21◆ 貴族と平民
「……あー、ちゃんと説明してなかった俺たちが悪いな」
理由不明に切れられた後の朝食の席にて、カルディオスが頬を掻きながらそう言った。
あのあと俺が拳で殴られたかと言うと否。
土壇場で理性が勝ったらしく、ティリー嬢は俺を拳で殴るのではなくて平手でぶっ叩いた。
俺が動きを読んで自分から彼女の掌の動きに合わせて顔を反らし、衝撃を殺したことがたいそうお気に召さなかったらしく、ティリーはその直後の二本目の打ち合いで、一本目とは比較にならない強さで俺の脛をぶっ叩いてきた。
早朝訓練が終わるなり、俺がそそくさと彼女の前を辞して旧知の友人を頼ったのは当然といえよう。
カルディオスはどの人生においても、俺たちの中で最も友達を作るのが上手い。
今回もご多分に漏れず、訓練が終わると友人らしき数人に囲まれていたが、俺の顔を見るとすっと話を打ち切ってこっちに来てくれた。
多分、俺が相当の仏頂面をしていたからだろう。
俺とカルディオスの様子を遠目に確認したらしきディセントラも、数人に断りを入れてからこっちに来た。
ということで、俺たちは三人で固まって座っている。
場所は大広間。
俺が一番最初に足を踏み入れた砦内部である。
だだっ広い大広間には長机と長椅子が幾つも運び込まれ、食堂の態を成している。
今ここには隊員の三分の一ほどが集まっている。
食事も交代制なんだそうな。コリウスもアナベルもいるのかも知れないけれど、さすがに見付けられなかった。
俺たちは隅っこの方に席を確保し、カルディオスと俺が向かい合い、カルディオスの隣にディセントラが座る形で固まっていた。
何人かがカルディオスに一緒に食べないかと声を掛けていたが、カルディオスは「親戚の世話があるからごめんな」と人懐っこい笑顔で断っていた。女の子からのお誘いも何回か断っており、断られた女の子は例外なくディセントラを睨んでいたが、ディセントラ自身も何度かお誘いを断っていた。
朝食は木の器に盛られたごった煮。俺からすればご馳走。スプーンでごった煮を口に運びつつ、俺は眉を顰めた。
「何の説明?」
「おまえの相方、誰だったの?」
俺の質問に疑問で返してきたカルディオスに、俺は一応周囲を見渡してから声を潜めて答えた。
「――ティリーって女の子。赤毛の」
「あー」
ディセントラとカルディオスが声を揃え、ディセントラは軽く頭を抱えた。
ディセントラの左の中指に嵌まる黒い指輪がきらっと光る。
俺たちの――というか、救世主のための変幻自在の武器は、今回の正当な持ち主であるトゥイーディアに渡すことが出来るまでは、俺たち五人が順番で身に着けることになっているのだ。
本日の当番であるディセントラは指輪にして身に着けているようだ。
カルディオスは深々と溜息を吐き、スプーンで俺を指した。
「――ルド。注意したことは覚えてるだろ?」
「おう」
俺は頷き、周囲に聞こえないよう声を低める。
「――絶対に優秀だと思われないようにする。何なら敢えて落ちこぼれる」
「そう」
深く頷き、カルディオスは身を乗り出す。
「俺たちは近々ここを出てくわけだ? まあ前から、みんなに会うのが目的で来てる場所だし、名を上げるまでもなく大半揃った段階で、みんな適当に手を抜いてたけど。
今更、変に優秀なことがバレてどっかに遠征とかに出されたら笑えないからな。実際の戦闘でもない限り、実力を見せるのは無意味」
頷く俺。カルディオスは「ただし」と言葉を継ぐ。
「俺とコリウスは、頑張って中の上くらいの実力に見せてる。なんでかは説明したな?」
「――家の名前が懸かってるから、だろ」
俺は顔を顰めた。
