27◆ 今生の救世主
声も出なかった。
唖然として自分を見る俺に、トゥイーディアが苦笑した。
霞んでいたはずの視界が一気に明瞭になった。
その視界のど真ん中に、――トゥイーディアがいる。
長く伸ばし、額の真ん中で二つに分けられている額髪。
優しい陽射しみたいな蜂蜜色の髪は背中まで伸ばされて、半ばを白い絹のリボンで結い上げて残りを流している。
身に纏うのは薄紅の絹のドレス。
ここまで走って来たのか、裾も髪も乱れている。
――衝撃波。反射的に防ぐ。
トゥイーディアの飴色の瞳が、俺から兵器へと映す対象を変えた。
――その眼差し。
生まれてから今日まで、俺が何度思い描いてきたか分からない、揺るぎない視線。
トゥイーディアが兵器に視線を向けていたのは、ほんの僅かな間だったと思う。
それでもその数呼吸分の間、俺は呆けたようにトゥイーディアを見ていて、時間の経過に無頓着になっていた。
――トゥイーディアだ。
しかも、この瞳。この眼差し。
この表情。この雰囲気。
ここにいるということ。
――もしかして、という予想に、俺の胸は震えた。
多分、顔には寸分も出なかったと思うけれど。
周囲を覆う大木を見たトゥイーディアが、す、と視線を滑らせた。
そこに、船のすぐ傍――ここよりは船尾寄りの位置でカルディオスを守る、ディセントラとアナベルを見たはずだ。
俺はそちらに視線を向けられなかったけれど。
阿呆みたいな顔をして、トゥイーディアを見上げていることしか出来なかったけれど。
視線を翻してもう一度俺を見て、トゥイーディアが微笑んだ。
つい、と手を伸ばして、俺の唇の辺りを撫でた。俺はびくっとしたが、何のことはない。トゥイーディアの指を見ると、血が付いていた。
口許にくっ付けていた俺の血を、指先で拭ってくれたらしい。
――やばい、このことは夢に見られる。
確信する俺と対照的に、俺の反応を拒絶と取って、トゥイーディアが眉尻を下げる。
――だが、その表情も一瞬だった。
すぐに、決然とした面差しに変わる。
俺の好きな、俺の尊敬する、救世主の顔。
そして、言った。
「ありがとう、ルドベキア。もう大丈夫よ。後は任せて」
少しハスキーな声。夢で聞いた声。数え切れないほど焦がれた声。
「……え?」
俺は間抜けな声を出し、瞬き。
トゥイーディアの後ろに、顔色を失ったコリウスが見えた。
このやろう、今まで何してたんだ。
ていうか、なんて顔色してんだ。
この兵器のことは知っているはずだし、俺もまだそんなに酷い有様じゃないし、なんでそんな顔をしているのかは分からないけれど、だけど、そんなことより――
「……おまえ、――」
続く言葉を悟って、トゥイーディアは控えめに微笑んだ。綺麗な飴色の目が細められた。
「相変わらずの死にたがりね。きみの顔を見たら全部思い出したわ。
――だから、もう大丈夫」
繰り返して大丈夫だと告げて、トゥイーディアは身を乗り出して手を伸ばし、槌を握る俺の手に自分の手を重ねた。
こんな場合だが、俺は内心大いに慌てた。
だがすぐに、トゥイーディアの意図するところを悟って俺は手指から力を抜く。
「うん、これは、返してね」
そう囁いて、トゥイーディアが俺の手の中から銛を取り上げた。
今生の正当な持ち主の手の中で、その武器が薄らと輝いた。
黝く輝き、溶けるようにその姿を変える。
俺は船体に完全に背中を預け、深く息を吐く。
その俺が見守る先で、すぐ傍で、トゥイーディアは武器を構えた。
その武器を、何と表現すればいいだろう。小型の砲台のような、大砲のような。
手摺に砲筒を乗せられ、トゥイーディアの硬く小さな手の上で、唸りを上げて狙いを定める。
潮風がトゥイーディアの髪を乱した。
船上の混乱も、このときだけは俺の意識の外だった。
