53◆ 脱獄幇助は計画的に
コリウスが俺をトゥイーディアに同行させたのは、単純な数合わせだろう――上階の捜索の負担を考えると、三人以上を地下に回せなかったのだ。
そうでなければ、トゥイーディアと犬猿の仲の俺を、彼女にくっ付けておくわけがない。
俺とカルディオス、それからアーバスが七階に駆け上がったときには――階数を舐めてた。めちゃめちゃしんどかった。ガルシアで訓練を受けていない引き籠もりの頃の俺だったら、多分動けなくなってた――、トゥイーディアが既に、七階の房の中を確かめ始めていた。
歩幅も脚力も、さすがに男の俺たちの方が勝るはずなんだけど、今生のトゥイーディアは超人か。
半開きになっていた鉄格子の扉を押し開けて、そこで階段を上がり切ったことを暗闇の中でも見て取って、俺は取り敢えず、膝に手を突いてぜぇぜぇと喘ぐ。
カルディオスもアーバスも同じ状態だったが、二人がさっさと背筋を伸ばし始めたので、俺も根性でそれに倣った。
万が一にもこんなところをトゥイーディアに見られて、格好悪いだなんて思われたくない。
階段を上がったところは、鉄格子の扉になっていて――その扉は無論、先行したトゥイーディアが開けてくれていたからこそ、半開きになっていたわけだが――、その先は、ぐるりと塔の外縁をなぞるように円環型の廊下になっている。
トゥイーディアの魔力の気配が、彼女が残した足跡のように点々と続いているのが感じられた。
俺たちは(と、いうか、先行しているトゥイーディアは)塔を時計回りの向きで確かめていくことを選んでいたので、歩く右側に房の鉄扉が並んでいる形だ。
鉄扉の上部は鉄格子が嵌め込まれた小窓となっており、そこから房の中の囚人の様子を看守が確かめるのだと思われた。
何しろ塔がでかいので――つまりは、廊下の円周が長いので――、房の数も膨大なものだ。
トゥイーディアは何の遠慮も配慮もなく、順番に房の中を覗いていったらしい。
真夜中とはいえ、起きていた――あるいは、トゥイーディアのせいで起きた――囚人たちの、訝しげな声が微かに聞こえてきていたが、幸いにも騒ぎにはなっていない。
もしも看守の衛兵が通り掛かっても、寝言かな、と思ってくれそうな範囲だ。
だが、とはいえ、肝が冷えるというものだ。
「……ディア嬢ちゃん、めちゃくちゃだな――」
アーバスが呟いて、俺は無言で頷いた。
声を出して同意したかったのは山々だったんだけど、まだ息が切れていたのだ。
つうか、カルもアーバスも、俺より遥かに早く息を整えている。
これが基礎体力の差か? 十八年間の引き籠もり生活が、未だに俺に響いてるのか?
正直、脚は熱を持ったように感じられ、鉛のように重かったが、カルディオスとアーバスがさっさと歩き出してしまったので、俺も平気な振りをして続いた。
とはいえ一歩の遅れは取ったので、カルディオスには勘付かれたっぽい。
彼は俺を振り返って、まだ翳の残る翡翠色の目で俺をじっと見てから、不意に表情を緩めて微笑の欠片を天与の美貌に浮かべた。
それが、暗く沈んだ中でもちらりと見えた。
――まあ、ちょっとでもカルの気が晴れたなら、俺が多少の恥を掻くのはいいんだけどさ。
俺は「揶揄うなよ」と念押す顰めっ面をして見せたが、この暗闇だ、カルディオスにそれは見えなかっただろう。
窓のない塔の中は、夜陰を折り重ねたように真っ暗だった。
だが前方に、ゆらゆらと揺れる暖色の光源がある。
ちらちらと動くその光源を追うようにして、俺たちは足を速めて前へ進んだ。
緩やかな曲線を描く廊下を無言で進むことしばし、光源はトゥイーディアが浮かべた灯火だと分かった。
トゥイーディアが、左の掌の上にちょこんと炎を載せるように浮かべて、足早に房を覗き込んでは先に進んでいる。
房の鉄扉の上部の窓は、俺やカルディオスやアーバスからすれば、簡単に覗き込める高さだったが、トゥイーディアは多少難儀していた。
窓の縁に片手の指を掛けて背伸びをしてやっと、といったところか。
俺は火傷を負わないから、炎を手掴みしようが何をしようが平気だ。
一方トゥイーディアの肌は、常人並みに熱で傷つく。
ゆえに俺は、トゥイーディアが掌の上に炎を浮かべているのを見てどきりとしたが、そこはさすがトゥイーディア。
ちゃんと熱を散らしているようだった。
「――イーディ」
