03◆ 暗殺未遂
魔王に替えは利かないから、どんな馬鹿でも俺を暗殺などするまい、と高を括っていたのが良くなかった。
殺されそうになるとは思わなかった。
初手は毒殺を謀られた。
夕食中、なんか違和感あるなと思っていたら急に血反吐が出てきて、周囲も騒然となったが吐いた俺が一番びっくりした。
毒に対する耐性はさすがにないと焦りはしたが、いや待て今の俺は魔王だぞ? と思い返して死ぬ思いで今生初の魔法を行使。
閃いたのは止血の魔法だったが、その魔法を構成するのは魔王の魔力だ。
あれよあれよと体内で魔王の魔力が蠢く気配がして、たちまちのうちに俺は元通り。
すげえ、さすが守りで法を超える魔王の魔力。
毒まで無効化できるのか。
即座に顔を上げ、「失礼しました」と抜かした俺に、多分暗殺を企てた奴は腰を抜かしたんじゃなかろうか。
俺が魔王だと知ってはいても、俺には魔法なんて使えないと思い込んでたんじゃないかな。
この一件で俺が魔法を使えることが判明したわけだが、ならばと意気込む周囲が俺を訓練場に連行し、騎士と練習試合をと凄んだ際に俺はそれを粛々と受け、手も足も出ない風を装ってばっちり負けてみせた。
有能と思われるなんて絶対にごめんだ。
魔法は多少使えても、やる気が致命的にない魔王として、俺の悪評は島を駆け巡った。
二度目には寝込みを襲われた。
ここは敵地であるという意識が生まれたときからずっとあるので、熟睡していなかったのが俺の命を救った。
殺意満点で振り下ろされる小刀を起き抜けに目にした俺の驚愕を察してほしい。
飛び起きるというか転がり起きて、「見張りの護衛は何してんだ?」なんて陳腐なことを考える俺を、暗殺者はあろうことか焼き殺そうとしてきた。
赤々と燃える炎は魔法で呼び出されたものだ。
暗殺者の掲げた両手の上、彼の魔力を以て変えられた世界の法が空気を熱し、灼熱の炎を生じさせる。
――火事になったらどうするんだろうな。
俺の寝室が馬鹿みたいに豪華で天井も高いから、今のとこ燃えてるのは空気だけだけどさ。
むしろ白ける俺は動じない。
なぜなら、俺にとっては炎よりも刃物の方が怖いからだ。
俺を誰だと思ってやがる。
俺に約束された力、俺の得意分野、俺の固有の力は熱を司る。
すなわち俺は火傷だけは絶対にしない! 熱で俺を殺そうなどと笑止千万。
燃え盛る炎の中で高笑いしてやろうかと一瞬思ったが、それをすると確実に俺の寝室の俺以外のものは消し炭になるので、極めて平和的に俺は暗殺者の呼んだ炎から熱を奪った。
すなわち消火。平和的なのが一番だ。
蒼褪める暗殺者に、「内緒にしといてあげるから家に帰れ」とカッコつけて恩を売ったまでは良かったが、直後に俺は深く深く考え込まざるを得なかった。
――あの暗殺者、どこから来たの?
窓?
有り得ない、高すぎる。
魔法を使って上がって来られるとかいうレベルじゃない。
重力を打ち消すのはかなりしんどい部類の魔法だ。あんな三下がホイホイ使えるわけはない。
――ってことは、扉?
見張りの護衛は?
まさか殺されてるんじゃ、と青くなって飛び出した俺を、妙に平然と迎える護衛二人組。
どうなさいました、と訊かれて、俺は全てを悟って「なんでもない」と答えざるを得なかった。
――護衛が暗殺者側についてるって、かなり危険な状態じゃね?
