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68◆ ガルシア戦役――犠牲

 寮から走り出した俺は、避難する人波を掻き分けつつ、トゥイーディアのところへ――レヴナントが大挙して押し寄せている市街の南東へ向かって、もはや避難誘導すらおざなりにして突き進み始めた。


 途中で人込みに嫌気が差し、さっきのように建物の上に攀じ登って屋根の上を伝い走り始める。


 そうするうちに周囲から人はいなくなったが、今さら屋根から降りるのも面倒だったので、そのまま真っ直ぐに駆け抜ける。



 行く手に蠢くレヴナントしか見ていなかったがために、急に屋根の傾斜が厳しいものになったときには足を滑らせ掛けた。


「――っと、っぶね」


 口の中で呟き、ととっ、と身体の均衡を取り直した俺は足許に視線を向け、そして思わず、ひくりと頬を引き攣らせた。

 ――廃墟だ。

 ここは既に、レヴナントが通り過ぎた後なのだ。


 建物は叩き潰されたかのように崩れ、良くて半壊、殆どが全壊。


 目を凝らせば、崩れた建物の陰で薄墨色の煙が渦を巻いているのが微かに見えた。

 あれが謂わば、レヴナントの遺骸に当たるものだろう。


 恐らくは、市街に踏み込んでいたレヴナントを最優先で掃討し、そこから――謂わば――前から順番に、市街から見て手前にいるレヴナントを斃していくことで、なんとかこの辺りからレヴナントを一掃したのだろう。


 今のレヴナントの群れの、いわゆる最前列は、倒壊した城壁より少しだけ市街に踏み込んだところだ。


 市街の倒壊具合から、ここにいたレヴナントの数は俺の想像の埒外だろうという予想が立つ。

 それを一掃したということは、


「……もう何体斃してんだよ……」


 覚えず独り言ち、傾いた屋根から瓦礫の上に飛び降りる。

 から、と瓦礫が崩れたものの、難なく着地。これでも救世主だからね。


 そして、着地の勢いのまま走り出そうとしたそのとき、俺の視界に影が差した。



 ――救世主がそれぞれ持っている固有の力、即ち得意分野の魔法は、誰のものであれ他と一線を画す剄烈さを持っている。



 トゥイーディアは言うに及ばず、実体のあるものならば何であっても問答無用で消し飛ばすあの魔法は、凄絶と言ってなお足りない。

 更に最も大きな特徴は、人の精神に干渉できる唯一の魔法であるというところだ。

 本人は、自分の固有の力を蛇蝎の如くに忌み嫌っているけれども。


 アナベルにしてもディセントラにしても、あいつら自身にしか使えない独特の魔法を使う。

 今でこそ準救世主の地位にあるから、正当な救世主の地位にあるときに比べれば、アナベルの魔法は威力において落ちるけれど。

 ディセントラの場合は、正当な救世主の地位にあるときには、〈戻すこと〉という別方向の力を授かるわけで、そうなるとトゥイーディアの魔法と、効果としては一見して似通う魔法を使うことが出来るようになる。


