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86◆ 魔王討伐――第二幕



 トゥイーディアに、()()()()()()()()()()()()()()()()を提案されたとき、当然のことながらカルディオスは驚いていた。


 今までそんなことは試したこともなかったから、俺たちも同様に驚いた。



 とはいえ、カルディオスの固有の力は〈実現させること〉。


 可能性はあるとみたが、カルディオスは、自分が複製する武器は劣化版になるだろうと予告していた――そして、事実その通りとなった。




 今、俺の手の中にある長剣こそ、つい二日前にカルディオスが創り上げた、複製された武器である。



 カルディオスがこれを劣化版だといった理由は二つある。


 一つめが、扱える人間の少なさだ。

 カルディオスが複製した武器は、特に甚大な魔力しか感知しないらしく、準救世主の四人では扱うことが出来ない。

 ぶん回すことなら出来るが、形を変えることが出来ないし、()()()()()()()を受けられないのだ。

 これを使うことが出来るのは、正当な救世主であるトゥイーディアか、不本意ながら魔王としての魔力も併せ持つ俺か、その二択。

「生みの親にも使えねーってどういうこと!?」と、カルディオスが冗談めかして憤慨していたのは余談である。


 二つめが、必ずしも任意の形を取らせることが出来ないというもの。

 複製元になった変幻自在の武器は、武器の形だろうか装身具の形だろうが、果ては鋏なんかにまで化けていたが、カルディオスが複製した武器が象ることが出来る形は四つのみ。

 一つめが、先程まで俺の首に下がっていたときの形状――首飾り。何の変哲もない、鳩尾辺りの位置に三角錐の象牙色の飾りが揺れるもので、作り主であるカルディオスは意匠に少々不満げだった。

