17◆ エレリア着
カルディオスはそれから本当に寝息を立て始め、俺は一人でぼんやりと窓の外を流れて行く景色を眺めていた。
トゥイーディアとメリアさんの潜めた声の会話の他には、この車両に話し声はなかった。
トゥイーディアとメリアさんは、なぜか刺繍について話している。
糸がどうの、意匠がどうの。
車輪の音に浚われて、切れ切れにしか聞こえてこない会話。
窓の外には海が見える。
この汽車が走っている軌道は、海沿いに北上する軌道だからだ。
晴天を映して、春の海がきらきらと光っているのが見える。
この汽車が、最初に俺が乗ったものよりもなぜか上等の造りをしていて、窓に分厚い硝子が嵌め込まれているからこそ見える光景だ。
分厚い硝子を通して見る海は、現実に見るものと比べると、少し歪んで見えている気がする。
前方で、優しげな初老の男性か、あるいはあの女二人連れのどっちかが、そんな窓を上方へ押し上げて開いたらしい。
がたがたと窓が揺れる音の後に、ごぉ、と空気が唸る音と一緒に、潮の匂いを含んだ風が車内に吹き込んできた。
――昼時に、汽車はロイラという町の駅に止まった。
三人連れの、どうやら商人らしい壮年の男性が乗り込んできて、最近レヴナントのために被った被害について声高に喋り始めた。
俺は内心で、「こいつら黙れよ」とずっと思っていた。
責任感の強いトゥイーディアが、レヴナントの被害状況を聞いて、それを助けに行かない救世主である自分を責めていたらどうするんだ。
その頃にカルディオスが目を覚まし、メリアさんは作って来てくれたらしいサンドウィッチを全員に配ってくれた。
空腹のところに差し出された食事に俺たちは当然ながら喜び、「ありがと」と笑顔でサンドウィッチを受け取ったカルディオスの顔を改めて正面から見て、メリアさんはさもありなんという顔をしていた。
出発間際の騒動を思い返して、カルディオスならばあんな女の子の十人や二十人は量産するだろうと納得したみたいな顔だった。
俺が恐れた通り、トゥイーディアは大声で喋りまくる商人たちの話を聞いて、自分を責めたのかも知れない。
昼食の後くらいから、ぱったりと彼女の声が聞こえなくなった。
どうか彼女が、お腹が一杯になって眠り込んだだけでありますようにと、俺はこっそりと祈った。
一方のカルディオスは、席を俺の斜め前に移動して、脚を軽く伸ばして向かいの座席(つまり、俺の横の座席)に行儀悪く靴を乗っけて寛いでいた。
本心から寛いでいるとは思えないが、悠々としているように見える。
長い脚を見せびらかすような姿勢も、こいつがすると全然嫌味じゃないので恐れ入る。
俺は片足をもう片方の太腿に乗っけるような姿勢で、座面を少々ずり下がるような姿勢で座っていた。
ぼけっと窓の外を見ているだけだが、そうしているとなんかめっちゃ悔しくなってくる。
変な横槍さえ入らなければ、今頃トゥイーディアの近くにいられたのに……。
カルディオスのことだから、「暇だ」「退屈だ」「なんか喋って」と絡んできそうなものではあるが、今日は全くそれがなかった。
考えるまでもなく、近くにいるアナベルを意識し過ぎて何も喋れなくなっているのだ。
とはいえ、アナベルの顔が見えないだけ、カルディオスも落ち着いていたといえよう。
昼下がりになって、アナベルが何を思ったか空席を渡り歩くように移動し始め、カルディオスはさながら天敵に見付かった兎のように落ち着きを失くした。
俺の隣の席に戻って来て、そこで眠った振りをし始めたくらいである。
俺はこの旧知の親友を他の親友から守るために、ちょっとだけ震えているこいつの手を、アナベルの視界から隠してやることにした。
――落ち着きなく動き回るのはアナベルらしくないので、とうとう途中でトゥイーディアが彼女を呼び止めた。
