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77◆ 死角があるとすれば

「魔王を殺しましょう」


 と、トゥイーディアが言った。

 抑揚のない声に、張り裂けんばかりの怒りが籠もっていた。



 ――合葬儀の日の、その夜のことだった。


 俺たちはトゥイーディアの部屋にいて、端から見れば、まだ本調子ではない仲間を心配して集まったようにも見えているかも知れない。



 全員がラフな部屋着を身に着けているので、俺はあんまりトゥイーディアの方を見ないようにしていた。

 トゥイーディアは黒いレースをあしらったネグリジェを着ていて、その上からガウンを羽織っていたものの、いつもより寛いだその格好に、俺の内心が穏やかであるわけもないので。


 トゥイーディアとカルディオスは並んで寝台に腰掛けており、カルディオスがトゥイーディアから受け取った救世主専用の武器を、小刀の形にして矯めつ眇めつし、手の中で引っ繰り返したり灯火の明かりに翳したりしている。

 ディセントラとアナベルは円卓の傍の背凭れのついた椅子を寝台の方に向けて腰掛け、アナベルが膝に手を置いて背筋を伸ばしているのに対して、ディセントラは足を組んで指を絡めた手をその膝に置いた姿勢。

 コリウスは丸椅子に腰掛け、円卓に優雅に肘を突いている。

 俺はといえば、扉の傍の壁に凭れ掛かるようにして立っていた。トゥイーディアからは一番距離のある位置である。



 トゥイーディアの言葉は予想されたところだったし、第一、今日はその言葉を聞くために、暗黙の了解で集まったようなものである。


 それに、俺たちだって死ぬのは怖いのだ。


 正確にいえば、死ぬに至るまでの痛みや苦しみが怖い。

 経験しているだけに余計、想像が及ぶがゆえに恐ろしい。



 だからこそ、この機を逃せばヘリアンサス討伐の機を完全に失することにもなりかねない。


 この中の、みんなとは言わずとも何人かが、死ぬのを厭えばそうなるんだから。



 ――そんなわけで俺たちは各々頷いたが、それから一拍の間を置いて、アナベルが真顔で言った。


「――まあ、今まで殺せたことはないけどね。いつも真逆の結果に落ち着いているわけだけど」


 こいつのいつもの悲観論に、張り詰めていた空気が緩んだ。

 平常運転のやつがいると安心するね。


 張り詰めた気持ちのまま、前のめりに作戦を立てたっていい案が浮かぶはずもないので、これはアナベルも狙って言ったのかも知れない。


「アナベル、おまえさあ」


 武器を観察していた目を上げ、カルディオスが大仰に嘆息する。


 それを、ぽんぽん、と彼の膝を叩いて宥めて、トゥイーディアが唇のみでにこりと微笑んだ。


「カル、いいから続けてね。――今回はいつもとちょっとは違うじゃない。何しろ馬鹿みたいな魔力量の人間が二人いるし」


 ね、と微笑み掛けられたのは俺で、俺はトゥイーディアのその顔を脳裏に刻んで仕舞っておいた。

 とはいえ示した反応は、素っ気ない頷きひとつである。


 はあ、となぜか溜息を吐いて、ディセントラが額に指を当てた。

 なんなんだ、いつもうるさく言うのはカルディオスなのに。


 トゥイーディアは、俺の無礼な反応にもディセントラの謎の反応にも、一切興味を示すことなく、隣のカルディオスを見て柔らかく微笑んだ。


「――それに、カルに()()()()()頼むのも初めてだしねぇ」


「そうだねー」


 武器を注視して、上の空といった様子でそう応じつつ、カルディオスは返事がおざなりになったことを埋め合わせるかのように、トゥイーディアに軽く肩をぶつけた。


 ぐらん、と押されて揺れたトゥイーディアが、「もう」と呟きながら同じく肩でカルディオスを押し返す。



 ――なんか、仲良くないか……?



 思わず、深刻過ぎる議題から遥かに逸れたことを俺は考えた。考えてしまった。



 ――いや、いつも、トゥイーディアとカルディオスは兄妹みたいに仲がいいけど。

 でもなんというか、輪を掛けて。いつもよりだいぶ距離が近くないか……?



 今更この二人の関係が、何がどうこう変わるはずもないと高を括っていたが、もしかして俺の読みは外れてた?

