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第五章 アメリカ駐在

 第五章 アメリカ駐在


    1

 

 赴任直後の正岡は初めての駐在生活のために格闘していた。家族と一緒に住むためには、住居を決めなければ始まらない。日本人経営の不動産会社に頼んで探してもらうが、なかなか思うような家が見つからない。

 次の難問は自動車の運転だ。アメリカの免許証を取得しないと車を購入できない。それまでは、会社の車を借りて、国際免許で運転する以外に手はない。日本は左側通行だが、アメリカは右側通行だ。長年の慣れは恐ろしい。無意識に左側を走ってしまい、正面衝突をしそうになった事が二、三度あった。アメリカの車は想像以上に大きく、車体をあちこちに、ぶつけたりもした。

 最大の悩みの種は道路標識にある地名が全く分からないことだ。だがここは英語圏だ。道に迷えば、現地の人に聞けばよいと、土曜日、日曜日には、やみくもに車を運転して動き回った。

 赴任した十月下旬は、まさに紅葉ならぬ黄葉の季節だった。

 幹線道路の一つであるルート80を車でニュージャージーの深部に向かって走ると、道路の両側に延々と黄葉が続いた。日本の紅葉は数種類の木々の色が織り成すバランスの妙があるが、このあたりの木の葉は黄色一色だ。

 ある日、ホテルの近くで急ブレーキを掛けた。まるで雪や氷の上をスリップしたように、車がスルスルと、雨に濡れた落ち葉の上を滑ったのだ。車を下りて見ると、落ち葉の厚みがなんと三センチ程もあった。イギリス英語で秋はオータム(autumn)であるが、アメリカ英語ではフォール(fall)である。アメリカ英語の語源は木の葉が落ちる時期から来ている。なるほどと納得した。

 

 同じホテルに宿泊している二人の同僚達と夕食を外のレストランで取るようになった。和食、中華、アメリカン、イタリアン等、色々なレストランの味を試した。たまには、各人の部屋を持ち回りで酒を飲む。

 正岡は在室中、安全のため、ドアに二重ロックをしている。

 夕食後、ホテルの自室で休んでいると、不可解な記憶が蘇った。

〈用心深い奴だ〉

〈大丈夫だ。正岡の部屋の合鍵を作った。会社にいる間に部屋に忍び込んで、持ち物をチェックしてやる〉

 不安になり、用事を作ってホテルに帰ってみた。持ち物等をチェックするが、誰かが侵入した気配はない。が、不安は消えない。なぜだ。ひょっとして何か変な薬を飲まされているのか。

 自分の部屋で彼らと酒を飲んだ後、部屋のゴミ箱を探したが、薬の袋のようなものは見当たらない。零れ落ちた顆粒があるかもしれないと探すが、やはり見つからない。

 不可解な記憶が突然蘇り、突然途切れるのだ。しかも、いつの出来事か不確かだ。会話だけが蘇る場合もあれば、相手の顔を思い出す場合もある。こんな薬があるのか。

 その後、ホテルのちかくのレストランで、その二人と夕食を取った。話をしている最中に、つい先程まで、別の会話をしていたような気がした。これが薬の影響なのか。トイレに立った時に薬を飲み物に入れたのか。

 薬を飲まされていたと思い始めると、過去の不可解な記憶が蘇る現象が納得できた。芹沢の家に前任者夫妻と一緒に招かれた時も薬を飲まされたような気がする。薬は能力を低下させる。低下するから聞かれたことは何でも喋るのではないか。震えが来た。とんでもない薬を飲まされているようだ。

 米国東京クレストの社内では、何処を見ても全員が敵に見えた。家族は日本にいる。米国にはまだ友人もいない。孤立感を深めて、日本にいる妻の康子に毎日のように電話をした。

 ある日、はたと気が付いた。ホテルをチェックアウトする時に、ホテル代、飲食代、電話代を支払う。その内、会社負担のホテル代を請求する為には、領収書を会社に提出する必要がある。領収書には、通話記録が記載されるのだ。毎日のように家族に電話をしていることがばれるのはまずい。会社に心の動揺を教えるようなものだ。慌ててフロントに尋ねた。

