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54◆ 選択肢が三つある

 とはいえ喧嘩も長引かせている場合ではないのである。



 ――洞穴内は、灯火を点して見渡すに、岩壁が広範囲に亘って崩れ、そして天井の一部が崩落し、かつさっきまで俺たちがいた隧道の入り口も崩れて半ば塞がっているような有様だった。


 自分でやったこととはいえ、その結果は閉口もの。


 頭上には熱気が蟠り、最初はめちゃくちゃ寒かったこの洞穴内も、もはや真夏の暑さである。



 俺は崩れた天井を見上げた。


 岩壁が分厚いのか何なのか、穴が開くには至っていないが、頭上に位置する洞穴――人型のレヴナントがいるはずの場所とここを隔てる岩が、多少なりとも薄くなったと考えれば寒気がする。


 さっさとこの場を離れた方がいいだろう。



 と、そう思ったまさにそのとき、トゥイーディアが声を出した。


「――ルドベキア」


 声は低く、不機嫌ではあったが、話し掛けてきてくれた。


 俺は内心でほっと一息。

 ガチで怒ったときのトゥイーディアは、何があろうと俺を無視するからね。


 俺は無言でトゥイーディアに目を向けた。


 川底にぺたんと座り込んだ姿勢に見える彼女だったが、その実、体重を左足と両手に掛けて、右脚を水中で少し浮かせている様子だった。

 焼け爛れた傷が川底に当たるなど、想像するだに拷問のような痛みだろう。それを回避するための姿勢を取るのは至極当然の防衛本能だ。


 とはいうものの、トゥイーディアは姿勢でこそ痛みを訴えてはいれども、表情はけろりとしていた。

 注意して見ていれば、目尻に少しの強張りを発見することは出来る。

 が、それは俺が並々ならぬ関心を持ってトゥイーディアを見るからだ。他の奴なら気付くまい。


 ――走り寄って行って治療を施したいが、俺の代償がそれを許さない。


 内心で半狂乱になっている俺は、座り込んだまま仏頂面でこっちを見る彼女が、ご機嫌斜めな様子で俺から顔を背けつつも、むすっとした声で続けるのを聞いた。


「何があるか分からないから、自分の治療をちゃんとして。

 ――その後で私もお願い出来る?」


 “何があるか分からないから”、というその言い分に、彼女も俺と同じことを考えているのだと分かった。


 即ち、頭上の洞穴にいるはずの人型のレヴナントの動向を危ぶんでいる。


 あれを実際に見たことのある俺がその脅威に考えを及ぼすのは極めて当然のことだが、トゥイーディアは一度たりとも人型のレヴナントに遭遇したことはないはずである。

 にも関わらず、ちゃんと俺が提供した情報を基に、あれの危険度を推し量って行動の指針にしてくれている。


 今この状況、トゥイーディアも自分と周囲の身の安全のためにそうしているだけだと分かってはいても、そういう些細なことですら嬉しい。


 ――とにかく早くトゥイーディアを治療したい。

 言われるまでもなく駆け寄りたいというのに、代償が俺に許す動作は極めて緩慢だった。


 溜息を吐いて、俺は右手の長剣を元の腕輪の形に戻した。

 そうして、水流を掻き分けるようにしてトゥイーディアの方へ歩き始める。


 俺の意図を察したのか、トゥイーディアが体勢を変えた。

 「よいしょ」と小さく呟いて、両手を身体の後ろに突き、右脚を水面から出す。

 さすがに痛みが表情を取り繕う許容範囲を超えたのか、一瞬だけ大きく顔が顰められた。


 ばしゃっ、と水面が破れて跳ねる音がした。


 軍服が焦げて傷に張り付き爛れた、痛々しい傷が灯火の許に露わになって、目の当たりにしたティリーが唇を覆って息を呑んだ。


 ――もはやその反応すら羨ましい。

 俺がトゥイーディアを心配する感情の根底に彼女への慕情がある以上、俺はトゥイーディアの負傷に取り乱すことすら出来ない。


 傷の深さや激しさに驚いたり顔を顰めたりすることは出来るが、それらは全て他人事のような冷ややかさを持った反応になってしまう。


 今もそうだった。