 カルディオスが甲斐甲斐しくトゥイーディアに付き添ってる間に、この数百年引っ繰り返らなかった関係が引っ繰り返ったのか?


 そう考えて、俺は内心でさあっと冷や汗。


 ――やばい。カルが相手なら俺に勝ち目はない。

 いや、勝ち目云々の前に、俺はトゥイーディアに気持ちを告白できないんだけど。

 気持ちに気付いてもらいようがないんだけど。


 でもそれにしたって……。


 傍目には平生変わらぬ仏頂面ながら、俺は素早く考えた。というか、想像した。



 ――もし仮に、トゥイーディアとカルディオスが恋仲を宣言したら……?



 嫉妬に胃の腑が捩れたが、その一瞬後、俺の想像の中のカルディオスがアナベルに蹴り倒された。


 思わず内心で手を打つ俺。


 そう、そうだ。大事な友達であるトゥイーディアが選んだ相手が、女癖の悪さは折り紙付きのカルディオスならば、アナベルとディセントラがカルディオスを五回くらいは血祭に上げるはずだ。

 さすがのコリウスも苦言を呈するだろう。



 ――大丈夫だいじょうぶ、大丈夫のはず……。



 内心で呪文のように唱える俺。


 トゥイーディアに対する恋心は、もはや俺の行動原理の根幹――全ての気持ちの(かなめ)となっているので、トゥイーディアが横から掻っ攫われでもしたときの自分の精神状態が今から心配である。


 いや、トゥイーディアが本心から選んだ相手なら応援するけどさ……。

 トゥイーディアが幸せになるなら血涙を呑むけどさ……。

 トゥイーディアがちょっとでも顔を曇らせることになったら、相手を殺しに行くに吝かではないけど。

 トゥイーディアに惚気でも聞かされた日には、嫉妬と絶望の余りにそのままどこかに身を投げに行きかねないけど。


 トゥイーディアはよく、冗談交じりにディセントラの美貌を羨ましがるが、トゥイーディアは可愛いのだ。


 俺が心底から彼女に惚れているというのもあるけれど、顔立ちは十人並みとはいえ整っているし、そこに載る表情がめちゃくちゃ可愛いからね。

 仕草がいちいち可愛いからね。

 目の細め方から指先まで、俺は大好きだからね。


 これほど可愛いトゥイーディアが、今まで一度も言い寄られたことがないなんて、そんな馬鹿な話はないだろう。

 俺が知らないだけで、そういう場面はあっただろう。


 俺にとってはひたすらに幸運なことに、トゥイーディアは恐らくその全てを袖にしているが。


 だがそれにしても、このままずっと一生、彼女が俺同様にお独り様の道を選ぶかは分からない。


 覚悟は常にしておくべきだ。



「――で、ねえ、出来そう?」


 と、トゥイーディアがカルディオスに尋ねる声で、俺は我に返った。


 思わず瞬き。

 そうだ、今は大事な話の途中。


「んー」


 カルディオスは考え深げに唸って、小刀の形にした武器をくるくると回した。

 準救世主の手の中で、黒く色を沈める救世主専用の武器。


「出来るとしても、たぶん劣化版になるだろうね。俺がちゃんとした救世主なら話は違っただろーけど」


 肩を竦めるカルディオスに、トゥイーディアは真面目な顔を作って。


「それは大変。カル、ちょっとだけ私と替わろうか」


 カルディオスも真顔を作って応じた。


「おー、そうだな。イーディ、ちょっと俺にその席譲って」


 そう言って、ふふっと顔を見合わせて笑う二人。


「なに馬鹿なこと言ってるの」とアナベルが冷淡に呟く一方、俺は徹底的な無表情でそれを見ていた。



 ――やっぱり、いつもに比べても仲がいい気がする……。なんで? なんで?



