13◆ またしても、未知との遭遇
翌日の昼になって、海賊船は港に停泊した。
言わずもがなの不正入国であり、甲板で俺はえらく気を揉んだが、さすがというべきか海賊どもは慣れていた。
海賊旗を仕舞い込み、船から凄まじい音量の騒音を一定のリズムで鳴らす。
俺がその音を聞いてマジでビビり上がっているのを見て、すっかり俺の忠実な従者と化していた気弱そうな顔の海賊(名前は聞いたけどすぐ忘れた)が、「汽笛っすよ」と教えてくれたが、そもそもキテキって何だよ。
まあとにかく、その「キテキ」の鳴らしたリズムが合図になっていたらしく、すぐに港の隅っこの方の桟橋で誘導するように赤い旗が揚げられた。
その旗を手に持つ役人は真面目くさった顔をしていたが、俺はすぐにピンときた――というか、そうとしか考えられないが、役人の一部がばっちり買収されているらしい。海賊どもが徒党を組んで買収したんだろうな。
一定の距離を置いて幾つも桟橋が並ぶ港は、俺の知るどの港よりも大規模で、そして整然としていた。
積荷を下ろし、その荷を運んでいく人たちの掛け声の声が、よく晴れた冬空に響く。
港町は漆喰の壁と淡い色に塗られた屋根の家々が立ち並び、海鳥が何羽か上空を旋回していて、しずしずと入港していく船の上、その船が海賊船でさえなければ大変に長閑な一幕だった。
赤い旗が振られた桟橋の傍に錨を下ろした海賊船から、桟橋に向かって縄梯子が投げられる。
旗を振っていた役人らしき制服を着た男は、岸辺に立ってしれっとした顔でそれを見ていた。袖の下を待ち構えているに違いない。
とはいえ俺も人のことは言えない。
俺が無一文だと知った船長が、俺にそれなりの金額を握らせてくれたからである。
正直、犯罪の末に得られた金銭であることは確実で、俺は相当迷ったのだが、「人捜しの間に野垂れ死にしたらどうすんだよ!」という尤もな言葉に遂に折れたのだった。
なんかすごい敗北感がある……みんなには絶対に言えない秘密を持ってしまった……。
そして、そのときにまた俺はびっくりしたのだが、なんとこの時代、金は紙だった。
厚みのある紙に緑やら青のインクで繊細な模様がびっしりと描き込まれ、金額が書き添えられた長方形の紙。それがこの時代の金らしい。
聞いたときはマジで驚き、それでまた記憶喪失の疑いをますます色濃くしてしまったらしく、懇切丁寧に、「これは紙幣。大きな金額は紙幣で遣り取りする」「コインもある。小さい金額はコイン」と教えられた。
コインも見せてもらったが、コイン一つに刻印された金額の大小で大きさが異なるだけの、銅のコインだった。
びっくりだ。俺が知ってる金銭といえば、金貨や銀貨――硬貨そのものに価値があるものだったから。
時代は急速に変わったんだな……。
外套のポケットに突っ込んだ数枚の紙幣を指先で撫でながら感慨に耽る。
船長曰くガルシアまで行く分には困らないだけの金額らしいが、この時代の交通事情も分からない俺がその言葉を鵜呑みにするのも危険だろう。
移動ってどうするのかな。
俺の感覚では乗合馬車とかを見付けて旅するイメージなんだけど。
一応、ガルシアの場所も教えられた。
この港町ルーラは、東の大陸の南西部で広大に版図を広げるアーヴァンフェルン帝国の西の端っこにあるらしい。
アーヴァンフェルン帝国は、東の大陸の西海岸と南海岸を有し、貿易の強みと軍事力を生かして、建国百余年にして既に大陸で一、二を争う強大な国家なんだとか。
ちなみにアーヴァンフェルン帝国の東隣にある国は弱小王国ながら、絶対に国土を侵略されない保証つき。なぜながら東の大陸の南海岸、そこにはかの〈呪い荒原〉が広がっているからだ。
〈呪い荒原〉の西側すぐ手前まで版図を広げた帝国ではあっても、生き物が一切住めず、足を踏み入れれば最後重病を患って間もなく息絶えるという〈呪い荒原〉には一切魅力を感じまい。
海辺に広がり、一国に匹敵する大きさのあるその荒原を挟んでアーヴァンフェルン帝国の東隣に位置する王国は、その呪われた大地のお蔭で安寧を保っているのだとか。
で、肝心のガルシアは、ここから海沿いに北上した位置にあるらしい。
地図を見せてもらったから分かる。アーヴァルフェン帝国はくそでかい。
ただし、見せてもらった地図の縮尺には首を傾げた。俺の記憶にある情報と比べて、〈呪い荒原〉が明らかにでかかったのだ。
しかしそれを差し引いても、アーヴァンフェルン帝国の広大さは並外れている。