「電話代はその都度支払う。記録を請求書から消せないか?」

「それは出来ません」

 これでは四六時中、見張られていると同じだと思った。会社からホテルに戻る。時間はふんだんにある。手が自然と電話に伸びる。が、手を引っ込めなければならない。欲求不満が募る。ホテルの部屋は寂莫として冷蔵庫が出す微音以外に物音一つしない。その中でベッドに仰臥して天井を見詰める。

 テレビを見ても、うつろだ。楽しくない。アジア駐在であれば、何処にでも友達がいる。だが、アメリカには、会社以外に知人すらいない。

 誰も信じられない。

 

 二週間後、ようやく新築のタウンハウスの大家と、賃貸契約を交わした。

 冷蔵庫、洗濯機、システムキッチンと電話は備え付けだ。それ以外の電気製品、家具は買い求めなければならない。まずはベッドを購入した。三週間後に配達される事になった。それまでは、航空便で持ってきた布団をカーペットの上に敷いて寝ることにした。

 やっと人間らしい生活が始まった。自由に電話も出来る。心に余裕が生まれた。防御一点張りの生活を脱し、敵とどう戦うか考え始めた。出来る事はなんだ。最後の砦は法律以外にない。

 未だ日本にいる妻の康子に電話をして、知人の弁護士に相談するよう頼んだ。

 彼の答えは期待したような内容ではなかった。

「その話は本当ですか? 本当なら上役に話したほうがいい。悪い事をしていなければ心配する事はないのですから」

 天を仰いだ。誰に言えというのだ。

 直属の上司は芹沢である。が、形式上の縦ボスである。チャラチャラしていて軟体動物みたいな男だ。その場その場をしのぐ才能はあるが責任感が希薄である。誰かにリモコンされている操り人形のようだ。

 国内営業出身の社長は正岡と意識的に距離を置いている。

 人事権を持っている実質的な上役は、武田事業部長と南原部長である。が、役職を偽ってアメリカに送り込んだ連中だ。相談する気にはなれない。

 その弁護士に会いたいと思うが、アメリカ駐在中の身では、ままならない。一時帰国した時に会おうと考えたが、彼は間もなく肺炎で急逝した。

 

    2

 

 翌年一月末、家族が予定通り、ジョン・エフ・ケネディ空港に到着した。正岡は安堵感が体の末端にまで満ちていくような思いだ。一時は、家族を呼ぶ事を躊躇した。とは言え、駐在任期は五年と先は長い。家族と一緒に頑張ることにしたのだ。

 二人の子供を日本人学校に通わせるつもりだが、当時のニューヨーク日本人学校は小学五年から中学三年までの五学年しかなかった。しかも、入学希望者が多く生徒本人がアメリカの土を踏んでからでないと、入学の申し込みを受け付けないシステムだった。

 子供達が到着したので、直ぐに入学申請手続きを済ませた。先ずはウェイテイングリスト入りだ。小学五年生の長男は三ヵ月後に、入学できる見込みだ。小学三年の次男は一年余り、待機する事になる。その間、二人をアメリカの公立の小学校に入れた。当然、すべてアメリカ英語での授業だ。移民の国アメリカらしく、外国人の生徒がアメリカ英語を習得するための特別な補習授業がある。土曜日は日本語での授業を受けるため、ニュージャージー日本語補習授業校に通わせることにした。

 自宅のタウンハウスは子供達の通学には理想的な場所にあった。

 フォートリーの公立の小学校は校門が自宅から見えた。徒歩で五分の至近距離である。

 日本人学校は車で四、五十分ほどの距離にあったが、通学バスが自宅の前で止まってくれることになった。

 ニュージャージー日本語補習授業校は、正岡が自分の車で子供達を送り迎えした。

 日本のテレビ番組も一チャンネル放送されていたが、ケーブルテレビに加入した。家族全員がチャンネル数の多さに、目を見張った。テレビはリビングルームに一台、ダイニングルームに一台設置した。

 正岡は会話力のレベルアップのため、現地のテレビ番組を見るように努めた。ニュース番組、ケーブルテレビの映画放送などを楽しんだ。

 妻の康子は日本語のテレビ番組だ。子供達はデズニーチャンネルや大リーグ野球の放送に夢中になった。

 家族の為に地方紙とアメリカで印刷した日本の新聞を配達して貰うことにした。

 毎朝、玄関のドアの近くに放り投げるようにして配達される地方紙の厚さに目を丸くした。5〜6センチほどある。その中に夥しい数のチラシが入っている。安売り情報満載だ。世界最大市場の商戦の凄さに感嘆した。