足早にトゥイーディアに追い着いて、カルディオスが小さくひそめた声を掛けた。
トゥイーディアはぱっとこちらを振り返り、炎を移してほの赤く見える飴色の瞳を瞬かせた。
「……カル」
風もないのに、トゥイーディアの掌の上の小さな炎がゆらゆらと揺れている。
炎を包むように緩やかに曲げられた指が、影になって目に映る。
「コリウスと、トリーと、アナベルは、地下だよ」
殊更にゆっくりと、小さな声でそう言って、カルディオスは首を傾げた。
「俺たち、階段から反対周りに見て来ようか?」
トゥイーディアは息を吸い込み、それから疑うようにカルディオスと俺を見た。
声は潜められていたが、疑念は十分に伝わった。
「――カル、……きみもだけど、ルドベキア。お父さまの顔、覚えてる?」
「覚えてるよ」
はっきりと答えたカルディオスと違い、俺は思いっ切り顔を逸らした。
――正直、あんまり覚えてない。
カルディオスは、まああれだ、天性の人当たりの良さからか、一回でも顔を見た人のことは、割とはっきり覚えていることも多いけど――遊びで付き合った女の子以外の顔は。
トゥイーディアは無表情に俺を見て、それからアーバスに視線を移した。そして首を傾げて、
「アーバス小父さま、その人と一緒に、ここから反対周りに房を見て来てくださる?」
その人、と指差されたのは無論のこと俺で、指差すトゥイーディアの右手指が、何度か房の小窓の縁に触れていたからか、埃で黒ずんだように汚れているのを、俺は何となく視界に収めた。
「はいよ」
そう応じて、アーバスが手を伸ばしてトゥイーディアの頭を撫でた。
くしゃり、と、半ばが結い上げられた蜂蜜色の髪が僅かに解れる。
炎を映して、金細工の髪飾りが緋色に煌めいた。
撫でられるがままにかくん、と首を傾げて、トゥイーディアは今度はカルディオスの方へ視線を向ける。
カルディオスは、表情を取り繕おうとはしていたものの、その実全然取り繕えていなかったから、普段の彼女であれば、「どうかした?」の一言くらいはあっただろう。
だが今は、トゥイーディアはカルディオスの様子がおかしいことにすら気付かなかったようだった。
「カルは、この内側――えっと、塔の広さからして、房が多分、この奥にもう一周あると思うのよ。そっちを見て来てくれる?」
――なるほど。
円環状の配置された房が、恐らくは二重になっているってことね。
となれば、どっかに奥に通じる通路があるはずだ。
カルディオスは、一人になれることをむしろ歓迎するかのように、大きく頷いた。
「ん、分かった。じゃ、俺、通路だか廊下だかを探して来んね」
じゃ、とひらりと手を振って、カルディオスがトゥイーディアの隣を擦り抜けるみたいにして歩き去る。
軽く左手を振って、それを合図にカルディオスの肩の高さに灯火が浮いた。
トゥイーディアは、そのときになってようやく、カルディオスの様子がおかしかったことに気付いたらしい。
一瞬怪訝そうな顔をしてから、カルディオスを追い掛けるようにして振り返り、潜めた声を上げた。
「――まだ遭遇してないけど、見張りの人もいると思うから――」
気を付けてね、と続けるつもりだったのだろう声は、カルディオスが邪魔くさそうに後ろ手に手を振ったことで霧散した。
カルディオスがトゥイーディア相手に冷淡な態度を取ることなど滅多にないので、トゥイーディアはびっくりしたようだった。
だが、それにも拘泥していられない精神状態であることは確か。
すぐに、俺たちが来る前の続きをするみたいにして、次の房の小窓に手を掛けて背伸びをして、中を確認し始めた。
アーバスがくるっと踵を返して、俺の襟首を後ろから引っ張った。
「ほら行きますぜ」
おう、と応えようとした声は、襟首を引っ張られていたことで、ぐえ、と潰れて終わった。
このやろう、救世主相手の振る舞いじゃねえ……。
とはいえ愚図愚図してもいられないので、俺が浮かべた灯火を頼りに、俺たちは走って階段の方まで戻り、そこからトゥイーディアとは反対周りに――すなわち、反時計回りに――房の中を覗き込み始めた。
アーバスは、俺がリリタリス卿の顔を知らないことを認識した上で、「中にいるのが女か若造か老人以外なら呼んでくだせぇ。オルトは黒髪ですぜ」と言い放ち、俺たちは交互に房の中をそれぞれで窺い始めた。
単純に一人でこなすよりも倍速だが、窓のない房の中は暗い。
