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79◇◆『白髪金眼の魔王』



 地下の避難路へ、と促されて真っ先に考えたのは、「あぁ、なんだ、今か」ということだった。



 ――ガルシアを襲った未曾有のレヴナント被害から、数えて十三日目のことだった。


 尤も、あのレヴナントの大量発生の本質を分かっている人間はいないだろうが。



 本来なら、ルドベキアが気付くべきだった。

 ルドベキアがあのとき取るべきだった行動は一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだった。


 ――とはいえ、無理な話だった。


 ルドベキアは、そして他の五人も、『あのとき』に全部を忘れている。



 斯くして未曾有のレヴナント被害は起こり、死傷者が多数出たというわけだ。



「――――」


 自分の思考を俯瞰して眺めて、おれは思わず唇を歪める。



 それを見て、目の前の、テルセ侯の侍従だと名乗った壮年の男が、あからさまに怯えた様子でびくりとした。



 ――違った、死者の多くはおれの手によるものだった。


 些末なこと過ぎて、ついうっかり忘れていた。

 が、あのときに見たルドベキアの、我が目を疑うといった顔を思い出したことで、恙なく記憶に甦ってきた。



 ふう、と息を吐いて、寝そべり椅子の上で足を組む。


 詳細な経緯は忘れたが、ルドベキアやカルディオスが留守にしている間におれに宛がわれた、この侯爵邸の中にある一室を、おれは結構気に入っていた。

 広いのがいい。窓が大きいのがいい。天井が高いのがいい。

 天井に絵が描いてあるのだけは気に喰わないけれど。


「――なんで?」


 足を組んだまま、侍従には視線を向けずに尋ねる。


 視線は低くぶら下げられたシャンデリアへ。

 金属と水晶で作られた、きらきらしているシャンデリア。


 ――理由を訊いたものの、何と答えられても腰を上げるつもりではあった。

 このタイミングでおれに声が掛かったのだから、間違いなくこれは、()()()たちが仕組んだことだろう。


 無視したとして大勢(たいせい)に影響はないけれど、だからこそ、敢えて無視する理由もない。


 それに、興味もあった。

 あの六人がどういう理由をつけたのか。


 侍従は怯えた様子で、膝を突いたまま、じり、と後ろに下がった。

 額には薄ら汗すら掻いていて、唇が僅かに震えている。



 ――鬱陶しいな。汚らしいし。



 思わず眉を寄せる。


 別にこいつがいてもいなくても、「地下の避難路へ」と言われている以上、そちらへ向かえばあの六人から何らかの働き掛けがあろう。

 いつもの如き無駄な苦労になるだろうが、精々知恵を絞ったのだろうから、乗ってやらないこともない。



 だから別に、ここでこいつをどうしようが――



 ふ、と指を上げ掛けて、しかしおれはそれを下ろした。


 思わず、くふ、と小さな笑い声が漏れる。



 ――あぁ、そうか。

 覚えていたのか、()()()



 侍従が怯えた眼差しでおれを見る。


 それを見るともなしに視界に入れながら、おれは思わず片手で顔を押さえた。

 ふ、と、なおも笑みに息が漏れる。



 ――あのときおれが、警告の意味で告げた言葉を、きっちり覚えていて利用したのか、リリタリスのご令嬢。



 あのご令嬢の、気に喰わない顔が脳裏に甦ってきた。


 おれを見るときはいつも、尋常でないほどの嫌悪を表情に載せる顔貌。

 作り笑いを浮かべていても、あの飴色の目に浮かぶ憎悪は誤魔化しようがない。


 揺るがぬ激情をおれに向ける、この世で一番大嫌いな、――()()()()()()()()()



