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輪番制で救世主を担当してきたのに、今回の俺は魔王らしい  作者: 陶花ゆうの
6 おまえはとっくに忘れたんだろうけど
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12◇ ――手紙を書こう

 逓信所とは、と、おれは即座に尋ねたが、「行けば分かるよ」とカルディオスは応じて、ぶらぶらと大通りを上りながら、おれに表情の作り方を教えようとした。


「まずね、怒ってるってことが他人に伝わらないと、あっちもこっちも大変だから」


 カルディオスは眉を寄せたり、唇を引き結んだりしてみせて、「不愉快なときはこうするんだ」と、尤もらしくおれに伝えた。

 おれはそれを真似しようとして、なかなか上手く出来ずに、何度かカルディオスを大笑いさせた。


 けれどもそのうちに、おれも眉を寄せたり顔を顰めたりすることが出来るようになって、カルディオスは最初こそ、「おお、出来た出来た」と喜んでくれたものの、すぐに神妙な顔で。


「あのさ、アンス。ほんとに怒ってるとき以外は、俺にそういう顔はしないで」


 おれは首を傾げた。


「なんで?」


「おまえのそういう顔、結構怖いわ」


 カルディオスは他にも、「嫌だとか、違うとか、そういうときは首を振るもんなの」とか、「いらっとしたときは舌打ちするとか」とか、「相手がしてくれたことに嬉しいなって思ったら、『ありがとう』くらい言うものなの」とか、あれこれと教えてくれた。


 もしもおれたちの会話に聞き耳を立てている人物がいれば、途轍もなく奇妙な会話を怪訝に思ったに違いない。


 おれはひたすら困惑したが、困惑したときであるとか苦笑であるとか、そういう機微の大事な表情は、一向に習得できなかった。

 カルディオスは、「表情なんて本能だろ」と言いつつも、「まあ、慣れだ慣れ」と、おれを励ますように繰り返してくれた。



 そうしているうちに、カルディオスが逓信所だという建物に着いた。


 奥行のある二階建ての建物で、灰色の石で出来ている。

 一階部分は開放感のある造りになっていて、正面に当たる部分は全部、それから左右については半ばまで、壁がなかった。

 柱だけで二階部分を支えている造りなのだ。


 変なの、とおれは内心で呟き、逆にいえばそれは、おれがその造りを奇妙だと判断できるくらいには、この町に入ってから建物を見てきたということだった。


 壁がないせいで、建物の内外の区別が曖昧だった。

 逓信所は、町の中、小高い丘を登ったところにあり、周囲の建物とは距離を置いていたが、だからか、ずっしりした背の高い長机が、建物の内側のみならず、その境界を超えて外の石畳の上にまで持ち出されていて、その長机に立ったまま向かい合って、何かの作業をしている人間たちが結構いた。


