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62◆ 手を噛む飼い猫

 俺に声を掛けたのはティリーだった。


 人の間を縫って駆け寄って来るティリーを見て、俺は反射的に、ちらっとカルディオスを窺った。

 地下の一件で、カルディオスはティリーにも腹を立てていたから、嫌そうな顔の一つも見せるかと思ったのだ。


 だが、カルディオスはごく普通の無表情でグラスから水を飲んでいた。


 ――いや待て、そう言えば。

 こいつは節操なしにも、ティリーにも手を出そうとするようなことを仄めかす言動を取っていたんだった。

 あぶねぇあぶねぇ。


 内心でそんなことを思いつつも、俺は取り敢えず、駆け寄って来るティリーを待って首を傾げた。


「……なんかあったの?」


 俺から見れば、カルディオスと反対側から駆け寄って来た格好のティリーは、長椅子に腰掛けることはせず、その場で屈んで俺と視線を合わせた。

 慌てて走って来たのと、周囲の酒臭さに閉口して息を詰めていたのもあるのか、ちょっと息を弾ませていた。


「あの、今日、捜していたんだけど、砦にいなかったから」


 そう言われて、俺は怪訝に瞬き。


「ああ、うん――出掛けてたから。なんか用あったの?」


 カルディオスがこっちを向いた。

 翡翠色の目が興味深そうに俺とティリーを往復するのを、俺は視界の隅に見ていた。


「いえ、あの……」


 ティリーが口籠った。

 こいつが躊躇っているのに付き合う義理はないので、俺はふと述懐した。


「――おまえ、明日が休みなのか。骨休め出来て良かったな」


 何しろ、今日の喚問は相当な心理的負担になっていただろうからね。

 その直後に一日休めるとは運がいいとしか言えない。


 ――と、そう思っての台詞だったのだが、ティリーはふるふると首を振った。


「えっ? ああ、違うの。お休みを頂戴するのは、私は明々後日(しあさって)


 俺は眉を寄せた。

 胡乱な表情になっていることを自覚しつつ、ティリーを見遣って尋ねる。


「は? じゃあなんでおまえ、呑気にこんなとこに来てんの? 明日も任務なんじゃねぇの」


 言い様も冷たくなったが、ティリーは慌てた様子で首を振って力説。


「違うわ! 大広間(ここ)にはさっき入って来たばっかりよ!」


「なんで」


 思いっ切り平坦な顔で尋ねた俺の蟀谷を、こつん、とカルディオスが軽く小突いてきた。


 不意打ちにちょっとよろめきつつもそちらを見遣れば、カルディオスは何やら呆れたような顔。


「おまえね、そんなに冷たく当たんなくてもいーじゃん。怖がってんじゃん」


「――――」


 俺は目を眇めた。


 ――こいつ、ついこの間まではティリーに対してもあれだけ腹を立ててたっていうのに、どうした。

 ティリーも、思わぬ擁護に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。


 そんな俺たちからの視線を受けつつ、カルディオスはにこっと微笑んで足を組み、身を乗り出した。


「さっき、ウェルスも見掛けたんだよね。確か、一緒の中隊だったよね? 二人して明々後日にお休みなら、なんで二人ともここにいんの?」


 ああ、そう言えば、確かに。

 休暇は中隊ごとに与えられるんだった。


 遅まきながらそれに気付く俺を他所に、カルディオスは蝶を呼ぶ花のように美しい笑顔。


「もしかして、ウェルスはわざわざイーディを捜しに来たのかな。――だったらきみは、もしかしてルドを捜してわざわざ来たの?」


 めちゃくちゃ優しい口調でそう言われ、ティリーは俺に目を向けてから、少しばかり頬を赤らめてこくこくと頷く。

 咄嗟に声が出なかったらしい。


 カルディオスがにこっとしただけでこれである。


 俺は呆れて息を吸い込み――半端にその息を止めた。

 嫌な予感に、さあっと顔が強張るのが分かった。


 ティリーの用件は、大体予想がつく。

 わざわざウェルスと一緒になってまで救世主を――というか、俺を――捜したということは、喚問で罰を軽くしてやったことへの礼だろう。

 ウェルスはさしずめ、港町に飛ばされる前にトゥイーディアに謝っておきたかっただとか、その辺だろうな。


 ティリーやニール、ララを庇ったのは、俺がやりたくてやったことだ。

 むしろ何というか、あの地下では俺もトゥイーディアと話せて嬉しかったので、その礼も兼ねたことだった。

 だから、喚問でのことは全く気にしなくていいんだけど、問題はそこではない。


 問題は、カルディオスが妙に優しいことだ。


 思わず俺は、強張った動きでカルディオスを見遣った。


 この稀代の美男子は、後ろのテーブルに片肘を預け、足を組んだまま、極めて優しい眼差しでティリーを見ていた。


 その翡翠色の目に、俺は間違いなく余計なお世話の片鱗を見た。


 くるっとティリーに向き直り、吸い込むのを中断していた息を吸い込んで、俺は一息に言い切った。


「ああ、喚問でのことか、別にいいから気にしないで」



 ――カルディオスのこういう顔を、俺は以前にも見たことがある。


 何かこう、救世主(あるいは、救世主の仲間)である俺とよしみを結ぼうとして、それっぽく迫って来る女の子とか女の人を、怖いのでこいつに押し付けた際に、必ず見せていた顔だ。


