25◆ 救世主にはなれない
なんで俺の居場所があっちに分かったのかとか、やっちまったとか、土下座しても足りねえだとか、そういう思考が一気に頭の中を駆け巡り、しかしすぐに、俺は最も重要な事実のみを認識する。
――あれは、トゥイーディアが乗っている船だ。
トゥイーディアに記憶が戻っていれば、もしかしたら心配はないかも知れない。
見るからに傷が付いている魔族の兵器だが、あの傷を付けたのは前回のトゥイーディアだ。
だけど、トゥイーディアは恐らくまだ記憶を取り戻していない。
魔力量こそ、救世主に相応しいものを備えているだろうけれど、多分今のトゥイーディアは世双珠を使った魔法しか知らない。
世双珠を使った魔法では、いかなあいつといえども能力の殆どを発揮できない。
あいつの固有の力を封じられることになるのだから。
コリウスの号令を受けて、あたふたと誰かが灯台代わりの柱に駆け寄った。
そこから恐らく、光を使って合図するつもりだったんだろう。
侯爵を守るために隊員たちが動き始め、控えていた侍女さんたちはもちろん荒事には不慣れで悲鳴を上げる。
灯台代わりの柱が、ちかっと一度光った――同瞬。
どんッ! と凄まじい音と共に、兵器が光弾を吐いた。
白熱した光の塊が、楕円の上部から放たれ、危ういところでリリタリスの船を掠め、海岸近くに突き刺さる。
海水を蒸発させながら散った光弾に、さすがの軍人といえども浮足立った。
特に柱の傍にいた人は腰を抜かし、悲鳴を上げて這うようにして引き返し始めた。
この人たちは、あれが何かを知らない。
対レヴナントの戦闘しか経験がないこの人たちに、勇敢に立ち回れというのは余りにも酷だ。
侍女さんたちの悲鳴。
侯爵とその令息の抑えた叫び声。
二人を守れと号令する誰かの声。
下がって、と轟くコリウスの声に、侍女さんの避難を叫ぶカルディオスの声が重なる。
そして、俺の周囲も一気に騒然となっていた。
「何だあれ!」
「世双珠! 訓練用の世双珠しかないわ!」
「誰か戦闘用の世双珠――」
「どの世双珠が必要なんだ!」
パニックは素早く蔓延した。
現われたのがレヴナントであれば、全員が冷静に対処しただろう。
だが、目の前に未知の脅威が出現したとあって、訓練を受けた軍人でさえ茫然としている。
――まずい。
――あそこには、あの船にはトゥイーディアがいる。
船上のパニックはここからでも分かる。
船の巨大さゆえに小回りが利かないのだろう、逃げるに逃げられず、そして下手に進めば被弾するのではないかという恐怖があって、船は完全に二の足を踏んでいる。
殆ど無意識に、俺は目の前の人を押し退けて足を踏み出した。
「ルドベキア!」
ニールが叫んだ。
ちらりと振り返る。
血の気を失った顔に冷や汗を浮かべるニールを一瞥してから、俺はその更に後ろで、心当たりがあるがゆえに蒼くなっているディセントラを見た。
ディセントラは蒼褪めながらも、両の手を祈るように握り合わせて兵器を見ていた。
淡紅色の目が、一心に兵器を映していた。
――他から見れば、それは慮外の事態に祈ることしか出来ず、途方に暮れている様子に見えたかも知れない。
だが、俺は知っている。
これは、ディセントラが得意分野の魔法を使うときの癖だ。
何が露見するとか妙に思われるとか、そんなことを言っている場合ではない。人の命が懸かっている。
ディセントラがそう判断したのだ。
すっ、とディセントラが息を吸い――魔法が発動した。
世双珠を使わない、今の時代においては滅多に使用されることがない魔法。
その更に上位互換。
準救世主の地位にあってさえ、絶対法の一部を侵食する、ディセントラの固有の力。
兵器は今しも次なる光弾を吐き出そうとしていたが、ディセントラの魔法を受けてその挙動を止めた。
甲高い、軋むような音が空気を震わせる。
よくやった。
〈止めること〉こそディセントラの真骨頂。
しかしディセントラは、焦燥の滲む顔で囁く。
「無理、長く保たないわ! 前はあの子だったから何とかなったのよ!」
――分かってる。
あの兵器は、一見すれば鋼鉄で出来ているように見えるが、実際は違う。
素材について俺たちは未知で、なぜだかあらゆる魔法を弾く仕様になっているのだ。
しばしの間だけではあれ、動きを止めたディセントラは賞賛に値する。
ぶっちゃけ、前回あれに打撃を通したのはトゥイーディアだけだった。
あいつの能力が破壊力において群を抜いていることに加え、あいつが救世主として明確に法を超える力を与えられていたがゆえに。
アナベルが半身で俺を振り返っており、薄紫の目に激しい動揺を滲ませながらも、強い口調で俺を問い詰めた。
「あなたじゃないでしょうね!?」
「違ぇわ!」
絶叫する俺。
いや、アナベルの言葉は尤もなんだけどね。
あの兵器は、魔王の魔力を使って動く。
今の魔王は俺だからな。
――とはいえアナベルも、本気で言ったわけではない。
すぐに殺意を籠めた眼差しで「ヘリアンサス……!」と毒づいた。
そうだ、あいつしか考えられない。
俺の居所くらい、あいつなら理論とかは抜きにして、一秒で特定できそうだ。
つまり、あいつが近くにいるはずだ。
あいつに見付かったら、間違いなく俺たちはその場で死ぬ。
あいつが今回に限って、俺たちと無関係を貫こうとするなんて考えられない。
だから、保身を考えるなら、俺たちは目立たずじっとしているべきなのだ。
その考えに至ったのはアナベルも同じなんだろう、俺の目を見て叫んだ。
「放っておく気!?」
アナベルの目が、あの兵器が現われたことよりもむしろ、こんなはずはないと訴えているように見えた。