 建物の奥の方を見てみると、艶のある木材で出来たカウンターがあって、その向こうに無愛想な男たちが、陰鬱な顔で並んで座っていた。


 更にそのカウンターの後ろには棚が立ち並び、その棚と棚の間で、忙しく立ち働いている人間たちの姿が確認できる。


 おれは眉を寄せた。カルディオスがそれを見て、首を傾げた。


「怒ってんの、不思議がってんの?」


「不思議がってる」


 おれは応じて、首を傾げた。


「ここ、なに」


「逓信所。手紙を出せるとこ」


 おれが、手紙ってなに、と尋ねるよりも早く、カルディオスが言っていた。


「手紙っていうのは、離れた人のところに届く――ええっと、報告、みたいな」


 なるほど、とおれは頷いて、はたとカルディオスに言われたことを思い出し、付け加えるように言った。


「ありがとう」


「え?」


 カルディオスがきょとんと目を見開いたので、おれは首を傾げて。


「おまえが教えてくれたのが、嬉しかったから」


 カルディオスは瞬きし、それから笑み崩れ、おれの肩を拳で叩いた。


「――なんだよ、もう。友達なんだから当然」


 押された勢いでおれはよろめいたものの、特に腹が立つことはなかった。



 カルディオスは逓信所の中に入り、奥のカウンターを目指して歩いた。


 おれもそれに続いたが、入って見れば天井に、鮮やかな絵画が施されているのが分かった。

 それを見て、おれは眉を顰めた。


 ――あの暗い場所を思い出すから、絵が嫌いだ。

 そう自覚した瞬間だった。


 カルディオスはカウンターまで行き着くと、やや緊張した風情で顔を伏せ気味にし、「便箋一枚と封筒を」と呟く。


 カウンターの奥の男は、折り目正しくカウンターの下から、便箋と封筒をそれぞれ取り出し、言った。


「三リオス」


「レンリティスのセプターなら二枚でいいですか」


 カルディオスが窺うように尋ね、カウンターの向こうの男は瞬きした。

 それから急にカルディオスの顔をじっと見て、なんとなくおれが気に入らない頷き方をした。


「ああ、構わんが……」


「失礼しました。三枚払います」


 カルディオスが素早く言って、銀色の硬貨を三枚、カウンターの向こうに押し出すようにして突き付けた。

 カウンターの向こうの男は億劫そうにそれを一枚一枚取り上げて、便箋と封筒をカルディオスの方に押し出す。


 カルディオスはそれを、カウンターの上から毟るように取り上げて、そそくさと踵を返した。


 カルディオスはすたすたと歩を進めて、屋外にどんと置かれた長机の一つに歩み寄った。

 そして担いでいた荷物を肩から下ろし、「持ってて」とおれに押し付ける。


 おれはカルディオスの荷物を抱えた。

 思っていたよりも重かった。


「――さっきのあいつの顔、見た? 俺、ああいうの大っ嫌い」


 カルディオスが、声を殺してそう囁いてきた。

 声が僅かに震えていて、おれであっても、カルディオスが自分を鼓舞、乃至は強がろうとして、殊更に威勢のいい言葉を選んだのが分かった。


 ぴり、と、おれの肌が痛んだ。


 同瞬、がたんっ、と激しい音が屋内から響いて、どよめきが上がった。

 大丈夫か、怪我はないか、などの声が聞こえてくる。


 おれとカルディオスがそちらを窺うに、どうやら先程カルディオスの応対をした男が、椅子ごと後ろに引っ繰り返ったところであるようだった。


 腰を押さえ、よろめきながら立ち上がる男のカウンター越しの姿が、距離があっても見えていた。


「――うわ、ざまあ」


 カルディオスが呟いた。嬉しそうだった。


「やらしいこと考えてるからだ、仕事しろってんだ、いい気味」


 そう言ってから、カルディオスはおれを見て、今度は物柔らかく目を細めた。


「荷物ありがと。いつも掏りにびびりながら手紙書いてたから、助かる」


 おれは瞬きし、首を傾げてから、首を振った。


「友達だから……」


 カルディオスはきゅっと唇を結んだが、結局は堪え切れなかった様子でにやっとした。


 それから鼻唄混じりに長机に向き直り、長机に備え付けられているものを手に取った。

 おれは忽ちのうちにそちらに興味を惹かれて、「それ、なに」と。


 カルディオスは自分が手にしたものを見て、


「これね、ペン」


 と。

 ペンは、その上部に紐が括り付けられていて、紐は長机に繋がっている。


 おれがそれを目で追うと、カルディオスは軽く笑って、


「盗難防止」


 と呟いた。


「盗難……?」


「このペン、ここの逓信所のものだから。他の奴が持って行かないようにしてるの」


 カルディオスはそう応じて、ペンが括り付けられている位置の傍の、深い窪みになっているところを示した。

 窪みの中に、黒い液体が入れられている。

 窪みの縁には、その液体が固まったような汚れが付着していた。


「で、こっちがインク。ペン先にインクを浸けて書く。なんか書いてみる?」


 カルディオスがそう勧めてくれたので、おれは手を伸ばしてカルディオスからペンを受け取り、促されるままにインクにペン先を浸けて、カルディオスが広げた便箋の上にペン先を持っていった。