 いい加減恋人の一人や二人も作ってみれば? と、冗談半分に俺に向かって言っていたときの、あの顔だ。


 カルディオスは何気に、ずっと俺がお独り様でいることを気にしている。

 このちゃらちゃらと軽い男からすれば、俺がそういった方面に一切の興味を示さないのは驚愕ものであるらしい。毎回毎回、可愛い子に興味はないのかと言われ続けて辟易している。


 ――そういうときの顔だ。



 自意識過剰かも知れないが、ティリーが()()()()()()で俺を捜していたのであれば、カルディオスのこの顔は危ない。

 面白そうだから、とか言って、この場に俺とティリーを残して立ち去りかねない。


 ――いやでも、まさか。ティリーは公爵令嬢だ。

 これはカルディオスの勘違いだろう。


 内心で冷や汗をだらだら流しつつ、俺はいつでも立ち上がって逃げ出せるよう、ぐっと体重を前に掛けた。


 カルディオスは俺の些細な挙動に気付いて、ちょっと咎めるような眼差しで俺を見てきた。


 ティリーは息を吸い込み、それから極めて礼儀正しく頭を下げた。


 その様子に、俺は思わず安堵の溜息。

 なんか、大丈夫そう。


「――いいえ。本当にありがとうございました。私だけではなく、家名も救っていただきました」


 ああ、杞憂だった。

 単純に、ほんとに、お礼を言いに来たってだけっぽい。


 安堵の余り、俺は思わず頬を緩めて微笑した。


 身構えて損したー、でも良かったー。


「ああ、うん。全然いいから。気にしないで」


 なんだこいつ、礼儀も弁えてるいい奴じゃん。

 お陰でトゥイーディアとは喋れたし、トゥイーディアの可愛い顔も見られたし。


 助けて良かった、と、俺は極めて自己満足的な笑顔を浮かべた。


 俺に釣られたように、顔を上げたティリーも安心したように微笑んだ。


 こいつの高慢な性格が、評価の上でも足を引っ張る局面は多々あったんだろうが、これからは多分大丈夫だろう。

 死人も出なかったし、地下でのあの一件は――結果的には――こいつにとっては良かったのかも知れないな。


 そんなことを思い、一人でうんうんと頷いた俺は、数秒後に首を傾げた。



 ――用が済んだはずなのに、ティリーが立ち去ってくれない。



 半端に笑顔を浮かべたまま、俺は「んっ?」と眉を寄せ、それから意味もなくカルディオスを見た。


 カルディオスは泰然とした態度で俺たちから視線を逸らし、斜め上を見上げていたが、その実しっかり視界の端でこっちを見ていることが、長い付き合いの俺には分かった。


 ティリーに視線を戻し、俺は改めて笑顔。むしろ愛想笑い。


「……うん。全然いいから。気にしないで」


 言外に、まだ何か用があるのかと尋ねたのが通じたのか、すうっとティリーが息を吸い込んだ。


 急転直下。

 安堵から一転、またしても嫌な予感に苛まれた俺は、さり気なく席を立とうとした。

 が、すんでのところでカルディオスが、気付かれないようにそっと、俺の踝を蹴って邪魔してきた。

 このやろう。


 横目でカルディオスを睨むも、奴は涼しい顔で口笛を吹く振りなどしている。

 このやろう……!


