69◆◇ガルシア戦役――歴史に刻む
大雑把な感覚で、ガルシアの南――本来であれば、市街と外部を繋ぐ門があった場所辺りで、俺は結構死ぬ思いをしながらもレヴナントの群れを抜け、トゥイーディアたちと――謂わば――レヴナントの群れを挟む位置に立った。
そうしてから気付いたけど、多分、トゥイーディアの指示の詳細としては、レヴナントとは接触しないように大回りでこの位置に立てってことだったんだろうな。
単身でレヴナントの群れの中に突っ込ませることはさすがにしないって、はっきり言ってたわけだし。
馬鹿正直にレヴナントの群れに突っ込んだ俺が、余りにも愚直すぎたのだ。
爆炎はトゥイーディアからもくっきり見えていただろうから、もしかしたら、「何やってんだあいつ」って呆れられたかも知れない。
でもレヴナントを相当数斃したのは確かだから、まずはそこを褒めてほしい。
いや、トゥイーディアとカルディオスの方が、明らかに数としては大量にレヴナントを斃してるんだけど。
息を荒らがせ、俺は汗ばんだ額を外套の袖で拭った。
その拍子に袖が蟀谷にも触れて、どこかのタイミングで蟀谷が切れていたらしく――全然気付かなかった。レヴナントの足許を爆発させたときに瓦礫の破片が吹き飛んでくることもあったから、そのときだろうか――、上等な羊毛に血が付いた。
これは一応借り物だけど、カルディオス曰くくれるらしいし、そもそももう焦げたり穴が開いたりしているので、もはや何の遠慮もない。
レヴナントは数体が俺の方を見ていたが――いや、見ているという表現が正しいのか分からない、だが少なくとも俺の方へ眼のない貌を向けていた――、残る大部分はこちらに背を向け、何かに呼ばれているかのように市街へ押し入ろうとしていた。
薄墨色の巨人が数十体、群を成してゆらゆらと歩みを進める様は、むしろ壮観ですらあった。
俺から見て右手――俺が来た方向で、なおも燃え続けている爆炎が連中の背中を橙色掛かって見せている。
炎を避けるように、だが群が進む大筋の道は一切外れずに、レヴナントは滑るように進んでいく。
――つまり、俺が出来る限りこちらにレヴナントを引き付ければ、その分だけトゥイーディアとカルディオスの負担は軽くなるということだ。
カルディオスは何度も巨岩を落としているが、徐々にその数は少なくなっている。
準救世主である今生において、カルディオスの魔力量は常人を大きく上回るが、それでも俺やトゥイーディアには一段劣る。もうそろそろ限界だろう。
石だとか水だとか、そういう無生物を〈実現させる〉のは、植物を生やしたりするよりはまだマシだと過去に言っていたこともあったが、それにしても限度がある。
因みに、最も負担が軽いのは実体のない幻影らしい。とはいえレヴナント相手に幻影は、何の役にも立たないものだろう。
こちらを見下ろすレヴナント数体が、おもむろに手を挙げた。
まるで、人が蝿を叩き潰そうとしているかのような、そんな仕草だった。
だが生憎と、俺は蝿と違って逃げるばかりではない。
一番近くにいる数体の足許を爆発させる。
仕留めるには至らず、連中が体勢を崩した。振り上げていた手が空を切った。
よろめいたその巨体を、熱波が叩き付けるように後ろへ跳ね飛ばす。
その連中が、先に立つ数体に勢いよく激突した。
巨体同士がぶつかったというのに、奇妙なまでに無音だった――いや、耳を澄ましていれば、そよ風のような音は聞こえたが。
同類が背中にぶつかるに至って、こちらに背を向けてゆらゆらと歩を進めていた数体も、足を止めてこちらを振り返った。
ぶつかられて振り返るその反応は、むしろ人間らしかったが、仕草は人外のそれだった。
肩から下は一切動かさず、首だけをぐるんっと回して後ろの同類を見て、それから首を伸ばすようにして俺を見る。
――ああ、あああ?
