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輪番制で救世主を担当してきたのに、今回の俺は魔王らしい  作者: 陶花ゆうの
6 おまえはとっくに忘れたんだろうけど
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25◇ ――空が落ちる




2/2





 そうしておれたちは、十日余りを掛けてリーティに到着した。


 窓から見下ろすリーティは、これまでに見たどの都市よりも大きかった。

 丘陵地帯を覆って広がり、湖と森を抱え込んで横たわり、その中心にいっそう煌びやかな、複雑な形に広がる何かの敷地を包んでいる。

 カルディオスはその煌びやかな敷地を示して、「あれが、師匠のいる王宮だよ」と囁いてきた。



 時刻は昼前だった。


 都市の中心から外れた位置にある湖が、青空をくっきりと映して煌めいているのがよく見えた。

 湖が時おり漣を立てて、その度に映った空が白く光って揺れているのも、おれの目にはよく見えた。


「――空が落ちた」


 雲上船が、ちょうど湖の手前で旋回するように翼を翻したタイミングで、おれはぼそりと呟いた。


 カルディオスが横で笑った。

 そしておれに合わせるように、「空の双子だ」と小声で言う。


 訳もなく、おれはどきりとする。

 自分の正体を言い当てられたのではないかと思った。


 だがすぐにカルディオスは、「すげえよね」と、雲上船が旋回し、窓から消えていこうとする湖を覗こうとするように首を伸ばしながら、言った。


「あれさ、空を映してるわけだろ。でも空なんてどこに居たって見えるから、俺らってあっちの、湖に映った方を、どっちかっていうと見るだろ。本物より、それを映してる方を見たがるんだぜ。ここにしかないから」


 おれは瞬きして、「どうだろう」と呟く。


「空が見られない場所も、たぶん、ある」


 だからこそルドベキアは、おれに腕輪を持って来たのだ。










 雲上船は広大な発着所に静かに舞い降りた。


 おれが驚いたことに、この発着所には木で出来た足場が張り巡らされていて、乗降の度に梯子を掛けなくても良いように工夫されていた。

 雲上船の出口で搭乗許可証を乗組員に渡して、長旅に疲れた乗客たちは淡々とその足場を歩いた。


 足場の一部である梯子を下り、久方ぶりのしっかりとした堅い地面を喜ぶように、その場で膝を曲げ伸ばしする。

 おれにはその必要はなかったが、カルディオスも同じように、爪先立ってみたり膝を曲げたりを繰り返していた。


 カルディオスもおれも外套を着ていて、というのも、リーティの気温は随分低いのだとカルディオスが主張したためだったが、カルディオスに関しては更に外套の頭巾も被り込んでいた。


 甲高い音を立てて風が吹き、風に乗って茶色い木の葉が足許に転がってきた。

 おれは周囲を見渡したが、発着所に木は植わっていなかった。この葉っぱは長い距離を移動してここまで来たらしい。


 カルディオスは、「あー」と声を出す。


「マジでこっちはもう秋だね。ってかもう寒いね」


 おれは頷く。

 不意打ちの気温の低下に鼻を啜るカルディオスを眺めて、「そうか」と呟く。


 カルディオスは、「おまえ、寒さに強いの?」と笑ってから、不意に表情を硬くした。


 おれは驚いたが、ちょうどそのとき、少し離れた場所でこちらを見て、ひそひそと言葉を交わす三人連れを見付けた。男が二人と、女が一人だった。

 三人が三人ともこちらを、というよりもカルディオスをちらちらと見て、妙に浮ついた様子で何かを話している。


 カルディオスが、いっそう深く頭巾を被り込んだ。


 おれはカルディオスの安全を確保しようとしたものの、それよりも早くカルディオスがおれの手首を掴んだので、そちらに注意を移した。


「どうした?」


「馬車が来た」


 カルディオスはそう答えて、また鼻を啜った。

 鼻の頭が少し赤くなっていた。


 がらがらと車輪を鳴らして、確かに幌馬車がこちらに向かっている。


 おれが首を傾げると、カルディオスは俯きがちながらも小さく笑った。


「あれに乗るんだよ。おまえ、馬車に乗るのは初めてでしょ」


 おれは頷き、もう一度振り返って、先ほど見付けた三人連れを一瞥する。


 まあいいか、と思った。


 あれらがこちらに近付いて来たら、そのときはそのときで考えなければならないが、だがまあ今は、別にいいか、と。

 ここで騒ぎになってしまったら、おれが馬車に乗るのが遅れるかも知れない。


 おれは馬車に乗るのが初めてだったので、馬車に乗ることを、正確にはカルディオスが馬車の乗り心地について何か言及することを、俄かに楽しみにし始めたのだ。



 近付いてきた幌馬車は、四頭立てで大きく、側面からは幌が取り払われている仕様だった。

 乗客自らが、手を伸ばせば届くところに収納された舷梯を取り出して設置し、車内に乗り込むようになっていた。

 舷梯には鎖が括り付けられていて、その鎖で馬車の支柱と繋がれている。

 舷梯を設置する場所――即ち、車内への入口――以外には、低い欄干が設けられていて、ささくれた木の欄干は、昔は赤い塗料で塗られていたのだろうが、今となっては色が落ちていて、赤色は斑に残るのみとなっていた。