陰鬱な暗さの中で、浮かべた灯火の頼りない明かりでは、中にいる人間が男か女かを判別することすら難しかった。
中には頭から擦り切れた毛布を被ってしまっている人もいて、申し訳ないが、そんな人からは魔法で毛布を引き剥がした。
それにすら無反応に寝こける囚人もいる一方で、なんだなんだと声を上げる囚人もいる。
そんなときには――巡回の衛兵に声が原因で見つかるのは断じてごめんなので――、俺は声を周囲に漏らすまいと遮断した。
ディセントラやコリウスほど器用には出来ないが、〈動かす〉魔法の応用で、俺にもこのくらいのことならば出来る。
房の中には備品らしい備品もなく、剥き出しの石の床の上に、擦り切れた毛布一枚を与えられた囚人が、彼ら自身がその牢獄の備品であるかのように転がっているのみだった。
生きているかどうか不安になるほど、ぴくりとも動かない囚人もいて、俺はそのたびに肝を冷やした。
――トゥイーディアのお父さんの無事を祈る気持ちが積み上がっていく。
正直にいえば顔も覚えていない他人だが、トゥイーディアが彼に寄せる親愛は本物だ。
彼に何かあれば、トゥイーディアが、俺にとっての朝のいちばん眩しいところが、間違いなく悲しむ。
房の中にいるのは、殆どが老人だった。
俺は慎重に、脳裏に微かに残るリリタリス卿の残像と彼らを照らし合わせながら房から房へと歩いたが、リリタリス卿は――初老ではあったが――さすがにもうちょっと若かった。
幾度か、やや若い黒髪の男性が収容されている房にも当たり、俺はその度にアーバスを呼ぶこととなったが、アーバスはちらりと中を見るなり、「違う」と言い捨てていた。
――リリタリス卿が見付からないことに、アーバスの中でも焦燥が募っている様子だった。
俺は俺で、一向に見張りの衛兵が姿を見せないことに、逆に焦燥じみたものを覚え始めていた。
――リリタリス卿のような、ただでさえ市井で騒乱の種になっているような囚人がいるならば、警備は厚くするのが常ではないのか――
塔の円周は大きい。
いくら歩を進めても、一向にトゥイーディアと合流できない。
窓もない暗闇の中、時間の感覚さえも狂ってくる。
カルディオスに時計を貸してもらえば良かった、などということを考えつつ、俺は更にひとつの房を覗く。
――中にいるのは老人。
リリタリス卿ではない。
そう判断して身を翻そうとした直後、がんっ、と、内側から鉄扉が叩かれ、小窓の鉄格子の間からにゅっと指が突き出てきた。
突き出された、黒く汚れた指をちらりと見てから、俺は小窓の向こうに視線を戻す。
そして、中で転がっていたはずの老人が、それこそ転がるような動きで立ち上がり、鉄扉に縋り付いて小窓に指を掛けているのだと見て取った。
灯火の明かりに、老人の淡緑の瞳がぎらぎらと輝いているのが見える。
唐突な明るさに、その目の中で瞳孔が勢いよく収縮していく様と合わせて、妄執すらをも感じさせる双眸だった。
「――おい、おい」
中から声がして、俺は溜息を吐きつつ指を上げた。
――脱獄を助ける気はない。
リリタリス卿は例外であるにせよ、ここにいるのは一応、全員が犯罪者のはずだ。
だからこそ俺は、問答無用でその老人を気絶させるつもりで、
「――おい、おまえ、ここまで来たんならあの方を、リリタリス卿をお助けしてくれないか」
しかしその老人の言葉を聞いて、俺は思わず真顔になって、鉄格子越しに老人の瞳を真っ直ぐに見詰めてしまった。
「は?」
老人の瞳は、熱に浮かされたように真剣だった。
声から打算は感じられなかった。
「おまえ、何をしに来たかは知らんが、ここまで入って来られたならあの方もお助け出来るだろう――」
「いや待て、は?」
覚えず言葉を返して、俺は眉を寄せて手で口許を覆った。
そして、唐突な閃きに目を見開いた。
「……あんた、もしかして、リリタリス卿を庇って町中で大騒ぎして投獄された奴か」
今のベイルでは、リリタリス卿を擁護する市民と、彼を批判する市民との間で、刃傷沙汰一歩手前の揉め事が頻発している。
そして大抵の場合、リリタリス卿擁護派の市民が衛兵に連行されて行くものだったが――
――連行先なんて、牢屋に決まっているだろう。
老人が頷いた。
俺は数秒の間考え込み、目を上げて老人と視線を合わせた。
「――あんた、リリタリス卿の顔は分かる?」
俺が驚いたことに、老人は繰り返し頷いた。