 内心で冷や汗を滲ませながら混乱する俺の気持ちなど、無論のことこの世の誰にも伝わるはずもなく。


「おまえたち、話を進める気があるのか?」


 コリウスがばっさりと切って捨て、途端にトゥイーディアとカルディオスはわざとらしくも身を縮めてみせた。


「はい、ごめんなさい」


 カルディオスが肩を竦めて、手にした小刀を軽く振った。


 途端、華奢な指輪に姿を変ずる武器。


 この武器を、トゥイーディアが腕輪や指輪の形にするときは、単なる輪っかの形にすることが多い。多分、形状に対する拘りがないことが反映されるのだ。

 アナベルも例に漏れず、ディセントラでさえ、洒落た形にすることはあんまりない。


 だが今、カルディオスの手の中にころんと現れた指輪は、蔦を模した凝った意匠だった。


 ――カルディオスは昔から器用で、物作りも得意だった。こういうところにもそれは表れる。


 掌の上に転がった黒い指輪を、カルディオスが恭しい仕草でトゥイーディアに差し出した。

 並みの美形がやれば気障にしか映らないその仕草を、カルディオスの天与の美貌が途轍もなく洗練されたものに見せていた。


 トゥイーディアが、指輪を受け取ろうとして手を差し出す。

 その手をきゅっと握ったカルディオスが、鮮やかな手付きでトゥイーディアの手を引っ繰り返して甲を上にし、そのままトゥイーディアの小指に指輪を嵌めた。


 途端、正当な救世主の手に移ったことを反映して、黝く煌めきを放つ指輪。



 ――代償ゆえに俺の表情は変わらなかったが、代償さえなければ、マジでカルディオスを殴っていたかも知れなかった。


 カルディオスは何も悪くないんだけど、男の俺から見ても格好良すぎた。

 今のカルディオスの格好が、ラフなシャツを身に着けたものであるということも相俟って、いつも以上に色気すらあった。


 俺がカルディオスをこの瞬間に殴れていたとしたら、その動機は十割が嫉妬だ。


 俺だってトゥイーディアにそういうことしたい。

 トゥイーディアと一緒に出掛けて、彼女に似合う装身具とかを見繕える機会が一回でも訪れるなら、俺はヘリアンサスに一人で挑んだっていい。


 ――そう内心で叫ぶ俺のことなど、誰一人として関知するはずもない。



 トゥイーディアは指輪をちらっと見てから首を傾げて、「ねえ、カル」と。


「すっごくぴったりの寸法なんだけど、なんで?」


「――おかしいな」


 と、カルディオスはカルディオスで、お道化た風に腕を組んで顎に手を宛がう。


「俺がこんなことしたら、女の子はそれはそれは喜んで、顔を真っ赤にするもんなんだけど」


 トゥイーディアが噴き出すと同時に、アナベルが自分の履いていた靴をカルディオスに向かって投げ付けた。間違いなく下衆を見る目をしていた。


 狙い違わず、アナベルの室内履きがカルディオスの脛に命中する。

 躱すことも出来ただろうにそれはせず、「いってぇ!」と叫んで制裁を受けるカルディオス。


 ――俺は思わず内心で、アナベルに向かって拍手喝采した。


 大仰に叫んだものの、カルディオスは寝台から滑り下りて屈み込み、転がった柔らかい靴を拾い上げた。

 そのまますっと跪いて、まるでお姫様にするみたいに、アナベルの足に靴を履かせる。


 アナベルもアナベルで、当然のようにそれを受けた。


 とはいえカルディオスは、別にカッコつけてそうしたわけではないようで、仕草こそ気品に溢れていたが、表情は仏頂面だった。


「いってーな、アナベルって容赦ねーよな」


 などとぶつぶつ言いつつも、トゥイーディアの隣に戻ったカルディオスは、彼女に向かってにっこりした。

 そして少々胸を張り、


「指輪の大きさね。指の寸法くらい、手ぇ握れば分かるよ。贈り物に指輪は王道でしょ。

 いちいち指の寸法測らせてもらうなんて野暮なこと、俺、しないもん」


 ――そうなの? そんなんで指の寸法なんて分かるもんなの?


 俺は思わずびっくりした顔を晒した。


 コリウスが眉間を押さえて苛々と溜息を零したが、俺の反応を視界の端っこに捉えたらしいアナベルが、なぜか機嫌を直した様子で頬杖を突き、足の爪先をぴょんっと跳ねさせた。


