47◆ 人質是か非か
扉から差し込む陽光に銀髪を光らせて、コリウスが状況を把握しようとするかのように広間を見渡した。
コリウスが唐突にその場に出現した、まさにその瞬間を眼中に収めたらしき庭番のオーディーが、あんぐりと口を開けて彼を見ていた。
目玉が落っこちるのではないかと思うような驚愕の表情で、こんな場合でなければ、俺は思わず笑い出していたかも知れなかった。
コリウスに背中を向ける格好で立っていたカルディオスが靴音を聞いて振り返り、一瞬棒立ちに立ち竦んだあと、飛び退るように彼との距離を置いた。
不意打ちで顔を合わせることになって、態度を取り繕う余裕すらなかったらしい。
アルフォンスもまた振り返っていたが、彼はコリウスが出現するその瞬間を見ていない。
ゆえに、単なる来客だと思ったのか、トゥイーディアの発言に対する驚きが抜け切らない顔で、怪訝そうに眉を寄せた。
俺も、咄嗟にはコリウスに声を掛けられない。
そんな中で、ディセントラが心底ほっとしたような声を上げた。
「――コリウス! 来てくれると思ってたわ!」
コリウスは、怜悧な濃紫の目で、視線を伏せるカルディオスを見ていたが、声を掛けられてディセントラの方へ瞳を向けた。
外から来たばかりのコリウスにとって、広間の中は薄暗く見えているはずだが、そんなことは感じさせない視線の動きだった。
「ああ」
呟くようにそう応じて、コリウスがかつかつと靴音を鳴らして広間の中央へ進み出る。
そして、銀の柳眉を顰めてアルフォンスを胡乱げに見遣った。
す、と視線を動かして、トゥイーディアを見て一言。
「――どなただ?」
「私の従兄のアルフォンスさまよ。ヒルクリード公のご長男」
即答したトゥイーディアに、「そうか」と頷いてから、コリウスは目を眇めてトゥイーディアをしげしげと観察し、首を傾げた。
「正式には昨夜の決定だったようだが、新聞には載ったか?」
目的語を省いた問いだったが、意味を理解してトゥイーディアが頷く。
お父さんの処刑のことを訊かれたのだと、誰が聞いても分かる質問だった。
「――そうか。それを確認する前にベイルを出たから……」
誰にともなく呟いてから、コリウスはディセントラの方を見た。
そのついでに俺も一瞥されたので、気まずさから俺は顔を伏せた。
コリウスに対しての蟠りは勿論のこと、こんな場合であっても飄々としている自分の態度が恥ずかしかった。
「ディセントラ。状況を擦り合わせたい」
淡々とそう言ったコリウスに向かって、ディセントラが掌を見せた。
「ええ、そうね。でも、待ってね」
そうとだけ言って、ディセントラはトゥイーディアの方を向いた。
こつこつと数歩進んで距離を詰めて、指を立てて振ってみせる。
「――イーディ、人質は駄目よ」
トゥイーディアが飴色の目を眇めた。
俺が好きな、彼女らしい、子供っぽい不満の表情だった。
「どうして。ヒルクリード公のご子息で、ラング伯爵でもあるのよ。
アル従兄さまがここにいれば、軍が来ても手出しは出来なくなるでしょ?」
アルフォンスがぽかんと口を開けて絶句した。
まさかここまで乱暴な話が飛び出すとは思っていなかった様子だった。
俺は内心で、全く無意味な優越感に浸る。
――従兄として幼少期から付き合いがあるかも知れないが、やっぱり俺の方が遥かにトゥイーディアのことを分かっている。
トゥイーディアは、いつもは冷静で理性的でいようと、誰より自分のことを律しているが、一度ぶち切れると、こんな無茶も平然と言い出すようになるのだ。
――トゥイーディアがそういう奴だということを知っているのは、無論のこと俺だけではない。