 トゥイーディアのすぐ傍に漣を立てて膝を突いて、淡々とその傷を見遣る。


 そんな俺に、いつものことながらトゥイーディアは冗談めかした怒り顔。


「――ねぇ、ちょっとは心配してくれてもいいんじゃない? これが他のみんなだったら、血相変えて大騒ぎするでしょ?」


 俺は無反応。

 内心は恐慌の一歩手前だったが、仕草にも表情にもそれは表れず。


 ただ無言で、すっとトゥイーディアの傷に手を翳す。


 ぽぅ、と灯る治癒の光を見つつ、トゥイーディアはぼそっと呟く。

 治癒が開始された安堵があったからなのか、声が僅かに震えて聞こえた。


「なんできみ、私だけにはそんなに無関心なのかなぁ……」


「…………」


 俺は無言。

 ここにカルディオスがいれば、数分間の説教は待ったなしだっただろう。


 トゥイーディアは諦めたように息を吐くと、ほんの少し表情を和らげて俺を見た。


「――きみ、自分の怪我は? もう全部治したの? 顔の傷、残ってるよ」


 自分の右頬をつんつんと示すトゥイーディア。俺の右頬の傷を示す仕草だろう。

 視界の端でしか捉えられなかったけれど、可愛い。


 俺が反応を示さずにいると、そのまま、飴色の目がまじまじと俺を見た。

 まず顔をじっと見て、それから首筋、それから胸の辺りに視線が落とされる。


 俺が重傷を負っていないことを確認してくれているのだとは分かっていても、俺の心臓がえげつない勢いで肋骨を叩き始めた。

 また肋骨が折れそう。


 トゥイーディアの脚の治癒が終わると同時に、首を傾げた彼女が言った。


「服が血だらけで、怪我してるかどうか分からないわね。ねえ、痛いとこないの?」


 重傷を全部塞いでいるのは事実なので、俺は斜に構えた不機嫌な眼差しでトゥイーディアの飴色の目を見返した。


 橙色の濃淡の揺らめく、透き通った褐色に近い独特な色の瞳に、間近に俺が映り込んでいた。


「――おまえにどうこう言われる傷はない」


 トゥイーディアは目を眇めた。

 むっとしたように見えた。


 口の中で彼女が何か呟いたが、この距離であってさえ俺には聞き取ることが出来なかった。


 「何て言ったの?」なんて気軽に聞き返すことも出来ない俺に、溜息をひとつ零したトゥイーディアが唇のみで微笑んで見せる。


「……そう。じゃあちょっとお願いなんだけど。今の傷に便乗して、他の傷もお願い出来る?」


 ――他にも傷があるのかよ。


 俺は思わず顔を覆いたくなったが、実際には冷ややか極まりなく言い放っていた。


「さっさと出せ。いつまでこんな所に居させるつもりだ」


 トゥイーディアはにっこりした。

 相当に含むところのある笑顔だった。


「治療してもらうから何も言いませんけど。――私が来なかったら結構危ないところだったんじゃないの?

 きみに今さら愛想を求めたりしませんけど、せめて何かこう、言い方を考えてもいいんじゃない?」


 ――ご尤もです。


 内心で深々と頷いた俺はしかし、口からは大暴言を吐き出していた。


「『何も言わない』って言っといて、おまえなに言ってんの?」


「殴るよ」


 割と真顔で拳を握ったものの、トゥイーディアは溜息ひとつで何とかその苛立ちを逃がしたらしかった。



 ――ティリーたちが絶句している気配がすごい。

 俺とトゥイーディアの犬猿の仲を見て、「どうして救世主同士でこんなに仲が悪いんだ?」と思っているのがありありと伝わってくる視線。


 しかも、この人たちの主観では、俺とトゥイーディアが知り合ったのは一年足らず前だ。

 その間に何があったんだろうと言わんばかりの表情が痛い。



 そっちは見えていない振りをする俺の前で、トゥイーディアが不機嫌な顔のまま外套を脱いだ。


 戦闘中に水を被っていたから、外套は元より滴が垂れる程に濡れている。

 それを拘りなくぼちゃんと水の中に落として、トゥイーディアは外套から水が染みて身体に張り付くウェストコートも、シャツから引き剥がすようにして、外套と同じように脱ぎ捨てた。