再会前にトゥイーディアの命が危険に晒されていることが受け容れ難いんだろうか。
だとすれば、表には出せないが俺も全く同意見。
俺は首に手を遣った。
そこに、救世主のための武器を着けている。
――今回の俺は魔王だけれど、この武器は俺の意思に従って姿を変えている。
準救世主の地位は俺に与えられ続けているのだ。
だから。
俺は救世主になる資格を持っているから。
俺たちは今までずっと、誰にでも手を差し伸べて生きてきたから。
それが役目だと思っているから。
自分の命を惜しんで、ここで誰かを見殺しには出来ないから。
力を籠めて、チョーカーの形を取っているその武器を毟り取る。
毟り取ると同時に、それは俺の意思を受けて黒い槍に姿を変えた。槍というより銛かも知れない。
驚きの声が周囲で上がるのを聞きながらも、俺は躊躇いなく叫んだ。
「いや、助けに行く!」
叫んだせいで大注目。
周囲が俺を狂人を見る目で眺める中、寸分の躊躇いもなくディセントラが俺に肩を並べた。
前に立つ人を押し退けアナベルに並んだところで、アナベルもまた俺たちと一緒に歩を進め始める。
歩き出す――いや、走り出す。
「退いて!」
声を掛けて人波を押し分け、走る俺たちに四方八方から声が掛かる。
「何してる!?」
「おい、指示を待て!」
「何を考えている!」
怒声混じりの声を受けても、俺たちは止まらないし止まれない。
出現したのがレヴナントであれば指示を待ったかも知れないが、あの兵器に対処できるのは俺たちしかいない。
「ディセントラ、あとどれだけ保つ?」
アナベルが抑えた声で囁いた。
ディセントラは秀麗な顔を歪め、走りながらも全精力を魔法に傾けていることがありありと分かる。
「――分からない。多分、前回のあの子が相当痛手を負わせたせいね、前よりはまだ魔法が通じてる感じがあるけれど……そんなに長くは」
「ああもうっ」
アナベルが至極真面目な顔で憤然と呟いた。
「カルディオスが! イーディがいないときにあれに遭遇したらあたしたちが全滅するだとか、そんな不吉なこと言うから! 本当にそうなっちゃうじゃない!」
「おまえ、それ言う?」
そんな状況でもないのだけれど、俺は思わず突っ込んでいた。
片っ端から不吉な予想を口に出す悲観論者のくせに、こいつはなに他人のこと言ってんだ。
とはいえ、あのときカルディオスが冗談交じりに言ったことは正しい。
前回、俺たちは魔王討伐云々の前にあの兵器に全滅させられ掛けた。
最終的にはトゥイーディアが傷だらけになりながらもあれを撃退したわけだが、如何に前回のトゥイーディアが痛手を負わせたとはいえ、いきなり俺たちの手に負えるようになっているとも考え難い。
「やかましいわね」
理不尽にアナベルに睨まれた。なんでだ。――いやそんな場合じゃない。
唐突に急変した事態、しかもトラウマの塊みたいな兵器を前に、俺の思考は自分で思うよりぶっ飛んでいるらしい。やばいやばいと首を振り、走ることに集中する。
ようやく人混みの最前列近くに来た瞬間、ディセントラが呻いた。
「――だめ」
嫌な予感。
俺とアナベルが揃って海上の兵器を見上げた――その瞬間、軋むような音を立てて兵器が自由を取り戻した。
力任せに魔法を振り払われた影響で、魔法を象っていた魔力が自分自身に跳ね返ってきたのだろう、ディセントラがよろめく。
その腕を掴んで支えた俺は、兵器が立て続けに光弾を吐くのを見た。
雷鳴が連続で轟くような凄まじい音を立て、白熱した光弾が降り注ぐ。
俺は早速ガルシア壊滅を覚悟したが、幸いにも光弾の殆どは光線を引きながら海に落ちた。海水が蒸発する音が響く中、真っ白な湯気が海面近くを漂う。
二、三発の光線が危ういところでリリタリスの船を掠め、俺はぞっとした――トゥイーディア。
更に何発かが海岸を抉り、転落防止の欄干をいとも容易く溶解させた。
周囲は完全にパニック状態。
阿鼻叫喚とまでは言わないが、全員が浮足立っている。
未知の脅威を前にして、レヴナント相手の戦闘しか経験したことのない軍人たちとしては、何をすればいいのか分からないはずだ。
遂に俺たちが人混みから一歩出た。
行く手に海岸――だが、そちらを目指すのは後だ。
最前線、船着き場のすぐ傍にはテルセ侯爵をはじめとした貴族たちがいる。
避難を! と叫ぶ声が聞こえてきた。
恐らくテルセ侯爵とその令息の避難を呼び掛ける声だろうが、ぱっと見たところ、荒事に不慣れな侍女さんとテルセ侯爵の令息は足が凍って動けない様子。
その息子を叱咤しているテルセ侯爵は、さすが人生経験のある貴族といったところか。
またしても轟音――光弾。
降り注ぐ光線に、アナベルに思いっ切り脇腹を押された。
「――なんとかしなさい!」
俺は息を吸い込んだ。
――魔王には、守護で法を超える力がある。
だが俺は今までそれを、暗殺回避にしか使ってこなかった。
つまり、解毒やら止血やらの経験はあれど、大勢を守るために使ったことはない。
だが、今それをしないならば救世主ではない。
さっきのディセントラのように、俺は両手を握り合わせた。
そもそもさっきから、俺が守護に動いていれば良かったんだろって話なんだけど、如何せん慣れないもので集中が必要。咄嗟の瞬発性はなかった。まだ怪我人が出てないから許してほしい。
念じるのは盾だ。
空気を集め固めた緩衝材では、あの光弾は防げない。
防げと念じて、法を変える。
法を変えるのみならず、絶対法を超える。
――曰く、俺の目の前の空気は鋼鉄よりも硬い。
ぎんっ! と凄まじい音がした。
その瞬間に俺たちの頭上一帯の空気が白く凝り、固まり、硬化して盾となる。
