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51◆ 五秒間の制圧

 ベイルからおおよその灯火が消えてから――即ち、日付が変わる頃になって――、俺たちは行動を開始した。



 トゥイーディアは、完全に日が落ちたその瞬間に行動を開始せんばかりだったが、アナベルとディセントラが二人掛かりでそれを叱り付けて止めたのだ。


 まだ明かりが残っているうちは、騒ぎを起こせば目立ちやすい。

 下手をすれば、ベルフォード侯のお膝元での大乱闘すら勃発しかねない。

 そうなれば、集まる野次馬も夜中の比ではあるまい。


 わざわざ人死にを出す危険を増大させることはないだろう、と、十割が正論から成る説教を受けて、トゥイーディアは不貞腐れたように黙り込んでいた。



 トゥイーディアは、じりじりした様子で出窓に座り込んで時間が過ぎ去るのをじっと待って、町の明かりが概ね消され、いざ行動の段になると、待ちかねた様子で立ち上がった。



 アーバスは、俺たちが()()()()()潜入場所の下見もしていないことに驚愕した様子で、「本当に大丈夫なんですかい」だの、「見といた方がいいんじゃないですかねぇ」などとしばしば言っていたが、「必要ありませんから」と、ディセントラに一刀両断されて黙り込むこととなっていた。


 ――伊達に長生きしているわけではないので、侯爵邸だろうがその近くの牢屋だろうが、侵入自体には不安はない。



 不安があるとすれば、トゥイーディアのお父さんが本当にちゃんとあの塔の中にいるのかということ、彼自身の身の安全、それから、ヘリアンサスに遭遇するのではないかということ――それくらいだ。



 事実、トゥイーディアのお父さんの居所については不安が残る。


 なので――今のトゥイーディアを外に出すと、何をしでかすか分からないという満場一致の意見を得て――トゥイーディア以外の俺たちで、行動を起こすまでの間にあちこち聞き回ってみたが、どうやら彼は間違いなく都市中央の、侯爵邸のすぐ近くの塔にいるらしかった。


 リリタリス卿がそちらへ連行されるのを見たという人々が大勢いて、これを疑うのは無理がある。

 それに、異議申し立ての審判は侯爵の名の下に執り行われるらしいから、居所としては妥当だ。



 なお、そうして聞き回っている間にも、リリタリス卿を擁護する市民と、リリタリス卿を批判する市民とで、刃傷沙汰一歩手前の揉め事になっている現場に、俺たちは数回居合わせた。


 いよいよリリタリス卿の判決が最悪の形で下ったとあって、彼の無実を叫ぶ市民の声には悲痛なものがあり、俺は思わず、そっちに助勢したくなったくらいだった。


 とはいえ、ここで目立っていいわけもない。

 なので、俺たちは、リリタリス卿を擁護してくれている市民が衛兵に殴り倒されたうえ連行されて行くのを、夜陰の中で黙って見ていた。


 そのことに何とも言えない苦い味を覚えつつも、俺は、これは衛兵も疲れ切るわけだ、と、納得せざるを得なかった。


 同時に、トゥイーディアを家にいさせたのも正解だったと分かった――彼女はいつでも状況を俯瞰的に見て、正しいことをしようとする人ではあるが、(こと)お父さんのことに関しては、その思考の螺子も外れがちだし、そうなれば彼女は実年齢の割に子供っぽいこともしてしまう人だ。


 トゥイーディアがここにいれば、まず間違いなく、リリタリス卿を擁護してくれている市民を庇いに前に出て、大騒動を巻き起こしていたことだろう。



 尤も、俺たちに置き去りにされたトゥイーディアは――大人しく待ってくれてこそいたものの――、俺たちが思わず目を逸らしてしまうくらいにご機嫌斜めな様子で、戻った俺たちを出迎えた。