複数のレヴナントの、咆哮というよりも何かを確認するような声が、曇天の下で上がる。
俺は指先に付いた水滴を払うようにして左手を振った。
その動作を合図に、数箇所で一斉に火柱が立つ。
その火柱に巻き込まれて、比喩抜きにして宙を舞うレヴナントもあった。
地響きが轟き、瓦礫の中の何かが燃えて、黒い煙が上空に向かって立ち昇る。
――俺は唇を噛んだ。
逃げ遅れた人がいないことを祈った。
そして万が一逃げ遅れた人がいたのであっても、もう既に息絶えていたことを願った。
周囲は既に廃墟としか言いようのない状況だった。
今朝までここに人が住んでいたと言っても、知らない人は信じるまい。
それほどに徹底的に踏み潰された光景を、今もう一度爆炎が襲っていた。
数箇所で火柱が立つに至って、かなり先の方にいるレヴナントまでが足を止めた。
咆哮が曇天を揺らし、列の半ばでこちらへ向かって突進して来ようとするレヴナントが、勢い余って後続と激突するのが見えた。
踏み荒らされた瓦礫が、まるで水面を踏んだときに水が跳ねるようにして跳ねる。
轟音が耳を劈き、俺は顔を顰めた。
またしても火柱。
こいつらに高い知能がないならば、やることは単純だ。
同じ攻撃を繰り返すだけでもいいから、とにかく広範囲のレヴナントを斃すこと。
大音響と共に天を衝く火柱に、またも人形のように舞い上げられるレヴナントの影が見えた。
整然とガルシア市街を目指していたレヴナントの群れが、徐々に、だが確かに翻ろうとしている。
意味のない咆哮を上げながら、こちらを目指すレヴナントの数が増えている。
そういった連中にぶつかられたレヴナントが、連鎖的にこちらを目指すように巨躯を翻すのも見えた。
――あれ? 思った以上にこっちに来てる? いや、別に、その分トゥイーディアが楽になるからいいんだけど……。
面食らって瞬きしたそのとき、劈くような大音響と共に、どこで瓦礫が崩れる音が聞こえてきた。
本能的な警戒心を煽られてはっと顔を上げる。
そして俺は、業を煮やしたように上空に飛び上がり、こちらへ飛び掛かって来ようとしているレヴナントを見た。
――さすが、身の丈数十ヤード。
いや、それもあるけど、それにしても高過ぎるジャンプだな?
そんなことを思いながら、着地を待つまでもなく手を振る。
中空で踊り上がった炎が、レヴナントを火達磨にして叩き落した。
そこから、さながら水が跳ねるようにして範囲を広げていく爆炎。
巻き込まれるレヴナントたちの絶叫が、曇天を揺らさんばかりに轟く。
同瞬、四方八方からレヴナントが飛び掛かって来て、さすがに俺はひやっとした。
言うまでもないが、俺はあくまでもトゥイーディアやカルディオスと、レヴナントの群れを挟む位置に立つのが理想なのである。
カルディオスが降らせる巨岩に潰されないためにもね。
「鬱陶しいな!」
思わず叫び、俺はがむしゃらに突き出されてきたレヴナントの掌を、身を伏せて紙一重で躱した。
そこに今度は、間髪入れずに別のレヴナントが拳を突っ込んでくる。
その巨大な拳を、俺は全身の発条を使って後ろに飛び退ることでぎりぎり避けた。
どごっ! と、ただ瓦礫を殴ったにしては重過ぎる音がして、巨大な薄墨色の拳が瓦礫を抉って吹き飛ばす。
何かの破片――建物の破片なのか城壁の破片なのか、はたまた敷石の破片なのか、それは分からない――が頬と顎を掠めて、ひりつくような痛みと出血の感覚があった。
視界を吹き飛んで過る瓦礫の群れに、本能的に目が細まるが、うかうかしていると殴り殺されてしまう。
ぐらつく瓦礫を強く蹴って、今度は前へ飛ぶ。
体勢を崩しながらも飛び付くようにして、今しも持ち上げられようとしている、先ほど瓦礫を抉ったレヴナントの拳を踏み付けるようにしながらその上に着地――
――ああああ!
