第七章 ドイツの問題会社
第七章 ドイツの問題会社
1
正岡の駐在地は金融の中心地で西ドイツ最大の国際空港を持つフランクフルトである。
単身赴任中の一年三ヵ月、市内のワンルームマンションを借りた。家具付きだが、狭いリビングルーム兼寝室とダイニングキッチンにバス・トイレ付だ。近くに、ドイツ、イタリア、中華の料理店が点在していた。平日の夜は、いずれかの店に出掛けた。土曜日には、朝食や土、日曜日用の食材を、近くの商店やスーパーマーケットで買い求めた。
正岡の肩書きはドイツ東京クレストの営業部次長でアメリカ時代の職位と同じだが、取扱商品は東京クレストが生産する全ての民生用電子機器と磁気テープである。
ドイツ東京クレストは市場占有率が低く、万年赤字経営の問題会社だった。正岡は会社の実態を把握するところからスタートした。
ドイツ人営業部長は販売網の知識は豊富だが、オーディオ機器を殆ど知らない事を発見した。
正岡は彼に、「私は日本でもアメリカでもゼネラル・オーディオの販売を担当していた。ハイファイなどの商品も熟知しています。これらの部門の販売に注力したい」と申し出た。
彼は快諾した。
西ドイツ市場の特色の一つは、大手電気店が少なく中型電気店がバイインググループ(緩い連帯の購買グループ)を構成し、幅を利かせていたことである。
ラジカセ、ポータブルコンポ、カー・オーディオなどゼネラル・オーディオを取り扱う電気店を開発する一方で、ハイファイは中型電気店の要望に応じ、店別に異なる専用システムを作る事にした。その管理はブランチ・マネージャー(支店長)に任せた。
ハイファイシステムはアンプ、チューナー、テープデッキ、CDプレーヤー、スピーカーで成り立つ。その組み合わせの数は、中型電気店の数を大幅に上回ると言っても過言ではない。専用システムを作る事などお安い御用だ。
中型電気店は喜んだ。近隣の電気店の安値広告に頭を悩ますことなく、販売が出来るからだ。ハイファイの売上は飛躍的に増加した。ポータブルコンポ、カー・オーディオはハイファイの販売網に乗り、売上を増やした。
正岡は手を緩めることなく、カー・オーディオ・スペシャリスト・ディーラーの開発に着手した。担当マネージャーに、開発した新規店の数に応じ一定金額のボーナスを払う事にしたのだ。担当マネージャーは猛烈なスピードで新規店を開発し始めた。
西ドイツ市場の特色のもう一つは、メールオーダーカンパニー、デパートが電気製品の販売で高い市場構成比を誇っていたことだ。しかしドイツ東京クレストはメールオーダーカンパニーとの取引がなかった。
西ドイツは買い物に制約が多い。小売店が閉店すべき時間を定めている閉店法が存在するからだ。
日曜、祝日には空港、主要駅の売店等を除き、終日閉店にしなければならない。平日でも開店時間は制限されている。
専業主婦以外は土曜日に買い物をする。西ドイツではどの家庭も、共働きが普通だ。土曜日に、夫婦揃って買い物に行けない夫婦も多い。ショッピングモールから離れた場所に住む人々もいる。彼らはメールオーダー、日本流に言えば、カタログ通販を利用する事になる。
正岡はドイツ人営業部長に持ちかけた。
「メールオーダーカンパニーと取引を開始しよう」
「取引は出来ない。ディーラー契約書に、メールオーダーカンパニーと取引をしないという条項がある」
「どうしてそんな条項を入れているの?」
「中小電気店の保護が目的だ」
「同業他社はメールオーダーカンパニーと取引をしている。契約の期限は?」
「契約は毎年更新される。年末だ」
「来年の契約書からその条項を外そう」
翌年から、メールオーダーカンパニー向けに大型商談が成立し始めた。
2
西ドイツ赴任の約一年後、長男の中学校卒業が迫った。家族を呼び寄せるかどうか決めなければならない。が、職位は以前と同じだ。騙されたまま家族を西ドイツに呼び寄せる事に二の足を踏み、妻の康子に電話した。
「会社は西ドイツでも騙すつもりだ。君達を呼ばない方がいいと思うが……」
「急にそう言われても……。ともかく子供達に、それとなく話してみるわ」
翌日、康子は長男の剛、次男の健の様子を正岡に伝えた。
「健の先生が西ドイツ行きを授業中に喋ったんだって。口止めしておいたのにね。健は西ドイツへ行かないことになったら、嘘つき呼ばわりされて学校に行けなくなると言っているわ。剛はヨーロッパの高校へ行きたいと言っているの」