 ぽと、とペン先からインクが落ちて、便箋に真っ黒な染みが広がった。


 おれはびっくしたが、そのままペン先を便箋に置いて、一本の線を引いてみる。

 ちょっとペン先が引っ掛かるような、そんな手応えがあって、ペンが通った道筋には黒くて細い線が現れて、おれは思わず微笑んだ。


「楽しい?」


 カルディオスがそう尋ねて、おれは頷いた。

 カルディオスは小さく笑って、「そりゃ良かった」と。


 おれがペンを返すと、カルディオスは空いている手で額を掻いた。


「アンスが描いた線を生かして絵を描くわ。俺、字ぃ書けないからいっつもその手で誤魔化してんだよね……」


 そこまで言ってしばらく黙り込み、カルディオスは唐突におれの方を振り返った。


「おまえ、字ぃ書ける?」


 おれは首を傾げた。

 そういえば、ルドベキアが少し教えてくれたな、と思い出した。


「少しは」


「だよな、んなわけ――えっ? 書けんの?」


 カルディオスが目を見開き、口をぽかんとまるく開けた。


 それからぱあっと微笑んで、「マジか、マジか」と繰り返すと、きらきらする期待の眼差しでおれを見た。


「『元気』って書ける?」


 おれは少し考えた。


 ルドベキアから教わったところによると、文字というのは音を表す。

 例外はあれど大抵、綴りをそのまま読めば言葉になったはずだ。


 問題は、言葉を象る音のうち、おれが覚えていない文字が表すものがあるということで。


「たぶん……」


 おれは呟いて、指を立てて、長机の上に文字を書いた。


 もう随分前のことになる日に、ルドベキアが地面に文字を書いておれに教えてくれたように。


 カルディオスは熱心におれの指先の動きを目で追って、何度かおれにそれを繰り返させた。

 それから頷いて、便箋におれが示した字を書き付ける。


 残念ながらおれには、まともな字を見た経験がなかったがために、その文字が不格好なのかそうでないのかも分からなかった。


 ただ、おれが意図したものとは少し違う気がした。


「こう?」


 カルディオスに尋ねられて、おれは首を傾げた。


「ちょっと違う……こう……」


 便箋の上で指を動かす。



 おれが違うと思った箇所を、つついて直そうとした無意識の仕草。


 ぴりぴりと指先の肌が痛む。


 ぐにゃり、と、カルディオスの書いた線が歪む。



 カルディオスが目を見開いた。


「――どうやったの?」


 そう尋ねられて、おれは首を傾げる。


「分からない」


 カルディオスは瞬きして、首を捻り、蟀谷を掻いた。


「おまえって、結構すごいやつなんだな。――俺なんてさぁ」


 ちょっと不貞腐れたように、カルディオスは眉を寄せた。


「師匠から魔法の理論を聞くのは好きなんだけど、無意識に我流でやってきたから、今さら何をどうこう変えようもないって感じで、師匠も実はがっかりなさってるかも知れない」