「カル。俺がおまえの遠縁の親戚で、それに見合うようにそこそこ実力あるように見せろって話だと思うけど、見たとこあのティリーって子も貴族だろ。だったら敢えて負けて、相手を立てた方がいいと思ったんだけど。相手が平民っぽかったら一本取ってたけどさあ」
「うん、うん。ルド、正しい。けど、そうじゃないんだ」
カルディオスがゆるゆると首を振る。そして、スプーンを置いて指を一本立てた。
「説明しとくべきだった。ガルシアでは一応、隊員を評価して位を与える。優秀な人間に、他の人間を指揮する権利を与えるわけだ。軍隊だからな。小隊が中隊を作り、中隊が大隊を作り、大隊が師団を作り、師団が軍団を作る。俺たちは今は平だけど、早けりゃ二十五歳くらいで小隊長に任命される奴も出てくる」
「うん」
俺が頷くと、カルディオスは身を乗り出した。
「この評価が個人に下されるなら問題ない。問題ないんだが――」
俺は思わず真顔になった。
「――もしかして二人一組の評価とかなの?」
「いや、個人の評価に、四人一組の評価が加味される――結構、この四人一組の評価が重視されるみたいだな」
カルディオスは吐息を落としてスプーンを取り上げ、がつがつとごった煮を口に入れた。
その間に、ディセントラが説明してくれる。
「ごめん、ルド。まさかティリーが引っ張ってこられるとは思わなくて説明を割愛したの。別に評価なんてどうでもいいですっていうような、何ていうか落ちこぼれた人たちのところにあんたは入れられるだろうって予想だったんだけど……」
そりゃそうだろう。
いかに将軍の推薦があるとはいえ、こんな半端な時期に正規ルートから外れて飛び込んできた奴だ。組織としては末端のグループに入れて様子を見るのが正解だろう。
それにカルディオスたちとて、昨日までの十一日間、付きっ切りで俺の傍にいてくれたわけではない。
非番の日は一日くらいで、あとは朝から晩まで訓練やら講義やらに動いていた。
みんなが最優先で教えてくれたのはこの時代における魔法の使い方――つまりは世双珠の扱い方で、隊員の評価なんてところまで手が回るわけがなかった。
「一応ね、あの訓練のときの並び順って、その評価を受ける四人一組ごとになってるの。まあ、数の問題で四で割り切れなくて、昨日までは六人組が一つあったわけだけれど。今回ルドベキアが私たちのグループに配属されたから、別のグループにあった五人組からこっちに一人入れて、晴れて全員を四人組にしたわけね」
俺は納得を籠めて頷いた。
「それでティリーが今日から引っ張って来られたってことか」
ディセントラは深々と頷く。
「そう。で、ティリーはこの国の公爵令嬢で、評価にはすごく拘りがあるのよ。昨日までいた五人組も、じきに全員小隊長任命間違いなしって言われてたんだけどね……」
溜息混じりのディセントラの言葉に、俺は真顔のまま言った。
「つまり、ティリーだけがいきなり弾かれたと?」
はあ、と息を零して、ディセントラは赤金色の髪を掻き上げた。
「そういうことになるわねぇ。――まあ、以前から結構高慢な子だって問題になってたし、そういう素養が響いたのかも知れないけれど。本人としては面白くないでしょうねぇ。で、いざ組まされてみると、あんたが全く手応えなしの相手だったわけでしょ? 評価がどん底になることが分かって目の前真っ暗になったんじゃないかしら」
カルディオスが口の中のものを飲み込んで、念のため、と言わんばかりの口調で訊いてきた。
「――ちなみになんだけどさ、あとの二人と挨拶した?」
「してない」
俺は首を振る。
そういえばあの子、俺が近くに行くまでは前の二人の打ち合いをガン見してたな。あれがあとの二人か。
「なんでこの子こんなに切れてんだろって思って、慌てておまえらを捜したんだよ……」
ふう、と息を吐いて、カルディオスはナプキンで口を拭った。