 そうして、(まだら)に濡れてぴったりと身体に張り付くシャツを、そのまま捲り上げようとした。


 俺は、表情にこそ出せなかったもののぎょっとした。


 全く誰の視線も気にした様子もないその動作に、ティリーが泡を喰った様子で、「後ろ向いて!」とその場の俺以外の男に声を飛ばした。

 俺の中でのティリーの評価がぐんと上がった。


 トゥイーディアはティリーの声を聞いて初めて、その場の状況を思い出したらしい。

 一瞬動作を留めて、「あ」と言わんばかりに気まずそうに、背中を向ける男性陣を見遣った。


 だがすぐに、「まあいっか」という風に頷いて、引き続きシャツを捲り上げた。


 腰に巻かれていた包帯がするすると解かれて、水に蛇のように浮かぶ。

 そのまま流れて行きそうになったのを、トゥイーディアが自分の手に包帯を巻き付けて回収を始めた。

 くるくると左手に巻き付けられた包帯のせいで、まるでトゥイーディアが掌に怪我をしているように見えた。


「この、腰の後ろのところなんだけど、見える?」


 膝立ちになりつつ、そう尋ねるトゥイーディア。


 見えるかどうか聞くまでもなく、明々白々に切り裂かれた傷がある。


 無言でそこを治療する俺に、トゥイーディアは言い訳じみた口調で呟いた。


「これは、別に油断とかじゃないの。レヴナントを躱したところに大岩があって、思いっ切りぶつかりそうになったのを頑張って避けたら、ざっくりいっちゃったの」


 俺は無言。


 トゥイーディアもそれ以上は言葉を続けず、治療が終わると同時にそそくさとシャツを下ろした。


 そして元気よく立ち上がり、ずたずたになったズボンの右脚部分を見てちょっと残念そうにする。

 それから、川底に沈んで、袖だけがゆらゆらと水中で揺蕩っている外套と、その上に乗っかるように沈んでいるウェストコートを、勢い良くざばっと引き揚げた。


 ぼたぼたと滴を垂らすウェストコートと外套に、何が可笑しかったのかふふっと笑みを零し、トゥイーディアは大きくそれらを二度振った。


 滴が飛んで来て、俺はちょっと顔を顰めつつ立ち上がる。


 トゥイーディアのことだから、もしかしたらささやかな嫌がらせのつもりで、わざと俺に水を掛けたのかも知れないけど。


 大仰に外套とウェストコートを振り回しながら、トゥイーディアが魔法を行使したらしい。

 むわ、と渦巻くように蒸気が上がり、あっと言う間にその二つがトゥイーディアの手にぶら下げられた状態で乾いたのが、灯火の明かりにも見えた。


 手早くウェストコートと外套を着直して、トゥイーディアは外套の下に潜り込んでしまった長い髪を、首元から跳ね上げる仕草で外套の外に引っ張り出した。

 跳ね上げられて宙を泳いだ蜂蜜色の髪が灯火の明かりを弾き、俺の目には蝋燭の明かりのように映った。


 意味もなくその場で軽くジャンプして水を跳ね、まるで自分の身体が支障なく動くことを確かめるような仕草をしたトゥイーディアが、俺を見てにこっと笑った。



 彼女本来の明るい笑顔ではなくて、ちょっと探るような気配のあるこの笑顔を、俺は数え切れない程に見てきた。


 トゥイーディアが、喧嘩を水に流そうとしているときの表情だ。

 俺と仲直りをしようとして、俺がまだ腹を立てているかを確かめようとしているときの顔だ。


 ――まあ、俺が本気でトゥイーディアに腹を立てたことなんて、数える程しかないわけだけど。

 そんなことをトゥイーディアが知っているなら苦労はしない。



「……えーっと。ルドベキア。ここから出ないといけないと思うんだけど――」


「ああ、ここで住むわけにはいかないな」


