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輪番制で救世主を担当してきたのに、今回の俺は魔王らしい  作者: 陶花ゆうの
6 おまえはとっくに忘れたんだろうけど
306/464

10◇ ――次の冬には

「おまえさぁ、キルディアス侯爵って知ってる?」


 カルディオスがそう尋ねた。



 すっかり晴れた空の下を、カルディオスはのんびりと歩いている。


 おれが気を向けただけで、綺麗にカルディオスの全身が乾いていたので、カルディオスは機嫌が良さそうだった。

 けれどもカルディオスの長靴が踏む地面は、吸い込んだ雨を吐き出して、ぐちゃぐちゃと音を立てている。

 靴に泥が飛んでいるのも見えた。


 カルディオスがのんびり歩いているのだから、隣のおれの歩調も当然ながらのんびりしている。

 おれは風景が磨かれたのが気に入って、始終あちこちに顔を向けていたが、カルディオスに尋ねられるに至ってそちらの方へ目を向けた。


「――知らない」


 瞬きして、おれは正直に答えた。

 カルディオスは唇を曲げて、「ほんとに?」と、疑り深くおれを見てくる。


「実はおまえ、閣下の子供だったりしない?」


 おれはなおも瞬き。

 そんなおれの視線に居心地の悪いものを感じたのか、カルディオスは目を逸らして頬を掻き、「いやー」と。


「よく考えるとさ、おまえが嵐止めただろ。改めて考えてみるとやべぇなって。そんなの出来るの、俺が知ってる限り――っていうか世の中の常識的に、キルディアス閣下だけなんだよ」


 おれは首を傾げた。

 考えるときは首を傾げるものだ、とルドベキアは言ったが、結構この仕草は便利で気に入っている。


「きる……なにそれ」


「俺の師匠の天敵」


 カルディオスは真顔で言って、ふっと笑った。


「怖いんだぞー、俺の師匠、神さまより優しいんだけど、あの侯爵閣下が傍にいるときだけは、どこの悪魔だよってくらい怖い顔するから」


 おれはいっそう首を傾げた。


 カルディオスは「えっとね」と少し考えたあとで、ざっくばらんに言った。


「ここより北に、レンリティスって国があんだけど、俺の師匠ってそこの伯爵さまなの。あ、伯爵って――っていうか五爵(ナントカしゃく)って、貴族、えっと、お偉いさんのことね。俺の師匠はパルドーラ伯爵閣下さま。で、その師匠より偉いらしいんだけどずっと師匠と喧嘩してんのが、キルディアス侯爵って人で――」


 む、と唇を引き結んでから、カルディオスは断固とした口調で続ける。


「絶対師匠の方が魔法上手いと思うんだよね。そりゃまあ向き不向きはあると思うけど。でも一応、侯爵さまの方も師匠と同じくらい魔法が上手いよねって話になってて、んで、その侯爵さまが使えて師匠が使えない魔法が、さっきのおまえのなの」


 おれは瞬き。

 カルディオスはそれには気付かなかった様子。


「つまり、天気を変えちゃうっていう」


 おれはまた瞬きをして、呟いた。


「……魔法って、なに」


「あっ、そうだった」


 カルディオスは口を押さえて、それからおれに向かって一通りの説明をしてくれたが、おれはただただ首を傾げていた。


 ただし、おれの意に沿う形で何かが動くあの現象を、人間の多くが同じように使えて、それが魔法と呼ばれるのだということは朧気に理解した。


「――分かった」


 と、分かったような分からないような気持ちで呟くと、カルディオスはおれをしばし見詰めたあとで、


「うん、ないな」


 と、あっけらかんと言った。


「あの侯爵さまの子供っての、ないな。魔法が何かも知らねーなんて、侯爵さまと知り合いなら絶対有り得ねぇし。だいいち年齢が合わねぇし――」


 侯爵さまが十歳くらいのときの子供ってことになっちゃう、と笑って、カルディオスは髪を揺らして前に向き直った。


「――あの侯爵さま、俺にすら声掛けてきたくらいだから、アンスみたいなのを知ってれば、傍から離すはずないな」


 おれは――その表情を知っていれば――眉を顰めていたところだった。


「声掛けるって、なに」


「師匠から侯爵さまに鞍替えしないかって誘われたの」


 カルディオスは苦笑いして呟いた。


「師匠が俺を遊ばせてるもんだから、もっとちゃんと勉強すりゃ偉くなれるよって言われたんだけど、――そんなの、したかったら師匠に頼んでるっての。侯爵さまは魔術師集めに余念がない」