ばきばきと凄絶な音を立て、幾つもの光弾がその空気を割り砕き、しかし俺たちに達することなく熱を失って消えていく。
ふう、と息を吐く俺の背中を、労うようにアナベルが叩いた。
一方、周囲はいよいよ騒然。
なにしろ、〈空気を圧縮する〉魔法と、〈空気を硬化させる〉魔法は全然違うからね。後者は明らかに空気のあるべき姿からの変容をさせていて、絶対法を超えている。
絶対法を超える魔法を扱えるのは救世主か魔王のみだってことは世の中の常識。
そりゃあ目を疑って騒然とするだろう。
言い訳は後で考えよう。
腕を振って硬化を解除。
同瞬、慌てふためく貴族たちの間から、俺たちに気付いたカルディオスとコリウスが駆け出して来た。
二人とも絶望の表情。気持ちは分かる。
「――ヘリアンサスを見たか?」
駆け寄って来るなり、開口一番にカルディオスが呻くように言った。
行き着く思考は全員同じらしい。
無言で首を振る俺たちに、カルディオスは足踏みした。
「絶対近くにいるはずだ……あれが出たなら……」
「奴のことは置いておこう」
コリウスが極めて淡々と言う。
その語尾に被って、またしても光弾。
俺が祈りを捧げるようにしてそれを止める。
その魔法の方に気を取られ、続くコリウスの言葉は危うく聞き逃すところだった。
「残念ながらというべきか、あの兵器よりはヘリアンサスが脅威だ。奴が出て来れば、例の如く僕たちは全滅。――だから、その前に、すべきことがある」
全員を見渡して、コリウスが端麗な指を立てる。
俺は先ほど盾として硬化させた空気を元に戻しつつ、睨むように兵器を見上げたまま、視界の隅でそれを見ていた。
「まず第一に、ガルシアの防衛だ。あれを放置すればガルシアが――」
どどどどっ、と、冗談みたいに大量に兵器が光弾を吐いた。
その音にコリウスの声が呑み込まれ、海岸は阿鼻叫喚の一歩手前。
またしても、俺が慣れない魔法に四苦八苦しつつそれを止める。
硬化させた空気が砕ける音が、窓硝子が何十枚も一斉に割れたかの如くに鼓膜に突き刺さる。
硝子の破片が舞うようにも見える光景が広がる中、俺は必死になって船を窺った。――トゥイーディア。
船の上が、海岸以上に恐慌に陥っていることが見て取れた。
今のところ、兵器は陸地目掛けて攻撃している。だがそれに気付く余裕も、恐らく船上の人たちにはあるまい。
「――ガルシアが壊滅しかねない」
俺の奮闘を目の端で見つつ、腹が立つくらい冷静に、仕切り直してコリウスが言い終えた。そして二本目の指を立てる。
「第二に、船の安全確保。あそこにも人は乗っているし、何より――トゥイーディアがいる」
内心で俺は大賛成。
もはや空気の硬化は解除せず、むしろ上へ上へと硬化の範囲を広げていきながら、どうかトゥイーディアが無事でありますようにと祈る。
記憶を失っていても、あいつはあいつだ。
無様に狼狽えたりはしないだろうが、それでも動揺はあるだろう。
それにあいつは無駄に優しいから。
混乱に陥った人たちを気遣って、その混乱に巻き込まれて怪我とかしていないだろうか。
誰かに蹴られたりしてないだろうか。
「この二つを果たせるのは――」
ばんっ! と今までとは違う音が耳を劈き、兵器が紫電を吐き出した。
どういう仕組みかは分からないが、前も見た。硬化させた空気が雷電の伝播を食い止めたが、俺はもはや叫ぶようにして言った。
「――早ぇとこなんとかしねぇと、俺も限界来るんだけど!?」
「私たちの誰より、あんたが魔力甚大でしょ」
ディセントラがぴしゃりと言い放ち、コリウスを見て彼の言葉を引き取った。
「この二つを果たせるのは、あの兵器を片付けることだけ――でしょ」
「相当難易度高いけど?」
カルディオスが兵器を睨み上げて呟く。
兵器を取り囲むようにして、俺が硬化させていく空気が迫り上がりつつあった。
何とか周りを固めて動きを封じようという作戦である。
アナベルも頷いた。
「まあ、そうね。前回はあたしたち、あと一歩で殺されるところだったものね」
「それでもここで手を拱くのは駄目でしょ」
ディセントラが言い、頷く俺を他所に、めちゃめちゃしれっとコリウスが返した。
「いや、正直――トゥイーディアさえいなければ、見捨てて逃げるのも一考には値するかと思ったが。
だがまさかトゥイーディアまで見捨てるわけにはいかないからね」
このやろう。いや、冷たいとこもあるのがコリウスだけど。
連続して兵器が光弾を吐く。
俺が硬化させた空気が割れ、砕け、あたかも硝子を砕いたかのように、海面に空気の欠片が落ちていく。
光弾が海面に落ちれて蒸気が発生し、いつの間にか海岸付近に留まっているのは俺たち五人だけだった。
他の連中は本能に従い徐々に撤退している。侍女さんたちとテルセ侯爵の令息は、周りの人に引っ張ってもらって下がっていったようだ。
何人かが船を案じる声を上げていたけれど、出来ることがないというのが事実だろう。
「じゃあ分担しましょうか」
ディセントラが腕を組み、少し考えてからカルディオスを指差した。
「無理しなくていいわ。というかむしろ、あんたが得意分野を使った直後の状態で、ヘリアンサスに遭遇するかも知れないことを考える方が怖い」
カルディオスは固有の力を使っている最中、一種の瞑想状態に没入する。我に返ってから状況を把握するまで、いつもかなり時間が掛かっていたし、妥当な判断だろう。
「僕は船に行く」
コリウスが言ったちょうどそのとき、俺が硬化させた空気を徹底的に割り砕き、兵器が自由を取り戻した。
振り撒かれる閃光。
俺は慌てて再び盾を作り出しつつ怒鳴る。
「話続けて! 結論だけ教えて!」
閃光を直視したせいで目がちかちかする。