 アメリカで印刷した日本の新聞は夕方配達される。が、日付を見て目を疑った。翌日になっているのだ。よく考えれば、日付変更線のいたずらだ。正岡が「明日の株価が分かる訳ではない」と冗談を言うと、妻の康子は「馬鹿ねぇ」

と笑った。

 自分が読む新聞、雑誌類は会社の近くの売店や出張先で買うことにした。

 アメリカは車社会だ。家族の行動範囲を広げるため、妻の康子用に二台目の車を買い求めた。

 正岡一家は戸惑いと驚きの中で外国生活を始めた。

   

    3

    

 六月、シカゴで恒例のコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)が開催された。黒岩は視察に出かけることにした。

 この時期の日本料理店は民生用電子機器業界の人間で埋まる。

 黒岩は国際電話で芹沢に訊いた。

「シカゴには大きな日本料理店があるのか?」

「座敷付きの大きな店もあります」

「本当か?」

「二、三年前に使った事があります」

「よし。CESの初日の晩飯はそこにする。直ぐに押さえろ」

 

 黒岩はシカゴ空港に到着すると出迎えに来た芹沢に切り出した。

「君の奥さんを一晩だけ、貸してくれんか?」

 芹沢が吃った。

「ど、どうされるおつもりですか?」

「奥さんと正岡君を一緒に寝かせる」

 芹沢は驚愕しつつ言葉を発した。

「なんですって」

「一緒に寝かせると言っても、催眠薬Hを飲ませた時の話だ。正岡君は包茎、短小等の性的な悩みを持っているかもしれない。それを調べて欲しい。弱みは何でも知っておきたいのだ。今後の攻撃材料になる」

「はあ」

「それとだな。奥さんの身体に触った記憶が蘇れば、馴れ馴れしく言い寄るかもしれん。駐在地で上役の奥さんに付きまとえば、帰国させる格好の理由になる。そうなれば、恩に着せて関連会社に送り出せるというものだ」

 芹沢は俯き加減に首をかしげた。

「いくらなんでも身体を触らせるのは、ちょっと」

 黒岩は芹沢を睨み付けた。

「何だ。協力出来ない、とでも言うのか?」

 芹沢は気弱そうに目を瞬いている。

 黒岩は畳み掛けた。

「君の奥さんは正岡君と同い年だろ? まだ若い。上手くいくかもしれない。失敗しても元々だ。やってみる価値はある」

 

 翌日、芹沢が黒岩に申し出た。

「一つだけお願いがあります。長男が中学を卒業するまで二年あります。それまでアメリカ駐在を続けさせてもらえませんか? 帰国子女枠で私立大学の付属高校に入れたいと考えております」

「そんなことなら請合うよ」

 黒岩は事が思い通りに運んで悦に入った。

 これでお膳立ては出来上がった。正岡と芹沢夫人が不倫に走れば、しめたものだ。正岡を会社から追い出せる。芹沢にはその見返りに昇格してやろう。


 初日の夜、黒岩は芹沢が予約した日本料理店に出向いた。この年の六月のシカゴは、例年通りの好天気が続いた。 ジューンブライド(June bride)という言葉はローマ神話に遡るが、この好天気と無縁ではない。天候はコンシューマー・エレクトロニクス・ショーや日本料理店の客の入りに影響する。

 黒岩が玄関のガラス戸を開けると「らっしゃい」と景気の良い声が飛んできた。正面の寿司バーに板前が三人立っていた。約百三十平方メートルの店内に大きなテーブルが十二個置いてある。どのテーブルも満席だった。

 店員の案内で玄関の右手にある座敷に上がると、芹沢、正岡をはじめとして、磁気テープ部、ビデオ部、オーディオ部の三部門の日本人マネージャー達と米国東京クレスト人事部次長の西尾が待っていた。 