 おれは瞬きした。


 そんなおれをちらっと見てから、カルディオスはちょっと声を低めて、おれに囁いた。


「俺ね、実は、師匠よりも魔力はあるらしい。我ながらすごいと思ってるんだ、大魔術師さまより魔力あるって、下手したら(こっち)の大陸で一番だぜ。

 西に行くとヴェルローの女王がいるから、たぶん形無しだけどさ」


 おれは首を傾げた。

 カルディオスは決まり悪そうに肩を竦める。


「――まあ、俺は魔法下手くそだから、宝の持ち腐れだけどね。

 おまえさ、師匠がおまえにも会ってくださるって言ったら、会いに行こうぜ。もしかしたら俺より魔力があるかも知れない。おまえ、俺の弟弟子になるかも」


「おとうと……?」


「後に弟子になったってこと。おまえの方が年上でも、これは順番だからな」


 そのままカルディオスは便箋に向き直って、「なに描こう」と呟く。


 おれはぼんやりとそれを見ながら、呟いた。


「魔法が何か、よく分からないけど、」


 カルディオスがふっと笑ったが、視線は便箋の上のままだった。


「自分の思うようになるものじゃ、ない?」


 おれが首を傾げると、カルディオスは視線を上げておれを見て、苦笑した。


「――分っかる、そうだよな。俺もそんな感じで使ってたんだけど、師匠にそう話したら、なんだそれみたいな顔されて。まあ、師匠は優しいから、俺は俺なりの使い方でいいんじゃないかって仰ってくれたけど、師匠の話聞いてると、やっぱああいう風なのがいいよなあって。

 ――まあ、魔法、使えなくなるときもあるけどね……」


 カルディオスの顔の上に、曇り空が到来したかのように、少しの間表情が曇った。


 おれにも何となく分かった。

 サイジュのとき、おれが口を利けなくなるのときっと同じだ。


 分かったからこそ、おれはそこには触れられなかった。


「違うのか。おれのは、魔法じゃないのかも知れない」


「いや、あれはどう考えても魔法……」


 二人でそんなことを言い合って、おれとカルディオスはお互いに首を傾げた。




 ――()()()()()()()()に教えてやりたい。



 具体的な手段も思い浮かべず、世の条理の仔細を無視して、結果だけを引き寄せる魔法を使うことが出来たのは、()()()()、おれと、カルディオスと、そしてあの赤毛の女王だけだった。