トゥイーディアの飴色の目が、非情なまでに冴え冴えと、なおもこちらを攻撃しようとしている兵器を映した。
そして、彼女が呟くように宣告する。
「――くたばれ」
トゥイーディアの手の中で、彼女の魔力を以て、大砲が火を噴いた。
実際の火ではない、それよりも凝った破壊の意志。
冷たく、強烈に、余儀を許さず使い手の意志を徹す、俺が知る限り最も破壊に特化した光。
真っ白な光弾が兵器に向かって飛び、――着弾。
――音は無かった。
着弾した光はその瞬きすら消して、一瞬、何の効果ももたらさなかったかのように見えた――
その次の刹那。
兵器が耳を劈く軋みを上げた。まるで悲鳴。
兵器の脳天が幾度か光り、末期の攻撃を警戒した俺は身構えたが、それすら不要。
どのような仕組みであの兵器が動いているのであれ――、その仕組みが壊され始めている。
凄絶な不協和音が耳朶を打つ。
兵器がのたうつように空中で横転した。
動力源である同心円を成す輪が、全て上下ばらばらに動き出す。
その影響で、兵器が空中で痙攣するように小刻みに動いた。
――舌打ちが聞こえた。
トゥイーディアが、不機嫌極まりない飴色の瞳で兵器を見据え、その断末魔が長いことに苛立っている。
いま一度、彼女が大砲を構えた。
二度目の真っ白な光弾が、断末魔に震える兵器に着弾した。
――長く長く、軋むように耳障りな、兵器の断末魔の絶叫が海上に轟いた。
そして、今度こそその形を留めること能わず、兵器が上部から下部に向かって、内側に向かって崩れるように壊れ始めた。
全ての接合部がばらけ、塊ごとに海へと落ちていく。
その様は、内部から崩壊したことをありありと物語るが如く。
今までトゥイーディアが、同じ対象を二度以上撃つことはそうなかった。
彼女の力の剄烈さが、一撃必殺を可能にしていた。
そして撃たれたものは、原形を残さず、それこそ塵となって吹っ飛んでいくところしか見たことがなかった。
その点をとれば、既に打撃を受けていても、この兵器はさすがというべきか。
ばらばらにはなったが、それでも原形を留め、高く飛沫を上げて海中へ沈んでいく。
落ちゆくものの質量を物語るが如く、飛沫が俺にまで届いた。
波立つ海に、船がまたしても揺れる。
――俺が真似事しか出来なかった、これがトゥイーディアの真骨頂、約束された固有の力。
〈ものの内側に潜り込む〉能力。
物質的なものであれ精神的なものであれ、内側から破壊することを最も得意とする、あらゆる防御を無いものとして片付ける圧倒的な力。
俺の知る限り、精神に働きかけることが出来る唯一の魔法。
――〈あるべき姿からの変容はできない〉という絶対法を超えた、応用の効かない、段違いに破壊のみに特化した力。
そのトゥイーディアが、二度撃って壊滅させた兵器である。
俺が同じ結果を得ようとすればどれだけ時間が掛かったが、想像するだに恐ろしい。
最後の破片が海面を叩いて落ちていき、周囲はしばし、息を呑むような静寂に包まれた。
全員が息を止め、声を慎み、目の前で起こったことを理解する――
――そして、歓声が弾けた。
あるいはその中に、今になって噴出した疑念や、過ぎ去った後になってまざまざと自覚できたのであろう恐怖ゆえの悲鳴も混じっていたかも知れない。
船上で安堵の余りに泣きじゃくる声、九死に一生を得たことを認識したがゆえの歓声が爆発する。
枝葉を透かし、ちらりと見遣るに陸も同じようなものだった。
ただその中でも、少なくない人数がこちらを――というよりも、船を――指差して、何かを叫んでいるのが見えた。
この大木を疑問に思っているというのと、船、あるいはトゥイーディアを案じているのだろう。
まさかたった今、あいつを二撃で葬ったのがトゥイーディア本人であるとは夢にも思うまい。