 座敷は六畳二間で、座卓が二つあり、座敷の間にある二枚の襖が片側に寄せてある。

 営業部員以外は西尾だけだ。芹沢がその夜の目的と西尾が同席している理由を正岡以外の日本人マネージャー達に既に説明しているはずだ。 

 黒岩は床の間の柱にもたれて、あぐらを組んだ。西尾が床の間側の左端に腰を下ろした。

 芹沢が黒岩の正面の襖側に座ると、日本人マネージャー達が何処に座ろうかと迷っている。

 黒岩は「皆好きなところに座りなさい」と言いながら、正岡がどこを選ぶか目を配った。

 正岡は一瞬迷ったような顔をしたが、芹沢の隣に座った。営業本部では職位も年齢も芹沢の次である。まだ自分を見失っていないようだ。

 次の瞬間、黒岩は笑顔を芹沢に向けた。

「これが君の選んだ店か?」

 芹沢が愛想笑いを浮かべた。

「お気に入りましたか?」

 黒岩は芹沢が若い頃、シカゴ支店長を経験していたことを思い出した。

「アメリカにも座敷のある店があるんだな。さすが元シカゴ支店長だ」

 芹沢が照れ笑いを浮かべた。

 黒岩は正岡に目を移した。隣の磁気テープ部の日本人マネージャーと笑顔で話している。内心舌を巻いた。催眠薬Hを飲ませて脅しているのだ。しかも、職位も騙している。塞ぎ込んでいるか、落ち込んでいると予想していたが、期待はずれだ。相変わらずしぶとい奴だ。

 芹沢が乾杯の音頭を取り、全員ビールで乾杯した。その後は、各自の好みの飲み物、食べ物を注文した。刺身の盛り合わせは定番だ。焼き鳥、ステーキ、野菜サラダなどの食べ物が出てきた後は皆でつつき合って食べた。正岡はウィスキーの水割りを飲んでいた。  

 襖の外が急に静かになった。西尾が磁気テープ部の日本人マネージャーの左手の甲を軽く叩いた。彼は立ち上がり、襖を開けて外に出た。店内の様子に目を配った後、西尾を見てうなずき、襖を閉めた。 

 黒岩は他の客が帰ったと察した。

 西尾が催眠薬Hを入れたウィスキーの水割りを用意し、正岡に差し出した。正岡はそれを無言で口に運んだ。

 黒岩は薬が効き始めるまでの所要時間をチェックするために、さりげなく腕時計に目をやった。十五分後、正岡の目がとろんとした。

 以前、黒岩は催眠薬Hの説明を佐橋から受けていた。この薬は殆どの睡眠薬と同様に錠剤で、水と一緒に飲んだ場合は、薬効が現れるまで約三十分だが、ビール、ウィスキーの水割り等のアルコール類に溶かした場合は、十五、六分になる。但し、茶、コーヒー類に溶かした場合はその成分の影響で三十分を若干上回るだろう、と。

 芹沢が「横になれよ」と言うと、正岡は素直に従った。

 黒岩は西尾と磁気テープ部の日本人マネージャーを除く全員をホテルに帰した。頃合を見図り、芹沢に指示した。

「奥さんを呼びなさい。君は何処か別のところで待っていた方がいい」

 芹沢はまだ割り切れない顔つきだ。

 黒岩は渋る芹沢を説得した。

「大丈夫だ。部屋に見張りをつける。外では僕が見張っているから」

 ぐずぐずして動かない芹沢を、黒岩は追い立てた。

「早く行きなさい」

 黒岩は襖を閉めるとそのまま、座敷近くのテーブル席に陣取った。座敷では西尾と磁気テープ部の日本人マネージャーが座卓を片寄せして、男女が横になるスペースを作っている手筈だ。

 英語で話す西尾の声が襖越しに漏れてきた。

「ハーイ、ミスター正岡。アイ・ジャスト・ケーム・バック。アー・ユー・オッケイ?」

 この日本料理店に来る前に、黒岩は西尾から「この時期、シカゴのホテルは何処でも満室で、経営幹部を除き社員は全員相部屋に泊まっています。

 正岡さんの口の中に調味料を押し込んで、相部屋のアメリカ人技術者が薬を飲ませたと思い込ませるつもりです。二人が揉め事を起こすことを期待しています。思い通りにことが運べば面白いのですが」と聞いていた。

 その時、ビール瓶が倒れたような音がした。その直後、正岡と思しい男が、興奮したような「ウオー」という叫び声を上げると、ドスンという音と一緒に、ガラスや陶器が割れる音が聞こえてきた。