 真顔で返す俺。


 これがトゥイーディア以外の人間が相手だと、冗談っぽく言えたんだろうけど。

 トゥイーディア相手の台詞では、嫌味の響きしか帯びない一言だった。


 ……やらかした。

 せっかくトゥイーディアが仲直りしようとしてくれているのに、俺は。


 ――内心でがっくりと項垂れつつも、俺は傍目には平生変わらぬ仏頂面でトゥイーディアを見た。



 意外にも、トゥイーディアは腹を立てた様子もなく、むしろ素の顔で笑っていた。



「そうね、一緒に住むことになったら仲良くしましょうね」



 ――鼻血出そう。



 俺は内心で目を見開き、トゥイーディアの笑顔を凝視した。



 ――これまで何百年もの間、俺にはトゥイーディアに嫌われているという確固たる自信があった。

 犬猿の仲だし、今生でもそうだけど、すぐ喧嘩になるから。


 今生においてはそこに、俺が不本意ながらも一応は魔王であるという事実が重なって、いよいよトゥイーディアに嫌われているだろうと思っていたのだが。


 でも、待てよ?

 嫌いな相手にこんなこと言う? 言わないよな?

 俺、案外トゥイーディアに嫌われてはいないのでは?


 “一緒に住むことになったら”って、それって俺と一緒に住むのもアリってこと?


 毎日トゥイーディアの顔が見られるとか最高じゃん。

 俺、毎日朝ごはん作るわ。晩飯はトゥイーディアと一緒に作りたい。

 俺ならトゥイーディアよりも高いところに手が届くから、役に立てることもあるだろう。

 むしろあれだ、食器とかを高い棚に仕舞っておいたら、トゥイーディアが俺に向かって「あれ取って」とか言ってくれるのでは。

 想像したらめっちゃ可愛いな。


 ――いや違う、待て、「一緒に住むことになったら」ってそれ、例え話だ。「一緒に住みましょう」じゃなかった。

 浮かれ過ぎだ、俺。


 ここは洞穴の中であって、トゥイーディアは謂わば、“売り言葉に買い言葉”的な例え話をしているだけだ。


 しかも、代償がある限り一緒に住むとか不可能だから。

 いや、物理的には可能だろうけど、まず間違いなく喧嘩で家が吹き飛ぶ。


 いやでも、嫌いな相手には例え話でもそんなこと言わないよな?


 今この状況より、トゥイーディアが俺をどう思ってるのかが重要だ。


 もしかして、トゥイーディアのたぐいまれなる優しさのお陰で、俺はそれほど嫌われてはいない……? 


 それとも、こういう状況では救世主同士の不仲がティリーたちの不安の種になりかねないと思って、ちょっと演技してるだけ?



 代償がなければ、ニール辺りを捕まえて、「今のトゥイーディアの顔どう思う? 俺のこと嫌ってる顔ではないよな?」とか訊き始めていただろうが、現実の俺は無言で、真顔で、トゥイーディアを見返したのみだった。


 その反応に、トゥイーディアも一気に真顔になった。

 むしろちょっと恥ずかしそうに見える。


「……はい、ええ、ここで住むわけにはいかないので」


 誤魔化すように咳払いしてそう言って、トゥイーディアは首を傾げて俺を見た。



 ――さっきまでは、今日はめちゃくちゃ不幸な日だと思っていたが、違った。


 今日が俺の生涯最高の日だ。

 今日のことを思い出すだけで、俺はこの先千年頑張れる。


 この状況を招いてくれたティリーたちへの罰が軽くなるように、俺はあれこれ尽力しよう。

 トゥイーディアが怪我をしたことは許せないが、この状況だからこそ、トゥイーディアが先日負った傷の治療を素直に申し出てくれたとも言えるから、そこについては差し引きゼロってことにする。