 コリウスに関しても言うに及ばず、瞬間移動なんて芸当を可能にするのはあいつだけだ。


 俺にしたってそう。

 〈燃やすこと〉なんていう地味な魔法を得意分野として持つ俺だが、その魔法においては、俺は明確に他と一線を画している。

 そして俺が正当な救世主の地位にあるときには、〈相対する相手の時間を支配下に置く〉という、みんなの中でも群を抜いて強烈な力を授かる。


 ――そして、カルディオスの固有の力は、そんな俺たちの魔法の中でも最も無茶苦茶で、幻想的で、()()()()()だ。



 あいつの得意分野の魔法は、〈実現させること〉。

 あいつが見る夢を、想像を、強制的に現実に持ってくる力。



 今、俺の視界には、奇怪にも宙に浮かぶ巨岩が映っている。

 巨岩が落とす影は、曇天にあってなお圧迫感として明確だった。


 どこからともなく出現した巨岩が、ずらりと十個以上、遥か高空に浮かんで――


 ――カルディオスの魔法の強みはここにもある。

 あいつが夢に見たことであれば、あらゆる物理法則を、世の条理を踏み越えることが出来るという点に。


 カルディオスが固有の力を使っているということは、トゥイーディアがあいつの傍にいる。

 この危険な状態では輪を掛けて、カルディオスは絶対に、俺たちが傍にいなければ固有の力を使おうとはしないだろう。あいつの魔法はリスクがでか過ぎる。


 ――巨岩が墜ちる。

 空気を割いて、真っ直ぐに。

 ゆらゆらと動く、無数のレヴナント目掛けて。


 大音響が轟き、比喩抜きにして地面が揺れた。


 それが何度も、巨岩の数だけ繰り返される。

 大地の底が抜けるのではないかと不安になるような衝撃。

 濛々と粉塵が上がる。

 辛うじて残っていた家屋の残骸が、なおも完膚なきまでに叩き潰される音。


 足許を揺らす衝撃に、俺はよろめいて膝を突いた。

 その拍子に、尖った瓦礫が膝を突き刺して軽く飛び上がる。血は出ていないが、危ない。

 そしてそのまま、耳を劈く大音響から耳を守るため、蹲るようにして耳を塞ぐ。


 音というよりは、もはや全身に叩き付けられる振動といった方が近い轟音が、永遠に続くのではないかと思われた。


 だが実際には数秒だっただろう。


 ようやっと大音響が収まり、眩暈すら覚えながら顔を上げた俺は、瓦礫に半ば陥没するような具体で落下した巨岩を幾つも見た。

 レヴナントの数も目で見て分かる程に減っていたが、それでもまだうじゃうじゃいるというのが事実。


 まだ頭の中で大音響が響いているような気がしながらも立ち上がり、頭の中の轟音をぽいっと外に捨て去ろうとするかのように頭を振る。

 そうしているうちに、真っ白な光の鱗片と共に、落下した巨岩が消滅していった。


 全き自滅、トゥイーディアの魔法だ。


 レヴナントの絶叫が曇天に木霊する。

 叩き潰された同類を見てのことなのか、それともこの災害に備わったただの作用としての音なのか、それは分からないけれど。


 それでもまるで、同類を葬った脅威に対抗するかのように吼え猛っている。


 もはや耳慣れたその咆哮を聞き流しながら、俺はさっきトゥイーディアの魔力を感じた方向に走った。

 足許は瓦礫でぐらぐらしていたが、気を付けていれば走るに支障はない。




 ――トゥイーディアとカルディオスは、半壊した家屋の壁に凭れるようにして寄り添っていた。


 それが、ちょうど二人の後ろ――背中の半ば辺りの高さに開いている窓から、筒抜けになって見えた。

 半壊した際に傾いた家屋の窓の位置は、本来よりも随分と低く落ち込んでいる。


 窓越しに見える二人の後ろ姿は、まるで仲のいい兄妹みたいだったが、周囲の状況が状況なので、仲のいい兄妹が突然の戦火に襲われて、家を失い途方に暮れているようにも見えなくもない。

 トゥイーディアのドレスが血塗れだから、なおのことそうだ。


 座り込んだカルディオスがトゥイーディアの左肩に頭を凭せ掛けて顔を伏せており、トゥイーディアはそんなカルディオスの暗褐色の髪を、何かから守るように右手で撫でていた。