兵器の終焉を見届け、周囲の人の反応を聞き、ふ、と息を抜いたトゥイーディアが、黝く輝く武器を撫でた。
しゅん、と小さな音がして、大砲は瞬時にトゥイーディアの左の小指に品よく収まる指輪と化した。
「……相変わらずえげつねぇな。前よりすごくね?」
トゥイーディアを称賛したいのに、助けるはずが逆に助けられたことに対して礼を言いたいのに、俺はそんな皮肉めいたことしか言えない。
けれどトゥイーディアは、それはいつものことだとばかりに受け流して、少しだけ苦笑した。
「――前回の私と、今回のみんなの頑張りがあったからよ。すっごく脆くなってたわ」
飴色の瞳が俺を見た。
透き通った橙色の、夕暮れに溶ける太陽のような目が、心からの賞賛を籠めて俺を映す。
「船も陸も、守ったのね。それに、あれに私より先に傷をつけたのはきみでしょう? 救世主じゃないのに。――一番すごかったのはきみかも知れないわね」
そう言ってから俺の顔を覗き込み、トゥイーディアは今度は顔を顰めた。
俺は出来るものなら真っ赤になっていただろう。褒められたし顔近いし。
「それにしても、きみ。前回の最後といいさっきの戦い方といい、すごかったとはいえ本当に死にたがりね。
――ばかもの」
「…………」
俺は声が出なかった。
胸中には色んな感情が渦巻いているのに、その全てがトゥイーディアへの恋慕に基づいた感情だから、俺はそれを欠片も表に出すことが出来ない。
ただ憮然として、トゥイーディアの顎の辺りを見ていることしか出来ない。
無言のままの俺の目の前で、トゥイーディアがコリウスを振り返った。
そして、先程までの穏やかな口調から一変、厳しいまでの声を出した。
「コリウス、こっちへ。下りるわよ」
頷いたコリウスが、しかしこちらに歩み寄ることはなく一瞬で姿を消し、俺のすぐ傍に現われた。
その表情――幽鬼を見たかのような表情。
疑念を覚えつつも、俺は思わず言っていた。
「――コリウスおまえ、何してたんだよ。避難、アテにしてたのに……」
コリウスが片手で顔を覆った。
「悪かった……」
俺は目を瞠る。本当に、何があったんだ。
「コリウスを責めないで、仕方なかったのよ」
軽やかな声が聞こえ、見上げるとトゥイーディアが船の欄干を乗り越えるところだった。
慌てて俺は顔を背ける。何しろ、トゥイーディアはドレス姿だったから。
すとん、と軽い動作で俺とコリウスの傍に下り立ったトゥイーディアが、素早く状況を理解する瞳で、確認を籠めて俺を見上げた。
俺と彼女には、いつものように身長差がある。トゥイーディアの身長は五フィート五インチくらい。いつもと同じ、俺の顎くらいに頭のてっぺんがくる身長差。今の年齢は、多分十六歳か十七歳か。
「全滅が見えてきたと思って、カルディオスが得意分野を使ったのね?」
「俺は止めた」
憮然として俺は言う。
それに軽く頷いてから、トゥイーディアは迷うことなくカルディオスの方へ――延いては、アナベルとディセントラの方へ足を踏み出した。
「分かった。――カルを起こすわ。ついて来て」
ディセントラが、カルディオスの頭を膝の上に乗せて座っている。
アナベルはそのすぐ傍で、二人を守るように膝を突いていた。
今は二人とも、目を見開いて俺たちの方を見ている。
ドレスの裾を翻し、颯爽と巨木の枝の上を歩くトゥイーディアを目の前にして、アナベルとディセントラが各々歓迎の表情を浮かべた。
いつもならここで、「久し振り!」だの、「今回は誰と最初に会ったの?」だのと、きゃあきゃあと言い合うところだが――今回は違った。
トゥイーディアの雰囲気が、纏う気迫が、まるでまだ戦闘の途中であるかの如くに切羽詰まっている。
それこそこの場の全員が、再会の言葉を掛けそびれるほどに。
息を呑み、彼女の挙動を目で追い掛けることしか出来ないほどに。
