第八章 モラルハザード
第八章 モラルハザード
1
ほぼ毎週土曜日、正岡は妻の康子と一緒にフランクフルト市内で食材を仕入れた。ついでに日本食料品店でビデオテープを借りた。帰宅後、家族揃ってテレビの前に坐った。
康子が、「二時間ドラマがこんなに面白いと知らなかったわ」と、呟いた。
正岡が応じた。
「日本食料品店は日本のテレビ番組を録画したビデオテープで金を取っているんだ。図々しいよな」
「でも楽しければいいじゃあない」
「まあな。日本に帰ればこんな番組面白くない、と言うと思うけどな」
次男の健が間延びした声で言った。
「皆見ているよ」
正岡は苦笑いを浮かべた。
「外国へ来るとやたらと日本食が食べたくなるのと同じだね」
長男の剛は寄宿舎付きの高校に在学中で、家にはいない。次男の健が自室に入ると、夫婦だけの会話になる。正岡はコーヒーを飲みながら、妻の康子と世間話を始めた。
そのとき不可解な記憶が蘇った。男が野村を正岡に紹介したのだ。
〈君は貿易事業部員だな。紹介したい人がいる。テレビ事業部の野村技術部長だ。将来の社長候補だ〉
正岡の意識は貿易本部の前身である貿易事業部に在籍した二十歳代前半に飛んだ。
〈野村部長が社長候補ですか?〉
〈社長候補ですか、などと疑うような言い方は何だ?〉
野村が助け舟を出した。
〈まあ、いいじゃあないか〉
正岡は男の話を信用しない。
〈社長は難しいと思ったんです。今まで、生え抜きの最高位は常務です〉
男は答えた。
〈そういう時代が来るんだ〉
〈どうしてお宅にそんなことが分かるんですか?〉
〈人事部員だからだ〉
〈人事部員って?〉
〈俺の名前を聞けば、震えが来る〉
〈別に人事部など怖くはない〉
〈何だと?〉
〈俺は何も悪い事はしていない。恐れる理由はない〉
〈まあな、確かに貿易事業部にいたころは悪いことをしていない。その後、君はゼネラル・オーディオ事業部に移った。そうだな〉
〈うん〉
〈ゼネラル・オーディオ事業部で君は会社を揺るがすような大きな事件を起こした〉
〈事件など起こしてない〉
〈インドネシアと直接取引を始めただろう? 君は知らないだろうが、あれが事件になったんだ〉
〈そんな話は聞いていない〉
〈聞いていなくても事件になったんだ〉
〈ふうん〉
〈お前が独断でやったんだろう?〉
〈湯本さんがやろう。黒岩事業部長の許可を取れとしつこく迫ったので、止むを得ず電話をしたら、黒岩さんがあっさりと許可してしまった〉
野村が舌打ちをした。
〈だからあいつはどんな話が出ても、不問にしてくれと言ったんだな。部下に責任を押し付けるなんて。卑怯な奴だ。もういい、帰る〉
正岡は呆然とした。何処かで野村に薬を飲まされたのかもしれない。
だが野村と面談したのは米国駐在前だけである。そのときはお茶も飲んでいない。薬を飲まされた可能性はない。
昭和五十六年頃、一度だけ秘書室へ行ったことがある。
そうか、あのときだ。俺は三十八歳だった。野村は専務になったばかりだ。女性秘書が出したお茶に薬が入っていたのだ。
あの日、本社で会議が二つ重なって、その間隔が一時間あった。時間つぶしにふいっと秘書室へ行ってしまった。
お偉方は、挨拶をしないとか、腰が高いとか、とかく口うるさい。敬して遠ざける場所だ。どうしてあんな近寄りがたい場所へ行ってしまったのか。
野村が小声で人事部員に話したが、俺には聞こえていた。薬が効いているときは耳が敏感になるのだろうか。
その十日後、また不可解な記憶が蘇った。
〈本社の会議の都合で時間つぶしに困ったときは、秘書室へ行くんだぞ。秘書課長は大学の先輩だろ。歓迎すると言っていたぞ〉
こいつは誰だ。湯本のようだ。湯本の暗示に操られていたのか。
では、人事部員だ、と言った男は誰だ。
待てよ。秘書室に野村ともう一人いたな。秘書室長だ。横目を使って俺を見ながら、自席に座らずに、落ち着かない様子で立ち続けていた。
そうか、人事部員と言っていたのは秘書室長だ。秘書室長になる前は本社の人事部採用課長だった。現職を隠すつもりで、咄嗟に口を突いて出たのが前職だったようだ。