 いや、まあ、不機嫌だろうが何だろうが、帰ったその先にトゥイーディアがいるというのは、俺にとっては非常に嬉しいことなんだけれども。




 ――さて、真夜中になり、いよいよ司法に喧嘩を売りに行く段となった。


 不自然にこそこそ歩いて、逆に誰かに見咎められるのも面倒なので、俺たちは堂々と道を歩いて侯爵邸に向かう。


 大半の家は既に灯火も消して眠りに就いている時間帯だったが、一部の酒場にはまだ煌々と明かりが灯っていた。

 騒ぐ声も遠くに聞こえており、気楽そうなその声は、まるで別世界の人間のもののようだった。



 借家を出てすぐの頃は、空に欠けた月が見えていたが、歩を進めるにつれて冷たい風が吹き始め、空は分厚い雲に覆われて、水の匂いがし始めたと思うと、ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始めた。

 敷石に落ちて跳ねる雨粒は、あっと言う間にその勢いを増して、ざあざあと降り注ぐ大雨になった。


 敷石の僅かな高低差を拾って水溜まりがあちこちに出来て、水は夜を吸い込んで黒々と目に映った。

 傾斜の激しい家の屋根に落ちた雨粒は、そのまま筋を成して屋根の端っこから流れ落ちた。

 こつこつと敷石を叩く音を立てていた靴音は、ばしゃばしゃと水溜まりを蹴立てる音に変わった。


「――ひでぇ雨だ」


 アーバスが毒づいた。

 独り言のようだったが、カルディオスが応じるように口を開いた。


 雨に濡れた暗褐色の髪を掻き上げる仕草は、ここが夜の町の端っこではなくて、何かの舞台の上なのではないかと錯覚させるようなものだった。

 額から頬に流れる雨粒を乱暴に手の甲で拭って、カルディオスは無感動に。


「通り雨だよ。すぐに止む」


 はあ、と、アーバスは愛想のように応じた。

 それに相槌を打つように、遠雷が轟いた。


 水を吸った外套が肩にずっしりと重い。

 ウエストコートにもシャツにも雨が染みて、冷たさが層を成して肌に迫った。

 濡れた布地がべったりと肌に吸い付く感覚も気持ち悪い。

 律儀な雨粒はズボンも悉く濡らしてくれたので、不快さもなおいっそう増してきた。


 屋根の下に入った瞬間に乾かせばいいだけの話なんだけれども、今この瞬間が不快であることに違いはない。


 トゥイーディアももちろん全身がずぶ濡れになっていて、髪の先からは雫が滴っていた。

 騎士装束は、雨に濡れても透けることこそなかったものの、夜陰の中でも分かるほどにぴったりと彼女の身体に張り付いており、俺は謂われなくそわそわしてしまった。

 トゥイーディア、風邪ひいたりしないかな。


 ずぶ濡れになりながらも、夕暮れに通った道をまた辿って、俺たちはベルフォード侯の館を囲む円環型の広場までやって来た。


 ざあざあと雨に打たれる侯爵邸は、さすがにまだ明かりが点いている部屋も多くあったが、別にそっちに用はない。


 トゥイーディアが、俺たちから見て右側、侯爵邸を囲む城壁の中にありつつも、侯爵邸からはやや離れた位置に建つ塔を指差した。


 その指先から透明な水滴が夜を吸って黒く落ちる。

 ぽと、と滴が落ちるのと全く同時に、トゥイーディアが首を傾げていた。


 あるいは彼女のその挙動を契機として、指先から滴が落ちたのかも知れない。


「――あの塔ね?」


 コリウスとアナベルが頷いた。


 アナベルは不自然なほどに濡れておらず、薄青い髪は乾いた髪特有の動きで軽そうに揺れた。


