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43◆ 存外の杵柄

 救世主は基本的に単独で任務に当たるが、例外もある。


 例えばガルシア部隊の野営にお邪魔させてもらったりだとか、手持ちの糧食が尽きて分けてもらいに立ち寄ったりだとか。


 ガルシアの部隊は小隊か、あるいは分隊単位で移動していることが多い。

 立ち寄る部隊については完全に運任せ。見掛けた部隊に寄って行くしかない。


 一応はどの部隊も歓迎の顔を張り付けて迎えてくれることはくれるけれども、あのウェルス男爵次男(死ね)の事件があって以来、少々疑り深く見てしまうということもあるもので。



 ――だからこそ、立ち寄った部隊に知人がいると安心するというものだ。



「ルドベキア、久し振りだねぇ、ちょっと痩せた?」


 と、糧食を俺に手渡しながら首を傾げるニール。

 彼の隣にララ。


 彼らを含む分隊十五人の中には――つまりこの場には、ニールとララと同じ分隊に所属するティリーもいるはずだ。

 何しろ、ガルシアの指揮命令系統における最小単位の四人一組の分け方において、ティリーはニールとララと同一のグループに属するからね。

 が、彼女は一向に姿を見せない。


 ニールが俺に手渡す糧食の包みを見て、ララがいちいち、「それは干した果物」、「それは木の実を干したやつ」、「それは燻製肉」、などと解説の一言を入れてくれる。

 糧食は全て目の粗い麻布とか油紙だとかに包まれていて中身は見えないが、包みを縛る紐の色だとか結び方とかで中身を区別できるようになっているらしい。


 受け取った包みを、悉く自分が持ち運ぶ麻袋に放り込みながら、俺はララに微笑み掛け、それからニールに応じた。


「うん、痩せたかも。動き回ってると、どうしても食事も限られてくるし」


 まあ、別に苦ではないけど。

 魔界から脱出した後、ガルシアに辿り着くまで、この比ではなく辛い日々を送ったこともあるからね。


「そう言うそっちもやつれたな」


 ちょっと揶揄いを籠めて見遣れば、ニールは、はは、と声のみで笑って、遠い目をした。


「まさかこんなことになるなんて思わないよねぇ」


 そうだな、と短く応じて、俺は麻袋の口を締めた。

 軽く麻袋を振って中身を落ち着かせ、よいしょ、と肩に担ぐ。


「じゃあ、ありがと。そっちも気を付けて」


 辞去の言葉に、ニールはにこっとした。


「この頃は救世主さまのお陰で、本当に楽になったと思うよ」


「そう言ってもらえて何よりだよ」


 ガルシアで任務に当たり始めてから十二日。

 討伐したレヴナントは数知れず。


 思わずしみじみ答えた俺に、ララがのほほんと微笑んだ。


「みんなそう思ってるわよー」


 どうかな、と思わず皮肉な笑みを浮かべてから、俺は自分の――というか、ガルシアから貸してもらった――馬の方へ歩いて行った。


 隊員の一人、まだ十代と見える青年が、気を遣って手綱を持ってくれている。

 お礼を言って、俺は彼から手綱を受け取った。

 青年はいえいえと首を振ってからうっとりした目で馬を見て、「いい馬ですねぇ」と。「そうですね」と、俺も控えめに同意した。


 俺が借りたのは黒鹿毛の若い牡馬で、多分血統もいいのだと思う。

 別に愛馬と呼ぶほど馴染んではいないが、こっちは足が必要だ。

 あっちからしても、いきなり俺に引き渡されて訳が分からなかったことだろうが、俺が自分をレヴナントから庇護してそれなりの待遇を与えるつもりであることを理解しているらしく、平和な協力関係が築かれている。