 ぎゅっと眉を寄せてそう言って、カルディオスはしかし若干気まずそうに。


「まあ、俺から侯爵さまにお願いがあって参上してたときだから、ひたすら笑って誤魔化したけどね」


「お願い」


「侯爵さまの魔法を教わりに行ったの。師匠に頼まれた工作があって、それに使いたくてさ――最初に俺が作ったやつ、あんまり師匠は気に入らなかったみたいだから……」


 そこまで言ってから、カルディオスはちらりとおれを見て、おずおずと申し出た。


「……師匠にあげたやつ、今度見る? 結構上手く出来たんだぜ。侯爵さまが俺のを格下扱いにしたってんで、師匠はキレたみたいだけど」


 特に考えずに、おれは頷いた。

 カルディオスがどんどん話題を変えていくのが面白かった。


 おれは何の拘りもなく首肯したわけだが、それでもカルディオスは嬉しそうに笑った。


「じゃ、楽しみにしてて。俺、友達って初めて出来たから、師匠以外で自分からあれ見せんのも初めてだけど」


 おれは瞬きして、首を傾げた。


「――友達、って、なに」


 そしてその瞬間、カルディオスの顔が余りにも悲しそうに曇ったので、おれは初めて、自分が訊き返したことを後悔した。


 だが、それはそれとして意味が分からなかったことは確かだったので、おれはぼうっとカルディオスの顔を眺めていた。


 カルディオスはおれから目を逸らして、ちょっとだけ顔を顰めると、首の後ろを掻いた。


「あー……仲がいい間柄というか……気を許せる間柄というか……」


 おれは瞬きした。


 カルディオスの言葉の裏側の意味を、ようやくおれの耳が捉えた。



 ルドベキアやルシアナには当て嵌まらないだろうと分かる――カルディオスの言葉が指したのは、もっと曖昧で不確定な関係性だと分かった。


 曖昧で不確定ながら、それでいて強固な印象もある、変な言葉だと思った。



 おれは頷いた。


「分かった。――おれも今まで友達はいない」


 それを聞いたカルディオスは、何とも困ったような顔をした。


 おれが首を傾げると、カルディオスは真顔で。


「いやおまえ、見たとこ十六とか十七だろ。俺より年上じゃん。

 俺が言えたことじゃねーけど、友達はいた方がいいぞ」


 おれはいっそう首を傾げてしまった。


「……年上、って、なに」


「はい?」


 カルディオスが足を止めてしまったので、おれも足を止めた。


 振り返ってまじまじとカルディオスを見ると、カルディオスはまたも瞳を落っことしそうな程に目を見開いていた。

 そして、素っ頓狂な声を上げた。


「おまえ、人間が(とし)取ることも知らねーの!?」


 おれは、その表情を知ってさえいれば、顔を顰めているところだった。


「――おれは人間じゃないって言った」


「言葉の綾だろ」


 カルディオスが事も無げに言って、その声が無感動だったので、おれはその意味を汲み取ることが出来なかった。


 瞬きして首を傾げ、おれは呟く。


「……歳を取るって、なに?」


「う――生まれてから時間が経つこと?」


 カルディオスが応じたが、変な風に語尾が上がっていた。

 カルディオスは小さく首を振って、「思ってたよりやべぇわ」とぶつぶつ呟く。


 おれは反対側に首を傾げ直した。


「時間が経つと、どうなる?」


「でかくなる」


 カルディオスは真顔で言った。



 それでおれは、生まれたばかりのルドベキアがあんなに小さかったのに、番人としておれのところに来たときに大きくなっていたのは、なるほど歳を取ったからなのだ、と納得した。