強烈な光が明滅するせいで、辺りは光と影が目まぐるしく切り替わる。
「分かった」
あっさり頷くコリウス。
こいつがここまで落ち着いているのも、たぶん俺に対する信頼あってのことなんだろうけど、ここまで飄々とされるとなんか腑に落ちない。
「僕が船に行く。僕だけなら時間を掛けずに到達可能だ。そこで船の方々の避難誘導が出来るし、トゥイーディアにも、あー――」
言い淀むコリウス。
俺たちは代償のことを口に出せないから、はっきり、「トゥイーディアに記憶を取り戻してもらうよう働き掛ける」とは言えないのだ。
つまりあいつを目の前にしても、思い出せと言って迫ることは不可能。
あいつが自発的に思い出してくれることを祈るしかない。
だがまあ、トゥイーディアの代償は全員が暗黙の内に了解しているところだ。
「コリウス、もし船から人を避難させられそうだったらあたしを呼んで。道を作るくらいは楽だから」
アナベルが事も無げに言った。
確かに、〈状態を推移させること〉が得意分野のアナベルに掛かれば、海水を氷結させて通り道を作ることくらいは造作もないだろう。
「コリウスに呼ばれるまでは、あたしもあの兵器への攻撃に回れるけれど、――あの兵器相手じゃ、あたしの得意分野は全然発揮できないから期待しないで」
アナベルの固有の力の難点の一つだ。
――対象物の頑丈さによって、魔法の威力がかなり左右される。
あの兵器が魔法を弾く仕様であることを鑑みると、アナベルがあれを朽ち果てさせることはまず無理だ。
――その兵器の特性があってもなお、前回のトゥイーディアはあいつに魔法を通し、有効打を入れてみせた。
ディセントラが頷き、俺を見た。
「ルドベキアはここで守護に専念を――って言いたいところなんだけど、無理でしょうね」
「そうね」
アナベルが呟くように同意し、軽く唇を噛んでから続けた。
「ルドベキアだけは前回と立場が違う――正直、あたしたちじゃ手に負えない」
ここにいる全員が、前回も準救世主だった。
そしてこの兵器相手には手も足も出ず情けない思いをした。
だが、俺は今、準救世主であると同時に魔王でもある。
魔力量において他の四人より頭一つ飛び抜けているのだ。
まあその俺も、現在進行形で兵器を抑え込み続け、いつまでこの状態で耐えられるのかは甚だ疑問である。
「ルドベキアに前線に出てもらうしかないわね」
「じゃあ、俺たちはルドの援護?」
首を傾げるカルディオスに、アナベルが淡々と。
「そうなるわね。――あとは、どうあってもあの兵器で消耗し尽くすあたしたちを、ヘリアンサスが満を持して殺しに掛かるのを待つだけになるわ。下手したらあいつがガルシアを壊滅させるかもね」
「アナベル、言い過ぎだ。怒るぞ」
カルディオスの声が険を帯びたが、取り敢えず雑談はいいから行動に移ってほしい。
俺が一人だけで頑張ってるみたいになってる。
「ヘリアンサスに慈悲があることを祈ろう。少なくとも無辜の人は見逃されることを」
そう言って、ぱちん、とコリウスが指を鳴らした。
俺が兵器を気にしつつもそちらを向くと、怜悧な声で告げる。
「ルドベキア、結論だ。
――前線で戦ってくれ。ディセントラとアナベルとカルディオスが援護する。
僕は船へ行って避難を誘導する。いざ避難開始の段になれば、アナベルが戦線離脱して避難路を作る」
俺は頷いた。同瞬、ばきょ、と凄い音がして俺が硬化させた空気がまた砕けた。
「分かった。――俺実は、魔界にいたときにあの兵器に関する本読んだ」
「お、マジで?」
「嘘言ってどうする。――だから、取り敢えず攻撃するならあの兵器の脳天をやってくれ」
誰が造ったとかどうやって造られたかとか、そんなことは一切書いていない本だったが、それでもあの兵器の唯一の弱点と、動力を生み出す部位については書いてあった。
弱点――というか急所――は、あの兵器の楕円の頂点。そして楕円を取り囲んで浮かぶあの輪が動力を生み出しているらしい。
足りない説明だったが、みんな一斉に頷いた。
そして、それが合図だった。
コリウスの姿がその場から掻き消える。
同時に俺たち四人が海に向かって走り出し、船着き場を駆け抜け、そのまま海の上へ飛び出した。
足場の心配はない――なぜなら。
俺たちが飛び出した瞬間、海面は波立つ形そのままに動きを止めた。
俺たちが飛び出したその場所から、さながら道を造るようにして、じわじわと分厚い氷が張っていく。
これこそアナベルの固有の力。
状態を推移させる、ディセントラの能力と双璧を成す能力。
白く凍った海面を走りながら、俺はちらりと船を見た。
甲板で悲鳴を上げる人たちのうち何人かが、俺たちを見て唖然とした顔をしていた。
――そうだ、俺はこの人たちを助けに来た。そう思わせられる。
俺の代償は、〈最も大切な人に想いを伝えられない〉というもの。
言葉でも仕草でも、もちろん行動でも、俺のこの思慕がトゥイーディアに伝わることがないよう縛られる。
――だが、俺の行動がトゥイーディアに誤解されるときだけは別だ。
俺がトゥイーディアではなく、他の人を助けようとしているのだと彼女が判断するとき、そう判断させるだけの状況が整っているとき、俺はあいつを助けるために動くことができる。
――トゥイーディアの誤解に感謝している。
彼女が俺の行動に意味を見出さないことに感謝している。
――お蔭で俺は毎回、あいつを助けに行ける。
あいつの前に立って、あいつを守って死ぬことができる。
「――こっちだでかぶつ!!」
肺の底から叫んだ。しかし続ける言葉は食いしばった歯で潰れた。
「……俺を捜しに来たんだろうが……!」
高速で回転していた兵器の本体が、その回転をぴたりと止めた。