 ――おれにはもう少しこの名前が要る、と、そう告げたことを、彼女は覚えていた。

 覚えていたからこそ、テルセ侯の膝元で、おれがその侍従を手に掛けられるはずがないことを確信して、自分たちがおれのところまで足を運ぶことを回避した。


 単純に恐怖しただけか、それとも六人が六人とも、何か策を巡らせていて、おれのところに来るわけにいかなかったのか。



 ――まあ、どちらでもいい。



 手を下ろし、腰を上げる。


 侍従が、あからさまにほっとしたように頭を下げた。

 訓練と聞いております、と、やや震える声でそう告げる侍従に、おれは足先で「退け」と示しつつ。


「――そうだねえ、あんなこともあったばかりだものね」


 訓練、訓練ね。言い訳としては妥当かな。

 次の有事に備えて、要人であるおれに、地下の避難路を案内しておく必要があるとか何とか言ったのかな。


 この言い訳を考えたのは誰だろう――あの銀髪か、それともあの赤毛の女王か。


 俺の爪先の動きに気付いて、侍従が飛び退るように道を開ける。

 まったく大仰なことだ。おれがここでしたことと言えば、気に喰わない数名にあの亡霊を嗾けたくらいのことなのに。


 飛び退って立ち上がり、しかし半端な中腰の姿勢のまま、侍従が吃りながら口を開いた。


「……お、お供を――」


「要らない」


 不機嫌さが声に出た。


 恐らくあの六人も、おれにこういう虫けらがくっついて行くことは避けようとしているはずで、地下道の入口まで行けば、こいつはおれから離れるだろう。

 なんだかんだと理由をつけて。

 あるいは狙い澄ましたタイミングで、別の危急の用事が入って。


 あの赤毛の女王が、おれが彼女を知ったときと同等の頭脳を今も持っているのならば、そこまでは当然に手を回しているだろう。


 ――とはいえ、そこまでの道のりを、こんな汚らしいものと一緒に歩くのは言語道断だった。



 ふと、遠い昔に見た光景が脳裏に甦った。


 殴られて飛んで行く巨漢の姿。

 テーブルや椅子を引っ繰り返しながら飛んで行って、最後には壁にのめり込むようにして叩き付けられていた、あの。



 ――あんな風にしたらこいつも黙るかな、と思い、中腰のまま凍り付いた侍従に視線を向ける。



 実際、手を上げ掛けた。

 持ち上げた左手首で腕輪が鳴る。


 が、おれが行動を起こすに先んじて、侍従がその場に膝を突いて頭を下げた。


「……お許しを、差し出たことを申しました」



 ――なんだ。じゃあ別に、手を上げるほどでもないか。面倒だし。



 頷いて、おれは一歩を踏み出した。

 いつもの部屋着のままだったが、別に大したことをしに行くわけでもないので構わないだろう。


 外には寒気があるかも知れないが、おれは、寒いのが嫌いだと不貞腐れていたあいつとは違う。


「うん、地下道の入口なら知ってるしね」


 そう言い置いて、それからおれは首を傾げた。



 ――さて、ルドベキアは地下が嫌いなはずだ。


 『あのとき』以降、おれがあいつに会うのはあの城のあの大広間で、顔を見ているのはせいぜいが数分から数時間のことだから、確たる挙動の証を見たことがあるわけではないけれど、嫌いなはずだ。


 狭いところや暗いところは苦手だろう。


 ――そんなところでおれを討伐することを、ルドベキアに強要するご令嬢だろうか。



 振り返る。

 視線を侍従に当てて、おれは眉を寄せた。


「――地下道に入って、僕はそのまま川の方の出口まで行くように、そう言われてるの?」


 侍従は今や、床に這いつくばらんばかりだった。


「は、然様で――」


「……ふうん」


 呟いて、おれは目を眇めた。

 顎に手を当てると、しゃらん、と腕輪が鳴る音が聞こえてくる。



 ――地下道の存在は知っている。


 おれがリリタリスの令嬢の婚約者であるという立場上、ガルシアに入ったときから聞かされていたものだ。

 地下道の入口についても知っているが、――さて。


 地下道の出口には何があったんだっけ。

 川の傍とは聞いているけれど。


 考えを巡らせてみたが、どうやらおれはそれを知らない、あるいは覚えていないらしかった。



 ――まあいいや、と呟いて、おれは部屋を出るために足を踏み出す。


 自分の足許でガウンの裾が靡いたのが分かった。



 そこに何があったとしても、別におれにとっては問題ではない。





◇◆◇





 ――三日前の夜、トゥイーディアの部屋で。



 避難訓練か何かだと言ってあいつを誘い出しましょう、と言ったのはディセントラだった。


「今のこの状況なら、他の人には納得しやすい理由でしょ」


 他の人には、と、繰り返すように呟いて、翡翠色の目が瞬きする。


「――そんな下手な言い訳で、あいつ、騙される?」


 懐疑を表に出したのはカルディオス、そして、それに首を振ったのはコリウスだった。


「カルディオス、違う。騙す必要がそもそもない。――あいつは理由が何であったとしても、僕たちがあいつを誘い出したいんだと分かれば来る。

 今までもそうだっただろう。あいつは、魔王の城の門を閉め切っていたことなどなかった」


 でも、と、カルディオスは憂いに眉を寄せて首を傾げたものだ。


「――俺かコリウスが、身分を盾にしてその言い訳を、あいつまで誰かに届けてもらうってのは分かるよ。でもさ、その人、……殺されるんじゃない?