 ルドベキアですら、魔法を使うときにはその具体的な手段と過程を思い描いていたはずだ。

 もしもそうでなかったとすれば、ルドベキアのあの魔法は恐らく、あいつの主観の及ぶ範囲のみならず、全世界の時間を支配下に置くものであったはずだ。


 おれたちが特別であった理由は――おれは言わずもがなだろう――別次元からの魔力を延々と注ぎ込まれ続ける、世界そのものと同じ構造を持つがゆえ。

 そしてカルディオスとあの女王に関していえば、他のものとは比較にならない、暴力的なまでの量の魔力を受け取る器であったがゆえだった。


 このときのカルディオスと女王に関しては、もう正確な魔力量など推し量りようもないが、他の連中など比較にならないだけの、圧倒的な量であったはずだ。



 だからこそ、おれや、カルディオスや、あの女王は、他の魔術師とは一線を画す魔法の使い方をしていたのだ。



 ご令嬢は――いや、女伯(カウンテス)は、それを知らなかった。




 カルディオスはしばらく悩んでいたが、結局はさらさらと便箋に絵を描き付けた。


 おれが落としたインクの染みとか線であるとかを上手いこと使っていたが、カルディオスは「いつもより雑になった」と言っていた。


 そのあとカルディオスはインクを乾かし、便箋を折り畳んで封筒の中に入れると、また逓信所の中へ。

 カウンターの方へ歩みを進めたが、今度は先程とは違う男の前に立った。


 そして、封筒を差し出す。

 男はそれを受け取って、封筒が白紙であることに気付き、溜息を吐くと自分の傍のペンを取り上げた。


「――どちらまで?」


「レンリティス、リーティ、王宮の、パルドーラ伯爵」


 男はぱちぱちと瞬きし、顔を上げてまじまじとカルディオスを見て、ついでにおれを見た。


 分厚い眼鏡を掛けていたが、その眼鏡を外してもう一度カルディオスをじっと見て、封筒に視線を落としたあと、男は訝しそうに。


「悪戯の類ではないですね?」


 カルディオスが、僅かに肩の力を抜いたのがおれにも分かった。

 男が、カルディオスの顔を直視しても目付きを変えなかったからだと分かった。


「はい、あの、大丈夫です」


「はあ……」


 男は首を捻りつつそう言って、封筒の表面に、カルディオスが言った通りの宛名を書き綴り始めた。


 だが途中でいったん手を止めて、隣の男の方に身を乗り出し、「『パルドーラ』の綴り、分かるか?」と尋ねる。

 訊かれた側は面倒そうに、自分の手許にあったらしき紙にさらさらと文字を綴って、「おまえ、書店に行きゃあんだけずらずら並んでる名前だろうが」と、馬鹿にしたように言った。

 とはいえ親愛の響きのある声だったので、訊いた側も、「ど忘れしただけだよ」とあしらい、封筒の文字を完結させる。


 そしてぱたぱたと封筒を動かしてインクを乾かしたあと、封筒を引っ繰り返し、カルディオスに視線を戻した。


「差出人――あなたのお名前は?」


「カルディオス」


「綴りで教えて」


 そう言われて、カルディオスは言い淀んだが、手紙を出すときには毎回同じ遣り取りをしていたのだろう、すぐに、決まり悪そうに呟いた。


「……そう読めるように書いていただければ、大丈夫です」


「そう?」


 男は訝しそうに眉を上げてそう言って、封筒とは別の紙に、さらさらと文字を書き付けた。

 そしてそれをカルディオスの方に出してきて、「この三通りのうちの、どれかだと思うんですよね」と。


「好きなの選んで」


 カルディオスはちょっと愉快そうに唇を歪めて紙を覗き込み、「じゃあ、これで」と、真ん中に書き付けられた文字列を選んだ。


「了解」


 カウンターの向こうの男は軽やかにそう言って、封筒にさらさらとその文字を書き付ける。


 それから、カウンターの下から硝子製の何かを取り出した。

 ぱちんと男が指を鳴らすと、その上に火が点る。


 おれはここで黙っていられなくなって、カルディオスに、「あれ、なに」と尋ねた。

 カルディオスはちょっとおれを振り返って、


「酒精灯。あの中に酒精が入ってて、燃えてるの」


「酒精って」


「あとでな」


 おれとカルディオスの遣り取りに、カウンターの向こうの男が肩を震わせた。


 男は続いて、真鍮で出来た柄の長いスプーンを取り出して、赤い何かをその上に置き、酒精灯で炙って赤い何かを溶かし始めた。

 おれが何を言うよりも早く、カルディオスが素早く教えてくれた。


「封蝋。あれで封筒を閉じてくれんの」


 カルディオスがそう答える間に、熱で溶けた蝋を、男が慎重な手付きで封筒の上に垂らす。

 じゅう、と、極めて小さな音がした。


 そしてカウンターの向こうの男が、短くて凝った形の棒状のものの先端を、ぎゅっとその蝋に押し付けた。

 離すと、蝋に複雑な印璽の形が残った。


 おれはまじまじとそれを見ていた。


 男は顔を上げ、カルディオスに向かって言う。


「レンリティスまで、リオスで十三枚。仮にセプターであれば七枚です。そこに宛先代筆の手数料を頂戴しますから、合計で、リオスで十四枚。セプターであれば七枚と半セプターです」