アナベルにもディセントラにも一瞥もくれず、カルディオスの傍に跪いたトゥイーディアが、彼の額に触れた。
その指先から、目の錯覚かと思うほどに仄かな、白い光の鱗片が舞う。
――トゥイーディアは、人の精神に干渉できる唯一の魔術師だ。
だからこそ、こうして瞑想状態に入っているカルディオスを強制的に元に戻すことも出来る。
とはいえ、トゥイーディア自身はその能力を嫌っていた。
カルディオスのことに関しても、自然に元に戻るのが一番なのだといつも言っていて、自分の力でカルディオスを起こそうとするのは、緊急事態のときだけだと相場が決まっていた。
――緊急事態、ね。
彼女の後ろに立つ俺は、傍らのコリウスをちらりと見る。
コリウスの顔色は戻らない。船の上で何かがあったのだとしか思えない。
「なあ、コリウス――」
俺が声を掛けたそのとき、カルディオスが呻くような声を上げて身を起こした。
ぽかんとして何度か瞬きをして、そしてその翡翠色の目を丸くする。
「――えっ? えっ……イーディ?」
にこりと微笑み、しかし表情とは裏腹に硬い声で、トゥイーディアは言った。
「ええ、私よ。――久し振りね、カル」
そして立ち上がり、俺たちをぐるりと見渡したトゥイーディアが、俺に目を留めて表情を変えた。
彼女の纏う雰囲気が、初めて緩んだ。
眉を寄せて、眦を下げて、いっそ痛ましげな顔。
「――ルドベキア。大変だったね」
その言い方に、俺は僅かな違和感を覚える。
――どうして、「再会には苦労したの?」だとか「今回は誰と最初に会ったの?」だとか、そういう一切の質問をすっ飛ばして、まるで一番苦労したのは俺だと分かっているかのように、そう言ったんだろう?
だがその疑問を口にする前に、コリウスが呻くように声を出していた。
「――トゥイーディア、説明してくれ。
どうして――」
しかし、その言葉が結実することはなかった。
表情をがらりと変えたトゥイーディアが、押し退けるようにして俺とコリウスの間に割って入った。
そしてそのまま、左の小指から指輪を引き抜く。
次の瞬間には、その指輪はトゥイーディアのドレス姿とはまるでそぐわない、物々しい大剣へ姿を変えていた。
刀身も鍔も柄も、艶やかに黝く重々しい、殺戮のための造形。
その大剣の切っ先を、無言でトゥイーディアが船上へ向けた。
「――――?」
訳が分からず、俺はトゥイーディアを見て、そして彼女の視線の先を辿って振り仰いだ。
――そして、総毛だった。
コリウスがどうして避難誘導できなかったのか分かった。
どうしてこんな、今にも死にそうな顔色をしているのかも分かった。
これを見たからだ。
コリウスは今、促されるまでもなく振り返り、トゥイーディアの斜め後ろで身構えている。
――嘘だろ、気配もなかった。
いや、当然か。
――今まで俺たちは、こいつがどこにいるか知っていて、そのうえで行動していたのだから。
カルディオスとディセントラ、そしてアナベルが、弾かれたように立ち上がって身構えた。
その様子を、柔和に、面白そうに、船上――本当に、手の届きそうな至近の距離から、黄金の瞳で見下すのは。
手摺に肘を突き、指先で顎を支えて、雪色の髪を潮風に揺らして、ヘリアンサスがそこにいた。
――理解が追い着かない。
唐突に現われた宿敵に、心臓はさっきの倍の速度で打ち始める。
身構える俺を――否、俺たちを庇うように一歩前に出たトゥイーディアに視線を向けて、ヘリアンサスはにこやかに言い放った。
「――トゥイーディア・シンシア・リリタリス嬢。
仮にも婚約者候補に、その態度はあんまりだと思うけど?」
男にしては高めの、中性的でさえある声。
過去に何十回も、俺たちをせせら笑っては殺した奴の声。
――っていうか、婚約者候補?