 そして同時に、これからルドベキアがどんどん大きくなってしまうと困るな、とも思った。

 何しろおれは人間ではないので、このまま何も変わらない姿形を決められているのだ。


 ルドベキアばかりが大きくなってしまうと、そのうち見上げても顔も見られなくなってしまう。



 おれがそんなことを真剣に考えたのを、無いはずのおれの表情に見て取ったらしい。

 カルディオスが不意に笑って、手を伸ばしておれの肩を叩いた。


「――ずっとでかくなり続けるわけじゃないって。歳を取ると、でかくなって力が強くなって、――で、それも一段落すると顔に皺が寄ってくるの」


 おれは瞬きして、「良かった」と呟いた。


 カルディオスは立ち止まったまま爪先立ち、自分の頭の上に手を置いた。


「俺も多分、もうちょっとは伸びんじゃないかな」


 おれは首を傾げてカルディオスを窺い、その胸の中心辺りを指差した。


「おまえは、生まれて、どれくらい経ってるの?」


 カルディオスは一瞬、本当に瞬きするほどの間、顔を強張らせた。

 だがすぐに誤魔化すように笑って咳払いすると、肩を竦めた。


 カルディオスの踵が地面を踏んで、小さな音を立てた。


 カルディオスがまた歩き出したので、おれもそれに従った。


「……さあ。ちゃんと年齢数えてくれる人、身近にいなかったんだよね。でも、師匠の推測だと、大体十四か十五じゃないかって。――えっとつまり、生まれてから十四年から十五年くらい経ってんじゃないかって」


 カルディオスはちらりとおれを見て、苦笑した。


「その調子だとおまえ、自分の歳は知らないな?」


 おれは頷いた。


 数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの長い間、あの暗いところに座っていたという自覚はあったが、それだけだった。


