異世界の都市で大をする。
『異世界のトイレで大をする。』
第七話
――水の都カストゥース
この街の中には水路があり、多くの船が浮かんでいる。水路は移動手段としてはもちろん、貿易ルートとしても使用されている。元々、ここに住む人々が街の更なる発展のために新水路の深削などを行った結果、貿易の隆盛と共に文化と芸術が盛んになったという背景がある。街のところどころには水をモチーフとした芸術作品などが立ち並び、見た目にも華やかで美しい街である。
「なかなか面白い街だな」
ギギーが見ていたのは街中にあるオブジェだった。そのオブジェは船と亜人が合わさった奇妙なものであり、亜人の頭には大小いくつもの剣が刺さっていた。しかも、それが逆立ちをしているのである。
「どの世界も、芸術ってのはよくわからないなぁ」
そう言うと、ヨータローはギギーとヌラエルとは違う方向へ歩き出した。
「どうしたヨータロー」
「ちょっと芸術に触れたら、もよおしてきちゃって」
照れ笑いを浮かべながらヨータローが指さしていたのは公衆トイレであった。
「どういう身体の構造をしてるんだお前は……」
目を細めてヨータローを呆れたように見るギギー。
「そこのご飯屋さんにいる」
ヨータローはそのヌラエルの言葉を受け、後ろ手で右手を軽くあげてそれに応えた。
――水の都のトイレか、ウォシュレットとかあったりしないかな。
ヨータローはそんな甘い考えを浮かべつつ、水の都カストゥースの公衆トイレへと入っていった。
◇
基本的に汚いこっちの世界のトイレの中でも、美しい街のトイレはさぞかし綺麗に整備されているだろう、という期待を胸に公衆トイレに入っていたヨータロー。しかし、実際のトイレはウォシュレットどころか、その期待を遥かに裏切ったものであった。
「いくら美しい街でも、トイレは汚いなぁ……落書きだらけだよ」
特に水の都カストゥースの公衆トイレは落書きが凄かった。手が届く範囲内の壁に様々な絵や文字が書いてある。特に便座周りの視線の高さにある壁には落書きが密集しており、落書きの上にまた別の落書きが足されていたりしてカオスな状態になっていた。
「仕方がないか公衆トイレの歴史は落書きの歴史、鎌倉時代の書物にも記載があるくらいだし……」
そう言って、元の世界に居た時の公衆トイレの落書きを思い出していた。メールアドレスや電話番号、卑猥な言葉から訳の分からない言葉まで様々な落書きがされていた。あの電話番号にかけていたらどうなっていただろう、と思っていたが実際にかけたことはもちろんなかった。
「なんて書いてあるんだろう。こっちの文字は読めないからなぁ……そうだ、紙にメモってヌラエルに聞いてみようか……」
ヨータローはこのトイレに入るにあたって一枚の紙を持ってきていた。しかし、それはただの紙ではない。伝説の魔法が記された紙“ドォコのグリモワール”だった。
「いや……一週間野宿して貯めたお金で買った紙……これは、お尻を拭くためのもの!!」
ヨータローは頭をぶんぶん、と振ってその紙を自分が座っている近くに置くと再び落書きを見た。
「気合で暗記しよう! トイレの勉強効率は通常の数倍とも言われている!!」
こうして、ヨータローは全く知らない世界の文字を凝視した。文字というよりもそれはヨータローのイメージでは記号のように見えた。ヨータローはその文字を自分の中で写真を撮るようにして脳に映像で焼き付ける感覚で覚えていった。
◇
そんなヨータローがトイレで色々なことをしていた時、ギギーとヌラエルは既に先に食事にありついていた。店内・店外どちらでも食べられるタイプの店で、その外にあるオープンスペースの席に二人は座っていた。外では近くを通る人の足音や、取り留めない話をしている人々の声がよく聞こえてくる。そんな中、ギギーはヌラエルがテーブルの上で開いている本が気になっていた。
「ヌラエル。さっきから見ているそれはなんなんだ……? なんか、色々書いてるようだが」
「黒召喚魔術。この世のものではない恐ろしい魔物を呼び出してしまう。私でもかけない複雑な術式」
「黒召喚魔術……? 本当にそんなものがあるのか……?」
「私の師匠が昔使ったことがある。もしかすると……」