 そんな馬鹿な無言の遣り取りをしている間に、ティリーが言葉を吐き出してしまっていた。



「――明々後日に、お礼をさせていただきたいんだけれど、ご都合はいかが?」



 悪い。都合は悪い。いつだって悪い。


 反射的にそう言い放ちそうになった俺だったが、理性で堪えた。



 ティリーは多分、純粋にお礼の気持ちから言っているだけだ。

 そうに違いない。


 それに対して、失礼な返しをするのは褒められた態度ではない。



 精一杯の愛想を顔に貼り付けて、俺は言った。


「いや、ほんとに、気にしなくていいから」


 ティリーは眦を下げた。

 お礼を断られたくらいでそんな悲しそうな顔することないじゃん……。


 ちら、と隣のカルディオスを見ると、この戦犯は何やら片掌で顔を押さえていた。


「いえ、ぜひお礼させてもらいたいと……」


 俺も必死。

 少なくとも、「ティリーはルドベキアに気があるかも知れない」というカルディオスの誤解を解かない限り、この誘いを受けると面倒なことになるからね。


「いや、せっかくの休暇だろ? 一日しかないんだろ? 仲のいい人たちとのんびりしろよ。疲れを取るのに使えよ。な?」


 カルディオスが両手で顔を押さえ始めた。

 膝に肘を突いて、端から見れば酔っているように見えかねない。


 ティリーは一瞬きょとんとして、それからおずおずと笑顔を浮かべた。

 その頬と耳朶に熱が溜まっているのを色から見て取って、俺は天を仰ぎたくなった。


「――お気遣いありがとう。……でも、お礼をさせてもらった方が疲れは取れると思うの。ほらっ、あの、お礼をさせてもらわないことには、ずっと気になってしまうし」


 なんなのこいつ。


 俺は顔を強張らせた。


「……それって、ニールとかララも一緒かな……?」


 もはやお伺いを立てるような口調で、念を押すように尋ねた。


 だってほら、お礼って言うなら、ニールもララも俺にお礼をしないといけない立場だってことになるじゃん。


 頷け、頷け、と念じつつティリーを見る。


 その視線の先で、ティリーはちょっと俯いた。

 そのまま、鳶色の瞳で上目遣いに俺を窺う。


「いえ……。私が個人的にお礼をしたいだけだけれど」


 マジかよ。


 こいつ、カルディオスを見る女の子みたいな顔してんじゃん。

 下手したらこれ、カルディオスの誤解じゃないじゃん。

 どうしろって言うんだ、どこに惚れる要素があったんだ。


 俺は目を逸らした。


「あー、救世主は休みが決まってないから、明々後日が休暇になるかは分からないかなー……」


「えっ、なんで?」


 と、ここで戦犯が顔を上げた。

 きょとんとしたような表情を浮かべるカルディオスが、その翡翠色の目の奥で計算高さを煌めかせているのを、俺だけは見た。


「俺たちは休暇取る日を自由に決めていいって、さっき言われたでしょ。ルドの分も俺が頑張るし、だいじょーぶだよ」


 大丈夫じゃねえわ。


 逃げ道を断ってきたカルディオスに、割と本気の怒気をぶつける。


 カルディオスはむっと眉を寄せ、それからにこっと微笑んで立ち上がった。

 そして、踊るような仕草で、悪戯っぽくティリーに指を向けた。


 ここが軍事施設の宿舎ではなくて、御伽噺の中なんじゃないかと錯覚させるような、完璧な身のこなしだった。


「――ちょっとここで待っててくれる? ルドって心配症だからね、ちゃんと救世主で話つけてくるよ」


 よし話をつけよう。一発殴らせろ。


 頷いて俺も立ち上がった。


 ティリーはなんだか不安そうな顔をしている。


 俺は思いっ切りそんな彼女から視線を逸らしていた。

 申し訳ないけど、軍人としてのこいつを評価する気持ちはあっても、人間としてのこいつに興味はない。


 そんな気持ちが顔に出ていたのか、カルディオスが軽く俺の頭を叩いてきた。


「おまえね、照れるのも大概にしろよ」


 照れてねぇわ、と、俺はもはや無言で固く拳を握り締めた。






 ――と、カルディオスが俺を引っ張って席を立った先は大広間後方。

 すぐに行き当たったのが、平和に談笑しているディセントラとコリウス。


 とんでもなく不機嫌な顔の俺と、反対に上機嫌なカルディオスを見て、不思議そうな顔でディセントラがコリウスを引っ張り、こっちに寄って来た。


