一週間の夢
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その日の朝、やけに皆がはしゃいでいた。
「どうしたの? 皆、楽しそうね。なにかあるの?」
「今日、王子様が視察に来るの。誰かが視察に来たらね、いつも美味しいお菓子を持って来てくれるから、それが楽しみなんだ」
「私は初めてハリファ王子様に会えるのが、楽しみ!」
浮かれた様子の友人たちの答えを聞き、持っていたスプーンを床に落とした。
慌てて拾おうとするが、手が震えてなかなか拾えない。
孤児院の多くは王立で、ここもその一つ。各院へ定期的に視察が行われていることは知っている。しかし王族の男性が視察へ赴くことはほとんどなく、女性がその役目を担っている。しかもその頻度は年に一度ほど。
この孤児院へ逃げ込むと決めたのは、その年に一度の視察が終わったばかりだったから。それなのに……。王子が今日、ここを訪れる?
「この前来た人に、王子様に会ってみたいって言ったら、お願いを叶えてもらったの」
「いつも来る人たちも優しいけれど、きっと王子様も優しいだろうな」
前回の人生がなければ、私も同意しただろう。だけど王子の本性は人に無実の罪を着せ、処刑できる無慈悲な人。彼にあんな一面があったなんて、あの件があるまで私も知らなかった。
仮に本性ではなく呪術師に操られ極悪人に変貌したとしても、入学が間近に迫っている今、すでに操られ変貌している可能性が高い。
どちらにしろ、彼に会う訳にはいかない。会ってはならない。
ようやくスプーンを拾い上げるが、震えは止まらない。
「どうしたの? 顔色が悪いし、震えているわよ?」
私の様子に気がついた孤児院の先生が、心配そうな顔で額に手を当ててくる。
「……さ、寒気が……」
「今は熱が出ていないようだけれど、風邪かもしれないわね。ひどくなってはいけないし、お会いして王子様に感染させてはご迷惑をおかけするから、今日は一日、寝室で寝ていなさい」
願ってもない言葉に、すぐ頷いた。
寝室へ向かいベッドで横になり、このまま彼が帰るまでやり過ごそうと決める。大丈夫。彼と顔を会わせなければ、きっと大丈夫。私がここにいると知られなければ、大丈夫。
何度も大丈夫だと言い聞かせていると、やがて寝室の三階まで、階下からの賑やかな声が聞こえてきた。王子一行が訪れたようだ。
今回の訪問にどれだけの時間を割くかは聞いていないが、他にも公務が控えているだろうから、長時間ではないはず。このまま何事もなく訪問が終わるようにと、強く目を閉じながら祈る。
だがまたも無情に、神に祈りは届かなかった。
「はい、一人調子を崩しておりまして。お医者の先生も同伴して下さっていたとは、助かります。顔色が悪く震えていますが、熱はなく……」
恐ろしい話し声がドア向こうから聞こえてきた。併せて幾人もの足音が木床の鳴る音とともに、寝室へ近づいてくる。
まさか医師も訪問しているなんて! 医師が病人と思われる私を診察するという流れになるのは、当然だ。
医師とは誰だろう。王子と同伴するくらいだから、きっと名のある者に違いない。となれば、私のことを知っている可能性が大いに高い。その医師にも顔を見られる訳にはいかない。
布団で顔の半分まで隠し震え、無駄だと分かっていながらも願わずにはいられない。
お願い……。入って来ないで……。このまま引き返して……。お願い……。
ガチャ。
ドアが開くとほぼ同時に頭の先まで布団をかぶり、顔を隠した。
「アルファ、調子はどう?」
いつもの優しい先生の声に、震えながら答える。
「……大分よくなりました」
「はじめまして、アルファ。私はお医者さんでね、君の体調が悪いと聞いたんだ。診察を行いたいので、少し起き上がってくれるかな?」
「大丈夫です。寝ていれば治ります」
小声で答える声も、自然と震える。
医師の声に聞き覚えはないが、相手が私を知っている可能性がある以上、顔を見せる訳にはいかない。なんと言われようが、診察を拒否しなくては。
お願いだから放っておいて。病気ではないから診察は必要ないの。無理だと分かっているが、そう言えたらなんと楽だろう。
「その声……。シファか……?」
聞き覚えのある声に、布団の中で一際大きく体を震わせた。ガチガチと歯が鳴りだし、必死に布団を掴む手の揺れが止まらない。
なにしろそれは、王子の声だったから。
なぜ? どうして王子まで寝室に? 病人を見舞うため? そうよ。入学前の彼なら、心配して国民を見舞う行動に出るはず。なぜそれに気がつかなかったのだろう。すっかり王子は悪人というイメージが定着し、想像すらできなかった。
逃げれば良かった。
彼がここを訪れると知った時点で、この孤児院から逃げることが正解だった。なぜそうしなかったのだろう。
後悔が押し寄せてくるが、それでもどうやってこの場を切り抜けるか、必死で考える。
「シファ? いえ、この子の名前はアルファです」
困惑した様子で先生が言う。
「いや、間違いない! この声はシファだ!」
「王子、なにを⁉」
「嫌! 止めて!」
無理やり布団をはぎ取られた瞬間、私の黒く長い髪の毛が乱れ、舞い上がる。
布団を掴み、息を荒げ肩を大きく動かしていたのは、やはり王子だった。私は寝転がった体勢のまま、負けるものかと、乱れた髪を顔に張り付けたまま彼を睨む。だが殺される恐怖は拭えず、震えは止まらない。
「やはり……。まさかこんな所にいたとは……。皆、君が何者かに連れ去られたと心配して、ずっと捜している。とにかく無事で良かった」
心から安堵している表情で言われるが、心配? 捜していた? 四年後を思えば到底信じられる言葉ではなく、つい鼻で笑ってしまう。
「さあ、帰ろう」
身を起こすと手を差し出されたが、私はそれを叩くように払うと、ベッドから飛び下りる。
逃げなくてはと思うものの、唯一の出入り口には王子の護衛や視察の関係者、それに孤児院の友人たちが何事かと、多く集まっている。とても通り抜けられそうにない。
残されているのは窓だけ。すぐさま駆け寄ると、窓を背に叫ぶ。
「嫌です! 絶対に帰りません! 私のことは放っておいて下さい! もう係わらないで下さい! 私はここで生きていくと決めたのです!」
「シファ! 君は悪い夢を見ただけだ! なにも心配することはない! 大丈夫だから私と一緒に帰ろう! 恐ろしいことなど、なにも起きないから!」
その言い方……!