ここでヌラエルの目はトイレから帰ってきたヨータローの姿をとらえていた。ギギーもその目線の変化に気が付き、ヨータローを見た。ヨータローは何故か酷く落ち込んでいるようであった。
「アイツもある意味恐ろしいヤツだな」
ヌラエルはそのギギーの言葉に軽くうなずいた。しかし、ヨータローには二人が何を話しているかは耳に入っていなかった。
「聞いてよ、最悪だったんだよ」
「何があったんだ?」
「“ドォコのグリモワール”が思ったよりゴワゴワで……」
「何してんだ、貴重な紙で……!」
「それはさておき……」
「さておくな!!」
「文字を教えて欲しいんだ」
ヨータローはそう言ってしゃがんだ。そして、近くにあった石を掴むと地面に頭の中で記憶した字を書いてみた。すると……。
「わははははははははは!」
「ブフーーーッ!!」
「えっ、なになに!?」
その文字を見た二人が急に笑い始めた。ギギーはもちろん、ヌラエルまで噴き出している。しかし、その笑い方が尋常ではない。二人は笑いすぎて立っているのもやっとというレベルなのだ。
「そんなに面白いの? どういう意味??」
「い、いや……それは……書いたまんまの……意味だよ、あははは……」
「いや、それが分からないんだけど……」
ギギーではお話にならないな、とヌラエルの方を見たらヌラエルはヌラエルで笑いすぎてお腹を押さえていた。これはこの文字の意味を聞くのは難しいな、ということで次の文字の意味を聞くことにした。
「あと、こういうのもあって……」
そう言ってまた石で文字を書いた。今度は、完全に文字を書ききっていないところでギギーが突然動いた。
「わわわわわわー! なに書いてるんだ! 消せ消せ!!!」
急にヨータローの書いた文字を足で踏みつけ、地面をなじるようにして消すギギー。その過剰な反応にヨータローもさすがに呆気にとられてしまった。
「えっと……これはどういう意味なの?」
「い……言えるかバカ~~!!」
ギギーはだめだ、ヌラエルはどうだろうかと思ってヌラエルの方を見たらまるで連行される痴漢を見るかのような冷たい目をヨータローに向けていた。
「……変態……」
ヌラエルのこの一言でなんとなく理由がわかったヨータローは、それ以上の追及を避けることにした。
◇
結局、文字の意味を教えてもらえなかったヨータローはまたトイレに来ていた。今度は出来る限り自分でこの異世界における文字を勉強しようと決めていた。そのため、今回持ち込んだのは文字と絵が書いてある図鑑のようなものであった。
「ふむふむ「ボットン便所」はこういう風に書くのか」
一文字ずつ文字を見ていき、それと同じ文字が使われている箇所を見つけていく。そこから文字の解釈をし、その文字の意味を少しずつ理解していくのだ。そんなことをヨータローは一時間ほど続けていた。
「やっぱり集中できるな。武田信玄もトイレでしか仕事しなかったらしいからね」
そう、かの武田信玄も様々な決断の岐路に立つと、トイレに閉じこもり策を練った。入口には仕事の書類を入れる箱が置かれていて、中から閲覧していたというから驚きである。
「でもトイレは実際落ち着くよなぁ、ボットン便所だとなかなかそうもいかないだろうけど。しっかりとこうやって座れるトイレだとついつい長居しちゃうよね」
トイレは個室であれば、四方を壁に囲まれた狭い空間である。ただ、その空間は閉鎖的ではあるがしっかりとした壁に守られているという安心感があり、自分が一人になれるプライベートな空間でもある。
「ただ、座りすぎもよくない。なぜなら座っているだけでもお尻に力が入ると肛門周辺の血行が悪化するからだ。それが痔の原因にもなってしまうとか……つまり今、ぼくはとても危険な状態にあるわけだ……」
そろそろ出ないとな、と思い大きく伸びをして顔を上にあげた。と、その時にふと天井を見るとそこに落書きがしてあったのを見つけた。
「あ、あんな所にも……よくあんな所に落書きが出来たなぁ」
ヨータローは一応、天井を隅から隅まで見回してみたがさすがにその落書きの他に別の落書きはされていなかった。
「あの落書き……ちょっと気になるなぁ。そうだ、この“モラの錬金図”にメモ……」
“モラの錬金図”は金や銀を作る方法が記されているこれまた高価な紙であった。
「いや! これは一週間飲まず食わずで貯めたお金で買った紙! これはお尻を拭くための物!!」