「――どうしたの、ルドベキア。人でも殺しそうな顔をしてるけど」


 俺とカルディオスは、期せずして二人と合流する形で足を止めた。


 周囲は宴もたけなわ、さっきまでは気にもなっていなかった酔った連中の大声が、今の俺には苛立ちを掻き立てる要因だった。


「こいつが」


 俺は親指でカルディオスを差した。憤然たる仕草になった。


「余計な気を回しやがって――」


「いいじゃん。余計でもないと思うよ」


 カルディオスは涼しい顔。


 何なんだ、こいつ。今までここまで強引なことはしたことないのに。

 いつも、俺が押し付ける女の子たちを、何だかんだ言いつつ引き取ってくれてたのに。


 ディセントラが、俺の斜め横でぽかんと淡紅色の目を見開いた。


「……どういうこと?」


 カルディオスが肩を竦め、いい笑顔で自分と俺の後ろを指差した。


 その方向にティリーがいるはずだ。

 振り返る気はないけど。


「ティリーがさ、助けてもらったお礼にって、ルドを逢引(デート)に誘ってきてさ」


 俺は思わず鳥肌を立てた。


 ぶるっと身震いする俺をまじまじと見て、ディセントラは、「そう」と一言。

 コリウスに至っては、「なんだそんなことか」と言わんばかり。


 思わず、俺は声を潜めつつも叫んだ。


「――『そう』じゃないだろ! ディセントラ! 助けてくれよ!!」


 ぱち、と瞬きして、ディセントラは首を傾げた。

 そしてカルディオスに目を遣って、訝しげに。


「……ものすごく嫌がっているように見えるんだけど、あんたが勝手に了承しちゃったの?」


「してない!」


「してねーよ」


 俺の声を抑えた絶叫と、カルディオスののんびりした返答が重なった。


 俺は結構ガチな顔だった。


「死刑宣告まではいってない」


 真顔で言った俺に対して、カルディオスは涼しげな顔。


 すぐ傍の見知らぬ隊員さんを呼び止めて、しれっと酒杯を受け取るなどしている。

 手渡された酒杯の礼として、「ありがと」と至宝の笑顔を浮かべてみせたカルディオスは、くいっと酒を一口呷り、それからその酒杯で俺を指してきた。


 琥珀色の液体が、杯の中で灯火を弾いて揺れる。


「死刑宣告って、おまえね。別にいーじゃん、一緒に出掛けるくらいさ」


「良くねぇわ!」


 叫ぶ俺に、ディセントラが半笑いを浮かべた。

 そして、こほん、と咳払いすると、カルディオスを窘めるように見る。


「――カルディオス。嫌がってるんだから、無理して行かせることないでしょ? ティリーにも失礼だわ」


 猛然と頷く俺。

 それ、それな。


 が、カルディオスは素知らぬ顔。

 もう一口酒を含んで、しれっと言った。


「いや別に、それはどーでもいいかな。俺、あいつのことは割と嫌いだし」


「……は?」


 俺の、悪鬼も斯くやという顔に、珍しくもコリウスが笑い出しそうになった様子でぐっと堪えた。

 咳払いで誤魔化して、コリウスも手にしていた酒杯を口に運ぶ。


 その一方、ディセントラはもう少々真面目に俺の危機的状況を捉えてくれているらしい。

 思慮深く首を傾げてみせた。


「カル? 嫌いな相手に肩入れしてるの?」


「んー、ちょっと違うんだけど、まあ、そーいうことでもいーよ」


 訳が分からん。

 俺は慄いた顔でカルディオスを見た。


「……カルおまえ、頭でもぶつけた? それか酔ってんの?」


 噴き出すカルディオス。

 玉の声音を響かせて、それはそれは愉快そうだ。


「どっちもないない、だいじょーぶ、俺は健康だよ」


 俺は思わず拳を握った。


「おー、そうかそうか。じゃあ、一発殴ってもいいか?」


「だーめ」


 満面の笑顔でそう言って、カルディオスは肩を竦めた。


「行ってやれよ。明々後日でしょ、別にその日は休めばいいじゃん。

 今の状況なら、いっそ救世主全員が一斉に休暇取ってもだいじょーぶだよ。安心して行って来い」


「嫌だ。そんなの、行くくらいならもう一回地下に閉じ込められる方がマシだ」


 断固として言い募る俺に、ディセントラが「そこまで……?」と絶句。


 カルディオスはもう一口酒を呷って、「それそれ」と俺の顔を覗き込む。


「地下に閉じ込められてさ、不安で不安で仕方ないときに助けてくれた救世主さまだろ?

 で、その救世主さまが喚問でも自分を助けてくれたわけだろ?