 車内の座席は、馬車内を巡るように設けられている長椅子状のもののほか、広々とした車内の真ん中に、小島のような座席も設けられていた。

 小島の外側が長椅子になっている格好で、馬車内の座席に腰掛ければ、必ず誰かと向かい合わせになるような具合だ。



 すぐ傍に停まった馬車に、雲上船の乗客たちが次々に乗り込んだ。

 雲上船の乗客から、馬車の乗客になったわけだ。


 御者は腰の曲がった老人で、馬車に乗客が乗り込むのを、淡々とただ待っている風情だった。


 おれとカルディオスは、馬車内を巡るように設けられた座席の、その後ろの方の端に腰掛けた。


 カルディオスは頭巾を深く被り、若干びくついている風情だったが、がたん、と揺れて馬車が動き始めると、おれは座っていられなくなって、思わず欄干の方に寄って行った。

 至近距離で、地面が後ろに流れるように動くのは新鮮だった。


 おれがふらふらと馬車から落っこちそうだと思ったのか、カルディオスが泡を喰った様子でおれの手首を掴む。


「おい、ふらふらするなって」


「地面が動いてる」


「こっち。動いてるのこっち。揺れるし、危ないから座ってろって」


 カルディオスが叱り付けるように、あるいは目立つことを恐れるようにそう言うので、おれはもう一度座席に腰掛けた。


 カルディオスもおれのことは放っておいて他人の顔をすれば、別におれが目立とうがどうしようが関係なかっただろうに、カルディオスはこういうところが不器用だった。


 一旦は座席に戻ったものの、おれはそれから二、三回は席を立ってふらふらと欄干の方に近付き、その度にカルディオスに引き戻された。

 最後の一回に関しては、カルディオスが真面目な表情と声音で、「もう一回でもふらふらしたら怒るぞ」と言ってきたので、おれもそれを最後にしたというものだった。


 周囲の乗客は、顰蹙の眼差しをおれに向けたり、あるいは微笑んだりしていたが、おれは一向にそちらに興味はなかった。


 馬車から降りるときには、御者台の腰の曲がった老人がおれの方を見て、「坊や、馬車は初めてだったかい」と尋ねてきた。

 おれはそれを無視し、カルディオスも当然ながら応じなかったが、カルディオスは馬車から降りてすぐ、「御者台からも気付かれるくらいにふらふらすんなよ」と目を怒らせた。



 雲上船の発着所は、都市の端にあった。


 発着所を囲む低い塀に開いた門扉を越えると、その先は幅広の、綺麗に石畳の敷かれた並木道だった。

 道の端には一定の間隔で行儀よく木が植わっていて、その木の葉が見事に黄色く染まっていたので、おれはそちらに走って行って、まじまじと木の葉を観察する。


 黄色く染まった木の葉を戴いて、まるで木々そのものが灯火になったようだった。


 足許には、数こそ少なかったがその黄色い葉が落ちている。

 踏まれて茶色くなっている葉もあった。


 同じく馬車から降りた連中は、木の葉に見蕩れるおれに怪訝そうな目を向け、あるいはカルディオスに好奇や憧憬の瞳を向けつつ、並木道を歩いていく。


 周囲から人間がいなくなった頃に、おれはカルディオスを振り返った。


「秋か」


「秋だな」


 頭巾を取りつつカルディオスは肯定し、微笑んだ。


「冬になったら葉が落ちる」


 おれは瞬間、もう既知のことではあったのに、この綺麗な葉が地面に落ちてしまうことを惜しんだが、カルディオスは素早く、「で、春になったらまた生えてくる」と、木の葉の無事を保証した。

 おれは、改めてカルディオスからそう請け合われてほっとして目を細め、鱗状に罅割れた木の幹を撫でる。


 そして改めて樹冠を見上げて、呟いた。


「秋には温かさもあるんだな」


 カルディオスは笑って――決して嘲笑や冷笑の類ではなく、純粋な正の感情の発露として笑って――、頷いた。


「分かる、分かるよ。明かりが点いたみたいだもんな」


 カルディオスはそう言って、しばらく目を細めて並木を眺めていた。

 それからおれを窺って、首を傾げる。


「――アンス、満足? そろそろ行こーぜ、リーティは広いから」


 おれは頷き、名残惜しみつつ木の葉から視線を逸らした。


「広いのか」


 そう呟いた途端に、この都市中のおれの耳目から、リーティの広大さに関する情報が突き付けられてきた。


 今までにない情報の密度で、おれは一体この都市にどれだけの数の世双珠があるのだ、と呆れ、憤る。

 それだけの回数に亘っておれに苦痛を強いてきた人間に、なおいっそうの冷淡な憎悪を募らせる。


 一方の、実際のおれの目の前では、おれの憎悪の数少ない例外となっているカルディオスが笑っていた。


「そう。すっげー広いの。ここからだとね、王宮まで馬車で行っても四時間くらい掛かる」


 おれは瞬きする。


 カルディオスはおれから目を逸らし、少しの間、何かを考えている様子で踵を上げ下げした。

 そしておれに目を戻し、にこっと笑う。


「まあ、取り敢えず、途中の十四番街くらいまで上がろう。乗合馬車捉まえなきゃ。で、昼メシでも食いながら、ちょっと説明するわ」




 そうして踏み出したリーティは確かに広く、複雑な構造で、人間が多かった。


 並木道から出て最初に遭遇した広場で、おれとカルディオスは乗合馬車を待ったが、ただじっと突っ立っていたわけではなかった。

 きらきらしていて目立つカルディオスに声を掛けようと近付いて来る人間が常にいたので、別におれはそういった人間を片端から潰していっても良かったわけだが、カルディオスはなぜか面倒にも、そういった人間から悉く逃げ出す道を選んでいたのだ。