 板前、店員達が、物音に驚いて騒いだ。

「何だ。どうしたんだ?」

 ビールをちびちび飲んでいた黒岩は、これはまずいな。店員達が慌てて座敷に上がると厄介だ。なだめなければならない。

 黒岩は店長に話しかけた。

「ビール瓶か皿を割ったようです。代金は支払います。領収書の中に入れてください」

「お客さんは常務さんですよね?」

 黒岩は止むを得ずうなずいた。それにしても芹沢は余分な事を日本料理店に教えたものだ、と内心腹立たしかった。

 芹沢夫人が玄関のガラス戸を開けて入ってきた。黒岩に目礼をすると、黙って座敷に上がった。

 相前後して座敷を出て来た磁気テープ部の日本人マネージャーが、芹沢夫人を見て驚いた顔を黒岩に向けた。常識では駐在員の夫人がシカゴに来ているはずがないのだ。 

 黒岩は彼を呼び寄せ耳元で、「これは秘密だ。喋ると君の将来はない」と脅した。

「は、はい」

 黒岩は彼の一挙一動を見守った。脅しの効果を測定する為だ。

 彼は靴を履こうとするが、慌てていて上手く履けないようだ。靴のかかとを踏んだまま、走り出した。

 黒岩は思わずにやりと笑った。

 いまや、座敷の一間にいるのは、正岡、芹沢夫人の二人だけだ。西尾が次の間の襖の傍で、二人の声に注意を払っているはずだ。座敷の門番を決め込み、テーブル席で睨みを利かせた。誰も上げるわけにはいかない。

 七、八分後、芹沢夫人が座敷の襖を開けて出てきた。髪を乱し、顔を紅潮させていた。靴に足を入れると、黒岩には目もくれず小走りで玄関に向かった。

 店長の声が芹沢夫人を追いかけた。

「どうしました。大丈夫ですか?」

 玄関のガラス戸を開閉する音だけが店内に響いた。

 店長が黒岩の顔を見詰めた。明らかに非難する目付きだ。黒岩は居たたまれず腰を浮かし、店長に向かって「ちょっと、中を見てきます」と言った。

 店長の不満そうな顔が和んだ。

「お願いします」

 黒岩が座敷に上がると、正岡は大の字で寝ている。ズボンのベルトの留金はだらしなく外れたままだ。芹沢夫人が言いつけを守ったことを確認した。直ぐに顔を西尾に向けた。

「ご苦労さん。予想もしない事が起きるもんだね」

「ビール瓶やコップを投げ始めた時にはどうなるかと思いました」

「何もしない訳にもいかんから、店長をとりなしたよ」

 西尾の顔に笑みが浮かんだ。

「助かりました」

 黒岩は正岡に目を落とした。座敷に上がった以上、何かしないといけない。時間潰しのつもりで、正岡に話しかけた。

「君と一度ゆっくり話がしたくてね。元気かね?」

 正岡が心地良さそうに答えた。

「はい」

「慣れない土地で苦労が多いだろうな?」

「はい。どうも周りは敵ばかりのようです」

「そうか、それは大変だな。頑張ってください」

「頑張っています。ゼネラル・オーディオ時代には、もっと頑張って仕事をしました」

「君は実に良くやってくれた」

 正岡が嬉しそうに顔をほころばせた。

「黒岩さんが社長になると思って頑張りました」

 黒岩は予想もしない言葉に驚いたが、言葉を続けた。

「君は知らないんだ。進藤社長の後は別の人だ」

 正岡が確信に満ちた顔をした。

「社長になる可能性はあると思います」

 黒岩は正岡の顔をまじまじと見詰めた。

 自分が理事に昇進したときのこの男の嬉しそうな顔を、鮮明に思い出した。

 あの時の笑みは演技かもしれないと思った。それが、社長になって欲しい、などと考えていたとは……。

 思えば、十数年間一緒に仕事をしてきた部下だ。憎いわけではない。

 ゼネラル・オーディオ事業部は長期に亘り東京クレストを支え続けた。その功績は責任者であるこの俺のものだ。

 しかしこの男の働きが大きかったのも事実だ。それを認める事は、自分の功績を否定することに繋がるという恐怖で、李と直接取引をさせ、罠に掛けようとした。が、俺の方が桁違いに高額な時計を受け取ってしまった。