ディセントラも、トゥイーディアが何と言うのかを大体予想していた様子で、ぽかんとしているアルフォンスを一顧だにせず、極めて平然と。
「いいえ、イーディ。ヒルクリード公は劣勢にある派閥を立て直そうとなさっている最中でしょ。
軍の統率権は、名目上は陛下がお持ちなんでしょうけれど、実質のところはどうなの? 将軍や騎士団に影響力を持っているのはどなた? ――そういう人たちから見て、この子に人質としての価値があるかしら。
下手すれば、『賊を討とうとした際に誤って』だとか何とか言って、ついでに殺されかねないわよ。――ラング伯のご領地に価値があればなおいっそうね。いい土地が浮けば、そこが手に入る可能性だって状況によっては見えてくるんだから」
アルフォンス、ますます絶句。
まさか自分が殺される可能性を目の前で云々されることになるとは思っていなかった様子。
更には(外見上は)自分より年下に見えるディセントラに、「この子」呼ばわりされたことも驚きだったらしい。
ディセントラが救世主であるということも忘れた様子で、ぱくぱくと口を開け閉めしている。
そんなアルフォンスに視線を向けたディセントラが、「閣下のご領地、どんな場所ですの?」などと平然と訊き始めたものだから目も当てられない。
さすがにばつが悪くなったのか、「それについてはまた私から説明します!」と、トゥイーディアがディセントラとアルフォンスの間に割って入り、そのままアルフォンスを見上げて詰問するような口調で尋ねた。
「――お父さまのことは、昨夜に決定されたみたいですけれど。
どうしてアル従兄さまがこんなに早くここにいらっしゃいましたの」
アルフォンスは、度重なる衝撃発言に目を丸くしていたが、質問を向けられたことで正気に戻ったらしい。
こほん、と咳払いして答えた。
「――父上が、最悪を覚悟して早めに僕を」
トゥイーディアの眉がぎゅうっと寄せられた。
飴色の瞳の中で火花が散った。
「随分とお早く最悪を覚悟されたんですね?」
もはや従兄に噛み付かんばかりのトゥイーディアを後目に、コリウスがかつかつと靴音を立てて、こちらに向かって歩いて来た。
俺は及び腰になったが、逃げ出すわけにもいかないので、息を吸い込んで足を踏ん張った。
カルディオスもまた、腹を括ったように深呼吸して、広間をゆっくりと動き始めている。
コリウスは、ごく普通の表情で俺の目の前にまで足を進めて立ち止まり、訝しそうに広間を見渡してから俺を見て、軽く首を傾げた。
「……あの子はどうした? おまえから離れそうになかったが」
俺は思わず目を見開き、顔を上げてコリウスの顔を真正面から見た。
――ルインのことだ。
こいつ、ルインのことを気にしてる。
驚きの余り頭が回らなかったので、俺は支離滅裂な答えを返した。
「――ルインは、王宮で、残って、――あれを探してくれてる、ほら、あの」
まごつく俺に向かって、コリウスはいつもと同じ無感動な濃紫の目を向けて、頷いた。
「ああ、あの書状か」
分かってくれるんだ。コリウスすげぇ。
こくこくと頷いた俺は、続いて、コリウスに伝えようとした――俺とトゥイーディアの魔法の一部が完全に封じられていることについて。
だがそれよりも早く、足音を忍ばせて広間をこっちに向かって戻って来たカルディオスが、まるでこれから死にに行くかのような顔色で、蚊の鳴くような小声で呟いていた。
「――コリウス、俺が渡した、あれは?」
「――――っ!」
コリウスが目を見開いて振り返った。
俺も、驚きの余りにぽかんと口を開けた。
――カルディオスがコリウスの名前を呼んだのを聞いたのは、いつ振りだろう。
