第一章 アジアマーケット
作者:宇都宮俊介
第一章 アジアマーケット
1
「コタに着きましたよ」
タクシーの運転手が笑顔を向けた。
昭和四十年代後半、インドネシアのジャカルタである。熱帯モンスーン気候に属するジャカルタの季節は、雨期と乾季に分かれる。
正岡雄一は乾いた小石混じりの道路に足を下ろした。右手に背広の上着を、左手にアタッシュケースを携えて、辺りを見渡した。
乾季特有の砂埃が路上駐車中の車の天井、ボンネット、窓ガラスを汚していた。
大部分は剥きだしの鉄骨だけだが、一ヵ所だけコンクリートの壁が残るビルが建っていた。その中に電気店と人の姿が見える。階段を上ると四、五坪の小規模電気店が七、八十店程雑居していた。どの店も吹き曝しだ。棚やテーブルに所狭しとラジカセ、ラジオ、テープレコーダー等が置かれていた。
比較的大きな店の前で足を止めた。アタッシュケースを下におろして、ネクタイを締めなおした。目の前にいた二十歳前後の店員に、「オーナーはいますか?」と英語で尋ねた。
店員が黙って半袖の白いワイシャツを着た三十絡みの中国人の男を指差した。
「あなたがオーナー?」
「そうだが。日本人か?」
正岡は名刺を差し出した。
「東京クレスト株式会社ゼネラル・オーディオ事業部の海外営業部員です」
「クレストの人は初めてだ。私はタンだ」と流暢な英語が返ってきた。
正岡は手帳に漢字で陳と書いてタンに見せた。
陳は笑ってうなずいた。
正岡は言葉に親しみを込めた。
「福建ですね?」
「どうして分かるんだ?」
「名前でね。福建の友達がたくさんいます」
陳が口元をほころばせた。
正岡は本題に入った。
「ところで、今、一番売れ筋のモデルは?」
「バースの231」
欧州のバース電機のモデル名B‐231のカセットテープレコーダーである。
やはり欧州製の商品は強い。
東京クレスト株式会社のブランドであるクレストは、シンガポール、マレーシアでこそ、多少は知られた存在だが、その他の東南アジア諸国では、まだ無名ブランドのひとつに過ぎない。
売れ筋二番手、三番手のモデル、価格、売れている理由を聞くがメモは取らない。そのまま記憶に入れる。
陳はその他の質問にも嫌がらず答えた。
正岡は礼を云って、周囲を見渡した。
三軒隣の店から中国人の男が、身を乗り出すようにこちらを見ていた。彼は目が合うと、笑顔を浮かべた。正岡も笑顔で応えて、彼の店に向かうことにした。
「陳の店から英語の会話が聞こえた。久しぶりに外国人が来ていると気になった。私も福建で、あいつの店に寄って私の店を素通りされては面子が潰れる。あなたにはぜひとも来てほしかった」
ここでも同じ質問を繰り返した。
帰途、陳の店の前を通りかかると呼びとめられた。
「一緒に昼飯を食わんかね」
陳は近くの小さな食堂に案内した。片開きのドアのガラス窓には、手染めのジャワ更紗が付いていた。テーブルの向かいの席を正岡に勧め、古びた椅子に腰を下ろした。
「どんな料理が好き?」
正岡は覚えたばかりのインドネシア語を使った。
「ナシゴレン(焼き飯)」
陳はメニューに暫く見入った。焼き飯の他に鶏とカシュウナッツの唐辛子炒め、揚げ豆腐と野菜の香味煮、卵スープの三品を注文すると顔を上げた。
「どこで福建の人と友達になったの?」
「シンガポール」
「そうか。シンガポールは福建が多いからな」
帰りがけに、ビルの左隣りにある木造の平屋の建物に立寄った。中央にコンクリクートのたたきがあり、両側に十店の電気店が並んでいた。陳の話では、こちらの電気店は卸売りを兼営する大手だそうだ。