秘書室長の直属の上司は常務取締役人事部長の佐橋だ。秘書室に行くように仕向けたのは、佐橋の差し金だったのではないか。
口の左端を吊り上げ気味に笑う佐橋の笑顔が、脳裏に浮んだ。佐橋は黒岩や武田より悪党で、自分の出世のためにはなんでもする人物のようだ。
佐橋は各工場に元警察官を嘱託として採用した。君津工場にも一人いた。人事部の課長待遇で、五十歳前後の男だ。事業部長席の直ぐ前に座っていた。武田との話が終わると親しげに話しかけてきた。
当時からの疑問だが、彼の仕事は一体何だったのか。いつも机を舐めるように下を見ていたが、仕事はなさそうだった。あんな事が来る日も来る日も、良く続くものだと感心したのを覚えている。
警察と東京クレストのパイプ役だったのではないか。君津工場勤務の社員が会社の名前に係るような被害届けを警察に提出したとき、或いは刑事事件を起こしたとき、その情報が彼を通じて、人事部に入るように仕組んだのか。俺が薬事件の被害届けを警察に提出した場合を含めて。佐橋ならそれぐらいの事はしそうだ。
専務の黒岩や最近専務に昇進した武田だけではない。社長の野村が薬にかかわっている。経営陣の中で薬に無関係な人物は会長の進藤だけか。いや、それはありえない。進藤は必ずどこかで絡んでいる。ただ前面に出たくない理由があるのだ。
山形前会長はどうだ。アメリカ駐在前の面談時に見せた、あの裏がありそうな言動は何を意味するのか。
香港の王の別宅で森山電機貿易の社員が薬に関与している。森山電機出身の山形がそのことを知らないはずがない。
これでは会社ぐるみそのものではないか。
秘書課長はもとより、大学の先輩達も所詮は権力に向かって咲くひまわりだ。会社ぐるみでは頼りにならない。
2
平成二年十二月下旬、営業担当専務の黒岩は本社の役員会議室で定例の役員会議に出席していた。
社長の野村が立ち上がり、専務の武田を副社長にする新人事を発表した。実質的な後継者の発表である。
左側の席から拍手が聞こえてきた。常務、平取(取締役)クラスの役員だ。
黒岩は思わず天を仰いだ。脱力感が襲ってきた。拍手をする気にはなれない。が、みっともない真似も出来ない。深い息を吐き出して、周囲にそれとなく目を配った。
出席者の多くが武田に笑顔を送っている。胸の内で舌打ちをした。変わり身の早い奴ばかりだ。
野村の仕打ちに怒りを覚えた。自分が社長にならないのは分かっている。それにしても、なぜ武田だ。
野村が自分を嫌っていることは知っていた。しかし正岡に催眠薬Hを飲ます仕事の旗振り役を引き受け、進藤、野村の二人を社長にする協力をしてきたのだ。それなりの配慮があってしかるべきだ。それが、選りに選って、あいつの下になるのか。
いや、命令を実行した正岡に責任を負わせて見殺しにした上司にあるまじき行為に、せめての事だ、と野村は言いたかったのかもしれない。
十歳年下で、絶対に俺を追い越すことはないと信じて、武田をゼネラル・オーディオ事業部の次長に抜擢したのだ。それが社長になる足掛かりになるとは考えもしなかった。
だが来年六月の株主総会まで、責務を全うするしかない。六カ月近い日々を考えると気が滅入ってくる。
会議終了後、武田に「武さん、おめでとう」と声をかけた。ほほを紅潮させていた武田は、如才ない物腰で深々と頭を下げた。
役員会議室を出て、同じフロアーにある専務室のドアを開けた。
黒岩の姿を見た二十六歳の女性秘書が訊ねた。
「お茶をお持ちしましょうか?」
「いらん」
「コーヒーの方がよろしいですか?」
黒岩は尖った声を出した。
「一人にしてくれ」
秘書は首を竦めてドアを閉めた。
黒岩は頭を垂れた。自分の娘より若い秘書に当たり散らすなんて年甲斐もない。今にして思えば、進藤が社長していたころまでが俺の人生の華だったのか。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥ではないが、老兵は死なず、ただ消えゆくのみか。
3
翌年五月の決算役員会で武田の次期社長と野村の会長昇格が決まった。それと同時に黒岩専務と佐橋常務の退任が発表された。