 ――こいつの得意分野の魔法は、〈状態を推移させること〉。

 降って来た雨粒を空気中に還すことなど、アナベルからすれば簡単過ぎることだろう。

 恐らくは無意識のうちにその魔法を使っているのだ。


 雨の匂いに混じって、アナベルからは微細な魔力の気配が漂っていた。


 トゥイーディアは目を眇めて、塔をじっと見遣った。


 塔の高さはかなりのもので、俺はふと、ムンドゥスが魔界で閉じ込められていた機織り塔を思い出した。

 高さとしてはあれと同じくらいだろうが、広さは段違いだ。


 塔はずんぐりとした輪郭で、侯爵邸の窓から漏れる明かりを微かに受けて、雨の夜陰の中に佇んでいた。



 ふう、と息を吐いて、トゥイーディアは腰に帯びた二振りの細剣の柄を、何かのお守りであるかのように左手でぎゅっと握った。


 そして、言った。



「じゃあ、行きましょ」





◆◆◆





 城壁を越えることは、俺たちには造作もなかった。


 俺は内心で、アーバスが足を引っ張るんじゃないかと思っていたが、それは杞憂だった。

 さすがは「泥棒さん」といったところか、アーバスは全く危なげなく城壁を越えてみせたのだ。


 俺たちが足場の介助をしたにせよ、足音ひとつ立てない見事な身ごなしだった。


 とはいえ、アーバスはアーバスで、鉤縄ひとつ必要としない俺たちの城壁越えに、声こそ出さなかったものの感嘆している様子だった。



 城壁を越えてみて初めて分かったことだったが、俺たちが目指す塔は、更に単独で城壁に囲まれていた。

 城壁というよりも、隔壁という方が正しいのかも知れないが。


 塔には明かりのひとつも見えなかったが、そもそも外に明かりが漏れ出すような窓が見当たらない。


 塔を囲む隔壁周辺の地面は舗装もされておらず、黒々とした土が雨を吸い込んで柔らかくなり、俺たちの足跡の形の水溜まりが点々と出来た。


 侵入者の数を明々白々に教える手掛かりとなる足跡だったが、隔壁の真下まで来たタイミングでコリウスが手を一振りして、綺麗に地面を均してくれた。


 俺は、侯爵邸の使用人なんかがこちらへ来ないかと、内心でずっとどきどきしていたが、どうやらこの塔付近には、普通の使用人は近寄らないらしかった。



 ――まあ、罪人が放り込まれるところなんて、扱いはそんなものか。



 隔壁の上を、見張りと思しき衛兵が定期的に巡回しているようだった。

 カンテラを手に、どうやら二人一組で廻っている。


 カンテラの明かりが差したときだけ、雨粒が落ちる白い光の筋になって見えた。

 どこか水音を含んだように聞こえる硬質な足音と、揺れるカンテラが微かにかしゃかしゃと立てる音が、降り注ぐ雨の音に紛れて耳に届いた。



 トゥイーディアは、そのまま衛兵を殴り倒して進みそうな顔をしていたが、ぎりぎりのところで理性が勝ったらしい。

 自分とアナベル、ディセントラとアーバスを目くらましの魔法で包み込んで、恙なく隔壁を越えることを選んだ。


 全員を目くらましで覆うのは魔力の消費が大きいからこそ、四人だけを対象とする魔法を遣ったのだ。


 言うまでもなく、残った俺とコリウスとカルディオスに掛ける目くらましの魔法は俺が行使するべきで、俺はトゥイーディアが目くらましで庇った四人との衝突を恐れて、少し離れたところから隔壁を越えることを選んだ。


 カルディオスもコリウスも、何も言わずともそれは了承していて、姿を消したトゥイーディアたちから、俺がそっと離れようとすると、何の合図もなくとも俺に付いて動いてくれた。