 二つめが、今まさにその形を取っている長剣。

 三つめが小刀で――余談だが、ついさっきの俺は、こいつを小刀に変じさせて自分の蟀谷辺りを貫く算段だった。

 そして四つめの形が、斧槍。


 他にも、複製元の黝い方と比べると脆いかも知れないだとか、そういったことをカルディオスは言っていたが、そこまで検証している時間はなかった。


 そしてこの武器であっても、俺の――俺たちの固有の力を底上げするという、最も重要な恩恵が得られることは確認済み。




 ――ヘリアンサスの意表は突いた。



 このまま決着できれば最善、そしてそれが出来なくとも、俺とトゥイーディアが近接でひたすらにヘリアンサスを削る。


 戦力的にそれが可能なのは今生のみだ。



 俺がヘリアンサスの背中に向かって象牙色の刃を振り下ろすと同時に、トゥイーディアもまた、水面を叩いた黝い刃を翻してヘリアンサスを下から斬り上げていた。


 正面と背後、上と下からの、完璧な挟撃だった。


 両方は躱せまい、躱せたとして無傷は保てまい――


 トゥイーディアの大剣が跳ね上げた水滴が、空中できらきらと光る。

 俺が蹴立てた波が、平然と川面の上に立つヘリアンサスの靴を濡らした。



 ――そして、



「――――っ!」



 トゥイーディアの、見開かれた飴色の目が至近距離で見えた。


 ヘリアンサスの姿が掻き消えている。


 斬り上げられたトゥイーディアの大剣と、振り下ろす俺の長剣が、ものの見事に空中でぶつかって、がぃん、と、歯の根を震わせる衝突音を奏でた。


 ――刀身を伝った衝撃が柄から掌に伝わり、びりびりと前腕までが痺れた。


 お互いに渾身の一撃だったからだろうが、上から振り下ろした俺がこれである。

 いくらトゥイーディアが騎士とはいえ、膂力では俺が勝るはずだ。それに加えて、上からの一撃は重くなるもの。

 それを受け止めることになったトゥイーディアの受けた衝撃は、俺が受けたものよりも確実に大きいはず。


 臓器全てが活動を停止したかと思うほどの、激しいばかりの後悔と衝撃が俺を襲ったが、トゥイーディアは俺を見てすらいなかった。

 さっと大剣を引き、そのまま川面を蹴立てて身を翻し、ヘリアンサスを捜して視線を走らせる。


 そして俺も、内心の動揺は欠片も顔に出せずに、同様に剣を引いて周囲を見渡していた。



 ――いや、捜すまでもなかった。



「……すごい! すごい、すごい!!」


 俺たちから見れば、自分たちに近い方の――ディセントラたちがいる方の岸辺――そちら側に数ヤード離れた位置で、相変わらず川面に立って、ヘリアンサスが大はしゃぎで手を叩いていた。


 まるでよく出来た演劇を褒め称えるかのように、惜しみない拍手と歓声を送っている。


 ざばり、と水を蹴って、トゥイーディアがそちらへ一歩踏み出した。

 そうしながらも、横目で俺を振り返って、早口に囁く。


「――ごめんね、痛かった?」


 いや、おまえが。


 ――そう思ったものの、俺は無愛想極まりなく応じていた。

 身体は勝手に動いて、トゥイーディアと並ぶ位置に足を進めている。


「別に」


「そう」


 短く答えたトゥイーディアは、すう、と息を吸い込んで、言葉を続けた。

 どこか押し殺したような声色だった。


「――さっき、ヘリアンサスに、何か言われた?」


 俺はトゥイーディアに視線を向けられなかった。

 なおもはしゃいだ様子でこちらに向かって笑顔で手を叩く、ヘリアンサスだけを見ていた。


 それでも視界の端には彼女が見えていて、髪から滴がひっきりなしに落ちているのを見て、寒そうだと思った。

 髪だけではなく、全身が水浸しだった。

 外套は、恐らく絞れば水が溢れるだろう。水を含んで重そうに揺れる袖から、ぽたぽたと滴が落ちて川面に小さな波紋を広げている。


 春先とはいえ、まだ寒い。

 トゥイーディアの全身は、恐らく芯から冷え切っているに違いない。


 そんなことを考えながらも、俺が返した返答は平坦だった。


「別に」


 俺の声音に何を聞き取ったのか、トゥイーディアは深々と溜息を吐いた。


 その溜息の色が安堵に近いことを、俺は耳聡くも聞き取った。

 他の連中の溜息の意図なんて分からないが、トゥイーディアだけは別。

 付き合いが長いこともあるが、誰より深い関心を向ける人だからね。



 ――そんなに、俺が自分の生まれについて知らされるのを避けたいのか。


 そうは思ったものの、それを言い立てられる場合でもなかった。



 ヘリアンサスには傷ひとつない。


 俺たちの剣先は、この魔王を掠めすらしなかった。

 刃が届くぎりぎり寸前に、こいつは瞬間移動で軌道上から姿を消したんだろう。


 トゥイーディアも全く同じ推論に至ったのか、抜かったと言わんばかりの表情。


 それから、ごくごく静かに尋ねてきた。


「――きみ、怪我は?」


 トゥイーディアに気遣ってもらえたというだけで、俺の気力が全回復した。

 とはいえ、口から出た言葉は素っ気なかった。


「別に」


「なら良かった」


 ちゃき、と大剣を握り直して、トゥイーディアは拍手喝采するヘリアンサスを、心底から苦々しげに睨み据えた。


 そのタイミングを見計らったかのように、ヘリアンサスはぴたりと手を止めて。


「すごいじゃないか!! ――そう、そう! こういうのが良かったんだよ!!

 今まではこんなこと、試したこともなかったね?