「――どうしたの、アナベル」
「落ち着かなくて」
と、淡々と答えるアナベルは、なんだか少しうんざりしているようにも見えた。
「見られてる感じがずっとしてるの。砦の中よりひどいわ」
トゥイーディアの声が、深刻そうに低められた。
「……ここまで続くなら、気のせいじゃなさそうねぇ。でも、汽車って動くでしょ? 私の魔法でも絶対に覗き見は出来ないし……」
真剣に悩み始めたらしいトゥイーディアに、アナベルが「別に悩まなくていいわよ」と言い渡すのが聞こえてきた。
「気のせいじゃなかったとしても、実害はないわけだし、別にいいわ」
「いえ、気になるならそれがもう実害なんじゃない……?」
トゥイーディアはそう言っていたが、原因が分からない以上対処のしようがないことも事実である。
ややあって、アナベルもルインの隣――元の座席に収まった。
アナベルが動かなくなったことを察して、カルディオスももぞもぞと動き始めた。
――救世主専用の武器は、トゥイーディアがカルディオスに渡して以来、ずっと指輪の形でカルディオスが身に着けている。
そのカルディオスが創った方の武器は、ずっと俺が首飾りの形で胸にぶら下げている。
夕刻になって、汽車はクロイアという町の駅に停まった。
駅の様子からも分かったが、上流階級が多いんだろうなと思うような、華やかな町である。
薄紅色のドレスと若草色のドレスの二人連れはここで汽車から下りて行った。
若草色のドレスの方はしゅんとして俯いていたが、薄紅色の方はものすごい目でカルディオスを睨んで下りて行った。
関係のないはずの俺が殺気を感じて内心でびびったくらいだったが、カルディオスはどうやら、二人が下車したことにさえ気付いていない様子だった。
ぼんやりと窓の外の、街灯に火が入れられ始め、馬車ががらがらと走って行く町並みを眺めていた。
車内のカンテラに、車掌さんが灯を点して回る。
車内が照らされ始めて、窓の外はよく見えなくなった。
メリアさんがその駅で、夕食を調達して来てくれた。
七人分の夕食をメリアさん一人が運ぶことは不可能と判断して、ルインも付いて行った。
俺たちも行こうとはしたが、断固としてお断りされてしまったのだ。
カーテスハウンの前からこの汽車に乗っていた初老の男性も、声高に喋り続ける商人たちも、どうやらここで食事を調達する腹積もりのようだった。
同じように夕食の調達に動く乗客がいることを見越してか、汽車はクロイアの駅で十数分停車していた。
メリアさんとルインが駅の近く――あるいは、需要もあるので駅の中に店があるのかも知れない――で買って来てくれたのは、肉やら野菜やらを贅沢に挟み込んだサンドウィッチと、煮込まれた肉団子の入ったスープだった。
スープは円筒形のブリキの容器に注がれていて、木製の匙も付けられている。
俺は「この容器と匙の返却はどうするんだろう」と真面目に考えたが、どうやら不要のようだった。
「車掌さんが交替で降りるときに回収してってくれるよ」
とはカルディオスの言。
「この容器、店に届けるとチップを弾んでくれるらしーんだよね。車掌さんからすれば小遣い稼ぎになるわけ」
なるほど、頭いい。
俺たちが食前の挨拶を述べているうちに、他の乗客も同じような献立を携えて戻って来た。
商人たちが声高に、「ガイアナの駅だともうちょっとはマシなもんが売ってた」だとか何とか言っているので、俺はいよいよこいつらが嫌いになりつつあった。
うるさい上に品がない。同じ商人でもダフレン社長とえらい違いだな。
初老の男性も戻って来て、かつこの駅から乗車するのだろう、子供連れの夫婦も乗り込んで来た。
