しかったよ、と声を掛けたくなる。

 おれが書状を書き換えただけだから、別に気にすることはないんじゃない、と、彼を慰めてやるのも面白いかな、などと思う。


 だが実際には、おれはこの過去の一幕を覗き見ているだけだ。


『ヴェルローと戦は出来ぬ。レンリティスとも戦は出来ぬ。

 だが先んじて、()()()()()()()()()()()()()()()()話が変わる』


 皇太子はそう言って、目を上げる。

 断固たる表情だった。


『私が先んじて、大魔術師お二方のうちどちらかの領地を襲って国力を削ろう。

 ご領地が壊滅となれば、如何な大魔術師であっても戦の準備に手が回るまい』


『太子、それは禁じ手だ』


 皇帝が割り込んだ。


『宣戦布告なしの戦闘行為だ――国家として為すべきではない』


『その礼儀が我が国を守りますか』


 皇太子は無表情にそう切り返し、組んだ指に顎を置いた。


『ただし、私のその行為を、むざむざ女王陛下に書簡で書き送ることなどはなさらぬよう。大国の一つの領地が壊滅となれば、海を跨いでも女王陛下の耳には届く。女王陛下は我が国がヴェルローにおもねることを知る。そうなれば深追いはなさるまい。

 一方確かにこれは禁じ手、我が国とレンリティスの戦となったとき、周辺諸国が義を理由にレンリティスと旗幟を同じくすることも考えられましょう――が、犠牲は少ない方がよろしいかと。周辺諸国には中立を保っていただきたい。

 ゆえに陛下におかれましては、レンリティスを襲撃したことは全て私の独断としていただき、周辺からの非難によっては私を廃太子なさいますよう。太子を切ったとなれば、風評も幾分かは和らぎましょう』


『兄上、無茶を』


 皇子が声を上げるのを、皇太子が手を振って黙らせる。


『案ずるな、太子位から廃されたとて、私はこの国のために尽力する。何にも勝るのはこの国の、民の安寧だ。

 ――しかしながら陛下におかれましては、私を廃太子なさったあとも、私の妃の身分を保証いただきたく――弟の側妃として遇していただければ、彼女の名にも傷は付きませんでしょう』


 そこまで言って、急に皇太子が身体を傾けた。

 隣に座る弟皇子の耳許に口を寄せて、何かを小さく囁く。


 おれの目にも見えないほどに小さな声だったが、それを聞いた皇子が絶句したことは見て取ることが出来た。


 銀髪の皇太子は何事もなかったかのように身を起こし、冷徹な瞳で場を見渡した。

 そして、淡々と言葉を続ける。


『さて私が襲う領地だが、パルドーラ閣下のご領地がよかろう。

 ――キルディアス閣下のご領地に比して、人口は少ない。キルディアス閣下のご領地には穀倉地帯があり、壊滅させては翌年以降のレンリティスの民が餓えることもあろうしな。パルドーラ閣下のご領地は運河で栄えたと聞いた――物流人流の要であれど、国が餓えることにはなるまい』


 そこまで恬淡とした口調で言った皇太子が、しかし初めて言葉に詰まった。

 臣下のうちの数名が腰を浮かせたのが分かった。


 皇太子は俯き、小さな掠れる声で呟く。


『――数十万人を犠牲に、この国の数千万人を安堵させる……私も楽な死に方は出来まい』


 顔を上げ、皇太子は言った。


 濃紫の目には、おれの知らない感情があった。


『使者が来る、と書簡にある。女王陛下の使者だ。いらした折には必ず私が遇す。

 ――我が国が進退窮まり採るべき手が限られること、聡明な大国の名君が予想だにしていなかったことなど有り得ぬ。

 女王陛下にはおもねるが、あちらにも――手足の先程度を捥ぎ取られる痛みは味わっていただく』



 ――おれは目蓋を上げて、脳裏のその記憶を打ち切る。



「……なんだか色々と、都合よく回ったな」


 呟いて、首を傾げる。


「――それにしても、ヴェルローの女王、ねえ。本当に、どんな人なんだろ」


 何しろおれに見えない、唯一の人間だ。


 女王が戦場に立つことを仄めかした、それだけを根拠に皇太子が自陣は勝てないと判断した程の人間だ。



 しばらく思い巡らせてみたが、さっぱり人物像は浮かんでこなかった。


 おれは首を捻り、それからはたと思い出して、慌てて踵を返した。



 ――しまった。



 突然のパルドーラ領の壊滅の経緯が知りたくて、数日間ムンドゥスと離れたままでいた。

 あの子がその気になれば容易くおれの隣に現れるから、それはいいとして。


 問題はおれが、カルディオスから貰った例の機械を彼女に預けたままにしてしまったことだ。


 ムンドゥスが無頓着にあれを放ってどこかへ消えてしまって、挙句にあれがどこかの誰かの手に渡っていたりはしないだろうな?




















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― 新着の感想 ―
[良い点] コリウスがなんだかんだ自分の妻を大事にしてるのが伝わってきて良いですね。現在でもあからさまでは無いけど所々でルドベキアにフォロー入れてくれてましたもんね。 [気になる点] パルドーラ領壊滅…
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