 がらがらと爪先で瓦礫を崩しながら近付く俺の足音に、トゥイーディアがぱっと膝立ちになってカルディオスの頭をぎゅっと抱え込んだ。

 ふわ、と二人の周囲に白い光の鱗片が舞う。


 窓越しに、飴色の瞳が険しく眇められてこちらに向けられるのが見えた。


 ――めっちゃ警戒された……。


 ずきっと痛んだ胸を無視して、俺は半壊した建物を回り込んでトゥイーディアの目に届くところに足を踏み出した。


 俺を見て、トゥイーディアが眉を寄せる。

 その反応にも少しばかり傷付いたし、何よりも、トゥイーディアの顔色が悪いのが気になった。


 ――いや、無理はないというか、当然なんだけど。

 つい先刻にあれほどの大怪我を負ったのだから、本当ならば安静にしているべきなのだ。


 が、俺とトゥイーディアが何を言うよりも早く、トゥイーディアの腕の中でカルディオスが呻き声を上げた。


 途端、ぱっとカルディオスを離して、しかし完全に手を離すことはせずに肩を支えて、その顔を覗き込むトゥイーディア。

 表情は打って変わって心配そうなもので、俺は、自分がカルディオスの立ち位置に就けるなら何でもやるなぁと考えた。


 ()()()()と痛む心臓は、いつまで経ってもこの痛みに慣れてくれない。


「――カル、大丈夫? ごめんね、何回も」


 トゥイーディアの言葉に、ごしごしと目を擦ったカルディオスが瞬きし、それからにっこり笑った。


「ん? ――なんでイーディが謝んの?」


「それは……」


 言い淀むトゥイーディア。


 カルディオスの意識を戻すために、こいつの精神に何度も働き掛けていることを後ろめたく思っているのだろうが、カルディオスは別段それに嫌悪を抱いていない。

 嫌悪を抱いているのはいつだってトゥイーディア本人で、謝罪はむしろ自己満足の色すら帯びる。

 それを自覚しているからこそ口籠ったのだと分かった。


 カルディオスはトゥイーディアの様子を気にした様子もなく、ぽんぽんと彼女の頭を撫でながら立ち上がった。

 そうして俺に気付いて、ちょっと驚いたように翡翠色の目を瞠ってから、背伸びをして周囲を見渡す。


「おー、今のでちょっと減ったね。次はあのへん狙ってみる?」


 カルディオスの、形の整った指が示す方向を見てから、トゥイーディアも立ち上がった。

 ぱん、とドレスに付いた粉塵を払って、「そうね」と短く同意する。


 それから打って変わって冷たい瞳で俺を見た。


「――で、なんできみはここにいるの?」


 すっげぇ冷たい。

 泣きたくなりながらも、俺はトゥイーディアを迎え撃つかの如き冷淡な顔だった。


「ディセントラに言われたから。あとカルが心配で」


 ――実際には、ディセントラには「トゥイーディアたちとは合流しなくてもいい」とは言われていた。

 けれどもそれを言い出すとややこしいことになるし、第一、代償がある限りは自分からは言えないことなので、俺はしれっとそう言っていた。


「心配ありがと」


 カルディオスがにっこりと微笑み、俺に向かってひらっと手を振った。

 それからぐっと腰を反らして伸びをして、うじゃうじゃと蠢くレヴナントの方をぴっと指差す。


「ってか、ルド、ごめんな?」


「あ?」


 眉を寄せて見遣れば、カルディオスは存外に真面目な顔。


「ほら、こないだ。地下からおまえらが出て来たあと、いきなり十体以上のレヴナントに遭遇したって聞いて、俺、爆笑したじゃん?」


 ……そんなこともあったな。


 そう思いながらも、「で?」と先を促すと、カルディオスは肩を竦めた。


「実際さっき、俺もさ、こっちに引き返して来ようとするところでうじゃうじゃレヴナントが湧くとこ見たんだけど、あれは戦慄ものだわ。マジでぞっとした。笑って悪かったよ」


 びびったけど十体近くは斃したんだぜ、とあっけらかんと笑うカルディオスに、俺は思わず噴き出した。


「いや別に、気にしてねーよ」


 ていうか、と言葉を継いで、俺は倒壊した町並みを見渡した。


「――おまえ、こっちに押し寄せるあいつらを削ってくれたのか」


「うんまあ、そうだね。焼石に水って感じだったけど。で、全滅させんのは無理だなと思ったから、城壁の上から逃げろって叫んで、――俺、ちょっとした英雄だね」


 にこ、と憎めない笑顔を浮かべたカルディオスは、一転して心配そうな顔をした。


「――つーか、街中で()()()()してただろ。何があったの?」


 俺は眉を寄せてトゥイーディアを見た。


「……説明してないのか?」


「きみ、礼儀どころか頭も足りないの?」


 いつもより輪を掛けて冷淡な瞳で見られて、俺は死にたくなった。


 今のトゥイーディアは、失血とヘリアンサスとの遭遇と、色々と重なって余裕がない状態だ。

 その状態の彼女に、詰問めいた口調で馬鹿な質問をした自分を殺したい。


「カルと合流したときは、この倍はレヴナントがいたのよ。呑気に状況の説明が出来るとでも?」


 仰る通りです。


 内心では土下座すらしたい俺だったが、生憎と表情は無。

 ふうん、などと呟いて、瓦礫の上をゆらゆらと動くレヴナントの群れ目掛けてふっと手を振る。


 直後、轟音と共にレヴナントの上に落下する業火の塊。

 周りに人がいないことが確定しているのだから、俺にとっては遣り易い戦場だ。


 爆裂音が轟き、瓦礫が爆ぜる。

 熱波がここにまで届き、トゥイーディアが目を細めた。


 はあ、と息を吐いて、トゥイーディアがカルディオスに向かって指を組んで見せた。


「ごめんね、カル。説明するのが遅れて」


「いーよいーよ。イーディが走って来てくれただけで、俺、めっちゃ安心したよ」


 取り成すようにそう言って、カルディオスがぽんぽんとトゥイーディアの頭を撫でる。


「正直、一人でどーなることかと思ったよ。マジでイーディが来てくれたとき、天の助けと思ったからね。

 ――で、何があったの。イーディ――」


 腰を屈めてトゥイーディアの顔を下から覗き込み、カルディオスが首を傾げた。


 す、と手指の先でトゥイーディアの頬を撫でたカルディオスは、俺が一瞬この状況を忘れて殴りたくなったくらいには格好よかった。


「――すっごく顔色悪いよ。ドレスの血のこと、さっきのは言い訳でしょ? また無理したんでしょ?」


「大丈夫よ」


 ほんのりと微笑んでそう応じて、トゥイーディアは自分の頬を撫でるカルディオスの手をぎゅっと握って退かした。



 ――今この瞬間、カルディオスと立場を変えられるのならば、俺はあと五十回は奴隷として生まれついてもいい……!