ドイツ東京クレストの社長室で、正岡は中根から一枚のファックスを受け取った。武田の社長就任を知らせる人事通知書である。
中根は無言で正岡を見つめている。反応を探るかのような目付きだ。
正岡は何も口にしたくないが、「社長ですか」とだけ小声で言うとファックスを返した。中根の前にいたたまれず、直ぐに自室に戻り、ドアを閉めた。力任せに椅子を回転させて腰を下ろした。
武田は俺を食い物にして社長になりゃあがった。社長になるような実績などない。インチキ人事で俺をアメリカに送り込んだペテン師野郎だ。
子供の教育を質に取ってデンマーク行きを断るように仕向けた。更に直属部門の上司でもないのに、シンガポールの社長にしてやろうかなどと誘い掛けた。良心のかけらもないような人間だ。そんな奴が社長とは。
ふつふつと怒りが湧き上がってきた。こんな会社は潰れるしかない。
4
新聞が東京クレストの社長交代記事と、武田の略歴と顔写真を報じた。それを見た高校、大学時代の友人達が大騒ぎし始めた。別けても出身高校の騒ぎ方は想像以上であった。四国の中都市にあるこの高校の出身で、近年、有名企業の社長になったものはいないということで、クラス会の幹事が音頭を取って、祝賀会を開く話が持ち上がった。
武田は幹事から電話を受けた。
「お前の社長就任の祝賀会を開くことになった。直ぐに帰ってこい」
「待ってくれ。正式に社長になるのは六月の株主総会だ。それまで俺の身分は副社長だ」
「それでは、皆が集まるお盆にするか」
場所は和食料理店の二階の座敷に決まった。
三年生の時のクラス担任と同級生の六割方が出席すると聞いて、武田は晴れがましい思いで会場に向かった。驚いたことに名前を忘れていた元校長まで姿を見せた。
武田には床の間の前の最上席が用意されていた。両隣に元校長と元クラス担任が座った。
宴たけなわになり席が乱れ始めると、友人達が入れ替わり立ち替わり、酒を酌み交わしにやって来て武田の膳の前で膝をくずした。
友人の一人は手荒い言葉で社長昇格を祝った。
「お前が社長になるなんて、お前の会社はよほど人材が不足しているんだな」
武田は苦笑した。
「まあな」
別の友人が訊ねた。
「後学にために聞いておきたいんだが、社長になるにはどんな仕事をすればいいんだ?」
武田は正岡の顔を思い出した。まさか、あいつを犠牲にして社長になったとは言えない。
「うん? 友達だろ。そんなに突っ込みを入れるなよ。運だよ。運だけだ」
「お前は悪運が強いからな」
武田は笑ってその場をしのいだ。
その日の深夜、友人の一人に実家まで送ってもらった。
父母と暮らす妹が、笑顔で出迎えた。どことなく自分に似ている。そのせいか子供のころから可愛がってきた。彼女が家の奥に向かって声を張り上げた。
「やっぱり、兄さんよ」
両親の満面の笑顔に迎えられた時が、社長になって一番うれしかった。故郷に錦を飾ったのだ。それも両親の存命中に、だ。長男としてこれに勝る喜びはなかった。女には持てなかったが、幸運の女神には愛されたようだ。
翌朝、早く目が覚めた。寝室を出て顔を洗った。酒の酔いはまだ身体の中に残っているような感じがしたが、意識はほぼ正常に働き始めていた。突然、不安が胸間を駆け巡った。
正岡が転職活動を始め、面接で俺に薬を飲まされたと言うかもしれない。それが噂となり、世間が催眠薬事件を口の端に掛ける事はないか。
週刊誌がどこかでこのネタをかぎつけるかも知れない。森山電機に部下を売って社長になった等と書かれはしないか。そんなことになれば、母校や故郷に顔向けできなくなる。
自問自答を繰り返した。俺だけが悪党だと思われたくない。決めたのは俺ではない。進藤元社長と野村前社長だ。俺は従っただけだ。
武田は思いついた。社長は後継者を決めるが、役員、管理職は後継者を決めることは出来ない。そうだ。彼らに後継者を決める権利を与えよう。後継者指名制度だ。
次の役員と理事は俺が決める。その役員、理事達が事業部長、国内販売会社社長、現地法人社長を、事業部長、国内販売会社社長、現地法人社長が部長或いは課長を、部長が課長を抱きこみ正岡に催眠薬Hを飲ませる。その見返りが後継者の地位だ。そうなれば主要管理職全員が共犯者で一蓮托生の身となる。会社に戻ると取締役人事部長を呼んだ。