 カルディオスは、同類相憐れむといった眼差しでおれを見て、首を傾げた。


「――おまえ、なんでそんなにもの知らないの」


 おれは素直に答えた。


「……初めて見たり、聞いたり」


「それも不自然だよなあ」


 カルディオスは口許に手を遣って、考え込む風情で空を見上げた。


 空は青々と深く晴れ渡って、雨に磨き抜かれたように光っている。

 おれたちは木立の縁をなぞるようにして平原を歩いているので、梢が空を切り取って見えた。


「俺でさえ知ってたようなことも知らねーんだもん」


「駄目か?」


 おれが尋ねて、カルディオスは面食らった様子でおれを見た。


「ん?」


「知らないのは、駄目か?」


 おれが重ねて尋ねると、カルディオスは笑い出した。

 空気を揺らす綺麗な笑い声が耳に響く。


「なんでそうなる。おまえ、面白いな」


 カルディオスがそう言ったので、おれはほっとした。

 その気持ちは辛うじて顔に出て、おれは自分の口角が少しだけ持ち上がったのを自覚した。


 カルディオスはそれを見て、嬉しそうに目を細める。


「お、また笑ったな」










 カルディオスが、「もう絶対に一歩も動けない」と癇癪を起こすに至って、おれたちは足を止めた。


 カルディオスは草の上に引っ繰り返り、日が傾きつつある大空に向かって、「腹が減った!」と叫ぶ。

 おれはその傍で座って、首を傾げていた。


 叫んで気が済んだらしいカルディオスは、「よっと」と勢いをつけて起き上がり(髪に草切れがくっ付いていた)、がしがしと頭を掻いておれを窺う。


「アンス、おまえって我慢強いな。俺もう限界だわ。何か食わなきゃ死ぬ」


 おれは瞬きして、首を傾げた。

「死ぬ」というのが何かは分からなかったが、カルディオスの声が切羽詰まっているのを聞き取っていたので、それを訊くのは後回しにした。


「出来ない? これみたいに――」


 これ、と言っておれが示したのは、おれが履いている靴だった。

 それを見て、カルディオスは渋面を作る。


「あー、それみたいにパンか何か造り出したり? 理論上は出来る」


 理論上は、と、カルディオスは難しい口調で言ったが、同時にその言葉がお気に入りである風だった。


「けど、あんまり意味ない。魔法ってほら、使うと疲れるじゃん? 俺が疲れて作ったもんを俺が食っても、ぶっちゃけ差し引きゼロってかむしろちょっと足が出るってか。

 ――でも、まあ」


 カルディオスは俺を見て、笑顔になった。


「俺が造ったもんでも、おまえが食ったらおまえの腹は膨れる」


「いい」


 おれは短くそう言った。


 カルディオスは、なんだか少し困ったような、それでいて嬉しそうな顔で頭を掻き、「そっか」と呟くと、のそのそと立ち上がって、荷物をおれの傍に置いたまま、小川の方までふらふら歩いて行った。