「しかしアメリカのときみたいに、一年や二年でまた何処かへ飛ばされても、子供達も困ることになる」
「今度も、駐在員の家族には面談があるわね。磯部さんに会えるかしら?」
「貿易本部の人事部に磯部さんとの面談を申し込んでおくよ」
「任期が五年というのは確かなの?」
「辞令にはそう書いてある」
「任期いっぱい駐在出来るんでしょうね、って確認しておくつもりよ」
「大丈夫か?」
「子供の将来にかかわることなのよ」
一週間後、康子から電話があった。
「磯部さんに会ったわ」
「どうだった?」
「アメリカでは任期途中で帰国したため、子供の教育に大変苦労しました。今度はそんな事はないようにお願いします、と言っておいたわよ」
「で、反応は?」
「神妙な顔をしてうなずいていたけど……。大丈夫じゃあなくって」
正岡は康子の報告を受け、家族を予定通り呼び寄せることにした。
その一方で、磯部が約束を守らなかった場合の対応策を考えた。約束と違う役職だ、と文句をつければ、会社は変更するかもしれない。だがその後で左遷する手がある。人事権は会社が握っているのだ。無駄な事はしない。
しかし任期途中での人事異動で子供の教育に影響が出れば、話は別だ。そのときは康子に社長宛の抗議書を書かせよう、と。
翌年三月の家族到着に先立ち、正岡はフランクフルトから車で約四十分の郊外の高台にあるマンションを借りた。
直ぐ隣が、森である。休日になると犬と一緒に散歩する人、馬に乗った人などが姿を見せた。しばしば正岡も森に入った。樹木の香りが一人住まいの侘しさを癒してくれた。
3
平成元年十一月のベルリンの壁の崩壊後、東西ドイツは怒涛の勢いで再統一に向かって走り始めた。会社のドイツ人の同僚や取引先は、想定を超えた早い動きに戸惑いを見せつつも、静かに喜びを口にしていた。
平成二年七月一日、ドイツは経済を先行して再統一した。東ドイツの通貨が西ドイツのマルクに切り替わった。
東ドイツの国民車トラバントが続々と国境を越えて西ドイツ側に入ってきた。巷間、この車のボディーは紙で出来ているらしい、と揶揄された。が、事実は、木綿、パルプと合成樹脂を合わせた原材料に熱を加えて固めたものだという。
そのトラバントがボディーを震わせ、一部を除きスピード無制限で世界に名を馳せたアウトバーン(高速道路)を時速四十キロ前後で走っていた。
あるドイツ人社員が冷笑を浮かべて正岡に言った。
「あれが東ドイツ車のトラバントだ。注文してから十年以上待たないと手に入らないほどの人気だってさ」
十月三日、ドイツは再統一を果たした。
正岡はマンションの近くで何かイベントでもあるのかと思い、車で家の周りを走ってみたが、いつもと同じで、ひっそりとしていた。
夜、テレビを見ると華々しいセレモニーの様子が報道されていた。歴史的大事件が自分達の生活とは何の関係もなく進行している事に、不思議な思いがした。
マンションのベランダから、フランクフルトの町並みが一望のもとに眺められた。ベランダにはテーブルと椅子三脚を置いていた。暖かい日の夕方には、しばしばこの景観を肴に生ビールを飲んだ。
休日には、ヴィヴァルディーの四季などのクラシックをバックグラウンドミュージックに、ゆっくりと家族と共に朝食を取り、夕食には白ワインを飲んで、ハイファイ・コンポから流れるフランクシナトラの美声に耳を傾けるのが、楽しみだった。
だがひとたび会社に足を踏み入れると状況は一変する。社長の中根が正岡の仕事に事あるごとに難癖をつけた。彼の肩越しに、武田の背後霊を見るような思いだった。
ドイツ人社員は会話を理解できなくても、二人の関係は肌で感じる。正岡の社内での孤立は誰の目にも明白だった。
中根の仕事振りは常軌を逸していた。一日中、パソコンに向かってゲームをしている。正岡が決裁を仰ぐときだけ顔をパソコンからはずし、正岡が腰を上げると又パソコンに向かうというものだ。赤字経営を全く気にしない。口癖は「金を本社から貰うのが俺の仕事」である。
正岡は仕事をするのが馬鹿らしくなってきた。が、ある日、思い直した。やる気をなくし、手抜きをすると、販売実績は上がらない。帰国時には、五十歳を過ぎているだろう。年齢的に再就職は厳しいが、チャレンジする積りだ。