「後継者指名制度を作る」
「人事権をなくした社長は社長でなくなります」
「俺は人事権をなくすつもりはない。先ず新役員と新理事を決める。彼らに後継者指名権を委譲する。だが、決裁権は留保する」
「お言葉ですが……」
「俺は決めたんだ」
取締役人事部長は黙ってうなずいた。
初年度の決算は雀の涙ほどの黒字だった。株主総会で会長の野村の退任が決まった。が、武田に危機感はなかった。俺は強運の持ち主だ。今期以降、市場は好転すると信じた。
ただ信じて腕をこまぬいていた訳ではない。本部長、事業部長達と面談をし、問題点を売上、利益の二点に絞り、徹底的に議論した。だが不採算事業部の統廃合は見送った。経営の合理化より、部下に優しい社長像を優先させたのだ。
そこへ思わぬ問題が発生した。市場不良率が大幅に上昇したのだ。放置すればクレストのブランドイメージは、坂道を転がるように落ちて行く。直ちに、緊急事業部長会を開催し、「原因を洗い出して対策を講じろ」と指示した。しかし市場品質は一向に改善しない。そうこうする内に、売上が急速にしぼみはじめた。
慌てた武田は、役員会、事業部長会で声を張り上げ、「もっと売れ、もっと売れ」と「売れる商品を作れ」を繰り返した。ゼネラル・オーディオ事業部長時代の後半、オーディオ事業部長時代に赤字経営の連続だった武田は、黒字経営の方程式を作れない。部下を叱咤激励する以外の考えが浮かんでこなかった。
この頃になってある疑念が湧いてきた。野村前社長の末期、既に会社の業績は傾きかけていた。野村は在任中の赤字転落を嫌って、予定より二年早い四年で、社長職を放り出したのではないか。俺はジョーカーを引かされたのかもしれない、と。
5
正岡はドイツ東京クレストの子会社を設立し、販売担当の副社長に就任した。社長は中根が兼任である。実務は正岡とドイツ人の副社長の二人が取り仕切った。担当地域は東西ドイツの統合によりドイツ全土である。
正岡は販売会社の財産と言うべき販売網の構築に着手し、マネージャーやセールスマンの車で、ドイツ中を走り回った。道路は速度制限区間を除き、速度無制限で世界に名を馳せたアウトバーンだ。彼らは当然のように時速二百キロメートを超すスピードを出した。
取引先はそれと比例するかのように急スピードで増えた。が、売上は急には増えない。
販売網が本格的に機能し始める為には、新取引先がクレストブランドの商品で利益を出さなければならない。利益が仕入、販売、在庫のサイクルを回すエネルギーだからだ。正岡は販売網が機能し始めるまでには、あと一年かかると読んだ。
半年後、親会社のドイツ東京クレストが大赤字に陥った。社長の中根がかつての営業経験を振り翳し、過大な発注を繰り返した。不良在庫の山を築いたのだ。
不良在庫消化の為の膨大な価格対策費が、本社からドイツ東京クレストに送金されて来た。その結果、ドイツの市場価格は急降下した。その急降下した価格は、オランダ、ベルギー、デンマークへ、そしてフランス、イギリスへと波及し、クレストブランドの商品はドル箱のヨーロッパ市場で、歯止めの利かない価格崩落に見舞われた。
ドイツ東京クレストは累積赤字が資本金を大きく上回ったため、本社に増資を仰いだ。以後、何年もの間、配当の可能性のない死んだ投資だった。中根は解任され、帰国した。
後任の社長が着任し、ドイツ東京クレストにリストラの嵐が吹いた。約三十パーセントのドイツ人社員が職を失い、正岡の会社はドイツ東京クレストに吸収合併された。
6
平成五年五月、正岡は四年四カ月余りのドイツ駐在を終えて帰国した。
日本経済は二年前にバブルがはじけ、不況に突入していた。失われた十年又は失われた二十年、或いは平成不況と言われる時代が始まっていたのである。
帰国してしばらくは、リハビリと称して仕事は与えられない。五十歳にしてもう窓際だ。
仕事がないから家に早く帰る。テレビが友達だ。たまたま捻ったチャンネルで、催眠術の番組を放送していた。