驚愕に動きを止めたコリウスは、しかし数秒後には質問の意図を察したらしく、こいつらしいぶっきらぼうな口調で答えていた。
「……ベイルに残すことになったから、アナベルに持たせている」
――俺たちの、救世主専用の変幻自在の武器だ。
確かに別れ際に、カルディオスはコリウスに向かってあれを投げ渡していた。
それをコリウスは、万一を考えてアナベルに持たせた上で、ここまで戻って来たわけか。
カルディオスは、声こそ掛けたもののコリウスと目を合わせることが出来ないのか、こくりと頷いて、足許に言葉を転がすみたいにして答えた。
「――そっか」
俺は思わず、今も首に掛けている瑠璃の首飾りを、この場でカルディオスに渡すべきかを真剣に考えた。
「誰かと喧嘩したら、仲直りのときに相手にあげるのに使って」と、カルディオスはそう言って、これを俺の首に掛けたのだ。
今なら、カルディオスからコリウスに渡して仲直りを申し出れば、万に一つの奇跡も起きそうな気がする。
そわそわしつつ、俺が首許の華奢な金鎖に手を掛けたところで、コリウスが息を吸い込み、慎重な声音で、カルディオスに向かって尋ねた。
「――おまえたち、いつ戻って来たんだ? 下手をすればイルスにまで合流しに行かなければならないかと思っていたんだが――」
カルディオスはあからさまにびくっとして、助けを求めるように俺を見てから、しばらく口籠ったあと、コリウスの靴の爪先辺りを見て答えた。
「……き、昨日だよ。王宮に――ちょっと居辛くなって……」
「ああ」
と、カルディオスの言葉を床から拾い上げて投げ返すようにして、コリウスが呟いた。
「ベイルでも新聞に載って、かなりの騒ぎになっていた。――トゥイーディアの婚約解消と、王宮の中での貴族の殺人と、――あと、この辺りから王宮に向かった陳情団も全滅したらしいね」
カルディオスは翡翠の瞳を泳がせて、広間のタペストリーをじっと見ながら、吐き出すように言葉を返した。
「……うん、そう――もうこっちでも新聞に載ってたんだな」
――俺は息を詰めていた。
不用意に呼吸をすれば、カルディオスがそのままどこかへ逃げ出してしまうような気がしていた。
ちょうどそのとき、アルフォンスを人質にはしない方向で、トゥイーディアとディセントラの間の話が決着をみて、ディセントラがこちらを振り返った。
そして、カルディオスとコリウスが言葉を交わしている様子であるのを見て、淡紅色の瞳を零れんばかりに見開いた。
――その動作ですら、カルディオスとコリウスの、薄氷を踏むようにして成り立っている会話を壊してしまう気がして、俺はどきりとした。
果たせるかな、ディセントラの視線に気付いたコリウスが、カルディオスに向けていた視線を彼女のほうへ向けた。
カルディオスがほうと息を吐いて、よろめくように一歩下がる。
その一方で、ディセントラは両手を組み合わせて涙ぐんでいる。
そんなディセントラを、コリウスは冷淡な表情で一瞥した。
そして、やや苛立ったように言葉を放り投げた。
「――そちらが良ければ、僕は情報の共有がしたいんだが」
こくこくと頷いて、ディセントラがソファを示した。
「……ええ。ええ、そうね。座って話しましょ」
ディセントラの身振りは、まるで自分がこの屋敷の女主人であるかのような仕草で、俺はトゥイーディアがそれを不快に思わなかったかと彼女をそれとなく窺ったが、幸いにもトゥイーディアにそんな様子はなかった。
彼女はただ、未だに玄関扉の傍でおろおろしているオーディーの方を見て、少しばかり声を張って呼び掛けただけだった。
「――オーディー。オーディー! アル従兄さまを居間にお連れして。
――従兄さま、ご朝食もまだでいらっしゃるんでしょう?