「セプターで」


 カルディオスがそう応じて、荷物の中から金を取り出し、数えながらカウンターの上に並べた。

 男が改めてそれを数えてカウンターの下に仕舞い込み、笑顔を見せる。


「確かに。ではお手紙、お預かりして。

 雲上船での配送になりますが、次に逓信船が出るのは半月後です。よろしいですか?」


「はい」


 カルディオスは頷いて、用が済んだのかカウンターを離れる。


 おれもそれに続いて、そうしながらカルディオスが、「酒精っていうのは」という説明を開始したが、カルディオスもよく分かっていないらしい。


「燃える。あと飲める。でも飲んじゃ駄目なやつもある」


 と、非常にざっくばらんな説明に留まった。



 逓信所は丘の上にあったので、カルディオスはそこから下る階段を軽やかに踏みながら、「買い出しするぞ」と宣言した。


 日は既に傾いていたが、カルディオスは「こんな町ならたぶん、日が落ちてもしばらくは店もやってる」と断言した。

 それからおれを振り返って、


「今日、どうする?」


 と。

 意図が見えずにおれが首を傾げると、カルディオスは鼻の頭を掻いて。


「えーっと、今日、ここに泊まる? それか町から出て、いつもみたく野宿する?」


 分かりやすく言い直したカルディオスに、おれは瞬き。


「どっちでも……」


 カルディオスはあれこれ考える風に首を捻り、おれをまじまじと見たあと、「疲れてるよなあ」と呟いた。


 そして、かなり迷った風ではあったが、終いには言った。


「宿、とろう」


 おれは首を傾げた。

 カルディオスの声の躊躇を聞き取っていた。


 そんなおれをちらっと見て、カルディオスは笑ったが、いつもに比べて強張った笑顔だった。


「大丈夫」










 カルディオスはおれを連れて、先程うろついた区画に戻った。

 おれはてっきり、先程食べたようなものを買い込むのかと思ったが、カルディオスは呆れたように、


「あのね、そんなもん、すぐ腐っちゃうでしょうが」


 と言い放ち、今度は露店ではなくて建物に入っている店を回り始めた。



 まずはじめに、カルディオスは沢山のパンが(あれなに、と訊いたおれに、「パン」と応じたカルディオスは、パンに種類があることを説明するのに数分を掛けた)籠に盛られて売られている店に入り、おれが店の中を見渡している間に、店の奥の木で出来たカウンターに歩み寄って、「堅パン二包み」と、低い声で注文した。

 カウンターの向こうには恰幅のいい女の人がいて、カルディオスの注文に、はいはいと愛想よく応じて商品を準備する。


 商品を受け取ったカルディオスが銅貨を相手に渡して、包みを荷物の中に押し込みながら、「次行くぞ」とおれの腕を掴んで引っ張った。



 続いてカルディオスは肉屋に足を運んだが、天井から皮を剥がれた鶏がぶら下がっていたり、あるいは(このときのおれはまだ名称を知らなかったが)腸詰が吊るされていたりといった店内に、おれはいっそうしげしげと視線を配ってしまった。