 蛇行しながら流れる小川を覗き込んだカルディオスは、ばしゃばしゃと音を立てて川面を掻き回してから、「ツイてねー」と呟きながら、ふらふらとこっちに戻って来た。


「ぱっと見、魚もいねーわ。川底の方の石とか引っ繰り返したら何かいるかも知れねーけど」


 おれは瞬きして、頷いた。


 カルディオスが立ちっ放しでいるので、おれも合わせて立ち上がった。


 カルディオスは木立の方をじっと見ている。

 それから数歩横に動いて、「いや、ツイてる」と、さっきの自分の言葉を訂正するように呟き、おれに視線を戻して、唇に人差し指を当てた。


 おれは首を傾げた。


「――それ、なに?」


 カルディオスはむっと眉を顰めたものの、律儀に答えてくれた。


「声出すなってこと」


 おれは口を閉じた。

 おれは意識しない限りは呼吸もしないので、そうすると本当に無音になる。


 カルディオスは、普段に比べて相当静かな足取りで木立の方に動いて、少し屈んだ。


 その右手が濡れていて、拳大の石が握られているのに、おれは今さら気が付いた。

 さっき、川に触ったときに拾ったんだな、と思いはしたものの、どうしてカルディオスがそんなことをしたのか、おれには分からなかった。


 ――などと思っていると、不意に、カルディオスがその石を投げた。

 狙い澄ました投擲だった。


 その石が何かに当たる、鈍い音が耳に届いた。


 おれが首を傾げていると、カルディオスはぱっと走り出して、投げた石を追い掛けるように木立の中に入り、間もなくして、右手に何かをぶら下げて戻って来た。


 茶色くて、柔らかそうなものだった。


 おれはいっそう首を傾げた。


「それ、なに」


「これは兎」


 カルディオスは端的に答えて、なんだかちょっと気まずそうにした。


「魚と一緒で、これからこいつをバラして、食うの」


 おれは無言で頷いた。


 カルディオスは空いている手で蟀谷を掻くと、木立の方を顎で示して見せた。

 ぶら下げた、兎という何かを、どうやらカルディオスはおれには見せないようにしたいらしく、身体で隠そうとしていた。

 おれは兎というものに興味があったので、それは少し残念ではあった。


「あのさ、アンス。俺がこれからこいつを食えるようにするから、おまえはあっちで、適当な木の枝でも探して来てくんない?」


 おれは瞬き。


「適当な」


「ほら、魚食ったじゃん。あれを刺してたみたいな。それを結構いっぱい」


 理解して、おれは頷いた。


 カルディオスは小さく笑って、荷物を足で蹴って開けて、言った。


「ゆっくりでいいぞ」





 ――ゆっくりでいいぞ、という言葉の裏側に、「しばらく戻って来るな」という意図を汲んだおれは、しばらく木立の中をぶらぶらした。


 目的の木の枝は、おれが探し始めてすぐ、ばらばらと目の前に落ちてきたものを拾っておいた。


 それを抱えたまま木立の中を歩いていると、白くて小さな蝶が飛んでいて、追い掛けているうちに時間が経ってしまった。

 辺りが薄暗くなってきたことで、はたとそれに気付いたおれは踵を返し、カルディオスのところに戻った。



 空は暮れゆき、透明感のある深い青色に沈んで、ところどころで明るい星が煌めき始めている。

 月も薄らと光を纏い始めていたが、やはり昨日見たときよりも細くなっていた。


 太陽は西の方に沈もうとしていたが、まだ辛うじて地面に光を届けており、風景一帯は影に沈みつつも、まだ夜の暗さには至っていなかった。



 カルディオスは結構心配そうにこっちを見ていて、おれの姿を見るとほっとしたように頬を緩めた。


「戻って来た、良かった、迷子になってたらどうしようと思ったんだ」


 おれは首を傾げた。


「迷子って」


「道分かんなくなっちゃうことだよ。教会に行ったとき、そう言えって言ったでしょ」


