41◆ ガルシアもぐら叩き
ムンドゥスの意味不明な発言の羅列に、頭を捻ることすら放棄して砦に戻った俺は、その雰囲気がただならぬものになっていることを感じ取った。
宿舎の大広間は食事時の風景だったが、そこにいる隊員たちの顔が一様に暗い。
昨日はちょっと元気そうだったのに、どうした。
ひそひそと交わされる囁き声も、明らかに気落ちしたものが多い。一体なんだ。
そう思いつつ大広間に足を踏み入れた俺に、大広間中の視線が集まる。
比喩でなく、視線が集まる様にざっと音が付きそうだった。
囁き声ですら途絶えて、大広間がしんとする。
一部で低い話し声はするものの、明らかに大広間全体の音量が落ちた。
それで察した。
ヴェルマ将軍が――というか、ガルシアの指揮官たちが、魔法を使うレヴナントの存在を公表したのだ。
だから隊員たちは気を落としているし、救世主である俺に気付いてこっちを見た。
察してしまえば態度は自ずと決まるというもの。
俺は、一切何も感じ取っていないかのような、悠然たる態度で大広間を歩き、目当ての人物を捜した。
今日はここに戻っていない可能性もあるが、捜さずにはいられなかったのだ。
大広間の半ば辺りに立って周囲を見渡す俺を、なおも見詰める隊員たち。何事かをひそひそと低く囁き交わす声も微かに聞こえて、声音からするといい内容を話しているのではないらしい。
その様子から推すに、指揮官たちは恐らく、報せをもたらしたのが俺だということも併せて公表したんだろうな。
俺が不安そうにしていても何の益もないので、俺は敢えて平気そうな顔をする。
動揺を誘う救世主などあってはならんからね。
が、大広間の端っこでディセントラと会話する目当ての人物を発見すると、思わず叫んだ。
「――見付けた! カル!」
周囲の雰囲気など何のそのといった様子で、ディセントラと和気藹々と喋っていたカルディオスがこっちを見た。
俺がいることには、周りの様子からとっくに気付いていただろうに、さも今気付きましたと言わんばかりだ。
そして大仰に目を瞠るカルディオスの隣で、ディセントラが俺に向かって手を振った。
「あら、ルドベキア。見当たらないと思っていたの。どこに行ってたの?」
「寮」
テーブルを回り込み、カルディオスを挟んでディセントラの隣に滑り込みながら俺が答えると、ディセントラは「あら」と手を打った。
「あの子たちは元気にしてた?」
首を傾げられ、俺は仏頂面。
「背の高い方は相変わらず。案外上手くやってるみたいだった。で、背の低い方も相変わらず。訳分かんねぇことばっかり喋る」
固有名詞を避けて答えた俺に、ディセントラはうんうんと頷く。
俺は彼女から、隣のカルディオスに目を転じた。
カルディオスは、わざとらしい驚きの籠もった目で俺を見ている。
「――なんだよ、カル。捜してたんだぞ」
俺が冗談半分に凄むと、カルディオスは喉の奥で笑いながら言った。
「生きてたか、ルド」
俺は眉を寄せる。
「は? 死ぬような予定はねぇけど」
言外に、なに言ってんだ? という意味を籠めて見遣れば、カルディオスは首を振りつつしみじみと呟いた。
「いや、今朝さ、イーディが俺にルドの部屋の場所を訊いてきたから。闇討ちにでも遭ってねぇかと心配してたんだ。大丈夫だった? 喧嘩にならなかったか?」
心配で砦まで戻って来たんだぞ、などと、冗談なのか本気なのかよく分からない口調と表情で嘯くカルディオスに、俺は顔を強張らせた。
闇討ちされてないか心配になるくらい仲が悪く見えてるってことか……。
でも、これで一つ納得した。
今朝の、あの素敵な手紙をトゥイーディアが俺の部屋に届けられた経緯だ。
勿論のこと、彼女が俺の部屋の場所なんて知るわけないからね。
カルディオスが俺の部屋の場所を教えてくれてたのか。