その番組の中で、医者が中年女性から幼児体験を聞き出していた。
全身に電流が流れた。山友商事が俺の成育歴を聞き出した時と同じだ。不可解な記憶が蘇るのは薬ではなく催眠術だったのか。
その後も不可解な記憶は蘇り続けた。東京クレストや山友商事に催眠術を使う人間が何人もいるはずがない。やはり、薬だ。
そうか、俺が飲まされていたのは、催眠術に掛った状態にする薬、即ち催眠薬だ。この薬に関与した連中は催眠暗示を利用して俺を操っていたのだ。
この催眠薬を使えば、生殺与奪の権を持った組織が、管理下の人間をマインドコントロールする事は何の造作もない。その人間の運命を予測するどころか、人事権という名の運命の決定権を握っているからだ。
クレジットカード、キャッシュカード、アタッシュケース、金庫等の暗証番号を聞き出すことも簡単だ。誰かに暗証番号を教えた記憶だけが残る。しかも犯人が親友の名前を言えば、親友だと思い込み、同僚の名前を名乗れば、同僚だと信じる。さらに、企業秘密、国家機密を聞き出す事も可能だ。
それだけではない。冤罪事件すら演出できる。
仮に殺人事件が起きたとする。犯人が罪を着せる格好の男を見つける。殺人現場に呼び寄せ、催眠薬を飲ませる。数人で芝居をして事件の記憶を埋め込む。薬効を悪用すれば、日時を偽って記憶させることも可能だ。
そして、「事件の現場近くで彼を見た」と警察に通報する。男は取調べの最中に埋め込まれた記憶が蘇り、顔色を変える。警察は男を犯人と断定し、執拗な取調べを始める。問いつめていくと、男は犯人しか知り得ないことを知っていた……。
男の記憶が完全に蘇り、嵌められたと気がつくのは、刑が確定した後かもしれないのだ。
正岡は胸の内でこんな薬を許してたまるか、と叫んだ。
アメリカ駐在前、蘇りに悩まされた不可解な記憶の多くは、山友商事の常務取締役オーディオ部長と各部門の次長達、女子社員達に催眠薬を飲まされて、埋め込まれたものだった。
そして性行為に及んだ正体不明の女が誰だか気がつき始めた。女は妻の振りをして性行為に誘ったのだ。やりきれない気持ちだ。あの最中に薬効が消えた場合、女が被害者を装い、大騒ぎする可能性だってあり得る。
胸に苦い思いが込み上げた。催眠薬を飲ませて、根堀り葉堀り聞きだしたが、事件にできる材料がないと知ると、事実と異なる記憶を埋め込んで脅したのだ。
独裁国家による恐怖政治さながらの手口である。
では誰が催眠薬を東京クレストに供給しているのか。
前人事担当常務の佐橋は警察庁出身だ。警察庁ルートの可能性を考える。警察組織には警察庁の科学警察研究所や警視庁、道警、府警、県警の科捜研(科学捜査研究所)のように薬物を扱う部署がある。
佐橋が警察庁科学警察研究所在職中に製薬会社と人間関係を作り、催眠薬を供給して貰っている可能性は否定できない。場合によっては、警察の一部の人間が犯罪捜査に使っているかもしれないと想像は膨れ上がる。しかしそれを調べる力はない……。
その一方で、戦前ならまだしも、戦後の民主警察では、その可能性は薄いという思いが過ぎる。警察に対する疑惑が岸に寄せる波のように寄せては引いた。
王の別宅で森山電機貿易の社員が催眠薬を飲ます現場に立ち会っていたことに着眼した。
森山電機貿易は森山電機の直系の子会社だ。事件が明るみに出れば、取引先は森山電機が商談で、催眠薬を飲ませ、相手の腹の底を探るかも知れないと考えるはずだ。そうなれば誰も森山電機の社員達と飲食を共にしなくなる。それは誰も取引したくなくなるということだ。もし薬に無関係であれば、催眠薬を飲ます現場に社員を立ち合わせるような愚かな真似をするはずがない。
森山電機が黒幕だ。
東京クレストは催眠薬を佐橋、警察庁ルートで入手したのではなく、森山電機ルートで受け取ったのではないか。しかし森山電機グループには薬品メーカーはない。
森山一族の閨閥に目を向け、次の土曜日から図書館通いを始めた。
奥まった資料室の棚の上に分厚い紳士録を見つけた。森山電機株式会社創業者の森山太郎の名前があるページを開いた。
長男は森山電機会長だ。その長男が光雄。