 おれはそれが億劫で、最初のうちは気乗りしなかったものの、カルディオスにするっと逃げられた相手の、悔しそうな、あるいは空振って気まずそうな、あるいは()()になったような、もしくは敢えて強がり、気にしていないと肩を聳やかすような――そういう反応を見ているうちに面白くなってきた。


 カルディオスは敏感に、おれが面白がっていることを感じ取り、軽く怒った。


「おまえは面白いかも知れないけど、こっちには死活問題なんだ」


 カルディオスは声を低めて力説し、「いいか」と、まるで毒だと分かっているものを敢えて飲み下すかのような顔をして言う。


「ああやってふらっと近付いてきた奴が、そのまま俺をどっかに連れ込んで、べたべた触ってきたりしたら、俺はまた発狂する」


 怖気(おぞけ)を振るったように、全身に鳥肌を立てて顔色すらも失くしながらカルディオスがそう言うものだから、おれは思わずまじまじとカルディオスを見て、断言していた。


「ならないよ」


「は?」


 カルディオスは不機嫌に眉を寄せた。

 目尻が強張っている。


 分かりやすいよう、おれは言い直す。


「そういうことには、ならない」


 何しろそういうことをする前に、そうしようと思った人間はこの世から退場している。


 おれのそういう確信が伝わったのか、カルディオスは目を瞬いておれを見て、少しだけ頬を緩めた。


「アンスがそう言うと、」


 カルディオスは頬を掻いて、呟いた。


「なんか、大丈夫な気がするな」


 そうしているうちに、大きな、緑色に塗られた馬車が道を下ってやってきて、その車体の扉からぴょん、と飛び出してきた少女が、大声で叫んだ。


「――ウィンカームの乗合馬車でーっす! 十七番街、十六番街、十四番街、九番街、七番街まで行くよーっ、春から六番街は使えなくなったから、久し振りに来た人は気を付けてねーっ」


 げ、というような音をカルディオスが出して、おれは眉を寄せる。


「どうした?」


「使えなくなったって、〈洞〉か」


 カルディオスはきょどきょどと瞳を動かして、「この頃多いな、怖い」と零す。


 皮肉にも世界そのものから愛され、手厚く守られているおれは、「大丈夫だ」と請け合う。


「しばらくは、ないから」










 カルディオスが銀貨を支払い、おれたちは乗合馬車に乗り込んで、がたごとと都市を上っていった。


 カルディオスは最初のうちこそ、「リーティには何回も来たし、師匠のとこに居させてもらってたときはずっとこの辺うろうろしてた」と言って、張り切っておれに窓の外を示し、あそこの店ではこういったものを扱っていて、だのと話してくれたが、おれが一向にその話に興味を示さないのに気付いて、いつの間にか口を噤んでいた。