思えば危ないところだったわけだ。カルディオスが俺の身の安全を案じるが余りに嘘を教えたりしていたら、あの手紙は俺のところには届かなかったわけで。
トゥイーディアならば俺たちの記憶を閲覧して俺の部屋の場所を特定することも出来るだろうけれど、それは彼女が嫌う方法だから採るはずないし。
――とか何とか思いつつも、俺は溜息と共に言っていた。
「そんな心配するくらいなら、そもそも素直に教えんなよ……」
あはは、と笑うカルディオス。
軽快な笑い声は、その天与の美貌と相俟って、そして俺たちの長い付き合いがあるからこそ、こっちまで楽しくなってくるような感じがするものだ。
「や、ちょっとは隠そーとしたんだぜ? けど別に、ルドを殺してやろうって感じで訊いてきたんじゃなかったからさ。別にいっかなーと思って教えた」
おまえの首が繋がってて良かったよ、と言いつつ、カルディオスは俺の肩をこつんと拳で叩く。
これ見よがしに溜息を吐く俺を、ディセントラが覗き込んできた。
「ルドベキア、今朝イーディに会ってたの? それにしては夕方会ったとき、機嫌良さそうだったけれど」
「会ってねーよ」
即答した俺に、ディセントラは「そうよね」と納得の風情。そして、理の当然のように独り言ちた。
「お昼ごろ、ちらっとイーディと擦れ違ったけれど、別に不機嫌そうではなかったし……」
俺に会ってたら不機嫌になるのかよ。
ずしんと心に衝撃を喰らった俺だったが、生憎とそれも顔には出ず。
カルディオスは楽しそうな顔から一転、不思議そうに俺を見る。
「え? 会ってねーの、ルド。じゃあイーディ、なんでわざわざ訊いてきたんだ」
俺は短く息を吸い込み、無愛想に言い捨てた。
「さあ。とにかく今朝は別に何もなかった」
手紙貰って心底幸せだった、なんてことを口が裂けても言えない俺は、手紙そのものの存在を無視する言動しか取れない。
へえ、と俺を見て翡翠色の目を瞬かせたカルディオスが、「そういえば」と首を傾げた。
「さっき、俺のこと捜してたって言った? どしたの、何か用事?」
俺はがばっとカルディオスに向き直った。
きょとんとするカルディオスに、「そうだよ!」と思わず大声。
「おまえ、怪我してんだろ!? 治すから傷見せろ!」
カルディオスはにこっと微笑んだ。
そして、今回ばかりは自分が施される側であるにも関わらず、まるで飴を差し出すかの如き親切さすら感じさせる口調で言った。
「怪我、一番おっきいのは背中なんだ。だから後で、部屋に来て治して?」
「おまえが俺の部屋に来いよ。なんでしれっと俺を出張させようとしてんだ」
真顔で対応した俺に、カルディオスはわざとらしく瞠目して、指先でくるりと周囲を示した。
なお、周囲は救世主三人の様子に並々ならぬ関心を注いでいたようだったが、余りにも馬鹿な会話を続けているがために、反応は二分されていた。
一つは気が抜けたような反応で、こっちの方がやや多いかといったところ。
もう一つはあからさまに顔を顰めるような反応で、こっちについては後々の禍根にならないことを祈るばかり。
でもまあ、ここで俺たちが小難しい顔で額を突き合わせていたとしても、周りの不安を余計に煽る結果になっただろうことを考えれば仕方ないんじゃないかな。
ディセントラも多分、そう思ってカルディオスと普通に会話していたんだろう。
カルディオスに関しては、辛気臭い態度を取るのが性に合わないというのもあるだろうけど。
そのカルディオスは、周囲を示した指をそのまま流れるように俺に突き付けて、堂々と言い放っていた。
「おまえね、俺の部屋なら土下座してでも来たいって連中は山程いるんだぞ。なのになんだ、その罰当たりな物言いは」
世の中の美形の中でも、こんな言い草が認められるのはごくごく一握りだろうに、カルディオスが言えば納得しか生まないのだから恐れ入る。