 次の誤算は貿易担当常務の長田がこの男を気に入って、シンガポールの駐在事務所長にしたい、と言い出したことだ。その人事案を潰すために、課長にせざるを得なかった。が、本人は俺のお陰で昇進したと思い込んだようだ。一生懸命に事業部のため、俺のために働いてくれた。

 取締役に昇進した後、社内での身分の差は歴然とした。経営者と社員の関係だ。もう脅かす存在ではないと思い、気持ちは変った。そろそろ次長に昇格させようと考えていた矢先に、直接取引事件が表面化した。

 なかなか襤褸ぼろを出さないことに業を煮やして、こんなみっともない事を仕掛けてしまった。王が要求したわけではない。進藤社長に頼まれてもいない。明らかにやり過ぎだ。職権乱用だと言われても反論の余地はない。後悔の念が込み上げてきた。

 黒岩の思いをよそに、正岡は聞きもしない事を話しだした。

「進藤社長の次の次の社長では、黒岩さんは年齢的に難しいのかな。役員の定年が延びればチャンスがあると思う」

 黒岩は優しい言葉の一つも、掛けてやりたいと思った。

「何か困っていることはないか?」

「変な薬を飲まされているみたいだ」

 黒岩はそれを止めさせる訳にはいかない。

「他には?」

「ない。今、大きな商談を進めている。邪魔をしないで貰いたい」

「金が要るのか?」

「予算内でやる。今までアメリカでは金を使って商談を決めてきた。アメリカ人になめられている。追加の金など要らない。邪魔されなければ、商売をまとめる」

 黒岩は意欲と確信に満ちた言葉に目を見張った。これが催眠薬Hを飲まされ、翻弄され続けてきた男かと思い、労いの意味を含めた。

「君は凄いね」

 黒岩は腕時計を睨んだ。そろそろ薬効が消える頃だ。西尾に目配せして座敷を出た。

「君はホテルへ帰りなさい。僕はこの男が起きるまで待っている」

「そうですか。お願いします」

 数分後、正岡が襖を開けて出て来た。

 店員達の目が集まる。

 店長が叫んだ。

「あ、あの男だ」

 正岡は怪訝そうな面持ちで店長を見詰めている。

 黒岩は場を繕うために何かを言わなければならないと焦った。

「この男ではありません」

 店長は不満そうに口を尖らせた。

「他には誰も……」

 黒岩は店長が口を濁した隙に乗じ、正岡に指示した。

「早くホテルに帰りなさい。皆も帰った」

 黒岩は正岡が玄関を出るまで目で追った。

 代金を支払おうと財布に手をかけた。が、クレジットカードで払うと足がつくような気がした。

「芹沢君が後で払いに来ます」

 黒岩は日本料理店を出た。後味が悪い思いだけが残った。ホテルへの帰路、正岡の事ばかり考えた。

 東京クレストはもう後戻りは出来ない。既定路線通り、前に進むしかないのだ。それも不法行為という名の茨の道を。

 思わず、ひとりごちた。

「今夜は眠れそうもないな」


 翌朝、黒岩はコンシューマー・エレクトロニクス・ショーへ行き、東京クレストのブースの前を通りかかった。ゼネラル・オーディオ商品の展示コーナーにいる正岡を認めて足を止めた。前夜の記憶が生々しく、罪悪感が心を捉えて、正視できない。身の縮むような思いが込み上げて来た。

 正岡は不思議そうな顔を向けたが、朝の挨拶をしてきた。

「お早うございます」

 黒岩は正岡に対する負い目で、「お早うございます」と馬鹿丁寧な挨拶を返してしまった。そそくさと逃げ出すようにブースを後にした。

 正岡の視線を背中に感じて、後悔が脳裏を掠めた。まずい男に、まずい姿を見せてしまった。

 次の瞬間、今さら善人面することはない。どうせ、もう後戻りは出来ないのだ、二度と弱気の虫を起こさないようにしよう、と考え直した。

 