森山太郎の夫人の名前を見た瞬間、経済誌で読んだ彼女の実弟の名前が脳裏に浮かんだ。経済界では有名な姉弟である。
実弟の名前を追ってページをめくる。彼は中堅商社の創業者で会長。彼の長男が社長である。
長男の夫人欄に目をやる。正岡の目は釘付けになった。飛田製薬株式会社の社長の次女だ。とうとう製薬会社にたどり着いた。
飛田製薬株式会社は大手でいくつかの子会社を持っている。石垣製薬株式会社もその一つだ。
ドイツに駐在した直後、ドイツ東京クレスト社長の中根が、「同期入社の湯本が石垣製薬の子会社に再就職した」と口走った。その後で中根はしまった、という顔をした。長年の営業経験で、あれは演技ではない、と確信した。
湯本が東京クレストを退社後、社長として入社した会社は、いしがき注射器株式会社だ。使い捨て注射針の会社で、医療機器業界だ。石垣製薬の子会社に違いない。退社前、湯本が転職先はカーオーディオ・メーカーの子会社といっていたが、あれは嘘だ。これで全ての点が線に繋がった。
それにしても飛田製薬グループは何の目的でこの催眠薬を開発したのだろうか。
湯本は正岡がドイツ駐在中に、いしがき注射器株式会社を去った。親会社出身の重役達と喧嘩したという噂が東京クレストの社内で流れた。正岡は喧嘩の裏に王の匂いを嗅いだ思いがした。
ある日、正岡は友人の結婚式で会った弁護士を思い出した。
彼には学生時代にも会っていたが、苗字と出身大学しか記憶になかった。東京弁護士会に連絡を取り住所、電話番号を教えて貰った。
直ちに彼を訪ね、催眠薬事件を説明したが、返事はつれないものだった。
「僕は貴方を昔から知っているので、黙って伺いました。社長や常務など特定の人間が催眠薬を貴方に飲ませたという話は理解できますが、そんなに多くの人間が関与しているとは思えません。証拠がなければ、裁判に勝てない。会社を辞めろと言われている訳ではないでしょう。出来るだけ飲まされないように、気をつけることです。
まあ、そんなことを問題にするより、残りの人生をいかに楽しむか考えた方がよろしいんではないですか」
正岡は弁護士の理解が得られず、落胆して底なし沼に引きずり込まれるような気がした。
お茶やコーヒーを飲まないようにすることは可能だ。が、仕事は営業である。現地法人の関係者との飲食を避けていては仕事にならない。
新年会、忘年会の類はともかくも、会社を辞める決意を固めない限り、歓送会、歓迎会、役職会等への出席は不可避だ。相手が催眠薬を飲まそうと思えば、機会は幾等でもあるのだ。
警察に被害届けを出すことも頭に浮かんだ。が、社内には前常務取締役人事部長の佐橋が連れてきた警察出身者が残っている。警察に届けるには、職を賭す覚悟が要る。それでも、この事件が白日の下に晒される可能性があれば、リスクを冒す価値はある。しかし日本の裁判制度では、証拠がなければ立件される可能性は皆無に等しい。薮蛇どころか、墓穴を掘るだけである。
内部告発者のその後の人生は悲惨だ。子会社をたらい回しにされたり、まるで独房に入れられた犯罪者さながらに、個室に封じ込められたりしている。それに自分の利益のために会社側についているような人間ばかりの中で、誰が味方してくれるだろうか。
友人の内科医に催眠薬について情報を得ようとするが、満足な返事は返ってこない。
法学部を卒業した友人に相談した。
友人は「会社を辞めて、告訴する方法がある」と言った。
その手があったか、と思った。しかし家族がある。路頭に迷わすようなまねはできない。
正岡には誇りがあった。実績である。悪いことは何もしていないのだ。逃げ出すように会社を辞める訳にはいかない。そんなことをすれば、東京クレストがあたかも悪い事をしたかのように触れ回るかもしれないからだ。
ただ悲しいかな、対抗手段は殆どない。催眠薬を飲ませた連中の前では、二度と飲み物に手をつけないぐらいだ。迷い、悩むうちに、だんだん腹が据わってきた。明白な被害が発生すれば、告訴すれば良い。今は転職を目指しつつ、様子を見る以外に手はない。
アメリカから帰国した時とは別の複数の人材紹介会社に求職登録をした。