その内の一店で、中国人の商店主とその家族が、フロアーに座り込んでいた。車座の中央に弁当箱が並び、食事中だ。ご飯と野菜炒めだけで、肉、魚、卵などは見当たらない。金持ちの昼食とは思えないほど質素である。
中国人は中華料理を食べているものと思い込んでいた。が、見当違いかもしれない。そういえば、ジャカルタで太った中国人は余り見かけないな。
――陳はずいぶんと気張ったようだ。
ここが後年、ジャカルタの秋葉原と呼ばれるようになる電気店街である。
2
三カ月後、正岡はシンガポールのホテルの一室に滞在していた。出発前に、髭を剃り、身支度を整える。洗面台の鏡に、身長百七十センチメートル足らずの姿が映る。腹部に目を落とすと苦笑いが浮んだ。二十七歳と思えないほど腹が出ている。
直ぐにシンガポールで仕立てたばかりのサハリスーツを着込んだ。上着が太もも近くまでのび、腹部がすっぽりと隠れている。
苦笑いが笑みに変った。思ったとおりだ。南の地域への出張はサハリスーツに限る。
ホテルをチェックアウトし、タクシーで空港に向かった。次の出張先はインドネシアの首都であるジャカルタだ。
当時のジャカルタ空港の税関は難物だった。背広を着てネクタイをしていると、つかまる。大きな荷物を持っていても、足止めを食って金をせびられる。商品サンプルなど持ち込めば好餌だ。もちろん領収書など発行してくれないので、自腹を切ることになる。
だからと言って、東南アジアで最大の市場であるインドネシアへの出張を手控えることは不可能である。
自然と、税関吏との交渉能力は身に付く。知恵も働く。サンプルの代わりに、実物大の写真を持ち込んだ。
これなら無税だ。
それでも一度だけ、「金を払え」と言われたが、大声で「写真に税金が掛かるのか?」と言うと、税関吏はぷいと横を向いた。
インドネシアへの出張を繰り返し、ジャカルタの他にスラバヤ、バンドン、メダン、スマランに足を伸ばした。
インドネシア全土の電気普及率が十%を大きく割っていて、人々は充電可能な湿電池を電源にしていること、家族単位で、場合によっては集落単位で、しかも屋内外を問わず、ラジカセを使っていることなどを知った。
湿電池で使うにはDC入力端子が必要で、家族、集落単位で使うには大出力が望ましい。
出張したのはインドネシア、シンガポール、ビルマ(現ミャンマー)、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピンなどの東南アジア諸国や東アジアの香港、台湾だ。
タイ、マレーシア、フィリピンでは首都だけでなく地方都市も市場調査の対象とした。電気店を丹念に回り、市場の声を吸い上げた。
自分の真骨頂はその市場調査力にあると思っている。
特に自慢は数字の記憶力だ。東南アジアや香港、台湾の商人達も同様で、売れ筋のモデル名、仕入れ価格を全て諳んじている。
彼らはメモを取らない正岡に気を許すのか、胸襟を開き、市場情報を隠さず与えてくれた。
現地で出来るだけ友人を作り、家に招待されるように努めた。家に行けば、現地の人々の生活が把握できるからだ。
シンガポール、香港、台湾以外の国の電力事情は大同小異だった。
技術部に依頼し、アジア向けラジカセ全機種をDC入力端子付にした。そのコストは微々たるものであったが、効果は絶大である。東南アジア及び東アジア向けの売上が急増し始めた。
正岡の担当地域に中近東、アフリカが加わった。
東京クレストは中近東、アフリカでは立ち遅れていた。発展途上国での立ち遅れは致命的である。
言い換えれば、先行ブランドは極めて有利だ。日本でも戦後の発展途上国時代に、オメガ、ジョニ黒がスイス時計、スコッチウイスキーの代名詞となった時代が長かった。