こいつが?
どういうことなのか、俺の頭はますます混乱する。アナベルが息を呑む気配がした。
トゥイーディアは答えない。
殺気を放って、大剣を微動だにさせずにヘリアンサスに突き付けている。
その様子を微笑ましそうに見て、ヘリアンサスはいっそ愛想よくさえある口調で言った。
「さっきのを見るに、思い出した?」
「――そうね」
答えるトゥイーディアの、声色の苦さ。
「あの兵器は、おまえが指示したことか?」
詰問する強い口調のトゥイーディアに、ヘリアンサスはあろうことか、声を上げて笑った。
「違うよ。さっきのは僕もちょっと驚いた。それにしても、あんなにぼろぼろになったあれを使うなんて、今の魔族は抜けているのかなあ」
す、と視線を俺に向けて、ヘリアンサスはにこやかに、
「――ねえ、どう思う? ルドベキア」
「――――っ!」
咄嗟に身体が前に出ようとした俺を、トゥイーディアが振り返りもせずに左手で留めた。
その様子をにこにこと眺めて、ヘリアンサスは首を傾げた。
「全部思い出した直後に、それだけ落ち着いていられるのは感心するよ。
――けど、それにしてもきみ、僕に怒ってるの?」
まるで心外だとでも言うように、わざとらしく黄金の目を見開いて、ヘリアンサスは芝居がかった身振りで両手を広げた。
左の手首で、大小の不規則な形の明るい青い宝石を鎖に通して連ねた腕輪が、細く金属と宝石の鳴る音と共に揺れた。
「正気かい?
きみを殺す前に、色々教えてあげたじゃないか?」
俺の目の前が真っ赤に染まった。
――こいつがトゥイーディアを殺した。
それは分かっていたはずなのに、いざ、ヘリアンサスの口からいけしゃあしゃあとその事実が紡がれることに、沸点を超えた怒りが湧き上がった。
俺が目の前のヘリアンサスに殴り掛からなかった――それが出来なかった理由はただ一つ。
その行動原理がトゥイーディアへの思慕に基づく感情だったがゆえ。
俺たちが刻一刻と怨嗟と赫怒と殺気を募らせていることは分かるだろうに、ヘリアンサスはにこやかな態度を崩さない。
そして、言葉すら出ない俺たちの先頭で、トゥイーディアが息を吸い込んだ。
その表情には、混乱も、戸惑いも、躊躇もない。
ただ、激烈なまでに純粋に、憤怒のみを湛えた表情だった。
「――ヘリアンサス」
表情と同じ声音で呼ばわって、トゥイーディアは壮絶な眼差しで船上のヘリアンサスを睨め上げる。
「いいか。私が、この私こそが今生の救世主だ」
宣言して、トゥイーディアは大剣を握る手に力を籠めた。
叩き付けられる言葉の剄烈さ。
「誰が魔王かは私が決める。
――私が殺す魔王はおまえだ、ヘリアンサス。ルドベキアじゃない」
アナベルが、ディセントラが、カルディオスが、そしてコリウスが、初めてヘリアンサスから視線を外した。
全員が、驚愕の表情でトゥイーディアを見る。
俺もまた、愕然としてトゥイーディアの横顔を見た。
――どうして知っている?
俺の使った魔法が絶対法を超えていたから察したのか?
でもトゥイーディアは、俺が魔法を使っているところを、いつから見ていた?