「当然だ、死刑台の上のあの方のお顔を拝見した――一日も忘れたことはない――」
「いや、あんたが知ってるときより歳喰ってるとは思うけどね」
無感動にそう突っ込んでから、俺は髪に手を差し込んでしばし黙考。
その間に、俺より先に進んでいたアーバスが、灯火の不在から俺の不在に気付いたらしく、駆け足で戻って来た。
「――旦那、何なさってるんで?」
苛立ったように声を掛けられたものの、俺はそちらには答えなかった。
牢の中の老人を見て、首を傾げた。
彼の瞳の中に、真面目な顔をした俺が映り込んでいるのが見えた。
「あんた、余罪は?」
唐突に訊かれて、老人が目をぱちくり。
「は、あ?」
「いやだから、余罪」
と、俺も真顔。
「リリタリス卿を庇って町で乱闘紛いのことしただけか? それとも他に何かあんの?」
老人は、ぼさぼさの眉毛をぎゅうっと寄せて、不名誉極まりない事実を認めるようにして、ぶっきらぼうに答えた。
「……連行のときにな、衛兵を一人殴った。お陰でこんなところに――」
「よし」
老人を遮って、俺は鉄格子越しにひらひらと手を振って、老人に下がれと合図した。
老人は、俺の意図を察しかねた様子できょとんとした。
「……は?」
「だから、下がってて」
俺はきっぱりと言って、ちらりとアーバスを見てから、一人頷き断言した。
「この塔、広くて。リリタリス卿を捜すにしても時間が掛かり過ぎるんだ。
――だったら人手を増やそう」
アーバスが、耳を疑うといった顔で俺を見てきたが、なんでだ。
これが一番合理的だろ。
俺は鉄格子の向こうの老人を真っ直ぐに見据えて、す、と、左手の人差し指を持ち上げた。
「――俺がちゃんと守ってやるから、思う存分リリタリス卿を捜してくれ」
一秒後、軋むような音を立てて、内側から錠が焼き切られた鉄扉が開け放たれた。
◆◆◆
もはや足音を潜める者はおらず、大挙して廊下を駆け抜ける囚人たちは、なんかもう圧巻の光景だった。
自らの独房でその大騒ぎを耳にして目を覚ました囚人たちが、鉄扉の小窓の鉄格子を掴み、自分もここから出してくれと叫ぶ。
石造りの塔内部に反響する大騒動の中、俺はそういう、脱獄を訴える声からはそっと目を外した。
悪いな、最初に外に出した爺さんが、「こいつ仲間だった」と言った奴を外に出して、それから互選形式で連れ出す奴らを選んだんだよ……推薦がないと、さすがに怖くて外には出せん。
「――なに考えてるの、このばかもの!」
トゥイーディアが、呆れる言葉も使い果たしたといった感じで、俺の隣で茫然と突っ立っている。
そんな顔も可愛いけど、俺は不機嫌そのものの顔でトゥイーディアの方に胡乱な視線を向けた。
「あ? 人手足りなかったんだろうが」
「だからって、きみね……!」
額に手を当てて、トゥイーディアはもはや眩暈を覚えた様子。
俺が最初の爺さんを外に出し、それから彼の推薦で数人を外に出し、すっかり気分が高揚した連中が、リリタリス卿の名前を連呼しながら廊下を走り出し始めた段階で、俺は「まずったな」と悟っていたものの(なお、アーバスは笑い転げて彼らと一緒に走って行った)、やってしまったものはもう仕方ないので、彼らの頭上に灯火を浮かべてやり、かつ彼らから推薦があった(つまり、共犯で捕まったのだとの告白のあった)連中を、更にどんどん房の外に出してやっていたところで、騒ぎに気付いたトゥイーディアがすっ飛んできたのだが、そのときの顔は見ものだった。
数百年来の付き合いで、そうそう見たことのない驚愕の表情だった。
ばっと顔を上げて、トゥイーディアがきっと俺を睨む。
内心で俺は大いにたじろいだが、惚れた弱味ゆえの弱気は顔に出なかった。
「――あんだよ」
「危ないでしょ!」
はい、その通りです。
――内心でトゥイーディアを拝み倒しながらも、俺はつっけんどんな口調で言っていた。
「別に、用事が終わればまた独房にぶち込めばいいだろ」
「そうじゃなくて!」
叫ばんばかりのトゥイーディア。
正直、めっちゃ可愛い。
トゥイーディアも多分、本気で怒る一歩手前で止まっているのだ。
ガチで怒った彼女はこんなもんじゃないし、彼女がガチで怒っていれば、俺はトゥイーディアに見蕩れることすら出来ないくらいには怖いし。
――いや違うそうじゃなくて、そんな場合ではなくて。
「せっかく静かに事を進めてたのに!