まるで俺の声が聞こえたようだった。
同心円を成す輪が震え、甲高い音を奏でる。
耳障りなその音に、俺は思いっ切り顔を顰めた――瞬間、兵器が何かを撃った。
――初見だったらやられてた。
けど、俺は一回見て知っている。
足裏で氷を砕きながら急停止。
俺の斜め後ろで、アナベルとディセントラもまた迷いなく足を止めていた。カルディオスだけが俺の真横で足を止める。
それを見て取る前に、俺は手に持つ黒い銛を振り、目の前の空気を俺たち四人を守る盾の如くに硬化させた。
直後、凄絶な音を奏でてその空気に不可視の弾丸が激突した。
ふう、と息を吐き、俺は思わずにやりと笑う。
これは衝撃波だ。前回は全く見えなくて大怪我をさせられたものだが、
「それは知ってんだよ!」
「よくやった」
カルディオスの無感動な声――戦闘中、こいつはいつものへらへらした態度が嘘みたいにこんな声を出す。
「ルド、俺たちが下から攻撃して気を逸らすから、脳天やれ」
淡々としたその声に、アナベルの冷静極まりない言葉が被る。
「まあ、逸らすべき気があるのかどうかは分からないけれど」
もはや頷く暇すら惜しみ、俺は硬化させた空気の形を変え、階のようにして兵器への空中回廊を作る。
俺のためだけのその階段を駆け上がる足許で、アナベルが海面を引き剥がした。
海水を、刃物のような形に整えて凍結させている。その数は五十を軽く超えているだろう。
その半透明の刃物を浮き上がらせるのはディセントラとカルディオスだ。
三人の眼前に、鋭利に形を整えられた氷の群れがずらりと浮かぶ光景は、こんな場合でさえなければ美しく映ったかも知れない。
日の光を白く弾いて煌めく、粗削りな刃――
更にその刃物に、ディセントラが自分自身の得意分野の魔法を付与する。
あらゆる変化変容を拒み、状態を〈止める〉魔法。
溶解の自由、砕壊の自由を封じられた数十の刃物を、ディセントラとカルディスの魔力が投擲した。
その次の瞬間には既に、アナベルが次なる刃物の群れを空中に浮かべて整えている。
俺は自分の下から連続して轟く、弾けるような音を聞いた。
それだけで結果が分かる――余りにも硬い兵器の筐体と、砕壊しないよう法を書き換えられた氷の刃が、どちらも傷つくことなく、質量において劣る氷の刃が弾かれたのだ。
がこん、と音がした。兵器の動力源でもある同心円状の輪が、その位置を一段下げたのだ。
その挙動の原理は分からないものの、理由は分かる。
――この兵器が己の下に、己に害意を向ける存在がいることを察知したのだ。
それでいい。
透明な階を疾駆しながら銛を振る。
その先端に白熱した炎が点る。
焼け焦げる空気が上空への気流を作り、陽炎が立つ。
――どんっだけこの兵器のことを勉強したか。
魔王の城でただ一人、図書室に閉じ籠り本を読み漁った――今度こそ力になりたくて。
兵器が眼下の三人に向かって衝撃波を吐いた。
破裂音ののち割れ砕ける氷、上がる飛沫。間一髪でそれを回避したらしき三人の悪態の声を聞いたが、今はそちらを気にするべきではない。
俺は燃え盛る銛を振り被った。
そうしながら最後の一歩を飛ぶ。
兵器は目の前――
銛の切っ先を、思いっ切り兵器の――楕円のその頂点に叩き付けた。
気持ちとしては、叩き割るつもりだった。
燃え盛る火焔はほの白く、相当な高温にまで上げていた。
が、
「――かっ、硬ぇっ……!」
思わず悪態。
兵器には傷一つなく、反作用で俺は大きく空中で体勢を崩す。
鋼鉄は――さっきも言ったように、見た目が鋼鉄であるというだけで、素材について俺は未知だけど――前回と同じ無力感を俺にもたらした。
罅すら入らない。
なんだこれ。
予想していたこととはいえ、歯噛みせざるを得ない。
今の俺は魔王だから、守りで法を超えることは出来る。だが、破壊で法を超えることは出来ない。
俺が正当な救世主の地位にあれば、恐らく違った。
俺は間違いなくこいつを相手取って十分に戦えたはずだ。
相手が無生物だから、俺の救世主としての固有の力が使えないにせよ、俺の扱う魔法が明確に、破壊の方向で法を超えるから。
それなのに――
キンっ、と嫌な音がした――と思った次の瞬間、俺は目の前で、兵器が俺に向かって衝撃波を吐くのを見た。
見事に吹っ飛ぶ俺。
一瞬の間に盾なんて作り出せないもんだね。魔王の魔力は便利だし強烈だけどまだ慣れない。
船がある方向に、俺は鞠のように飛ばされた。それでもぎりぎり内臓とかは守ったから上等。
俺が吹っ飛ぶのを見て、残り三人がここぞとばかりに兵器に猛攻。
熱閃が尾を引き、光景に傷を付けるようにしながら幾筋も放たれる。
〈無から有を生み出すことは出来ない〉が、熱だけはその辺の空気を混合させることで生み出せるから、こういう咄嗟の攻撃で使われるのは大抵熱閃だ。
夥しい数の小さな流星が、兵器一つを的として降り注ぐ。
恐らく陸地も船上も、この様子を見ている人がいれば絶句しただろう。
たった三人でこの手数は、普通ならば有り得ない。
準救世主が三人いるからこその、相手がこの兵器でなければあっさりと灰燼に帰せるだろう威力。
そう、ここまでやっても、兵器には傷一つ付いていない。
だがそれは先刻承知。
三人は、効く効かないではなくて、兵器が俺に追撃するのを防いでくれているのだ。
攻撃を認識し、兵器が眼下一帯に光線を振り撒く。
それを、ディセントラが躱しながらも、またも彼女の固有の力で兵器の動きを止めた。
しかしその僅かの間にも、足許の氷はまたも見事に砕かれ、氷煙で視界が煙る。
あいつら海に落ちてねぇだろうな。誰の名前を呼ぶ声も聞こえないから大丈夫か?
