59◆ 状況一変
湯浴みをしても消えない寒気に、翌日の発熱を覚悟した俺だったが、いざ寝て起きてみると元気になっていた。
俺ってすげぇ、とちょっと思ったが、よく考えると俺はあんまり熱を出したりしない。
魔界脱出後の漂流生活ですら、飢餓と疲労はあったにせよ、おおよそ健康体のままで乗り切ったくらいだ。
馬鹿は風邪を引かないというけど、それに該当するのかも知れない。
そう考えて、俺はトゥイーディアを心配した。
トゥイーディアは断じて馬鹿ではないし、どっちかっていうと才女の部類なので、風邪を引いてもおかしくない。
――彼女の様子を知っているとすれば、一緒にいただろうカルディオスかディセントラ。
どちらかでも近くにいないかと、今日も今日とてレヴナント討伐に出発する間際に大広間を見渡した俺は、幸運にもディセントラを見掛けた。
彼女の顔色は青白く、俺と目が合うと、まるで今際の言葉のように、「昨日……」と呟いていた。
どうやら二日酔いらしい。
トゥイーディアとカルディオスのペースに合わせて飲めば、どうなるかは分かっていただろうに。
――あるいは、ついつい盃を重ねてしまうくらいに、ディセントラも動揺していたのかも知れない。
ヘリアンサスが目と鼻の先に現れたのだから、そうなっても已む無しだろう。
顔を顰めて、「水でも飲んどけ」と言い渡した俺は、その言葉の流れのままトゥイーディアの様子を訊こうとした。
だが案の定、言葉は出なかった。
――やっぱりか。もう分かり切っていることだけれど、でもこの事実を確認する度にがっくりしてしまう。
内心でしょんぼりした俺だったが、訊かずともディセントラが勝手に喋ってくれた。
曰く、「イーディも今日はお昼までは砦にいるし、私もそれまではここにいたくなっちゃう……」と。
トゥイーディアが半日もの間、砦に留まるなど只事ではない。
いよいよ彼女の体調不良を予感して俺は人知れず泣きそうになったが、事実は違った。
トゥイーディアが砦に留まったのは、ヴェルマ将軍をはじめとした指揮官の方々に対して、やむを得ない状況ではあったにせよ、一定以上の身分の者のみに知らされている緊急用の地下道を通って帰還したことを釈明するためらしい。
俺がその指摘を受けることはさすがにないとは思うが、あの地下道を通った中には、本来その存在を知らされるべきではない者が含まれていたのは確かだから。
だが、やはりと言うべきか何というか、トゥイーディアに対しては全くお咎めなしだった模様。
地面をぶち抜いて竪穴を作った彼女の姿を目撃したガルシア隊員からは、「お偉方はあの魔法に恐れを成して何も物申さなかったのだ」とまことしやかな噂が後日に流れた。
そんなわけないだろ、と全員が胸の内で分かってはいても、一人の魔術師が作り出したとは思えない地面の竪穴を見た隊員たちは、ちょっと真に受けたような顔をしていたとか何とか。
――いや、トゥイーディアが本気になったらあんなもんじゃないから。
かつてあいつが、魔王の城の大広間、その床に穿った奈落は本当にやばかった。
まあ、そこまでしても俺たちは見事に戦闘不能にされ、目の前でアナベルが殺されるのを見ていることしか出来なかったわけだけど。
人伝に聞いたところによると、ヴェルマ将軍たちとの話をつけてから砦を出発したトゥイーディアは、その前日にあったこと全てを忘れ去ったように清々しい顔をしていたらしい。
それがまたなお噂に拍車を掛けたが、事実は違う。
地下での騒動から三日後くらいに俺がばったりカルディオスと会い、そのときに(興味なし、という顔をしつつ)聞いた話によれば、あの夜にお父さんからの手紙を読んで、トゥイーディアは相当元気になっていたとのことだ。お父さん何者なの。
――そして、地下での騒動から十日後に、ティリーたちの喚問が行われた。
十日も時間が置かれたのは、ティリーたちとウェルスたちの上官――それぞれの小隊長――が任務に出ていて、両名揃うのにそれだけ掛かったからだ。
ティリーたち三人とウェルスたち四人は、てっきり同じ小隊に属しているのかと思い込んでいたが、違った。