「まあ、次は四人一組での合同訓練で、そのあとの魔法研究院での講義も四人一緒だから。――適当に挨拶しとけ。で、ちょっとは骨のあるとこ見せれば、ティリーの機嫌も直るんじゃね? はじめは緊張して実力出せなかったとか言っとけよ。この際、中の上くらいの評価になってもいいからさ。円満に生活する方が大事だろ」
うん、と頷いてから、俺は慌てて挙手した。
「待て、待て?」
「ん?」
カルディオスの翡翠の目を見て、俺は茫然と言った。
「訓練の間って、基本的にその四人一組で動くわけか……?」
「まあ、基本的には」
首肯したカルディオスに、俺はがっくりと項垂れた。
「せっかく会えたのに、また別行動かよ……」
俺の言葉に、しばしきょとんとしたカルディオスだったが、すぐににんまりと笑った。
「なぁんだよルドちゃん、そんなに寂しーのか? まったくしょうがないなあ!」
俺は思わずカルディオスの脚を蹴った。
押し殺した声は本気だった。
「てめえも暗殺され掛けながら十八年一人で過ごしてみろよ!」
とはいえ、郷に入っては郷に従え。
俺は合同訓練の場で、大人しく頭を下げた。
「すみません、さっき申し遅れましたがルドベキアです。今日からよろしく」
ティリーは彫像のように押し黙っていたが、あとの二人はにこっとして握手のために掌を差し出してくれた。
「初めまして、僕はニール。よろしく」
「あたしはララ。よろしくね」
ニールは黒髪に灰色の目の、背が低くちょっとぽっちゃりした青年だった。
見たところ二十歳前後か。黒髪は俺のものよりやや色が薄く――俺の髪が珍しいくらいに混じり気のない漆黒だからだが――、ふわふわした癖っ毛で鳥の巣のように見えた。
くりっとした灰色の目は愛想良く細められ、色白の面立ちは見るからに学者肌。
労働に従事していたようには見えないので、恐らく平民ではないだろうが、態度を見るに貴族と断言も出来ない。
恐らくは地方の郷士の次男坊といったところか。
ララは長く伸ばした栗色の髪を一つに束ねた元気そうな女の子だった。
多分、十七歳かそこら。髪と同じ色の目を、ちらちらとティリーに向けている。
所作から推してこの子は平民だろうから、貴族であるティリーの動向が気になるといったところか。
俺は真面目腐って、短い付き合いになる予定の二人と握手した。
ティリーはその間、腕組みをして仏頂面を晒していた。これには俺も呆れ返る。
貴族たるもの、内心の機微は顔に出すべきではない。
場所は野外訓練のための巨大な広場。訓練場よりも明らかに広大な面積を誇る場所である。
合同訓練は毎回ここで行うらしい。
ほぼ毎日のことなので、みんなは特段上官の指示を待つことなく動き始める。
ばらばらと散開していく四人組たちの中、俺たちのすぐ傍にディセントラを擁する四人組が現れた。
隣に立つ男の子とにこやかに会話していたディセントラが、俺の顔を見てちょっとびっくりした顔をする。俺は軽く手を振っておいた。
これから何をするのか、俺にとっては全くの未知である。
訓練内容なんてみんな教えてくれなかった――というか、他の重要なことを教えるに当たり、訓練内容にまで手が回らなかった。
それに、初日に多分色々と説明されるだろうという、全員一致の予想は見事に外れている。
こんな時期外れのタイミングで入隊してくる奴に対応する手引きなんてないんだろうな。
不慣れな俺のためだろう、ニールがこっそり耳打ちしてくれた。
堂々と喋らないのは、石のように押し黙るティリーを慮ってのことだろう。
「――ここでいわゆる仮想敵を相手にした訓練をするんだよ」
「仮想敵?」
俺も小声で尋ね返す。ニールは肩を竦めた。
「もうすぐ入って来るよ」
入って来る?