一方の俺。
吹っ飛んだ先はもちろん海。まさかここでもアナベルに世話をしてくれとは言えないし、それに心配はない――
俺が吹っ飛んだ先で、海面がぴたりと動きを止めた。
俺が落下するだろうその場所を起点として、じわじわと広範囲に分厚い氷が張っていく。
対して、俺の服が焼け焦げる臭いが鼻を突いた。
俺の固有の力は熱を司る。
〈燃やすこと〉だけではなく、〈熱を移動させること〉をも司る。
ゆえに、海面から熱を自分に集めて周囲一帯を凍結させることも出来るのだ。
範囲を広げる氷がリリタリスの船の底に激突し、巨大な船が傾いた。
きゃあっと悲鳴が上がるのが聞こえ、俺は口の中で「ごめんっ」と呟く――一瞬後、俺は背中から氷の上に落ちた。
「いてっ――冷たっ!」
そんな呑気なことを口走りつつも、一秒で俺は跳ね起きる。
跳ね起き、邪魔な軍帽を放り捨て外套を脱ぎ捨てながら、氷煙を透かして戦況を見た。
戦況というか、ディセントラが頑張っている間にアナベルとカルディオスが時間を稼いでいる。
取り敢えず足場を凍らせ直し、熱閃を放ち続けているようだ。炎の赤い光が見える。兵器に弾かれ、二人の炎が空気に炎紋を広げて消えていく。
吹っ飛んだときに口の中を噛んだらしい。血液混じりの赤い唾を足許に吐き、俺は叫んだ。
「――避けろ三人!」
銛を構える。
三人が一斉に俺と兵器の間から飛び退るのを見てから、俺は炎を撃った。
他の人の炎とは訳が違う。
これこそ俺の得意分野。際限のない高温。
激烈な高温の塊が白く空中を走り、途中で空気すら焦がしながら、一直線に兵器の脳天に向かって迸った。
爆音とともに着弾。
それでも有効打になったかどうかは分からない。
何しろ背後には船がある。
俺が本気でここ一帯を炎上させに掛かったら、たぶん船ごと蒸発してしまう。
だから俺は、一瞬も迷わず兵器に向かって走り始めた。
走るうちに手に持つ銛は形を変え、柄の長い槌へと変貌する。
ばちんっ! と、鞭が撓るような音がした。ディセントラの桎梏を、兵器が振り切った音だ。
ぎぃ、と軋む音を立て、兵器が立て続けに光弾を吐く。
アナベルたちが一斉に、大きく飛び退って回避する一方、俺は鼻で笑っていた。
周囲に人がいないなら、俺一人なら、熱ならば避けるまでもない。
光弾を受け、足許の氷が割れていく。俺はそのまま兵器目掛けて突っ込む。
足場? そんなもん、敵に向けての最短距離、空中を走るに決まってる。
光弾を受けて俺の服が焦げる。穴が空く。
だけど俺は、俺自身は、熱を以て害されることはない。
俺の肌に触れると同時に、光弾はあえかに消えていく。熱に関する世界の法について、俺は確かにこいつに対して優位に立っている。
――俺は真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、回避は度外視して兵器との距離を詰める。
――前回は何も出来なかった。
あいつが戦うのを、あいつが怪我をするのを、俺は見ていることしか出来なかった。
だから今度は守りたい。
兵器までの最後の一歩を飛ぶ。
握った槌自体に熱を纏わせる。槌の表面から陽炎が立ち昇る。
その槌をぶん回し、俺は兵器の外縁を成す同心円をぶっ叩いた。
ぶっ叩いたその瞬間、槌は斧へと姿を変え、なおもそれそのものに宿る熱量を増しながら、ぎりぎりと鋼鉄の輪を断ち切ろうとし始める。
――力を籠め過ぎて腕が震えた。焦げ臭さが鼻を衝いた。
前回のトゥイーディアが、この兵器をある程度は脆くしているはずだ。効かなきゃ詐欺だ。
魔力の差は、改変できる世界の法の差。
今の俺が扱う魔法は、前回の俺が使った魔法に比べて強力なものであるはずだ。
それが法を超えるものではなく、単なる法の改変であっても、そこに乗る威力は事実として存在するはずだ。
「――通れ……」
呟いた。あるいは念じただけかも知れない。
「通れ――」
コリウスはトゥイーディアを呼ぼうとしているのだろうか。
今のあいつに、直接助力を乞うことは出来ないと分かっているはずなのに。
みんな多分、俺がここでこの兵器を足止めできれば上等と考えているんだろう。――確かにそれはそうだろう。
それにここを奇跡的に凌ぐことが出来たとしても、ヘリアンサスがいる限り、俺たちが生きて明日を迎えられる可能性は無きに等しい。
でも俺は、トゥイーディアを守りたい。
何が何でも、せめて一撃通したい。
「通れ――!」
――みしっ、と、微かに罅の入る音がした。
衝撃と熱とが重なったことで遂に届いたのか、ごく僅かではあれ、外縁を成す輪に罅が入った。
やった、と息を呑んだ瞬間、俺は横っ腹にまともに衝撃波を受けて吹っ飛んだ。
肺から空気が逃げ出し、かはっと変な声が出る。
激痛に汗が滲んだが、俺はこれでも準救世主。
すぐに背中側の空気を圧縮して緩衝材にして、宙を吹っ飛ぶ身体を止める。そのまま幾つか足場を作り、俺は海上の氷の上に着地した。
「いてて……」
横っ腹を撫でつつ、思わず膝を突く。
吹っ飛び過ぎたせいでちょっと頭がくらくらする。