 ――トゥイーディアが可愛い。


 これはもう目から摂る万能薬だ。

 涙出そう。



 恋慕余って信仰になっていきそうな俺に向かって、トゥイーディアが指を一本立てた。


「ここから脱出する方法なんだけれど、三つくらい候補があって」


 そのときになってようやく、ニールたち男性陣が、ちらちらと様子を窺いながらこっちに向き直り始めた。

「ちょっと、振り向いていいなら言ってよ」とニールがララに向かって囁くのが聞こえてきた。


 そちらに愛想笑いだけを向けて、トゥイーディアは俺に向かって言葉を続けていた。


「一つめが、きみたちがいた洞穴まで上がって、崩れた岩壁を吹き飛ばして脱出する方法ね。

 私なら岩壁を消し飛ばせるし、これが一番、距離としては短いと思うんだけど。

 最大の問題が――」


「人型のレヴナントが、まだ上にいる可能性がめちゃくちゃ高い」


 後を引き取って言葉を完結させた俺に、トゥイーディアが指を鳴らして頷く。


「そう。私とルドベキアが二人掛かりで対処できない相手ではないと思うけれど――」


 俺は思わず顔を顰めた。


 トゥイーディアの発言の内容に対しての表情ではなかった。

 あのレヴナントに対する鮮やかな恐怖が、腹の底で蘇ったからだった。


 その表情が見えたのか、トゥイーディアはちょっと申し訳なさそうな顔になりつつも、よく透る柔らかい声で言葉を締め括った。


「ただ、完全な不意討ちを可能にしている相手となると、最初に一撃でどちらかが死んじゃったら困るから、あんまり上には行きたくないのよね」


 語尾が洞穴内で木霊する。


 俺は頷いた。


 ティリーたちは俺たちの遣り取りを、発言者の側に視線を向けつつ聞いていて、自分たちの運命がどうなるのかに不安を覚えているような顔をしていた。

 そちらに向かって、「大丈夫ですよ」と言わんばかりに微笑み掛けて、トゥイーディアは俺に視線を戻した。


「で、二つめね。――ひたすらここでコリウスを待つ」


 ティリーたちが揃って、愕然と顎を落とした。


 トゥイーディアは真面目腐った顔で、自分が地上からここまで切り拓いてきた頭上の細い竪穴を示す。


「あれは一応、間違いなく地上に通じてるんだけど、私とルドベキアだけで七人を上まで運ぶのは難しいでしょう。

〈動かす〉世双珠を使っても難しいと思うし、それにさっき、スワン令嬢――失礼、ティリーさんが、」


 ガルシアにおいては、建前上では身分は伏せられる。


 それゆえに、公爵家の令嬢としての呼び掛けを素早く通称のものに変更しながら、トゥイーディアはティリーに視線を向けた。


「――世双珠を使わず魔法を使っていらしたことを見るに、世双珠はここにはないんでしょう?」


 首を傾げて尋ねられ、ティリーが硬い顔で頷く。

 それに頷き返して、トゥイーディアは俺に目を戻した。


「そこで、私たちをここから引き揚げられるだろうコリウスが、ここまで私たちを迎えに来てくれるのを待つ――という手もあるんだけれど」


 肩を竦めるトゥイーディアに、俺は溜息。


「有り得ないな。――いつ上から人型のが下りて来るか分かんねぇのに」


「今のところ大丈夫だから、それほど急に下りては来ないと思うけれどね」


 俺の言葉に、ティリーたちが一様にびくりと肩を震わせたのを見て、トゥイーディアが注釈を入れるように言い添える。


 そして、俺に向かってというよりはティリーたちに向かって、冗談めかして言葉を続けた。


「コリウスがガルシアの反対側にいるとすれば、私たちがこんな事態になっていることに気付くのに時間が掛かると思うの。待ってるうちに、下手したら明日になっちゃうわ」


 俺は曖昧に肩を竦めた。


 ディセントラが血相変えてコリウスを呼びに行きそうな気もするが、そこで入れ違いになるかも知れないしな。


「――なので」


 軽い音を立てて両手を合わせて、トゥイーディアが提案の口調で言った。