自分の周囲は暗殺の危険でいっぱいだと知った十三歳。
……帰りたい……。
◆◆◆
思えば俺は今回、自分の周りに無関心だった。
役職と顔で人を認識することが殆どで、個人の名前を知っているのは父母と乳兄弟くらい。
乳兄弟はすっかり俺に恐れを成していて、最後に話し合ったのは何年前だろうってレベル。
俺にとってここは敵地で、俺にとってここは死地で、俺にとって帰るべき場所はあいつらのところ。
このところ暗殺続きですっかり俺も疲れてしまった。
鏡に映る自分はだいぶ痩せて窶れている。目の下の隈なんてすごい。
暗殺者側は、あれなのかな、俺を殺せば別の魔王が誕生すると思ってんのかな。
毒は日常茶飯事だし、その度に血反吐騒ぎだし、寝込みは定期的に襲われるし、外歩いてたら上から何か降ってきたりするし。
でも絶対に有能だなんて思われたくない。
俺が、俺たちが、殺され続けたこの場所で、これまでの長い長い人生を自分から裏切るような真似は絶対に出来ない。
この場所のために、ここの連中のために頑張るなんて死んでもごめんだ。
――帰りたい……。
声に出さずに呟いて目を閉じる。
懐かしいみんな、元気か?
今回の貧乏くじは誰が引いた?
俺のこと気にしてくれてるか?
――だってもう、俺、十八歳になったよ。
暗殺に晒され続けた五年間だよ。
っていうか、こんなに長いことみんなに会わなかったのは初めてだ。寂しい。
何回か前の誕生時、一人だけ十歳上に生まれたコリウスが、俺たちに会った瞬間号泣したことあったっけ。あのときあいつは二十三だったな。
それまでずっと冷ややかで、俺たちに対しても距離を置いて接するような奴だったのに案外可愛いじゃんと思ったのを覚えてる。
――あのときは他人事だった。
でもこれ……想像してたよりつらい……。
こういう不運に見舞われるとしたらアナベルだと思ってたよ……。
あるいは、救世主を経験した直後のあいつなら、その度にみんなとの再会は遅れてたな……。
脳裏を過るあいつの飴色の瞳。
――会いたいな……。
内心で呟くと同時、ぐぅ、と腹が鳴った。
俺は項垂れる。
――そういえばさっきは血反吐騒ぎで、食ったもん全部出したな……。
そんな毎日が重なる中で、俺が家出ならぬ島出を考えるのはごくごく当然のことだろう。
本音を言えば生まれた瞬間から、大陸の方に渡りたいとは思っていた。
俺が魔王として活動しないなら当然、救世主一行がこの島に来ることもない。
そうなれば俺は一生みんなと会えないことになるからな。
けどまあ、時期を窺う気持ちはあった。
何しろ、大陸とは情報が断絶されているこの島だ。
今大陸で何が起こっているかなんて分からないし、万が一、大陸の方で戦争でも起きてたら笑えない。
だからちょっとずつ情報を集めて、知識ももっと蓄えてから行動しようと思っていた。
――でももう、限界です。
図書室には読んでない本がいっぱいあるけど許して。冊数が多すぎる。もうある程度は学んだ。前回俺たちを散々苦しめた巨大兵器についてまで、嫌悪感を呑み下しながら勉強した。もう十分だろ。
それに何より心の安寧がほしい。
腹いっぱい安心して食べたい。熟睡したい!
目が据わった俺は真夜中、寝台の上で胡坐を掻いて思案。
必要なもの――当面の食糧。大陸に渡る移動手段。
なんせこの島、船の一隻もないからね! あるとしても漁船。さすがに俺としても、漁師さんから生活の糧となる船を奪う気にはなれない。
この島で唯一、海を越える機動力を持っているのは、前回の人生で大陸に攻め込んで来て俺たちを散々苦しめた巨大兵器だろうが、あれは技術の粋を集めて造られた、たった一機しかない超貴重品。
普段は城の地下に厳重に仕舞い込まれていて、嫌われ者の魔王が手を出せるものではない――それに、トラウマがすご過ぎて出来れば見たくない。何しろあの兵器にはみんなして殺され掛けたからね。
魔王以外で俺たちをあそこまで追い詰めたのはあの兵器だけだ。
海上で方角を見失う危険性も考えねば。
太陽やら星やらで方角の特定は出来るだろうが、曇り空だったらどうする? 大陸まで独力で辿り着くとして、何日――いや、何箇月掛かる? その間に嵐でも来たらどうする。