 目くらましの魔法で姿を隠し、空気を足場に変えて隔壁を越えた俺たちは、数ヤードの距離を挟んだ先の、塔の中に通じる堅牢な鉄扉をすぐさま拝むこととなった。



 塔の壁を浅く抉るようにして、落ち窪んだ入口が口を開けている。


 地面に潜り込むように、数段の(きざはし)を降りた先に鉄扉が設けられているらしく、その入口を守る衛兵が二人、雨の中で身動(みじろ)ぎもせずに立っていた。

 夜陰に定かには見えなかったが、衛兵が被った軍帽から水滴が滴っているのが、鉄扉の上から差している暖色の光に仄見えていた。


 鉄扉の上から差す光は、灯火のものであるにしては、不自然なまでに揺らぎもしない。

 恐らく世双珠で、〈明るさ〉に関する(のり)を書き換えているものと思われた。


 隔壁の内側も、やっぱり舗装されていない地面が剥き出しとなっている。


 静まり返った夜陰の中、本来ならば足音すら殺すべきだろうが、今は激しく降る雨が多少の物音を掻き消してくれるだろう。


 だがそれでも、俺は――そして、俺が目くらましで庇っている他の二人も――咄嗟には動かなかった。


 ――何しろ、ほぼ目の前に見張りがいる状態である。


 如何に雨が激しいとはいえ、濡れた土砂の地面は、俺たちの体重分の足音を響かせるだろう。

 そうなれば、見張りの二人がさすがに気付くかも知れない。


 別に衛兵に見付かっても、相手を気絶させるなり何なりすれば、俺たちが追い詰められることなんてないだろうけれど、ただでさえ気が立っているトゥイーディアだ。

 もしも相手からの反撃があれば――下手すれば、本当に、相手を殺してしまいかねない。


 そしてそんなことをしてしまえば、優しい彼女はそれを一生の間気に病むだろう。


 それにむしろ、二人の衛兵は、俺たちの着地の足音に、既に気付いて怪訝に思っているかも知れない――


 俺とカルディオス、コリウスは、そういう考えの下で足を止めた。


 だが、その瞬間、ディセントラの魔力の気配がさあっと空気を撫でて拡がった。


「――――」


 何をするつもりだ? と、俺たちが眉を寄せた――その直後、全く何の前触れもなく、二人の衛兵が唐突に白目を剥いてばったりと倒れた。


 ずしゃっ、と、濡れた土砂が二人分の体重を受け止める音が、遠雷に紛れて微かに聞こえた。



 ――俺たち三人、揃って唖然。



 思わず足音を殺すことも忘れ、辛うじて目くらましを維持したまま、入り口のすぐ傍まで駆け寄る。

 ずしゃりぐしゃりと足音がして、俺はちょっと肝を冷やした。


 そのタイミングで、ぱっとトゥイーディアたち四人の姿が見えるようになった。


 アナベルとディセントラ、アーバスは、塔の入口から少し離れた場所に立っていたが、トゥイーディアはまさに、倒れた衛兵の肩を爪先でちょんちょんと蹴って、彼らが完全に気絶しているかどうかを確かめている最中だった。

 右手に、鞘ごと剣帯から引き抜かれた細剣を握っており、誰が何をどう説明してくれなくとも、「トゥイーディアが二人の衛兵を細剣の鞘でぶん殴って、一撃で気絶させた」図だ。