巨体からすれば、俺が乗っかった程度のこと、鼠が掌に乗ったくらいのことだろうに、レヴナントはまるで許し難い侵害を受けたかのように吼え猛った。
すかさず、俺を叩き潰そうとするようにもう片方の手が降ってくる。
律儀に叩かれてやる義理はないので、俺は軽く頭を振った――その動作を合図に、振り下ろされてくる掌が爆炎に包まれた。
ぼぐッ、と潰れるような音がする。あらゆる音が入り混じって、そろそろ耳が壊れそうだった。
「――心が狭いって、まったく」
ちょっとふざけてそう呟いたが、よく考えれば俺も、こっちを燃やそうとしてくるような鼠がいたら、全力でそいつを叩き潰そうとするかも知れない。
――まあ、レヴナントにそういう情緒があるとは思えないが。
レヴナントが絶叫し、俺が踏み付けるようにして乗っかっている拳を、勢いよく振り上げ、振り抜いた。
内臓が浮くような気持ちの悪さと同時に、俺は目に映る景色が目まぐるしく変わるのを、変に冷静に見守った。
そう強くしがみ付いていたわけではないから、レヴナントが拳を振り抜いた瞬間、俺はすっぽ抜けるようにして宙を飛ぶ。
――勝った。
思わず内心で呟く。
レヴナントが俺ごと手を振り回すだろうことは予想の範疇であっても、このレヴナントがどっちの方向へ手を振り抜くかは予想が出来なかったので、下手をすればレヴナントの大群の中に突っ込みかねない手ではあったが――勝った。
レヴナントは見事に、市街から離れる方向へ――レヴナントが俺目掛けて集結して来たその場所から、離れる方向へと俺を投げ飛ばした。
耳許を風切り音が満たす。
回転しつつ空中をすっ飛びながらも、俺は無理に身を捩った。
そのまま、背中側の空気を緩衝材にするため、圧縮しながら地面へ――
すたり、と膝を突いて、俺は、我ながら結構かっこよく地面に着地した。
レヴナントの群れからは、およそ二十ヤードほど距離が開いている。
瓦礫の上を脱して、安定した地面にようやっと立てた形である。
それを確認し、さすがに腹の中で内臓が暴れているような気持ち悪さを覚えながらも、俺は即座に立ち上がった。
足許を確かめるように軽くジャンプして、手を叩く。
一度掌を合わせた音を合図に、レヴナントの群れの中の三箇所で、また一斉に火柱が立った。
垂れ込めた曇天を舐めんばかりに高く高く穂先を上げる炎。
レヴナントの絶叫が鼓膜を揺らす。
耳鳴りがした。
暴れ狂う内臓を落ち着かせようと、一旦腹に手を遣って息を吐く。
軽く頭を振って耳鳴りを追い遣った俺は、そのとき人声を聞いて振り返った。
百ヤードほど離れたところで、ガルシア分隊が愕然と立ち尽くしている。
馬の手綱を絞ったまま茫然としているらしいその様子に、俺は思わず同情した。
今日の朝に出発したときと、都市の様子がこうも変わっていれば現実を受け容れるのも難しかろう。
とはいえ、軍人は軍人。
俺が手を挙げて合図するや、十数人の分隊は一斉に馬腹を蹴って近付いてきた。
それを見て、俺は自分の先見の明をこっそり称えた――馬を市街に入れるならば、城壁を乗り越えるのはまず無理だ。
怪我人の搬送には馬の背を使うこともあろう。
城壁を崩しておいて良かった。
馬の蹄が土を抉る音を掻き消して、俺が手を振って起こした爆炎の轟音が耳を打った。
更にそこにレヴナントの絶叫が重なり、まさに阿鼻叫喚。
廃墟の上では、俺が消さずに残している炎が踊っている。
その赤い光がレヴナントに映り込んで、まるで廃墟の上にだけ、他よりも早く夕日が落ちているようですらあった。