 内心で絶叫した俺だったが、無論のこと周囲に感知されるはずもない。


 トゥイーディアが俺に目を向けて、素っ気なく呟いた。


「悪いけれど、カルに説明している間にレヴナントを減らしておいて。

 まだ無事に残っている街区には、あいつらを絶対に入れないで」


 俺は無言でトゥイーディアから顔を逸らし、群なすレヴナントに向かってまた腕を振った。


 今度はレヴナントの足許の瓦礫が、真下からの爆炎に巻き込まれて盛大に爆ぜた。

 燃え上がる業火が黒煙を曇天に流していく。


「――簡単に纏めるとね、人型のレヴナントがガルシアの中で出て、」


「マジ?」


 トゥイーディアの説明開始数秒で、カルディオスが素っ頓狂な声を上げた。

 そして、あからさまに狼狽えた声でトゥイーディアを問い詰める。


「どんだけ怪我したの、イーディ! やっぱその血、ちょっとした怪我が重なった結果とかじゃねーじゃん!」


 ――トゥイーディア……、カルディオスを心配させまいとしてそんな苦しい言い訳を吐いてたのか。

 駆け付けたトゥイーディアに向かって、出会い頭に「その血どうしたの!」と大騒ぎするカルディオスが目に浮かぶ。


 レヴナントに向かってまた手を振る。

 爆炎が、今度は数体のレヴナントの胸の辺りで爆ぜた。

 ぼぐんッ、と潰れるような音が轟くと同時に、レヴナントたちの絶叫と咆哮が曇天を衝いて木霊する。


「大丈夫、大丈夫よ。――で、討伐途中にヘリアンサスが出て来て……」


 トゥイーディアはぎゅっと眉を寄せ、黙り込んだ。

 カルディオスは、今度は言葉を失った様子だった。


 数秒置いて、顔を上げたトゥイーディアが言葉を続ける。


「――ごめんね、あのときの状況は、私にも分からないんだけど。とにかく、人型のレヴナントの方は、……一応、討伐が出来て。でも今はこの状況。

 ――ヘリアンサスは、」


 きゅ、と一度唇に歯を立ててから、トゥイーディアは吐き捨てるように呟いた。


「――()()()()()()()()()だから、私たちの邪魔をする気はないらしいわ」


 カルディオスは無言で頷いた。


 ――俺はまた、レヴナントの群れに向かって手を振った。

 爆炎が降る。熱波が瓦礫を砕く。

 黒煙が上がり、熱風がここにまで届いてトゥイーディアの髪を揺らす。


 外套を脱ぎ捨てた彼女が寒くないのか、俺は今更ながら心配になった。


「今は、ここと――ガルシアの北西の方にレヴナントが大量発生している状況で」


 トゥイーディアの声は、作られた冷静さを以て明瞭に響いた。


「北西の方はきっと大丈夫。ディセントラとコリウスが、海までレヴナントを追い込んで、アナベルが一網打尽にするから」


「海があると、あいつ強いもんね」


 カルディオスが、短く息を吐いてから呟く。

 トゥイーディアは小さく、にこっと微笑んだ。


「ええ、海がなくても強いけれどね。――私たちはこっちのレヴナントを片付けないと。

 もう駄目になってしまったところは仕方ないけれど、まだ無事に残っているところは守りたい」


「そーだね」


 呟いて、カルディオスはぎゅっとトゥイーディアの手を握った。


「――とにかく、みんな生きてんだな?」


「生きてるし、重傷を負った人もいないわ」


 鮮やかに即答で嘘を返し(何しろ、トゥイーディアこそが重傷を負った本人である)、トゥイーディアは幾分か和らいだ顔で微笑んだ。


「……ほんとに運が良かったの。私はディセントラとアナベルと一緒にいたし、ルドベキアも偶然近くにいたみたいで、すぐに合流してくれたから」


 俺は更なる火焔をレヴナント目掛けて落としたところだったが、そのトゥイーディアの言葉を聞いてきゅんとなった。


 ――俺がいて良かったと思ってくれたのなら、めっちゃ嬉しい……!


 カルディオスの顔も、ぱあっと明るくなった。

 そしてその明るい顔のまま、カルディオスは言った。


「あっ、ルドもそこにいたんだ? 良かった、じゃあイーディ、怪我の治療はすぐしてもらえたんだな?

 やー、今日にティリーとの約束取り付けさせて良かっ……」


 そこまで言って、今度はさあっと蒼褪めるカルディオス。

 やっちまった、と言わんばかりに、ばっと口を押さえてしばし絶句。


 何してんだ、こいつ。


 だがまあ、確かに、ティリーとの予定がなければ、俺はガルシアから離れていただろうから、他でもない今日に街中をぶらつくことになっていたのは、結果としては良かったんだけど。


 トゥイーディアもまた、一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。

 それからふっと微笑むと、背伸びをしてカルディオスの頭をふわふわと撫でる。


 そしてくるりと踵を返すと、今しも新たな火焔をレヴナントに向かって落とそうとしていた俺の手を――正確には手首を――、きゅっと握ってそれを留めた。


 ――ばくんッと脈打った心臓を吐き出しそうになった。

 代償がなければ、動揺して逆に辺り一帯を大火事にしていたかも知れない。

 舞い上がった俺の気持ちが、危うく口から出て行きそう。


 が、実際にはそんな本音は一インチも表に出ず、俺は邪険にトゥイーディアの手を振り払うと、眉を寄せて彼女を見下ろした。

 ついでに一歩、彼女との距離を開けた。


「――なんだ」


「ここ、ガルシアの南側でしょ」


 トゥイーディアが指を立てる。


「ふと思ったんだけどね、外に出てた隊員さんたちが戻って来るときって、まず間違いなくここに戻って来るんじゃないかなって」


 俺はますます眉を顰めた。


「――だから? この状況だ、外から見て、ここからじゃ――とてもじゃねえけど、市街(まち)には入れねぇのは分かるだろうが」


 刺々しい俺の物言いに、意外にもトゥイーディアは不快そうな顔をしなかった。


 さっきはあれほど冷たい目で俺を見てきたのに。

 何が彼女の気持ちに余裕を生み出したんだ。


「うん、だけどね、このままきみがぽんぽん燃やしていったら、結構な大火事になるでしょ?