とはいえ俺はこいつの顔も見慣れているので、思いっ切り鼻で笑った。
「おまえが土下座したら行ってやってもいいけど?」
「このやろう」
じゃれ掛かるように俺の胸を軽く殴って、カルディオスは鹿爪らしく腕を組んだ。
「まあいいや、俺が行ってやるよ」
そう言って、一拍置いて、カルディオスは幾分か神妙に言った。
「明日からはおまえも、晴れてこの辺を走り回ることになるんだから。
今日くらいゆっくりしたらいーと思うよ」
俺は思わず笑った。
この辺を走り回る、とは、随分軽い言葉選びだと思う。
常人に比べて潤沢で上質な魔力に恵まれて、かつ戦い慣れているカルディオスたちが、なお傷を負っているのがその証だ。
――だが、それでも、俺が待ちに待った役回りだった。
トゥイーディアの傍で、トゥイーディアに手の届く場所で、役割を与えられるのを。
そう強く思ってはいても口には出せないので、俺は黙って立ち上がり、カルディオスを促した。
ディセントラがひらひらと手を振る。
「ゆっくりさせてくれる気があるんなら、早く治させてくれ」
「はーい」
軽い口調でそう言って立ち上がったカルディオスが、その一瞬だけ顔を顰めるのを俺は見た。
――多分、こいつは周りの士気を下げないために、常と変わらぬ振る舞いを見せているだけだ。
昨日に引き続いて今日も、連続して砦に戻って来たのも、恐らくは俺に自分を治療させるためだというのもあったのだろう。
そう言えば俺、昨日は風呂のときですらこいつの背中を見てないな。
自分の怪我で一杯一杯だったというのもあるけど、気を遣わせたのなら申し訳ないことをした。
そう思ったまさにその瞬間、大広間のどこかで上がった囁き声を、俺の耳が捉えた。
その声に含まれる悪意に近いものを俺が感じ取って、無意識のうちに神経質になって、聴覚が鋭敏になっていたのかも知れない。
「……――救世主ともあろうに、なんと軽薄無責任な」
思わず、俺はぱっと振り返った。
その瞬間、こっちを見ていた赤毛の男が、すっと目を逸らすのが見えた。
もしかしたらあいつは、昨夜もここにいて、俺たちが和気藹々と喋っているのを見ていたのかも知れない。今日も同じような光景を見て、思わず言葉が出ただけかも知れない。
それにしても、言いたいことが喉までせり上がってきた。
今日までのカルディオスたちの――何よりトゥイーディアの労と努力を犒うに、余りに不適な言葉だったから。
俺と同様その声が聞こえたのか、ディセントラが腰を浮かせようとした。
公平そうに見えて身びいきが激しい彼女からすれば、かちんとくるに足る一言だっただろう。
トゥイーディアがここにいれば、かちんときつつもぐっと堪えただろうが。
彼女は相当感情的な人間だが、その感情を抑え込み、「どうするべきか」を考えて行動する人間だからね。
密輸団の自爆に巻き込まれたとき、自爆という手段にぶち切れながらも、気を失う最後まで連中を守り切ったのがいい例だ。今も人前ではヘリアンサス相手にもにこにこしているらしいから、彼女の意思の強さは推して知るべし。
腰を浮かせたディセントラの肩を、カルディオスがまるで、何かの用を思い出したかのような自然な仕草で掴んだ。同時にもう片手で俺の腕も掴んだ。
俺とディセントラが、同時にカルディオスを振り返った。
「――あのね、おまえら」
カルディオスは翡翠色の目にやや呆れた色を湛えて、小声で言った。
「俺、疲れてんだから。変な揉め事起こさないでくれよ。もういい大人なんだぜ?」
――いやまあ、そうだけども。
ディセントラが座り直し、俺が仏頂面で腕を組む。
そんな俺たちを見て、カルディオスは念を押すように、「一人になってもあっちに向かって行ったりするなよ?」とディセントラに言っていた。
「分かってるわよ」
淡紅色の目を眇めてそう言いつつ、ディセントラが俺たちを追い払うように、しっしっと手を振る。