翌年になると、人材紹介会社は幾つかの案件を紹介し始めた。アメリカから帰国した時とは比較にならない好条件ばかりだった。再就職に期待と意欲を持った。
ところが、求人側の主要取引先を調べると東京クレストを含む森山電機グループのどこかが絡んでいる。五十歳を過ぎた男に異業種の門戸は極めて狭いということだ。
転職後、森山電機グループの会社に注文を取りに行く自分の姿を想像した。
その会社は面会すら拒否するかもしれない。主要取引先にも出入りできない営業マンは無用の長物だ。辞めざるを得なくなる。まだある。大量注文を餌に、転職先に圧力をかけて、罠に嵌めるかもしれないのだ。鳥肌が立ってきた。
事業部長会で武田が異常な様子を見せたという噂で、社内は持ちきりになった。
前頭部に大粒の汗を浮かべて、視線を宙に這わせていた。頭の振れも大きく、平衡感覚がなくなっているようだ。自律神経失調症らしい、と。
この頃、生え抜き二代目社長の野村が死去した。
平成六年十月、東京クレストは創業以来初の希望退職を募集した。対象は五十歳以上の管理職である。
7
平成七年二月後半に始まる急激な円高は、四月中旬の東京市場で、一米ドルが八十円割れする戦後最高値を記録した。が、夏以降、為替レートは急速に円安に向かった。
また、この年に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が発生した。
平成七年三月末、武田が社長を解任された。 森山電機は新社長を送り込んで来た。
東京クレストでは、武田社長時代の負の遺産が露呈し始めた。
一つ目は巨大市場中国で起きた。
中国東京クレスト社長の関口が、膨大な不良債権を作り、販売網は瓦解した。残されたのは赤字だけである。
最大の問題は人事だ。台湾東京クレスト社長を兼任していた関口は、お気に入りの台湾社員を幹部社員として中国本土に送り込んだ。彼らは東京クレスト商品を扱った経験年数は長いが、能力で勝っていたわけではない。北京本社や上海、広州など沿海の大都市の支店で、中国人社員が怨嗟の声を上げた。俺達は台湾に占領を許している、と。
中国人社員は労働意欲をなくしただけではない。台湾出身の幹部社員との間で軋轢が激しくなった。関口は両者の対立を調整するために、その場しのぎの発言を繰り返した。二枚舌を使ったのだ。社員達は関口の言葉を信用しなくなった。
ゼネラル・オーディオ事業部海外営業部で正岡の前任の中近東アフリカ担当、イギリス駐在員、ビデオ事業部海外営業部課長、部長を歴任した理事が、新社長になった。
新社長は中国人と仕事上の接点がほとんどなかった。そのため中国人アレルギーを持っていた。台湾出身の幹部社員を帰郷させ、販売網再構築のために日本人駐在員を続々と中国各地に送り込んだ。
駐在員の諸手当は異邦人である日本人が、現地で生活する事を基本としている。大企業の社員が恥ずかしくなく生活できる駐在員給与、会社負担の所得税、子女教育手当、住居費、車の購入資金、現地の事情により日本人が運転できない場合は運転手の賃金等が駐在経費及び駐在付帯経費になる。現地人従業員と比較すれば、桁違いに高額な給与水準である。その駐在員を次から次へと赤字現地法人に送り込むのは自殺行為である。
本社が人件費の大部分と価格対策費、販売促進費を補填した。その後も、中国東京クレストは赤字経営が続き、回転資金不足に陥った。余儀なく本社に増資を願い出た。その間の実質的な累積赤字は二百億円を上回った。
二つ目はアメリカで起きた。
米国東京クレスト人事部長の西尾が、女性事務員に職権を嵩に性行為を迫ったとして告訴された。セクハラ事件である。
彼は役員の一人であるセクレタリー(秘書役)を兼務していた。が、セクレタリー即ち秘書という先入観に囚われて、役員の自覚はなかったらしい。
セクレタリーは日本人がボーイなどと同様に誤解しやすい単語の一つである。
ボーイは使う場所や状況如何で意味が大きく変わる。基本的には十七、八歳までの少年に、ボーイという単語を使う。が、息子、給仕、ポーターなどには、年齢に関係なくボーイを使っている。
