38◆――忘るる勿れ
「ふざけるな!」
と、怒り狂った口調で上の人たちのうち一人が罵っていた。
俺はその人の名前を知らなかったが、名前を知っていようがいるまいが、恐ろしいことに変わりはなかったので、目を見開いて硬直していた。
処は、あの日――世双珠の産出量が減少していることにしようと決められたときと同じ部屋。
上の人たちの誰かの部屋である。
俺は凍り付いていたが、罵った人以外の上の人たちはうるさそうに眉を顰めただけだったし、レイモンドとチャールズは、何も聞かなかったような顔をしていた。
そんな中で、罵った人はなおも悪罵の声を続けた。
「馬鹿にするにも程がある――!」
「まあまあ、スールどの」
と、俺が唯一名前を知っていた上の人たちの一人――アークソンさまが、おざなりな口調で宥めた。
それで俺は、罵っている人の名前がスールさまというらしいと知った。
「こうなることは見えていただろう――世双珠は連中にとっても生命線。こちらの大使に、」そう言って、アークソンさまが俺を見たので、俺は危うく気絶するところだった、「価値があると知れれば、本国に対する人質の意味でも逗留を勧められて当然――」
「だからだ!」
と、スールさま。
額の辺りの血管が切れたような勢いでがなる彼に、俺は失神しそうになった。
俺が島にいるとき、家の隅っこを借りて暮らしていた〝えらいひとたち〟の中でも三番目くらいに偉そうだった人――あの人が夜中に突然怒り出すときと、似た雰囲気があったのだ。
「足許を見た気になりよって腹立たしい!」
ばんっ、とテーブルが叩かれて、俺はびくっとした。
レイモンドがテーブルの下で手を伸ばして、俺の手の甲をとんとんと叩いて宥めてくれた。
「そもそもが――」
スールさまが俺を睨み付けたので、俺はますます目を見開いて固まった。
「――世双珠の減産の理由を不明だと言ったがためだろうが!!」
俺は竦み上がった。
――全く以て、スールさまの言い分は正しかった。
このときレンリティス側が俺たちに逗留を求めたのは、保険のため――世双珠の減産の理由を割り出して、輸入量を確保しようとする動きの一環、まさしく、島に対する人質とするためだっただろう。
そもそも俺が初っ端に、「魔法を使い過ぎたがために世双珠が減っているのだ」と、当初の打ち合わせ通りのことを言っていれば、レンリティス側の対応も変わったはずだ。
まず間違いなく、真偽のほどは相当疑り深く確かめられただろうが、ハルティ側がぼろを出さなければ、偽であると断定のされようもない。
何しろ、レンリティス王国が総力を挙げたとしても、あの地下神殿のある島を守る――俺が番人として掌っている――内殻までは突破できないだろうから。
だから、ヘリアンサスと母石の存在を嗅ぎ付けられることもなければ、ヘリアンサスと母石を奪われることもない。
トゥイーディアなら諸島を守る外殻までは突破できるだろうから、ハルティ諸島連合が滅ぶことにはなるかも知れないが、肝心の世双珠の情報は守り切られたはずだ。
だからレンリティス王国は――もしも俺がきちんとお役目を果たしていれば――、まずは俺たち使節団を相当に締め上げて情報の真偽を確かめ、真であると確信した段階で、恐らくは各国の元首と諮って対応を協議したはずなのだ。
世双珠は全世界の生命線、失われるとなればどこの国も他人事ではいられない。
――思い返してみれば、こうして全てを辿っていけば、明らかだった。
これが最後の機会だったのだ。
俺がそれを潰した。
「――スールどの、落ち着かれるがよろしかろう」
アークソンさまが素っ気なく言って、ちらっと俺を見た。
俺は針で刺されたように俯いた。
「番人。あれからも一度、国王に召喚されたな」
俺が竦み上がってしまって返答どころではないのを見て取って、レイモンドが素早く言った。
「――世双珠減産の理由は調査中と申し上げるよう、私が助言しました」
俺は頷いた。
それは事実だった。
二度目に呼ばれた評議は、謁見の間ではない――それよりも上の階層にある、円形の広い会議室で行われ、俺は大きな円卓の、国王の真正面に着かされたのだ。
そしてその席で、俺は世双珠の減産の理由を調査中であると奏上していた。
スールさまが舌打ちした。