 そりゃあ惚れるよ。そこまでしてやったんなら、おまえもちょっとは責任取ってやれよ」


 二重の意味で、俺は絶句した。


「カル、おまえ……」


 怨嗟の声を上げると同時、コリウスがぼそっと。


「喚問で――助けた?」


 思わず、俺は弾かれたように正面に立つコリウスに向き直った。


 コリウスの銀の柳眉が顰められ、濃紫の目が不機嫌に俺を見ていた。


「ルドベキア、ガルシアの法規に口を出したのか?」


 俺は思わず、両掌をコリウスに向かって突き出し、完全に言い訳の口調で捲し立てた。


「違う、いや、違うことはないけど、ただちょっと自分の意見を言いに行っただけ。まじ。まじで。それ以上のことはしてない」


 言い募る俺に、ディセントラが同情の眼差しを向けてきた。


「まあ、気持ちは分かるわ。――コリウス、許してあげて」


 思いっ切り眉を寄せ、不機嫌に鼻を鳴らしながらも、コリウスは言葉を引っ込めてくれた。

 ぐい、と、こいつにしてはやや乱暴な仕草で酒を呷る。


 ごめんなさい。


 怒られた恨みを籠めてカルディオスを見ると、こいつは薄情にもけらけら笑っていた。


 俺は実際に手を上げ掛けたが、ディセントラが先手を打って俺の手を押さえ、「まあまあまあまあ」と。

 長年俺たちの喧嘩を仲裁してきたディセントラ、さすが、手慣れている。


 すうっと息を吸い込み、俺はカルディオスに言葉で以て噛み付いた。


「――大体、何だよ、助けてやったのに責任も何もないだろ!」


 カルディオスは、俺の言葉などどこ吹く風といった風情。


「んー、惚れられたなら優しくしてやれよー」


 これまで何百人という女性を堕としてきた男の台詞である。

 俺は思わず力説。


「おまえ、惚れさせた女の子を何人泣かせてきたよ!?」


 にこ、と微笑んで首を傾げたカルディオスは、確信犯の顔をしていた。


「俺はね、欠点を探す方が難しいくらいの姿形だからね。意図せず泣いちゃう子がいるのは仕方ないの」


 俺はぽかんと口を開けたあと、ディセントラを見た。


 ディセントラは、畜生を見る目でカルディオスを見ていた。


「……こいつ、殴っていい?」


「どうぞ」


 俺の問いに対するディセントラの即答に、カルディオスが笑いながら空いている手を振る。


「待て待て、ごめん、事実だけど冗談ってことにしとくから」


 こいつのこの底無しの自信はどこからくるんだ。

 世の中から鏡という鏡を排除すれば、ちょっとはマシになるのか。


 こほん、とわざとらしくも咳払いして、カルディオスは妖艶な笑顔で俺を見た。

 俺は徹底的に冷ややかにそれを見返した。


「――ま、とにかく、いーじゃん。出掛けるくらい。行って来いよ」


「嫌だ」


 歯を食いしばる俺に、カルディオスは何とも言えない困り顔。


 空いている手をふと伸ばして俺の頭に触れて、唐突に、謙虚な――生真面目なまでの声音で呟く。



「頼むって。――おまえが多少でも女の子と遊んでくれれば、諦めもつくはずだからさ」



 俺は眉を寄せた。

 首を傾げて、ついでにカルディオスの手を叩き落としながら、半信半疑で尋ねる。


「は? ――なに? おまえ、俺のこと好きなの?」


 “諦めもつく”って何だよ。


 怪訝そうな俺の顔を瞳に映して、カルディオスは瞬きした後、ふっと鼻から息を抜いた。


「いや、俺はもうちょっと線の細い子が好み」


「さいですか」


 カルのことはよく知ってるつもりでいるけれど、さっきからよく分からんことばっかり言うな。

 ティリーのことが嫌いなら、大人しくその恋路の妨害でもしていればいいのに。


 ディセントラも困惑顔。

 コリウスに至っては興味もなさそう。


 カルディオスは肩で俺にぶつかってきた。じゃれに来る猫みたいだった。


「なー、なんでそんなに嫌がんの? ――好きな子でも出来た?」


 吸い込まれそうなほど綺麗な翡翠色の目に見据えられて、俺は口を開いた。



 ――そうだ、好きな子がいるんだ、だからその子以外とは逢引めいたことはしたくないんだ、と、そう答えるつもりだった。



 だが、俺の声帯は、俺の意思とは関係なく、決まり切った台本を読むように言葉を吐き出した。


「いねぇよ、そんなもん」


「じゃあ別にいーじゃん」


 カルディオスは言って、きょとり、と瞳を瞬かせた。


「……だよな? おまえ、好きになるのは女の人だよな?」


 俺は深々と溜息を吐いた。



 ――もう随分昔の人生になるが、俺はカルディオスから、正面切って恋愛対象について尋ねられたことがある。

 つまり、恋愛対象として捉えるのが、女性なのか男性なのか両方なのか。

「普通なら見てれば分かるんだけど、おまえのは全然分かんねーわ」と、悪びれなく言われたので覚えている。


 そりゃ分かんねぇだろうな、俺の恋愛対象はただ一人トゥイーディアで、その恋心は誰にも知られることがないんだから、と思いつつも、俺は「女性」と答えたのだ。


 それ以来、カルディオスの俺に対する、「可愛い子に興味ないの」というお節介が始まったわけだが。



 溜息を吐き切って、俺は吐き落とすように、「そうだよ」と答えた。


 カルディオスはにっこりと微笑む。


「じゃあ、ほんとにいーじゃん。――おまえ、女の子と手ぇ繋いだこともないでしょ?」


 むかっとして、俺はディセントラの手を取った。

 ぎゅう、とその手を握り締めて、首を傾げてカルディオスを見る。


「あるけど? ほら」


 ディセントラが苦笑しつつも、俺に調子を合わせるように手を握り返してくれる。


 これがアナベルだったら、その場で俺は掌を氷か何かで貫かれていただろう。

 いや、そもそも俺は用もなくアナベルの手を握ったり出来ないけど。


「いや違うそうじゃないんだ」


 可哀想なものを見る目で俺を見て、カルディオスは肩を組んできた。

 そしてそのまま、俺に振り返るように促す。


 嫌々ながら、俺は首だけで振り返った。



 もうだいぶ酒が回った隊員たちの向こうに、そわそわしながら俺たちの方を見ているティリーがいる。

 長椅子に腰掛けて、両手を握り合わせたり開いたりしながら、不安そうにこちらを見ている。


 ティリーは公爵令嬢で、隊員の中でも有名人である方だと言えよう。

 そのために、ちらちらと周囲から視線を向けられているが、それを感知する様子もなし。


 一心にこっちを見詰めるティリーはまさしく――



「――ほら見ろよ、あの顔。恋する乙女の顔じゃん」


 カルディオスが明快に言った。


 俺はぞわっとした。


 俺が戦慄したのが分かったのか、カルディオスはもはや病人を見るような目で俺を見てきた。


「おまえ、恋愛できない病気か何かなの?」


 惜しい。それに近い。


 思わず俺はそう思ったが、同瞬、今までそっぽを向いていたコリウスが俺を見た。


「ルドベキア、おまえ――」


 そう声を出してから、しかし二の句が継げない様子のコリウス。


 カルディオスはそちらを怪訝そうに見たが、俺ははっとした。



 ――もしかして、コリウス……俺の代償が恋愛絡みだと思ったのか?

 代償のことを、コリウスが内心で何と呼んでいるかは知らないが。



 俺の代償は、〈最も大切な人に想いを伝えることが出来ない〉というもので、恋愛に限ったものではない。

 この長い長い人生のどこかの時点、もう覚えてもいないほどに昔に、俺はそのことに気が付いている。


 俺に課せられた代償は、俺が最も大切だと思っている人が友人であれば友情の発露を、肉親であればその親愛の発露を禁ずるものだ。


 だから、理の当然として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、俺はトゥイーディアに自分の気持ちを伝えることが出来るようになるのだ。

 例えばそう、今この瞬間に、俺がカルディオスとの友情と仲間意識を自分の中で最も大切なものだと認識すれば、俺はトゥイーディアに愛の告白が出来るようになる代わりに、カルディオスに対して極めて冷ややかに、無関心に接するようになるだろう。


 この何百年という間、揺るがず動かず、トゥイーディアだけを、彼女に対する恋情こそを最も大切にし続けてきた、俺が余りにも頑固なのだ。


 だが、こればっかりは意志の力でどうこうなるものではないからね。


 俺はトゥイーディアのことが大切で、大好きで、彼女の嫌なところを探そうとしても可愛いところばっかり見付かるし、仮に嫌なところが見付かったとしても、それすらも愛おしく思ってしまうのだから。