「機密保持に関する責任は私が負います。

 多分この地下のどこかで、ガルシアからの緊急用の地下道と合流できると思うので、そこから地上に出ましょう」


 俺は思わずティリーを振り返った。


 ティリーは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。


 一瞬沈黙が流れたが、すぐにぼそっとニールが呟いた。


「……さっき、ティリーさんが仰ってましたね」


 思わず頷く俺たち一同。

 その中で、ティリーが小さく言った。


「――地下道のこと、ご存知だったんですか」


 トゥイーディアは当たり障りない笑顔を浮かべていた。


「ええ、――一応、留学生ですので」


 ――そういえばそうだった。


 ティリーは、少しばかり危ぶむような表情でトゥイーディアを見て、ごくごく静かに尋ねた。


「私も、話を聞いたことがある程度で、地下道を通ったことはないのですが、――上手く地下道に入れますか」


「私も初日にお話を聞いただけですねぇ」


 のんびりと微笑んでそう言って、その返答に険しい顔をするティリーには頓着せず、トゥイーディアが俺を振り返った。

 そして、左手を俺に差し出して首を傾げる。


「ルドベキア、あれ返して」


 促されて、俺は握っていた黒い腕輪をトゥイーディアに投げ渡した。


 灯火にきらりと光った腕輪を、両手で受け止めるトゥイーディア。

 彼女の手の中で、腕輪は忽ちのうちに黝く煌めく独特な色合いを呈した。


 ちゃり、と小さな音をさせつつ腕輪を左手首に滑らせて、トゥイーディアは嘆息。


「――疲れるんだけど、まあ仕方ないか……」


 その一言で、俺にも彼女が何をしようとしているのかが分かった。


 同時に、なぜわざわざ俺から救世主専用の武器を回収したのかということも理解した。



 ――救世主専用の変幻自在の武器は、救世主の固有の力を底上げする。



 どこかぽかんとしているティリーたちを置き去りに、ざっぷざっぷと水流を掻き分け、トゥイーディアが広い洞穴の岩壁を目指して歩く。


 途中、予期せぬ足許の岩やら凹みやらに躓きつつも、彼女は水の抵抗を受けた割には足早に岩壁まで辿り着いた。



 俺は動かない。

 ララが、「付いて行った方がいいのかな?」というような顔をするのを、掌で留めてその場に立っていた。



 ――()()()()を使うとき、トゥイーディアは傍に人がいるのを嫌がる。



 岩壁に向かって立ち、両手と額をごつごつとした岩に突いた彼女の左手首で、腕輪が仄かに黝く輝いている。

 暗がりに円い光を投げる独特な光彩。


 その光が一瞬翳って、そしてトゥイーディアの、群を抜いて強烈な魔力の気配が拡がった。


 この時代の、魔力に極端に疎いティリーたちですら、悪寒を覚えた様子で身震いした。



 ――俺は顔を顰めた。



 トゥイーディアの固有の力は、〈ものの内側に潜り込むこと〉。

 破壊一辺倒の能力であり、主たる遣われ方としては、物体を自壊させること。


 ただし、彼女が正当な救世主の地位にあり、固有の力が強化されていれば、例外的にこういう生産的な扱い方も出来るらしい。


 つまりは、()()()()()である。


 〈あるべき形からの変容は出来ない〉という絶対法に反し、己の五感を別のものに乗り移らせる――あるいは、他のものが得る情報を強制的に自分のものとする、トゥイーディアにしか許されない魔法だ。



 恐らくは今、トゥイーディアは視界を拡張して、目指すべき地下道に通じる方向を探っているはずだ。



 こういう扱い方には色々と制約があるらしくて、俺もトゥイーディアがこの魔法を使っているのは数える程しか見たことがない。


 まず、基本的な制約として、五感を拡張できる範囲は、トゥイーディアが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に限られるらしい。