 店内はパンを売っていた店と同じくカウンターで奥と手前が仕切られていたが、パン屋に比べて格段に、カウンターの後ろが騒がしかった。

 そちらを見遣ると、奥の調理台の上に何かが載せられていて、若い男が中年の女に何かを怒鳴りつつ、苛立たしげにその何かに向かって刃物を振り下ろすところが目に入った。

 ずっしりとした見た目の刃物は調理台を叩き、だんっ、と音を響かせる。


 おれは思わず、そちらから視線を外した。


 カルディオスがカウンターの前まで進み出ると、それに気付いた髭面の男が、のしのしとカルディオスと向かい合う位置まで出て来た。

 着ている白衣のあちこちに血が飛んでいる。

 眉間に皺を刻み、男は不機嫌に。


「ちび、おっかさんの遣いか。何が要りようだ?」


「腸詰と干し肉、一ポンドずつ」


 カルディオスが、若干小さな声でそう応じた。

 その何倍もの声で、男が後ろに向かって指示を出す。


「腸詰、干し肉、一ポンドずつ包めぇ!」


「さっき、ニックの馬鹿が秤を落っことして壊しちまったろうが!」


 包丁を振り回しながら、調理台のところの若い男がそう怒鳴った。

 もう一人、若い男が肩を窄め、しゅんとした風情で立っている。


「予備あっただろ! 大体、持ち上げりゃ重さぐれぇ分かるだろうが!」


 髭面の男がそう怒鳴り返し、カルディオスに向き直って、「四リオス」と告げた。

 調理台の方では、中年の女がせかせかと二人の若い男に指示を出し、片方に干し肉を、もう片方に腸詰を用意させている。


 カルディオスは、「ここではレンリティスの金で払うから半額で出すとかしたら駄目だ」と悟ったような顔をして、四枚の銀貨をカウンターの上にことりと置いた。

 髭面の男は、血と脂に汚れた指先でそれを拾い上げて、「おい!」と中年の女を振り返る。


「金仕舞え!」


(たま)には自分でやったらどうだね!」


 中年の女は険悪な様子で、甲高くそう怒鳴りつつもカウンターまでやって来て、不機嫌な様子で金を男から受け取り、それからカルディオスとおれに目を向けて、驚いたような顔をしたあと、急に愛想よく微笑み始めた。


「あらあら、見ない顔だね。どうしたの」


 カルディオスは石のように黙り込み、半歩下がって顔を伏せた。

 女は手にした銀貨を矯めつ眇めつし、「あらっ」と声を上げる。


「あらこれ、レンリティスの。あんた、これなら四枚だと貰い過ぎだよ!」


 怒鳴られた髭面の男は、「知らねえよ」と言い放つ。

 一方女の方は身を乗り出さんばかりにして、


「二枚、返すわ」


 と、カルディオスを手招いた。

 カルディオスは小刻みに首を振って、更に半歩下がっておれにぶつかった。


「いや、いいです」


 おれは瞬きして、どうやら芯から怯え切っているらしいカルディオスの前に立った。


 髭面の男が大笑いした。


「おうおう、おまえの顔が怖いとさ!」


「うるさいね!」


 女はそう怒鳴り、肩を竦めた。


「いいなら貰っとくけどね、後でややこしいこと言い出さないでおくれよ」


 そう言って、女が金を前掛けのポケットに仕舞う。


 カルディオスが背中を丸めておれの後ろに隠れてしまっているので、突き出された紐で縛られた二つの包みを、おれが手を伸ばして受け取った。

 受け取ってみると、案外にずっしりとした重みがあって、かつ、妙に冷たい包みだった。


 おれは特段何の表情も浮かべずに包みを抱えて、そそくさと店を出るカルディオスに続いて、外に出た。


 外に出た途端、カルディオスは深呼吸を繰り返し、しばらくしてからようやく、おれを振り返って笑顔を見せた。


「アンス、ありがと。それちょうだい、押し込むから……」


 カルディオスはおれが差し出した包みをぐいぐいと荷物の中に押し込むと、「次行こう」と歩き出す。



 そのあとカルディオスは露店で、干した豆を麻袋に詰め込んだ小包と、干した野苺を一包み買い込んだ。


 それも全部荷物の中に詰め込むと、カルディオスは「じゃあ、宿探そうか」と言って、また歩き出した。



 宿屋は、おれたちが歩いていた区画とはまた別の区画に軒を連ねていて、カルディオスは幾つか用心深く宿を覗いたあと、候補を二つに絞っておれに提示した。


 おれが適当な方を選ぶと、カルディオスがおれをそちらに引っ張って行き、宿の帳場で「二人一部屋、入れます?」と。


 帳場には腰の曲がった老嬢が座っていて、ゆったりした動きで頷くと、カルディオスに部屋の鍵を受け渡した。


 小さな宿だったが、一階は食堂になっていて、時刻が夕刻だったこともあり、食堂はそこそこ混み合っていた。

 カルディオスはそれをちらっと見ると、狭くてがたつき、軋む階段を昇りつつ、「ちょっと空いたら、あそこで晩メシ食おう」と。


 部屋も狭くて、小さな寝台が二つ、押し込まれたように並べられていた。

 他には簡単な食事が出来そうな円卓が一つ、丸椅子が三脚ほど置かれていたが、丸椅子は誰かが蹴り倒したかのように倒れたまま、元に戻されていなかった。


 足許には擦り切れた絨毯が敷かれていて、窓が大きい。

 窓は入口とは反対側の壁にあって、帳は開けられており、曇った分厚い硝子越しに、朧気に外の光景を見せていた。


 カルディオスは担いでいた荷物を、そうっと円卓の上に載せ、途端に円卓が激しく軋んだのでぎょっとしたような顔をしたが、どうやら円卓が持ち堪えそうだと結論づけたらしく、その傍を離れて伸びをした。