まだ若い夫婦で、やっと歩けるようになったくらいの子供を、お父さんの方が抱っこしている。
子供はすうすうと寝息を立てていて、俺は、どうかそのまま寝ててくれ……と念じた。
子供の泣き声は、問答無用で人の心を波立てる効果があるので苦手だ。
とはいえ、食事である。
俺たちが実際に食事に取り掛かる頃には、がしゃんがしゃんと音を立て、汽車は再び宵闇の中を走り始めていた。
スープは――致し方のないことだが――少し冷めていて、冷えた油が浮いている。
俺からすれば、冷めたスープを温めることは呼吸と同じくらいに容易いことで、事実カルディオスは無言で俺にスープの容器を突き付けてきた。
熱を扱う魔法はみんなが使えるものだけれど、俺が一番得意とするものだ。
だから、トゥイーディアもカルディオスと同様、「あっためて」と言いに来てくれないかな――とちょっと期待したものの、無駄だった。
トゥイーディアは素早くかつ完璧に、自分の分とメリアさんの分のスープを温めていた。
アナベルとルインはそれぞれ自分で自分の分を温めたらしい。
メリアさんは一応、ムンドゥスの分の食事も調達して来てはくれたが、経験から言えばムンドゥスは汽車から下りるまで目を開けないだろう。
ルインは恐らく、それを主張した結果として、ムンドゥスのことをメリアさんに勘繰られるのを避けるために何も言わなかったんだろうが。
席から立ち上がって、座席越しにムンドゥスの様子を窺えば、彼女は人形のようにぴくりとも動かずに目を閉じていた。
全身に罅割れが走っていることも相俟って、名のある彫刻師が彫り抜いた傑作みたいだった。
「――一人分、どうしましょう」
食事を終え、困ったようにルインが呟くのに、アナベルが素っ気なく答える声が聞こえてくる。
「食べちゃいなさい。食べ盛りでしょう、あなた」
「え、ええ……」
困惑したようなルインは、さすがに腹一杯だったとみえる。
ちょっと迷うような間があったが、なぜか座席を立って俺の方に回り込んで来た。
えっ、俺ももうお腹いっぱいだよ、と思っていると、こそこそした小声で、子供連れの夫婦にお裾分けしていいかとお伺いを立ててきた。
こいつ、いいやつじゃん。
ちょっと感動しつつ、俺は、「俺はいいと思うけど」と前置きした上で。
「多分、金出したのはトゥイーディアだろ。訊いて来い」
メリアさんが購入に向かった以上、その金がトゥイーディアから出ていることに疑いはない。
まあ、あのトゥイーディアが反対するわけないけどね。
訊きに行くなら俺が行きたいけどね。
俺の内心は露知らず、こくんと頷いたルインが、揺れる汽車の中でも器用に身体の平衡を保ち、危なげなくスープとサンドウィッチを持って、まずはトゥイーディアの方へ向かった。
ルインからお裾分けの是非を訊かれたトゥイーディアは勿論、一も二もなく賛成し、かつ眩しいくらいの笑顔をルインに向けた。
俺はルインが羨ましくて血を吐きそうだった。
ルインは嬉しそうにトゥイーディアに礼を言って、そのまま夫婦の方へ向かった。
温め直されたスープとサンドウィッチを受け取った夫婦はえらく恐縮していた模様。
そのままルインとちょっと喋って、戻って来たルインはなぜか、にこにこしながら俺に報告してくれた。
「――これから、奥さんのご実家に挨拶に行くところだそうです!」
お、おう、そうか……。
がたんごとんと汽車は夜を裂いて走り、俺が微睡み始めたところで、子供が泣き出した。
んぎゃあああ、と轟く大声に、お父さんとお母さんが必死に子供を宥め始める。
俺は取り敢えず耐え忍ぼうと唇を噛んだが、下品な商人の三人連れが「黙らせろ!」と怒鳴ったところで、カルディオスが席を立った。
めちゃめちゃ不機嫌な顔で三人連れの方へ歩いて行き、何事かを低く伝えて、それで三人連れが黙り込む。