 おれは世双珠が溢れる町の様子を見るのも嫌で、窓から目を逸らして、ずっと自分の腕輪を眺めていた。

 あるいはカルディオスの顔を眺めたりもしていたので、カルディオスが、「おまえ、機嫌悪いの、機嫌いいの、どっちなの」と小声で問い詰めてきたくらいだった。

 おれは曖昧に肩を竦めた。



 馬車の前の方で、好き放題に乗客に向かって喋り散らす女の子が、馬車が停まる度に街区を宣言し、おれとカルディオスは十四番街と宣言されたところで下車した。



 カルディオスは苦痛そうに、「残念ながら」と顔を顰め、荷物を担ぎ直す。


「この辺には、気軽にさくっと食べられるよーなとこはないんだ。ただ、前も行った、そんなに人がいっぱい来ないとこがあるから、行ってみよう」


 カルディオスはそう言って、外套の頭巾を被って肩を窄め、こそこそと道を進み始めた。


 道行く人間が大抵、じろじろとカルディオスを見てきたので、おれはそれらの人間全部を叩き潰すことを諦めなくてはならなかった。

 労力が掛かることを厭うたわけではなく、単純に、大量に血が溢れるとすれば、この辺り一帯から完膚なきまでに足の踏み場が消失することが、容易く予想できたがゆえだった。




 カルディオスがおれを連れて行ったのは、瀟洒でこぢんまりした佇まいの店だった。

 壁は品のいいごつごつした石のタイルで出来ていて、窓の傍に小さな花壺がぶら下げてある。


 カルディオスは慎重に、重そうにその店の扉を開けた。

 ちりりん、と澄んだドアベルの音が聞こえた直後に、「どうぞ」と穏やかな声が掛かるのが聞こえる。


 カルディオスは慎重に店の中を見渡したあとに入店し、振り返っておれを手招いた。


 店の中は薄暗く、といっても別に嫌な感じはなくて、日陰めいた薄暗さがあって、天井からは乾された花束が間隔を開けて幾つかぶら下がっていた。

 テーブルが幾つか、広めの間隔を置いて設けられており、それぞれの上に、天井から小さな灯器がぶら下がっている。

 大きな窓が壁に開いていたが、方角の問題があって、今は日光を取り込むことが出来ていなかった。


 踏むと、艶やかな黒い木の床がぎしりと軋んだ。


 店主はといえば、入口からみて正面のカウンターの向こうで、のんびりと布でグラスなどを拭っており、カルディオスとおれを見て目を細めた。初老の男性だった。


「いらっしゃい、何が良いね、何でもお言い」


「なんでも、適当に、羊肉以外で」


 カルディオスがそう応じて、店内が無人であることにほっとした様子で、肩から荷物を下ろした。

 隅っこの方のテーブルに着いておれを手招きするので、おれもそちらに寄って行って、椅子に腰掛けた。


 カルディオスは外套を脱ぎつつ、きょろきょろと店内を見回す。

 おれもカルディオスに倣って外套を脱いで、そのあとになんとなく、癖のように左手首の腕輪を押さえて、無事を確認した。


 カウンターの向こうで、調理の音がする。


 カルディオスはそちらをちらっと見てから、おれの方に視線を戻すと真顔になった。

 そして、若干声を低める。


「――あのな、これから、師匠に会いに行くわけだけど」


「うん」


 おれは頷く。

 カルディオスはそわそわと身体を揺らす。


「おまえの人捜しを手伝ってもらえるようにお願いするわけだけどな、師匠はめちゃくちゃ偉い人なんだ。伯爵っていう――ええっと、国の中でも上から数えた方が早いくらいの、貴族の中でもすっげえ偉い部類の人、なんだ」


 おれは首を傾げる。

 身分制度についてはおれの興味の埒外だったので、おれは甚だ無知だった。


「偉い?」


「そう」


 カルディオスは頷いて、両手の指先をテーブルの上でそれぞれ合わせ、そのうちの人差し指だけを互いにくるっと回した。


「だからな、ちょっと言い難いんだけど……」


 視線を泳がせてから、カルディオスは顔を顰め、呟いた。


「その、正直、いきなり師匠のとこにおまえを連れて行くのは無理だ。たぶん会わせてもらえないし、師匠もいい顔はなさらない」


 おれは首を傾げ、それから頷く。


「そうか」


 おれには、()()()()()()()()()()()()()()()()()


 カルディオスは、おれが怒ったり臍を曲げたりすることを恐れるような顔で、早口で、言葉を並べるみたいにして、言った。


「だから、今日は俺が一人で師匠に会いに行って、おまえのこと話して、連れてっていいか訊くよ。で、師匠のご都合を教えてもらって、そのときにおまえも一緒に師匠に会いに行こう。で、人捜しを頼もう」


 思い出したように、付け加える。


「今日、師匠にお願いして、俺が造ったすごいのを返してもらって、見せてやるからさ」


 おれは瞬きして、頷いた。


 特に不自由や不都合はないように思われた。

 カルディオスの師匠とやらがどれだけ素早くルドベキアを捜し出せるのかは分からないが、まあ、おれが一人で捜すよりは早いだろう。


 何しろおれの耳目は、今現在のことを探る分には、人間以外のものを正確には映さない。

 これでは人捜しには使えない。


 カルディオスはもしかしたら、おれが「今すぐ連れて行け」と言い張るとでも思っていたのかも知れない。

 素直におれが頷いたことに、驚いたような拍子抜けしたような、そんな色を浮かべてから、ほっとしたように微笑んだ。


 そして、整理するように、歌うように呟く。


「――おまえの捜してる奴は、ええっと、男で」


「そう」


「目が青くて、変な魔法を使う」


「うん」


 ルドベキアの目の色を思い出して、おれは微笑した。



 ルドベキアは、おれが心から残念に思うことに、ルシアナが持つ多くの美点を受け継がなかった。


 だが一方、ルシアナにはない美点も二つ持っていて、一つめが、言葉を探すように慎重に話す、あの朴訥な癖。

 とはいえおれは、ルシアナの跳ねるように話す口調も十分以上に好きだから、これはもう両者共に美点だというだけの話だ。


 そして二つめが、あの目の色だった。

 冴えた綺麗な青い色。灯火の傍では青空の色だ。



「灯火の傍だと、これそっくり」


 おれが腕輪の宝石を示すと、カルディオスは笑窪を浮かべた。


「空色だ」


「そう。暗いところでは、そうでもないんだけど」


 そっか、と言ってから、カルディオスは探るようにおれを見た。


「……その、おまえが捜してる奴ってさ、おまえより年上? 年下?」


「年下」


 おれは即答した。


 何しろ、おれはルドベキアがまだルシアナのお腹にいたときから知っているのだ。

 というかこの世の大抵のものはおれより新しい。


 カルディオスはそれを聞いて頷き、「――ってことは、違うな」と、ぼそっと呟いた。

 おれは首を傾げる。


「カルディオス?」


 尋ねるように名前を呼ぶと、カルディオスは決まり悪そうに笑った。


「ああ、いや」


 蟀谷を掻く。


「こないだおまえ、そいつの真似だって魔法使っただろ? あれ多分――いや、違うだろうけど、ハルティの大魔術師の、噂になった魔法じゃないかと思って。世界初の、なんだっけ、時間に干渉する魔法」


