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一日目

 ひとは、翼を抱いて生まれてくる。

 母なる大樹の小さな梢に、命煌めく葉とともに。



 天上には新緑の空が広がり、やわらかに光が注ぐ。始まりの季、足元では芽ぐむ命が風に揺れる。

 遥か昔、隔たれた土地で生きる嗣竜族と人羽族の間では、命の樹を守るための盟約が交わされた。以来両者は幾度も樹前誓儀の場を設け、互いに交わした盟いを確かめ、戒めてきたという。

 全てを創り、育む源たる母の樹のもと、どちらの地にも属さぬここ七至水の園にて、その会合は行われる。先に開かれた樹前誓儀は今から二十年程前、この中立の聖地の土を踏みしめている者の中にも、前誓儀の経験者は少なからず存在する。

 園を進めば、いくつかの施設が集まる広場の中でもひときわ目を引く建物がある。古より伝えられる神の住まう枝にあやかり、白く汚れない色をして神舎と言わしめる白儀堂に、嗣竜と人羽それぞれから選び抜かれた者達が集められた。

 天葉の輝きも頂点を過ぎ、昼下がりの頃にもなれば、七至の地にも涼やかな風がそよぐ。しかしそんな穏やかな辺りの空気も、白儀堂の大扉がひとたび動けば、重く軋む音を引き連れ、一瞬にして張りつめた。

初日の合議を終えた人羽族や嗣竜族の代表らが扉の奥から姿を現し、樹前誓儀が開かれている期間中、互いに身を置くそれぞれの区画へ消えていく。そして大柄な初老の嗣竜族が表へ出て少しすると、重い扉は再び軋む音をたてて、ゆっくりと閉ざされた。

 最後に現れた嗣竜族は扉の手前で立ち止まり、おもむろに周囲を見回した。目当てのものを見つけたのか、付近を警護している者のひとりへと寄っていく。白儀堂の外周をぐるりと囲む柱の傍ら、嗣竜族の顔役の姿を見留めたその人物は整えられた背筋をさらに正してかしこまる。

「ゴーハ様。初日の儀、いかがでしたか」

 竜頭を模した仮面越しに伝わる声はまだ年若い。

「人羽の中にもいくらか見知った顔ぶれはいたが、お互い相変わらず、といったところだな。此度の誓儀は七日続くこととなった。この七至の地で不祥事など起こるまいが、お前も最後まで気を抜くなよ」

「心得ています」

固い調子を決して崩さぬ短い声に、ゴーハと呼ばれた初老の嗣竜族がいくらか目元を緩める。

「それに、お前にとっては人羽の者を知るまたとない機会になるだろう」

「……喜ばしいことのようには思えません。お話にうかがっていた通りです。人羽族は翼を与えられたものとしての自覚が足りない」

 一丁前に苦言を呈する若者の姿にゴーハは苦笑する。

「そう言ってやるな。まだ初日だろう、交代の刻限が来たらお前も羽を休めておけ」

「俺には必要ありません」

「己の管理もお前の役目のうちだ。この堂宇の奥にはかの樹を一望できる場所もある。お前の目なら能く見えよう。行って来い、シンハ」

 シンハと呼ばれた若者は不承不承頷いた。己の師として、嗣竜族の長として、そしてそれ以上の存在として仰ぐ人物から言われたのでは、忽せにも出来なかった。交代の嗣竜族がやって来たこともあり、場を託した彼はついでに仮面をはずし、白儀堂の奥へと足を運ぶ。

 樹前誓儀が行われること以外では、嗣竜族と人羽族が相まみえることはない。嗣竜も人羽も、隔てられた互いの世界に生きている。七至水の園に辿り着くには、それぞれ世界の奥へと続く深い森を抜けなければならない。各世界を隔てる森は奇妙に入り組み、全容を人々が知ることは叶わない。その昔、樹前誓儀が話し合いの場としてよりも祭儀としての色が濃かった頃は、森のどこかに存在する祭壇で行われていたとも言われており、七至の地へと至る道は、まるで大樹が両種族を呼ぶかのごとく、決まって何かが起こったときに現れる。そして、遠く離れた世界は幹に連なる枝としてあまたに点在し、世界の枝をずっと辿った先にはすべての源、母なる大樹があるという。

 この度の樹前誓儀で両種族が会しているのは、七至の地から繋がる互いの世界に、不穏な影が広がり始めているためだ。混沌より生ずる病魔は人を、そして世界を静かにむしばみ、黒く死へと染め上げる。魔に侵された羽は次第に黒く変色し、やがては肉体のみならず、魂までをも侵蝕する。忍びよる危機に際した両種族は互いに情報、そして知恵を出し合い対応策を講じるために、より大樹に近い聖地へと集まった。しかし、嗣竜と人羽は種族からくる価値観も違うようで、意見の食い違いや衝突も珍しくないという。

