01◆ 里帰り強行
突然だが聞いてくれ。
里帰りが死ぬほど嫌だ。
だってその故郷、俺にとっては暗殺を掻い潜り続けた記憶しかない場所だし。
最後は家出ならぬ島出をした場所だし。
つい昨日、凶悪な兵器を送り付けてきた連中がいる所だし。
――これで里帰りしたいとか言うようなら、俺って変態だな?
とはいえ俺は里帰りをせざるを得ない。
こいつがそれを強行するがゆえに。
「――だってあの兵器、動かすことが出来るただ一人が、今あっちにいないじゃない。でもあの兵器はあの島にずっとあったんでしょ? 誰が差し向けてきたのか気にならない?」
と、俺の視線の先でそんなことを言うのはトゥイーディア――俺の里帰りを強行しようとしている奴だ。
蜂蜜色の長い髪を、白い絹のリボンで左耳の下で緩く纏め、生真面目な額を見せているせいで表情は生き生きとよく分かる。
飴色の瞳は悪びれなく俺とコリウスを交互に見て、反論があるなら聞いてやろうと言わんばかりに強気な色を浮かべている。
本日は深い橙色のドレスを着て、左の小指に黝く光るのは救世主専用の変幻自在の武器。
「昨日の晩餐でためしに言ってみたら、テルセ侯爵からどうぞ行ってらっしゃいって言ってもらえたし――」
「相当ごり押ししていただろう」
苦々しくそう口を挟むのはコリウス。
トゥイーディアの隣の椅子に座り込み、頭を抱えて絶望の表情。
癖のない銀色の髪を後頭部で一つに束ね、切れ長の濃紫の目をしたこいつ、いつもならどことなく高貴な雰囲気があるんだが、今は単に疲れて見える。気持ちは分かる。
俺も思わず、コリウスの隣の席に座り込んだ。処は大広間、長テーブルに長椅子が幾つも並ぶいつもの食事時の光景だが、トゥイーディアに気を遣ってみんなが俺たちの周りを遠巻きにして食事をしている。
まあ何せ、天下の救世主様だからな。
全く悪びれずにけろっとしているトゥイーディア――転生を繰り返し続けた俺たちの、今回期せずして(主に俺の運が悪かったがゆえに)手に入った、やっとのことで自由に生きていけるはずの一生を、堂々とふいにしようとしているこいつ。
罵詈雑言を並べてやってもいいのだが、俺にはそれを出来ない理由がある。
転生を繰り返し続け、輪番制で救世主を担当し続けているこの何百年もの間、俺はずっとトゥイーディアに片想いをしているのである。
なんで片想いのままなのか、一回たりとも当たって砕けなかったのはなぜなのか、その理由も単純明快、俺には「代償」があるからだ。
〈最も大切な人に想いを伝えることが出来ない〉というドンピシャすぎる代償のせいで、俺はこの好意を、言葉でも、仕草でも、行動でも、そして他人を通じてさえも、トゥイーディアに伝えることが出来ない。
お蔭で俺は宿命のお独り様、そしてトゥイーディアの前では不自然に無言になり無表情になるために、片想いの相手と何百年もの間犬猿の仲。泣けてくる。
今回のことだって、こいつがどうしても行くのだと言えば、俺は賛成するしかないのだ。
まあ、その賛成の意思表示でさえ、なんだかんだと他の理由を見付けなければ、俺は声に出すことすら出来ないんだけど。
――そんなことを考える俺の目に、血相変えて走って来るディセントラが見えた。
緩く波打つ赤金色の長い髪を翻し、淡紅色の目をしかとトゥイーディアに据え、こちらに向かって来る美貌の少女。若干、額に青筋が浮いているように見える。
「あ、おはよう」
見るからに不穏な様子のディセントラに、トゥイーディアは呑気に手を振った。
今の――正当な救世主である今のトゥイーディアは、確実にディセントラよりも強い。だから怯える必要はないっちゃないんだが、――さすがというべきか肝が据わってるな?