 おれは首を傾げる。


 ルドベキアの魔法は確かに時間に干渉するが、ルドベキアは果たして大魔術師だろうか。


 カルディオスの口調から受ける印象とルドベキアの印象が余りにも違って、おれはすっかり、なるほどルドベキアの魔法を真似した人間が他にもいるのだな、と思ってしまった。


「けど、ハルティの大魔術師って、俺は知らないけど、でもあんな――噂通りなら、だけど――大それた魔法を作っちゃうような人だろ。おまえより年下ってことはないと思うんだよ。だから、違うなって」


 おれは瞬きし、口を開いたが、すぐにその口を噤んだ。

 おれが見た目に比べて古いものだと知られてしまえば、そのままおれの正体が露見しかねない。


 ただおれは、念のために小さく尋ねた。


「その、大魔術師っていうのは、どこにいる?」


 カルディオスは少し首を傾げ、それから親指で一方向を示した。

 妙に様になる仕草だった。


「もう諸島に帰ったんじゃない? 確かこの国に招待されてて、師匠がそれですっげぇ落ち込んで――あ、落ち込んだってのは大魔術師を招待するのに成功したのが、師匠の天敵みたいな人だったからなんだけど――、確か一年が期限だとか言ってた気が――いや、待てよ、確か滞在が長引いたとか、前に会ったときに師匠が仰ってた気もするな……」


 口許に手を当てて、カルディオスはぶつぶつと。


「ってことはまだ王宮にいるのか……?」


 おれは瞬きした。


 恐らくおれは、王宮に溢れているだろう世双珠を通して、そこにルドベキアの姿があるかどうか、簡単に確かめることが出来ただろう。



 だが、それが出来なかった。



 ――意識すらしていなかった厭な予感、怖れが、おれのその行為を止めていた。


 ルドベキアは、外が好きではない。

 この世界が好きではない。

 この世界の素晴らしさを知らない。


 だからこそ、おれに『外に出るな』と言ったのだ。


 そうでなければならない。

 今もきっと、おれのよく知る、あの硬い表情でどこかにいるはずなのだ。



 ――だが、そう確信している反面で、おれは怯えているし恐れている。

 ルドベキアが万が一、この世界の素晴らしさを知ったうえで、それなおおれをあの穴ぐらに閉じ込めようとしていたこと――その可能性を恐れている。


 そんなむごいことを現実だと突き付けられることに怯えている。


 ルドベキアがどこかの時点で世界の美しさを知ったなら、その時点でおれをあの穴ぐらから出してくれなくてはおかしいのだ。



 ちょうどそのとき、店主がカウンターを回り込み、湯気を立てる皿を二つ、おれたちの前に置いた。


 そしておれとカルディオスを見て、微笑ましそうに目尻に皺を寄せて、言った。


「仲がいいねえ」


 おれは頷けないが、カルディオスが頷いた。


 店主が離れて行ってから、カルディオスは食事に取り掛かるために匙を掴み、むう、と顔を顰める。


 忙しない表情の変化にルシアナを思い出しつつ、おれは首を傾げた。


「――カルディオス?」


「なあ、おまえさあ」


 カルディオスはそう言って、深皿からスープを掬って一口飲み下し、それから言った。


「俺が師匠に会いに行ってる間、おまえ、どこにいるのがいい?」






 どこにいるのがいい、と訊かれても、おれに考えがあるはずもなかった。


 ぼけっとするばかりのおれに、カルディオスは心配そうな翡翠色の目を向けて、


「変なとこにいたら攫われるぞ」


 などと言う。


 おれが、そんなことは絶対に有り得ないと言っても信じてくれず、果ては、「こっちに戻って来ておまえがいなかったら、俺はどうしたらいいんだよ」などと不貞腐れ始めた。


 その言い方が、おれは余り好きではなかった。

 そんな言い方をされたらまるで、おれがカルディオスに対する何某かの縛りであるような、あるいはおれがカルディオスに何かの強制力を持っているかのような、そんな印象を受けてしまう。