立ち遅れは品質問題と担当していた山友商事の営業姿勢に起因する。
品質問題は中近東の温度に対する過小評価が原因だ。東京クレストの品質保証は高温でセ氏四十度までだった。が、外気はセ氏五十度前後にまで上昇する。
船のデッキ、保管倉庫の天井に至ってはセ氏六十度、七十度に達するそうだ。
山友商事社長の安田は三代目だ。彼の前の二人の社長は戦前の大手商社マンである。社員達も二人の体質を自然と受け継いだ。
この商社の取り柄は世界中のどの市場も引き受けることだ。
東京クレストは貿易の揺籃期に、北米市場を山友商事に託した。その後、担当市場を南米に変更した。
更に南米から中近東、アフリカへ担当替えしたが、苦情を持ち込んだことはなかった。
しかし難点は万事に悠長だ。例えば、海外出張してホテルに着く。まずシャワーを浴びて、ゆっくり寛ぐ。それから代理店に行って、話を聞いて帰ってくる。まれに電気店に行くが、話も聞かず見て回る。市場の声は入手できない。
正岡は安田に、アラビア語の出来る社員と市場の隅々まで見て回りたいと頼んだ。
サウジアラビアの首都リヤド、中心都市のひとつであるジェッダのほか地方都市まで出かけた。
当時はリヤド、ジェッダでも良いホテルはなかった。地方都市では言うまでもない。
ホテルにはエアコンが付いていても、音ばかりでなかなか利かない。
蛇口には湯と水の表示がある。お湯が欲しければ、誰でもお湯の蛇口をひねる。が、熱いお湯は水の表示の方から出てくる。お湯の蛇口からは冷たい水が出てくる。お湯が出てくるまでには時間が掛かるから、最初は冷たい。外が暑いから、水の蛇口から熱い水が出てくるのだ。
リヤドの高級ホテルでも、食事のメニューは一種類だった。ホテルで出される食事の全てが、日本人の口に合うとは限らない。食べられなければ、空腹に耐えるか外のレストランで食べるしかない。ホテルで出た食事を見て、慌てて外のレストランへ向かっても、営業時間を外れていると、食べ損なうことになる。
中近東の夏の暑さは想像を絶する。
日中にエアコンを付けていないタクシーに乗るとビニール製の座席が熱くて両尻を一度に下ろせない。左の尻と右の尻をかわるがわる上げ下ろしした。
誰かが冗談で、「車の屋根で玉子焼きができる」と言った。それが冗談と思えないほど暑い。
そんな中近東にも涼しい時期がある。一月から三月である。緯度が香港、台湾とほぼ同じだからだ。たまには雹も降る。
それ以外は暑い。
電気店の南向きのショーケースに飾られているラジカセのダイアルスケールが、暑さに溶けて歪んでいるのを見たぐらいである。
中近東市場の特性は出稼ぎ人が多いことである。
彼らの多くは年に一度、里帰りする。その時には、内外価格差が大きい商品の代表格である電気製品を幾つか持ち帰る。
母国では彼らの送金が有力な外貨獲得手段で、持ち帰り商品に様々な特典を与えて出稼ぎを奨励している。
この需要が数年に一度しか買わない現地人より大きい。
彼らは自分や家族のためだけに、電気製品を持ち帰るわけではない。多くの場合は転売するという。
転売するには有名ブランドで、しかも名の知れたモデルを持ち帰る。
これが出遅れた東京クレストの販売を苦しくしていた。
出遅れた会社の戦略は先発組と同じ土俵で勝負をしないことだ。その為には他社にない新商品を企画する以外にない、と正岡は考えた。
その頃、技術部長の武田が、「お前の地域向けの商品を作ってやる。提案しろ」と言い出した。
音響製品の生命線はスピーカーだ、と言っても過言ではない。
当時、業界の常識ではラジカセのスピーカーの大きさは四インチあれば十分だ、とされていた。が、正岡は六インチ半スピーカーの機種を企画した。大口径スピーカーに呼応し、音量を同業他社比で三倍の大出力にした。