その後カルディオスは、「可愛いね、女の子?」だとか、「この子、いまいくつなの?」だとかと軽い調子で夫婦に話し掛けていき、泣き喚く子供をあやすのを手伝っていた。
俺たちの中に子供に慣れている奴なんていないが――何しろ、子供を持ったことのある奴がいないからだが――、その中でもカルディオスとディセントラは子供好きみたいだった。
夫婦は、突然現れた絶世の美青年に絶句していたようだったが、子供は子供で、美醜が分かるほどに感性が育っていなくとも、カルディオスの煌めくばかりの雰囲気は理解できたのか、すぐにきゃっきゃと機嫌よく笑い声を上げ始めた。
俺はほっと一息。
助かった……。
同じようにトゥイーディアもほっと息を零していたので、俺は勝手に嬉しくなった。
トゥイーディアと、気が合うとまでは言わなくても、同じ事象に同じような反応をすると嬉しくなるのだ。
とはいえ、一人でほくほくしていると、「ハンス」という名前が聞こえてきて、俺は一気に真顔になったわけだが。
「――お嬢さまと違って、ハンスさまは小さなお子さまにも好かれていましたねぇ」
「あれはハンスの内面が悪餓鬼のままだからよ。仲間意識よ」
小声でメリアさんとそんなことを言い合うトゥイーディアの声に、俺は「そんな悪餓鬼みたいな奴じゃトゥイーディアに釣り合わない!」と内心で怒号。
カルディオスが、子供が泣き止んだことを確認してこっちに戻って来ると、しばらくしてまた子供が泣き出した。
「あれ、俺がいないと寂しいのかな」
などと真顔で抜かしたカルディオスの背中を叩いて、俺は「もう一回行って来い」と。
結局、カルディオスは朝まであっちとこっちをうろうろして過ごすことになっていた。
ご夫婦は何度もカルディオスに謝っていたが、カルディオスからすれば有難い話だっただろう。
アナベルに遠慮することもなく、堂々と暇を潰せたのである。
翌日早朝、汽車はキーリスの町に停車し、そこで初老の男性と子供連れの夫婦が降りて行った。
お母さんに抱えられた子供は、うーあーと不明瞭な声を上げつつ、カルディオスに向かって手を伸ばしながら汽車から下ろされていき、カルディオスはひらひらと手を振って見送っていた。
夫婦は何度も頭を下げていたが、汽車から下りた瞬間、どうやら子供の癇癪が爆発したらしい。
カルディオスのことを、新しい玩具か何かと思っていたのかも知れない。
気に入りの玩具と引き離されたことに気付いて、汽車の筐体を通してさえ聞こえてくるような喚き声を上げている。
駅で汽車の乗客相手に食べ物を売る人たちから簡単な食事を購入している間にも、轟くような泣き声が聞こえてきていた。
「……おまえ、つくづく凄いよな」
がたんごとんと走り始めた汽車にて、俺は思わず呆れて呟いたが、カルディオスはははっと笑っただけだった。
そしてその後すぐに、俺に凭れ掛かってすやすやと寝息を立て始めた。
汽車はレヴナントに遭遇することもなく、順調に北上を続けた。
ずっと海沿いを走っていたが、やがて内陸側に軌道が逸れて海が見えなくなった。
「海沿いにずーっと軌道を引いていく方がいいんじゃねえの?」
と、俺は思わず、目を覚ましていたカルディオスに尋ねたが、カルディオスは目を擦りつつ、事も無げに答えていた。
「いや、確かあれだ。この先の海沿いに〈洞〉がある。それを避けてんだ」
なるほど、と俺は頷いた。
レヴナントと違って動いたりしないが、〈洞〉ほど恐ろしい災害を俺は知らない。
対処のしようもなく、突っ込めば消失間違いなしの、世界に開いた空洞。
人にだけ害を為す点が奇妙だが、裏を返せば人にとってはこれほど恐ろしいものはない。