 それだと隊員さんたちが市街の外で足止めを喰らっちゃうから――」


 ――「ぽんぽん」って何だよ、可愛いんだよ、くそ。


「せっかく戻ってきた隊員さんが、外で右往左往するのも勿体ないでしょう?

 隊員さんには出来れば、どこかに取り残されている人がいないかどうかの確認とか、怪我人の応急手当とか、そういうのをお願いしたいわけだし、ディセントラもきっとそう考えてると思うの。

 ――ディセントラ、一旦は砦に戻ったんでしょ? なら多分、取り残されてる人がいないかどうかの確認と怪我人の応急手当、これは絶対に隊員さんに指示する伝令を出すはずだし」


 流れるようにそう言って、トゥイーディアはにっこり笑顔で俺を見上げた。


 その瞬間に、俺のありとあらゆる精神の摩耗はなかったこととなった。


「――だからね、悪いんだけど。

 きみ、レヴナントの向こう側に行って、そっちからレヴナントを攻撃してくれない?」


「…………」


 俺は思わず真顔でトゥイーディアを見返した。

 カルディオスがきょとりと瞬きした。


 ――付き合いが長いとはいえ、こんな無茶なことを言い出すとは予見できなかった。


 俺は眉間を押さえ、鸚鵡の如くに繰り返す。


「――『レヴナントの向こう側に行って、そっちから』?」


「うん」


 悪びれなく頷いたトゥイーディアに、俺は唖然。


 いや、こいつに言われたら、もう何でもしてあげたいんだけど。

 トゥイーディアのためなら、俺に出来ることなら何だってするし、出来ないことでも精一杯頑張るんだけど。


 でも、え? あれを、あそこを、突っ切れって?