偶然あの場で合流したというだけで、違う小隊だった。
なお、長く不在にしていたのはティリーたちの小隊の長だ。
砦に帰還した彼は、麾下がやらかした失態をウェルスたちの小隊の長から聞かされて真っ青だったそうな。
加えて、彼にそれを伝える役回りだったウェルスたちの上官である小隊長もまた、負けず劣らずの顔色だったらしい。
コリウスが、俺の「喚問に同席したい」という希望をしっかりお偉方に伝えてくれていた。
そのために俺は、偶然にも砦にいたので朝に呼び出された。
偶然にも――というか、この頃は夜には砦に戻ることが多い。
もっと頑張れよ、というのはまあ尤もな話だけど、この十日で結構状況も変わったのだ。
一緒にいたアナベルに、ちょっと慌てて「みんなとの予定を午後にずらすように伝言して」とだけ言付けて、俺は喚問の場に向かった。
アナベルは聞いてるのか聞いてないのか分からないような無表情だったが、俺に向かって、頷く代わりのような瞬きを寄越した。
――さて、いざ喚問である。
広々とした部屋の中央、お偉いさんたちの前に並ばされた七人の顔色は鉛色。
まあそうなるよね。
この場に揃い踏みしているのは、まず、それぞれの小隊長。
ティリーたちのすぐ上には分隊長がいるはずだけれど、ガルシアでの分隊長の地位は、麾下の処罰に口出し出来る程のものではないらしい。
それから、その上の中隊長と大隊長と連隊長。
ティリーたちとウェルスたちはどうやら、小隊こそ違えど同じ中隊に属しているようだ。もしも違う中隊だったりしたら、この場がもうちょっと賑やかなことになっていただろう。
お偉いさんは全員揃って、テーブルの前に一並びに座っている。
おまけのように俺もくっ付いているので、ティリーには「なんでここにいるの?」みたいな目付きで最初に見られた。
それはティリーに冷静さが幾許か残っていたことの証左であって、例えばララなんかは祈りを捧げるのに必死で、多分俺がいることに気付いてもいないと思う。
が、喚問が始まるとさすがに、ティリーも俺の存在を忘れ去った様子。
最初に中隊長が、報告を基にして七人の懲罰対象行為のあらましを大隊長と連隊長に説明。
そのついでに、「異論ないな?」と七人に念押し。
七人は完全に項垂れ、「ありません」と。全員、顔色がまるで紙。
が、ここで俺がちょっとした反論。
トゥイーディアはこんなことをするのを嫌がるんだろうな、と思いながらも、「すみません」と声を上げる。
それだけで偉い人たちが押し黙るのだから、如何にこの世で救世主の名が重いか分かろう。
一斉に俺の方を見る偉い人たちと、懲罰待ちの七人。
俺はこの場で最も地位の高い連隊長の方を見ながら、ニールとララを指差した。
七人がお互いの間を広く空けて立たされているので、指差しやすいことこの上ない。
「――あの二人に関しては、他の五人を止めようとして洞穴に入っただけです。五人の規律違反を止められなかった点については責めを負うべきですが、二人とは明らかに身分の違う者もいるでしょう。他と同列に罰するのは不相応です」
ニールとララが目を剥いた。
一方、ティリーとウェルスは覚悟を決めた表情。
自分たちの身分がニールとララを威圧したのだと認められれば、他より数段重い罰があってもおかしくはないと思ったのだろう。
どうやら実家の威光を当てに出来るほど、ガルシアの規律は優しくないらしい。
針金を思わせる風貌の連隊長が眉を上げ、ティリーたちの小隊長を見た。
ずんぐりした小隊長は俺を見て、それからニールとララを見て、そうしてやっと連隊長に視線を合わせて応じながら、低い声で答えた。
元々の声質なのだろうが、唸るような濁声だった。
「……ニール隊員、ララ隊員に対しては、確かに。謙虚で規律違反の傾向は見られない二人です」
大隊長が連隊長に顔を寄せて、何か囁いた。
それに連隊長が頷くと、今度は小声で中隊長に何かを指示する。
中隊長が首肯して、手許の紙に何かを書き付けた。
ちらっとその内容が見えた俺は、素知らぬ顔ながらも内心、「二人とも良かったね」と呟いた。
中隊長が咳払いし、七人の規律違反の内容を一つ一つ掘り下げ始めた。