 そして寝台二つを見比べて、首を傾げる。


「おまえ、どっちがいい?」


 窓に近い方と扉に近い方を、おれも見比べて首を傾げた。


 本音をいえば窓に近い方が好ましかったが、今にも人間が入って来そうな扉の傍は、カルディオスが嫌がるだろうと思った。


「――こっち」


 扉に近い方を指しておれがそう言うと、カルディオスは嬉しそうに笑って、窓に近い方の寝台の上に、ばたんと仰向けに倒れ込んだ。


 それからすぐに跳ね起きて、窓に大きく一歩で駆け寄り、がちゃりと掛け金を外して、窓を開け放った。



 春の夕暮れの風が吹き込んできて、おれは目を細めた。


 意識して息を吸い込むと、いい匂いがした。



 おれも、今さっき自分に割り当てた寝台に腰掛けたが、案外に座った場所が柔らかく沈んだので、顔には出せなかったもののぎょっとした。


 カルディオスはもう一度ぼふんと寝台に倒れ込むと、はあ、と大きく息を吐いた。


「――アンス、疲れた?」


 おれは首を振った。

 それをちらっと見て、カルディオスは寝転がったまま唐突に笑い始めた。


 おれは瞬きする。


「――どうした?」


「いや、おまえ、首振るのも俺が今日教えたなって思い出して」


 カルディオスは寝台の上に起き上がって、首を傾げた。


「アンス、おまえ、なんでそんなにもの知らねえの?」


 おれは瞬きして、首を傾げ、しばらく考えたあとに、正直に呟いた。


「今まで暗いところに居て……」


「どこだそれ?」


 カルディオスが首を捻り、おれも首を傾げた。

 あれがどこだったのか、おれは把握していなかった。


 カルディオスは不思議そうにおれを見て、また首を傾げた。


「なんでそんなとこいたの? 閉じ込められてたの?」


 おれは少し考えた。



 おれは、自分がどうしてあそこにいたのか、正確なところは分かっていなかった。

 分かっているのは、()()()()()()()()をあの場所に留めておくためにおれが必要だったのだろうということ、そしてサイジュ――あるいはヒロイヨセもまた、その目的の一つであっただろうこと。


 けれどもおれは、その目的の動機までは把握していなかった。



「おれの……」


 おれは口籠り、カルディオスは焦った様子で手を振った。


「いや、いいよ。ちょっと気になっただけだから」


 おれは瞬きして、更に少し考えて、脈絡もなくルシアナのことを思い出し、また思い出したくもないサイジュのことを想起して、小さな声で呟いた。


「――おれの、……おれの涙が宝石で出来てたから」


「なんだそれ」


 カルディオスが目を見開いた。


 半ばはおれの言葉を冗談と思った風情だったが、それ以上に立腹したように見えた。


 それから顔を顰めて、言った。


「まあ、何にしろ、おまえを泣かせるやつは、二人でぶっとばしてやろーぜ」


 おれが首を傾げると、カルディオスは真顔で続けた。


「いやだって、一人だと怖いじゃん」





◇◇◇





 ――この僅か数時間後、カルディオスは「ぶっ殺すぞ!」と絶叫することになるが、それは別におれが泣かされたからではなかった。



 階下の食堂で夕飯を摂って戻ったあと、荷物の中からカルディオスの所持金と手形が綺麗に盗まれていたがためである。


















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