同じような表情の人が相当数いた。
「……差し出がましいようですが」
と、チャールズが声を出して、自分に視線が集中したことを確認してから、明瞭に言った。
「レンリティスからの滞在延長の申出、諾否を決めねばなりません。そもそもが一年の期限は短過ぎるものでもありました。申し出は、渡りに船では」
ざわめくように、上の人たちが互いに何かを囁き合った。
チャールズは肩を竦めた。
「断るならばそれもよろしいですが、お役目を果たすのは絶望的ですよ。
それとも、次はヴェルローに行って同じことを致しますか」
今度は小さな笑い声が上がった。
「ヴェルローの女王に番人を会わせられるものか」
「然様、然様。あの女王――国境を跨いだ途端に取って喰われるわ」
一頻りそんな声が上がったあと、上の人たちが何やら小声で遣り取りを始めた。
「――諸国への輸出量を減らすよう、既に古老長さまにも申し上げてはいるが」
「ならばよい、このままここで――」
「古老長さまは躊躇なさっておいでだ――」
俺が遠慮がちにあちこちを窺っているうちに、どうやら結論が出たらしかった。
使者がどうの、雲上船がどうのという話がされて、俺は怯えながらもきょとんとする。
上の人たちが身振りで俺たちに退出を求めて、俺はレイモンドに腕を掴まれて立ち上がらされた。
戸惑った顔をしている俺を急かして、レイモンドとチャールズが俺ごと部屋を出て行く。
「――レイ? レイ、どういうこと?」
廊下に出て扉が閉められるや否や俺がそう尋ねたので、歩き出しながらもチャールズが呻いた。
「――だと思った。話について来られてる顔じゃなかったもんな」
「ごめん……」
「いや、大使さまをびびらせてる上の方々が悪いんだよ」
項垂れた俺にチャールズがそんな言葉を掛けてくれている一方で、俺の隣で足を進めるレイモンドはさっと周囲を窺って、誰もいないことを確認してから、俺に向かって端的に言った。
「ルドベキア、つまりね、滞在が一年延長になるということです。
無論、古老長さまの承認が得られれば、ですが。
明日にも使者が向かいますが、如何せん諸島への雲上船の直通便はないですからね。裁可に時間も掛かるでしょう」
俺は思わず、その場に根が生えたように立ち尽くした。
レイモンドとチャールズは、俺が立ち止まったことに気付かずに数歩進んで、それから揃ってこちらを振り返り、進んだ分の数歩を戻って来た。
「――ルドベキア?」
レイモンドが眉を寄せて、俺の顔を覗き込んだ。
そして俺の、棒を呑んだような表情を見て訝しげに目を細めた。
「どうしました? 古老長さまが否と仰れば、もちろん島に戻らねばなりませんが、恐らくはこのまま――この顔ぶれのまま――一年延長です」
「――延長……」
俺は息を止めていたが、喉の奥の方から声を絞り出した。
「……俺、島に、一回――戻れる?」
「はい?」
レイモンドが面食らったような声を出して、チャールズも怪訝そうに俺を見た。
二人が目を合わせて、それからもういちど俺に目を当てる。
「――いえ、使者は別の者が務めますし、あなたは誰よりも、ここにいなくてはならないわけですから」
レイモンドがそう答えて、それから訝しそうに言い添えた。
「どうしました。こう言ってはなんですが――あなたにとっては、島よりもこちらの方が良い環境では」
違いない、とチャールズが頷いて、俺もそこには頷いた。
――いい環境なんてものじゃない。
ここでは、俺にもちゃんとごはんがあるし、眠れるし、櫃はないし、誰にも手は上げられない。
そして何より、ここにはトゥイーディアがいる。
でも、
「――俺、島を出るとき……」
呟いて、俺はぎゅうっと衣服の胸の辺りを掴んだ。
その辺が妙に痛かったからだった。
「……ヘリアンサス――守人に、一年経ったら戻るって約束したんだ」
浅く息を吸い込んで、俺は俯いた。
「明るいのと暗いの、合わせて一つで三百六十。それだけ数えたら、戻るって――」
掌底で目を擦って、俺は呟く。
「――戻らなかったら、あいつ、俺のこと忘れちゃう……」
レイモンドとチャールズが、また目を合わせた。
チャールズが肩を竦める一方、レイモンドは俺の肩を叩いて、気遣わしげな表情で。
「手紙でも書きますか?」
「あいつ、字、読めないよ」