傍まで辿り着いた分隊の人々の顔は、どんなに控えめに言っても蝋の色だった。
ぽかんと口を開けたままの者もいたくらいだったが、先頭の――恐らく分隊長と見える――壮年の男性は、厳しい顔ながらも冷静だった。
「――救世主さま、これは……」
「簡単に言うと、レヴナントがいきなり、異常に大量に発生したんですが、」
と、彼を遮って、馬上から下りようとする彼を留めつつ、俺は言下に申し渡した。
「ここだけじゃない。ガルシアの北西の方でも発生してる――数は分からないんですが」
さすがに眩暈を覚えた様子で、分隊長らしき男性は額を押さえた。
「な――なんという……」
「戻って来てくれて良かった」
彼の驚愕が落ち着くのを待たず、俺は言葉を続けた。
「ここも、北西の方も、救世主が三人ずつで対処してます。ただ、街中に取り残された人がいるかどうかとか、怪我人の応急手当とか、そこまではさすがに手が回らない。お願いできますか」
分隊長は即座に頷いた。
顔は強張っていたが、度を失っているわけではなさそうだった。
声もしっかりしたもので、俺の目を見た瞳は揺るがなかった。
「我々の責務です」
「良かった。で、――」
城壁の、予め崩しておいた場所を伝えようとした俺は、しかしそこで言葉を切った。
分隊長以外の隊員が、悉く顔色を失って狼狽えている様子を見てのことだった。
「――しっかりしてくれ」
思わず、俺は声を荒らげた。
「大丈夫か。こういう状況は、他の町でも見てきただろう。あんたたちはガルシア隊員なんだから。
いざ自分たちの本拠地が襲われたときに、そんな風になるんじゃ世話ないぞ」
レヴナントのために壊滅した都市の数など、恐らくは数え切れない。
ガルシア隊員ならば、そういった現場に踏み込むこともあったはずだ。
俺の言葉に――というよりは、救世主の言葉に、隊員たちがはっとした様子で背筋を正した。
生唾を呑む者が続出する。
俺は苛立ちの余りに左手で頭を掻き毟った。
「よく見ろ。まだ都市の一部しか壊滅してない。大部分は無事で残ってんだ。そこを守りたかったら動け!」
カルディオスが、また巨岩を降らせた。
当初より明らかに数が少ない。
それでも重力を味方につけた確かな威力で、有り得べからざることに岩が降る。
粉塵が巻き上がり、地面が揺れ、馬が怯えて嘶く。
――カルディオスの疲労を示す魔法の規模に、俺は自分が焦るのを自覚した。
それを必死に呑み込もうとしながらも呑み込み切れず、語調はいっそう激しくなった。
「ここは俺たちが引き受けてるんだから、あんたたちはさっさと、市街で助けを待ってる人たちを助けに行ってくれ。それは俺たちには出来ないんだから!」
どう足掻いても、俺たちだけではそこまで手が回らない。
だがガルシアが軍事施設である以上、ここには軍人が多数いる。
それが救いだ。救いであるはずだ。
はい、と、疎らに声が上がった。
隊員の顔に正気の色が戻り始めているのを見て、俺は頷く。
そして、士気を上げるためだけに断言した。
「――今日のあなたたちの活躍は歴史に残る」
はい! と、今度は揃った返答があった。
ちょっと微笑んで、俺はそのまま東の方向を指差す。
「ほら行って――レヴナントは俺がこっちに引き付けるから。
大回りに町の東側に向かって。一箇所、俺が城壁を崩した場所があるんで、そこから中に入ってください」
「承知いたしました!」
分隊長が声を張り、馬腹を蹴る。
怯えて泡を吹く馬もいる中、乗り手が宥めて疾駆が始まる。