 とはいえ、今度はディセントラが、カルディオスに向かって指を突き付ける。


「カルディオス、今まであんたが私に掛けてきた迷惑を償ってから、そういうことで胸張ってくれる?」


 カルディオスが面倒な性格の女の子を引っ掛けてしまったとき、体よく盾にされるのはディセントラだった。

 ディセントラとしても、そろそろうんざりしているんだろう。


 カルディオスは翡翠の目を見開き、罪のない風を装って両手を上げた。


「えっ、だって、大抵の子はトリーを見たら諦めてくれるんだもん。おまえが美人だからだよ、胸張っていいと思うよ」


「は? あんたに言われるまでもなく、鏡を見れば一目瞭然だけど?」


 売り言葉に買い言葉といった風情で言い切って赤金色の髪を肩から払い、ディセントラは大きく溜息を吐いた。


 同時に特大の溜息を落として、コリウスが指先でとんとんと円卓を叩く。


「――話を進める気があるのか、おまえたち?」


「コリウス、おまえのそういう、いつでも漏れなく冷め切ってるとこ大好きだよ」


 カルディオスが、皮肉か本気か分からない語調でさっさと答え、コリウスは軽く肩を竦めた。

 銀髪に灯火が反射してきらきらしている。


「それはどうも。――トゥイーディア、具合は」


 唐突かつ端的に尋ねられて、トゥイーディアがきょとんと目を瞠った。


「え?」


 一瞬だけ戸惑ったように瞳を瞬かせて、それからトゥイーディアは大きく手を振った。


「ああ、大丈夫、大丈夫よ。少なくとも戦闘中に倒れることはないわ」


「そうか?」


 と、濃紫の目を眇めて、コリウスはどことなく疑わしげに。


「――今日も少しふらついていたが」


 これ、これな。

 冷めてる風で、コリウスもちゃんと仲間のことは見てる。

 こいつはいい奴だ。


 トゥイーディアはコリウスから視線を逸らし、曖昧に笑った。


「ああ、まあ……今日は」


 コリウスはふいっとトゥイーディアから目を逸らしたものの、彼女に向けた言葉を放った。


「――おまえは物事を深く考え過ぎるね」


「そーだよ、イーディ」


 カルディオスがトゥイーディアの頭を撫で、トゥイーディアはじゃれてくる猫を退かすみたいな手付きでその掌を払った。


 そんな様子を目の端に捉え、本日何度目か分からない溜息を落として、コリウスは疲れたように呟いた。


「――おまえは物事を考えなさ過ぎるな、カルディオス」


 カルディオスはむっとしたようにコリウスを見て、右手の親指と人差し指をぴんと立て、人差し指でコリウスをびしりと指差した。


「スカした態度もそこまでだ、コリー。一回でもあの大号泣を晒したおまえに、今さら格好つける余地はねーぞ」


 コリウスは濃紫の目をすっと細めてカルディオスを見た。


 よく知らない奴が見れば、怒ったんじゃないかと思うような表情だったが、俺たちには分かる。

 これは決まり悪さゆえの照れ隠しだ。

 再会のときにほぼ全員に向かって醜態を晒したことがあるのは、俺とコリウスくらいなものだ。


 カルディオスも無論、コリウスの表情の機微は分かるから、にやっと笑って手を下ろした。


 それをちゃんと見守ってから、ディセントラが両掌を合わせてみんなの注目を引き、全員の視線が自分に向いたことを確信して指を一本立てた。



「――場所はもう決まってるでしょ」



 全員、すっと真顔になった。


 俺たち五人が頷くのを見てから、ディセントラが首を傾げる。

 灯火を弾いて光る赤金色の髪が肩を滑る。滑らかな頬に灯火の明かりが照り映える。淡紅色の瞳が光を弾いて、薔薇そのものの色に映る。


「次の問題は、“いつにするか”ってことなんだけど」


「早ければ早いほどいい」


 トゥイーディアが静かに言った。

 万感の憎しみが籠もった声だった。


 アナベルが、そんなトゥイーディアを気遣うように薄紫の視線を向ける。

 それに気付いて、トゥイーディアはどうしてだか申し訳なさそうに眦を下げた。


 カルディオスも、危ぶむような眼差しで隣のトゥイーディアを一瞥した。


 コリウスとディセントラが顔を見合わせて、それからコリウスが呟くように。


「――確かに、そうだな。今はガルシアも混乱している。事を起こすならば今のうちだ。僕たちの目的が露見すれば、下手を打てば僕たちとガルシア側で揉め事になりかねないからね。