 あいつを相手に、下手に食い下がったり物申したりしないように、重々言い聞かせといたとしても」


「大丈夫」


 確信を籠めて、今度はトゥイーディアがそう言い切った。

 飴色の目に、深いばかりの激情を煌めかせて。


「――それは大丈夫。あいつがいるのはテルセ閣下のお膝元。――ロベリアの名前が、まだしばらくは必要だとあいつは言ってたの。

 ならば閣下の膝元で、その臣下を手に掛けられるわけがない」




 ――そして今、俺たちは、トゥイーディアのその博打が当たったことを祈りながら、ひたすらに仇敵を待っている。





◇◆◇





 廊下に出て少し進んだところで、こちらに向かって小走りで進んで来るメイドの格好をした誰かが、おれをおれと見分けた様子で足を止め、頭を下げた。


 ホワイトブリムに押さえられた麦藁の色の髪――見覚えがある気もしたが、どうでもいいので素通りしようとする。


 が、通り過ぎようとしたその瞬間に、そのメイドが顔を上げ、声を上げた。


「――あ、あのっ、ロベリアさま!」


「――――」


 振り返ったのは、完全に気が向いただけのことだったが、続いてメイドが発した一言に、おれは思わず笑ってしまった。


「お嬢さま――トゥイーディアさまはこちらへいらっしゃいませんでしたでしょうか」


 唐突に出てきたその名前に笑ってしまう。

 ふ、と零れた一息に、メイドは何を思ったか、慌てたように、また頭を下げた。


「不躾なこととは存じておりますが、お嬢さまのご様子が……」


 そのときようやく、おれはこのメイドが、ルドベキアの想い人に付けられていたものだと思い出した。



 ――様子も変になることだろう。

 何しろあのご令嬢は、死にに行く覚悟でおれを待っているんだろうから。



 そう言ったらどうなるんだろう、とは思いつつも、おれは微笑した。



 ――まだだ。まだ、おれはリリタリスの近侍に、リリタリス家への無関心を悟られるわけにはいかない。

 後の楽しみが減ってしまう。


 本当に楽しみにしているのに。



「へえ、そうなんだ、心配だね」


 心にもないことをさらりと口にする。


 こういうことをするときに必ず目の裏に浮かんでくる、もはや遠くなったあいつの影。


 メイドは顔を上げた。

 本当に心配そうな顔をしていて、笑いすら込み上げてくる。


「――御父上にお書きになっていたお手紙も……いけないことなのですけれど、中を拝見した限りでは、何か、まるで――」


 自殺を仄めかす内容でも書いたのか、あの女。

 瞳を揺らすメイドの様子に、苛々と溜息が零れる。


 おれは息を吐いて、首を傾げてみせた。


「ふうん。心配になるような内容なら、その手紙は出さない方がいいんじゃない。きみのところで止めておきなよ。きっと彼女のお父さんも心配してしまうよ」


 ――まあ、手紙を読むことが出来るような状態にあるのかどうかは知らないが。


 そう思いつつも、おれは真剣に不安そうにしているメイドに、有無を言わせず微笑んだ。


「――で、ああ、ご令嬢が僕のところに来てないか、だっけ? 残念ながら来てないよ」


 両手を広げてみせる。

 左手首で、しゃらん、と、耳に馴染んだ音が鳴る。



「でも、まあ、大丈夫なんじゃない?

 ――何しろ彼女、()()()()()なんだしさ」





◇◆◇





 そういえば、と、緊張を紛らせようとするように、カルディオスが口を開いた。


「――イーディ、今朝書いてた手紙、なに?」


 トゥイーディアは一瞬、不意打ちに驚いたように肩を跳ねさせ、それから曖昧に肩を竦めた。


「……お父さまに手紙を書いておこうと思って――大したものじゃないわ」


 呟いて俯き、トゥイーディアはどことなく寂しそうに。



「――読んでくださるといいのだけど……」




 ――時刻は午前(ひるまえ)