「おはよう、じゃないでしょ!」
案の定、トゥイーディアの目の前まで来たディセントラは、抑えた声ながらも怒鳴った。
それに首を竦めてみせながらも、トゥイーディアはすっとぼけた様子で言葉を続ける。
「それにしても、コリウスもルドベキアもディセントラも、すごいね。よく私が食堂にいるって分かったね」
「みんな口々に教えてくれましたとも!」
叩き付けるようにそう答えたディセントラは、その場でしゃがみ込んで、長椅子に腰掛けるトゥイーディアと目を合わせた。
表情は一転して嘆願。
「イーディ、ねえ、嘘でしょ? なんか、私たちが全員まとめて救世主だとか、そういう噂が駆け巡ってるみたいなんだけど、まさかそこまで相談もなしに大発表しちゃったりしてないわよね? 私、嫌だって言ったわよね? あと、なんかさっき食堂の入り口で、魔界への任務頑張ってくださいって言われたんだけど、なに? なんで? イーディあなた、まさか自分から救世主ですって名乗り上げたの?」
「そんな滔々と流れるように捲し立てられると、どこから返事したらいいか分からないんだけど」
ぱちくりと飴色の瞳を瞬かせてから、トゥイーディアはにこっとした。
「ごめんね、昨日の晩餐会で、思わず場の勢いで名乗っちゃったの。みんなのことも一纏めにしておいたわ」
ディセントラが無言で天を仰ぐ。
そこに、コリウスの呻くような声が被った。
「何の聞き間違いかと思った――夢かと思ったよ――」
俺はコリウスの肩をぽんぽんと叩く。
こいつ、今は辺境伯の息子だから昨日の晩餐会とやらにも出席してたんだよな。
耳を疑って硬直する顔が目に浮かぶ。
「まあ、黙れとは言えなかったんだろうなあ……」
俺の言葉に頷くコリウス。
とはいえこいつの顔を見れば、どんだけ「黙れ」と念じていたのかは分かろうというもの。
「……嘘でしょ……今回こそは誰も死なずに歳をとっていけると思ってたのに……」
今にも床に手を突きそうな様子でディセントラが呟いた。
こいつの頭の中では魔界と俺たちの死は等号で結ばれているんだろうか。
俺、一応魔界から生きて脱出してここにいるんだけど。――何しろ出身地が魔界だから。
アナベル並みの悲観論者っぷりに俺は思わず状況を忘れて呆れたのだが、トゥイーディアは違ったようだった。
思わずというように立ち上がったトゥイーディアが、そのまま床に膝を突いてディセントラを抱き締めた。
橙色のドレスの裾がふわりと床に広がる。
そして、トゥイーディアは決然と囁いた。
「大丈夫、きみより先に死ぬ人はいないから」
ディセントラに先頭切って危ないところを担わせるつもりか、と俺は突っ込みかけたが、ディセントラは悲劇的な表情を見事に改め、愕然とした様子でトゥイーディアに抱き締められるがままになっていた。
俺と同じことを思って、まさかトゥイーディアがそんなことを言い出すとは思っておらずびっくりしたのかも知れない。
「――それに」
明るい調子で言葉を続けて、トゥイーディアはぱっとディセントラを離して椅子に戻り、俺を見た。
「ルドベキアもいるしね」
「てめぇ俺に盾になれってか」
――できればもうちょっと親しみやすく、冗談であることが伝わりやすい口調で喋りたかった。
俺の口調は代償のせいで、相当にドスが利いていた。
「喧嘩しない喧嘩しない」
トゥイーディアの台詞のショックから抜け出たらしいディセントラが、いつもよりは幾分弱々しい口調で言って、トゥイーディアの隣、コリウスの反対側に腰掛けた。
「一番盾役に向いてるのはあんたでしょ、ルドベキア」
俺はそっぽを向いたが、これ以上なく仰る通りです、ディセントラ。
いつもは輪番制で救世主を担当し、正当な救世主であるときの他は謂わば「準救世主」として、それなりに特異な力を発揮することが許されている俺たちだが、今回、なぜか俺は準救世主であると同時に魔王。
世界の定める法を超え、絶対法すらも超えることが出来る立場だが、魔王はその権能が守ることに限られる。
対して救世主――今回はトゥイーディアが正当な救世主なわけだが――は、破壊において法を超える。
つまり今回において、俺たち六人の中で一番特攻向きなのがトゥイーディアで、俺は一番盾に向いているということだ。
俺とコリウス、そしてディセントラの三人が、それぞれの考えている内容のせいか一斉に溜息を吐いた。
重く響く三重奏の溜息の只中、空気を読めない役割に徹することにしたらしいトゥイーディアが、次なる人物を見付けて嬉しそうに手を振った。
「あ、アナベル! おはよう」
俺は顔を上げた。
トゥイーディア以外の全員と揃いの、ここガルシアの制服である黒い軍服をきっちり着こなした薄青い髪の少女が、足早にこちらに向かって来ていた。