 白儀堂は七至水の園において、より大樹に近い位置にあり、他の施設は全て白儀堂の手前側、嗣竜族や人羽族の暮らす土地により近い位置に作られている。逆に堂の裏手側は、七至水の園をとり囲むように両世界から延びる森の木々が続いて林を形成し、さらに、巨大な白い盤石の外壁と、重厚な深い茶の大扉が前に立つ者の視界を阻み、奥に控える景色を包み隠している。

林の奥へまっすぐ続く一本道は、無造作に生えた草木に挟まれ、深まる緑が覆う長い穴のようだった。穴のその先、木々のトンネルを抜けた先に、木漏れ日が輝いている。

 林を抜けたシンハの視界は、一転して百八十度いっぱいに開けた。

 一面の草原のはるか向こう、どこか遠く彼方の場所で、柱ともつかない何か、天と大地を支えるほどの果てなく巨大な影がまっすぐ浮かんでいる。大樹の影は金色の光につつまれ、近づけど近づけど、朧げな輪郭を捉えることはできそうにない。

 実りの季でもないというのに、しなやかに伸びる草の頭が麦穂のごとく波をつくり、風にあわせて光の筋が広がっていく。限りなく続く草原から順に上を見上げれば、草の先は光を受けて白銀の空との境に金色の線を引き、さらに天を順に仰げば、空の色は白銀から黄金へ、そして萌黄色へと移ろい、母なる樹から一番遠く離れた空の片隅は、夜の帳の薄い闇が下りている。彼方の地よりそびえ立つ大樹の影は天へと追うほど光の色に溶けて消え、よく目を凝らせば、天葉から注ぐ光の中でわずかに、大樹がのばした無数の枝が全ての世界を包み込むようにして広がる様が垣間見えた。

 長いこと目前に広がる光景を一心に眺め続けていたシンハだが、あるところで、草むらの中に何かあることに気がついた。

 シンハの立つ位置よりもさらに樹の方へと向かった先に一点だけ、草がまばらか、もしくはほとんど生えていない場所があるようだ。そしてそのすぐ近くにも、別の何かが見て取れた。

 腰の丈ほどもありそうな草を分け入り進むシンハが見つけたものは、台座のようなおかしな石台、そして一人の青年だった。台座のそばで贅沢な草のベッドに惜しげもなく寝転ぶ青年の腹の上には、正されもせずそのままウルスが転がっている。

 精強にして、樹の守護者として君臨した竜の姿を継いでいるとされるウルスは強靭な爪と牙を持ち、堅固な鱗が全身を覆う。

 翼として寄せられずにだらしなく寝ているからか、ウルスにしてはどこか間抜けな面構えに見えなくもないが、それよりももっと妙な違和感がシンハの中に居座った。

「君、どこの里の出か知らないが、ウルスを離したまま寝転がるなんて。もう少しここが一体どこなのか、場をわきまえたらどうなんだ」

 人羽でもあるまいし、嗣竜族の中からこんな締まりのない者が来ているのだということにシンハは驚いた。同郷としてかけた忠告の声に気がついたのか、寝転がる人物は薄く目を開け、シンハの姿を確認している。

「……ウルス? ……ああ」

 青年は若草色の髪をかきあげ、ひとりで呟いた疑問をこれまたひとりで噛み砕いた。重そうに腰をあげて嗣竜族の青年が立ち上がる。シンハとそう大差のない若者だった。

 腹の上で寝ていたウルスが大きな翼でひと羽ばたきし、彼の肩に落ち着いた。そして、気だるそうに大きく口を開けてあくびをしている。

 ウルスの様子で、目の前の青年のかったるいという内情を筒抜けに見せられてしまい、こういったことにはいくらか慣れたシンハも流石に不愉快だった。

 シンハを見つめる青年の目が、シンハの頭から体へ、そして肩へ、そして羽へと移っていく。彼はシンハと同じものを感じたのか、唸りながらしばらくシンハの翼を見つめた。二人がついに違和感の正体に気がついたのは、同時だった。

「お前の羽……」

「君の翼……」

 麦穂のように波状に揺れる絨毯に、向き合う二人の影がいびつな姿を描く。片翼だけの、黒い影。

 ――どうして、そっち側にあるんだ。

 互いに覚えた違和感は、互いの翼に重なった。

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