 ――何しろ、今のヘリアンサスは要人だ」


 俺以外の全員が、思いっ切り渋い顔になった。


 ヘリアンサスがトゥイーディアの婚約者であるということを思い出したからだろう。


 俺は一段とヘリアンサスに対する殺意を募らせたものの、それが顔に出るようならば苦労はない。

 傍目には一人だけ平然としている薄情な奴だ。



 ――コリウスの言うように、現在のガルシアは混乱の極致にある。

 壊滅した街区の整備に当たらねばならないし、合葬儀は終わったとはいえ、瓦礫の下敷きになっている遺体はまだあろう。

 そういった捜索にも当たらねばならないうえ、史上類を見ないほどに大量発生したレヴナントに対する市民の恐慌は予想以上。


 かつ、レヴナントの警戒に重点を置こうにも、そもそも隊員の数が減ったうえ、生き残った隊員たちも意気消沈しているという悪循環。


 そんな中で、救世主である自分たちにどれだけの期待が懸かっているのか、俺たちは分かっている。


 分かっていてなお、その期待に応えることよりも、ヘリアンサス討伐を優先することを選んだ。



 ――レヴナントが(おこり)のように発生するものであるならば、その病巣はヘリアンサスだと判断したからだ。


 そしてそれ以前に、救世主としての俺たちの本能が、魔王ヘリアンサスの討伐を、人生で為すべき唯一のこととして位置付けているから。



「――問題は、()()をどうやって()()()に引っ張り出すかだけど」


 指示語の多い言葉を述べたのはアナベルだ。

 ちら、と円卓越しにディセントラとコリウスを見る彼女の意図は明白で、「考えるのは任せた」といったところだろう。



 俺たちは六人でずっと生きてきたから、割とそれぞれの担当分野が明確化されていて、他のやつに任せることが出来る分野については、敢えて磨いてくることもなく放置してきた。


 頭脳労働についてはディセントラとコリウスに投げることが出来るから、俺はもちろん他の三人にも、それぞれちょっと間の抜けたところがあるのはそのせいだ。

 尤も、トゥイーディアは才女だけどね。抜けてるところがあったとしても可愛いけどね。


 俺はまだマシだけど、コリウスもアナベルも無愛想極まりなく今まで生きてきたのもそれゆえである。

 愛想を振り撒くのはカルディオスやディセントラ、場合によってはトゥイーディアに任せることが出来るからね。



 ディセントラもコリウスも、知恵を絞る担当になっているのは今に始まったことではないので、当然の顔でお互いに視線を交える。


 俺からすれば、「まず俺たちが直接あいつをどうこうして誘い出すべきか」みたいなことから考えなきゃならない気もしてくるわけだが、この二人は同じレベルで頭が回るうえに付き合いも長いので、あれこれの前提条件を、もはや言葉にせずとも共有しているらしい。


 二人の会話には、前段を全て飛ばして会話の途中から開始するみたいな不自然さがありながらも、歯車が噛み合っているような安定感がある。


 無言でディセントラと頷き合って、コリウスが自分とカルディオスを端麗に整った指先で示した。

 その仕草が、灯火の明かりを受けて影絵のように壁に映った。


「――僕かカルディオスだ。それは確定している」


「そうね、でもまず、あいつに他の予定があると、その予定が狂ったことからあれこれ露見しかねないわ。

 私たちがあいつを殺しに掛かってるときに、あいつを捜しに来たガルシアの人と鉢合わせるなんて悪夢より悪いでしょ」


 突然の指名にびびった顔をするカルディオス(恐らく、自分がヘリアンサスを誘い出す役をやらされるのではないかと思っているのだ。俺も因みにそう思った)の隣で、トゥイーディアが、「話の内容は分かりませんが」みたいな顔ながらも挙手した。


「ヘリアンサスの予定なら、私が――っていうか、メリアが大体知ってるけれど」


「そうなの?」


 アナベルがきょとんと首を傾げた。

 薄青い髪がさらっと揺れる。


 それを見て、トゥイーディアは曖昧な笑顔。


「……一応、婚約者だから――」


 途端、いつもに輪を掛けて無表情になるアナベル。


「あら、ごめんなさい」


 下品な言葉を零してしまった後のようにそう言って、ややわざとらしくも背筋を正すアナベル。


「――じゃあ、明日でもいいから、メリアさんに他の人の目があいつに届かない日を聞いておいて。……といっても、今なら予定は殆ど全部白紙になって、毎日空白だろうとは思うけれど」


