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油断していた。
振り返ってみれば、そう思わないでもない。
伊集院隼人。
そんな高貴にも安っぽくも見える名前の男と出会ったのはおよそ半年前。
隼人は四十歳で、職業はフリーライターということだった。
フリーライターと言えば格好良く聞こえなくもないが、実態は無職と言っても間違いではない。
よって、びっくりするほどお金を持っていなかった。
そして、その反対に戸籍についているバツの数は私より一つ多く、二度の離婚歴を持つ。
こんな男が私を捨てて、よその女とどうかなるなど考えもしていなかった私は心のどこかで彼を見下し、侮っていたのかもしれない。
隼人とはとある高級スイーツ店のオープン記念セレモニーで出会った。
その店舗はフランスで有名なパティシェ兼実業家の日本進出一号店だった。
オープン前から様々な報道媒体で取り上げられていたこともあって、セレモニーも良く言えば華やかで盛大な、悪く言えば品のない騒々しいパーティーだった。
そんなパーティーなので店内は大勢の人が入り乱れており、マスコミと称すれば大したチェックもなく誰でも容易に潜り込むことができた。
開店決定時から注目されているスイーツ店なので、隼人としてはとにかくセレモニーに紛れ込み、撮れるだけ写真を撮り、聞こえてくる話を全て記録しておけば、後々何かしら仕事につながるだろうという淡くて甘い考えがあったようだ。
そして彼は店側から依頼された通訳の一人としてその場にいた私に目を付けた。
フランス人パティシェと日本のマスコミを繋ぐのは通訳だからだ。
彼はセレモニーの間ずっと私の傍から離れず、必死にやり取りに耳をそばだて、セレモニーがはねてからも帰路につく私を目ざとく見つけて、他に情報はないかとさらに食い下がってきた。
私が隼人のしつこい誘いを受け容れてバーに入ってしまったのは、セレモニーでの仕事にほとほと疲れていて追い払うことが面倒になってしまっていたことと、あまりの空腹に一刻も早く何かをお腹に入れたかったことが重なっていたからだ。
いや、もう一つある。
実は彼の見てくれが周囲にあったおいしそうなスイーツよりも私の好みで、通訳の仕事も気もそぞろになるほど目で追ってしまっていたのだ。
そういうことで私は彼と飲んだ。
隼人が私の母校の大学の、しかもフランス文学科の先輩にあたることが分かると急に話が弾んだ。
隼人がやる教授のものまねが私のツボに入り、深夜の講堂に入り込みセックスしたという武勇伝が私の想像力と子宮を鋭く刺激した。
そして疲れとアルコールで脳がぶよぶよになってしまった私には彼の誘いを振りほどく力が残っておらず、いや、そういう口実に身を委ね、抗うことができないという格好でホテルにしけこんだのだ。
彼は情事のあとの寝物語に、フランス人小説家フランソワーズ・サガンがいかに素晴らしい作品を遺したかということを、さっさと眠りたい私に延々と聞かせた。
彼女のような人間の本質を鋭く描写する小説をいつか書きたいという隼人のありきたりでつまらない夢を私は眠りの淵で幾度も刷り込まれた。