大陸の一番恵まれた、謂わば「角」に当たる部分を占領して、さぞかし豊かなことだろう。
ガルシアはここから結構北に位置する半島の、海辺にある要塞都市であるようだ。
余りの距離に俺が絶望の表情を浮かべているのを、船長たちはきょとんとして見ていたっけ。海賊は陸路の距離を分かっていないのだろうか。
――と、そんなことを考えながら、俺は投げられた縄梯子を降りようとしていた。
船の謂わば昇降口に当たる箇所には、元より転落防止の欄干は設けられていない。
屈んで縄梯子に足を掛けようとする俺に、わらわらと海賊たちが駆け寄って来た。
涙ぐんでいる奴までいる。この懐かれようには俺もドン引きである。
「兄貴、兄貴、お元気で……っ!」
「お、おう」
「兄貴、捜してる人が見付からなかったら、いつでも戻って来てくださいね!」
「あ、いや……」
「結構渡したから、旅費には事欠くめぇ。気ぃ付けてな!」
「あ、ありがと……」
なんなんだ。なんなんだこの状況。
ちょっと助けただけでこんなに懐かれるもんなのか。
まず俺が密航していたことをこの連中は忘れてないか。
つーかみんな鈴生りになって俺を見送ってくれてるけど、どうせおまえらもすぐに船から降りるんじゃねぇのかよ。
取り敢えずも俺はおざなりに手を振って、肩を竦めてみせた。
「色々助かったよ。あと、ちゃんと真っ当な商売への転向も考えろよ?」
はいっ! といい返事を貰って、俺は縄梯子をぎしぎしと軋ませながら降り始めた。
最後の少しの距離は縄梯子から手を離して飛び降りて着地。板を連ねて水に浮かべた桟橋がぐらぐらと揺れる。
ふと船を振り返ると、欄干から身を乗り出す海賊たちが俺に向かってめちゃめちゃ手を振っていた。
桟橋の先の岸辺で袖の下を待ち構えている役人は、「何が起こった?」と言わんばかりに目を見開いて固まっている。
「兄貴ーっ、お気をつけてーっ」
「カモにされないようにしてくださいねーっ」
「金払ったら釣り受け取ってくださいねーっ、絶対釣りがくる金額の札ですからねー!」
俺もめちゃめちゃ頷いて手を振った。
助言はありがたいけど引っ込んでくれ、の意味である。目立つこと甚だしいわ。
船長もひらひら片手を振って、口許にその手を宛がって叫んできた。
「まず駅に向かえよー、ガルシアはアトーレ地方だからなー」
ひたすら頷く俺。役人の視線がめっちゃ刺さる。
「ありがとなー」
叫び返して踵を返し、桟橋を渡って岸辺に上がった俺に、すすすと近付いてきた役人があからさまに催促の手つきをする。
俺は申し訳なさそうに両手を合わせて見せた。
「ごめん、俺はただの食客なんだ。――あの人らから貰ってくれ」
ちっ、と舌打ちを漏らした白い制服の役人は、腕組みをして海賊の下船を待ち始めた。
俺は肩を竦めて、港町に向かって歩き始めた。
◆◆◆
駅といえば、乗合馬車の駅である。
正確に言うと、替えの馬を待機させておく場所だ。
そこで待ち構えてたら乗合馬車が馬を替えるために確実に停まるので、乗るつもりの馬車に素通りされることがない。
だからいつの頃からか、誰もが駅で馬車を待つようになった。
駅には目印として杭が立てられる程度で、屋根があるのは馬を待機させておく小さな厩舎だけであることが多い。なにしろ金持ちは乗合馬車ではなくて辻馬車を使う。
そんなわけで雨の日の乗合馬車の中は、濡れそぼった人々が肩を寄せる、湿り気と冷たさの地獄と化すのが通例だった。
――そのはずである。
なのに、なのに、なのに。
「なんだこれぇ――っ!?」
思わず叫んだ俺に、周囲から無数の視線が突き刺さった。
――時間を少し遡って話そう。
海賊船から下り、港町に到着した俺は、時代の流れをひしひしと感じながら幾つかの路地を通り、大通りに辿り着いていた。
何に時代の流れを感じたかって? 道行く人たちの服装だよ。
これは毎回生まれる度に流行が推移していっているのを見るのに慣れてたから、想定の範囲の驚きではあったけどね。
俺たちが前回生きていたときと比べて、なんというかかっちりした輪郭の服装の紳士が増えている。
女性は相も変わらずふわふわしたドレスの人が多いけれど、色合いが違う。以前の俺が知る流行は原色系の色を多分に使ったドレスだったが、今の流行は淡い色を使ったドレスらしい。
大通りの敷石は、俺が知る他のどの道よりもきっちりと敷き詰められており、敷石ひとつひとつの大きさにさえ気を遣ったのだろう大工たちには尊敬の意を覚える。