 ホテルに帰ると、西尾がロビーで待っていた。

 前夜の座敷での一部始終の報告を受けたが、うわの空で聞いた。正岡について特に耳新しい情報はなかった。

 西尾は正岡が芹沢夫人の上に乗った所を引き摺り下ろしたと自慢げに話した。

 黒岩は訝った。 

「何があったんだ?」

「正岡さんは自分の奥さんと思い込んでいたようです」

「どうして?」

「芹沢さんの奥さんがそう思い込ませたんじゃあないかと……」

「それで正岡君がその気になったのか?」

「たぶん」

「彼女は君が次の間で耳をそばだてていることを知ってたんだろう?」

 西尾は白けた笑いを浮かべた。

「まあ。亭主以外の男の愛撫に興奮したのでしょうか」

「ふうん」

「芹沢さんの奥さんに、何を考えているんですか、と文句を言ったんですが、主人には言わないわよね、と念を押していました」


    4


 正岡の不可解な記憶が蘇る現象は続いた。会社の中、帰宅途中の車の中、リビングルームでテレビを見ている時、寝ている時等、正に時と所を選ばず、だ。

 寝ている時の被害者は妻の康子である。真夜中にがばっと起きて、揺り起こした。

 会社の中や帰宅途中に記憶が蘇ると、家に着くなりひそひそ話を始める。父親の姿を見て子供達が寄ってくる。しかし彼らに聞かせる話ではない。

「パパとママは話がある。お前達は二階の自分の部屋へ行きなさい」

 子供達の姿が消えると、康子は怒りを含んだ声を張り上げた。

「あなたはノイローゼ状態になっているわ。とにかく、悪い事はしていないのだから、自信を持てばいいのよ」

 家族がアメリカに来て孤独感は癒されたが、社内での孤立感は募るばかりだ。

日本人駐在員と一緒に食事をするとき、出張のとき等には、何時薬を飲まされるか分からないという強迫観念で一気に緊張感が高まり、長嘆息した。

 ――こんなことが何時まで続くのか。

 そんな中、正岡は会社での出来事を毎日のように康子に話し始めた。一晩、語り合うと、翌朝は元気に出社できた。会社ではノイローゼ状態の素振りも見せず、仕事に取り組んだ。

 

    5


 正岡がアメリカに赴任する約一ヶ月前の昭和六十年九月二十二日、ニューヨークのプラザホテルでG5(先進五カ国蔵相・中央銀行総裁会議)が開かれ、アメリカの対外不均衡解消を目指したプラザ合意が採択された。

 これにより為替市場は円高に大きく振れ、一米ドル二百四十円前後だった日本円は、約一年後には百二十円台にまで高騰した。

 そして昭和六十一年十二月から平成三年二月まで日本経済はバブル景気に沸く時代を迎える。日本企業は強い円を武器に外国企業、外国の不動産、有名画家の絵画を買い漁っていくのである。

 

 その四年前の昭和五十六年、米国東京クレストは他市場に先駆けて、カー・オーディオの販売を開始していた。

 正岡はゼネラル・オーディオ部門の取扱商品であるカー・オーディオ、ラジカセ、ポータブルコンポの販売網の構築に取り掛かった。

 急激な円高の進行で日本製のゼネラル・オーディオ機器は高価になり、市場性を失いつつあった。シンガポール工場で生産するモデルに販売の重点を移さざるを得ない。質より量の追求を目指すことになる。

 その意味ではアメリカ市場は最適である。世界最大の市場だからだ。それは大手電気店を含む大量販売先の開発が必要不可欠である事を意味する。

 全米に販売網を持つような大手電気店と取引をするためには、モデル毎に在庫保管単位(SKU)として認定されなければならない。

 正岡はナショナル・セールスマネージャー、リージョナル・マネージャーなどのアメリカ人社員と一緒に、キーディーラー・ミィーティング、コンシューマー・エレクトロニクス・ショー、プリショー、カー・オーディオ・ディーラー・ミーティングなどの会議に出席した。

 バイヤーに新商品のサンプルを見せて、商品説明、他社比較、価格交渉を始めた。

 ゼネラル・オーディオ機器の販売は在庫との戦いである。新製品の機能は常にアップし、価格は安くなる。価格が上昇したのは、オイルショックの時だけだ。

 在庫を持つ事は金利が掛るだけでなく、将来の値下げのリスクを抱えることになる。

 だが在庫がなければ売れない。特に大手電気店を開拓するためには、十分な在庫を持つ必要がある。

 通常、営業管理職が成功する鉄則は、控えめな事業計画を策定し、実績が常に事業計画を上回ることだ。しかしそれでは販売が大幅に増えることはない。

 正岡は敢えて事業計画を前年比大幅増で策定した。

 当然、仕入と在庫を増やすことになる。売れなければ在庫の山だ。ゼネラル・オーディオ事業部の武田、南原は喜んだ。アメリカ側の仕入増は日本側の売上増と同義語だ。

 彼らは売上が増えて喜んだだけではない。正岡が失敗して帰国する姿を想像したようだ。

 だが世の中は逆風ばかりが吹くわけではない。商売上では幸運だった。民生用電子機器業界大手メーカーの一社が、大手電気店のポータブル・オーディオとカー・オーディオの二人のバイヤーとトラブルを起こした。