 麻袋を肩に担いだまま、鐙に足を掛けて鞍の上に跨ろうとしたときだった。



「――兄さんっ!」


 聞こえてはいけないはずの声がして、俺は後ろに引っ繰り返りそうになった。


「――え!?」


 思わず、ばっと後ろを振り返る。

 牡馬が、「乗らないのかよ」みたいに鼻を鳴らしたが一旦放置。


 待て待て待て、どういうことだ。


 ガルシアの分隊もざわめいている。

 ニールがびっくりした顔で俺を見て、「ルドベキア、弟さんなんていたの?」と訊いてくるが、俺は無言で首を振るのが精一杯だった。

 慌てる余りに滑る視界で声の主を捜す。


 労せずして見付かった。

 こっちに暢気に手を振り、大きな籠を背負って歩いて来るルイン。


 ――一人だ。


 思わず、安堵の息が漏れた。

 良かった――ムンドゥスまで連れて来ていたらどうしようかと思った。


 だが、いや、待て、なんで。


 思わず手綱を放り出し、俺はつんのめるようにルインに向かって走り出した。


 放り出された手綱を、さっきまで手綱を持ってくれていた青年が再びキャッチ。大慌ての俺に臆病な馬が怯えないよう、とんとんと軽く馬の首を叩く。


 俺は目を丸くする分隊の皆さんの目の前を突っ切って走り、こっちに向かって歩いて来るルインの許へすっ飛んで行った。


 その勢いが予想以上だったのか、ルインがびっくりした様子で足を止める。


「兄さ」


「ルイン!」


 呼び掛けられるのを遮って、俺は思わず、大した距離を走ったわけでもないのに肩で息をした。


「おまえ、なんでここにいる!」


「兄さんに――」


「そもそもなんでここが分かった!?」


 自分の返答を遮る俺の剣幕に、ルインはたじたじと一歩下がった。表情がしゅんと沈む。


「すみません……。そんなにお叱りを頂戴するとは思いませんでした……」


 悄然としたその様子に、俺は落ち着きを取り戻した。

 怖がらせてどうする、俺。


 ふう、と息を吐いて自分を静め、俺はルインから一歩離れた。

 はい、仕切り直し。


「――ムンドゥスは?」


「寮です」


 即答し、ルインは許しを請うように手を組み合わせて上目遣いに俺を見た。


「あの子は外に出ませんし……」


 俺は頷く。

 今も窓辺で本を読むムンドゥスの姿が容易く目に浮かんだ。


「分かった、そうだろうな。――で、おまえはどうやってここが分かったの?」


 俺が怒っていないことを察したのか、急速に元気になったルインが顔を上げた。


「はい。砦に行って、最近兄さんとお会いしたという方からお話をお聞きして、今どの辺りにいるのか考えました!」


 執念。


 そんなに俺に会いたかったの、とちょっとびびってしまった一方、俺は思わず片手で顔を覆った。


「おまえ、そんな不確実なこと……途中でレヴナントが出たりしたら俺だってそっちに行ったりするし、そもそもここまで来る間にレヴナントに遭遇したらどうするつもりだったんだよ……」


 ルインも魔術師ではあるから、全く手も足も出ずに殺されるということはないだろうけれど、こいつが魔法を使うところを見られたら見られたでまずいし。

 何しろルインも魔界の出身。世双珠を使わない魔法を使うのだ。

 今の時代じゃ目立つことこの上ない。


「レヴナントの目撃情報ももちろん参考にはしましたし、気を付けては来たんですが……」


 首を傾げてルインがそう言うのを聞き、「いやおまえなあ」と呆れた俺は、()()()()()の問題に気付いて顔を上げた。


「――ん? 砦に入った?」


 ルインが目を逸らした。やべ、みたいな顔をした。

 俺は思わず目を見開く。


「どうやって入った?」


 ガルシアの中枢である砦に入るには手形が必要だ。

 当然ながらルインにそれはない。


 初めて俺が砦に潜り込んだときは目くらましの魔法を使ったものだが、さすがにルインはそんな高等魔法は使えない。

 城壁を乗り越えるのも、ルインにとっては現実的ではないだろう。


「――俺の名前出したの?」


 取り敢えず、無難と思える手段を口に出してみると、ルインはぶんぶんと首を振った。


「とんでもない! そんな、兄さんのご迷惑になるかも知れないことは、決して」


 ……忠義心厚いなぁ……。


 いっそ感心しつつも、俺は重ねて尋ねた。


「じゃあ、どうやって?」


 ルインは俺から目を逸らしていたが、視線に圧力を籠めるとあっさり屈した。

 両手の指先を合わせ、小声で答える。


「門衛の方に……、ちょっと離れているところで揉め事が起きていると嘘を申し上げて……、お一人にその場を離れていただき……、もうお一人はちょっとした魔法で誤魔化して……、入りました……」