オーディー、居間に従兄さまをお連れしたら、ジョーに何か朝食を作るように伝えてちょうだい」
呼び掛けられて、オーディーが弾かれたように動き出した。
アルフォンスは――つい今しがた、正面切って「人質になってください」と打診されたばかりだから当然に――真剣に身の危険を感じているような表情だったが、トゥイーディアは頓着せず、吹っ切れた様子で彼の背中を押して、広間からの退出を急かした。
この非常時にあって、来客に対して礼を尽くす気はないらしい――それに、そもそもその必要もないだろう。
トゥイーディアは、さっきまで自分が座っていたソファにすとんと腰掛け直し、ディセントラを自分の右隣りに招くように、ぽすぽすとソファを叩いてみせた。
そして、俺たち三人が固まって立っている方を見て、ローテーブルを挟んだ向かい側のソファを指差してそちらに腰掛けるように身振りで伝えながら、はあっと大きく息を吐く。
コリウスがさっさとソファの方へ歩を進め、俺とカルディオスが少しばかり躊躇いながらそれに続く。
そんな様子を後目に、トゥイーディアはローテーブルの上に置かれていた、ジョーが彼女のために運んでいた朝食の皿を引っ張り寄せて、少しばかり荒々しく呟いていた。
「――なんか、急にお腹すいちゃった」
それは多分、ずっと空腹だったのを、とうとうぶち切れたことをきっかけに自覚しただけだと思う――という言葉を、俺はもちろん口には出せずに胸の中に仕舞い込んだ。
状況は何も好転していないし、トゥイーディアが理性を放り出して従兄を人質にしようとするくらいには最悪だ。
――だがそれでも、トゥイーディアが朝食をちゃんと噛んで飲み込んだ瞬間に、俺はどうしようもなく安堵してしまった。
朝食は冷め切っていただろうし、彼女は多分、味なんて感じちゃいないだろうけど、それでも、トゥイーディアが生きていくために必要な行動をきちんと取ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかったのだ。
コリウスはどうやら、モールフォスまでは文字通りに空を飛んで、モールフォスからここまでは瞬間移動で戻って来たらしい。
ベイルからここまで、直接瞬間移動で戻って来られなかったのには理由があるんだろうが、俺たちは瞬間移動の成就の要件を知らされていないから分からない。
ディセントラが、簡潔に要点を纏めて、イルスでの出来事をコリウスに伝えた。
コリウスは概ね無表情にそれを聞いていたが、俺とトゥイーディアの魔法が一部封じられたことを伝えられたときだけは、さすがに目を見開いて俺たちを見てきた。
そして、顎に手を宛がって呟く。
「――ルドベキアの魔法が封じられたのは痛いな」
俺は無言で頷く。
以前までなら、軽口でも叩いて場を和ませようとしていただろうが、今は無理。
何しろ俺は、いきおいコリウスの隣に座らされている。
正直気が気でない。
カルディオスは俺の反対隣で小さくなりながら、ぼんやりとトゥイーディアの食事を見守っていた。
トゥイーディアは途中で、はっと気づいたようにコリウスにもスコーンを勧めていて、恐らくは朝食抜きだっただろうコリウスが、素直にそれを受け取って齧りながら、ベイルでの様子をさっくりと話してくれた。
曰く、ベイルでは連日連夜、警吏と市民があちこちで衝突して大変なことになっているのだそう。
コリウスとアナベル(と、ついでにアーバス)がベイルに到着した当初は、完全に“市民”対“警吏”の構図が成り立っていたが――そして、取り締まるべき相手の多さから警吏も投げ遣りになって、結局市民の側も騒ぎを起こしても不問に付されることが多かったらしいが――、不穏な話が新聞に載るにつれて様相が変わってきて、最近では“リリタリス卿を擁護する市民”と“リリタリス卿を批判する市民”が揉め事を起こしては、そこに警吏が駆け付けて、大抵の場合はリリタリス卿の擁護派が罰を貰うという事態になっているらしい。