 ――トゥイーディアが二人の衛兵に駆け寄る足音はしなかったし、濡れそぼった地面に彼女の足跡もない。

 だが、まあ、その種は簡単に割れるというもので、ディセントラが彼女の足許に、得意分野の魔法を付与していたのだろう。


 ディセントラの得意分野は〈止めること〉。

 変化を強制するアナベルの魔法と双璧を成し、一切の変化を禁ずる魔法だ。


 トゥイーディアの足許を固めて保持することくらい、容易くこなしてみせるだろう。


 俺は思わず振り返り、雨に目を細めながらも隔壁の上を確認。

 幸い、今この瞬間、この場所が見えるだろう場所には、衛兵は一人もいないようだった。


 それを見て取ってから、俺は、自分たちに掛けている目くらましの魔法を解除した。


「――乱暴すぎる」


 雨に濡れた顔を掌で拭ったコリウスが、呆れ果てた囁き声で呟いた。


 剣帯に細剣を戻したトゥイーディアが顔を上げて、コリウスを見た。


 彼女からすれば、目くらましの魔法が解けたコリウスは、唐突にその場に現れたように見えたはずだ。

 だが、彼女は、最初からコリウスがそこにいることを分かっていたみたいな仕草で目を上げた。


 鉄扉の上から差す光が彼女の飴色の目に映り込んで、不思議な色合いに輝いて見えた。

 水滴を落とす蜂蜜色の髪を掻き上げて、トゥイーディアは至って真顔で。


「だって、乱暴しに来たんだもの。それに、ここで愚図愚図していてもしょうがないでしょ」


 俺はアナベルの顔をもはや見られなかったが、彼女が危機感を天高く積み上げたような顔をしていることは、容易く予想できた。


 顔面から地面にぶっ倒れた二人の衛兵を、ディセントラとカルディオスが仰向けに引っ繰り返している。

 言うまでもなく、彼らが泥で窒息してしまわないためだ。

 普段なら、トゥイーディアが責任を持ってそこまで面倒を見そうなものだが、今の彼女にその気遣いはなかったらしい。


 衛兵は二人が二人とも、ぴくりとも動かず白目を剥き、顔面を泥塗れにしたまま、塔の壁に触れんばかりの位置に寝かせられた。


 コリウスは、言いたいことなら五十くらいある――みたいな顔をしていたが、それら全部をぐっと呑み下した様子で、辛うじて一つだけを口に出した。


「――おまえ、いつもはもう少し慎重だっただろう……」


 トゥイーディアは肩を竦めたが、代わりのようにアーバスが口を開いた。

 彼は、目くらましの魔法という、恐らく生涯で初めて目の当たりにしただろう高等魔法に、表情にこそ興奮を載せていたものの、声音にその興奮は欠片もなかった。


「いや、オルトはこんなもんでしたぜ」


 カルディオスがアーバスを見て、何か言おうとして、しかし結局口を閉じた。


 そうしている間に、トゥイーディアは入り口の鉄扉へと続く数段の(きざはし)を降りて、頓着なく鉄扉を押し開けようとしていた。

 階はさすがに石のタイルで固めて造られていて、トゥイーディアが纏うサーコートの裾から滴る水滴が、乾いていたタイルにぽつりぽつりと斑点模様を描いたのが、世双珠の明かりに仄見える。――塔の壁面を抉って(きざはし)が設けられているような設計上、階には雨が当たっていなかったのだ。


 アナベルがさすがにトゥイーディアの方へ駆け寄って行って、彼女の後ろから、「もう少し慎重に」と苦言を呈し始めたが、トゥイーディアはそれすら聞いていなかったらしい。


 三秒後、厳重に鍵が掛けられていたはずの、重たげな鉄扉が軋みながら開いた。


 トゥイーディアの手許から、ひらひらと白い光の鱗片が散っている――恐らく、〈ものの内側に潜り込む〉という固有の力で、鉄扉の錠を完膚なきまでに破壊したものと思われた。