 視線を翻し、レヴナントの方を見る。


 トゥイーディアとカルディオスが市街に踏み込んでいた大量のレヴナントを掃討し、市街の外にまで連中を押し返す寸前までいっていたとはいえ、なおもびっしりとレヴナント。

 結構燃やしたはずだけど、なおも壁の如きレヴナント。


 目を凝らして隙間を探したが、うじゃうじゃと動いているレヴナントはゆらゆらとこっちに歩いて来ていて、生憎と隙間はない。


 俺が黙っている間に、ぴょこり、と視界の端からトゥイーディアが顔を出した。

 飴色の目を瞬かせて、お伺いを立てるように。


「……だめ?」


 駄目じゃない。可愛い。頑張れる。

 ――俺の中にある恋情が、他の全ての感情と理性と合理性を吹っ飛ばして即答の札を挙げた。


 が、その即答を、俺に課せられた代償がぴたりと止めた。


 ――俺は眉間に手を当てたまま俯いた。ふう、と大きく息を吐く。


 そんな俺を見ながら、トゥイーディアは「いい考えでしょ?」と言わんばかりに首を傾げて。


「向こう側から戦って、ついでに、隊員の皆さんが戻ってきたら、無事なところの城壁を乗り越えて入ってねって伝言してくれると、すっごく助かるじゃない?」


「顔の形変えてやろうか、てめぇ」


 がばっと顔を上げて、俺は険しい顔で脅すように唸った。


 俺の中の恋情は「いける! 出来る! 頑張れる!」と叫び続けていたが、代償がある限りそれが表に出ることはない。


「おまえが行ってみろよ! 出来るか! あそこ乗り越えて行けってか!」


 レヴナントの群れを指差して瓦礫を踏み鳴らす俺に、トゥイーディアがきょとんと目を丸くする。それから、こてん、と首を傾げた。


 から、と俺の足許で細かな瓦礫が転がる音がすると同時、はくっ、と俺の心臓が恋慕に貫かれて脈打った。



 ――か、可愛い……。


 やばい、泣きそう。トゥイーディアが可愛らし過ぎて泣きそう。

 トゥイーディアの今生のお父さんとお母さんありがとう。

 トゥイーディアが生を享けることは世界の法のレベルで決まっていたことなんだろうけど、それでもちゃんとトゥイーディアを生んでくれてありがとう。

 トゥイーディアを健康に育ててくれてありがとう。



「――私は行けないわよ」


 あっけらかんとそう言って、トゥイーディアはカルディオスの手を取った。

 いきなり矢面に立たされて、カルディオスはびっくりしたような顔をした。


「私はカルと一緒にいないと。多分、レヴナントの向こう側よりこっちの方が安全そうだし、カルにリスクを取らせるなら、多少でも安全なところにいないと」


 ぐうの音も出ねぇ。


 ぐっと言葉に詰まる俺を他所に、カルディオスが握られた手を持ち上げて、トゥイーディアの手の甲に軽く頬擦りした。


「ありがと、イーディ」


「こちらこそ、無理してくれてありがとね、カル。――それに、」


 す、とカルディオスの手の中から自分の手を抜き取って、トゥイーディアは腕を組んだ。そして、「もう」と息を吐く。


「勘違いで怒鳴らないでよ。何も、レヴナントの方に突っ込んで行けって言ってるわけじゃないわ。そんなことさせるなら、さすがに私が行ってるわよ。

 ――あっちの方から、」


 と、トゥイーディアはレヴナントがまだいない、ここから見れば東の方面を指差した。城壁までは結構距離がある。


「城壁を乗り越えて、それからぐるーっと、」


 と、トゥイーディアは東を示した指を、レヴナントがうじゃうじゃ動いている南の方へ動かして。


「回って行って、そこで討伐開始してくれればいいわよ」


 カルディオスはトゥイーディアの指先を追うように視線を動かし、「おう」だか「ああ」だか聞き取りづらい声を出した後、俺に焦点を合わせて頷いた。


「――確かに。それなら行けそう。ルド、頑張れ」


「このやろう……っ!」


 歯軋りした俺だったが、トゥイーディアの発言には一定の合理性はある。

 カルディオスも乗り気だし、行かないわけにはいかない。


 俺の顔を見て、トゥイーディアは案じるような顔をした。

 それから眦を下げて、少し声を小さくして。


「……ルドベキア、分かってるとは思うけど、今は非常事態だからね。

 ここを通すと、レヴナントがまだ無事に残ってる街区まで来ちゃうから、だから――」


「あーあー、分かったよ」


 トゥイーディアの言葉を不機嫌に遮って、俺は息を吸い込んだ。

「そうじゃないんだけど……」と呟くトゥイーディアの言葉の意味はとりかねたが、行動しろと急かされているのは間違いあるまい。



 ――俺が離れてる間に、トゥイーディアが怪我をしたりしませんように!



 内心のみで祈って、俺は瓦礫を蹴って走り出した。

 手を振って俺を見送るトゥイーディアが、口許に手を当てて追い打ちのように叫ぶ。


「急いでねーっ!」


「ぶっ殺すぞ!!」


 と、俺は叫び返した。

 とはいえ、足はいっそう速めた。


 ああくそ、足許がぐらぐらして走り難い――



 俺が走り出してすぐ、市街に踏み込んでいたレヴナント数体の頭上から、不可視の巨大な刃が落ちてその巨体を押し潰した。

 真ん中から爆ぜるように引き裂かれたレヴナントたちが、絶叫と共に薄墨色の霧と化していく。


 そして直後、上空からまたも巨岩がレヴナント目掛けて降り注いだ。


 足許を揺らす衝撃。ここにまで吹き寄せてくる粉塵。

 俺は咳き込み、已む無く足を緩めた。


「――相変わらず無茶苦茶だな!」


 思わず呟く。


 カルディオスは今は準救世主。

 固有の力を使っている最中と、トゥイーディアが強制的に意識を戻さなければその後しばらく、瞑想状態に没入するリスクを負う。


 だがあいつが正当な救世主の地位であるときには、〈実現させる〉事象の規模がでかくなると共に、ある程度ならば意識を保ったまま固有の力を使うことが出来るようになっていた。


 今ですら、降り注ぐ巨岩の数は夥しい。

 あいつの魔法は、リスクさえなければ一方的に相手を質量で追い込むことが出来るものなのだ。


 降った巨岩が、トゥイーディアの魔法で消滅していく。


 崩れた城壁は、もはや完膚なきまでに叩き潰され、原型どころか石材の大きな欠片すら残っていなかった。

 繰り返される衝撃のために、城壁の辺りは瓦礫の山というよりも、もはや更地に近い。



 その壮絶さを横目に見て、俺はまた足を速めた。



 ――ぜぇぜぇと息を荒らがせつつ、俺がまだ形を保つ城壁まで辿り着いたのは数分後。

 足場が悪くて疲れる。


 円形に都市を囲む城壁は、一部が崩れたことに伴って、今にも連鎖的に瓦解していきそうな危うさを感じさせた。

 思わず掌で城壁を軽く押してみて、崩れていかないことを確認したくらい。


 ざらりとした硬く冷たい石の感触が掌に伝わってきて、俺は訳もなくほっと一息。


 そのまま、一時的に重力に関する世界の法を書き換えて、ふわっと飛び上がって城壁の上へ。

 コリウスならば、そもそも移動なんて一瞬だったんだろうけど、無いものねだりをしていても仕方ない。


 とす、と城壁の上にしゃがみ込む格好で着地し、片膝と片手を突いて身体の均衡を取った俺は、そこで顔を上げた。


 ちょうど、巨岩がまたも出現し、真下のレヴナントに降り注いでいくところだった。

 その光景を見ていると、なんか世界の終わりを感じそうになる。


 地響きが大地を揺らし、俺が乗っている城壁が少しばかり傾いて、俺はひやっとした。


 都市を揺らす轟音に、空までもが震えるような錯覚。

 周囲一帯の地面の底が抜けるような不安を与える大音響――


 ――が、俺はちょっと眉を寄せた。

 最初に見たときと比べて、降り注ぐ巨岩の数が少ない。


 その状況が表すのは、カルディオスの魔力の限界が近いということ。

 あるいは、あの魔法は他の魔法と比べて相当扱いが難しいらしいから、精神力とか集中力とか、そっちの方の限界かも知れない。


 そのうちトゥイーディアが、カルディオスを起こすのを躊躇い始めるだろう。

 そうなれば、レヴナントを一方的に蹂躙している今の状況はなくなる。


 いや、トゥイーディアのことだから、カルディオスに負担を掛けるのは申し訳ないと思いながらも、今はやるべきことを優先して、カルディオスが実際に限界を訴えるまでは役割を全うさせ続けるかも知れないけれど――