俺は思わず顔を覆った。
「暗い中で、俺が教えただけだから……」
第一、手紙を書いたところで、その手紙を誰が届けるっていうんだ。
内殻の内側には、限られた人しか入ることも出来ないというのに。
「あー、大使さまが先生やったっていうなら、割と絶望的だな」
チャールズがそう言って、慰めるように俺の背中を叩いた。
そして小声で。
「ま、仕方ないよ、大使さま。最初の召喚のときに、打ち合わせ通りに言ってりゃ、この国の人らも滞在延長までは要求してこなかっただろうけどね。
何しろ――魔法を廃絶しろなんて――頭がおかしいことを要求してくる集団なんだから、俺ら。さっさと放り出したがっただろうけどさ」
「――――」
俺は項垂れた。
魔法を殺せばヘリアンサスがどうなるか分からない。
だがそれを躊躇った結果、俺はヘリアンサスとの約束を違えることになってしまっている。
レイモンドが責めるようにチャールズを見て、チャールズは慌てたように、口早に言葉を続けた。
「でもまあ、過ぎたことは仕方ねえ。そもそも期間が短すぎたんだ。開き直っていこうぜ」
俺は俯いて、そのときぼんやりと、トゥイーディアが言っていたのはこのことだったんだ、と気付いた。
――「何事も、予定が変わることはある」と、彼女は言っていた。
あのとき既に、俺たちに滞在延長を求める動きがあることを、トゥイーディアは――パルドーラ伯爵は察していたんだろう。
だからあんなことを言ったのだ。
その日の夕方、俺は浮かない気分のままで、トゥイーディアの庭園に顔を出した。
俺が大いに落ち込んでいることはレイモンドたちも分かってくれて、そっとしておいてくれたがゆえである。
レイモンドは、心配そうというのを通り越して、危機感すら覚えているように俺を見ていた。
今なら分かるが、俺が日常的に暴行を受けていたことはレイモンドからすれば明らかで――それでもなお、その暴行を受けていた場所に戻れないからといって落ち込む俺は、彼からすれば、そして世間一般の感覚からすれば、相当に異様なものだったからだろう。
――今や、庭園はすっかり秋めいている。
葉を落とす木もあれば落とさない木もあり、見事に葉の色を赤や黄金に変えた木もあった。
そうやって色づいた葉が地面に落ちていると、まるで地面そのものが秋を謳って色を変えたようですらあった。
俺が庭園に着いたとき、トゥイーディアはいなかった。
俺は東屋の長椅子にどっかりと腰を下ろして背凭れに身体を預け、上を向いて目を閉じた。
陽光は後ろから低く差しており、瞼の裏をうっすらと赤く染める明るさがあった。
金木犀の香りが漂っている。
この庭園も、夏に比べて咲いている花が替わって様変わりした。
朝晩は冷える。
日中ですら、風が吹けば肌寒く感じられる。
だが、陽光は今も暖かかった。
――古老長さまは、滞在延長を認めるだろうか。
あの人がそれを認めれば、俺はあと一年ここにいることになる。
ここでの生活は、緊張することも慣れないこともいっぱいあるけれど、それはそれとして、――楽しい。
空腹の時間が長く続かないことも素敵だし、櫃に怯えなくていいことも嬉しい。
何より、トゥイーディアに会えることがすごく幸せだ。
――だが、そうなると、ヘリアンサスは恐らく俺のことを忘れてしまう。
そうなれば、いざ島に戻ったときに、〝えらいひとたち〟から俺を守るものはなくなる。
用済みになったその瞬間に、俺は殺されてしまいかねない……。
仰向いてそんなことを考えていた俺は、ふと自分の上に影が差したことに気付いて、はっと目を開けた。
そして、興味深そうに俺を覗き込むトゥイーディアを目の前に見て、慌てて姿勢を正した。
「――っ、トゥイーディ、おはよう、じゃない、偶然だな」
明らかに泡を喰った俺の言いように、トゥイーディアは口許に手を当ててくすっと笑った。
そうして目を細めて、典雅に言った。
「はい、偶然ですね、ルドベキア。隣にお邪魔しても?」
首を傾げたトゥイーディアに、俺は慌てて長椅子の半分を譲った。
トゥイーディアは今日は手ぶらで、俺の隣に腰を下ろして、どこなく嬉しそうにドレスを整え、軽く鼻唄を歌っていた。
――どことなくというか……めちゃくちゃ嬉しそうだった。
俺は思わず、「なあ」と声を掛け、首を傾げた。