 太陽は蒼穹の、中天よりやや東にあった。



 そういえば、と、俺は場違いにも考える。



 ――俺たちが魔王討伐を、空の下で行うのは()()()のことだ。


 いつも、あの陰鬱な城の大広間で俺たちは死んでいっていたのだから――





◇◆◇





 地下道への入口は、ガルシア砦の、役所と呼ばれる建物の地下にある。


 地下へ通じる、一般には隠された螺旋階段を降りて行けば、石造りの地下の大広間があり、そこから地下道に通ずる細い階段が伸びているのだ。



 地下の大広間に靴音が反響し、おれは思わず顔を顰めた。


 地下という割には天井が高いが、だが、それにしても――


「――嫌がらせを疑うところだ」


 独り言ちれば、その呟きもまた、天井で跳ね返って幾十幾百に砕け散る。



 螺旋階段を下り切って、周囲を見渡す。

 全くの無音で人の気配はなく、どうやらここに誰かが待ち受けているというわけではないらしい。


 装飾のひとつもない天井に床、岩壁の凹凸のままになっている壁――



 はあ、と溜息を零して、おれは更なる地下に通じる細い階段に歩み寄った。


 壁に穿たれた、細い階段の入口――有事にはそこを塞ぐために落とすのだろう落とし戸が、振り仰げば見て取れた。



 ――そこで、おれは全く無意識に、自分がここを明るくしていたことに気付いた。

 勿論のこと、地下は明かりがなければ暗いものだが、妙に明るい。


 どうやら無意識のうちに、〈明るさ〉に関するのりを書き換えていたらしい。

 光源のない光が、影も落とさずに大広間に満ちている。


 瞬きして、おれは左手で、今から下っていくことになる細い階段を示した。



 しゃらん、と腕輪が鳴る。空色の不規則な形の石が揺れる。



 さああ、と、刷毛で色を塗るかのように、階段から下に向かって光が広がっていった。

 まるで晴天の昼の、日陰のような明るさ。


 ひとつ頷いてそれを見守って、おれは階段に足を踏み入れた。


 かつん、と、靴音が反響して木霊する。



 かつん、かつん、――かつん。



 ――そのとき、足に細い糸が引っ掛かった。


 何の変哲もない刺繍糸。

 それこそ、メイドならば部屋に常備していそうな。



 首を傾げて、そのまま歩く。


 引っ張られて、糸が切れた。



 ――ぷつん、と。





◇◆◇





「――入った」


 トゥイーディアが呟いた。


 それを受けて、俺がその場で右手を振り下ろす。



 ――地響きがした。

 名状し難い低い音。


 そして、俺たちが見守る、地下の空間に蓋をするための重い上げ蓋が、内部から膨張した熱気に耐え切れずに浮いた。


 表情ひとつ変えずに、コリウスがその上げ蓋を抑え込む。



 ――ここは、地下道からの出口のある川畔の廃村。

 俺たちはその広場、地下からの出口のすぐ傍で、魔王が姿を現すのを待っている。


 川の流れる音が聞こえていた。

 ここ数日は天気も安定していたから、海も近い流れの音は緩やかで穏やかだ。


 ――あのレヴナントの大量発生よりも前から、俺たちはここでヘリアンサスを殺すための策を考え、準備をしていた。

 ガルシアで宴会があった、まさにあの日の昼間にここへ来ていたのはそのためだ。



 ――今日がその日だ。



「……熱は効かないでしょうね」


 トゥイーディアが呟いた。

 視線は、コリウスに抑えられてなお、中身が沸騰した鍋の蓋のようにがたがたと動く上げ蓋に固定されている。


 俺は頷いた。