これじゃ昼日中に押し入るのと変わらないじゃない!」
はい、本当にすみません。
――胸中ではもはや土下座の姿勢だったが、俺はふんとばかりにそっぽを向いた。
「やっちまったんだからしゃあねえだろ」
「やる前に考えてよ!」
十割がトゥイーディアの正論。
俺としては、まさかこんな大騒ぎになるとは思ってなかったんだけど。
あの爺さんも良識を発揮して、静かに動いてくれると思ってたんだけど。
「思う存分」って俺の言葉が、都合よく解釈されるとは思わなかったんだけど。
言い訳を頭の中で積み上げている様が具現化できれば、たぶん俺の言い訳は天井を突き破っていただろうが、そんなことは表には出ない。
「見張りの人が来ちゃうでしょ! 危ないでしょ!
あの人たちが怪我したらどうするの!!」
廊下に反響する大騒ぎはなおも続いている。
「リリタリス閣下ぁ!」と叫ぶ声が複数聞こえてきて、――いや、これで見張りが来ねえなら職務怠慢だな。
俺はますます内心で身を縮めたが、表情は罪悪感ゼロの確信犯のもののままだった。
「いや、まあ、連中も一応は犯罪者だし」
「違うーっ!!」
トゥイーディアがとうとう叫んで頭を抱えた。
俺はうるさそうに顔を顰めてしまったが、その実鼻血が出ないか心配していた。
え、めっちゃ可愛いんだけど。
いや、違う、その、困らせてるのはほんとに悪いなと思うんだけど。
でも可愛いものは可愛いし。
「違うっ、あの人たち、全然悪くない人たちなんでしょ!? お父さまのために頑張ってくださった方たちなんでしょ!?
さすがにきみも、そこを確認せずに外に出したりはしてないよね!?」
顔を顰めたまま、俺は頷いた。
トゥイーディアはもはや俺に掴み掛からんばかりで、俺はめっちゃどきどきしていた。
やべぇ、トゥイーディアが近い。
これもう、嫌いな奴との距離感じゃねえだろ。
マジで鼻血出そう。
「だったらあの方たちは私たちが守らなきゃいけないよね!? なんでここでぼーっとしてたの!?
あれ、ねえ、アーバス小父さまはどこ!?」
トゥイーディア、半泣き。
俺は、出来るものなら彼女の頭を撫でて抱き締めたい衝動に駆られていたが、まあ、そんなことが出来るならば苦労はない。
表情は徹底的に醒め切っていた。
「さあ。どっかそのへん。ぎゃあぎゃあ喚いてねえであっち行けば?」
「きみねえ!!」
トゥイーディアが地団駄を踏んだところで、俺たちの背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。
ぱっと振り返ると、大混乱の表情のカルディオス。
気鬱が吹っ飛んだ様子で、茫然と自分の背後を指差している。
「――なあ、俺、なんか囚人服の人たちが大挙して来たのに巻き込まれそーになったんだけど……あれ、なに?」
結構真面目に怯えた顔をしているカルディオスの表情に、俺は思わず噴き出した。
トゥイーディアは、俺に掴み掛からんばかりだったところを方向転換して、「カル!」と叫んでばっとカルディオスに抱き着く。
――え、カルディオス、ずるくない……?