目を瞬く俺の耳が、そのとき、がしゃんがしゃんと規則正しい音を捉えた。
首を伸ばして音のする方を見ると、石垣に囲まれた広場の、石垣の途切れた入り口から、仮想敵と思しきものたちが行列を作って入って来るところだった。
鎧だった。
帯剣した鎧が数十、一糸乱れぬ動きで広場に入場してくる。
日光を弾いて銀色の鎧は白く輝き、がしゃんがしゃんと大仰な音を立てて歩いている。
全員全く同じ動き、中に人が入っているとしたら恐ろしいばかりだ。
仮想敵と言っていたし、多分あれも世双珠で動いているんだろうな。
鎧たちが規則正しい動きで広場への入場を終えると、ララがさっと挙手して愛想笑いを浮かべつつも小声で、呟くように言った。
「――一つ連れて来まーす……」
ニールが「お願いね」と言葉を掛けてから、やはりティリーを慮って小声かつ早口で俺に告げた。
「あの鎧、世双珠で動いてるわけだけど、並んでる中から適当に一つ連れて来るんだよ。あれを倒すのが合同訓練だね。今日は四人で一つを相手にするけど、明日は八人で三つを相手にするよ。明後日はまた四人で一つ――ね、頑張ろうね」
頑張ろうね、と言った言葉に力が籠もっていた。ニールの灰色の目はティリーを見ている。
「お、おう」
俺も頷いた。
身分による柵だらけというのは、アナベルの言う通りらしい。
ティリーが不機嫌そうにしているだけで、この二人は恐らく胃が痛い思いをしているのだろう。
そうこうしているうちに、ララが鎧を一体連れて戻って来た。
銀色の鎧はところどころ鍍金が剥げたり凹んだり、これまでも長く訓練に使われてきたことが窺える。
世双珠は頸に当たる部分の項側に仕込まれているらしく、訓練開始はその世双珠を使用して行うのだそう。
周りも訓練を開始し始めた。
ちらりとディセントラを窺うと、ディセントラは周囲を立てつつ上手く立ち回っているようだった。
さすがに手慣れたものである。漏れ聞こえてきた、「いつもお手伝いしか出来なくてごめんなさい」という言葉に、俺は笑いを誤魔化すために咳払いした。
ディセントラのいる四人組は、あいつを除いて全員男性で、その三人ともが非常に気合が入っている。
顔面を見ればディセントラは極上だから、その気持ちは結構分かる。
あと、今は平民とはいえ、ディセントラには身に沁みついた高貴な雰囲気がある。さぞかしモテるだろう――いつものことだけど。
ララが世双珠に触れ、訓練を開始する。
今まで一度も口を開かなかったティリーが、一歩前に出る。
がしゃん、という音と共に、鎧は己が腰に差した騎士剣を抜き放った。
――結論から言うと、俺たちは非常にスムーズに仮想敵を行動不能に陥らせた。
近々小隊長を拝命すること間違いなしと言われていたらしいティリーは、態度に問題こそあれど実力は確かだった。
複数の世双珠を上手く使い分けて、鬱憤を晴らすが如くに仮想敵を滅多打ちにしていた。
ちょっと先走り過ぎる彼女が反撃を受けたときに、俺たち三人が脇役の如くに援護し、ついでに俺はティリーの機嫌を取り持つため、終盤の方で仮想敵に一撃入れておいた。
その甲斐あってか、ぴたりと動きを止めた鎧を前に、まだ決着がついていない他の組を待つ間、ティリーが朝食後はじめて口を開いた。
「――さっきよりはやるじゃない。ええと……ルドベキア、だったかしら」
「合ってるよ。――さっきはあんまり調子が出なくて」
しれっと答える俺。
ティリーの機嫌が上向いたことを受けてか、ニールとララが本気で胸を撫で下ろしている。
ティリーは俺を見て、それからニールとララを見た。二人が姿勢を正す。