 俺はトゥイーディアの髪が好きで、瞳が好きで、頬が好きで、指先が好きで、仕草が好きで、歩き方が好きで、表情が好きで、言葉が好き――何もかもが好きなのだ。



 だから、コリウスの推測は半分外れだ。

 だが、()()()()()だ。


 異常なほど勘がいいと言って良いだろう。


 よくぞ閃いてくれた。

 もしかしたらコリウスの代償は、俺の代償と似ているのかも知れない。


 だからこその頭の回転の速さだったのかも知れない。



 ――何にせよ、千載一遇の好機だ。



 がっ、と自分の頭に血が昇ったのが分かった。


 周囲の喧騒ですら耳から遠のいた。


 あのとき――忘れもしない、シャロンさんが死んだとき、代償が消え失せたのだと誤解した、あの瞬間の焦りと同種の焦燥が、あっと言う間に俺の頭を満たした。

 焦りの余りに、前頭が鈍く痛んだ。



 ――気付け、気付け、コリウス。

 惜しい、本当に惜しいところまで、たぶん今、コリウスの思考が及んでいる。

 気付け、気付いてくれ――



 内心でどんなに祈っても、俺は代償を仄めかす行動を起こすことが出来ない。

 傍目には単に、カルディオスを邪魔そうにあしらっているだけに見えているだろう。



 だがここで、コリウスから数秒遅れてディセントラも目を見開いた。

 恐らく、コリウスの反応を見て気付いたのだ。


 俺を見て、それからカルディオスを見て、唐突に、場違いなまでに真剣な声を出す。


「――ねえ、カルディオス。これ、ほんと、ここまでルドベキアが嫌がるならやめておいた方がいいんじゃないかしら? ね?」


 さすがディセントラ。


 推測でしかないが、ディセントラの代償は、〈仲間の誰かが自分を庇って死ぬ〉というものだ。

 この推測が正しければ、ディセントラは人の命に係わる代償を背負っていることになる。

 そのために、恐らくではあるが、他の五人に課された代償についても、同じレベルで深刻なものを想定しているはずだ。


 だからこそ、ここまで頑なに俺が嫌がるには相当の理由があるはずだと察してくれた。



 心臓がばくばくと脈打った。


 初めてだ。

 長年生きてきて、全員が代償の可能性に思いを及ぼす場面など今までなかった。


 今この瞬間、この好機に、この三人のうちの誰かが気付いてくれたなら――



「――どしたの、トリー。急に」


 カルディオスがあっけらかんと言い、俺は、顔には出せなかったものの愕然とした。



 ――マジで? マジで言ってんの、こいつ?

 この場の他の二人が閃いたことを、こいつは考えもしないわけ?

 確かに頭脳労働において、コリウスとディセントラはみんなの中でも随一だ。

 だけどカルディオスだって、野生の勘じみたものを発揮することはあるのに。なんで気付かないんだ?

 自分で、俺のことを病気なのかとまで訊いておいて、マジか……。



 失望余って力が抜けた。



 ディセントラが、じっと考え込むような顔をする。何度か唇を開いて、しかしその度に口を噤んだ。

 まず間違いなく、俺に何か訊こうとしているのだ。

 そして代償に阻まれて、言葉が言葉になっていない。

 恐らく、「出掛けたら誰かの命に係わる事態になるの?」などと訊こうとしてくれているのだろう。


 コリウスも同様で、何かを訊こうとしてくれているが言葉になっていない。



 かなり異様な事態だが、カルディオスは怪訝そうに眉を寄せただけだった。


「どしたの、ほんとに。――で、ねぇ、ルド」


 ぐいっと肩を引かれて、俺はちょっと泣きそうになった。

 傍目には平生変わらぬ仏頂面に見えただろうが、内心は滂沱の涙に濡れている。



 ――おまえ、カル、おまえなぁ……!

 今、コリウスもディセントラも、俺の代償について結構惜しいところまで推測してくれてたんだぞ!

 それを邪魔しやがって、この……!



 とはいえ、開いた口から飛び出した声は、極めて落ち着いていた。


「なんだよ、うるせぇな」


 ひっでぇ、と笑って、カルディオスは俺の顔を覗き込んだ。

 酷いのはおまえだよ……。


「――ティリーのあの顔見ただろ? 報われないとか可哀想だろ?」


 俺は思わず拳を握り固めた。

 声を潜めつつも、叫ぶようにして応じる。


「可哀想とかじゃないだろ! この状況、俺の方が可哀想だよ! 一方通行の気持ちとか迷惑でしかないだろ!!」


 言い切った後、自分の言葉に胸を抉られる俺。


 そう、一方通行の気持ちなんて迷惑でしかないよな……しかも俺の愛はちょっと重過ぎるよな……トゥイーディアに気持ちを知ってもらえたところで、困らせるだけだよな……。


 とはいえ、呻きたい気持ちも表には出ず。


 カルディオスは笑いながらも俺の肩をどついた。


「迷惑とか言うなよ」


「押し付けるのは迷惑だろうが!」


 押し殺した声で叫ぶ俺。


 そう、押し付けるのが迷惑なのであって、俺みたいに内に秘めてる分にはまだ許されるはず。


 カルディオスはけらけら笑った。

 空になった酒杯をその辺の隊員に押し付けて、手ぶらになったのをいいことになおもじゃれ掛かってくる。


「好きになってやれよー」


 こいつ、何なんだ……。


「好きになるのは無理してそうなるもんじゃないだろ!」


 拳を振って力説。

 そもそも俺の心はもう既に別の人でいっぱいなので。


 カルディオスは首を傾げて、わざとらしく目を丸くしてみせた。


「おまえ、ティリーのこと嫌いなの?」


「好きなわけないだろ!!」


 そもそもカルディオス自身、ティリーのことは嫌いなんだろうが!


 駄目だこいつ、話が通じねぇ。



 ――そう思って拳を震わせていると、遂にカルディオスが暴挙に出た。


 にっこり笑って俺の肩に手を置き、


「好きになれるとこ見っけて来いよ」


 くるっと振り返って、止める間もなく、


「――ルド、行くってさー!!」


 ティリーに向かって叫んだ。



 ――人間、余りにも予想外の事態に遭遇すると思考停止に陥るもので、この瞬間の俺がまさにそれだった。


 自分が硬直する音が聞こえたくらいだ。



 待って、待って、今こいつ、何て?