前回までの人生においては、無作為にある日突然発生しては、その近隣を恐怖に陥れるものだった。
今回の人生においては、どうやら新たに発生はしなくなったようだが、一度発生してしまった〈洞〉はもうどうしようもない。
恐らくだが、〈洞〉がなおも新たに発生していく世の中であれば、汽車はこれほど発展しなかっただろう。
何しろ、軌道上に〈洞〉が開いたときのリスクがでか過ぎるからね。
〈洞〉がひとつ開いた結果、滅亡した町も俺は見たことがある。
今生においてはそんなに遭遇していないが、よく考えるまでもなく、町も交通網も、〈洞〉を避けて作り上げられていったのだろうから、当然といえば当然だった。
内陸寄りの町にもついでのように停車して、がたんごとんと汽車は海沿いに戻った。
その日は午後から雲が広がり始めて、夕刻頃には雨が降り始めた。
たつたつと窓硝子を叩いた雨粒はそのうちに勢いを増し、雷雨となって降り注ぎ、窓硝子はあっと言う間に、滝のように流れ落ちる雨に覆われた。
日暮れよりも早くに辺りは暗くなり、暗がりに時折稲妻が光っている。
ごろごろと遠雷が轟き、かと思うががっしゃーんと落雷の音が響き、車内はどことなくそわそわした雰囲気に包まれた。
「――これ、汽車は大丈夫なのか」
思わず、ぼそっとカルディオスに尋ねると、カルディオスは肩を竦めた。
「まー、さすがに軌道上に雷が落ちれば止まると思うよ」
逆に言えば、そうならない限りは大丈夫ってことか。
汽車ってすげぇ。
極めて前時代的に俺が感動していると、汽車は次の駅に停まった。
びしょ濡れになった二人組の若い男が乗り込んで来て、足許に水溜まりを作りながら、「ひどい目に遭った」と連呼している。
震えている二人を見かねたのか、トゥイーディアが立ち上がって二人の傍に寄って行き、軽くその肩に触れて二人を素早く乾かしていた。
目を丸くする二人に、トゥイーディアは愛想笑いで、「一応、魔法を習ったことがあって」と誤魔化していた。
ここに救世主がいると知られると騒ぎになるだろうから、救世主ですと名乗るわけにもいかないのだ。
夜中に雨は止んで、翌日はからりと晴れ渡った青空が広がった。
俺は安堵の息を落とす。
別に嵐の中であろうと、アナベルがいる限り大変なことにはならないだろうが、好き好んで嵐の中に突っ込んで行きたいわけでもない。
そして、まだ前日の嵐の余韻を存分に残し、雨に濡れて光る町並みが見えてきた。
――俺たちの、当座の目的地――港町エレリアである。
◆◆◆
汽車から下りて、俺は息を吸い込んで伸びをした。
雨に洗われたかのように、春の空気はすっきりと澄んでいる。
ちょっと寒いけど。
駅はカーテスハウンのような立派な造りではなくて、壁もない。
細い柱が突き立てられていて、汽車への乗降スペースの上に屋根が架けられているだけのもの。
ぐるりと柵が巡らされていて、その柵が途切れている――つまり、駅への出入り口となっている――箇所には、小さな小屋のような木造の箱があって、その中に切符を売ったりする役割なのだろうひょろりと痩せたおじさんが収まっていた。
小屋の前面には大きな窓が付いていて、それがそのままカウンターにもなっている仕様。
足許は舗装を諦めたような更地で、雑草がところどころで顔を出していた。
その緑色も、前日の雨に清められたかのように輝いている。
実際、まだ雨の露が残っていて、朝日にきらきらと煌めいていた。
汽車から降りるや、案の定ムンドゥスは目を覚ました。
今はカルディオスの外套の裾に掴まって、「ここはどこだ」と言わんばかりに大きな銀色の目で周囲を見渡している。
トゥイーディアとメリアさんは、ムンドゥスが目を覚ますかどうか、それなりに気を揉んでいた様子である。