 それ、ねえ、ルドベキアのそれ、カルディオスが創ったの?」


 はしゃいだ声音で尋ねられて、俺たちが応じるはずもなかった。

 だが、ヘリアンサスの機嫌は一向に曇らない。


「本当に楽しい。ねえ、誰が考えたの、これ。あの銀髪かな? それともあの赤毛の女王?」


 ――トゥイーディアだよ。


 そう思ったものの、口には出さない。

 こいつに聞かせるには、トゥイーディアの名前でさえ烏滸がましい。


 ――ぱきぱきと、冷えた小さな音が聞こえてきた。


 見るまでもなくアナベルが、俺たちに氷の足場を提供しようとしてくれているのだ。

 白く川面を染め上げて、流水の形そのままに凍てつく氷の(うてな)に、冷気が纏い付いて立ち昇っている。


 見る間に範囲を広げる氷が傍まで迫って、俺とトゥイーディアが揃ってその上に立った。


 ――さすがアナベル。氷は分厚く、割れる気配もなく強固。

 足許が滑らないよう、氷の表面に細かな凹凸を作り出すところまでが器用だ。


 氷の床の上、俺とトゥイーディアの足許に、それぞれからぽたぽたと滴る水滴が、あっと言う間に小さな池を作り出す。


 陽光があちこちに反射して、きらきらと光る。


 自分と同じ視線の高さに上がった俺たちを見て、ヘリアンサスは楽しそうに黄金の瞳を細めた。


 風が吹く――氷が放つ冷気にひんやりと冴えたその風に、魔王の純白の髪が靡く。トゥイーディアの蜂蜜色の髪が泳ぐ。


 風に乗って運ばれてくるはずの、水辺の匂いも凍てついた。


 俺とトゥイーディアを交互に見て――背後に当たる位置に立つ、アナベルたちには一瞥もくれず、注意の一片たりとも払わず、ヘリアンサスはただただ無邪気に両掌を合わせた。

 その動きにもしゃらんと揺れる、空色の宝石を連ねた腕輪。


 そして、白髪金眼の魔王は明快に言い放った。


「じゃあ、ちょっと真面目にやろうか」


 今までの全部が、こいつにとっては()(すさ)び程度の児戯だったのだと言外に認めて、ヘリアンサスはにっこりと微笑む。


「大丈夫、きみたちでは逆立ちしても、僕を本気にさせることなんて出来ないからね。

 ただ、ちょっと真面目に受けてあげるね」


 トゥイーディアが一歩踏み出した。

 彼女の軍靴の下で、ざり、と氷が鳴る。


 氷が張り、凍てついて動きの止まった川面の上で、ヘリアンサスは指を鳴らした。

 立ち昇る白い冷気が、その足許に(わだかま)って渦を巻く。


「ああ、そうだ。きみは気にしてるかも知れないね」


 思い出したかのように呟いて、ヘリアンサスはなおも、毒のある花のように美しく微笑みながら、いっそ親切ささえ感じさせる声音で、明瞭に告げた。



「ひとつ、保証しよう。――今の僕は()()()()()()よ」



 ――俺は息を止めた。

 トゥイーディアが、雷に打たれたように足を止めた。


 岸辺にいるディセントラたちにもこの声は聞こえただろう――そして全員が、全く同じ絶望を味わったことだろう。



 ヘリアンサスが、己を魔王の地位にないと断言した。


 それが意味するところは――



 ヘリアンサスの黄金の瞳が俺を向いた。

 金の虹彩の中心の、黒々とした瞳孔までが見えた。


 作り物めいた完璧さで、その目がゆっくりと細められる。

 純白の睫毛に瞳が煙る。


「だから、今の僕には、()()()()()()()()()()()()使()()()()