その俺を、おかえりとばかりに迎え入れる三人。頭上の兵器を警戒しつつ、足早に俺の傍まで来る。
さっきはやっぱり、一度は海に落ちたらしい。全員がずぶ濡れで髪の先から滴を垂らしていた。
アナベルは頬に擦過傷を作っているし、カルディオスは軍服の袖が破れて血が滲んでいる。
兵器に対する度重なる魔法の行使で、ディセントラの顔色は真っ白だった。
「派手に吹っ飛んでたけど大丈夫か?」
カルディオスの声に、俺は立ち上がりながら、またも槌に姿を変えた武器で兵器を示した。
「大丈夫だ。それより見ろ、ちょっと罅が入った」
ディセントラとカルディオス、そしてアナベルまでもが、愕然としたように俺を見た。
「マジで?」の一言も出ないくらいに驚いた顔。俺は思わずどや顔。
とはいえ何も危機は去っていない。
どうしたものかと思案する俺の顔を、カルディオスが覗き込んだ。
「俺、得意分野使おうか? 俺なら多分、物理的にあの兵器を止められるから、おまえもかなり楽になると思うけど……」
――ディセントラの魔法は、概念だ。実体のない強制力だ。
そして、そういった魔法は悉くあの兵器に弾かれる。
物理攻撃も同様。そもそもあの筐体が頑丈過ぎる。
だが確かに、カルディオスの固有の力なら、力押しであの兵器の動きを止められるだろう。
前回もそうしてもらって、俺たちはなんとか助かったのだ。
だが、前回とは状況が違う。
前回は、ヘリアンサスは魔界にいることが確定していた――というか、そう思い込んで他の可能性は考えなかったからこそ、カルディオスに切り札を切ってもらうことが出来たのだ。
今は違う。
今は、魔界にヘリアンサスはいない。むしろ近くにいるとしか考えられない。
その状況でカルディオスにあのリスクを負わせるのは危険すぎる。
「――いや」
俺は首を振った。
「いい。多分、前回のトゥイーディアがかなりあいつを脆くしてる。コリウスが船の人たちを誘導して避難してくれたら、俺がこの辺一帯を大火事にしてでもとどめ刺すよ」
「それでとどめになればいいけど……」
アナベルが憂慮の口調でそう言った、同瞬に兵器が雨霰とばかりに俺たち目掛けて光弾を撃ってきた。
迷わず空気を硬化させて盾とする俺に、アナベルが真顔で言った。
「これ、あたしたちはいない方がいいんじゃない? ルドベキア一人なら避ける必要もないでしょう?」
「えっ待って」
と、これは俺。
ばきばきと音を立て、硬化させた空気にぶつかっているのは光弾だけではない。紫電やら衝撃波やら。
「こいつ熱以外にも色々撃ってくるじゃねえか」
「まあねぇ」
ディセントラが、掠れてはいるものの、今しも怒濤の攻撃を受けているとは思えないほど落ち着いた声を出した。
人生経験積み過ぎて死に慣れたせいもあるだろうが、それを差し引いても、こいつは異様なほどに死ぬことを恐れない。
魔王の城に殴り込んだ際には積極的に一人で先陣切って動こうとするくらいだ。
「私たちって破壊一辺倒すぎて、攻撃は最大の防御って戦い方しかしてこなかったじゃない?
攻撃力で上回られるこういうのを相手には、どうにも後手に回るというか」
それこそ今までヘリアンサスにやられ続けた敗因だろ。どう頑張っても救世主も準救世主も防御には回れないんだから。
「それなんだけど――」
カルディオスが言い差したまさにそのとき、空気が割れた。
俺が立て直すよりも早く、足許の海水を引き剥がしたアナベルが氷の壁を築いた。
持ち上げた水を得意分野で凍らせ、一時的な防壁にしている。
それと引き換えに、俺たちが今まで立っていた氷が大きく傾く。
なんとか踏ん張り、一人で氷の盾の外に出て槌を両手で構え、兵器を振り仰ぐ俺に、カルディオスが怒鳴った。
「――ルド! 熱して冷やせ!」
「おう!」
よく分からないが、カルディオスが言うなら間違いないだろう。
容赦なくアナベルの氷が削れていく。
俺はその間に空中を踏んで再び兵器に肉薄し、
「くたばれ!!」
陽炎纏う槌が、狙い違わずさっき入れた罅を直撃した。
のみならず、今度はすぐに槌を持ち上げ、同じ場所から熱を奪う。それこそ、兵器の筐体のその部分に霜が降りるほど徹底的に。
ばきんっ、と音がして、大きな割れ目が入った。
熱して冷やすってこういうことか。カルディオスすげぇ。
間髪入れず、振り被った槌で割れ目を叩く。
耳を劈く甲高い音を立て、兵器の輪の、最も外側の一つが完全に割れた。
割れて落ちる鋼鉄の輪が、凍り付いた海面を砕き、氷の破片もろともに海中に沈んでいく。
――やった。通った。有効打だ。
前回は手も足も出ず殺され掛けた兵器に、俺が一撃入れたんだ。
湧き上がる達成感。
いや、まだ全然達成してないんだけど。
それでも堪え切れず、思わずにやっとした俺は、しかしその直後に蒼褪めた。
「――っおい!」
動力源である輪を一つ失った兵器が、大きくその体勢を崩しながらも、なぜか陸地目掛けて光弾を撃ったのだ。
――なんでだ? こいつの狙いは俺じゃないのか?
どうして無関係な方向を撃つ?
