異世界の便所で大をする。
『異世界のトイレで大をする。』
第十話
――俺は異世界に飛ばされ、そこで戦っていた。
彼の名前は支倉静夜。どこにでもいる普通の高校生だったのだが、ある日剣と魔法の世界に飛ばされてしまった。しかし、その代わりにあらゆる力を増幅させる固有スキル「累乗」を手にした。
「ハアアアァッ!」
シズヤが振るった刃は、ただの一振りだった。
「な、なんだアイツは……」
「一撃……?」
そのただの一振りで、ギギーとヌラエルが何日間かけてもずっと倒せなかった“アイツ”をシズヤはいとも簡単に倒したのであった。
時は遡り、数日前。ヨータロー達は水の都カストゥースにいた。その目的はヨータローが以前この街で呼び出してしまった巨大な魔物“グランデヴォレ”の討伐だった。“グランデヴォレ”は突然街に現れ、ひとしきり暴れると姿を消すということを何度も何度も繰り返していた。そして『このままでは街が崩壊してしまう』ということで“グランデヴォレ”を呼び出したヨータロー達に街の人々は責任をとらせることにした。それが“グランデヴォレ”の討伐であった。
しかし、“グランデヴォレ”はギギーとヌラエルという実力者でも倒すのが困難な魔物であった。適度にダメージを与えても、いつも致命傷を与える前に姿を消してしまうのだ。しかし、現在。その何日もかけても全く倒せなかった“グランデヴォレ”が突如として現れた一人の青年によって倒されたのである。
「あ、ありがとう……」
ギギーがすぐにシズヤに向かってお礼を言う。一方、シズヤは剣を背中に背負った鞘に納刀すると膝に付いた土汚れを払った後にようやくギギーの方を向いた。
「ああ、いいよ。別に大したことなかったし。じゃ、俺はもう行くから」
そう言うと、シズヤは何事もなかったかのようにその場を離れて行った。
「大したことなかったって……」
ギギーがシズヤの背中を指差してヌラエルに聞いた。ヌラエルはそれに対して小さく首を振るだけであった。
◇
“グランデヴォレ”を倒したシズヤはカストゥースにある公衆トイレに来ていた。その公衆トイレは個室や仕切りがないタイプであり、Uの字型にトイレが並んでいた。そして、その室内には既に数人の先客がいた。
(いつも、この世界のトイレだけは慣れないな。直ぐ済ませるか……)
シズヤが石で作られた便座に座ると、目の前にツボがあることに気が付いた。
(RPGだとこういうところにアイテムとかがあったりするんだよな……)
そのツボがなんだかよく分からず不思議そうにじっと見ていると、自分の横の便器を挟んで一つ隣の青年が急に話しかけてきた。
「それは、おしっこを溜めるツボですよ」
「は……?」
「草をなめすのに使うんです」
そう言った青年は、何故か得意気だった。この世界では珍しい自分と同じ人間のようにも見えたが、シズヤはそれよりも何故急に自分に話しかけてきたのかがわからなかった。
「旅の方ですか?」
その青年はシズヤの返答を待たずに再び話しかけてきた。
「あ、ああ……」
「ぼくも旅をしながらトイレを見て回っています」
その青年は隣の誰もいない便座を指差した。
「このトイレの特徴、わかりますか?」
「は? い、いや……」
「みてください。カストゥースは水の都というだけあって水がずっと流れる清潔なトイレなんです。ただ、うんちは肥料などに利用できるので下にためるボットン式のほうがよい気がします。しかし、この街は漁業が盛んで畑がないという観点から見ると――」
「わ、わかったから……」
トイレの最中に話しかけられるというのはどうも落ち着かない。特に大をしている時はなおさらだった。しかし、この後も青年のトイレトークはとどまることはなく、シズヤは逃げることもできないので仕方なく用を足し終えるまでその青年の言葉をずっと聞き流していた。
◇