蹄が土を抉る、重く規則正しい音が重なる。
俺が指示した通りに、俺から離れて駆け去って行く――
レヴナントが数体、まるで引き留めようとするかのように、そちらに向かって手を伸ばそうとした。
「――――ッ!」
俺は心臓が止まる思いをしたが、そのとき、ぱっと鮮やかに空中を火花が走った――仕留めるには至らないが、それでもレヴナントの手を逸らすには十分な一撃。
世双珠を使った誰かの魔法。
我に返れば、軍人は軍人。
自衛に心配は要らないだろう。
ほう、と息を吐き、俺は右手を首元に遣った。
そこにある黒いチョーカーを千切るように手に取るや、それは黒い長剣に形を変えた。
刀身に、青く揺らめく炎波が走る。
――カルディオスはそろそろ限界だ。
トゥイーディアはカルディオスを案じているだろう。あいつの精神に干渉して正気に戻すたびに、罪悪感を積み重ねていることだろう。
眉を寄せてぎゅっと唇を噛む、トゥイーディアの顔が脳裏に浮かんだ。
――それが想像の上のことであれ、事実に近いということを俺は知っている。
俺があいつに憧れて、あいつを見つめてきた年数は、他人の一生よりも長いのだ。
そしてその想像にさえ、俺は遣り切れない思いを味わう。
トゥイーディアが笑顔でいてくれればいいと願うのと同じだけの熱量で、俺は彼女の平安を侵害するものに対して腹を立てている。
――生物だろうが無生物だろうが、生きていようが死んでいようが関係ない。
トゥイーディアに害を為すことは俺にとって、それだけで万死に値する罪悪だった。
自由に生きていけるはずだった今生は、トゥイーディアにとって決していいものではないだろう。
彼女はいつもより遥かに気を張っていて、秘密を抱えて、一人であらゆるものを抱え込んで守ろうとしている。
「――マジでいい加減にしろよ」
そういったこと全てへの無力感と苛立ちを籠めて吐き捨てた、その声の端から火花が散った。
――息を吸い込む。
吸い込んだ息と同時に、最後の躊躇を呑み込んだ。
逆手に握った長剣を、八つ当たりのように地面に突き刺す。
ふわ、と熱波が俺の髪を巻き上げて、
「くたばれ。――全部だ」
地面を割るようにして噴き出した大火が、曇天の底を赤く光らせながら、忽ちのうちに大波となって薄墨色の巨人たちを呑み込み始めた。
――ごっそりと魔力が呑蝕されるのを感じながら、俺はそれを見ていた。
無意識のうちに唇に立てた歯の間から、鉄の味が口内に広がった。――苦い。目の裏を刺すほどに。
炎が壁のように燃え盛る。
火花すら白く散って空気を焦がす規格外の熱の塊。
瓦礫さえ焦がす高温に、空気が病んだような熱を持ち、上空へ逃げる。
陽炎が立つ。
隣町からですらはっきりと見えただろう、天を衝く災害。
――炎の膜を通して、踊り狂いながら溶けていくレヴナントの姿が見える。
そして同時に俺は、この炎が、まだ辛うじて息があり、助けを一心に待っていただろう逃げ遅れた人を、一人ならずと殺しただろうということも、暗い予想として分かっている。
――大勢を助けるために少数を犠牲にするのは嫌いだった。
それは間違いだと分かっていた。
それでも今は、その過ちを踏むことによって、少なからぬ人が助かるだろうということもまた、分かっていて然るべき事実だった。
ここで少数を救助するために掃討を躊躇えば、カルディオスが力尽きる。
そうなれば、俺だけでこの数のレヴナントを斃し切ることは不可能で、トゥイーディアといえどもレヴナント相手では多数を一気に葬ることは出来ない。
だからこれは正しい。