一瞬で疑問が脳裏を駆け巡るも、そんなことに拘泥している場合ではない。このままでは死人が出る。
我を忘れて、俺は叫んだ。
「――守れ!!」
誰に対する叫びか。
そんなの決まってる、自分に対しての叫びだ。
俺は不本意ながら魔王で、その魔力は今こそ役に立つ。
陸地と兵器の間、陸地の目と鼻の先で、極光のように白い光がはためいた。
翻り、柔らかく視界を彩る実在しない帳――
無から有を生み出し、その有で光弾のあるべき姿を変容させ、無害と化す。
光弾が全て、その帳に吸い込まれた。
それに安堵しつつも、俺は思わず空中で膝を折る。
――マジか、ここまで派手に法を超えると、魔王といえども結構疲れんのか。
荒くなった息を吐いた俺は船を一瞥する。
コリウス、避難はまだか。
船には奇妙なほどに動きがない。阿鼻叫喚の地獄絵図ではあるけれども、事態が動いた雰囲気がない。避難のためにアナベルを呼ぶ、コリウスの合図もない。
何があったんだ。
俺の視線が逸れた一瞬に、俺目掛けて至近距離から衝撃波が撃たれた。
気配で察し、俺は自分から海面へジャンプ。
凍った海面に上手く着地し、槌から再び銛に戻った武器を構える――
――そこに、連続して衝撃波が降り注いだ。
見えないだけに質が悪い。
反撃に転じられず、俺は空気を硬化させてそれを防ぎながらも後退った。
まずい、方向がまずい――後ろは船だ。
衝撃波を受けた氷が砕け、飛沫が上がる。
「ルドベキア!」
声が聞こえた。
幾筋もの熱閃が、別方向から兵器に着弾する。
大いに傾いた兵器は、だがそれでも傷を負わない。
ばちばちと音を立て、まるでただの火花を浴びているかのように、熱閃全てを受け流している。
ディセントラが兵器の動きを止めたようだが、それも一瞬。
すぐに弾けるような音と共に兵器は自由を取り戻し、倍の勢いで衝撃波を吐き出し続けた。
幸いなのは、俺が最も脅威になるということを認識しているのが、全ての攻撃が俺に集中し始めたこと。
俺なら防げるから、カルディオスたちの方向に一発撃たれるよりはよっぽどいい。
だけど俺にも限界はある。
限界はあるけど、――駄目だ。
……駄目だ。
駄目だ、これ以上は下がれない。
俺の後ろには船がある。――トゥイーディアが乗っている船が。
あいつはまだ、たぶん記憶を取り戻していない。
もしかしたらコリウスが、もうあいつに会ったかも知れない。
でも俺たちは代償のことを口に出せないから、あいつが全部を思い出した後ならともかく、今あいつに直接、「思い出せ」と呼び掛けることは出来ない。
だから、この兵器には俺が応戦して、俺が片付けないといけない。
そうじゃないと、また――
――前世で死ぬ寸前に見た、トゥイーディアの顔が瞼の裏に蘇った。
歯を食いしばる。
――嫌なんだよ。
あいつが怪我をするのを見るのは、あいつが辛そうにしているのを見るのは、あいつが死ににいく顔を見るのは。
いつもだ。
いつも、もう絶対にこんなのは見たくないと思って俺は死ぬんだ。
次こそ絶対に守ろうと、心に決めて死ぬんだ。
それなのにもう何十回も、俺はあいつを守り切れずに死なせている。
その度に、次こそは、今度こそはと思って、でもそれも果たせずに――
――今回はさ。
今回はさ、大丈夫なはずなんだよ。
俺が魔王として生まれたことは本気で嫌だし、不運としか思ってないよ。
でも、その反面、俺は魔王として生まれたことで、トゥイーディアを「魔王討伐」の運命から救えたんじゃないか?
だからさ、今回はさ、今回だけはさ、トゥイーディアは自由で、ちゃんと、長く、幸せに、生きていけるはずなんだ。
――こんなところで死なせられない。怪我だってさせるもんか。
俺はあいつの人生にいなくていい。
時々顔を見られれば、それでいい。
あいつが幸せに生きてるんだって、知ることができる立場なら何でもいい。
だからさ、今、ここで、守り切らなきゃ意味がないんだよ。
――そう思って必死に歯を食いしばるのに、兵器は無情に衝撃波を撃ち続け、反撃を許さない。
恐らく、自身がそれなりに打撃を受けていることが判断できるのだ。だから、俺に反撃させないことに主眼を置いている。
正直に言えば、死ぬような攻撃じゃない。
俺なら多分、防ぎ続けることならしばらく出来る。
だけど、それじゃ駄目だ。
ちゃんととどめを刺さないと。
こいつがもう二度と、俺たちの前に出てこないようにしないと駄目なんだ。
衝撃波が降り注ぐ。
見えない打撃が大盤振る舞い。時折そこに紫電が混じる。
反撃できない。
なんならじりじり押されている。
情けなさに涙が出そうだ。
なんでだよ、俺、魔王じゃないのかよ。いや、守るだけなら出来るから魔王なのか。
俺が今、切実に必要としているのは救世主としての力。
足許の氷が叩き割られた。やべぇ、と思った次の瞬間、速やかに氷が張り直される。
俺が咄嗟に張った氷よりも分厚く頑丈に。
――アナベルだ。
はっとした瞬間、俺の後ろで大波が起こった。
氷の下の海水を誰かが波として上に巻き上げている。
うねる海水が海鳴りのような音を立て、魔力の支配下に置かれた海水が、壁のように俺と船の間に聳え立つ。
足許が揺れ、滝のように落ちる海水の飛沫を、俺は頭から被った。海水が口に入った。しょっぱい。
壁を成す噴水のようにそこに出現した大波が、流れ落ちる怒濤の姿もそのままに、一瞬後に見事に凍り付いた。
真っ白な氷の大壁が、俺の背中に冷気を伝える。
〈動かすこと〉はコリウスの得意分野だが、これはコリウスではないだろう。
あいつの魔力の気配ではないし、そもそもコリウスならば海水を動かして何とかしようとするはずだ。
こうして大壁を造ったということは、これはアナベル。
大丈夫か、アナベル。得意分野ではないところでこんな無理して。
海水はそれそのものが大海原の一部だから、動かすのは相当しんどいはずだ。嵐の中で翻弄されたことがある俺は身を以て知っている。
だが、助かった。
これで一時的にではあれ船は守られる。
衝撃波が刻一刻と氷の大壁を削る中、ディセントラとアナベルが共同で大壁を維持している様子だ。
背後を気にしなくていいなら、俺は自分だけを庇えばいい。
硬化させていた空気を全て戻し、最小限、自分の前にだけ小さな盾のように掲げる。
相も変わらず大盤振る舞いされる衝撃波と紫電の雨の中、身を低くして疾駆する。
見上げた兵器の、その脳天がちかっと光った。
立て続けに三度。
一瞬の静寂――
――そして、破裂音と共に周囲一帯が爆発した。