癖のない髪は肩の上で短く切り揃えられ、歩みに合わせて揺れる。
切り揃えられた額髪の下、薄紫の大きな目がこちらを見ていたが、表情は無いに等しく感情は推し量れない。
こいつは無表情が基本だから、何を考えているのかなんて、長い付き合いの俺たちでも分からない。
この表情のまま、アナベルがトゥイーディアをビンタしたとしても俺は驚かない。
コリウスとディセントラも、各々疲れたように顔を上げた。
まだ朝なのに、二人とも徹夜明けみたいな顔になっている。気持ちは分かる。
「――おはよう」
俺たちの傍まで来て、当然のようにディセントラの隣に座りながら、アナベルは常と変わらぬ口調でそう言った。
そして首を傾げ、ディセントラ越しにトゥイーディアを見る。
「起きたら部屋の前に待機列が出来ててびっくりしたんだけど。みんな早起きね。
――トゥイーディア、昨日の晩餐であたしたちのこと喋ったのね?」
「うん」
アナベルの冷静な口調に、逆に警戒するような顔になるトゥイーディア。
「――さっきからそのことで、みんなに散々言われてるんだけど……」
みんな、と示されたのは俺たち三人。
当然だろうが、という顔をする俺たちを一瞥して、アナベルは瞬きした。
「そう? 説明としては簡単で良かったんじゃない? 相談が無かったのにはびっくりしたけれど」
「相談しなかったことは反省します」
真面目な口調でそう言って、トゥイーディアは相好を崩した。
「やっと冷静に話してくれる人が来て嬉しいわ、アナベル」
「いや、アナベル。知っているのか?」
すかさずコリウスが口を挟んだ。
「僕たち六人に――魔界に行く命令が出てるんだぞ」
「ああ、聞いたわ。頑張ってねって言われたわよ。今まで話したこともない相手から馴れ馴れしく」
さらりと答え、アナベルは俺たちに衝撃を与えた。
マジか。マジか、アナベル。知っててこの冷静な態度か。
そんな俺たちを見て、アナベルは逆に怪訝そうに眉を寄せた。
「――どうしてそんな顔してるの? 今回は別に魔王を殺しに行くわけじゃないでしょう?」
思わず額を押さえる俺たち三人。
期せずして、異口同音ならぬ異体同動。
「まず問題点その一だ、アナベル」
と、これは俺。
「この馬鹿、俺たちがやっと自由に生きていける機会を棒に振ったんだぞ!」
抑えた声ながらも叫ばんばかり。
周りにいる隊員たちに聞かせるわけにはいかない台詞だが、アナベルにはしっかり訴えたい。
アナベルの薄紫の目は小動もしなかった。
「ええ、そうね。でも別に、自由にしていいからってみんな目標とか夢があったわけじゃないでしょう」
きっぱりと言われ、言葉に詰まる俺。
夢ならあるが、代償がある限り実現不可能。
そして、これをこいつに言われると弱い。
こいつが、魔王討伐なんかよりもっと別のことに人生を使うべきだった過去、俺たちはそれでも、こいつが魔王討伐に付き合ってくれようとするのを止められなかった。
一人でも欠ければ、魔王討伐はますます絶望的だと分かっていたから。
ぐぬ、と黙った俺を横目で見て、コリウスがすかさず続ける。
もちろん小声も小声、隣にいる俺ですら耳を澄ませるレベルの声。
「問題点その二だ、アナベル。
――魔界に魔王がいないということを、僕たちの他は誰も知らないんだぞ。魔界に行って帰って来ました、それで誰が納得する? 救世主が魔界に行くんだぞ、魔王討伐せずに戻って来ることはきっと許されない」
猛烈に頷く俺。
まさか俺を殺したりしないよな?
だが、アナベルは冷静な顔で切って捨てた。
「別に、魔王討伐の命令を受けたわけじゃないでしょう。無理でしたって言っても誰も納得しなさそうなら、そうね。適当な魔族の首を斬って来て、それが魔王だってことにでもする?」
俺たち愕然。
トゥイーディアですら絶句。
それは暴論すぎるだろ。
そもそも、と俺たちを見渡して、アナベルは首を傾げた。
「今回の魔界遠征、誰の命令なの?」
「テルセ侯爵よ。今日のうちに侯爵の使者が皇帝陛下に謁見しに向かって、正式に陛下から勅命が下る予定――ってそうじゃなくて」
即答したディセントラが、ぶんぶんと首を振ってアナベルの両肩を掴んだ。
アナベルは驚いたように瞬き。
ていうかディセントラ、さすがの情報収集力。
貴族やってた期間が長いのは伊達じゃないな。
俺は今ディセントラが喋った内容、全然知らなかったよ。
「アナベル、ねえ、ルドベキアをわざわざ酷い目に遭った場所に連れ戻す意味、あると思う?」
思わず俺はじーんとした。
ディセントラ、俺を気遣ってくれてありがとう。
が、直後に真顔になった。
――よく考えると昨日の兵器、間違いなく俺に、脱走した魔王に差し向けられたものだよな?