正しいはずだと、燃え広がる炎を見守りながら、必死に自分に言い聞かせていた。
◆◇◆
一時期に比べて温くなった風は穏やかだった。
周囲がもっと静かであれば、むしろ昼寝が出来そうだと思う。
――昼寝は難しそうだった。
連中は自分の価値を言い立てるように叫んで走り回っていて、自分たちが一体何をしてきた上に立っているのか、どういったものの上に今のこの人の世があるのか、そういったことは考えもせず、自分たちの都合しか訴えない。
すっかり無人になった通りを下って歩く。
幾つか通りを挟んだ向こうでの叫び声や騒音も、ここであれば少しは和らいでいるように思えた。
――また、風が吹いた。
地面を這うように、微かにそよそよと。
こんなに弱い空気の動きが、なぜ霧散もせずに駆け抜けていくのか、昔からそうだったように不思議に思う。
外套の袖から手を出して、確かめるように目の前でひらひらと動かしてみる――やはり、温かい。
冷えてはいるが、つい先日よりも、少しだけ。
すっかり葉を落とした街路樹を見上げる。
死んだように静かに佇んでいる――その枝先に新芽があった。
――春がくるぞ。
ずっとずっと昔に聞いた声が耳の奥で蘇る。
おれにとっては季節は常に、その声が告げるものだった。――ただひとつ冬を除いては。
ごうごうと轟く音が聞こえてきて、それが耳の奥の幻聴を拭い去った。
億劫に思いながら視線を上げる。
しかしそこに、天すら赤く染める業火を認めて、感情は一変した。笑顔が表情に昇ったことを自覚した。
「――わあ、懐かしい。でもあのときの方がすごかったな」
呟いた声は誰にも聞かれずに流れていく。
思わず掌を合わせると、左の手首で腕輪がしゃらんと鳴った。
「――と言っても、おまえはもうとっくに忘れてるんだろうけど」
声が無人の通りに落ちて消えていく。
首を傾げてしばらく考えて、それからおれは踵を返した。
吹いてくる風と同じ方を向いて、来た道を引き返していく。
その行く手で、濛々と粉塵が上がっているのがここからですら見えた。
――尤も、見えるかどうかということは、大した問題ではない。
その気になれば、大抵どこにだって知覚の範囲は及ぶ。
今のこの世の中にあっては。
見るべきものが少なくて、見るべきものの見方が分からないだけで。
――ガルシアに押し寄せたレヴナントの群れは、“救世主”によって駆逐されつつあった。
南東のレヴナントは、空から降る圧倒的な質量と、それひとつ取っても歴史に残るような大火によって、発生から一時間ほどでほぼ掃討。
北西の“救世主”たちは、それに比べてやや苦戦しているようではあったものの、人間の犠牲はむしろ南東のレヴナント被害に比べて少ないままに戦況を推移させていた。
それが、具に見守っているかのように、手に取るように明確に分かる。
これだけの事態だというのに、人死にが驚くほど少ないと、誰かが驚愕したように呟いている声が耳に入ってきた。
そちらをちらりと見遣れば、恐らくは誰かの救助に当たっているのだろう、ガルシアの隊服を着た誰か。
興味もない、塵芥以下の、路傍の石以下の誰か。
「……うん、そうだね」
独り言ちて呟く。
自分の足音が規則正しく耳朶を打つ。
「“救世主さま”なんだから、努めるだろうね」
――後にガルシア戦役と呼ばれることになる、この日の出来事において、確かに、今のところは死者数は大したものではなかった。
ないも同然の死人の数。
放っておけばこのまま、あの六人がこれを終わらせるだろう。