 おれは相手が何であれ、カルディオスに対する縛りとなるもの、カルディオスに何かの権利を持っていることを嫌っていた。


 そんなわけでおれも不機嫌になったが、カルディオスも負けじと顔を顰めたので、続いて炙り焼きにした薄い肉を並べた皿を二つ持ってきた店主は目を見開いて、


「喧嘩かい?」


 と尋ねてきた。

 カルディオスもおれもそれを無視した。


 店主が目の前から去ってから、カルディオスはおれに向かって、


「リーティはとにかく広いんだ。落ち合う場所決めとかないと、永久に会えないぞ」


 などと脅しつけてくる。

 おれはむっとして、


「前も言ったと思うけど、」


 と、カルディオスの記憶の曖昧さを攻撃する。


「おれは、おまえの居る場所なら、大体分かる」


 はっきりとそう申し渡したのに、カルディオスはいよいよ不機嫌そうに眉間に皺を刻んだ。


「なんだそれ」


「前も言った」


 おれも臍を曲げた。


 カルディオスはなおもおれを睨んできたが、不意にすっと表情を不安そうにすると、首を傾げた。


「――おまえ、何だかんだ言って、どっか行く当てあるの?」


 意味が分からずおれが眉を寄せると、カルディオスは若干居心地悪そうにそわそわした。

 急に、ばつが悪そうでさえある態度になった。


「いや、もしかしておまえ、人捜し云々ってのは言い訳で、実はリーティに来たら目的達成なのかと。そしたら別に、俺にもう用はないわけでしょ」


 おれはきょとんとしてしまった。


 ――用がないも何も、ルドベキアを見付けたときには、おれはカルディオスからルドベキアに、この世界が如何に素敵かということを説明してもらいたいのだ。


 その顔を見て、カルディオスは何だかほっとしたようにも見える。


「なんだ、まだ俺に用あるんじゃん。

 じゃあなんで合流場所決めとくの嫌がるのさ。俺が困るでしょ」


 そう言われて、おれも機嫌を直した。

 カルディオスが困るなら仕方がない。



 ――そういったわけでカルディオスは昼食後、おれを一時的に置いておく場所を思案し始めた。


 おれは、この店の前で待っていると言ったのだが、カルディオスがそれに難色を示したのだ。


「だから、そういうのは、攫われちゃうんだって」


 おれが真に受けないのに腹を立てたのか、カルディオスは口早に、


「ほんとにそういうことあるんだよ。俺の横の部屋の奴もそうだったって、まだ正気の頃に言ってたし。俺の場合は親に売られたんだけど、――いや、別にそれは今の話じゃないけど」


