異世界のトイレで大をする。
『異世界のトイレで大をする。』
第一話
「炎舞剣!!!(フィアム・カンチャルス)」
金色のツインテールを揺らしながらギギーはスライムへと一直線に向かった。逆手に持った短剣をスライムに突き立て内部を切り裂くと、スライムはその衝撃で飛び散った。
「ナイス、ギギー」
同じパーティのヌラエルがギギーを称える。
「ありがと、ヌラエル……ん?」
ギギーは同じパーティのヨータローが、飛び散ったスライムの前でしゃがんでいることに気が付いた。ヨータローはそのスライムの亡骸を手に持つと、スライムを注意深く観察したり、顔を近づけて臭いを嗅いだりした。
「スライムは死んでからもプルプルしてるし、臭いもほとんどしない。身体に害はなさそうだ……」
ギギーはその様子を暫く見ていたが、流石に気になり声をかけた。
「ヨータロー……まさか、お前……食う気か?」
「食べるわけないでしょ、モンスターを!!」
ヨータローはギギーの言葉を直ぐに否定し、続けた。
「そもそも、このスライムだって人を殺して吸収してるかもしれないのに食うなんてできるワケないでしょ!」
「いきなり恐いことを……じゃあ、なんで……?」
「お尻拭くのに使ってみるだけ!」
ヨータローの言葉に、ギギーは「は?」と反射的に反応した。
「お尻を……? え、なんだって……? 何に使うって?」
「お尻を拭くのに使うって」
ヌラエルが全く応えないヨータローに代わり、平板な声でギギーに言う。しかし、それでも理解が出来ずにギギーの頭の中には「?」が渦巻いていた。
「じゃ、スライム討伐の報奨金を貰いに街に行こう!」
「おい! 待て!」
ヨータローはギギーの声を無視し、既に街へと歩を進めていた。
――ケラント城下町のカジノ。
ケラント城下町でスライムの報奨金を貰ったヨータロー達が来ていたのは、カジノだった。店内は身を焦がすような勝負に、狂喜乱舞する客でごったがえしていた。
「ヨータロー! 折角のお金をカジノで使うのか!? ギギーは賭け事が嫌いだぞ!」
「違う違う、カジノのトイレを借りるんだよ」
「はぁ?」
「古今東西、どこでも賭博場のトイレが綺麗。パチンコ屋みたいなものだよ」
「パチ……ン……コ……?」
もちろん、この異世界にパチンコなど存在する訳がない。ギギーは全くピンとこないまま、ヨータローを見つめていた。一応、ギギーはヌラエルの方も確認したが、ヌラエルも同じ気持ちなのか「わからない」と言わんばかりに手を広げるだけだった。
「まぁ、とりあえずこれで美味しいものでも食べていてよ」
そう言うとヨータローは小袋に入った金をギギーに手渡した。
「ぼくはちょっと、今からやってくるからさ」
ヨータローは手にスライムを携えると、トイレへと消えて行った。
カジノのトイレはとてもいい。パチンコのある世界からこの異世界へ飛ばされてきたヨータローも納得の出来だ。まず「個室」。これが、こちらの世界ではなかなかない。便座はあっても、大衆トイレでは大をする時にですら、隣に知らない人と一緒に横並びですることもザラだ。
「うーん、やっぱりトイレは個室に限るね。そして、この香りはどうだ」
ヨータローの鼻孔をくすぐるのは、鼻をつくあの異臭ではない。香草やハーブの香りだ。こちらの世界でもカジノのようなちゃんとしたトイレでは、使用者を考えた心遣いが存在している。
「こっちの世界で色んなトイレを見てきたけど、カジノのトイレが一番いいトイレだな」
――人は一生のうち時間にして三年間をトイレの中で過ごすという。
だからこそ、ヨータローはトイレの時間を大切にしない奴はバカだと思っている。
ただ、そんなヨータローでもカジノのトイレへの不満はある。まず、当たり前だがウォシュレットがない。とは言っても、ヨータローの世界でもウォシュレットがないトイレは存在していた。なので、それは百歩譲っていいとしても……。
「うーん、尻を拭く紙がコレなのはいただけないなぁ」
異世界においてのトイレ事情で「尻を拭くもの」。これはヨータローにとって、この世界で生きていく上で考えるべき一つのテーマだった。なぜなら、異世界において最も良いカジノのトイレでも、尻を拭くものとして備え付けられているのは拭き心地が非常に悪い「葉っぱ」だからだ。しかし、今日のヨータローは違った。
「だが、今日のぼくには「コイツ」がある」
ヨータローはギギーが無残に離散させた手のひらから余るほどのスライムの一部を手に取った。そして、腰を少し浮かし、スライムを尻にあてがった。尻にあてがうと、ほんのり冷たい。ただ、冷たすぎるということもなく心地よい温度だ。感触としても、葉っぱとは比べ物にならないくらい優しく、なにより柔らかい。
「こんなものは、あっちの世界にもなかったぞ! 悪くない、悪くないぞ!! そして、この使用済みスライムは、そのまま流せばいいんだ!!!」
