74◆ 断章
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切迫した声が間近に聞こえて、俺は目を開けた。
――目が眩む。
明るい。
傍に茂みがある。
がさがさと葉擦れの音がする。
そして近くに人がいる。
「――っ」
声を出そうとして、俺は咳き込んだ。
その音に、傍にいた数人がこちらを見たのが分かった。
「――ルドベキア?」
聞き慣れた声、耳に馴染んだ声でそう呼ばれて、俺は頷く。
何度も頷く。
この、珠が響くような声はディセントラだ。
俺は必死に目を開けようとしながら、震える手を地面に突き、起き上がろうとした。
――豊かな、柔らかい下草が掌に触れる。
さっきまで凍えていたはずなのに、ここは暖かい。
「おい、無茶するな」
別の声がする。
これも耳に馴染む声だ。カルディオスだ。
「ルド、おい、おまえ――何された?」
切迫した、危機感の籠もった声でそう尋ねられ、しかし俺はそれを無視した。
咳き込み、息を吐いて、俺は呟いた。
「――コリウスは?」
声が震えた。
目がちかちかする。
辺り一面が眩しく感じる。
「ここだ」
傍で声がした。
耳に馴染む――千年の間一緒にいた声。
無我夢中でそちらを見ると、コリウスが――銀の柳眉を顰めて、濃紫の目で俺を見て、跪いた姿勢で、いた。
そこにいた。
「どうした、ルドベキア。おまえ――」
「コリウス」
呼び掛けて、俺は手を伸ばした。
「は?」
コリウスが訝しげな声を上げるのも構わず、俺はひたすら、がむしゃらに力を籠めて、コリウスを抱き締めていた。
「コリウス、ごめん。本当にごめん。ごめん、ごめんな」
必死に謝る俺の震え声をどう解釈したのか、コリウスは素早く俺を振り解きつつ、いつもと同じ平静な声で――ただし、厳しい声で、短く答えた。
「大丈夫だ、気にしていない」
「――――」
涙が溢れたのが分かった。
――おい、コリウス、分かってるのか。
おまえを生涯苦しめ続ける呪いを掛けたのは俺だぞ。
挙句の果てに、俺はおまえが治めるはずだった国を焼き払ったんだ。
おまえ、いつか言ったな?
〈呪い荒原〉の傍で、俺に言ったな?
俺が魔王じゃないって、他でもないおまえがそう確信してるって、言ったよな?
違うんだよ。
俺が魔王なんだ。
他でもない俺が魔王なんだ。
おまえの国を焼いて、俺は魔王と呼ばれたんだ。
だからおまえは、おまえだけは、声高に俺を魔王と責め立てる権利があるんだよ――
「ルド、どうした。おまえ、ほんとに」
カルディオスの声がする。
俺の記憶にあるより低い気がする。
視界が定まらない。
カルディオスの方を見られない。
ただ、カルディオスの衣服の一部が血に濡れていることは見えた。
――同時に、声が。
梢を揺らす声がする。
ここはどうやら木立の中であるようだ。
事態の把握が上手く出来ない。
――ただ、この声は。
歯の根が合わない。
唇が震える。
俺のそんな様子に気付いているのかいないのか、ディセントラが俺の傍にぴったりと寄り添いながら、口早に説明してくれる。
「――大丈夫? 何されたの?
あんた、ヘリアンサスの何かの魔法で気を失って、全然起きなくて」
声が聞こえる。
眩暈がする。
「私たちはこっちに逃げて来たんだけど、イーディとアナベルが見当たらないの。
アナベルは気を失ってたし、挙句の果てにレヴナントまで出て来て」
――レヴナント?
違う。
この声は、もっと他に呼び方がある。
「……〝えらいひとたち〟だ……」
俺は呟き、ディセントラが訝しそうな淡紅色の瞳で俺を覗き込む。
「ルドベキア?」
「ヘリアンサスは?」
俺はもはや、うわ言じみた声でそう言っていた。
――いたはずだ。
近くにいたはずだ。
いつもいつも、あいつは。
「――分からないの。レヴナントが出て、私たちも何がどうなってるのか分からなくて、あんたを引っ張って来るのに必死だったし――カルディオスは怪我してるし――。
ただ、まだ私たちを殺しに来てはいないわ。せめてあいつが、イーディとアナベルの方に居なきゃいいけど――」
俺は立ち上がろうとした。
――頭が揺れる。
まだだ、と、あいつの声がそう言っているのが聞こえてきそうだ。
――けど。
「あいつが怖がる……」
そう呟くのがやっとだった。
――再び視界が暗転する。
まだ終わっていない。
――俺はまだ、あのときの全部を辿り切っていない。