 神妙な顔でそう言うディセントラに、トゥイーディアはこくりと頷く。



 素直なその仕草が、年齢以上に幼いものに映ってめちゃくちゃ可愛かった。


 トゥイーディアはときどきこういう、あどけない仕草をすることがある。

 そしてその度に、俺の心臓を可愛らしさで殺しに掛かる。


 今も、まるでトゥイーディアの周囲にだけ、別種の光が差し込んでいるかのような。



「日にちが決まりさえすれば、あとは大体の仕込みは()()()()に終わってるわけだし、仕上げは――」


「僕が行くしかないね」


 ディセントラの言葉を引き取ってコリウスが締め括り、ふう、とややわざとらしく息を吐いた。


「僕なら()()にも露見せずにあそこまで行くことも出来るし、――それに、罷り間違ってカルディオスを行かせるよりはおまえたちも安心だろう」


 後段はまあ冗談だが、俺たちは思わず噴き出した。


 肩を震わせるトゥイーディアの隣で、カルディオスがわざとらしく拳を振り被る。

 その仕草の影も、灯火によって大仰に背後の壁に映し出された。


「どーいう意味だよ、コリウス!」


 コリウスは素っ気ない。


「おまえは可愛げがあっていいという話だ。――だが、とはいえ」


 俺たちを均等に見回して、コリウスは眉間に皺を刻んだ。


 こいつはいつもこんな顰め面をしているので、もしも歳をとることがあったならば、眉間に大海溝くらいの皺を刻んだ老人になっていきそうだ。


「あの罠だけでヘリアンサスを殺せるなら、僕たちは数え切れないほど殺されたりはしていないぞ」


「そうねぇ」


 ディセントラが視線を泳がせて、それから状況を整理するかのように指を立てる。


「……今回はいつもとは違うの。こっちには(のり)を超えられる人間が二人いる。――戦場も、今回は私たちが選べる。それに、()()()もいるしね」


 “あの子”というのがムンドゥスを指していることは、言うまでもなく明らかだった。



 ――確かに今回は、俺とトゥイーディアの二人が他より飛び抜けた魔力を持っているうえ、いつもは否応なく魔王の城の大広間が戦場になるところを、俺たちが戦場を選ぶことが出来る初めての好機だ。


 更に言えば、俺が魔王として生まれてしまったせいで、ヘリアンサスは現在()()()()()()

 いつもあいつを隙なく守っていた魔王の権能は、恐らく機能しない。


 ――そのはずだ、たぶん。

 俺たちの固有の力ですら自由に使うあいつには、もしかしたら今も魔王の権能を使用する何某かの手段があるのかも知れないけど。



「…………?」


 ――あれ、俺、なんか大事なことを忘れてるような……。



「――ね、あれは? あの、五回くらい前の人生で流行ったでしょう、()()を応用すれば――」

 