「ニールにララ……。昨日までは確か、デイヴィスと同じ組だったわね?」
猛然と頷く二人。
「はいっ!」
ティリーは浅く息を吐き出し、結い上げた赤い髪の後れ毛を弄びつつ、ぴしゃりと言った。
「まあ、足は引っ張らないでちょうだい」
ニールとララの顔が、気の毒なほど蒼褪めた。
「は、はいっ!」
次なる予定、魔法研究院における講義のため移動する際は、俺はニールとララと連れ立った。
一方のティリーはぷいと顔を背け、明らかに気位の高そうな女の子たちの一団の方へ歩いて行った。
ティリーが去ったことで、ニールとララは揃って安堵の息を漏らした。
それを俺が面白そうに見ていることに気付くと、ニールが決まり悪げに笑ってみせた。
「昨日までいた六人組には、あんなに身分の高い人はいなかったからね……。正直、息が詰まるよ」
「普通に会話できるの、あなたすごいわね。あたしにはとても無理」
ララも首を振りつつそう言い、ぐっと身を乗り出してきた。
「ねね、カルディオスさんの遠縁の親戚って噂だけど、ほんと?」
「ああ、まあな。けど、遠縁すぎて今まで会ったこともなかったけど。身分もあっちの方がずっと上だし」
尤もらしく言う俺を、ララは納得の表情で見た。
「そうね、全然似てないものね」
「確かに」
便乗してくるニール。まじまじと俺を見て、
「そんなに黒い髪、この辺じゃ珍しいね。本当に真っ黒だ。目の色も、さっきは黒っぽいのかと思ったけど青いんだね――日の光が当たると空色だ」
「ああ――」
俺は手で目庇を作ってみせる。
「よく言われる。明るいとこと暗いとこで色が変わるって」
「色の変わり方が菫青石っぽい」
ララが呟き、俺は苦笑。
「いや、宝石に喩えんなよ」
ふふっと笑って、ララが得意げに言った。
「実はあたしの実家、宝石商なの。レヴナントのせいでファルトバとの輸送経路が封鎖されちゃって苦労してるんだけど」
ファルトバ――確かここより北にある小国のはずだ。
前回の人生においても、宝石の原石を多く産出する山脈を有していた。今もそうなのか。
「だから、女の子への贈り物で迷ったらあたしを頼ってね。カルディオスさんにも贔屓にしていただいてるのよ」
卒なく実家を売り込むララ。
思わず俺は乾いた笑いを漏らした。
大勢と遊ぶカルディオスは相変わらずだが、俺が贈り物をしたいと考えるならばそれはただ一人だ。
そしてその一人に対しては、俺は絶対に贈り物が出来ない。そのせいで俺はずっと宿命のお独り様なのである。
よって俺がララの実家の世話になることもあるまい。
「へえ? カルディオスがなぁ……」
眉を上げてみせると、ララは苦笑い。
「いや、まあ……頼まれる商品の意匠とか、ちょっところころ変わり過ぎじゃないかって気はしてるけど」
それぞれの女の子に似合いそうなのを頼んでるんだろうな。
ニールが声を低めた。
「ここだけの話、この間、彼が女の子を泣かせてるところ見たって、ジャスティンが」
ジャスティンって誰だろう。とはいえさもありなん。
ええっと声を上げるララは楽しそうだ。
まあ、こういうところでは恋愛話ほど気を引くものもないだろう。
「ミセス・シャーナの店で。あそこ、テラス席あるだろ? あそこで彼と話してた女の子が、泣き出して彼に水ぶっ掛けたって」
さもありなん。
「別にカルディオスさんは気にした感じでもなくて、けろっとしてたらしいけどね……」
さもありなん。
「ええっ、あたし、あの人の本命はディセントラだと思ってるんだけど……」
ララの言葉に、俺は思わず顔を背けて笑いを噛み殺した。