肩を竦めて、俺とカルディオスは大広間を後にした。
俺たちだって、昔と違って大人になったから、大抵のことでは怒らない。
とはいえ仲間の誰かが不当なことを言われているとむかっとくるのは、ディセントラだとか俺だとかの悪い癖だ。
カルディオスはそういうのも堪えることが多いけど。こいつは自分の感情のあしらいが割と上手い方だから。
――と、そう思いつつ、俺の部屋がまるで私室であるかのように寛ぐカルディオスを治療したわけだが。
どうすればこんな事態になるのだと絶句するような、カルディオスの背中一面を覆う内出血を見て、俺が声も嗄れんばかりにカルディオスを説教したのは言うまでもない。
「おまえは! 馬鹿! なんで昨日のうちに言わない! 風呂も入っただろ!」
怒鳴る俺にけらけら笑いつつ、カルディオスは「だーって」と。
「昨日はなんかルド、落ち込んでるっぽかったんだもん。でも今日は元気そーで良かった」
「なんでそんなことで一日余計に耐えようと思ったんだよ!」
なお叫ぶ俺を、カルディオスは翡翠色の目を見開いて見上げてきた。
「そんなことじゃねーだろ。
――あ、そういえばルド、あれやった?」
唐突に訊かれて、俺はぐっと声を呑み込んでから首を傾げた。
「――あれって?」
「合わせ鏡で背中の治療」
真面目腐った顔で言ったカルディオスに、俺は、「まず鏡を持って来い」と。
言うまでもなく、鏡は高級品である。
俺が私物として持っているわけもない。
そして無論、俺は“売り言葉に買い言葉”に近い冗談としてこう言ったわけだが、翌日早朝、マジでカルディオスが鏡を二つ持参して来て絶句したのは余談である。
――でもまあ、それで背中の傷は治せた。
万事は結果が全てである。
◆◆◆
さて、ガルシアの周辺の話をしよう。
ガルシアの周り一面は丘陵地帯である。
野外演習を念頭に置いてガルシアという軍事施設が築かれたのか、あるいはちょうどいいところに町があり、それを徐々に砦として築いていったのかは分からない。
だがとにかく、ガルシア周辺は長閑な丘陵地帯である。
直近の町であるカーテスハウンまでも馬車で二時間掛かるわけだが、ガルシアの北側と東側には馬車で一日進まないと町がない。
西は言わずもがなの海。
ガルシアから東南北の方向には馬車道が続いているわけだけれど、それを除けばガルシア周辺は見渡す限りの丘陵地帯。
緩やかな起伏を繰り返す地面と、昔ここで何かあったのか、あるいはここに何かがあったのか、所々に転がる巨岩。
他よりちょっと高めに盛り上がっている丘もちらほらとあって、そういう丘の幾つかには、地下に向かって洞穴が開いている。
以前、その中の一つの入り口が落盤で塞がり、不運にもその中にいた人間を救い出すのに大変な労力が掛かったこともあったそうな。
まあ、さもありなん。コリウスでもなけりゃ、崩れ落ちた土石を撤去するのは魔法でも難しい。
崩れた土石は重いしでかいし、下手なところを動かそうものなら、予期せぬ崩れ方をして救助者を要救助者にしてしまいかねないし、もっと悪けりゃ要救助者を殺してしまいかねないからね。
俺であっても落盤は勘弁願いたい。
落盤に遭っても顔色を変えないでいられるのは、コリウスとトゥイーディアくらいだろう。コリウスは(状況にも体調にもよるけど)崩れ落ちた土石を撤去できるだろうし、トゥイーディアは問答無用で障害物を消し飛ばせるからね。
――と、そんなことを俺が考えているのは、今まさに俺が寝っ転がっている場所がそういう小高い丘の上で、その丘をぶち抜くように洞穴が開いているのを、さっき見て確認していたからだ。
洞穴は地下に向かって潜るように続いていて、暗くて、冷えていて、湿っていた。
一方の俺が寝っ転がっている場所は、丘の上というだけあって日当たりが良くて、柔らかい草原になっていて、真冬とはいえ暖かさすらあり、ぶっちゃけ寝心地がいいわけだけど。