「誤魔化した? どうやって?」


 罪の告白をするが如くのルインに、唖然として尋ねる俺。


 何しろ、人の精神に干渉する魔法はトゥイーディアにしか扱えない。

 顔を合わせた状態から相手を出し抜くには、それくらいのことをしないと難しいと思うが……。


 俺が怒っている気配がないことを、ちらりと上目遣いで確認して、ルインはおずおずと。


「声の聞こえる方向を変えたり、実際より大きく聞こえさせたり、そういう地味な魔法は得意なんですよ」


 なるほど、変なところから声を響かせて気を逸らせたわけか。

 ――でも、そんなことを普通、思い付きで出来るもんかね。


 納得に腕を組んだ俺は、思わずまじまじとルインを見詰めた。


「――おまえ、もしかして、警備掻い潜るのには慣れてんの?」


 俺たちと一緒に魔王の城を出るときには相当おたついていたが、あのときは精神状態も()()だっただろうし。

 思えば、「こっそり動くの向いてないな」と俺が言った後に返してきた、「精進します」も返答としてはなかなかに奇抜だ。

 普通なら、「慣れてないので」くらいの返答になるだろう。


 ルインはちょっと眦を下げた。


「まあ、その……、以前の(あるじ)には時々、そういったご命令を頂戴することもありましたが」


「マジで。あのジジイから?」


 ルインの前の主といえば、魔王輔弼に決まっている。

 ルインは万が一にも後ろの隊員に聞かれたらまずいと思って、その名称の明言を避けたのだろう。偉い。

 ていうかあのジジイ、そういう隠密工作も駆使してあちこちの弱みを探ったりして、あの地位を盤石のものにしてたんだ。知らなかった。


 俺が軽く眉を上げると、ルインはますます項垂れた。


「でも駄目なんです……。一人のときは、大抵の貴族のお屋敷にも入って帰って来られたんですが、誰かと一緒だと緊張してしまって……」


 普通逆だろ。

 誰かと一緒だったらむしろ安心するんじゃないの?

 ていうか任務に失敗したこともあるっぽいのに生き延びてるってすげぇな。


 そう思いつつも、俺は思わずルインを見る目に気の毒に思う感情を滲ませてしまった。

 自分の乳兄弟がそんな扱いを受けてるなんて知らなかった――まあ、自分も生き延びるのに精一杯だったということもあったんだけど、決定的に無関心だったから。


 取り敢えず俺は、ぽん、とルインの灰色の頭に掌を置いた。


「おまえのことは結構優秀だと思ってたけど、あれだな。おまえ、俺が思ってたよりすごい奴なんだな」


 素直にそう言うと、がばっと顔を上げたルインがぱあっと顔を輝かせて頬を染めた。


 あっ、しまった、こいつ褒められ慣れてないせいで、褒めるとすぐ懐くんだった。

 まあこれ以上、こいつが俺に懐く余地があるかはさておいて。


 俺は慌てて、緊急で訊かねばならないことを尋ねる。


「おまえ、砦の中で――白い髪に金の目の、なんかこう……変な雰囲気の奴に会ったか?」


 ルインを魔界から連れ帰ったことから、連鎖的にムンドゥスのことをヘリアンサスに気付かれては堪ったものではない。


 ルインはなおもきらきら輝く目で俺を見つつも、きょとんとして首を振った。


「いえ? 大っぴらに顔を見せては兄さんのご迷惑になると思って、砦に入ってすぐ、使用人の方たちのお部屋にお邪魔して、お仕着せを着て大広間で給仕をしました。聞きたいことを聞いたらすぐに出たので、それほど多くの方にはお会いしませんでしたし、仰ったような方はお見掛けすらしませんでした。――それに、」