「――何かいいことあった?」
トゥイーディアが俺の方を向いて、唐突に笑み崩れた。
俺は訳が分からないままにどきどきした。
飴色の瞳を細めるトゥイーディアは――俺からすれば――金木犀の精だったのだと言われても信じ込むくらいに綺麗だった。
際立った美しさはなくとも、品があって可愛らしくて――何よりも匂い立って存在感のある人。
トゥイーディアはぴんと右手の人差し指を立てて、得意そうに。
「詳しくは申し上げられませんが、――待っていたお手紙が届いたんです」
「手紙」
俺はきょとん。
それから、なんとなく残念に思った――この感じだと、トゥイーディアはどうやら、俺の滞在が一年延びるかも知れないことを喜んでくれているわけではないらしいと分かったからだった。
「そっか」
呟くようにそう応じてから、俺ははたと思い付いて指を鳴らした。
「あれか。前におまえが言ってた、『渾身の一撃』と関係ある?」
「…………?」
トゥイーディアが訝しそうに眉を寄せて首を傾げた。
蜂蜜色の髪が、艶やかに肩を滑る。
俺はなんとなく恥ずかしくなって、もごもごと口の中で続けた。
「ほら、あのとき言ってた――」
「あのとき?」
トゥイーディアが、本気で心当たりがないというようにきょとんとしているので、俺はますます気まずくなった。
だが、ここで「なんでもない」と引っ込めるのもなんだか不自然な気がしたので、目を逸らしつつも言い募る。
「舞踏会の……」
トゥイーディアが警戒ぎみに顔を顰めた。
――そうだった、ここでは身分は伏せている設定だった。
そう思い出して、俺は若干投げ遣りに。
「ここでダンスしただろ。そのとき」
「――――」
トゥイーディアがぽかんと口を開けて俺を見て、それから一気に顔を赤くした。
そのことに俺はむしろ驚いたが、トゥイーディアは「すみません、思い出しました」と、何かを制止するように俺に掌を向けながら言って、俯いた。
そのままじっと何かに耐えるように動きを止めていたかと思うと、十数秒ののちに顔を上げて、恥ずかしさと呆れが半々になったような顔で俺を見てきた。
「……あんな些細な一言、よく覚えていらっしゃいましたね」
若干恨みがましそうにそう言って、トゥイーディアは指の甲を、自分の頬の温度を確かめるように宛がい、呟いた。
「きみのことですから、どなたにも私の些細な一言を漏らしてはいらっしゃらないと思います――ですので、はい、そうです」
気まずそうに首肯して、トゥイーディアは俺を、窺うように見詰めて首を傾げた。
「『渾身の一撃』です、はい。
……どなたにも仰らないでくださいね?」
「言わないよ。言おうにも、俺、おまえが誰だか知らないし」
溜息混じりにそう言って、俺はトゥイーディアの顔を覗き込んでぼそりと。
「俺ばっかり覚えてるのかと思った。ちょっと気まずかった」
トゥイーディアも気まずそうに微笑んだ。
まだ少し顔が赤かった。
「私――自分が口を滑らせたことは、正直に申し上げると忘れていました。
でも、ええ、あのダンスは……」
ちょっと考え込むように目を伏せて間を取って、トゥイーディアは躊躇いがちに呟いた。
「……私からすれば、嬉しかったので。付随して失言まで思い出してしまいました」
「別に、失言でもないと思うけど」
そう言って、俺は息を吸い込んだ。
「――そうやって、トゥイーディが嬉しそうにしてると、……俺も嬉しいよ」
「きみは優しいですね」
トゥイーディアは笑いながらそう言った。
俺の言葉の真意に勘付いた様子はなくて、俺はそのことに半ば安堵し、半ばがっかりした。
――トゥイーディアとの間の、魔法を教えてもらうという約束は、一時的に保留になっている。
だからこの頃は、俺がこの庭園に来ても、当然ながら魔法の話をすることはなかった。
トゥイーディアは日常の話を――要所をぼかして――してくれることもあったが、さすがに身分を伏せているという前提上、ずっとその話をしているわけにもいかなくて、これまでに読んだ本の話とか、この庭園の話とか、そういうのをしてくれることもあった。
あるいは二人で黙っていることもあったが、別に黙っていても気詰まりな感じはなかった。