 バイヤーは世の中で最も保守的な職業の一つである。仕入を増やしすぎて、首になった先達は数知れずいる。だから店頭のブランドを取り替えたがらない。販売量が読めなくなるからだ。一番安全な方法は同じブランドの商品を前年の販売実績に出店計画を加味して、仕入を決める方法である。

 トラブルの原因は利益が少ない、商品供給がタイムリーでない、営業担当者とそりが合わない等である。こうした問題は数年に一度の割合で起きる。二人のバイヤーはトラブルの内容をはっきりとは言わないが、言葉の端々で匂わせる。

 正岡はチャンス到来と読んだ。一度取引が始まれば、トラブルを起こさない限り、翌年度も取引の継続が出来る。逃す手はないと価格対策費を注ぎ込んで、成約に持ち込んだ。

 しかし大手電気店だけでは利益は取れない。そこでカー・オーディオ・スペシャリスト・ディーラーとの取引拡大を模索した。

 アメリカ車用のカー・オーディオはスリーホールと呼ばれる小ぶりなタイプである。中型、大手の電気店が売っていた。それに対し、欧州車用のカー・オーディオはDIN(ドイツ工業規格)サイズと呼ばれる大きめのタイプで、主にカー・オーディオ・スペシャリスト・ディーラーが扱っていた。

 東京クレストはDINサイズで、在来型の低価格機と盗難防止用のデタッチャブル(取り外し可能な)・フロントパネル型の中価格機、高価格機の計三機種を用意して、欧州向けの輸出を始めようとしていた。

 正岡は君津工場で、デタッチャブル・フロントパネルの機種を見たときに、これはいける、と直感が働いた。アメリカでもカー・オーディオの盗難は欧州と同様に問題になっていたからだ。

 早速、DINサイズ機種の市場規模や売れ筋商品のフィーチャー(目玉)、スペック(仕様)、価格などの調査を開始した。

 DINサイズの機種は欧州メーカーの独壇場で、日本メーカーの商品が目立たない時代だった。

 ・フィーチャー、スペックでは欧州メーカーに負けていない。

 ・他の日本メーカーはまだ本格参入していない。

 ・戦える価格を提示できる。

 この三点で、日、欧の一流ブランドと伍して戦えると市場だと判断した。

 直ちにDINサイズの三機種を大量に見込み発注して、セールスマン・キャンペーンを打った。

 ところが、客は想定外のところから現れた。ニューヨーク州、ニュージャージー州、コネチカット州の東部三州を担当する欧州車の代理店が、DINサイズの三機種を純正オーディオとして販売したい、と申し込んできたのだ。

「向こう三カ月間の発注をする。だが販売状況によっては追加発注する可能性がある。十分な在庫を持っているか?」

 欧州車の代理店を最優先することにして「イエス」と回答した。

 受注と同時に物不足を回避すべく日本に緊急発注をした。

 欧州車の代理店の純正オーディオになった事は、カー・オーディオ・スペシャリスト・ディーラーの間で評判となり、新取引先の掘り起こしに弾みがついた。

 ニューヨーク州の取引店不在地区に新規店を次々と開拓した。そしてその勢いは、ニュージャージー州、コネチカット州へと波及して行った。

 東部三州を担当する欧州車の代理店は、販売結果に満足して追加発注をしてきた。

 続いて、この欧州車の他州を担当する代理店が、クレストブランドのカー・オーディオの取り扱いを検討し始めた。

 正岡が販売施策を立案・実施したのはそれだけではない。セールスマン・キャンペーンで中小電気店との取引を活性化した。更に大手清涼飲料水メーカーの販売促進用にポータブルコンポを売り込んだ。未開拓の大市場だった。

 



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