 今の僕は無防備だ。――尤も、」


 くすり、と笑みに曲線を描く唇。



「きみたちは、その無防備な僕にすら、傷ひとつ付けられていないようだけれど」



 ――今日この日において、ヘリアンサスが示した卓越した防御。

 その全てが、絶対法を超えることなく行われていたという事実。


 もはや如何なる手法によって、ヘリアンサスが俺たちの攻撃を捌いていたのかすら、俺には分からない。


 他の魔法は如何様にもなるとしても、こいつはトゥイーディアの魔法ですらも退けていたのだ。



 眼前が真っ暗になった。


 彼我の力量に天地の隔たりがあり、その差が理解すら妨げることに対する絶望は、紙に落とされたインクが染みを広げるよりも容易く、俺の胸中を染め上げた。



 ――ただ一点を除いて。



 俺が膝を突くことを堪え、顔を上げられた、たった一つのその理由。


 凛と顔を上げて、眼差しを伏せず、トゥイーディアが俺の隣に立っている。

 絶対に折れないのだと、全世界に向かって宣言するような毅然とした面差しで、背筋を伸ばしてここにいる。



 俺が立ち続けることに、それ以外の理由は要らない。



「――そう、安心したわ」


 飴色の目を細めて、ぎゅっと大剣の柄を握り締めて、トゥイーディアが断言した。

 体重の掛け方が変わって、彼女の足許で氷が軋んだ。


「おまえが、絶対法を超えての防御が出来ないなら――迎撃と相殺しか出来ないなら。

 だったら私たちは、」


 凍り付いて静まり返った川面の上を、トゥイーディアの断固たる声が伝わっていく。



「――おまえが私たちを迎え撃つことが出来なくなるまで、おまえを殺し続けるわ」



「出来ないよ」


 打てば響くようにそう応じて、ヘリアンサスは指を振ってみせた。


 ――その白髪金眼の化け物目掛けて、トゥイーディアが氷を蹴る。

 何の合図もなかったが、全く同時に俺も氷を蹴っていた。


 付き合いの長さは伊達ではない。

 今この瞬間、ヘリアンサスを殺すという目的のために動くならば、俺の代償は俺の行為を阻まない。


 突進するトゥイーディアを、あるいは俺を、まるで駆け寄って来る旧知の友人を待つかの如き泰然とした立ち姿で待ち構えるヘリアンサスは、指を振ってみせたその手の五指を、挨拶するかのように広げた。


 言葉は途切れず、ゆったりと続いた。


「確かに救世主(きみ)は、僕を殺すことの出来る唯一の人間だ――今生においてはね。だけど、」


 振り抜かれるトゥイーディアの大剣の刃を、目の前に降ってきた黝いその刃を、ヘリアンサスは造作なく素手でしっかりと掴んで止めた。

 そして、にこりと笑って首を傾げ、冷淡に告げた。



「――残念ながら、僕にはきみに殺される気がないんだ」



 告げるや否や、ヘリアンサスは刃を掴んだ大剣諸共にトゥイーディアを、岸辺に向かって、右手一本で易々と放り投げた。

 あるいは、大剣を放り投げた結果として、その柄を離さなかったトゥイーディアまでが宙を飛んだ。


 刹那のことで、トゥイーディアの表情は見えなかった――ただし宙を飛ぶトゥイーディアが、さすがの反応を示して空中で身を捩り、受け身を取ったのは目の端に見えた。


 そして俺はトゥイーディアの状況に、何らの反応も示すことが出来ない――それが、今は良い方向へ働いた。


 本来ならば俺は、手にした剣を取り落としてトゥイーディアの落下が予測される地点に走るくらいのことをしていただろうが、その行動が代償に制限された結果として、俺は極めて冷静に、ヘリアンサスに向かって斬り掛かっていたのだ。