実際に動いているムンドゥスを見て、ほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
「――じゃあ、どこかでコリウスとディセントラを待ちましょ」
安心したようにそう言って、駅から出る方向へ踵を返したトゥイーディアの後を追いながら、カルディオスが大きく息を吐いた。
今日のうちには再びコリウスと顔を合わせねばならないという重圧と、内心で戦っているのがありありと分かる息である。
俺も同じだ。
――エレリアは、なんというか、小ぢんまりした港町だった。
交通の要衝ではあるのだろうが、聞けば海流だとか海岸の形状だとかで港こそこの町にあるものの、ここで上陸した人も荷物も大抵が、このまま汽車で運ばれて隣町のリッターに流れて行くのだとか。
つまりエレリアは、ただの中継地点なのだ。
「――だから、宿とかも少ないし、食事処とかの――余所者向きの店もあんまりないんだよね」
と、俺の隣を歩きつつ、カルディオスが講釈を垂れるように指を立てる。
俺は周囲を見渡しつつ、「なるほどね」と。
確かに、海に向かってなだらかに傾斜している道を挟むのは、大抵が民家だ。
そこにちらほらと、地元民向けの食材店や日用品の店が並ぶ。
店の軒先にいる人たちは、何も言わずとも俺たちが定期船を使いたがっていると分かっている様子で、「定期船の切符売り場はあっちだよ!」と大声で教えてくれることもあった。
トゥイーディアとメリアさんを先頭に、そのすぐ後ろをアナベルが歩き、そこから不自然な間隔を空けて俺とカルディオス、カルディオスのトランクに手を掛けて掴まるようにしながらムンドゥス、ムンドゥスが転ばないかどうか心配するような顔で、その後ろにルインがいる。
端から見れば多分、三人連れと四人連れの別の集団。
トゥイーディアとメリアさんも、この町に来るのは初めてのはずだが、別に最初から港を目指しているわけではないので、適当に歩いているだけである。
先に定期船の切符を押さえておくべきなのかも知れないが、その辺の管理はずっとコリウスがやってきたので、今もなお、コリウスを待ってから切符を買うべきだと無意識に考えてしまっている。
とはいえ、帰国を急ぎたいだろうトゥイーディアは、定期船がどの程度の頻度で出るのかを気にしている様子。
一度、青果店の店主らしきおじさんに、次の定期船がいつ出るのかと訊いていた。
「あー、よく知らねえが」
と、腹をぽりぽりと掻きながらおじさん。
おじさんが無遠慮にトゥイーディアを眺めるので、俺は内心で発火寸前だったし、メリアさんとカルディオスはあからさまに不快そうにトゥイーディアに寄り添っていた。
「五日に一度入って来て、んで、その次の日に出てくからなあ。
最後に船が出たのが確か三日くれぇ前だから、明日か明後日にでも来るんじゃねえか?」
明日か明後日、と口の中で繰り返してから、トゥイーディアはきっちり頭を下げた。
「ありがとうございます」
店の前を離れてから、カルディオスがトゥイーディアの顔を覗き込んだ。
カルディオスが彼女の傍を離れなかったので位置関係が崩れて、今はアナベルが列の最後尾。
「――昨日出たとこ、とか言われなくて良かったね」
探るようにそう言ったカルディオスに、トゥイーディアはにっこり笑い掛けた。
メリアさんはトゥイーディアとカルディオスの距離が近いのが気になったらしく、わざとらしい咳払い。
とはいえカルディオスは、これが自然な距離感だからか、窘められているということにも気付かなかった様子。
「ええ、そうね。安心しちゃった」
そう言うトゥイーディアの声が柔らかくて、俺も安心した。
俺たちはそのまま、なんとなく港に向かって道を下った。