がらがらと音を立てながら、一頭立て二輪の辻馬車が大通りを走って行き、俺は「さて駅はどっちだろう」と腕を組んだ。
初見の町で道に迷わないことなど不可能なので、俺はその辺を歩いていた優しそうな人に道を訊くことにした。
捉まえた老紳士は俺の身なりにぎょっとした様子で絶句し、「駅はどっちですか」という俺の質問に答える前に、「何かあったのか」と問い質してきた。
自分が相当酷い格好をしている自覚はある。
何しろ魔王の城を脱出してからこっち、野宿に次ぐ野宿、そして漂流生活に海賊船での密航と色々あって、その間一度も着替えたりは出来ていないからね。
老紳士は問い質しながらも懐から取り出したハンカチで口と鼻を覆い、俺は大いに申し訳なくなった。
臭いよね、ごめん。
「乗ってた船が途中で沈没しちゃって、漂流してるところを親切な船に拾ってもらってここに着いたんです。知り合いに会いに行くので駅を目指してるんですが、駅ってどっちですか」
口から出任せに言った。
この身なりは遭難の経験ありと言っても違和感はないはずだ。
俺の嘘八百に、老紳士は途端にハンカチを顔からどかして痛まし気な表情を見せた。
「そうだったのか……。行く宛てはあるんだね? しかし先立つものが……」
見た目以上にいい人だった。俺はわたわたと手を振る。
「大丈夫です。親切な船の人たちから幾らか恵んでいただいたので。で、すみません、駅ってどっちですか」
老紳士は眦を下げてほうと息を吐いた。
「それは良かった。――駅だね? このままこの通りを真っ直ぐ下って行きなさい。そうすると、駅に向かう道と領主様のお屋敷に向かう道と二つに分かれるから、右手の道を進むように。すぐに見えてくるよ」
俺は一歩下がって頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「気を付けて」
老紳士が、頭の上に乗っかっているかっちりした黒い帽子を取って振ってくれる。なんて礼儀正しい人なんだ。
俺はぺこぺこと頭を下げながらその場を後にして、人目を憚るようにしてそそくさと教えられた道を辿った。
顔を伏せて足早に歩いていても、見られる見られる。
そりゃあこんな見すぼらしいぼろぼろの身なりの人間が歩いてたら見ちゃうよな。分かるけど、分かるんだけどなかなかに辛い。
道の隅を歩き、教えられた通りに道が二股に分かれるところで右の道を選んで進む。
緩やかに弧を描くその道には、駅に向かう人、あるいは駅から町へ向かう人がかなり多く、人通りは増える一方だった。
――この時点で、違和感はあった。
あれ、乗合馬車ってそんなにいっぱい人を乗せられるっけ? 馬車がとにかく沢山来てるのかな? とか。
そうこうするうちに耳慣れない音が聞こえてきて、俺はますます首を傾げた。
がたんごとんと、硬くて重い何かが回転するような音が聞こえてくる。
なんだこの音、と眉を顰めているうちに、駅が見えてきた。
俺は大きく目を見開いた。ついでにぽかんと口が開いた。思わず足が止まった。
駅は――駅と思しきそれは――、木造平屋建ての、大きな建物だった。
見るだけで分かる、広い。
入口の扉は大きく開け放たれており、そこから大勢が出入りしている。
切妻屋根の斜面がこちらを向いている格好になっていて、その屋根に設けられた天窓の硝子が煤汚れで真っ黒になりつつあるのが見えた。
駅が、ただの杭の目印があるだけの場所ではなくて建物だった――それだけなら、俺だってこんなに驚いたりはしない。
俺が声も出ないほど驚いたのは、駅から滑り出てきたものを見てのことだった。
黒光りする筐体。
平べったい先端に、先端近くからにゅっと伸びる煙突。そこからもくもくと立ち上る煙。
しゃかしゃかと回る車輪。
ぽぉ――っと、甲高い音が耳を劈く。
がたんごとんと走るその黒光りする筐体に引っ張られていく、車輪付きのでかい箱たち。箱には窓があって、そこから乗客たちが見えた。
駅から滑り出て、徐々に速度を上げながらその黒光りする筐体――と、それに引っ張られていく箱たちは走り去って行った。
同時に、駅から出て来る人波が途絶えた。
駅に入っていく人たちは皆一様に首を振りつつ、「出たばっかりか、ついてない」なんて呟いている。
俺は瞬きすら忘れてそこに立ち尽くし、しばし茫然としたのち、
「なんだこれぇ――っ!?」
盛大に叫んで、周囲から無数の視線を貰う羽目に相成ったのだった。