まるで私と同じ、前回の人生の記憶があるみたいな……。
「……ふっ。ふふっ。あはははははは!」
人を無実の罪で処刑しておきながら、悪い夢ですって? 滑稽すぎて笑ってしまう。
なんて酷い人だろう。前回だけでは飽き足らず、今回も私を処刑したいだなんて。家に連れ戻し、処刑できる状況を作りたいのね? このまま私がここにいては、その状況が作れないものね。
ねえ、王子様。私が貴方になにをしました? どれだけのことをして、殺したいほど嫌われたのでしょうか。質問したとしても、答えてくれないでしょうね。仮に答えてくれたとしても、私には理解できないでしょうけれど。
一歩踏み出した王子を睨み、叫ぶ。
「近寄らないで下さい! それ以上近寄れば、ここから飛び降ります!」
後ろ手で窓を開けた途端に風が流れ込み、私の黒い髪の毛を流すように揺らす。
手すりを持ち、開いた窓の向こうに上半身を傾けるように出せば、友人たちが叫ぶ。
ごめんなさい、あなたたちを巻きこんで。だけど私、どうしても前回と同じ人生を歩みたくないの。
「シファ、止めるんだ! 逃げる必要はない! 全て終わったんだよ!」
そう、前回の人生が終わったからやり直している。やり直しているから、生きるために逃げる。それのどこが間違いなの?
その時、視界の端に動く人影を見つける。王子の護衛だ。隙をみて、私を捕らえようとしているに違いない。
そうはさせるものですか! あんな目を二度も体験するくらいなら、今ここで自ら死を選ぶ方がましだわ。
私は手すりの上に身を持ち上げ座り、すぐに後方へと重心を傾ける。
「止めろぉ!」
王子が手を出しながら飛び出してきた。
その必死な慌てた様子に満足する。だって、貴方の思い通りにならないのだから。
残念だったわね、王子様。私を殺すことができなくて。
勝利の笑みを浮かべ、空を見上げる。ああ、とてもよく晴れて綺麗な青空……。白い雲が映え、最期に見るにふさわしい、美しい光景ね……。
そう思った次の瞬間、背中に痛みが走った。
「⁉」
庭に生えている、二階まで高さのある木の太い枝に背中が当たったのだ。衝撃を受けまたすぐ落下するが、別の枝に当たり落下し……。それを繰り返し地面に横たわった時には、生きていた。
体中に擦り傷ができ、いつの間にか捻った足がひどく痛む。
「……うう……っ」
早く逃げなければ捕まってしまう! すぐに立ち上がって逃げたいのに、体が思うように動かない!
焦りながら腕の力で上半身を起こすが、足の痛みのせいで、なかなか立ち上がれない。早く、早く! 早く‼ 早く逃げなくては‼ お願いだから足よ、動いて!
「シファ! 無事か⁉」
そうやってもたついている間に、建物から飛び出して来た王子に捕まり、私の家出は幕を下ろした。
たった一週間しか夢見ることができなかった私は実家に戻される馬車の中、壁にもたれながら、ぼんやりと外を眺める。
三ヶ月後には入学し、王子たちが私を陥れるため動き始める。それまでにまた逃げることができるだろうか。できなければ最悪、卒業を迎えるまでには……。それならチャンスは、きっとあるはず……。
ふと、あることが気になり、外を眺めたまま尋ねる。
「……私はまだ、殿下の婚約者なのですか?」
「ああ」
姿を消した時点で、婚約を解消してくれれば良かったのに……。そうすれば貴方も無駄な労力を使うことなくシャディと結ばれ、私も生きられ、誰もが幸せになれたのに。なぜそうしてくれなかったの? どうしてそこまでして、私を殺したいの?
「シファ」
名を呼ばれたので、うつろな目を向ける。
「以前のように、私のことを名で呼んでくれないか?」
私を落ちつかせるためか、優しい表情で言ってきた。
その声は優しさだけでなく甘さも含まれており、以前の私ならときめきを覚えたはずだが、今はそんな感情など芽生えない。かえって心は冷えている。
「……そのような恐れ多いこと、できません」
断ると、話は以上だと言う替わりにまた窓の外を眺める。
自分を陥れ殺そうとする男と、どうして親しくできよう。彼にも前回の人生の記憶があるようだから、余計に親しく出来る訳がない。
そんなことが分からないほど、この人は愚かだっただろうか。ひょっとしたら、すでに呪術師に操られ始めている兆候かもしれない。
自宅に到着すると事前に知らせを受けていたのか、すでに両親が庭で待ち構えていた。
心配そうな両親の顔が、馬車の中にいる私に気がつくなり明るくなる。でも私に喜びは湧かない。むしろその逆だった。
お読み下さりありがとうございます。
※あらすじに文を追加しました。
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