自分のセールスポイントは販売実績である。それを職務経歴書で謳えなければ、再就職は覚束ない。会社の誰かを頼るしかなくなる。それだけは御免だ。自らを奮い立たせて仕事に取り組むことにした。
直ちに、オーディオのみならずテレビ、ビデオなど全商品の販売網の再構築に着手した。中小電気店との取引を出来るだけ維持しながらも、大手電気店、デパートとの取引の再活性化が眼目だ。
中根は販売促進費、価格対策費の事前申請を強要した。が、正岡は即座に切り返した。
「商談の内容を事前に予測する事は不可能です。仕事は任せてください。報告はします。もしどうしても事前承認が必要だとおっしゃるのでしたら、そうしますが、仕事の結果は期待しないで下さい」
中根は無言だ。
正岡は「それでは任せていただきます」と駄目押しをした。
ドイツでは日本企業の駐在員が商談に参加するケースは少ない。ドイツ語を商談に使えるほどには喋れないからだ。正岡のドイツ語の読解力はまずまずだが、会話力は御多分に洩れず初級レベルである。しかし英語が出来るブランチ・マネージャー、セールスマンを通訳にして商談に挑戦した。
取引先への移動手段は車だ。車の中では雑談に花が咲く。ハンブルグのブランチ・マネージャーがドイツの方言について語った。
「ドイツという国は一つだが、方言が多い。外国人がそれを知らなければ、商売の障害になり、知れば武器にもなる。低地ドイツ語と高地ドイツ語は外国人の間でもよく知られているようだ。標準語の基礎になっている高地ドイツ語は更に幾つかの方言に分かれる。その中でも南部のバイエルン地方の方言は独特だ。
ハンブルグ周辺でも大河エルベ川を挟みハンブルグ側と対岸側とではアクセントが違う。ハンブルグ出身のセールスマンは対岸の町では成功しない。アクセントで出身地がばれるからだ。数百年前に騙した、騙された、で始まった反目が今でも続いている」
日本の東京一極集中と異なり、ドイツ人が他州に職を求める事例は多くない。そのことが今でも地方色を色濃く残している理由のようだ。
日本でも河川に橋がなく渡し舟で行き来していた時代には、同県内はおろか同じ郡内でも、大きな川が方言の違いを生んでいた。
正岡は雑談を通じて、ドイツへの理解を深めていった。
デパートや大手電気店のトップはドイツ人であろうとなかろうと、決定権のある人間との商談に喜んで応じた。たとえドイツ語に問題があっても。そして彼らは想像以上に英語が得意だった。
ドイツ赴任後に発見したことだが、ドイツ人は極めて短期間に英会話をマスターできるようだ。現在のイギリス人の先祖であるアングロサクソン人(Anglo-Saxons)は、ゲルマン人の小部族であるアングル族(Angles)、サクソン族(Saxons)、ジュート族(Jutes)の総称である。けだし当然かもしれない。
その次に着手したのがリベートの標準化である。リベートの中でディーラー間に格差が出るのは年間ボーナスだ。
通常、年間ボーナスは供給側と仕入側が合意した年間の仕入目標を達成した場合に支払われる。
ところが、ドイツ東京クレストは年間ボーナスを電気店数社に、目標達成の有無に拘らず満額支払っていた。
それだけではない、ある中型電気店には大手電気店より高率のリベートを支払っている事実を把握した。
その中型電気店から大手電気店にバイヤーが転職すれば、大手電気店はリベートの大幅アップを要求するか、取引停止を言い出すか、二つに一つだ。が、大手電気店へのリベートを増そうにも、赤字のドイツ東京クレストにはその財源がない。
そこで、新条件を全取引先に提示することにした。年間仕入目標を数段階に設定し、仕入金額がどの目標段階を達成したかでリベート率が決まるという内容で、従来のリベート率を上限とした。
しかしいくつかのディーラーは未達成でも、従来通りの高リベートを要求した。突っぱねる方法もあるが、妥協する道を選び、中間点の何処かで折り合いをつけた。妥協の道を選択した事で、リベート率が低下した電気店が、取引停止を声高に叫ぶ事はなかった。
二年後には、仕入の多い取引先ほどリベート率が高いという当たり前の状態になった。
売上は大手電気店、デパート、メールオーダーカンパニー向けが増加し、中型電機店向けの減少を補って余りあった。