肝心のリリタリス卿の居場所だが、これが案外簡単には分からなかったようだ。
「――これは予めアーバス氏から教わっていたんだが、ベイルには牢獄が――というか、牢獄として使える建物が五つあって」
コリウスがそう言った瞬間に、俺とカルディオスが「なんでそんなにあんの?」という顔をしたのを見て取って、トゥイーディアが口の中のものを飲み込んでからそっと口を挟んだ。
「昔はフレイリーを巡って色んな戦役があったから、戦犯者とか負けた人を入れておくのに、牢屋が沢山必要だったのよ。――って、私は教わったわ」
――なるほど。
さすが、国内屈指の穀倉地帯フレイリー。
北国のレイヴァスにあってその価値は計り知れない。
俺は醒めた顔をしていたが、カルディオスはトゥイーディアに向かって頷いた。
「なるほどね。ありがと、イーディ」
コリウスは――話の腰を折られた格好になったわけだが――、頓着なくスコーンを齧ってカルディオスの言葉を待ち、それからおもむろに言葉を続けた。
「……トゥイーディアの言う通りだから、牢獄の殆どは急場凌ぎで造られたものが今でも残っているだけなんだろうね――簡便な造りだった。
だから、ベイルの中央の、警備が厳重な牢にトゥイーディアの父君はいらっしゃると踏んでいたんだが」
はあ、と忌々しげに溜息を吐いて(その溜息に、カルディオスがぎょっとした様子で身動ぎした)、コリウスは疲れた様子で言葉を紡ぐ。
「リリタリス卿の居所を狙って揉め事が起こるものだから、僕たちが到着してからでさえ四度も居所を移されていた。出来るだけ父君の居場所の近くにいなければ、僕たちが行った意味がないから――宿を右往左往するのも面倒になって、最終的には家を借りた」
トゥイーディアが首を傾げ、「集合住宅?」と尋ねる。
それに対してコリウスが首を振って、やや愚痴っぽく呟いた。
「――アナベルが、やたらと誰かに見られている気がすると騒ぐものだから、ちょうど借り手を募っていた一軒家を借りた」
俺は目を剥いたし、トゥイーディアも目を丸くした。
ディセントラとカルディオスに関しては、金銭感覚が狂い切っている連中なので「あ、そう」と言わんばかりだったが。
「おうちを借りたの? 散財させてごめんなさい」
トゥイーディアが口許に手を宛がって、反射のようにそう言った。
コリウスは、「構わない」と言わんばかりにおざなりに手を振って(そういえばこいつも、そこそこ金銭感覚が狂ってる奴だった)、重大事に話を戻した。
「リリタリス卿は――少なくとも昨日時点では、西側の牢獄にいらっしゃったはずだ」
コリウスはそこで一拍置いて、ベイルの土地勘のないトゥイーディア以外の俺たちのために、身を乗り出してローテーブルの上に、上下左右に四点を示すように指を突いた。
「ベイルは二重の市壁で囲まれていて――ああ、ちょうどイルスと同じような造りだ」
あっさりとコリウスがイルスを喩えに出したので、俺はコリウスもまたイルスで生まれたことがあるのをぼんやりと思い出した。
尤も、俺が生まれたのは貧民街、コリウスが生まれたのは上層街だったはずだが。
「牢獄のうち四つは、ベイルの内側の市壁のすぐ傍に、東西南北で配置されている。多分、元々は市門を守る塔だったのを、急場で牢獄に造り直したんだろう。リリタリス卿はそのうちの西側にいらっしゃったわけだが」
コリウスは、先ほど示した四点の中央に指を動かして、そこをとんっと叩いた。
「――さすがにもう、最も警備の厚い中央の牢獄に移されていることだと思う。
これはベルフォード侯のお膝元にある塔だから、警備ももちろん厳重だ」
トゥイーディアは、まるでそこにベイルの地図が広げられているかのように、コリウスが示すローテーブルの上をじっと見た。
そして、呟くように言った。
「……いくら厳重でも、私なら突破できると思う」