また男の人が英語の勉強と無関係な場所でアイ・アム・ア・ボーイと言えば、ホモ(女役)と勘違いされかねない。
英語のセクレタリー(secretary)は社長秘書(president's secretary)のように秘書を意味する場合もある。が、多くの場合、それより高い地位を指している。協会などでは事務局長である。英国政府では大臣、米国政府では長官だ。米国の国務長官はザ・セクレタリー・オブ・ステイト(the Secretary of State)である。
自覚の有無にかかわらず、有名企業の役員のセクハラ事件は高くつく。本社の常務取締役人事部長が女性事務員との折衝に当たり、三億円の示談金で和解した。常務は西尾に辞職を迫った。が、西尾は正岡に薬を飲ます違法行為に手を貸した見返りに、退職金の他に割増金をも要求した。
常務は佐橋が取締役人事部長だった時の人事部次長で、正岡に催眠薬Hを飲ます裏工作のために、西尾を米国東京クレストに送り込んだ当の本人である。
膠着状態の中、常務は心臓発作で急逝し、交渉相手を失った西尾は退社した。
三つ目は貿易部門である。
貿易部門の主要な取引先は現地法人と海外代理店である。現地法人のトップのほとんどは部課長職だ。が、事業部のトップの多くは役員か理事である。事業部の力は強く、押し込み販売が日常化し、現地在庫が増大した。在庫は日々刻々とその市場価値が落ちていく。翌期以降に、現地法人の在庫消化に対策費を送金する羽目に陥る。
実売価格の低下に苦しみ出すと、連結決算の対象外である代理店を頼った。公認会計士の目が代理店向けの送金にまで届かないことに付け込んだのだ。
代理店には、翌年度で実売価格と出荷価格との値差を送金すると約束し、無理な船積み(出荷)をした。れっきとした粉飾決算だ。
送金の財源は翌年度の宣伝・販売促進費である。当然の帰結として、翌年度の宣伝・販売促進費が不足する。新商品の販売に支障を来たす。代理店の販売は縮小する。代理店が売れなければ、東京クレストに注文は来ない。売上が不足する。赤字経営である。再び、その翌年度に送金をすると約束し、無理な船積みをする。
最早そこには、コンプライアンス(法令順守)や企業会計原則もなければ、企業倫理もない。あるのはその場限りの販売だけだ。
海外現地法人の末端では、翌期の売上を当該期の売上に繰り上げるために、出荷日のバックデート(実際より前の日付を入れる)が日常茶飯事化した。管理すべき経理部門は見て見ぬ振りを決め込んだ。やがて、バックデートは当然のように国内営業に飛び火し、各地の販売会社、営業所で常態化して行った。
四つ目は後継者指名制度の濫用だ。
シンガポール東京クレスト社長と最大事業部であるビデオ事業部海外営業部のアジア・アフリカ担当課長が、後継者指名制度の悪用を思い付いた。
シンガポール東京クレスト社長は、課長を後継者に推薦する。その見返りに、課長が他市場より安い価格でシンガポールに商品を供給する。
シンガポールは自由港で、関税はゼロである。安い価格で仕入れることが出来れば、アジア、中近東、アフリカ、旧ソビエト連邦地域への再輸出が容易になる。担当市場が急拡大したと同じ事だ。シンガポール東京クレストは急成長し、アジア地域に点在する他の現地法人より、実績を上げる事が出来る。結果はビデオ事業部の採算悪化とアジア、中近東地域における並行輸入の急増である。売れなくなったアジア、中近東地域の代理店が怒りの声を上げた。
だが二人は何処吹く風と聞き流した。自分達が栄達できれば、会社の採算悪化や代理店の経営難など二の次であった。
二年後、シンガポール東京クレスト社長は、理事アジア本部長に昇格した。
課長はビデオ事業部海外営業部のアジア担当部長に昇進後、シンガポール東京クレスト社長就任を果たし、その後理事に昇任した。
いつしか、社員達は直属の上司ではなく、昇進に繋がる人物のために働き始めた。後継者指名制度が、化学反応の触媒のように会社組織の瓦解作用を促したのだ。
モラルハザード(倫理の欠如)の蔓延と軌を一にして、東京クレストの業績は底なし沼に落ちて行った。