ヘリアンサスはにこやかにトゥイーディアを見下ろした。
そして、徹底的に彩りの欠けた声を、端的に落とした。
「殺せると思っているの?」
絶対零度の声で、トゥイーディアがヘリアンサスに対峙する。
「私はおまえを許さない。
たとえ私たちがおまえに何をしたのであろうと、おまえを許さず殺す。
魂も残さず消滅させてやる」
ヘリアンサスは首を傾げた。
抜け落ちるように、彼の面から表情が消えた。
「――出来ると思っているの?」
トゥイーディアは揺るがなかった。穿つように応じた。
「――その約束だ」
じわり、と、ヘリアンサスの表情が戻った。
――浮かぶのは嘲笑。
その表情のままに、白髪金眼の魔王は高らかに笑った。
「傑作だ! 傑作だ、なんて面白い――今生は本当に、面白いことが尽きなくて困るくらいだ」
目尻から涙を拭って、ヘリアンサスは突き付けられた大剣を、その刀身を掴んで自分から逸らした。
大して力を籠めたようには見えない挙動だったが、トゥイーディアが手にした大剣が、たったそれだけで弾かれ、彼女の足許を支える枝を抉る。
そしてヘリアンサスは、トゥイーディアの目を覗き込んで、満面に笑みを浮かべた。
「――楽しみにしているよ、ご令嬢」
「…………」
トゥイーディアはもう答えない。
その様子にまたしても小さく噴き出してから、ヘリアンサスは俺たちを見渡した。
「ルドベキア、カルディオス、本当に久しぶり。今回もどうぞ僕を楽しませて、無様に死んでいってくれ。――じゃあね、また会おう」
堂々と手を振り、ヘリアンサスが踵を返す。
背中を刺されることなど、そんなことなど案じるに足りないと分かっている歩調。
自分が害される余地すらないと、事実として把握している背中。
――その背中が上構に消えるのを飴色の瞳で見守ったトゥイーディアの表情を、俺は知らない。
俺が見ていたのはヘリアンサスの背中で、トゥイーディアの顔を見下ろすことは出来なかった。
だが、やがて、ぽつりとトゥイーディアが声を出した。
「――……みんなの――」
反射的にだろう、俺たちの中の何人かがトゥイーディアを見た。
俺はまだ、ヘリアンサスの背中が消えていった場所を睨んでいた。
そんな中で、少しだけ俯いたトゥイーディアが、感情を振り切ったあと特有の、少し震える声で呟いた。
「――みんなの怪我の、手当てをしなくちゃ」
俺は内心で息を呑んだ。
――なんて彼女らしい第一声だろう。
今までのことを思い出した直後で、混乱がないはずがない。
ヘリアンサスと正面切って言葉を交わした後で、動揺がないはずがない。
――それなのに周りの俺たちを気遣うのか。
俺は弾かれたようにトゥイーディアを見て、そして彼女の、唇を噛み締めた表情を目の当たりにした。
狼狽が喉までせり上がったが、俺がそれを表に出すことはできない。
口にした言葉は余りにも素っ気なかった。
「――俺がやった方が確実だ」
その返答を聞いて、なぜだろう。
トゥイーディアが緊張の糸が切れたようにその場にしゃがみ込み、大きく、深く、息を吐いた。
緊張すら一瞬忘れ去り、俺はきょとんとして瞬きをする。
長々と息を吐き切ったトゥイーディアが、いっそ感心したかのように、そしてむしろ安堵を覚えたかのように、わざとらしく俺を詰った。
「いつも通りだね、ルドベキア。ほんと冷たい。――いつも通り過ぎて、なんか安心しちゃったじゃない」
そして俺たちを見上げて、小さく笑って呟いた。
本当なら再会したその瞬間に言っているはずだったその言葉を。
「……ただいま、みんな」
その言葉に、俺を含めて全員が、トゥイーディアに倣って樹上にしゃがみ込み、深々と息を吐き出した。
吐き出した息に映る感情は複雑だ。怒り、無力感、安堵、――歓迎。
長々と息を吐き出したカルディオスが顔を上げ、苦笑して、トゥイーディアに応えた。
「――ああ、おかえり、イーディ。
目ぇ覚まさせてくれてありがとな」
俺も心中でこっそり、同じ言葉をトゥイーディアに贈る。
――トゥイーディ、イーディ、ディア。おかえり。
再会までの長い道のりがようやく終わり、ここに俺たちは全員揃ったのだ。