 真横から振り抜かれた象牙色の刃を、ヘリアンサスが指先一本で留めるのを、俺は見た。


 刃を掴み取るまでもなく、ぴんと立てた左手の人差し指のみで、長剣の刃を留めている。

 間違いのない切れ味を誇る刃物の腹に指を当ててなお、その皮膚には破れる気配すらもなかった。


 当然というべきか、トゥイーディアの大剣を握って振り回した右掌にも、切傷ひとつありはしない。


 ふ、と微笑んで、ヘリアンサスは囁いた。


「いつまでも川の上にいるのも、身体が冷えるね」


 音として聞こえた声の、その言葉の意味を俺が理解するに先んじて、ヘリアンサスが指を振った――俺が振り抜いた刀身を受け止めている、その指を。



 そして、まるで磁力でその指に引き付けられているかの如くに、俺の身体が宙を飛んだ。



 腹の中で内臓が引っ繰り返った。

 血液という血液が頭から引いていったかにも思え、視界が一気に暗くなる。


 風を裂く音のみが聞こえ、もはや自分がどういった体勢で空中をすっ飛んでいるのかも分からず――


 どっ! と全身に響く衝撃と共に、俺は自分の身体が何かに叩き付けられて止まったことを自覚した。


 かは、と、肺腑から押し出された空気が気管を逆流して空咳になる。


 げほげほと連続して咳き込み、ようよう顔を上げた俺は、眩む視界の中に、こちらを後方から覗き込む、真っ青になったカルディオスを認めた。


「――大丈夫か!」


 叫ぶカルディオスの声が、妙に遠くに聞こえる。


 俺は息を吸い込んで、頭を振った。

 ぼわ、と、膜が張ったようになっていた耳が、それでまともに戻った。


 そうしてから、やっとのことで俺は状況を理解する。


 どうやら、空中をぶっ飛んだ俺を、カルディオスが受け止めてくれたらしい。

 今は、二人纏めて茂みの中に尻餅をついているような状態だ。


 傍には他のみんなも――トゥイーディアもいる。

 大剣を地面に突いて、ディセントラに支えられながら、トゥイーディアも立ち上がろうとしていた。


「だいっ、――大丈夫だ」


 言葉を噛んでから断言して、俺もまた、藻掻くように立ち上がった。


 そのときに気付いたが、落下の瞬間に俺は剣の柄を手放していたらしい。

 少し離れた茂みの上に転がる象牙色の剣を、魔法で手許に呼び返す。


 ひゅん、とこちらに向かって飛んできた剣の柄をキャッチして、俺は左手で腹を押さえて深呼吸。

 俺の後ろで立ち上がったカルディオスが、軽く背中をさすってくれる。


 俺が自分に熱波を浴びせ(傍にいたカルディオスが、「熱っ」と呟いて飛び退った)、身体から水分を払ったのと全く同時に、アナベルがトゥイーディアの肩を叩き、いとも容易く彼女の身体を乾かした。

 俺の全身からじゅうじゅうと蒸気が立ち昇ったのに比べて、トゥイーディアに纏い付いていた水は、ただ速やかに空中に還元されたのみだった。


 カルディオスは、吹っ飛んで来た俺を受け止めてくれたときに、びしょ濡れになっていた俺の軍服から水分を移されることとなっていたが、気にした様子もなく放置している。


「――ありがと、アナベル」


 呟いたトゥイーディアの視線がヘリアンサスに向かっていることを、俺は見るまでもなく察していた。



 ヘリアンサスは俺たちの方へ向かって――アナベルが魔法を解き、氷結が解けて流れ出す川面の上を――、しずしずと歩を進めている。

 陽光が照り映える、さながら雪解け時の如き川面を歩く魔王の姿は、いっそ神々しくさえあった。


 流れが戻った水に浮かぶ、溶け掛けた大きな氷の欠片が、ヘリアンサスの足にぶつかりそうになった瞬間、甲高い音を立てて砕けていくのを、俺は見た。



「ルドベキア、負傷は」


 コリウスが、ヘリアンサスの方を見ながら強張った声で尋ねてきた。

 俺は首を振る。


「大丈夫、ない」


 いや、ないことはないんだけど、軽傷。


 そうか、と応じて、コリウスは口早に。


「――分かっていると思うが、今度は逆だ。廃村の方に戻るぞ」


 分かってる、と頷いたのは全員。


 続いて、アナベルが小さく呟いた。


「……そんな場合でもないと思うんだけど、さっき、ルドベキアの魔法を使ったのはあいつよね?