ヨータローがトイレからでてきたらもう既に“グランデヴォレ”が倒されていたあとだった。“グランデヴォレ”が出現し大変だという時にヨータローは緊張でお腹が痛くなりここまで呑気にトイレにこもっていたのである。
「……ということがあったんだ」
ギギーは先ほど“グランデヴォレ”に苦戦していた時に突然青年が現れ、一撃で倒していったことをヨータローに話していた。
「へぇ、ぼくがトイレに行っている間にそんなことがね。すごく強いんだね、その人」
「とんでもなく強かったぞ。多分、戦闘になったらヨータローなんて小指で一発だぞ」
そう言って、ヨータローを茶化すようにギギーは笑った。
「いや、ぼくだってやる時はやるよ!」
「やるか? コイツ……」
そう言ってヌラエルの方に目線を送ったのはギギーだった。
「戦闘力に関しては、懐疑的」
ギギーとヌラエルからヨータローは戦闘要員として全く期待されていない。そもそも、ヨータローは剣も扱えなければ魔法も使えないので戦闘に不向きなのである。
「いや、ぼくもさっきトイレで変わった人に会ったんだよ。旅の人らしいんだけどね、全然こっちのトイレ事情に詳しくないんだ。だからぼくがしっかりと教えてあげたんだよ」
「それはさぞかし、苦痛だったろうな」
「そうだね、トイレのことを知らないってことは不幸なことだもんね」
「いや、ヨータローに話しかけられたそいつがな」
――数日後。
シズヤが再びその公衆トイレに訪れると、またあの青年が便座に座っていた。
「あ……」
「どうも。まだ、この街にいらしたんですね」
青年は礼儀正しく話しかけてきた。最初はその青年から離れた遠くの便座に座ろうともしたが、声をかけられてしまっては仕方がない。シズヤはまたその青年の便座を一つ挟んだ隣の便座に腰を下ろした。
「街に出現した魔物を倒した礼をもらっていたんだ。しばらく休養していくことにした」
「もしかしてあの“グランデヴォレ”ですか!? アナタが倒してくれたんですね!」
「ああ……」
「その節は本当にありがとうございました! ぼくのせいなんですあれ……ラクガキを地面に書いたらバーンってアレがでちゃって……」
(何を言ってるんだコイツ……)
用も足し終わり、お尻を拭くための紙を取りだそうとした時であった。その時、シズヤはあることに気が付き『あっ』と声を発した。
(しまった、雑貨屋でポーションと一緒にちり紙を買うのを忘れていた……!)
周囲には尻を拭く草も紙もない。このままなにもせずに立ち上がることもできるが、それでは気持ちが悪い。どうするか考えていた時に、隣の青年が動いた。
「お困りのようですね」
「うわっ!? ……な、なんだ……」
「よかったらぼくのをあげますよ」
「え、いいのか?」
「街を救ってもらったお礼です」
RPGでも街を救うとその街の人からお礼として何かもらえるイベントがあるな、と思いシズヤは自分の行動が間違いでないことを再認識した。しかし、その青年が手渡してきたものは紙ではなく三角形の土で作られた手におさまる程度の謎の物体だった。
「……なんだこれ?」
「「クレー・ケーキ」です。遺跡から発掘されたお尻を拭く道具で再現して作ってみたんです!」
(なんなんだ、このクソイベントは……)
◇
水を打ったように静かな店内。既に夜も更けており客足もまばらな宿屋に備え付けられた食堂にてヨータロー達は少し遅めの夕飯を取りながら話し込んでいた。
「……で、偶然居合わせたその人が“グランデヴォレ”を倒した人だったんだ」
「じゃあ、ヨータローもその人に会っていたのか。ちゃんとお礼はしたか?」
「もちろん! お尻を拭くものを持っていなかったようだったから、ぼくはすかさずその人に「クレー・ケーキ」をあげたんだよ!」
そう言ってヨータローはこれでもかと言わんばかりに胸を張った。そして、その声も晴れ晴れとした一段と陽気な声だった。