が、その途中で黒い軍服の集団を見掛けて、慌てて脇道に逸れることになった。
どうやらエレリアにも、ガルシアの部隊が駐屯しているらしい。
まあ、潰れたら困る港町という位置づけなんだろうな。
とはいえ、何も知らない一般人ならばともかく、ガルシア部隊と間近で顔を合わせてしまっては、俺たちが救世主だとバレないかどうかは賭けになる。
俺はまず間違いなく大丈夫だろうが――何しろ、入隊したのは一年くらい前だし、それからも殆ど隊員と絡むことなく過ごしていたからね――、目立つ容姿のカルディオスとか、あとここにいる隊員の中で、一年前のリリタリスのご令嬢の来訪に居合わせた人がいればトゥイーディアとか、その二人は絶対にバレる。
アナベルは、どうだろう、あんまり人と関わり合いにならないから大丈夫かな。
とにかく、ここに救世主がいると露見すれば騒ぎになる。
それは避けたい。
コリウスかディセントラがいれば上手いこと躱してくれるだろうけど、今ここにいる中に、そんな器用な奴はいない。
狭い路地裏に入り込んだ俺たちは、そのままここを突き進んで迷子になることを恐れた結果、軍服の一団が立ち去るだろうタイミングまで、そこで突っ立って待つことで、暗黙のうちに同意していた。
建物に挟まれているがゆえ、否応なく日陰になっている路地は冷えている。
日陰になっているせいで、昨日の雨の名残が乾いていないから猶更だ。
俺はぶるっと震えて足踏みした。
路地を挟む建物の壁に各々凭れ掛かっていると、メリアさんがこそっとトゥイーディアに話し掛けるのが聞こえてきた。
「――演劇で、こういう一幕がありましたわね。題目は何でしたっけ……」
「ああ、あったあった」
題目、なんだっけ――とトゥイーディアが頤に指を当てていると、後ろから足音。
俺たちはなんとなく、その足音から逃げるように路地裏を奥に進み始めた。
万が一にもガルシア隊員だったら困るからね。
が、足音が結構しつこい。
足早になってかつかつと迫って来る。
ここ、もしかして立ち入り禁止か何かだったんだろうか。
ちょっと振り返って、俺たちが追い掛けられてるのかどうか、確かめた方がいい――と思って、俺は振り返った。
他の誰が振り向いて顔を見せるより、俺が安全だろうと踏んだのだ。
――そして、目を疑った。
同瞬、ここに救世主がいるということが露見したと悟って、俺は一気に蒼褪めた。
同時に、色々あったことを思い出して青筋も立った。
「おまえ……」
思わず声に出した俺と目が合って、向こうもちょっと嫌そうな顔をした。
だがその表情も一瞬で、すぐに俺の前を歩く人に声を掛ける。
「――リリタリスのご令嬢?」
びっくぅ、と、面白いくらいにトゥイーディアの肩が跳ねた。
予期しないところで名前を呼ばれたからだろうが、可愛い反応だな。
呼ばれたからには仕方あるまいと思ったのか、足を止めたトゥイーディアが表情を取り繕いながら振り返る。
当たり前だが、声だけではそこにいるのが誰かということに思い至らなかったらしい。
そして、振り返ったトゥイーディアが、ぽかんと目を見開いた。
それを見て、全員が足を止めて振り返った。
カルディオスがあからさまに不機嫌な表情で舌打ちし、トゥイーディアを庇うように前に立った。
そんなカルディオスの脇からちょこんと顔を出して、大変可愛らしく目を瞠ったトゥイーディアが首を傾げ、びっくりしたように呟いた。
「――ええっと、ウェルスさん。お久しぶり。……奇遇ですね」
そこにいたのはアーサー・ウェルスだった。
こいつがトゥイーディアにしたことを俺は恐らく一生忘れないが、こいつがここに左遷されていたことはすっかり忘れていた。
だって、あれから本当に色々あったのだ。
覚えていろという方が無理だろう。