まず始めに、目撃した際には撤退するよう指令を受けていたレヴナントを目撃し、その指令を無視して追跡したこと。
その際に規律違反を指摘した他の隊員を黙殺したこと。
その挙句に洞穴に入り、全く自業自得にも閉じ込められたこと。
救世主(つまり、俺)が助けに向かったから良かったものの、それがなくば全員命を落としていたことに疑いはない――
俺は軽く息を吸い込んだ。
――トゥイーディアは嫌がるだろうな。
あいつは情に脆いくせに、こういう依怙贔屓が嫌いだし、規律にはうるさいし。
でも俺は、あいつよりも随分と直情的に生まれついた。
「――度々申し訳ない」
声を出すと、中隊長がぴたりと言葉を止めた。
目を側めて俺を窺う中隊長に申し訳なく思いつつも、俺はティリーを指差した。
「生還は俺一人の功績ではありません。救世主がもう一人、」と、俺の口調はこの場であっても、トゥイーディアを語るに於いて冷たくなった、「俺の助勢に来るまで、一人も命を落とさず持ち堪えたのには彼女の功労が大きい」
ずんぐりした小隊長の顔が、あからさまに明るくなった。
その顔がかなり――頑是ないほどに素直に喜びの片鱗を浮かべていたので、俺はちょっと表情を緩めた。
「俺は相当に不器用で」
言って、俺は肩を竦めた。
「火力は謙遜するつもりはありませんが、危うくこの場の全員を焼き殺してしまうところでした。
世双珠を使わない魔法を短時間で覚えて、この全員を守ったのは彼女です」
中隊長と大隊長が顔を見合わせた。
何か囁き合って、眉を上げる連隊長を振り返る。
俺は思わず、冗談めかした言葉を吐いた。
「もしかしたら、隊員殺しの廉でここに立たされていたのは俺だったかも知れませんね。――彼女の規律違反には疑いはありませんが、処罰には功績も考慮するべきでは」
規律違反に関して、ティリーは恐らく主犯格だが、そこは敢えて黙っておく。
自分で植えた芽を摘み取る趣味はないからね。
連隊長がテーブルを指先でとんとんと叩き、大隊長に何か言った。
大隊長が俺を振り返り、念を押す口調で訊き返してきた。
「――世双珠を使わず? それは本当ですか」
俺は少々素っ気なく頷いた。
「ええ。――何なら今、確かめてみては」
言いつつ、俺はティリーに目を向ける。
出来るよな? という確認を籠めた視線だったが、ティリーは訪れた(かも知れない)救済に、むしろぽかんとしていた。
俺の視線を受けて慌てて表情を取り繕って頷いたものの、鳶色の瞳が震えていた。
連隊長が俺を見て、それからティリーを見た。ふう、と小さく息を吐き、首を振る。
「……いえ、救世主さまのお言葉を疑うことなど有り得ません」
そりゃどうも。
浅く頷いた俺は、ニールとララに続いて、ティリーの処分が紙に書き付けられるのを横目で見ていた。
七人の側からは――角度からしても、距離からしても――見えない範囲のことだから、七人の顔色は刻一刻も悪くなっていくわけだけど。
とはいえ、ニールとララはちょっとだけ希望を持った顔。
ティリーは、てっきり喜色満面かと思いきや、そうでもなかった。期待を不安で抑え込んでいるみたいな顔をしている。失望が怖いがゆえの自衛だろう、気持ちは分かる。
俺は肩から力を抜いて、椅子の背凭れに寄り掛かった。
俺が口を出したい局面は終わった。
ウェルスたちのことは庇う義理も何もないからね。
――トゥイーディアは優しいから、カルディオスに対して、こいつとは話が着いただとか言っていたけれど、俺はそうは思わない。
こいつがあろうことかトゥイーディアに手を上げたことを、俺は絶対に忘れない。
ザックだとかリックだとかセドリックだとか、そういう連中がそれを黙って見ていたことも忘れない。
俺の代償がなければ、こいつらはとっくに灰と化して命を散らしている運命だったのだ。
生きているだけで有難いと思え。
確かにウェルスには――いざというときに麾下を優先して動いたりだとか、四人の中では殿をとって行動したりだとか、そういう――評価できる一面はあった。
とはいえそれは、分隊長としては当然極まりない行動だ。