一番警戒するべきは、〈洞〉に出遭うことだろうけれど。
そしてまず、どうやって城から逃げ出すか。
俺は真夜中を映して暗く沈んだ窓に目を遣る。
自慢ではないが、俺はこの島で一番身の安全に気を遣われるべき存在だ(だったら誰か暗殺を防いでくれよ)。
だから俺は今まで一度も城の敷地から外へ出たことがない。生粋の箱入り育ちだ。
だから、城下の地理がよく分からない。
いつもこの城に乗り込んでくるときは、余計な寄り道はせずただただ真っ直ぐ目指して来たからなあ……。
ふう、と息を吐き、俺は足を崩して身体の後ろに手を突く。
大陸からこの島に渡るなら、それこそ回数を覚えていないほどに経験がある。
だけど、逆はない。いつだって俺たちはこの島に渡って来て、そしてこの島の、この城の中で殺されてきた。
――だから、潮の流れとか分かんねえんだよなあ……。
困り切ってぽりぽりと首の後ろを掻いた――直後、俺は寝台の上に引っ繰り返った。
長年の勘って馬鹿に出来ねえ。
刹那に俺の上を通過する――
「今度は吹矢か!」
悪態を吐き、俺は憤然と叫んだ。
「俺が寝てないことくらい分かるだろ! 無駄なことすんな!」
――そう、魔王には守りで法を超える力がある。
守護に回れば無敵と言えるのだ。
黄金の目のあいつが、それだけでは説明がつかないくらいに手強過ぎるのはさておいて。
だが、さすがに無敵の守護の力も、持ち主である魔王の意識が無ければ働かない。
あるいは魔王自身が認識できない出来事には反応できない。
だから俺に対する暗殺は主に、毒殺あるいは寝込みを襲うことを主眼にしていた。
食事も睡眠も、どっちも人間にとっては大切すぎて、安心した食事睡眠から引き離された年数を思うと泣けてくる。
更に、毒見を掻い潜るために遅効性の毒を仕込む毒殺が多すぎて、犠牲になった毒見役は一体何人に及ぶか。
遺族一人一人を見舞う俺の心労が分かるか。
いかに俺の人生経験が長くて魔王の魔力を持ってたって、毒を予見して防ぐなんて出来ねえよ。
胃壁に防壁張れってか? そんなんしたら、栄養の吸収も出来ねえわ。
効いてきてからしか対策は取れない。
〈失ったものは取り返せない〉という世界の法、絶対に変えられないその法を、魔王の魔力でどうにかこうにかこじ開けて、死ぬ思いしながら止血したり何だりしてるのだ。
魔王の魔力が守護に特化しているからこそ、世界の大原則のその法を辛うじて超えられるのだ。
〈時間を操ることは出来ない〉という絶対法を、どうやら魔王の力では超えられないらしい。
時間はどうやっても戻せない。
死んだらそれまでで、俺が毒見役にどんなに申し訳なく思おうと、あの人たちを生き返らせることは出来ない。
毒見の廃止を俺が叫んでも、「他の方もいらっしゃいますので」と一蹴される。
「いい加減にしろ!」
寝台に引っ繰り返って叫ぶ俺。
それでも見張りをしているはずの護衛の兵は一人たりとも異変を察知しない。
あの二人ももう裏切り済か。給料返せ。
俺の叫びには沈黙のみが返る。
どこから吹矢が飛んできたのか確かめようにも、多分壁に穴でも開けられたんだろうとしか。
まったくこの城の連中は、上辺では俺を守ろうとしているように見せかけて、その実、暗殺者に手を貸してる奴の方が多い。
マジで俺が死んだらもっとまともな魔王が生まれて来ると思ってんだろうか。
生まれて来るとしても十中八九、白髪金眼の性悪だぞ!
だが、誰が俺を殺そうとしているかなんてことに興味はない。
死なないでいることにだけ価値がある。
死なずに乗り切って、俺はあいつらに再会してみせる。
――それ以外はもう、正直どうでもいいことだ。
暗殺者の居所が分からず、また諦めて撤収した確信が持てないために、本日の俺は徹夜決定。
腹が減った。
睡眠不足は積み重なって、俺の心を弱らせる。
それでもぐっと奥歯を食いしばり、俺は寝台の上に座り直した。
絶対生き延びてみせるからな、と口の中で呟いた俺の瞼の裏に、絶対に忘れられない、思い出すまでもなく鮮やかな、飴色の瞳の幻想が浮かんだ。