 にこ、と微笑んで、ルインは爽やかなまでの口調で言い切った。


「使用人の顔なんて、どなたも見てらっしゃいませんよ」


 ――確かに。


 てか、ルインの潜入が俺が思ったよりも本格的すぎる。

 俺は思わず、心底からの疑問を籠めてルインを見た。


「――おまえ、そんなに手間掛けて俺に会いに来るなんて、なんかあったの?」


 ルインは瞬きした。「……手間?」と訝しそうに呟くその様子から、俺とこいつの認識の違いが明らかになった。

 どうやらルインにとっては砦への潜入も手間ではないらしい。


 すげぇな、と内心で恐れ入りつつ、俺は首を傾げた。


「手間かどうかはさておいても、おまえ、俺に何か用があったんだろ?」


「はい!」


 眩しいまでの笑顔で頷くルイン。

 マジで、こいつに尻尾があったらぶんぶん振っていただろうという顔。


 いそいそと背中の籠を下ろして、ルインは窺うように俺を見た。


「ずっと任務に当たられていると聞いたので、何か食べていただきたいと思って」


「――は?」


 思わず素の声が出た。



 ――いや、別に飲まず食わずというわけじゃないし、食べてるし。

 ていうかそんなことのためにムンドゥスを放り出して来たのか、と、言いたいことが喉までせり上がる。


 自分の顔が一気に不機嫌になるのが分かった。


「――おまえな、」



 ぱかっ、と、ルインが籠の蓋を開けた。



 ふわ、とクロケットの香ばしい匂いがして、俺は思わず籠の中を見た。


 そしてそこに、清潔な布巾に包まれて、結構な量の食べ物が詰め込まれているのを目の当たりにした。

 油紙に包まれたクロケットや、挽肉のパイなんかが見えた。


 自分の頭の中の天秤が、勢い良く修正されるのが分かった。


 俺はにっこり笑顔になって、ルインの柘榴色の目を見て言っていた。


「おまえ、気が利くじゃん。ありがと。――それ、全部俺のために持って来たの?」


 出来ればトゥイーディアにも配ってほしいんだけど――と思いつつも尋ねたが、勿論のこと、救世主全員を巡って歩くなんて出来ないだろう。

 案の定、ルインは元気よく頷いた。


「はいっ」


 そっか、と笑って、俺は親指で、自分の後ろのガルシアの分隊を示した。


「じゃあ、全員ちょっとずつになっちゃうけど、あの人たちとも分けていいか?」


 連日の任務はみんな同じだし。


 そう思いながらの、極めて当然の結果のお伺いに、ルインはなぜか自分の胸を押さえた。

 どうした。


「――兄さん、優しい……」


 いや、普通だと思うよ。


 そう思いつつもルインの返答を待てば、ルインはこくこくと頷いた。

 よしよしとその頭を撫でて俺は分隊の方を振り返る。


 分隊側も、俺とルインの様子を興味深そうに窺っていた。

 声は聞こえてなかっただろうけど、みんな何事だろうという顔をしていた。


 俺が振り返った途端、慌てたように目を逸らす人もいたけど。


「――えーっと」


 ちょっと頭を掻いてから、俺はルインが持って来た籠を示して声を大きくする。


「あの、俺の友達が差し入れを持って来てくれたんですけど……、食べます?」


 言うと同時に、分隊の皆さんが()()と一歩を踏み出してきた。

 目を逸らしていた人たちが、ぐるんっと俺の方を向き直った。


 全員、目の色が変わっている。


「――差し入れ?」


 鬼気迫る声の囁きがあちこちで上がり、俺は思わず一歩下がった。


 まあ、そうだよな。

 まともな食事に餓えるような生活だよな。


 納得しつつ、俺は頷き。


「はい、是非、一緒に」


 ぱんっぱんっぱんっ、と、あちこちで一斉に互いの掌を打ち鳴らす音が聞こえてきた。

 控えめな歓声も聞こえてくる。


 俺は思わずルインを振り返り、