カルディオスは混乱した表情のまま、妙にきっちりトゥイーディアを受け止めて、翡翠色の目を盛んに瞬かせながら、俺と彼女を交互に見遣った。
「え、なに……? マジで何が起こったの……?」
「この……っ、この、ばかものが!」
ばかもの、と言いながら指差されたのは言うまでもなく俺で、カルディオスは美しい双眸を真ん丸に見開いて俺を映した。
「え? うん、ルドが?」
「牢屋の中の人たちを外に出しちゃって……!」
カルディオスがあんぐりと口を開けて絶句し、まじまじと俺を見て茫然と呟いた。
「……気でも狂った……?」
「おまえな」
と、俺は目を眇める。
「違ぇわ。単純に、リリタリス卿を庇い立てして捕まった人たちを外に出して、捜すのを手伝ってもらってるだけで――」
「手伝ってもらう」
思わずという風にそこだけを反復し、カルディオスは瞬き。
俺もまた、行く手から聞こえてくる大騒動の様子にぐっと言葉を呑み込んで、言葉を直した。
「……いや、手伝ってもらうつもりが、予想外のことになったのは否定しねぇけどさ」
ぱちり、と、また瞬きして、カルディオスは片手だけをトゥイーディアから離して暗褐色の髪を掻き上げた。
「……あー、えっと、つまり、ルドは、実際には無実の人たちを牢屋から救出して、協力してもらってるわけね」
大変耳に優しく事実を言い換えてくれて、カルディオスは肩を震わせるトゥイーディアの頭をぽんぽんと叩き、深々と溜息。
「――これだよ。
コリウスもトリーもどっちもいねーと、こうなるんだよ、俺たち」
「…………」
「…………」
俺もトゥイーディアも、反論の言葉は欠片もなく黙り込んだ。
――まあ、確かに。
コリウスかディセントラか、どっちかがここにいれば、何となくちゃんとした指示を俺たちに与えてくれて、罷り間違ってもこんなことにはならなかった気がする。
万が一俺が同じことをしていたとしても、あの二人なら、なんかこう上手く囚人たちの手綱を取って、静かに事に当たらせていたような……。
「――や、でもさ」
と、カルディオスが顔を上げて元気に言った。
――予想外すぎる事態の勃発に、どうやらカルディオスが気を持ち直したらしい。
そこは、そこだけは、本当に良かった。
「いーんじゃない? ほら、俺たち、さすがに数十人に包囲されたらやべーじゃんって思って、今までこそこそしてたわけでしょ?
それ、相手にとっても同じことじゃん。あっちもさ、訓練は受けてるとはいえ、なりふり構わねー数十人が相手だったら、さすがにちょっと押されるでしょ。
そしたらまあ、イーディのお父さんも捜しやすくなるっていうか……」
ああ、確かに――と、救世主の中でも考えの足りない人間代表の俺が頷くと同時に、殊お父さんのことに関しては、結構乱暴に物事を考えるトゥイーディアも、「あ、そっか」と呟いていた。
――その単純さもめちゃくちゃ可愛いよトゥイーディア。
ぱち、と飴色の目を瞬かせて、トゥイーディアが何か考え込もうとした瞬間だった。
――わあああっ、と、悲鳴じみた声が聞こえてきた。
同時に、「何が起こっているっ!」という、もうどう考えても衛兵だろうという声も、廊下に反響して砕け散りながら聞こえてくる。
「あれ? やばくね? 牢屋から出たばっかなら、あの人たちって丸腰でしょ?」
と、呑気にカルディオスが呟き、
「ああああもうっ!!」
頭を掻き毟ったトゥイーディアが、飛ぶようにそちらに向かって走り出した。
俺が浮かべた灯火に、翻る蜂蜜色の髪が煌めく。
髪飾りが輝き、細剣の鞘が、端に水滴が溜まったかのように光を弾く。
長軍靴が床を蹴って、みるみるうちに遠ざかる背中――
「――助けてもらう分は助けますからっ、だからお父さまを捜してくださいっ!!」
怒鳴るようなトゥイーディアの声が聞こえて、憧れのリリタリス卿の娘を間近に迎えた脱獄囚の間からは、悲鳴より一転、歓声が轟いて石の天井を揺らした。