こいつが最低最悪のクズではなくて、ただのクズだったという程度にしか俺の中での評価は上向かない。
隊長たちが声を潜めて協議に入った。
これ、別室でやるという考えはないのかな。
俺もさすがに懲罰を受ける連中が気の毒になってきた。ウェルスたちに割く同情はないが、ティリーたち三人に対してね。
懲罰は受けて然るべきだとしても、目の前で自分への処分が決められているとか、緊張どころの騒ぎじゃないだろう。
こいつらが軍人だからまだ耐えられているのであって、並の精神力では嘔吐か気絶間違いなしの苦行だ。
じっと待つ七人の心音が聞こえてきそう。
――まあ、これも懲戒の一つなのかも。
こいつらが属している分隊の連中には軒並み、審議もなしに減俸処分が下されたらしい。
いわゆる連帯責任だ。
洞穴に突入するときに、俺も半ばは脅しでその可能性を示唆していたが、マジだった。
いきなり減俸の憂き目に遭った連中の心中を思えば可哀想にもなってくるが、目の前で処分が決められるよりはマシというものだったのかも知れない。
数分ののち、隊長たちは互いに頷き合って顔を上げた。
恐らく、処分も概ねの方向性程度は決められていたんだろう。そう思える素早さだった。
俺の口出しがあったせいで、三人の処分について、ちょっとした軌道修正が為されたがための協議だったのかも知れない。
そして、連隊長が口を開いた。
――曰く、ニールとララについては減俸処分。
これは、分隊の他の連中と同じ処分だ。隊員の規律違反を止められずに洞穴の外に留まった者と、それでなお仲間を止めようとして洞穴内に踏み入った者とで、同じ重さの処分が下されたわけだ。
まあ、妥当かな。
――続いて、ティリーについて減俸処分および、始末書の提出。
これはちょっと軽いんじゃないかと思える処分だが、謹慎だとか営倉に放り込むだとか、そういうことは出来ない状況だと見做されているんだろう。
何しろ、そういった処分は逆に、ガルシアで役立てるべき戦力を一人分削ぐことになるんだから。
この十日間で状況がかなり変わったとはいえ、未だに指揮官は気が抜けないんだろう。
――続いて、ウェルス。これには結構容赦ない罰が下された。
まず、勿論のこと降格(この処分が言い渡された時点で、俺はにやけたのがバレないよう、下を向いた)。
続いて、単身でガルシアの更に北にある港町、エレリアに飛ばされるらしい。
出立は二日後だと聞いて、ウェルスの顔が死んでいた。
俺は内心で大笑いだった。ざまぁみろ。
これ、後でカルにも顛末を説明してやろう。きっと腹が捩れるほど笑うだろう。
――続いて、ザック、リック、セドリックの三人。
これには減俸および鞭打ち三回ずつ。
俺は思わず顔を顰めた。
鞭は痛い。あれは皮膚が裂けて潰れる。
剣奴のときに経験済みだが、あれは人生経験豊富な俺ですら心が折れそうになった代物だ。
案の定三人は泣きそうな顔をしていたが、隊長側にも温情はあった。
曰く、鞭打ちは人目に晒されることなく執り行われる、と。
屈辱は避けたと分かって、三人は深々と頭を下げていた。
これで喚問は終了となる。
ティリーたちが頭を下げ、隊長たち(と、俺)の退出を待つ。
小隊長が一名先頭に立ち、その後に連隊長、大隊長、中隊長が鷹揚に続く。
俺は最後尾で慎ましく退出するつもりだったが、もう一人の小隊長に促されて中隊長の後に続いた。
喚問は役所の一室で行われていた。
廊下に出れば、開いた窓からは雲一つない晴天が望まれる。
この頃ようやく、寒さが緩んで春の萌芽が見えてきた。
部屋を出て扉を閉めるや、多忙な隊長職の皆さんは互いに会釈を交わし、俺に対してはやや丁寧に頭を下げて、足早にそれぞれのいるべき場所へ戻って行った。
が、ただ一人、ずんぐりした小隊長――ティリーたちの上官に当たる人のみが、少し迷った様子ながらもその場に留まった。
俺は俺で、この後に約束があるので足早に立ち去ろうとしていたのだが、小隊長がどうやら俺と話すために足を止めたらしいと察して、壁際に立ち止まって首を傾げた。
「――何か?」
尋ねると、小隊長は躊躇いつつも俺と視線を合わせた。
この小隊長と比べると、俺の方が身長がある。