このまま昼寝でも出来れば、どんだけ気持ちがいいかってもんなんだけど。
視界に入ってきた異物に、俺は思わず溜息。
「――まあ、そう上手くはいかないよなあ」
呟いて俺は両脚を振り上げ、その脚を振り下ろす勢いで「よっ」と立ち上がった。
その視界に堂々と聳えて見えるのはレヴナント。
距離にして百ヤードくらい。身の丈は大体四十ヤードくらい。
なんか知能が高そうだなー、と接触前から思うのは、ガルシア近辺で出るレヴナントが悉く知能が高いものであるということを、この五日間で骨身に染みて思い知ったからだ。
この、地面の起伏の他には視界を遮るもののない丘陵地帯において、なぜ百ヤードの距離に近付かれるまで俺がこの巨大なレヴナントの出現に気付かなかったか――それには割と明白な理由がある。
なんと、ガルシア付近を屯するレヴナントは時折身体が透けるのだ。
亡霊という名づけにそぐう、透き通った視認の難しい姿で揺蕩うことがある。
こんなことは今までなかったそうだ。
完全な不意打ちで巨大な掌を叩き付けられて、命を落とした隊員もいるらしい。
それを思えば、この距離であっさりと姿を見せてくれたのは有難いというか何というか。
どういった条件が揃ったときに、レヴナントの姿が透けるのかということも、目下魔法研究員が血眼になって調査している最中だという。
青空を仰いで咆哮するレヴナント目掛けて、俺は丘から飛び降りた。
重力に関する世界の法を書き換えて、ふわっと地面に着地してすぐ走り出す。
時刻は昼前。太陽は東に寄った中天に座して下界を照らしている。
その時間にして、本日三体目のレヴナント。
――俺がガルシアでレヴナント討伐の任務に当たり始めてから五日が経った。
その間、俺は一度も砦に戻らず戦っている。
夜になったら近くのガルシア部隊に合流して野営にお邪魔させてもらっているわけだが、夜にもレヴナントは出るので気が抜けない。
レヴナントは生き物ではないから、夜に睡眠を取ったりしないのも理の当然だけど。
正直しんどいが、トゥイーディアだけに頑張らせるわけにはいかないので、もはやこれは意地である。
それにしても飽きるほど出て来るレヴナント。
叩いても叩いても終わりが来ない。
これは体力勝負、魔力勝負というよりも、根性と気力の勝負かも知れない。
そんなことを思う俺が、この五日間で唯一良かったことと思うのは、一度もヘリアンサスと顔を合わせていないことくらいである。
――あの魔王、そしてこのレヴナントの異常発生の原因でもあるだろう白髪金眼の諸悪の根源は、未だにテルセ侯爵の館に居座っている。
任務に当たる気もなければ任務を邪魔する気もないらしいが、俺としては、あいつを殺しさえすればこのレヴナントの異常発生も収まるだろうと踏んでいる。
それが出来ない理由もまたレヴナントであるわけだけど。
次から次へと発生して気が休まる暇がないもので、俺たち六人が集合してヘリアンサスに挑むタイミングがないのだ。
馬鹿げた話だが、事実なのだから仕方がない。
これには色んな要素が絡む。
まず第一に、ヘリアンサスはあくまでもトゥイーディアの婚約者であるということ。
そのヘリアンサスを、俺たちが正面切って糾弾できるかといえば、出来ないというのが現状で。
尤も、俺たちがヘリアンサスを公に糾弾したとしても、今のあいつには地位があるから効果は今一つだろうしね。
効果も薄いことのために、わざわざトゥイーディアの今の実家を貶めることは出来ない。ヘリアンサスには(奴を殺せたとしても)、不幸な急逝という形で退場願わねばならない。
そして第二に、俺たちはやっぱり救世主だということ。
レヴナント相手に人が殺されていくのを無視は出来ないし、出来ることならば彼らを守りたいと思うのがもはや本能。