尻を拭いたスライムをヨータローはそのまま便器の中へと捨てると、立ち上がった。そして、ズボンをあげその場を後にしようとしたのだが、一瞬、ヨータローの尻に【違和感】が生じた。
「? ……なんだ……?」
なんとも言いがたい【違和感】と、何者かの気配のようなものを感じた。試しに振り返ってみたがそこには自分が用を足した便座があるだけだった。
「気のせいか……。ま、なにはともあれ、よかった! いやぁ、久々にいいうんこをしたなぁ~!!」
――食堂。
ギギーとヌラエルは先に近くの食堂で食事をとっていた。テーブルの上に並んでいるのは香草焼きだ。それを手で掴み、二人で雑談しながら食べていた。
「ねぇ、別の世界の人間はみんなトイレにこだわるのかな……」
ギギーが香草焼きを手に取り、ヌラエルに尋ねる。
「わからない。……あ……」
ヌラエルが香草焼きに手を伸ばした際に、一瞬ためらいを見せ目線が上へと移動する。目線を移動させた先が気になりギギーもそちらを見やると、そこには、ヨータローが立っていた。それはどこか誇らしげで、まさにひと仕事終えた男の顔になっていた。
「えーと……どうだった?」
ギギーがそう尋ねると、ヨータローは得意気にただ力強く親指を立てた。
「そっか、よかったね……」
「次もまたスライム討伐をしよう」
「集めようとすんな」
「もし、現世に帰れたら『スライムの尻拭き』って商品名で第二のトイレットペーパーとして売り出そうと思うんだけど、どうかな?」
「知らん!」
こうして、異世界におけるヨータローのトイレの一つの答えが出た。それがよほど嬉しかったのだろう。『これからは葉っぱじゃなくて、スライムで拭く時代』と何度も食事の席でギギーとヌラエルに力説していた。もちろん、二人がそれに対してリアクションが薄かったのは言うまでもない。
しかし、翌朝。異変は突然訪れる……。
――街中。
それは、ヨータロー達が泊まった宿から出て、15分程歩いた後だった。
「お、お腹が……痛い……!」
街中で突然、ヨータローがお腹をおさえて苦しみだした。
「……昨日の香草焼きを食べ過ぎたんじゃないの?」
ギギーが呆れたように言う。
「いや、そういう次元の痛みじゃないんだ……!」
「トイレに行けばいいと思う」
ヌラエルがそう言って、近くの公衆トイレを指差した。しかし、ヨータローは首を横に振った。
「か、カジノのトイレに連れてって……。カジノの綺麗なトイレじゃないとダメなんだ……! 分かるでしょ、近くの公園のさわやかトイレよりコンビニのトイレの方が綺麗だからコンビニまでなんとか我慢するみたいな感覚……!」
「なに言ってんるんだ、コイツ……?」
ギギーはそう言ってヌラエルを見たが、ヌラエルは首をかしげるだけだった。
「カジノまで我慢できるの」
ヌラエルが前かがみのヨータローに合わせるようにして少し顔をのぞかせるようにして尋ねた。ただ、ヨータローは既に限界ギリギリだった。
「む、無理……」
喉からやっとのおもいで声をひねり出すと、前かがみの体制そのままに、できる限り自分の腹を刺激しない程度の足早でヨータローは公衆トイレへと駆け込んだ。
――公衆トイレ。
仕切りがなく、冷たく固い便座。もちろん、カジノのトイレのようなハーブや香草の香りなど一切せず、鼻をつくのは様々な人の排泄物が入り混じった異臭のみという劣悪な環境のトイレだ。しかし、選択の余地はない。早速、ヨータローは便座に座り力んでみる。が、出るようで全く出てこない。お腹には依然としてとんでもない激痛が走っている。力んでいる時に、とうとう目じりから涙がにじみ出た。人間、こんな時に湧いてくる感情は不思議なもので「なんで自分がこんな目に……」という恨み言だけで、それはヨータローも同じだった。
「ぼくがなにをしたっていうんだ……ん……!」
暫く力んでいると、その時は突然訪れた。
「う、うおおおおおぉぉおおおおおお!!!!!」
プパーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!
「し、尻から……スライムが生まれた!?」
勢いよく噴出されたのは、昨日のスライムが何倍も膨張したものだった。便座から溢れんばかりのスライムが飛び出し、公衆トイレは完全にスライムの海と化していた。
【違和感】……。
そういえば、と思いヨータローは昨日、尻を拭いた後にスライムを捨てた時のことを思い出していた。あの時に感じた謎の【違和感】。あれは、スライムだったのだ。
「捨てたと思っていたスライムが意志を持って再びぼくのケツの穴に入り込んで、ぼくが食べたものを栄養にして成長していたのか……恐るべき、スライム……」
ヨータローはその後、備え付けの草で尻をぬぐい、その場を後にした。ヨータローの異世界での尻拭き問題はまだまだ、解決することはないようだ。