 トゥイーディアの言葉は何も、俺の魔法の威力を疑うがゆえのものではない。


 左手で、鳩尾の辺りの衣服を掴む。

 俺は今日も今日とて軍服だが、掴んだ軍服の向こうに、硬い感触がちゃんとあった。


「――でも、どうかしら」


 ディセントラが、殆ど祈るように囁いた。

 軍服に包まれた身体が僅かに震えている。


「今のヘリアンサスが、魔王の権能を持っていないとすれば、もしかしたらってことはあるんじゃないかしら。

 ――それに、煙には毒があるものよ。ヘリアンサスだって生き物なら、呼吸の必要はあるはずだわ」


 ごうごうと、地鳴りのような音がする。

 上げ蓋はなおもがたがたと動き、耳に痛い金属音を響かせる。


 それを聞きながら、トゥイーディアが俺の方へ視線を向けた。


「――ねえ、つかぬことを訊くんだけど、」


 俺は冷淡な眼差しでトゥイーディアを一瞥した。



 みんなと同じように軍服に身を包み、生真面目な面差しで俺を見ている、俺の〈最も大切な人〉。



 自分の心臓がどきどきと鳴る音が、耳許で聞こえてきた。


 ――俺は、俺が死ぬことよりもトゥイーディアが死ぬことの方が耐え難い。


 今日この日、どうかトゥイーディアだけは助かりますようにと祈る。

 願わくば、どうか、彼女が痛い思いをしたり、苦しい思いをしたり、辛い思いをしたりすることがないように。



 俺のそんな内心は露知らず、トゥイーディアは首を傾げて、まるで試すように。


「きみ、全力で燃やしたら、岩まで溶かしちゃったりするの?」


 俺は少し考えて、それから頷いた。


「――まあ、それくらいの高温にはなってると思う。今の地下道は。……何なら入ってみれば?」


 喧嘩しないの、と、トゥイーディアが何を言うよりも素早く、ディセントラが割って入るようにそう告げた。




 ――トゥイーディアの固有の力は、〈ものの内側に潜り込むこと〉。

 破壊一辺倒の能力だが、正当な救世主の地位にあるときに限り、五感の拡張にも使うことの出来る能力。


 しかし、さすがの彼女も、ここから地下道を覗くことは出来ない。

 だが、距離があったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()ことは出来る。



 細い細い刺繍糸を、無人の地下道で断ち切るとすれば、それはヘリアンサス以外に有り得ない。



 刺繍糸が切れたことを彼女が察知すると同時、俺が地下道に火を放った。


 人を巻き込む心配は今度こそない。

 ただひたすらにヘリアンサスを焼き殺すことを目的とした、地下を崩落させない限度では、俺に出来る最大限の熱量で。



 ――今、地下道は火の海になっているはずだ。

 それこそ、岩をも溶かす高温に晒されているだろう。


 活火山の火口も斯くやという灼熱の炎が、地下道を埋めて猛っているはず。



 熱はもちろん煙も、もはや生物が命を繋ぐことの出来る水準ではあるまい。




 熱でヘリアンサスを殺せたことはないが、――魔王ではないあいつならば。





◇◆◇





「――ここ、火山か何かだったっけ」


 呟きながら、おれは溶けて滴る岩を見ていた。


 ――本当に、呆れるばかりの高温である。

 熱波と爆風を抑えたのは、恐らくはこの隧道の崩落を防ぐためだろうが、それにしても。



 周囲は眩い。


 灼熱の赤と白熱の金が光景一切を埋め尽くしている。

 光を凝縮したかのような、不思議と目に痛くない熱の塊。


 熱気は、もはや空気そのものが色と光のない炎に変じたかの如く。