 頭を振って、俺は城壁の外側に飛び降りた。

 ふわ、と外套の裾が広がる。


 足許の空気を圧縮して緩衝材にしつつ、俺は膝を撓めて着地した。


 それからふと思い付いて、たった今乗り越えた城壁にとん、と手を置き、そのまま熱波で以て粉砕した。

 爆裂音と共に、弾けるように崩れる防壁。

 濛々と粉塵が立ち込め、俺は咳き込む。

 粉砕した城壁の欠片は熱波に押されて、悉くが俺の反対側に吹っ飛んでいった。


 ――最初っからこうしていれば良かった。


 よく考えれば、誰でも彼でも、魔法で城壁を乗り越えることが出来るとは限らないのだ。むしろそんなことを出来る魔術師はごく少数。

 特にこの時代は、その魔法に対応する世双珠を持っていなければお手上げだ。


 俺がこれから上手くガルシア隊員を発見し、「市街に入れ」と誘導することが出来たとしても、「城壁が高くて入れませんでした」という結果になってしまっては目も当てられない。

 だから予め、城壁の一部は崩しておく必要があるだろう。


 ぱんぱん、と外套から粉塵を払い、俺は走り出した。


 都市の中とは一変、地面は剥き出しの土。

 黒く湿った土には、ここが城壁の陰になる場所だからか、雑草すらもちらほらとしか生えていない。


 ともかくも、やっと足許が安定して走りやすい。


 コリウスならば飛んで行くことが可能であっても、俺にその芸当はしんどい。

 この後の戦闘を考えれば、精々が重力に関する法をささやかに書き換えて、本来よりもほんの少し早く走ることがやっとだ。



 湾曲する城壁を伝って走ること数十秒で、城壁が派手に倒壊している場所に行き当たる。

 そこからはもうレヴナントの大群のお目見えである。


 早速行き当たった三体ばかりが、足許を走る俺に気付いたように足を止め、眼のない貌で俺を見下ろしてきた。



 ――あ、ああ、あ?



 まるで何かを尋ねるような呻き声。

 俺は耳すら貸さず、何なら視線すら最低限しか向けず、ただ無言で手を振った。


 ぼッ、と低い音がして、火達磨になって燃え落ちていくレヴナント。


 それを見て、俺はちょっと安心した――こいつらには、攻撃を避ける知能はない。

 ガルシア近辺に最近まで跋扈していたような、知能の高いレヴナントではないのだ。


 またしても地面が揺れた。

 巨岩が地面に激突し、衝突音と共に砕けていく。

 数体ずつ纏めて下敷きになったレヴナントは、魔力で以て生成された圧倒的な質量の前に、為す術なく薄墨色の霧となって消し飛んでいく。

 役目を終えた巨岩を、トゥイーディアの魔法が消滅させていく。


 ――こうして巨岩が降ってくる場所である。

 俺まで押し潰されないかと不安にはなるが、大丈夫だろう。

 意識のないカルディオスは、予め狙いをつけておいた場所に巨岩を出現させることしか出来ないが、傍にトゥイーディアがいるのだ。

 俺の魔力の気配目掛けて巨岩が落っこちそうになっていれば、さすがにその岩を予め消滅させてくれるはずだ。


 ……はずだ。たぶん。

 あんまり俺のことを怒っていなければ。

 さっき、ぶっ殺すぞとか心にもないことを叫んじゃったから、もしかしたらちょっとした制裁は加えられるかも知れないけど。



 林立するレヴナントの足許を走り抜けながら、盲滅法に爆発を起こし、とにかくもレヴナントを炎上させていく。

 これだけの数のレヴナントがいるのだ、いちいち狙いをつける必要すらない。



 あっと言う間に周囲は火の海になり、一つの火から俺が炎上の範囲を拡大させていくにつれ、ますます世界の終わりじみた光景が展開され始めた。


 陽炎が立つ。

 周囲には紅蓮の炎ばかりが見える。


 真冬の空気は駆逐されて、周囲は汗が滲むほどの高温――というか、俺だから汗が滲むだけで済んでいる。これが別の人間だったら、まず間違いなく全身大火傷だ。


 足許を燃やされて、レヴナントが絶叫と共に崩れ落ちる。


 中には足許を燃やしただけでは動きを止めないものもあって、そういったものは大抵、俺に向かって絶叫しながら向かって来るか、あるいはよろよろと炎の中から這い出そうとするかのどちらかだった。

 向かって来るレヴナントはそのまま爆発炎上させ、炎から這い出すレヴナントは一旦放置。


 そちらに対処するのはカルディオスとトゥイーディアだ。



 ガルシアの南に向かって走る俺に付き従うように、大火がその範囲を広げていく。

 恐らく数マイルは離れていても見えるだろう、曇天を赤く染める大火事。



 ――地下の洞穴で戦ったときよりも、状況としては俺に有利だ。

 無人の屋外であれば手加減は必要ない。

 この数のレヴナントがあのとき地下にいたら、俺はトゥイーディア到着前に死んでいただろう。



 足許がぐらつく。

 自分が踏んでいるのが崩れた城壁なのか、あるいは倒壊した家屋なのか、それももはや分からなかった。

 周囲には渦巻く炎だけがあって、砕かれた石材が散らばるばかりの光景から、自分が立っているのがガルシア市街の外縁に当たるのか、それともそこよりは内側なのか、その認識すら曖昧だった。