 愕然としながらティリーを振り返る。



 そしてそこに、ぱあっと顔を輝かせて立ち上がる彼女を見て、俺は思わず膝から崩れ落ちそうになった。


「おいぃぃぃ!! カル――っ!!」


 叫ぶ俺。


 周囲がしんとしたが、カルディオスがにこっと笑って「気にしないで」と言うや否や、周りの人たちは元通りに宴会に興じ続けた。


 俺は半泣き。

 実際、崩れ落ちそうになっているところをカルディオスに支えられているような状態。

 ディセントラとコリウスが無言で額を押さえる。


 なんなのこの状況。

 夢なら夢と言ってくれ。

 俺はどこから間違えた?



 喜色を湛えて駆け寄って来たティリーも、さすがに俺の様子が乗り気でない(うん、精一杯控えめに表現して、「乗り気でない」。順当に表すならば「絶望」だ)のを見て取って、足を止めて憂い顔になった。


 申し訳ないけど、俺はここでティリーがお礼云々の話を撤回するのを期待した。


 が、ここでさらりとカルディオスが最後の希望をぶった切った。


「――ごめんね、ティリー。こいつ、女の子と出掛けるの初めてなんだって。緊張しちゃったみたい、でもいい奴だから」


 このやろういっぺん殺してやろうか。


 殺意すら募らせる俺の視線の先で、カルディオスは万人を魅了する笑顔を浮かべていた。


 俺を単体で見れば、素直に嫌がってることが伝わりそうなものだが、カルディオスのこの要らない注釈のせいで、ティリーもなんだか俺が緊張しているだけだと思ってしまったらしい。


 普通に見たら正しい判断が下りそうなところに、この色男は人の判断を狂わせる麻薬みたいな笑顔をぶっこんでくれやがった。


 カルディオスはそのままの流れで、てきぱきと。


「じゃ、ティリー、明々後日の――そうだな、九時頃に宿舎の玄関で。時計持ってる? 持ってる、良かった。こいつには俺の時計を貸しとくから、時間も分かると思うよ。んじゃ、こいつ、不慣れだけどよろしくね」


 口を挟む隙も無い。

 おまえは俺の保護者かよ。


 当事者の意思の介在しないところで日取りを決められ、俺は歯軋りせんばかり。


 そんな俺の表情もカルディオスが上手いこと身体で隠してしまって、最後は笑顔で、「じゃ、明日も任務でしょ? 長いことこんなとこいないで、休んで?」とティリーを追い出した。


 ティリーはティリーで、何気に緊張していたのかは知らないが、安心したようなやり切ったような笑顔でそれに応じて、頭を下げつつ大広間を出て行く。


 訂正の声を上げる(いとま)もない。



 ――俺、茫然。



 魂すら抜けたような俺の顔を覗き込んで、カルディオスはさすがにちょっとだけ()()が悪そうにした。ちょっとだけ。


 こいつ――このやろう……!


「……ルド、怒った?」


 しゅんとした顔を作って嘯くカルディオスに、俺は思わず両手で掴み掛かった。


「おまえ、この……っ、このやろう……っ!」


「はい、落ち着いて。落ち着いてねー」


 周囲がぎょっとする中、ディセントラが素早く俺とカルディオスの間に割って入り、俺の手をカルディオスの襟首から引き離した。

 そのまま俺の手を握って、困り顔でカルディオスを振り返る。


「カルディオス、さすがにちょっと強引すぎない?」


「だーって、このくらいしないと、お堅いルドが逢引(デート)なんて行ってくれるわけねーじゃん」


 襟元を直しつつ、カルディオスは悪びれなく言い切った。

 俺はちょっと泣きそうになった。


「俺、おまえに何かした? 何か恨み買ったの?」


 んなわけないじゃん、とすぐに返してくれるかと思いきや、カルディオスは沈黙した。


 俺はぎょっとした。


「え……? マジで何かしたの……?」


「――例えばさ」


 カルディオスが指を一本立てた。翡翠色の目がきらっと光った。


「俺の好きな子がおまえのこと好きになっちゃって、何とかしておまえのことを諦めてもらいたいから、取り敢えずおまえとティリーがデキてるって誤解させたいんだ――って言ったら信じる?」