そのため、小隊長は俺を仰ぎ見るような体勢になっていた。
「……本来、こういったことは口に出すべきではないのでしょうが――」
唸るような濁声でそう言いつつ、小隊長は唐突に表情を崩した。
にっかぁ、と浮かべられた満面の笑みが浅黒い顔を飾り、その一瞬のみ、この小隊長が少年じみて見えた。
「ニール、ララ両隊員をお救いくださり、有り難う存じます。あの二人は危うく鞭打ちを受けるところでございました。あの二人がよもや規律違反など犯すはずはないと、分かってはいても――私が申しては麾下を擁護しているようにしか聞こえませんでしたでしょう」
俺は息を吐いた。
やっぱり、二人ともリックたち三人と同じ処罰が予定されていたわけだ。
「そうでしたか。――口を出して良かった」
小隊長は深々と頷く。
「ティリー隊員についても――」
そう言って、彼はがしがしと頭を掻いた。
「彼女は、まあ、我が小隊に配属されたことが不満のようではありましたが、麾下は麾下。恐らく規律違反は彼女が率先して犯したのでしょうが――」
俺は苦笑した。
ティリーがこの小隊長の下に就くことになった原因は、何を隠そう俺の突然の入隊だった。
「――あの一件から、彼女も少しは謙虚になった様子。
規律違反は規律違反、軍である以上、一度の過ちも逃しはしないのが正しい有り様なんでしょうが――」
小隊長は悪童じみた仕草で肩を竦めた。
どうやら、麾下が救われたのが相当に嬉しいようだった。
「あの令嬢にも成長の機会は与えられて然るべきでしたでしょう。
――本当に、何と申し上げればいいのか……有り難う存じます、救世主さま」
俺も、相手に合わせるように肩を竦めた。
そして、「お気になさらず」と言おうとして――寸前で方針を転換した。
「ええ、まあ。――なんで、他の救世主には、俺があからさまにあの三人を庇ったって言わないでくださいよ。
結構規律にうるさい奴もいて、バレると面倒なんで」
トゥイーディアとかコリウスとかね。
何よりトゥイーディア。
俺の台詞に、小隊長は目を見開いた。そして、にやっと笑って応じた。
「承知いたしました。今日のことは墓場まで持って参りましょう。
――ま、他の者から話が広がる気もいたしますが」
俺は内心で呻いた。
これがバレたら、トゥイーディアはきっと、面白くないといった風に眉を寄せるだろう。
バレることは覚悟の上で、口を出したかったから口を出したんだけど、後日に後悔することになるかも知れない。
俺の表情に何を見たのか、一人でふむふむと頷きながらも、小隊長はいわくありげな眼差しで俺を窺った。
「――どちらにせよ、今は噂が噂を呼ぶ状況です。地面に大穴を開けられたっていうリリタリスのご令嬢のお話も、たったお一人で十数体のレヴナントを討伐されたっていうあなた様のお話も、今じゃ噂に尾鰭と背鰭と胸鰭が付いておりますよ、ご存知でしょうが。
――ここ数日で状況が大きく変わったのも、あなた様のお陰だという話があるくらいです」
曖昧に微笑んで、俺は肩を竦めた。
――確かに噂は耳にしたが、尾鰭と背鰭と胸鰭は言い過ぎだ。
話として事実よりちょっと美化されてはいたけれども、別に誇張されてはいなかった。
この人は救世主を何だと思ってんだ。
「今日はそれで、きっとお祭り騒ぎになりますぞ」
脈絡なく小隊長はそう言って、そして次の予定を思い出したらしく、はっとした顔をして「失礼」と歩み去って行った。
俺はややぽかんとしてそれを見送った。
――お祭り騒ぎって何だ?
俺たちが這う這うの体で地下から脱出してから十日。噂は広がり切った感があるが、それでも噂程度で大騒ぎするようなガルシアではあるまい。
どういう意味で小隊長はああ言ったんだ?
と、少しばかり疑問に思いつつも、俺もこの後約束があったことを思い出した。
ちょっと溜息を吐いて、俺も足早に歩を進めつつ、何とはなしに窓から外を見る。
窓から見える海はきらきらと陽光を弾いて、実際の冷たさなどは感じさせず、うららかなまでに平和に青く光っていた。
その平和な様子も、今この状況を見てみれば、あながち現実と懸け離れているとも言えなかった。