そしてそれを受けて、第三に。
俺たちが今までヘリアンサスに傷一つ付けたことはないということ。
今生に関しては今までとは違うが、それでも最悪は覚悟しておくべきであって、そうなると俺たちがヘリアンサスに挑んだ結果、救世主が何人か欠けることにもなりかねないわけだ(ヘリアンサスがいつもの如く一人勝ちして、俺たちは全滅――という可能性もあるけど、考えたくないので無視)。
かつ、レヴナントの異常発生の原因がヘリアンサスだったと仮定しても、ヘリアンサスを殺してすぐに、溶けるようにレヴナントという現象全てが消失してくれるとは限らないわけで。
そうなると、やはり何というか色々と整理して、伸べられる限りの手は差し伸べたと思えてからこそ、怒濤のようにこなさねばならないレヴナント討伐を後に回すことが出来るだろうというもので。
今の俺たちは、「ここを叩けば全てが解決する」と分かり切っている原因を前にして、そこから吐き出される有象無象の勢いに押され、そちらの駆除に明け暮れているような状態だ。
有象無象を放置すれば被害が拡大するから放っておけず、また原因を叩けばこちらも無事では済まないと分かっているがために、有象無象を叩き潰し切ってから事に当たろうとしているような。
俺たちのこの行動が間違っていると言う奴がいるならば、大怪我に呻く誰かの声を聞けばいい。親しい人を亡くして泣く誰かの姿を見ればいい。
かつては、「千人を助けるために百人を殺すのは正義」みたいなことを言った人もいたらしいが、そんなものはくそくらえ。
俺たちは長々と生きてきたから、千人と比べて切り捨てていい百人なんていないことを知っている。
そんな正義は嘘っぱちで薄っぺらい。
俺たちは救世主なんだから、助けを求める千人と救いを待つ百人がいれば、合わせて千百人を助けるために動くべきだ。
……いや、ぶっちゃけ、トゥイーディアたち五人と名前も知らない百人だったら、俺は五人の方を助けるためだけに動くかも知れないが……それは稀有な例外ということで。
客観的な立場を保てる限りは、俺たちは結構公正なんだよ。
そこに自分自身とか他のみんなとか親しい人が絡んでくると、若干天秤に補正が掛かってくるわけで。
ディセントラはその辺の補正が顕著だ。
密輸団の一員のために司法取引まで進めるくらいだしね。
あとトゥイーディアに関しては逆。彼女は、常に感情的な天秤を携えているにも関わらず、理性と努力で誰よりも天秤の位置を公正に調節して事に当たる人だ。
感情から一歩置いて、一線を引いて、俯瞰的に自分の行動の正しさを問う人だ。
本心とは違う理性的な意見を言うときにちょっと息を吸い込んで一拍置いたり、自分自身に何か命令するような強い眼差しをしてから笑って見せたり、そんな顔をずっと見てきたんだから分かる。
すぐ膨れっ面をしたりする子供っぽい言動と、救世主として場の指揮を執るときの判断の正しさの乖離はそこから生じるものだってことも。
――とか何とか考えている間に、俺はレヴナント討伐を終了させている。
周りに誰もいなくて、壊してしまわないか気を遣わなきゃいけないようなものもなければ、俺にとっては大変やりやすい。
つい昨日、任務中にばったり会ったアナベルからは真顔で、「多分あなただと思うけど、あっちこっちで地面が燃えて禿げてるの、何事かって話題になってたわよ」と教えられたが。
俺の得意分野が、〈燃やすこと〉に関して他と明瞭に一線を画すのは、俺自身の体質を含めてのことだ。
他の人が俺と同じことをしようとすると、どうしても自分の熾した熱で火傷をしてしまうけれど、俺に限ってはそれがない。
自分自身すら防御せずに熱を扱えるがために、俺のこの単純極まりない魔法が、他のみんなと肩を並べるものとして言われるわけ。
最後に絶叫を轟かせながら、空中に溶けていくレヴナントに一息。