「手を触れているところから、そのものの中に潜り込んでいく感じ」とはトゥイーディア本人の言である。

 つまり、例えばトゥイーディアが建物の壁に手を触れていれば、その壁が続いている建物を超えて五感の拡張をすることは不可能。

 今回で言えば、トゥイーディアが手を触れている岩壁と地続きの岩壁がある範囲の場所が、トゥイーディアが五感を拡張できる最大範囲というわけだ。


 更なる制約として、トゥイーディアも当然人間だから、怒濤のように頭に流れ込んで来る情報の処理には限界がある。

 だからこそ、一定以上の広範囲に亘って情報収集することは出来ない。

 事実、トゥイーディアはこの魔法を使った結果に熱を出してぶっ倒れたこともある。

 さっき口走っていた、「疲れるんだけど」とはこれを指してのことだろう。

 そして彼女は今、救世主専用の武器の補助を使うことで、自分の固有の力の底上げも図っている状況だ。

 一応は自分の身の安全も考慮していてくれるとは思うが、俺としてはどきどきする。


 そしてトゥイーディアが何より嫌がるのが、この魔法を使っているときに傍に人がいると、うっかりその人の頭の中を覗いてしまうこともあるらしいということ。

 彼女の固有の力が、精神に干渉できる唯一の魔法だからこその弊害であろう。

 だからトゥイーディアは絶対に、人がいることが確定している建物内でこの魔法を使うことはない。


 ――余談になるが、そういった利点欠点をトゥイーディアから説明され、彼女がこの魔法を使い始めたときに、俺が敢えて彼女に寄って行って大喧嘩になったことがある。


 端から見れば、「トゥイーディアを嫌うルドベキアによる嫌がらせ」だったが、俺からすれば、「トゥイーディアがうっかり俺の頭の中を覗いて、俺の代償を知ってくれないか試す」という挑戦だった。

 なおその挑戦は失敗し、対価として俺は、トゥイーディアから十日間に亘って無視され続けた。

 あれは辛かった。



 ――トゥイーディアの魔力の気配は岩壁を這って拡がって、もしもそれを目で見ることが出来るのならば、波紋を広げて岩壁を伝う様が見えただろうと思う程に克明に、鮮明に、揺るぎなく見事に洞穴内を席巻した。



 そのまま数分が経過し、やがて魔力を収めたトゥイーディアが、ちょっとよろよろしながら岩壁から離れた。


 溜息を吐き、蟀谷を押さえ、具合が悪そうにするトゥイーディアに、びびった様子ながらもニールとララが駆け寄って気遣い始めた。



 俺は無表情にそれを見ていたが、内心では羨ましさの余りに血涙でも流しそうだった。


 俺もトゥイーディアに駆け寄って気遣うとかやってみたいよ……。



 ばしゃばしゃと駆け寄って来たニールとララに、トゥイーディアはびっくりした様子で遠慮している。

 大丈夫です、すみません、と繰り返す彼女の囁き声が、洞穴内で小声ながらも反響して聞こえた。

 慈愛の笑顔を顔に張り付けて、平気であることを強調するように手をひらひらさせている。


 そのまま二人を伴って俺の目の前まで戻って来たトゥイーディアはしかし、明らかに顔色が悪くなっていた。


 五感を拡張するというものがどういう感覚なのか、想像力に乏しい俺には分からないけれど、この魔法を使ったトゥイーディアはいつも、少し具合が悪そうな様子を見せる。



 ――とはいえ、弱みを素直に晒すトゥイーディアではなかった。


 笑顔で俺を見たトゥイーディアは、得意げに掌を合わせて歌うように言う。


「――大体の方向は分かったわ。地下の探検と洒落こみましょう」


 そこで少し考える風を見せてから、ちらりと上目遣いで俺を見て。


「……ルドベキア。人型のレヴナントがこっちに降りて来ないように穴を塞いでくれてるって言ってたじゃない?

 申し訳ないんだけど、距離が開いて維持できなくなるぎりぎりまで頑張ってね。背後からいきなり襲って来られたら怖いしねぇ」


 愛想よくさえある彼女に対して、俺は氷点下の無表情。



「それくらい分かってる。――おまえが先頭を歩くしかないんだろ。さっさと歩け。

 いつまでここに居させるつもりだ」



 トゥイーディアは息を吸い込んだ。


 その息と一緒に、恐らくは俺に言いたい諸々の罵倒も吸い込んだ。



 そうして、やや強張った満面の笑みを浮かべたトゥイーディアが、苦労して穏やかな声音を保ったと分かる口調で、突き付けるように俺に告げた。



「――はい、承知しました。

 お手数ですけど、ルドベキアさん。

 殿(しんがり)はお願い出来ますでしょうかしら?」














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