「――――」
カルディオスが、めちゃめちゃ物言いたげな目でトゥイーディアを見た。
――突破も何も、トゥイーディアなら牢獄を吹っ飛ばすことが出来るのだ。
今は、中にお父さんがいると分かっているからそこまで乱暴なことは出来ないが、極論を言ってしまえばトゥイーディアは、一人で城一つ落とすことも出来る戦力である。
コリウスが目を上げて、トゥイーディアを見た。
そして、眉を寄せて低く尋ねた。
「――力づくで父君を奪還するつもりか?」
トゥイーディアが頷いた。
「もうそれしかない」
コリウスは表情を動かさなかったが、慎重な声音でゆっくりと言った。
「――アナベルは賛成しないと思う」
「――――」
トゥイーディアが瞬きした。
瞳に、俺の見慣れない感情が閃いた。
それからトゥイーディアは、大きく息を吸い込んで、吸い込んだ息をそのまま吐き出すのに載せて、短く言った。
「……でしょうね」
肩を竦めて、トゥイーディアはあっさりと言った。
「無理に賛成してくれとも協力してくれとも言わないわ。――それに、」
トゥイーディアは首を傾げた。
蜂蜜色の後れ毛がふわりと揺れた。
「ヘリアンサスがお父さまの何を欲しがっているにせよ、刑を邪魔立てすればあいつも出てくるでしょう。そしたら今度こそ、誰かは死んじゃうかも知れないし」
――トゥイーディアが、無理にでも「賛成しろ」「協力しろ」って言ってくれないと、俺は困るんだけど。
自由意志に委ねられてしまうと、下手すると俺は動けない。
そんなことを考えていると、横からカルディオスにそっと肘で押された。
俺はそっちを見て、「なんだよ」と眉を寄せる。
カルディオスは、真面目な憂慮の目で俺を見ていた。
「……おまえはちゃんと協力するんだぞ、ルド」
――いいやつだな!
素っ気なく頷きながらも、俺は内心でカルディオスを拝んだ。
そんな遣り取りを後目に、コリウスは淡白にきっぱりと。
「ここまで来て、最後まで協力しない方がおかしいだろう。
それに、おまえを一人にすると危なっかしくて仕方がない。特に最近は」
ずけずけと言われて、トゥイーディアは曖昧に肩を竦めてから、「ありがと」と呟いた。
軽く頷いたコリウスは、身を乗り出していた姿勢を元に戻し、堂々とソファの背凭れに身体を預けて脚を組んだ。
そうして、顎に手を宛がって、独り言のように呟く。
「――暴力に訴えるとなれば、下手を打てばこの近隣も連座で罪に問われかねない……」
トゥイーディアが、びくりと身体を揺らした。
――さすがのトゥイーディアも、救世主である以上、防衛戦には限度がある。
城を守るより落とす方が遥かに容易いというのが、救世主共通の欠点だった。
「……だから、」
トゥイーディアが、恨みがましげな飴色の瞳で、自分の隣に背筋を伸ばして腰掛けるディセントラを見遣った。
「アル従兄さまを人質にしましょうって言ったのに……」
「だから、今となっては彼では人質として不足だって言ったでしょ」
ぴしゃりと撥ね付けるようにそう言って、ディセントラはコリウスと目を合わせた。
いつものように、二人して思考の土台を共有しているかのような頷きを交わして、コリウスがトゥイーディアに視線を戻す。
そして、組んだ脚の膝の上に指を組み合わせた手を置いて、無表情に言い放った。
「――では取り敢えず、この屋敷には略奪の被害に遭ってもらおう」
トゥイーディアがおもむろに立ち上がり、コリウスを引っ叩こうとしたので、代償にせっつかれて立ち上がった俺との間に、危うく殴り合いの喧嘩が勃発するところだった。
とはいえトゥイーディアは、これまで一度も俺に手を上げたことはないので、今回もその例に漏れず、俺が立ち上がった時点で手を引っ込めてはいたものの、「ちゃんと話を聞きなさい!」とディセントラに叱られて、かなり不満そうだった。
その不満はご尤もで、俺も言葉足らずなコリウスが悪いと思う。