 咆哮と共にレヴナントが拳を振り下ろしてくる。

 輪郭さえも曖昧な拳は、しかしそれでも確かな威力を持って、風切り音を伴って降って来る。

 その勢いに、炎が緋色に閃いて千切れるのが見えた。


 目を上げて、その場に踏ん張って、俺は応じるように右手を上げた。


 そこから勢いよく炎が噴き出す。

 爆炎が渦を巻いてレヴナントの拳を跳ね上げる。

 焼かれて灰色に溶け出す拳に、レヴナントが絶叫する――


 じゃり、と足許で、石材ではない何かが鳴った。

 反射的に足許を見下ろす。


 うねる炎に照らされて、足許には紅蓮と緋色の濃淡が躍っている。

 そこに、炎を弾いて白く赤く煌めく無数の欠片が見えた。


 硝子だ――窓硝子の残骸だ。

 もう既に砕け切って、瓦礫に埋もれて散乱している。


 ここはガルシアの外縁ではなく、家屋の跡地なのだ。


 そう認識すると同時に、先ほど拳を跳ね上げたレヴナントが、もう片方の拳を振り下ろしてきた。


 こちらは迎撃するのではなく躱して、真横に飛び退った俺は瓦礫に足を取られながらも体勢を立て直し、そのままレヴナントの()()()()()に爆炎を突っ込もうと手を振り――



 ――手を振ろうとして、俺は硬直した。



 自失は一瞬だったが、その一瞬で、振り下ろされてきたレヴナントの拳が、真横に薙ぐように翻って、俺を叩き伏せようとしていた。


 はっと我に返り、今度は炎を撃ち出して巨大な掌を迎え撃つ。


 絶叫を噴き上げるレヴナントを無視して、俺はその場に膝を突いた。


 焦げた瓦礫を両手で持ち上げて押し退け、瓦礫の間の僅かな隙間を大きく確保する。

 ――そして、息を吸い込んだ。



 人だ。



 さっき、黒く焦げた手が見えていた。

 見間違いかと思った――見間違いであってほしいと思ったが、ここに人がいる。


 総身は砂塵に汚れて、赤黒く焦げていて、息絶えていることは明白だった。


 瓦礫に潰された下半身は見る影もない。

 俯せに倒れていることがむしろ俺にとっての救いだった――顔が見えない。

 身体つきからして壮年の男性。


 逃げ遅れたのか、逃げようとしたときが遅きに失したのか、それは分からない。



 ――死因すらも、分からない。



 脚を潰されたとき、この人は生きていただろうか。

 痛みの中でも逃げようと足掻いただろうか。


 レヴナントの接近を、どれだけの恐怖と共に見ていただろうか。



 ――俺がこの人を殺したのではないことを、浅ましくも俺は祈った。

 この人を焼き殺した罪が俺にないことを、本気で祈った。



「――ごめん」


 呟く。

 レヴナントの絶叫と、ごうごうと轟く業火の音に、その声は紛れて自分の耳にすら届かなかった。


「ごめん、助けられなかった」



 ――さっきトゥイーディアが言おうとしていたことは、間違いなくこれだ。「今は非常事態だからね。ここを通すと、レヴナントがまだ無事に残ってる街区まで来ちゃうから、だから――」。



 ――だから、()()()()()()()()()()()()()()()と、彼女は言いたかったのだ。



 俺は馬鹿で頭の回転が遅いから、もう既にこの街区の避難は完了していたと思い込んでいた。


 だがトゥイーディアはちゃんと、逃げ遅れた人々が多かれ少なかれいるということを織り込み済みで考えていたのだ。

 そう考えて、逃げ遅れたかも知れない人々の数と、この先のまだ無事に残っている街区にいる人々の数、それを冷静に秤にかけて、後者を採るべきだと判断した。



 町並みと共に人命も、ある程度は犠牲になることを已む無しとして、レヴナントの掃討を優先するべきだと。



 情に脆い彼女のことだから、本心では恐らく、生き残っている人がいないか確認してから、レヴナントの掃討を開始したかったに違いない。

 だがそれを許す状況ではなかった。


 彼女は確かに、遠隔地に五感を拡張することが出来るが、この瓦礫の山に視覚を拡張するのは無理がある。

 情報量が多すぎて、その場でトゥイーディアが倒れかねない。


 そしてトゥイーディアが戦えない状況になれば、連鎖的にカルディオスの得意分野も封じられる。



 切り捨てるべきものを切り捨てなければ、後がなかった。



 ――だから、俺に、()()()()()と言おうとしたのだ。



「……ほんと、なんで」



 立ち上がって、俺は吼え猛るレヴナントを睨み上げた。



 ――この瞬間、俺は、命を落とした人々のために怒っていたのではなかった。


 ただひたすらに、トゥイーディアの心を傷つける現状に憤っていた。



「――くそったれ」



 吐き捨てた、その言葉を合図にして、いっそう激しい業火が天高くまで突き立った。
















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