 などと捲し立て、「どこがいいかな」と顎に手を宛がう。

 おれはふと思い付いて、


「暗いところは嫌だ。あと狭いところは」


 と言ってみる。

 カルディオスは本気で訝しそうにした。


「なんでそんなとこにおまえを入れるんだよ。金庫じゃねえんだぞ」


 その言い様が嬉しくて、おれは微笑んだ。


 カルディオスは雑踏の中を歩きつつ、


「それなりに人目があって安全で、俺も合流しやすい場所……」


 と呟き、「師匠のお友達のところは駄目かな、駄目だろうな」などと独り言ちる。


 それからしばらくぶつぶつ言っていたが、はたと目を上げ、指を鳴らした。


「そうだ、教会だ」


 おれは首を傾げる。

 気になったので、尋ねた。


「そこ、明るい?」


「そりゃもう」


 カルディオスは真顔だった。


「神さまの恵みが一番に注がれてるとこらしいよ。リーティには幾つか教会があるけど、すっげぇ綺麗な薔薇窓があるとこに案内してやる」










 そうしておれとカルディオスはもう一度乗合馬車に乗って、カルディオス曰くの七番街まで進んだ。


 そこまで進む頃には、既に日は傾き掛けていた。

 なるほどリーティは広いのだ、と、おれは長く伸びた影を見ながら納得する。


 そしておれは、世双珠から押し寄せる情報の洪水にいよいよ耐えかねて、一旦それを受け取ることを打ち切った。

 何しろこの町は、灯火ひとつとっても世双珠を使っており、そしてそれが大量にある。

 まるで、夜の侵入を阻む要塞のようだった。



 馬車を降りると、カルディオスは確信ありげにどんどん足を進め、馬車を下りた当初に目に付いた、店の並びを抜けていった。


 そして住居が並ぶ区画に入り、しばらく歩いたところで、高い尖塔を備えた灰色の石造りの教会が見えてきた。


 教会の扉の上に、カルディオスが言ったように、確かに見事な、巨大な薔薇窓が設けられている。

 今は沈む西日を弾いて、燦然と光を振り撒いている。


 近付けば教会の扉は大きく、教会自体も勿論大きく、振り仰げば屋根の上に昇って、尖塔近くに座っていられそうだった。


 おれがそう呟くと、カルディオスは笑って、「危ねえよ」などと言う。



 教会の扉は開け放たれており、微かに何かの音が漏れ聞こえてきていた。

 その音に気を惹かれて、おれは若干爪先立つ。


 カルディオスは幅広の階段を身軽に上がっておれを手招き、用心深く中を覗いてから、教会の中に足を進めた。



 ――おれは、教会というものにも一度入ったことがある。

 カルディオスと出会ったばかりの頃だ。


 そのときは特段何も感じなかったものだが、今回訪れた教会は様子が違った。


 そもそも大きさからして違えば、天井の高さもまるで違い、そして天井近くにずらりと並んだ色付き硝子の窓から、外の明るさが透けている。


 薔薇窓から差し込む光が、赤や黄色や緑に染まって、前方の壁まで橋を架けるように伸びていた。


 教会の身廊にずらりと並べられた石造りの長椅子の、その最後列にカルディオスは静かに滑り込んで座り、おれを手招いて隣に座らせた。


 おれは教会前方から目が離せなかったが、招かれるままに座り込んだ。

 そして、尋ねた。


「――これ、なに」


 声は自然と低まった。


 カルディオスは微笑して、おれに輪を掛けて小さな声で、「聖歌だよ」と答える。



 ――教会前方で、こちらを向く形で、ずらりと人間が並んでいる。

 三列程度に並んでいて、その前で棒を振る老人を注視しながら、旋律のある言葉を吐き出している。


 その更に後ろで、何か音色を奏でているものがある様子だった。


 旋律に合わせて、三十人はいるだろう人間たちが、一斉に声を出して言葉を揃えている。

 音の高さが微妙に違うものが混ざって、それで一つの旋律になっていた。


 見ればまだ幼い顔が多い集団だ。

 最前列の子供の頬が上気しているのが見える。


 言葉は上手く聞き取れなかった。

 何しろ旋律に載っているうえ、多数の声が重なり合い、更にそれが教会の壁や天井で反響しているのだ。


 だが、だからこそおれはうっとりしてしまった。


 これはいい。

 とてもいい。


 言葉を旋律に載せることを最初に提案した人間については、世双珠を使っていることを許してやってもいい。


 敬虔な、真摯な、緊張と誇らしさが合わさった声は大いにおれの気に入るところだった。


 その声が真っ直ぐに伸び、あるいは跳ねて、高くなり低くなり、時折震える旋律は、おれが獲得した情緒を直截的に擽って撫でる。



 身廊に並べられた長椅子の、その半ば程度が埋まっていた。

 全員が一心に耳を傾けて、人間が吐き出す旋律を聞き取っているのが分かる。



 おれがすっかり聖歌に聞き惚れ、うっとりしていることが伝わったのか、カルディオスはしばらく黙っていた。


 そして、ちょうど聖歌の声が途切れたタイミングで、そっとおれに囁いてくる。


「――俺が師匠のところに行って戻って来るまでの間、ここにいて」


 おれは頷いたものの、正直気もそぞろだった。

 先程まで歌っていた人間たちがその場から動かないのを見て取って、不安に思ってカルディオスに尋ねる。


「なあ、まだ続く?」


「それはさすがに、いつまで続くかは分かんないけどさ」


 カルディオスはそう言って笑う。


 咳払いの音が聞こえてくる。

 棒を振っていた老人が、子供たちを労っている。

 笑い声がさざめく。


 おれがすっかりそちらに目を奪われているので、カルディオスがおれの袖を引いてきた。


「アンス、おい、聞けってば」


 ちょうどそのとき、「あの」と声が掛けられて、カルディオスが飛び上がった。


 おれも少し驚いたが、長椅子の傍、おれの隣にすすっと寄ってきて膝を突いた、修道服姿の女はそれ以上に驚いた様子で、軽く目を見開いていた。


 まだ若い女だった。

 修道服の頭巾の下の目でおれをじっと見て、カルディオスを見て、警戒心を剥き出しにするカルディオスに苦笑する。


 そしておれに視線を定めたので、カルディオスは不安そうにした。


 おれは無表情で女を見返した。


 女は小声で、それこそそよ風のような声で、ひそひそと囁く。


「――あの、よろしいでしょうか。

 ちょうど半時間ほど前ですが、あなた様を――あなた様と思しき方を訪ねてこられた方がいらっしゃいまして、お報せするべきかと」


 正直、尋ね人の直後に、尋ねられた方そっくりの方がいらっしゃって驚いています――、などと、女は冗談めかして呟く。


 おれは眉を寄せた。

 そして、首を傾げる。


「……黒髪の?」


 ルドベキアだろうか。

 いやでも、どうしておれの先回りが出来たんだ?


 おれの問いに、女はふるふると首を振る。


「いえいえ、複数の方でいらっしゃいましたが、黒髪の方はいらっしゃいませんでしたよ。

 皆さま緑色の服をお召しで、御年輩の方が多くて、迷子を捜していると仰せで」


「――――」


 カルディオスが、「知り合い?」と後ろから尋ねてきた。


 おれは動けなかった。


 修道服の女はおれを見て、首を傾げる。

 仕草が丁寧だった。


「ちょうど、あなた様そっくりの外見の特徴を述べられまして。――白い髪、金色の目、御年は十六か十七」


 おれは凍り付いている。


「それはそれは大切な御子で必死に捜しているのだと仰せでしたが――」


 女はそこで言葉を切り、おれとカルディオスを見比べ、眉を寄せた。


「お友達でいらっしゃいますよね。仲もよろしいようで。

 ――差し出がましいようですが」


 女は曖昧に微笑む。


「どうにもご様子のおかしい方々でしたし、あなた様の方でご存知ないならば、同じような尋ね人の依頼があっても撥ね付けるよう、リーティの他の教会に申し伝えますが」


 如何なさいますか、と、女は、自身も判断がつきかねている様子でおれに尋ねる。


 カルディオスが、「知り合いか?」と、もう一度尋ねてきた。



 おれは動けなかった。



 ――年配で、おれを捜している連中。

 おれの外見を知っているのはそれこそ、ルシアナたち番人の他は、サイジュに来る連中だけだった。



 あの連中がおれを捜している?

 サイジュを諦めていない?