「――おまえ、ガルシア部隊に食べ物配る商売始めたら儲かるかもよ?」


 半ば以上は冗談で言ったことだったが、ルインは大きく目を見開き、微笑んだ。


「はい。兄さんがお金を必要とすることがあったら、始めてみます」


 ガルシア分隊の方々を手招きしつつ、俺は思わず噴き出した。

 そうしてしばらく爆笑してから、目尻の涙を拭って、言った。


「――おまえ、面白いな。俺、結構おまえのこと好きだわ」


 ものの見事にルインが赤くなった。

 顔から湯気が出そうなその様子に、俺はいっそう笑ってしまった。







「――彼、ルドベキアの弟さんなの?」


 と、半分に割った小さなパイを食べつつニールに訊かれた。

 因みにパイの片割れは、今まさにララの口に詰め込まれているところである。



 ルインの差し入れに大抵の隊員が飛び付いたが、無論、そんなものは要らんと顔を背ける隊員もいた。

 誰とは言わないがティリーのことである。

 あと数名、何やら気位の高そうな数名がティリーの傍に留まっているが、その分余ったところを俺が食べられるので万々歳。



「いや、違うよ」


 首を振って答えて、俺は、「どうやらこれは残りそう」と当たりを付けたパンを一つ、籠の中から取り上げた。

 紙に包まれたパンには切れ込みが入れられていて、そこから溢れんばかりに香草と炙った分厚いベーコンが顔を覗かせている。


「魔界の任務に行くときにさ、ほら、カルディオスとかコリウスは貴族だろ? 身の回りの世話をしてもらおうと思って雇ったんだ。で、身寄りもないみたいだから、そのままガルシアまで付いて来てもらったわけ。なんか俺のこと気に入ってくれて、兄さんなんて呼ばれちゃいるけど」


 淀みのない嘘。我ながら疑念の余地ない真実味。


「なるほど……」


 と、特に疑った様子もなくニールは呟き、にこっと笑った。


「砦に戻ればそれなりのものが食べられはするけど、やっぱり移動が多いと美味しいものには目がなくなるよね」


「だよな」


 同意して、俺はニールとララに軽く手を振り、パンを持ったままルインの方へ歩いて行った。

 ルインは俺が同僚と話しているのに遠慮したのか、すぐ近くの小さな傾斜に行儀よく座っている。


 ルインが視線を投げているちょうどその方向、直線距離にして五百から六百ヤードほど離れた丘の上に、別の分隊が留まっているのが見えた。

 恐らくあっちも昼食の休憩を取っているのだろう。

 もしかしてトゥイーディアが寄ってないかな、と目を凝らしてみたものの、この距離では分かるはずもなく。


 草を踏む俺の足音に気付いたのか、振り返ったルインが腰を浮かせる。

 それを、立たなくていいという意味の手振りで留めて、俺はその隣に座り込んだ。


 包み紙を捲ってパンにかぶり付く。

 冷めたパンはちょっと硬くなってはいたものの、仄かな甘さすら感じさせた。ベーコンの端っこが硬い筋になっていたので、歯を立ててそれを噛み切る。塩味があって美味い。


 ごくん、と口の中のものを飲み込んでから、俺はルインに笑い掛けた。


「みんな喜んでるよ、ありがと」


「いえ」


 短くそう言ってから、ルインは、「そういえば」と、少し声の調子を落として切り出した。

 何か悪い知らせがあるのかと、俺は思わず次の一口を我慢し、ルインの方に身を乗り出す。


「どうした?」


「あの、砦に入ったときに、ついでにちょっと訊いてみたんですが」


 俺は瞬き。ついで、と言うならば大した話ではないのか。


「――何を?」


 ルインは眼差しを険しくした。


「アーサー・ウェルスとやらについてです」


 俺は思わず目を見開いた。


 奴は俺にとって、瀕死の重傷を負おうが何をしようが絶対に助けてやらない人物として脳裏に焼き付いた人物だったが、俺がぼろっと零したその名前を、七日経ってもルインが覚えていたとは。