 ――なんであたしたち、無事にこうして生きてるわけ?」


 アナベルがそう言った瞬間、トゥイーディアがぎょっとしたようにそちらを見た。


「アナベル――カル。さっき、ヘリアンサスに何も言われなかった?」


 アナベルとカルディオスが、なぜ自分たちが名指しされるのだろうと言わんばかりの顔で首を振る。


 ほう、とトゥイーディアが息を漏らし、ヘリアンサスに向き直るのを後目に、俺は呟くようにアナベルに答えていた。


「確かじゃねえけど、俺があの魔法を強制解除しようとしたら、自分から解除した――ってことだと思う」


 ヘリアンサスが刻一刻と距離を詰めて来る中、ディセントラが眉を寄せた。


 そんな場合でないことは重々承知しているだろうが、戦闘中の情報共有は割と大事だし、ここを逃せば、もうまともに言葉を話せる局面が巡ってくるかも分からないしね。


「――強制解除? あの魔法、そんなの出来ないでしょ」


「いや――」


 と、もはや緊張を誤魔化すためだけに言葉を続ける俺。

 ヘリアンサスは、岸辺まで数ヤードのところにまで迫っている。


「一個だけ方法がある。

 ――あの魔法の中で誰かが死ねば、普通に解けんだよ、あれ」


 やっぱりおまえらは知らなかったよな――と続けようとした、その言葉が途中でへし折られた。


「は!?」


 と、トゥイーディアが、滅多に聞かない驚愕の声を上げたのだ。


 目を剥いて、あろうことかヘリアンサスから目を離して俺を凝視する、彼女の表情は壮絶だった。


「どういうこと!? きみ、死のうとしたの!?」


 カルディオスが、「イーディ、後で。それは後にしよう」と口早に言葉を差し挟んだが、トゥイーディアは聞こえていない様子だった。


 烈火の如き激情を湛えた飴色の目で俺を睨んで、叩き付けるように怒鳴る。



「ばかもの!! 二度とそんなこと考えないで!