 カルディオスが言下に応じてくれたので、おれは満足して頷いた。



 それから、もしかしたら今ごろ、ルドベキアは迷子になってしまっているのかも知れない、とも考えた。


 だからおれのところに来なかったのかも知れない。



 カルディオスの足許には、低く宙に浮かぶ炎が浮いていて、真下からカルディオスを照らしている。

 口を開けたままの荷物はカルディオスの後ろにあった。


 炎のすぐ傍に、カルディオスがどこからか引っ張ってきたのか、それとも何もないところから造り出したのか、黒っぽくて平らな、大きな石が置かれている。

 その上に何かが載っていたが、おれが近寄ると、カルディオスはその石の上をおれには見せないように動いた。


 近寄ってみると、変な臭いがした。

 あのときと同じ臭いだ。生まれたてのルドベキアを連れて、ルシアナがおれのところに来たとき。あるいはつい昨日、あの馬車の中にいた人たちに存在をやめさせたとき。


 おれが首を傾げると、カルディオスはにこっと笑って、「枝、置いといて」と。

 おれが指示どおり、ばらりと足許に枝を投げ出すと、カルディオスは釣られたようにそちらを見た。


 その拍子に、カルディオスが右手に持っていたものが、炎を吸い込んだように赤くきらりと光って、おれはぎょっとした。



 一時的に頭が真っ白になった。

 音が聞こえなくなった。



 ――同じだ。

 サイジュ、あるいはヒロイヨセに来る連中が持っていたものと、仔細は違えど同じものだ。



 おれがそれを凝視していることが分かったのか、カルディオスはちらっと自分の手許を見てから、注釈を入れるように言った。


 その声が、辛うじておれの耳に届いた。


「これ、刃物。小刀。触ると怪我するから、おまえは近寄ったら駄目だぞ」


「――――」


 おれは瞬きした。


 耳が元に戻った。

 ちゃんとものを考えられるようになった。


 おれはカルディオスの顔に視線を移し、頷いた。


 その顔に、やっぱりおれには無いはずの何かの表情を見付けてくれたらしい、カルディオスが眉を寄せ、首を傾げた。


「どうした?」


「してない」


 おれは応じた。


 ――カルディオスが、手に持つ小刀とやらを、おれに向けてこないので安心していた。

 小刀に近寄るなとわざわざ言ってくれたことが嬉しかった。


 カルディオスは「そうか?」と疑り深くおれを眺めたあと、何でもないことのように言った。


「――ああ、普通、『どうした』って訊かれて、別になんも無かったら、『何も無いよ』とか、『大丈夫だよ』とかって答えるもんだぞ」


 してない、ってのは聞かない――とカルディオスが笑ったので、おれも笑った。


「大丈夫だよ」


 おれが言い直すと、カルディオスは嬉しそうに目を細めた。


 それから、適当な方向に顎をしゃくって見せた。


「そっか。――じゃ、俺、ごはんの準備するからさ、おまえ、その辺ぶらぶらしてていいよ。あ、迷子になったら困るから、ちゃんと火が見えるとこにいるんだぞ」




 おれが言われた通りにぶらぶらして、川を覗き込んだり空を見上げたりしているうちに、カルディオスは支度を終えたらしい。


 おい、と呼ばれておれが戻ると、カルディオスは「もうすぐ焼けるよ」と。


 地面に斜めに刺された、木の枝を削った串に、ぶつ切りにされた肉の塊が突き刺されて重たげに炙られていた。


 カルディオスはときどき、串の向きを変えたり色々していたが、結構つらそうだった。

 何度か悲しそうに、「腹減った……」と呟いていて、おれは理由もなくそわそわしてしまった。


 おれがまじまじと肉を見ていたもので、カルディオスは途中で、「これ、兎を捌いたやつ。肉」と説明し、更におれが首を傾げると、「その辺の生き物は大抵食えるよ。まあ、小鳥なんて捕まえても肉ないから食えないも一緒だけど」と、さらっと言った。