トゥイーディアが挙手して意見を述べ、俺は内心でうっかり微笑んだ。

 ――そういえばトゥイーディアは()()が気に入っていたっけ。


「そうねぇ――」


 ディセントラも、ちょっと微笑んでトゥイーディアに向き直る。

 ぎっ、と椅子が軋んだ。



 ――そしてそのとき、俺は思い出した。

 思い出して、さあっと血の気が引いた。



 この上なく重大なことをみんなに話すのを忘れていた。



 頭に落雷を喰らったような気持ちで、思わず俺は「あっ!!」とでかい声を上げた。



 ――静まり返る室内、集まる視線。


 この世の終わりみたいな顔をした俺に、眉を寄せたコリウスが一言。


「……どうした」


「マジでほんとに悪気はなかったんだけど、報せてなかったことがある。ごめん」


 思いっ切り早口でそう捲し立てて、俺は懺悔の面持ち。



 ――言い訳をするなら、トゥイーディアの重傷があったから、俺もその直前の出来事は頭から飛んでいたのだ。



「……どしたの?」


 と、カルディオスが絵になる仕草で首を傾げ、足を組む。


 ――勿体ぶっても仕方ない。


 俺は思わずその場に膝を突いて、誰とも目を合わせずに、口早に言い切った。


「――ヘリアンサスの機嫌次第で、俺たちは魔法も使えなくなる可能性がある。

 本人にはっきり言われたんだけど、あいつは俺たちの魔力も、ある程度は自由に()()()()出来るらしい」


 一瞬の沈黙。


 全員が受けた衝撃に、空気が軋む音すら聞こえそう。

 五人が同時に瞬きしたので、ぱちん、という音が聞こえてきそうでさえあった。


「――……ごめん……」


 床に手を突く俺。


 報せるのが遅くなってごめん、という意味なのか、こんな戦意を削ぐような事実を報せてごめん、という意味なのか、俺本人にもよく分からない謝罪だった。


 謝罪を受けて、もはや反射のように、「いや……」とトゥイーディアが言い差したが、二の句が継げないのか、そのまま口をぽかんと開けてしまう。

 めちゃくちゃ可愛いけど、さすがの俺も、「可愛いなあ」と見惚れることは出来ない状況。


 そののち、息を吸い込んだアナベルが、極めてきっぱりと言った。


「――これで決まったわね。あたしたちは今回もあいつに殺されそうね」


「残念ながら異論ないな。これでは相討ちも難しい」


 コリウスもまた、明瞭に断言。


 別に俺が悪いわけじゃないんだけど、思わず膝も手も床に突いたまま項垂れる俺。


 誰一人俺の言葉を疑わない辺りが、長年築いた信頼の賜物と言えなくもないけど。


「……いや、待って、今までそんなこと一回もされなかったじゃない?」


 ディセントラが辛うじてそう言ったものの、誰の言葉も待たずに自己完結。


「――いや、そんなことするまでもなかったってことね……」


 カルディオスはといえば、衝撃が過ぎたのかむしろ冷静な顔で、しかし翡翠色の目に、明確な無理解を宿していた。

 この顔、こいつ、なに言われたのか分かってねぇな。


 一気に沈鬱な雰囲気になった俺たちの中で、しかし、はたとトゥイーディアが手を打った。


「待って、大丈夫だと思う」


「はあ?」


 わざとらしく目を剥くアナベルは、まあ致し方なしと言うべきか、相当に虫の居所がよろしくない。


 それを、「まあまあ」と宥めて、トゥイーディアは指を立てた。


 その仕草ひとつで、俺の心を絶望から救うに足る一本指。


「――ディセントラも言ったでしょ、今まであいつは、その切り札は使ってこなかった。

 むしろあいつからすれば、私たち全員を魔法が使えない状況にした上で、首を折るなり頭を潰すなりしていった方が、()()としては遥かに楽だったはずでしょう。

 でも、それをしなかったということは、」


 理路整然とそう述べて、トゥイーディアは言い切った。



「私たちがあいつを殺そうとするその過程も、あいつは楽しんでるってことでしょ」



 コリウスが思いっ切り顔を顰めた。

 俺も同様。


 いや、まあ確かに、ヘリアンサスは今まですっげぇ楽しそうに俺たちを殺してきたわけだけど……。


「しかも今回は、輪を掛けて楽しもうとするはずだわ。これまでのあいつの振る舞いから、それは絶対。

 ――だからいきなり、私たちが纏めて戦闘不能にされることはないと思う」


 そのときになってようやく、カルディオスが諸々を噛み砕いて呑み込んだかのように、大きく目を見開いた。

 その様子を横目に見つつも、トゥイーディアは冷静に。



「――今回に限っていえば、私たちに有利な要素が多いの。

 私もルドベキアも魔力量が多い。戦場は私たちが選ぶことが出来る。

 切るべき手札もいつもよりは多い。仕込んである罠と、――さっき私がちょっとだけ言った提案も、詰めて使えるようになればいいし。それにカルにお願いしてあることと、――()()()と」



 灯火の明かりが揺れて、トゥイーディアの飴色の目に橙色の濃淡が揺蕩う。



 ――決然とした面差し。

 何があろうと絶対に折れることはないと、全世界に向かって宣言するような――俺の尊敬する救世主の顔。その瞳。


 存在そのものが闇夜の灯火のようなトゥイーディア。



「あいつが私たちより強いのもそうだけど、あいつが私たちにどんな影響を及ぼすことが出来るにせよ、それは今までも変わらなかったことのはず。

 ――だから、大丈夫。あいつと私たちの間に、天地に等しい差があったとしても、その差は今生においては縮まっているはずのものだから」



 凛とした語調でそう言って、トゥイーディアは立てていた指をぐっと拳に握り込んで、呟いた。



「――確かに私たちはあいつに、手傷の一つもつけられたことはない。

 でも、それでもあいつに、死角があるとすれば、――それは、」
















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