 ――もういい加減、私より後に死んでみてよ!!」



 俺は表情を動かせなかったが、その実、息を止めていた。


 ――確かに俺は、これまでの人生の殆どで、トゥイーディアよりも先に死んできた。


 大抵の人生で、トゥイーディア(と、ついでに誰か)を庇って死ぬことを選んで、かつそれを成功させてきたからだ。

 それに、トゥイーディアが俺より先に死ぬなんて、それこそ絶対嫌だから。


 トゥイーディアは知らないことだが、実のところ彼女の心臓は、二人分の命を担っているにも等しいのだ。

 トゥイーディア自身の命と、彼女が死んでしまえば生きている意味を失くす俺と。


 だが、いや、これは嬉しい。


 トゥイーディアが俺の命を惜しんで怒ってくれるのが嬉しい。

 彼女は優しいから、誰に対しても恐らく同じ反応を示すだろうが、それにしても嬉しい。


 なんだこれ。すげぇくすぐったい。


 そんな場合じゃないんだけど、俺にとってはこの危機的状況に対する危機感よりも、トゥイーディアに対する恋情の方が遥かに上をいく。



 頑張れる、頑張れる。俺は大丈夫。



 ――そんなことを思いながらも、俺は無表情に言い捨てていた。


「ぎゃあぎゃあうるせぇな」


「ルド、黙れ」


 カルディオスが、普段よりも数段低い声で囁き、トゥイーディアにも同じ口調で言葉を向けた。


「イーディも、落ち着け。何にしろルドは生きてんだから」


 トゥイーディアが息を吸い込んだ。

 自分の感情を、彼女がぐっと抑え込んだのが分かった。


 ――そもそも彼女は、豊かで振れ幅の大きい自分の感情を、理性で抑え込むのは得意なのだ。

 それが、僅かの間ではあれ度を失って、戦闘中に味方を怒鳴りつけたとなると、これまでの人生でもついぞなかった珍しい事態であると言える。


 戦闘中の感情の動揺は全く歓迎できない事態であると、分かってはいたものの、その事態を引き起こしたのが自分であるという事実が、俺には堪らなく嬉しかった。

 誇らしかったと言ってもいい。


 トゥイーディアが、俺を惜しんで感情を動かした。

 理性を上回るほどに情動を波立てた。

 それがすっげぇ嬉しい。



 ――とはいえ、その嬉しさは欠片たりとも顔に出ないし、態度にも出ない。


 俺はヘリアンサスだけを見て、みんなの中から一歩前に進み出た。

 それに刹那の遅れをとって、トゥイーディアもまた前へ進み出た。


 ディセントラが、俺たちの後ろで囁き声を出す――「廃村の方へ下がって中距離の援護を」。

 いつもながら正しい判断に、トゥイーディアが小さく唇の端を持ち上げたのが、視界の端に仄見えた。



 四人分の茂みを踏み分ける足音が、足早に廃村の方へと遠ざかっていく。



 ――近接戦闘をこなす役割を与えられているのは俺とトゥイーディアだ。

 そして、俺たちが全力で武器を振り回す以上、それ以外の味方は巻き添えになりかねないのだ。


 いくら俺たちが長い付き合いで気心が知れているとはいえ、近接戦闘を共同でこなすのは物理的にも厳しい話。

 下手を打てば相討ち待ったなしだし、そもそも三人も四人もが寄って集ってしまえば自由には動けなくなる。


 素早い動きが封じられてしまえば、どっちかっていうと力押しが得意な俺はともかく、機動力が強みのトゥイーディアは相当に戦い難くなってしまうだろう。


 そしてそもそも、アナベルもディセントラも、中距離から遠距離の戦闘の方が得意だし。

 コリウスは恐らく、中距離から援護しながらも、近距離にも瞬時に切り替えられる唯一の人材だが。



 ヘリアンサスが、川から岸辺へ上がった。


 よいしょ、と言わんばかりにその境界を乗り越えて、茂みに分け入ってこちらへ進んで来る。

 ここから見ただけでも、奴が一滴たりとも水に濡れていないことは分かった。



 背後から轟音が響く。地面が微かに揺れる。


 ――それが、コリウスがここから廃村に至るまでに積み重なった、瓦礫の山を退けたゆえのことだと、俺は見もせずに理解していた。


 一方のヘリアンサスはそれを正面から見ることになっただろう――金色の目を細めて、感想めいた一言を漏らしていた。


「――あっちの方は、煙たそうだな」


 それが、瓦礫の山が乱暴に退けられたことによって発生したであろう、巻き上がる粉塵を見ての一言だと、俺は何となく察した。



 トゥイーディアの手の中で、大剣が細剣へ姿を変えた。


 本格的に俺と二人で動くに当たって、重量重視の大剣よりも、剣速重視の細剣が最適だと判断したがゆえだろう。


 一方の俺は長剣を片手に、腰を落として身構える。



 俺を見て、こちらに歩を進めながら、ヘリアンサスは目を瞬かせた。


「珍しいね、きみ――いつもはもうちょっと短い剣の方をよく使うのに」


 確かに俺が最も得手とする得物は、片手剣だ。

 この長剣は、片手で扱うにはやや重い。


 ふむ、と顎に手を当てて、ヘリアンサスはまるで独り言のように。


「……今のカルディオスには、それと全く同じものを創ることは出来ないよね。

 となると、そうか、そっちのは形に制限があるのか」


 そう呟いてから、「まあいいや」と笑顔を見せて、ヘリアンサスは手を叩いた。


 しゃらり、と、左手首で腕輪が鳴った。



「――よし、じゃあ、掛かっておいで。第二幕だ」














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