 足許も天井も壁も、岩すら溶け出す規格外の高温に、地下全体が悲鳴を上げている。

 立ち込める煙でさえ、逃げ場を失って悲鳴じみた音を立てている。



 ――とはいえ、おれがその他の万物と同様に影響を受けるかどうかというのは、また別の話だけれど。



 噴火した火山の火口付近を歩いているみたいだった。


 形を保っている岩でさえ、熱に耐えかねて内側から鈍く赤く光っている。

 もしも星が地面に落ちて来たら、こんな風に輝くかも知れない。


「すごいな」


 素直にそう呟いて、おれは足を進める。


 意識せずとも、足許から、ぱきぱきと軽い音を立てて、白く氷が広がっていく。

 冷気が靄を呼んでたなびく。


 溶岩そのものとなった周囲一帯の岩を、流れ出した形そのままに黒々と凍り付かせていく。



 おれが一歩足を進める度に、隧道内の色が塗り替わっていく。細かな氷の粒が舞う。



 ――勿体ないけど、仕方がない。


「綺麗なんだけどなぁ」


 呟いて、おれは白く凍て付いて死んでいく溶岩に、少しばかり惜しむ気持ちで手を伸ばした。


 真紅と金色に輝いて、本当に、星がここまで落ちて来たみたいな光景だったのに。


 惜しむ気持ちを反映したのか、伸ばした指のその先で、白く凝った冷気が集まり、花の形を象った。

 しゅるり、と白く芽吹いて葉を伸ばし、茎を立ち上がらせたかと思うと咢が形作られ、蕾が出来てふわりと花弁が開く。



 震えながら咲いた、氷で出来た一輪の花。



「――――」


 おれはしばらく無言でそれを見て、それから掌でその花を握り潰した。

 ぱきん、と硬く小さな音がして、ぱらぱらと氷の欠片が落ちていく。


 もう片方の手でその掌を払って、残った細かな氷の破片を叩き落とす。


「……でも、まあ」


 呟いて、おれは溜息を零した。


 その息が、白く白く凍て付いた冷気の波紋を周囲に広げて、猛り狂っていた炎が勢いを失って消えていく。



「――呼び出しておきながら、自分は顔も見せずにこんな洗礼を浴びせるなんて、――さすがに失礼と言わざるを得ないな、ルドベキア」





◇◆◇





 俺は眉を寄せた。


 魔力の摩耗――得意分野の魔法を使っているからこそ、当初から摩耗は緩やかだったが――、それが、唐突に打ち切られたがゆえだった。


 がたがたと騒いでいた上げ蓋も、嘘のように大人しくなっている。


「――どーした?」


 カルディオスに尋ねられ、俺は息を吸い込む。

 ――この事象が表す現実は一つだけだ。


「……火が消された。ヘリアンサスは生きてる」


「やべーな」


 カルディオスが呟いて、唇のみに強張った微笑を浮かべてみせた。

 翡翠の目が緊張に硬くなっているのが分かる。


「……ここまで、あいつが無傷で来るところしか想像できねーわ、俺」


「無傷なら無傷で結構。ここで殺すわ」


 トゥイーディアが、彼女らしくないほど荒々しく宣言して、手にした黝い細剣の柄をぎゅっと握った。


 視線が一瞬、ここから見れば背後に当たる、他よりも少し背が高く設計された、物見台の方を掠めた。


「一つめの、地下で焼死の作戦は失敗ね。でも織り込み済みのことよ。

 ――次は、まずは私とルドベキア。いいわね?」


 覚えてるわね? と言わんばかりに尋ねられ、みんなが頷く。


 見事に無言。

 返答に割くだけの精神力の余裕がないのがよく分かる。


 アナベルなんて、今日までにありとあらゆる最悪の事態を列挙して、カルディオスと五回くらいは喧嘩になっていたというのに、まるでそれよりも悪い事態を想定しているみたいな悲劇的な顔。