叩いても叩いても減っていかないこいつらは、これが完全な討伐ではなくて、一時的な撃退なのではないかと思わせる。
とはいえ目の前から排除できたことは確実なので、俺は天を仰いで伸びをした。
目の前の地面が黒焦げになってはいるが、致し方なし。この辺の草原の生命力に期待しよう。
ふう、と息を吐いて、俺は眼前に広がる、その黒焦げの地面を眺め遣った。
得意分野の魔法の破壊力としては、俺自身が正当な救世主の地位にあるときには及ばない。
今の俺は、破壊の方向において絶対法を超えることは出来ないから。
ただし準救世主の地位にあるときよりは大幅に勝ることに間違いはない。
単純に準救世主であるというだけではなくて、俺はつくづく不本意にも、今生は魔王でもあるから。
魔力量の差は改変できる世界の法の範囲の差だ。
――だから、まあ、今生は一種の好機でもある。
内心でそう思いつつ、俺はヘリアンサスの、あの中性的な美貌を思い浮かべた。
――今生は、いつもとは違う。
いつもは、救世主一人に準救世主が五人だった。
しかし今生は、救世主が一人に魔王が一人、そして準救世主が四人だ。
全てが俺の今生の、ずば抜けた不運を土台に成り立っているというのが何とも言えないが、戦力的には今までで最も勝機を掴むに足るものなのだ。
「……まあ、レヴナントの発生が落ち着いてくれない限りはどうしようもないけど」
ぼそりと呟き、俺は意味もなく掌を握ったり開いたり。
周囲を見渡す。丘陵の起伏があるから、それほど遠くまでを見渡せるわけではないが、レヴナントは幸か不幸か巨大だ。遠距離からでも姿を見せていれば気付く。
――身の丈六フィートほどだった、あの今まで遭遇した中で最悪のレヴナント思い出して、俺は身震いした。
あれが出たならばガルシア隊員では打つ手はないだろうし、カルディオスたち準救世主も苦戦は必至だろう。
トゥイーディアならばあるいは、何とか凌ぐかも知れないけれど。
上空を流れる千切れ雲の影に、太陽がじんわりと隠れた。
さあっと刷毛で淡い色を塗るかのように、丘陵地帯を日陰が覆う。
ちょうどそのとき、視界の隅に、太陽が隠れるのと入れ違うようにして現れたレヴナントが見えた。
俺から見えるのは上部のみで、かなり遠い。
どのくらいの図体なのかも、ぱっと見には分からない。
――マジか、連続か。
そう思いつつも、俺は慌てて移動を開始した。
ガルシア隊員には本来、素早い移動のために馬が支給される。
俺も勿論打診されたが、要らないと断った。
有事であれば自力で移動する方がまだ早いだろうと思ったからだ。
まあ実際、やろうと思えば俺であっても馬より早くは移動できるんだけど、疲れる。
こうも連続すると疲れる。
アナベルは最初に馬を断り、それから馬を希望したらしい。気持ちは分かる。
でも砦に戻ってないから馬を所望しようがない。次に戻ったら言ってみよう。
そんなことを思いつつも、姿を見せているレヴナントに向かって疾駆する俺は、そちらから微かな魔力の気配を感じ取った。
救世主の誰かの魔法にしては弱過ぎる気配だ。
ガルシア隊員が、レヴナントに応戦している。
彼らとて、訓練を受けた戦士であるということは理解していても、俺は覚えず足を速めた。
――万が一死人が出たら取り返しがつかない。
世界の法を書き換えて、重力を極限まで削って走る俺の視界を、凄まじい勢いで景色が流れて行く。
だが直後、俺は僅かに足を緩めることとなった。
もう一つ、爆発的に強い魔力の気配がある。
それはレヴナントから離れた場所で発生して、直後に俺を上回る速度でそちらへ肉薄していった。
目に見えない嵐が、渦巻きながら移動しているようですらあった。
――考えるまでもない。
これほどに強烈な魔力の気配を持つとすれば、それはトゥイーディアしか有り得ない。
 