 豪快過ぎる堂々たる侵入に、アーバスがさすがに唖然としている。


 一方の俺は、トゥイーディアが壁を吹っ飛ばして侵入しようとしなくて良かったと、次元の違うことを考えて安堵していた。

 壁なり扉なりを吹っ飛ばしてしまっては、さすがに目立ち過ぎて、この侯爵邸の衛兵が全員集合しかねない。



 ――いや、まあ、それにしても、ちょっと堂々とし過ぎだけど。



 とはいえ、開けてしまったものはもう仕方がないので、俺たちはすかさず扉の内部を目指して飛び込んでいた。

 長い間扉が開けっ放しだと、漏れ出る光で隔壁の上を巡回する衛兵に侵入が露見してしまう。


 扉が開いたことに、中にいるのだろう見張りの衛兵のものらしき複数の声が、既に訝しげに上がり始めていた――ゆっくりしてはいられない。

 騒ぎになれば俺たちが不利だ。

 いくら救世主といっても、凡人百人を相手取って無事でいられるかといえば、それには疑問符を付けざるを得ないのだ。

 包囲されてしまえば、いくら俺たちとはいえ相手を殺さずに切り抜けるのは難しい。


 扉を押し開けたトゥイーディアが、細い隙間からほっそりとした身体を捻じ込むように塔内部へ滑り込む。

 続いてアナベル、ディセントラ、カルディオスが、許しのない扉を躊躇いなくくぐって行く。


 どすっ、と、塔の中から不穏な音が聞こえてきた。


 念のためにも俺が殿(しんがり)につくべきなので、俺は手振りで「先に行け」と残った二人に合図。

 それに頷いて、コリウスがアーバスを促して塔の中へ。


 ――なんか、久し振りに、自然にコリウスに何かを合図できた気がする。

 長年の習慣というのは恐ろしい。

 状況判断は遠慮の先に立った。


 そんなことを思いつつ、俺はもう一度後ろを振り返り、外の衛兵が誰一人として、この侵入劇に気付いていないことを確認した。


 それから、細く開かれて明かりを零す扉を潜るために(きざはし)を駆け下り――



 ――視線を感じた。


 見られた、という感覚が、鋭利に肌を刺した。



 はっとして顔を上げたが、誰もいない。


 ただ、扉の上には光を発する世双珠が嵌め込まれているのみで――



 俺は首を振って、細く開かれた扉の内側に滑り込んだ。


 そして、足で蹴って重い扉を閉める。

 ごぅん、と、鉄扉が重い音を立てて閉じ、乾いていた床に、俺から滴る雨水が小さな池を作った。



 ――内部では既に、侵入者に気付いて声を上げようとした見張りの衛兵が制圧されようとしていた。


 みんな、仕事が早過ぎる。

 トゥイーディアが飛び込んでから俺が飛び込むまで、時間に直せば数秒のはずなんだけど。



 飛び込んだそこは円形の小部屋になっていて、地下に続くのだろう階段と、上階に続くのだろう階段が、扉から見て前方の左右に見えている。

 それぞれの階段が鉄柵に守られ、更にその鉄柵を、それぞれ一名の衛兵が守っているという仕様。


 更には、扉の両脇にも、いざという(つまり、今みたいな)ときのために、衛兵が二名立っていたようだった――今はもういないけど。


 恐らく、侵入と同時にトゥイーディアが、扉を守っていた二名の衛兵を殴り飛ばしたのだろう。

 二人が二人とも、硬い石の床に引っ繰り返ってぴくりとも動かない。


 小部屋中央に置かれたテーブルの上のカンテラが、頼りなく窓のない小部屋の中を照らしていたが、その明かりの中でもなおはっきりと、二人の衛兵の顎に青黒い痣が出来ているのが見えていた。

 トゥイーディアはどうやら、寸分の躊躇もなく、人体の急所に一撃を見舞うことを選んだらしい。


 一方、階段へ続く鉄柵を守る衛兵の方は、一名がアナベルに蹴り倒されたうえで喉元に氷刃を突き付けられて、声も出ない様子で、恐怖よりもむしろ茫然とした色を表情に浮かべている。

 そしてもう一方が今まさに、カルディオスに鳩尾を抉るように殴られて頽れるところだった。



 僅か五秒足らずで完結した小部屋の制圧に、アーバスが顎を撫でて一言。


「――仕事仲間に欲しかったな」


 カルディオスは思わずといった様子で苦笑したが(そして、苦笑しながら頽れた衛兵を頓着なくぽいっと突き飛ばしたが)、彼の他には、アーバスの軽口に応じた者はいなかった。



 かつん、と靴音を鳴らして、トゥイーディアが、この小部屋の中で唯一意識を保っている衛兵に向かって足を踏み出していた。


 しゃん、と金属が擦れる音がして、彼女の腰の細剣が引き抜かれる。

 白刃が灯火の光を弾いて金色に煌めき、まるでその光を振り切ろうとするかのように振られた。



 アナベルとコリウスが、全く同じ危機感を覚えた顔で、それぞれトゥイーディアに向かって一歩踏み出した。


 アナベルに至っては、今しもトゥイーディアに詰め寄られようとする衛兵を、庇うような仕草すら取った。


 トゥイーディアが左手を伸ばし、アナベルの腕を掴んで、日頃の彼女からは有り得ないほどに乱暴な手付きでアナベルを押し退けた。


 そして、アナベルが衛兵の眼前に浮かべていた氷刃を、細剣の刀身で叩き落とす。

 ちりん、と清かな音がして、透明な氷の刃がトゥイーディアの足許に転がった。



 ころころ、とトゥイーディアの長軍靴の爪先に当たった氷刃が、ぱっと輝いて消え失せる。



 アナベルにも、消えた氷刃にも一瞥もくれず、トゥイーディアはひゅん、と細剣を翻し、恐怖に強張る衛兵の喉元にその切先を突き付けた。


 飴色の瞳が、真っ直ぐに相手を睨み据えて細められる。

 蜂蜜色の髪は滴るほどに濡れていたはずだったが、その雨粒さえもが彼女から逃げ出すかのように、目に見えて水気が払われつつあった。



 ――救世主の(かお)ではなかった。


 今のトゥイーディアは、ただひたすらに、相対するものを侵害するに足る強者(きょうしゃ)の貌をしていた。



 そしてその貌のままに、トゥイーディアが低く囁いた。



「――お父さまは、……オルトムント・リリタリス卿はどこ」


















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