「信じるわけねーだろボケ」


 思わず、悪態が口から飛び出した。


「おまえが本気になって堕とせねぇ奴はいないだろ!」


 カルディオスが笑った。子供みたいな笑顔だった。


「わりーわりー、うそうそ。――まあでもとにかく、ルドも一回くらい女の子と出掛けてみるべきだと思って」


「要らないお世話だ!」


 声を荒らげる俺に、カルディオスはきょとんとして目を瞠ってみせた。


「え? ルド、俺のこと嫌いになるの?」


 俺はぐっと言葉に詰まった。


 数秒の葛藤ののち、俺は吐き出すように。


「――俺とおまえがただの友達だったら、絶対ぇ嫌いになってたからな!」


 にっこり、と嬉しそうに微笑んで、カルディオスは貴公子のような仕草で自分の胸に手を当てた。


「ありがと、ルドのそーいうとこ好きだよ。

 ――だいじょーぶ、当日は服から何から何まで、ちゃんと俺が面倒みるからね。俺と大体身長も同じで良かったね、ルド」


 良かったね、じゃねえだろ。


 そう思いつつも、天啓のように降ってきた考えに、俺は思わずがばっとカルディオスの手を掴んだ。


 カルディオスが目をぱちくりさせる。


「ルド?」


「そうだ、二人でなきゃいいんだ」


 口走って、俺は笑顔でカルディオスに凄んだ。


「一緒に来い、カル」


 もう一度瞬きして、カルディオスは素っ気なく俺の手を振り払った。

 そして、事も無げに言い放つ。


「行くわけねーじゃん。俺がお膳立てしたのに」


 俺はそのままの勢いでコリウスを振り返った。


 コリウスは口許に手を当てて、真面目な顔で何かを考えている。


「コリウス! 明々後日(しあさって)、一緒に来てくれ!」


 縋る俺に視線を向けて、コリウスは濃紫の目を細めた。


「ああ、同伴できないか考えていたんだが――」


 俺は息を呑んだ。

 カルディオスが「は?」と呟いた。


 そんな俺たちからの視線を受けつつ、コリウスは。


「――ちょうどその日、テルセ侯との昼餐に招待されている」


 俺は絶句。


 なんだそれ。なんだそれ。

 タイミング悪すぎるだろ。


 一方のカルディオスは、「ええっ」と素の声を上げていた。


「俺、呼ばれてねーよ?」


 コリウスは辺境伯の息子だが、カルディオスも将軍の息子である。

 コリウスは溜息を零した。


「当たり前だ。今回の昼餐は、ドゥーツィアの――僕の生家の領地がレヴナントで被害を受けたことを相談するための場だ」


 マジか。無理しても抜け出してくれとは言えねえ。


 いよいよ追い詰められる俺。


 カルディオスは、「あ、そーなの」と軽く呟いてから、目を細めてコリウスを見遣った。


「けど、珍しーな。コリウスがちょっとでも付いて行くこと考えるなんて」


 コリウスは曖昧に肩を竦めた。

 そして俺に目を向けて、相当言葉を選んだと分かる声を掛けた。


「ルドベキア。今回のことで、あー……ディセントラが泣くようなことになるか?」


 こいつも人死にを警戒してんのかよ。

 俺の代償はそこまで物騒じゃねえよ。


 カルディオスはきょとんとして、


「なにそれ? ルド、さすがにティリーをぶっ殺したりしねーだろ?」


 などと言っている。

 それをもはや聞き流しながら、俺は項垂れて首を振った。


 コリウスとディセントラが同時に息を吐いて、コリウスは俺から目を逸らした。


「そうか。ならいい」


 なら良くない。


 もう半分泣きながら、俺はディセントラに目を向ける。


「ディセントラ。トリー、明々後日……」


「ごめんね」


 と、俺がここまで頑なに嫌がっている原因が俺の代償であれ、それでは人死にが出ないことを確信したらしきディセントラが、ばっさりと俺の嘆願を切って捨てた。


「その日ちょうど、三人でお茶する約束してるの」


「三人……!?」


 俺は目を見開いた。


 特に枕詞もなく、ただ「三人」というのであれば、その面子は決まっている。

 ディセントラとアナベル、そしてトゥイーディアだ。


 そして、それが示す、最後の道連れの消失の事実。


「じゃあアナベルも無理ってことか……!」


 マジで膝を突きそうな俺に、ディセントラは何とも言えない顔。


「うん、そこでもイーディは無視するのね……」


 トゥイーディアが一緒に行ってくれるなら、俺は全身全霊を懸けて明々後日を楽しみにするんだけどね。


 カルディオスは、俺の余りの嫌がりようを見てなのか何なのか、ちょっと頬を固くしながらも俺の背中を叩いてきた。


「ま、そーいうことだから。開き直って楽しんで来いよ、堅物」


 俺はがっくりと項垂れ――そしてがばっと顔を上げた。


「いや、待てよ、まだいる……」


 カルディオスが眉間に皺を寄せた。

 そんな顔をしても完璧に絵になるのはさすがである。


「は?」


「俺には忠実な弟がいるじゃないか。一緒に来てくれって言えば、あいつが断るはずない!」


 むしろ絶対喜ぶ。


 拳を握って勝利を確信した俺の脳天に、カルディオスが綺麗な手刀を決めた。


「いてっ!」


「おまえねー」


 腕を組んで仁王立ちし、カルディオスはむしろもう軽蔑の眼差し。

 大仰に頭を抱えつつも、俺は恨みを籠めた目でそれを迎撃する。


 このやろう、事の原因は全部てめぇのくせして……。


「そんなことで弟くんをティリーに会わせる気か? ――探られたらやばい腹を晒してどーすんだよ」


 後半は低めた、周囲に漏れないような声だったが、俺は顔を顰めた。



 ――まあ、そうだよな……。


 もう存在は知られているとはいえ、二人で出掛けるとティリーが思い込んでいる場に連れて行けば、確実に「これは誰?」という詰問が始まるだろう。

「そんなこと訊くなら今日は行かない」とか何とか言って難を逃れてもいいが、ティリーにはルインの存在を変に印象付けてしまうことになる。


 そうなると、あんなのでも一応は公爵令嬢、金に物を言わせてルインのことを探られかねない。

 ルインの経歴は全くの白紙だし、万が一アーロ商会の船にまで調査の手が伸びてしまったら、下手したら魔界出身だとバレる。


 そして更に下手を打てば、俺が魔界出身だとバレる。



 つまり、ルインは連れて行けない。



「詰んだ……」


 顔を覆って呻いた俺に、カルディオスは肩を竦めてみせた。



「だから、開き直って楽しんで来いって」



 絶対無理だろ……。

















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― 新着の感想 ―
ここのカルディオスの頑なさはもちろん、トゥイーディアのこともあるだろうけどカルの呪いのことも関係してたのかなぁ。 致命的ではないにせよ…
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