「「クレー・ケーキ」……?」
また知らない単語が現れたが恐らくトイレ関連のものだろうな、とギギーはなんとなく目星をつけていた。
「ヨータローが土で作っていた三角形のヤツ」
ギギーがそのヌラエルの言葉を聞いて『あぁ……』と言って納得した。そういえば、何か三角形のものを熱心に作っていると思っていたらそれを天日干ししていたような気がする。
「……で、使ったのか?」
「いや、それが魔法でなんとかしていたよ」
「……器用なヤツだな……」
――さらに数日後。
シズヤはカストゥースを旅立つ前に、公衆トイレに行こうとしていた。そして、その公衆トイレの前でシズヤは足を止めた。また、あの青年がいるかもしれない。ここ最近、よくこの公衆トイレで会う妙な青年だ。しかし『さすがに今日はいないか』と思い直し公衆トイレに入った。
「うわっ!?」
「またまた会いましたね」
なんと、その青年はまたシズヤの前に現れた。シズヤは最早いつもの場所と言っても過言ではないその青年の便座を一つ挟んだ場所に座り沈黙した。この時、シズヤとその青年は用を足しながらそれぞれ心の中で思っていた。
(コイツ、RPGでずっと同じ所にいる村人と一緒なんだ……)
(この人、便意のタイミングがぼくと奇跡的に一緒なんだ……!)
シズヤはどこか憐れみを含んだ目で、一方青年はキラキラとした輝きを帯びた目でお互いの方向を見ていた。特にシズヤはその青年のことを完全に「トイレに配置された変なモブ」という認識で見ていた。
「じゃあ、俺はそろそろ……」
「あ、じゃあぼくも一緒に……」
そう言って、青年はシズヤと共に腰を上げた。
「えっ!?」
シズヤはその時、はっと立ち尽くしたように驚いていた。
「な、なんですか……急に……」
「い、いや……」
(コイツ……ここから動けたのか……)
そういえば、とシズヤは思った。この世界において珍しく亜人らしからぬ容姿。他にはないような謎の情報を寄越してきて自分との遭遇率も高い。モブだと思わせといてもしかするととんでもない重要人物なのかもしれない、とシズヤの勘が働き思い切って聞いてみた。
「お前、スキルは?」
「は?」
「俺のスキルは「累乗」……ありとあらゆる力が増幅される」
「へぇ~……凄いなぁ~つまり、便が固くて大がでにくい時になどは肛門付近の力を増幅させることができるわけですね」
(何も持っていないのか……やはり、こいつNPCか……こういうのもいるんだな)
勘違いか、と思ったシズヤはそれ以上なにも聞かなかった。
◇
公衆トイレの外は朝からにぎわっていた。水の都カストゥースは漁業が盛んなので朝から活発に動き回る人も少なくはない。朝は漁業関係者が歩き周り、夜になると芸術関係者が創作意欲を高めるために深夜徘徊するというなんとも面白い二面性を持つ街である。
「じゃあ、俺はもうこの街を出るから」
「はい、色々とありがとうございました!」
(なんというか、変なヤツだったな……)
こうして、シズヤはその青年に別れを告げ歩いて行った。その青年……ヨータローが公衆トイレの外で軽く伸びをしていると、ちょうどそこへヨータローが大をしている間に雑貨屋で旅支度をしていたギギーとヌラエルが合流した。ギギーとヌラエルは、シズヤと話していたヨータローの姿を遠目から確認していた。
「おい、ヨータロー、さっきの人……もしかして……」
「ああ……」
ヨータローが既に小さくなっているシズヤの背中を見つめた。
「ただのトイレ仲間だよ」
彼の名前は今泉洋太郎。トイレに並々ならぬこだわりを持つどこにでもいる普通の高校生だったのだが、ある日剣と魔法の世界に飛ばされてしまった。しかし、その代わりにギギーとヌラエルというかけがえのない仲間と、日本ではとても体験できない様々なトイレとの出会いを手に入れた。そして、ヨータロー達の冒険はこれからも続くのであった。