カルディオスは昔から、しつこい女の子に引っ掛かったときはディセントラを盾にすることが多かったが、今回もか。迷惑そうにしているディセントラが目に浮かぶ。
「――俺がなんだって?」
唐突に声が掛かり、俺は歩きながらくるりと振り返った。
そこに、翡翠色の目を面白そうに煌めかせたカルディオスを認め、思わずにやりとする。
カルディオスの後ろに、同じ組だろうと推察される三人が立っていて、俺のことを「こいつがカルディオスの遠縁か」という目で見ていた。
一方で、ララとニールは一転して顔色を失っていた。まあ、こいつはお偉い将軍の息子だからね。
二人の様子を見て、カルディオスはにっこり。
甘く整った顔に載る極上の笑顔に、ララがさあっと頬を朱に染めた。
「ララちゃん、いつもありがとね。あと、きみは、ええっと?」
ニールに顔を向けて首を傾げるカルディオス。可愛がられることに慣れた家猫みたいな雰囲気である。
「ニール」
俺がぼそっと呟くと、カルディオスはにっこり笑顔のままでニールに右手を差し出す。
「ニールか! 初めまして、よろしく。――二人とも、こいつのこと頼むね。慣れないことが多くて苦労すると思うからさ」
身分において天地の開きがあるカルディオスにそう言われ、ニールがへどもどとその手を握りながら頷く。
「はい、あの、勿論です、はい」
「で、俺の何の話してたの?」
カルディオスが白々しくも首を傾げ、俺は肩を竦めた。
「おまえが女の子と遊び過ぎって話だよ」
「えっ、なんのこと?」
けろっとしてそう言って、カルディオスは悪びれずににっこり。
「楽しいからいーじゃん。――ていうかね、ルド。おまえもそろそろ恋人の一人や二人作れって。ずっと真面目一辺倒だったって父様からも聞いてるぞ」
俺は溜息を吐いた。
「一人や二人って、おまえな」
父様から云々という件は、話の辻褄合わせのための軽い嘘だが、カルディオスがずっと俺がお独り様でいることを気にしているのは事実である。
このちゃらちゃらと軽い男からすれば、俺がそういった方面に一切の興味を示さないのは驚愕ものであるらしい。毎回毎回、可愛い子に興味はないのかと言われ続けて辟易している。
恋人を作らない男といえば、コリウスもそうなのだが、さしものカルディオスといえども、奴の前でこの話題は出せないだろう。
コリウスはそもそも他人に心を開きたがらないので――俺たちにでさえ、一線を引いて接するきらいがあるくらいだ――、カルディオスとしても始めから半ば諦めている風はあった。
とはいえ何回か前の人生でコリウスが恋人を獲得した折には、カルディオスは誰よりも盛り上がって祝福していた。
ちなみにその恋人、なぜだかは分からなかったがコリウスを後ろから刺して殺したんだが。
魔王討伐云々の前に一人が欠けたのはそのときが初めてで、みんなしばらくは衝撃が過ぎて放心していたっけ。
カルディオスは特に怒り狂ってそいつを探し出し、問答無用とばかりに殺しに掛かっていた。
以来、コリウスの前での恋愛話はそこそこご法度となった。
――ぽんぽんと軽く言葉を遣り取りする俺とカルディオスを、ニールとララがびっくりした顔で眺めていた。
それに気付いて、俺はしかめっ面でカルディオスを肘で押した。
「おい、びっくりさせてるぞ。自分のとこに戻れ、カルディオス」
「せっかく顔を見に来てやったのにつれないな」
わざとらしく不機嫌そうにそう言って、しかしカルディオスはすぐに明るく笑った。
「まあ、なんとかおまえがやっていけそうで良かったよ。
――ララちゃん、ニール、ホントにこいつのことよろしく頼むね?」