 おれは表情の作り方を忘れ、言葉の作り方を忘れ、身体の動かし方を忘れる。



 ただ淡々と女の瞳を見詰め返すだけのおれに、女も徐々に不安そうな顔になる。


「――あの?」


 困ったように語尾を上げる女の声に、おれは反応できない。


 そのうちにカルディオスがおれの顔を覗き込んで、「大丈夫か」と眉を寄せた。


「おまえ、最初に会ったときみたいになってるけど」


 カルディオスの顔が視界に入って、おれはようやく声の出し方を思い出した。


「……知り合いじゃない。知らない。見付けられたくない」


 絞り出すようにそう言うと、カルディオスは目を見開く。

 そして顔を女の方に向け、「あんまり良くない連中みたいですね」と、警戒ぎみに言った。


 女の方も目を瞠っていて、「然様ですね」と。


「大丈夫、大丈夫ですよ。我々エイオスの教会は、何よりもまず羊の子の味方ですから」


 そう言って、女は腰を上げた。


「あなた様に関するご照会には応じないよう、申し伝えて参りますね」


 奇跡のような間合いであなた方にお会い出来ましたのもエイオスのお導き、であるとか何とか言って、女が踵を返そうとする。


 そこに、「あの」とカルディオスが声を掛けた。


「はい?」


 振り返った女に、カルディオスは前方を示して、小声で。


「あの、歌、あとどのくらい続きますか」


 ああ、と、女は表情を緩め、答えた。


「まだ始まったばかりです。この子たちはあと半時間、そのあとに別の子たちが半時間、更にその後にも半時間」


 そう応じて、女が会釈を残して立ち去って行く。


 カルディオスは心配そうにおれの顔を覗き込み、おれの肩を揺すった。


「おい、おい、大丈夫か。歌、おまえが気に入ったこれ、あと一時間と半分続くってさ。良かったな」



 おれは瞬きする。


 意識して息を吸い込む。

 額の辺りが熱い。


 胸の中に唐突に、粘ついた何かを注ぎ込まれたような気分だった。



 また、歌が始まった。

 先程よりもゆったりとした旋律で、音も低い。


 耳の奥を撫でるように音色が続いていく。



 カルディオスはなおも心配そうにおれを見ている。



 ――大丈夫だ、と、おれは必死になって自分に言い聞かせた。


 大丈夫、サイジュをするあの連中が目の前に現れたわけではない。

 あの連中はここにはいない。

 誰もおれに手を触れない。


 大丈夫、大丈夫だ。


 おれは無意識のうちに、左手首の腕輪をずっと触っている。


 これは、ルドベキアの目と同じ色。

 これがあれば、おれとルドベキアは一緒。


 大丈夫、大丈夫。



 最後の一音を豊かに伸ばして、二つめの曲が終わった。


 ちょうどそのとき、カルディオスがおれの右腕をぎゅっと掴んで、言った。


「大丈夫か? 俺、一緒にいようか?」


 おれは首を振る。

 全く無意識の仕草だったが、それが正解であるように思われた。


 用は早く片付けた方がいいのではないか。


「大丈夫」


 おれは答える。

 第一、カルディオスがいても、助けにはならないだろう――サイジュが行われると決まってしまえば。


 そう考えるとむしろ、カルディオスが一緒にいると(まず)い。

 一度は見逃してもらえたおれの有用性について、いよいよ詳しく知られてしまう。


「大丈夫。何もない。――おまえが造った何か、見せてくれるんじゃないの」


 おれがそう言うと、カルディオスは瞬きして、ふっと笑った。

 そして、用心深く言った。


「ここにいるんだぞ。さっきの人なら事情も分かる、ってか、おまえが見付かりたくないって思ってるのも知ってるから、ちょっとは庇ってくれるだろうし。――おまえ、追っ掛けられてたのか? 言ってくれればいいのに、なんだよ。

 まあとにかく、ここにいるんだぞ。俺も師匠に会ったあと、ここに戻って来るから、おまえがふらふら外に出たりしたらもう会えないぞ」


「それは――なんだっけ、そう、大袈裟だ」


 と、おれは、カルディオスと一緒にいて覚えた語彙で反駁する。

 大体おれは待つのが嫌いなのだ。


「捜し回れば見付かるだろう」


 その台詞はそのまま、自分への恐怖となって戻ってくるわけだが、一方でカルディオスとの永訣は有り得ないという保証でもある。


 だが、カルディオスは呆れた顔を見せた。


「捜し回れば、って。リーティは広いんだって」


「だから、ずっと歩いていればいつかはぶつかるだろう」


 おれはルドベキアのことだって、そうして捜すつもりなのだ。


 おれが真顔でそう言うと、カルディオスはおれが冗談を言ったと思ったのか噴き出した。


 次の歌を待っている最中とはいえ、カルディオスは声を抑えたものの、きっとカルディオスの笑い声なら嫌がる人間はいなかったと思う。


「なに言ってんの、どんだけ確率の低い話してんだよ」



 大体さ、と、カルディオスは笑いながら言う。



 おれが初めて聞くその言葉を口に出す。



「そんなことしてたら寿()()()()()()()



 ――その言葉の意味を、否応なくおれの耳が捉えた。


 その意味がおれの耳を、頭を、胸を抉る。



 おれの周囲から音が消えた。



 少なくとも、おれはそう感じた。




「……――え?」

















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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です! カルディオスとの長い旅も終わりに近づいてきている感じがしますなあ...... そしてここまでのお話でヘリアンサスがルドベキアとカルディオスになんで他の面々より執着していた…
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