ヨータローはそう思いなおすと、再び顔をあげて天井を見た。そして、その文字を凝視すると再びその文字を全て記憶することにした。
◇
「この建物を一日で全部破壊したいのか?」
「はい、できますかね?」
ギギーとヌラエルはギルドの仕事の説明を受けていた。今回入った依頼は少しだけ変わっていて、不要な建物の解体だというのだ。その建物は色彩が華やかなまさに水の都カストゥースにぴったりの家だった。一見すると、破壊する理由も見当たらなかった。
「しかし、なんでそんなことを……」
「私、ここら辺ではちょっとした有名な芸術家でしてね。特に住む家には気をつかっているんですよ。この家に住んでもう五年になりましたけどね、定期的に建て替えないとインスピレーションというものが浮かんでこないのですよ。それで、近日中に建て替えてもらおうかなと思いましてね」
「はぁ、そういうものなのか……」
ヨータローが言うように芸術というのはよくわからないな、と思ったギギーがヌラエルの方を見た。
「さすがにこれを一日では無理だよな……?」
「うん。私の魔法でも、難しい」
「そうですか、残念です……」
二人の会話を聞いた依頼主の針金のように細い体型をした亜人の男が頭に右手だけを添えてわざとらしい落胆の意を示すため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだ、とギギーは考えていた。ただでさえ金がないのに今回の依頼を受けることは叶わない。しかも、ヨータローは貴重な紙を自分のおしりふきに使ったのでまた極貧生活が続いてしまうのだ。これからどうしようか、と思っていたそんな時に、ようやくヨータローが長いトイレタイムから合流してきた。
「いやぁ、“モラの錬金図”もいまいちだったよ……」
「また使ったのか!? あの貴重な紙を!!」
「それはさておき」
「さておくなってば!!」
「ヨータロー、私たちは依頼を断ろうとしていたところだ」
ヌラエルの言葉にようやくヨータローが依頼主である亜人の男を見た。その男はヨータローに「ええ、この家の破壊なんですがね」と一言だけ言うと軽く愛想笑いをした。
「そうなんだ。まぁ、ギギーとヌラエルができないなら、ぼくには無理だね。それよりさ……」
ヨータローはそう言うとまたその場にしゃがんで、石を拾った。また先程の流れと一緒で地面に覚えたトイレの落書きを書き始めた。
「トイレにこういう落書きがあったんだけど……」
そう言って、記憶した文字を次々に書いていく。今度は途中まで書いても全く二人からの反応がなかった。ギギーとヌラエルもその奇妙な文字を暫く見ていたが、その文字が何かに似ていることに気が付いていた。しかし、それが何かは思い出せずにいた。
「あっ、それは……!」
途中でヌラエルがいち早くそれに気が付き、ヨータローを止めようとした時であった。地面に書かれた文字が怪しく光り、そこから魔方陣が出現した。そして……。
ドオオオオオオオオオォォォン!!!
「うわあああああああああああぁ!」
その魔方陣から巨大な魔物が飛び出した。その魔物はなんと依頼主の色彩豊かな建物を一瞬で粉々に吹き飛ばし、その場に立ち尽くしたのである。
「なにこれ!?」
驚いたギギーがその魔物を見上げて言う。
「く、黒の召喚魔術……」
ヌラエルはヨータローが書いた文字が先程まで本でみていた黒の召喚魔術の術式と酷似していることを思い出した。この世のものではない魔物を呼び出すという、自分にすらできない召喚魔術である。
「おおおお、素晴らしい力だ! 私の家が一発で!!」
皆が驚いている中、一人で興奮しているのは依頼主の男性だった。
「ありがとうございます!! 依頼金の方は、しっかりと払わせていただきますよ!!!」
もちろん、これは狙ってやったわけではない。
「……で、こいつはどうするんだ?」
ギギーがその魔物を指さしヨータローに尋ねた。後ろでは依頼人の男が「芸術は爆発だ!」と興奮しながらぴょんぴょんと跳ねまわり喜び狂っていた。しかし、この魔物を消す術も知らないヨータローは「さぁ?」と言って手を広げておどけるだけであった。結局、ヨータロー達はこの後、この魔物をどうすることもできずにカストゥースの街の人たちにめちゃくちゃに怒られてしまうことになるのであった。