 悲観主義もここまでくれば、もういっそ一本筋が通っているといえるだろう。


 そのまま、一切何も言わず、みんなが予め決めてあった方へ下がっていく。

 物見台を中心に広がる小さな廃村の、平屋建ての家々の向こうや上に姿を隠していく。


 剥がれたり欠けたりした、古びた敷石を踏む足音も、すぐに聞こえなくなった。



 ――地下からの出口のある広場に残ったのは、俺とトゥイーディアだけ。



 みんなが散るのを見届けてから、トゥイーディアの飴色の目がすっと動いて、俺を見た。


 世界で一番尊い瞳の中に、間近に自分が映り込んでいるのを、俺は見た。


「いいわね?」


 重ねた問われたその語調は、今度は、「喧嘩にならないようにしようね」と言わんばかりの口調だった。


 俺は頷き、素っ気なく呟く。


「――おまえが俺を突き刺さない限りは大丈夫だろ」


 ふ、とトゥイーディアが微笑んで、半ばを結い上げた蜂蜜色の髪、その後れ毛を耳に掛けた。


「みんなと違って返事をしてくれて嬉しいわ、ルドベキア」


「――――」


 途端に黙り込んだ俺に、トゥイーディアは肩を竦める。


 黒い外套に包まれた、華奢なその双肩。

 今生において救世主の名を背負う肩。



 ――俺に、みんなと違って返答に割くだけの余裕があるのは、



 絶対に伝えられないその言葉を、俺は胸の中で転がす。



 ――()()()()()()()()()()()()、トゥイーディア。




 トゥイーディ、イーディ、ディア。おまえはいつだって、俺にとっては万能の妙薬にも等しい存在なんだ。





◇◆◇





 どうやら隧道の出口らしい場所まで来て、おれは腕を組んだ。


 ――見上げれば、竪穴の向こうに上げ蓋が見える。

 あの向こうが地上だろうが、


「……昇るのも面倒だな」


 呟いて、おれは一歩下がった。



 ――それから意味もなく左手の人差し指を振って、下がった分の一歩を踏み出し、


 ――しゃらん、と、聞き慣れた音が、





◆◇◆





 しゃらん、と(さや)かな音がして、俺とトゥイーディアは一瞬、現実を見失って一様に瞬きした。



 ――上げ蓋は動かなかった。

 目を離していなかったのだから、それは誓って言える。



 それなのに、――なぜ、どうやって。



 上げ蓋に、汚れひとつない深青色のガウンを纏った魔王ヘリアンサスが、寛いだ風情で足を組んで座っていた。


 一瞬前まではそこにいなかったというのに、確固として。

 まるで最初からそこにいたかのように。



 川から吹く穏やかな風が、新雪の色の髪を揺らした。

 煤ひとつ、焦ひとつない、眩しいほどに白い――その髪。



 黄金の目を細めてにっこりと笑って、ヘリアンサスは軽く手を振った。

 その手首で、しゃらん、と空色の宝石を連ねた腕輪が鳴った。


「――やあ」


 物柔らかに中性的な声でそう言って、ヘリアンサスは立てた膝に頬杖を突く。

 瞳は間違いようもなく、俺を映していた。


「先日ぶりだね、ルドベキア。――それはそうと、」


 俺から視線を外さず、ヘリアンサスは首を傾げた。

 黄金の目がわざとらしく瞬く。


「……カルディオスはいないの? てっきり、六人勢揃いしているものと思っていたけれど。――それともどこかにいるのかな」


 そう言いながらも、ヘリアンサスは周囲を見渡すことさえしなかった。

 こちらの返答を待つこともなかった。


 空いている方の手をひらりと動かして、肩を竦めてみせる。


「そうそう、呼んでおきながらいきなり火を点けるのは、礼儀に適っているとは言えないよ、ルドベキア。――でも、ねぇ。きみのお母さんは、そういうことは教えてくれなかったものね、仕方ないか」


 ――俺に母親はいない。

 少なくとも、物事の善悪を俺に教えた母親はいない。


 いや、そんなことよりも。


「――ああ」


 俺の慄然とした表情を、あちらは余裕綽々に見据えて、ヘリアンサスは頬杖にいっそう深く顎を預けながら、まるで行き届かない子供を窘めるが如き表情で。


「別にこの魔法は、そっちの銀髪の専売特許じゃないよ。

 きみたちが絶対法に開けた穴は、全部、僕のものだ。言ってなかったっけ」


 この魔法――即ち瞬間移動。

 コリウスだけが使えるはずの、念動の最高峰の魔法。


 ようやく俺にのみ注がれていた視線を翻し、声すら出さない俺たちを見渡して、ヘリアンサスは頬杖を外し、億劫そうに立ち上がった。


 足許の、欠けた敷石に転がっていた小石を軽く蹴って、揶揄(からか)うような微笑みを浮かべる。


「さて、わざわざ僕をここまで呼んだのは、」


 嗜虐的な笑みに唇を歪ませて、ヘリアンサスはトゥイーディアを見た。

 視線の行方に印がつくのではないかと思うほどに、明瞭な眼差しだった。


 黄金の目が細められる。



「――お茶会ってわけじゃなさそうだね、ご令嬢?」



 トゥイーディアが息を吸い込んだのが分かった。


 そして一歩踏み出した彼女が、軽蔑と憎悪のありったけを籠めて、叩き付けるように言葉を発した。

 細剣の切先が、躊躇いなく持ち上げられてヘリアンサスを指す。



「――おまえが遺言に拘らないのなら、言葉を選んで話せとは言わないわ」



 弾けるように笑い出して、ヘリアンサスは手を叩いた。


 大きく一度。

 まるで舞台を監督するかのように。


 そして、面白くてならない見世物を目にしたかの如き表情で、今度は俺を見た。



 歪んだ鏡面のような黄金の瞳に、俺は俺が知る感情を見付けられない。



 そのまましばらく俺を眺めてから、ヘリアンサスは呟いた。幾分か小さな声だった。



「――決まり切った台本なのに」



 俺は息を吸い込んだ。


 足を踏み出して、トゥイーディアに並ぶ位置に立つ。

 軍靴の下で剥がれた敷石がじゃりりと鳴る。



 そして、応じた。



「――悪いが、俺たちの運命は無銘だ」



 ヘリアンサスの表情が、すっと失せた。






 ――俺たちの人生で初めて、勅命のない魔王討伐が幕を開けようとしていた。

















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