「おまえ……よく覚えてたな」


 思わずそう言った俺に、ルインは思いっ切り拳を振ってみせた。


「当然です! 兄さんに無礼を働いた人間です!」


「おう、分かった。落ち着け落ち着け」


 片手でルインを留め、俺は、「で?」と続きを促す。

 ルインはむぅ、と眉を寄せた。


「何か弱みになるような情報でもあればな、と思ったんですけれど」


 なんか腹黒なこと言ってる。


 ルインってこんな奴だったのか。

 気弱で人畜無害だとばかり思っていたけれど、実は俺の予想の斜め上をいく奴なのかも知れない。


「――特に有益そうな話は聞けなかったですね。男爵の次男で、売り飛ばされるようにしてガルシアに入隊したと聞けた程度で」


「売り……?」


 一瞬眉を寄せた俺は、はたと膝を打った。

 ガルシアに来てからの、自分の給金を思い出したのだ。


 ガルシア隊員の給金は、ディセントラがそれなりに値の張るドレスを何着も仕立てられたことからもお察しの通り。


「待てよ、ウェルス男爵は貧乏貴族か」


 ルインはびっくりしたように俺を見た。


「はい、ご存知なかった?」


「なかった」


 頷いて認めて、俺は立てた膝に頬杖を突く。



 ――なるほどね、奴がこれ見よがしにトゥイーディアを馬鹿にする言動を取ったのはそういうことか。

 如何に馬鹿でも救世主を侮辱するのは自殺行為だと分かりそうなものだけど、あいつは輪を掛けた馬鹿だったのみならず、個人的な鬱憤もあったわけだ。


 恐らく、ウェルス男爵は窮乏に喘いだ結果、金のためと家名のために、次男をガルシアに入隊させた。

 長男を選ばなかった理由は当然、長男は後継ぎであり替えが利かないからだ。

 で、送り込まれた次男側からすれば、自分は死んでも替えが利くと言い放たれたに等しい仕打ち。

 それも貴族の責務と自分を納得させることが出来れば良かったんだろうが、ウェルス家次男にその考えはなかったと。


 そこに飛び込んできたのがリリタリス家の嫡出子、トゥイーディアだったというわけだ。


 トゥイーディアの婚約事情も大概似ている。

 旧家でありながら貧苦に喘いだリリタリス家が、金のために縁組をしたのだから。


 ――で、心の狭いウェルス家次男からすれば、自分と結構似た立場のトゥイーディアがガルシアで大歓迎され、かつ救世主という地位に収まっているのが腹に据えかねた、と。

 だから命知らずにも、トゥイーディアに手を上げることまでしたのだ。

 自己憐憫と責任転嫁の苛立ちで、恐らく周りが見えなくなっているんだろう。


 奴が最初に絡んだのはカルディオスだったということだが、これはもう単純な嫉妬で決まりだ。

 金、顔、地位と、三拍子揃ったカルディオスに嫉妬するのはそう難しいことではない。


 ――思わず、俺は無意識のうちに鼻を鳴らしていた。


 そんなに羨ましいなら代わりにやってみればいいのに。

 トゥイーディアが、救世主であるという己にどれだけ責任を感じて、どれだけ努力しているかあいつは知らない。

 救世主であるがために、何十回も殺された俺たちの苦痛も知らない。


 底が浅すぎて軽蔑どころか憐憫が湧いてくるような行動原理だ。

 憐憫をくれてやるからといって、俺があいつを許すわけでは決してないけれども。


 あのやろうトゥイーディアを殴りやがったからな。五百発殴り返されても足りない罪だ。



「――兄さん?」


 隣で首を傾げるルインに、俺は頬杖を外して向き直った。


「いや、何でもない。ただ、面白い話が聞けたなと思って」


 ルインは柘榴色の目を瞬かせた。

 一言しか喋っていないのだから当然だろう。


「はあ……そうですか?」


「うん」


 そう言って、俺は残ったパンを食べ切り、立ち上がった。

 ベーコンが触れた指先に油が光り、取り敢えずそれも舐め取る。


 見ればルインの差し入れは既に食べ切られた様子だ。

 分隊の雰囲気がちょっと明るくなっていて、自分の功績ではないのだけれども俺は嬉しくなった。


 手の中で包み紙をくしゃっと潰しながら、俺はルインを見下ろす。


「――おまえさ、これからガルシアに戻るんだろ?」


 ルインも立ち上がった。

 ぱんぱんと自分の尻を払い、俺の外套の裾も払ってくれる。甲斐甲斐しいな。


「はい」


 俺の外套を点検してから頷いたルインに、俺はにこっと笑い掛けた。


「危ないし送ってくよ。差し入れのお礼も兼ねて」


 もう七日も砦に戻っていないので、そろそろ戻る口実が欲しかったところだ。

 俺、もしかしたらトゥイーディアより頑張ってると他の人の目には映るかも知れない。


 割と利己的理由からの申出だったが、聞いたルインは目を瞬かせた。

 そして一瞬顔を輝かせて、しかしすぐに眦を下げて俺を窺う。


「――! よろしいのですか?」


「よろしくなかったら言い出さねぇよ」


 笑って言って、俺はガルシアから貸してもらった馬の方に顎をしゃくった。


「相乗りで戻ろう。俺はあんまり相乗りしたことねぇから、乗り心地は保証できないけど」















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