 なんでも兎の皮を剥いだり骨を除けたりしたものが、現在炙られているものであるらしい。

 皮や骨が見当たらないので、おれはぐるりと周囲を見渡してしまったが、カルディオスはさすがに呆れたように、「いや埋めたに決まってんだろ」と。


 おれがひたすら首を傾げ続けたものだから、カルディオスはちょっと困った顔をした。


「あれだな、おまえがショック受けたらやだなと思って隠したんだけど、見せた方が良かったかな」


「ショック……?」


「いやほら、兎って可愛いから」


 カルディオスは真顔で言って、「そろそろいいよ」と呟いて串を一つ地面から引き抜き、「熱いから気ぃ付けて」と付け加えておれに手渡しつつ、苦笑して言葉を結んだ。


「容赦なく皮剥いだりするの、おまえが嫌がるかと思って」


 おれは首を傾げた。


 カルディオスも自分の分の串を取り上げ、「()ち」と呟きつつ、しかしながら嬉しそうに肉を頬張った。


 おれも真似してみた。

 案外に柔らかかった。



 ()から考えると、もしかしたらそれはカルディオスにとっては十分な量ではなかったのかも知れないが、ともあれ肉がなくなる頃には、カルディオスは満足そうな顔を見せた。



 その頃にはもう夜になっていたので、カルディオスはここから更に進む気はないようだった。


 木立の隅っこで毛布を広げつつ、カルディオスは、何かとても大切なことを請け合うかのように言った。


「町に着いたら、ちゃんといっぱい食えるから。師匠が持たせてくれてるから、金はあるんだ。マジで、ほんとに、買い込んでた分が切れただけだから」


 よく分からないながらも、おれは頷いた。


 カルディオスは木に凭れて身体を伸ばして、にこっと笑う。


 それから気紛れのように、空を指差して全天の星を示し、星で方角を知る方法をおれに教え始めた。

「あの並びの星は北にしか出ない」だとか、「今の季節、ああいう並びの星は南に見える」だとか。


 無数に煌めく星はどれも綺麗だったが、カルディオスが指差して口を開く度に、そこに意味が加わるのは愉快だった。


 おれが教えてもらった星を繰り返し指差していると、そのうちにカルディオスの方が飽きたのか、ちらっとおれの方を見て、唐突に言った。


「それ、綺麗だね」


 それ、と指されたのはおれの腕輪だったので、おれは自分の表情が微笑の方に傾いたことを自覚した。


「貰った。空の色」


「ああ、確かに。俺、詳しくないから名前は分かんないけど」


 おれは若干得意になった。

 兎角もの知りなカルディオスが知らないことを知っていたのは、初めてであるように思われた。


「カライス」


「へえ」


 カルディオスは素直に感心したようにそう言って、言葉を続けた。


「師匠もいっぱい持ってる……そういう宝石」


 おれは首を傾げた。


「宝石って、なに」


「そういう、綺麗な石。いろんな色の。高価なんだってさ」


 カルディオスは応じて、ちょっとだけ顔を顰めた。


「金持ちほどいっぱい着けてる……や、いいや、やめとこう」


 小さく首を振って、カルディオスは空の方に視線を戻した。

 翡翠の瞳が、星の明かりを吸い込んで光った。


「――『絢爛豪華な舞踏会よりも、花々の上の夜露の舞こそ美しい』」


 カルディオスが呟いた。

 分からない言葉ばかりが出てきて、おれは首を傾げた。


 それを見て、カルディオスは軽く笑う。


「師匠が好きなんだって。なんか思い出して」


「そうか」


 おれが頷き、カルディオスは肩を竦めた。

 それから、頭の中から何かを追い出そうとするかのように首を振って、小声で何事かを呟いた。


 その声はおれには聞き取れなかったが、すぐにカルディオスは顔を上げて、おれに向かって、宣言するように告げた。



「――多分ね、明日くらいには町に着くよ」











 夜が明けると、平原は一面の朝露に煌めいた。


 おれは黄金の夜明けを望み、たぶん光が香っているのだろう匂いを吸い込む。

 この広々とした世界の素晴らしさに惚れ惚れする。



 そうしているうちにカルディオスが目を開けて、鼻を啜り、「やべぇ寒みぃ」だの、「腹減った」だのと言いつつ、自分が(くる)まっていた毛布をくるくると丸めて荷物の中に突っ込み、おれからも毛布を引き剥がして同じようにした。


 それを後目に、おれは、「夜明けの根元まで歩いていくのにどのくらい掛かる?」と訊いたが、毛布を丸めつつカルディオスは、「歩いたら歩いた分だけ夜明けもあっちに行く」と答えた。


 それから、不思議そうにおれを見て首を傾げる。

 カルディオスは背中を丸めて、全身を小刻みに震わせていた。


「――寒くねーの?」


「寒いって、なに」


「おまえ雪国の出身かよ。これくらいは寒くないって?」


 口を開けておれの質問を笑って、カルディオスは、その場で軽く足踏みする。


「まあ、真冬に比べたら全然マシだけどね。これからどんどんあったかくなる」


 おれは頷いた。


 カルディオスの話に関心がないわけではなかったが、おれの知っている相槌の打ち方は余りにも少なかった。

 カルディオスは、おれの関心の度合いを正確に汲み取ってくれたらしく、小さくくしゃみをしてから、もう一度鼻を啜って言葉を続けた。


「俺は夏の方が好きだわ。寒いより暑い方がまだマシ」


「そうか。じゃあおれも、夏の方が好きだと思う。夏ってなに」


 カルディオスは笑った。

 カルディオスの笑い声は風のようで、おれは好きだった。


「春の次の季節だよ。暑くて日が長くて夜が短い。あと日差しも強い」


「暑いって、なに」


「そうなってみりゃ分かるって。――冬はほんと、一人旅は命に関わるんだよ。寒くてさぁ」


 カルディオスはそう言いつつ、毛布を詰め込んだ荷物の口を締め、それを担ぎ上げた。


「いや、俺が悪いんだけどね。宿に泊まんの怖いから、大抵野宿すんだけどさ、こないだまで、マジで死ぬかも知れんって思いながら寝てたから――」


 眉間に皺を刻んで、カルディオスは小難しく言う。


「大体さ、暖を取る一番手軽な手段って、近くの人間――ってかまあ、体温のある生き物ね、それと身を寄せ合うことらしいんだけど、俺にそんなこと出来るわけねーじゃん。気持ち悪いし」


 だから冬とは相性悪いんだよ、と言ったあと、カルディオスはふと何かに気付いた様子でおれを見て、ぱっと笑った。


「あ、いや、今度の冬は、アンスがいてくれれば大丈夫だな」


 おれは瞬きした。

 カルディオスは、ちょっとだけ照れたように笑った。


「俺、アンスはたぶん、くっ付いて寝ても平気だと思う」


 おれはよく考えず、頷いた。


「そうか。じゃあ、冬――になったら、そうしよう」


 カルディオスはにっこりした。


 幸福そうな笑顔だと、おれはそれを思う。





◇◇◇





 世界のことを、何一つとして知らされていなかったおれにとって、季節とは常に、カルディオスの声で告げられるものだった。


 あいつはおれに春を教え、このあとには夏を伝えて秋を語る。



 おれはカルディオスの宣言で、季節の変遷すらも定義づけていた。




 ――ただひとつ冬を除いては。



















3章79話で、ヘリアンサスが、「寒いのが嫌いだと不貞腐れていたあいつ」といっていたのは、

カルディオスのこと。






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― 新着の感想 ―
[一言] ボーイ・ミーツ・ガールだと思ってたけど、ルドベキアとカルディオスといい、もしかしてこの小説はブロマンスなのでは……? あ、ヘリアンサスに性別はないか
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