兵器が片付いて万歳って気持ちで深く考えてなかったが、もしかして、これからもあの手この手で俺に対して遠隔地からの暗殺が仕組まれるのでは。
俺だけを標的にしたものならいいけれど、昨日みたいに大勢を巻き込むものなら困る。
昨日だって、みんなの頑張りとトゥイーディアの圧倒的な魔法があったから死人が出なかっただけで、一歩間違えれば大惨事だった。
――あれ? もしかして俺、魔界に戻って首謀者締め上げるまでは穏やかに生きていけないの?
そこに思い至ってしまった俺のことはちらりとも見ず、アナベルは平然と言葉を返していた。
「やられっぱなしよりは、取り敢えず乗り込んだ方がルドベキアもすっきりするんじゃない?」
全員が俺を見た。
視線を受けた俺は顔を顰めて、吐き出す息に載せて呟いた。
「――ってか、よく考えると昨日のが俺に向けられた暗殺だった場合、首謀者を叩かない限り同じようなことが起こり続けるかも知れねえ……」
トゥイーディアが思いっ切り眉を寄せた。
内心で俺は、彼女の気に障ることを言ったかと慌てる。
――そんな危険も認知せず、考えなしに大陸まで来てんじゃねぇ、とか思われてたらどうしよう。
いやだってまさかこんな遠方まで手を出してくると思わないじゃん。ていうかあのときの俺、みんなのところに帰ること以外は考えてなかったんだよ。
コリウスとアナベル、ディセントラは、何とも言えぬ顔で俺から視線を逸らした。
タイミング的に、救世主であるトゥイーディアに差し向けられた兵器だと捉えることも出来るけど、その可能性は客観的に見てもないんだよな。
なんせあの兵器、一度も船を狙わなかったから。
「――ルドベキアに向けられたものとは限らないんじゃないかしら」
最初にトゥイーディアがそう言って、俺は内心でほっと息を吐く。
どうやら機嫌を損ねてはいないらしい。
「単純に救世主――私に向けられたものだったかも知れないし。ちょうど、あれが出てきたのも私がここに到着するのと同時だったしね」
トゥイーディアは飴色の目で俺を見て、俺が――彼女に対するときいつもそうであるように――、仏頂面に寄った無表情であることを見て取ると嘆息し、少しばかり素っ気なく言った。
「――だから、あんまり気に病まなくていいと思うわ」
出来るものならトゥイーディアの優しさと心の広さに乾杯したかったが、それは出来ないので、俺は軽く肩を竦めるだけ。
トゥイーディアといえど、あの兵器が陸地ばっかり狙って、一度も船を攻撃しなかったことには気付いているだろうに。
それを見て、あからさまにディセントラが顔を顰めた。
「ルドベキア、気遣ってもらったんだからお礼くらい言いなさい」
いや、言いたいんだけどね。
トゥイーディアは面倒そうに手を振った。
「要らない要らない」
吐き捨てるように言われて、内心で俺は大いに落ち込む。
俺の、この何百年もの間の態度を思い返せば嫌われるのは当然なのだが、それでも嫌われていることを見せ付けられる度につらい。
代償がある限り俺はトゥイーディアに本音で接することは出来ないし、〈最も大切な人〉がトゥイーディアから別の人に動くことも有り得ない。詰んでる。
「――二人は変わらないわね」
アナベルにしみじみと言われて、俺は顔を顰めた。
「うるせぇ」
そのとき、大広間がざわめいた。
今までも、俺たちの方をちらちらと見ては、朝食がてらに噂話に花を咲かせている様子の皆さんだったが、急に、わっと盛り上がったのだ。
はっとした様子でトゥイーディアが顔を上げ、大広間の入り口を見て――表情が消えた。
本当に、怖くなるレベルだった。
こいつがこんな顔をするところは見たことがない。
憤怒とか憎悪とか、そういう一切を超えて、もはや表情に何もかもが収まらないといった様子で、抜けるように無表情になるのは。
その顔を見ただけで、たった今大広間に入って来たのが誰なのか分かる。
俺はトゥイーディアと同じ方向を見た。
――そして、そこに魔王ヘリアンサスを認めた。