またあるときは、トゥイーディアが本を持って来て、それを読ませてくれることもあったし、トゥイーディアが誰かに向けて手紙を書いている横顔を、俺がぼんやり眺めているだけのこともあった。
とはいえ、今日はトゥイーディアは手ぶらだから、そういうことはないだろうけど。
微妙な顔をした俺をまじまじと見て、トゥイーディアは首を傾げた。
朗らかな表情が心配そうなものに変わって、俺はそのことにそわそわしてしまった。
「――ルドベキア、何かありました?」
「――――」
俺は口を開け、言葉に詰まり、唇を閉じて首を振った。
俺が考えていたことは、何をとってもトゥイーディアに言えるようなことではなかった。
トゥイーディアはしばらくじっと俺を見て、それからひとつ頷いた。
お互いに身分を伏せているという前提を忠実に守って、トゥイーディアは俺の、大使としてのあれこれにはこの庭園では触れないようにしていた。
「そうですか。ルドベキア、何にせよ――」
ちょっと言葉に詰まってから、トゥイーディアはおずおずと微笑した。
「――ご無理はなさらずに」
「…………」
俺は黙り込み、それから息を吸い込んだ。
――トゥイーディアが把握している情報からすれば、俺は目下、世双珠の減産の理由を調査しているところであるはずなのだ。
つまり、無理をしてでもさっさと原因究明をして、解決策を示さなければ、全世界が大変なことになる立場だ。
それを、トゥイーディアは十分以上に分かっている。
だから、トゥイーディアが今言ってくれたことは、字面以上の価値があることだ。
――そうだと理解して、俺はにっこりした。
「うん。ありがとう、トゥイーディ」
◆◆◆
――使節団が仰いだ、古老長さまの判断――レンリティス王国から要請された滞在延長の諾否の判断――には、相当の時間が掛かった。
これは単純に距離の問題である。
レンリティス王国から、南の諸島まで飛ぶ、直接の雲上船の便はない。
使節団が有する雲上船も、今はどこか他の国を飛んでいる。
だから、この王宮を出発した使者は、まずは南方の小国まで飛ぶ便を捉まえ、それから海路に切り替えて諸島を目指したはずだった。
もっといえば、海路に切り替えるにせよ、あの閉鎖的な諸島のこと、そう簡単に船が確保できたとは思えない。
恐らくは、諸島に定期的に訪れる、行商の人々が使う船を待って島に渡ったはずだ。
そこから更に、古老長さまに現在のレンリティスでの俺たちの状況を伝え、滞在延長の諾否の判断を仰がねばならなかったというわけだ。
そしてその古老長さまの判断を受けて、再び往路と同じ距離を辿って、この王宮にまで戻って来た。
その間、王宮にいる俺たちには、毎日のように国王からの使いがやって来て、「それで、御滞在はどうなさいますか」という旨の圧を掛けてきていた。
俺は正直、重圧で吐きそうだった。
正気を保っていられたのは偏に、定期的にトゥイーディアと会っていたからである。
このときからトゥイーディアは、目にするだけで俺の心を救う、万能の妙薬めいた作用で俺の心の中にいた。
国王からの使者に対しては、本国に話を通さねばならないとのらくら躱していたが、更には使節団内からも、「さっさと魔法の廃絶を訴えろ」という圧が掛けられる。
とはいえ、滞在延長に否と返す可能性を鑑みて、まずは待てという指示もあった。
斯くして、諸島までの往復を終えて、使者が戻った。
その頃には、季節は既に晩秋といえる時期になっていた。
庭園では、冬に向かって落ちるべき木の葉は全て落ちつつあった。
小道という小道が、紅葉した木の葉の絨毯を敷き詰めたようになっていて、それはそれは美しかった。
王都では先日、冬に向けた大規模な狩りが執り行われて、王都の外に繰り出して行く狩りの人馬に向かって紙吹雪が舞う様は、レイモンドに連れられて覗きに行った俺が唖然とする程度には圧巻だった。
すっかり気温も下がった中、俺たちに迎えられた使者は、古老長さまの判断を伝えた。
――曰く、“諾”。
レンリティス王国からの要請に応えよ。使節団は当初の予定より一年長く、王宮に留まりお役目に努めるよう。――と。
――この瞬間に、俺がヘリアンサスとの約束を破ることが確定した。
◆◆◆
ヘリアンサス。
俺は忘れていたけれど、俺たちは忘れていたけれど、――おまえはずっと覚えていた。