結果は空前のヒット商品になった。
続いて同じ型、同じスピーカーの大きさで、出力だけ同業他社比で四倍のモデルを企画した。
これも当たった。
次に、業界初のツースピーカー付の機種を企画した。
出来上がってみると計画を遥かに上回る高価格に不安を抱いたが、大成功だった。
長年不振に喘いだ中近東でも、ツースピーカー付の機種は上々の売れ行きだった。
この時、ステレオ時代の到来が近い事を確信し、ステレオラジカセの開発を武田に提案した。が、武田は首を縦には振らず、「ステレオラジカセの開発には、モノラルラジカセとは比較にならないほどの膨大な開発時間、開発費、金型投資を要し、しかも生産ラインの新設とそれに伴う設備投資が必要になる」と説明した。
正岡は次善の策として、更に大きなスピーカーを求め、六インチ、九インチの楕円スピーカー付きの機種に手を伸ばした。これも成功を収めた。
大出力、大口径スピーカー、DC入力端子付をフィーチャー(目玉)に次々とヒットを飛ばす東京クレストのラジカセは、東南アジアで圧倒的な市場占有率を獲得した。それと同時にクレストブランドは超一流との名声を確立した。
正岡が技術部、生産部へ出向くと、武田をはじめとした部、課長達が丁重に迎え始めた。
何時しか、正岡は平社員ではただ一人、武田が作る麻雀のメンバーに加わるようになった。
ゼネラル・オーディオ事業部に異動になった当時、東南アジア、中近東・アフリカ市場を合計したラジカセの月間売上は、千台にも満たなかったが、月を追う毎に、販売量は膨れ上がり、ヒット商品の販売台数は機種当たり五十万台を優に上回った。
ラジカセの平均単価が数万円の時代である。自ずと売上金額も大きい。二年経つと、正岡の売上はゼネラル・オーディオ事業部の売上の過半を占め始めた。
3
東京クレスト株式会社は工場単位で事業部制を敷いている。
昭島市にあるゼネラル・オーディオ事業部の事業部長は黒岩である。彼は四十歳代と思えぬほど豊かな黒髪、頭脳明晰、端正なマスクで、フェミニストと相俟って、女子社員の間で抜群の人気を誇っていた。
その半面、自分と年齢が近く有能な人物を事業部次長にしては他部門へ放出するナンバーツーキラーだ、彼に嫌われたらこの事業部では生き残れない、と幹部社員からは恐れられていた。
正岡の販売急増により、ゼネラル・オーディオ事業部は生産能力不足という問題に直面した。が、すぐに工場は建設できない。
黒岩は窮余の一策として、外部工場への委託生産を検討した。
ゼネラル・オーディオ事業部はその管下に企画室、技術部、生産部、品質管理部、経理部、人事部、海外営業部、国内営業部の八部門があった。
定例の役職会終了後、黒岩は技術部長の武田、海外営業部次長の磯部、生産部計画課長を事業部長席の隣にある小会議室に呼んだ。
「磯部君。うちの売上金額の九十%は海外営業が占めているので、委託生産をするかどうかの鍵は海外営業の六ヵ月間の販売計画だ。見込みはどうだ?」
磯部は課長兼任のため、正岡の直属の上司である。
如才ない男で、燗に障るような発言はしない。用心深く、「欧米市場はすでに三ヵ月先行の仕入計画が来ておりますので、早速残りの三ヵ月の仕入計画を取引先と詰めます。アジア・アフリカ市場は当月にならないと、受注できない状態で、担当の正岡君が先々四ヵ月の販売計画を立てて、計画課に発注しています」と答えた。
黒岩は目を剥いた。
「正岡君のさじ加減ひとつか。海外営業売上のアジア・アフリカ市場の構成比は今どの位だ?」
磯部が言いにくそうに口を開いた。
「六十%です」
会議室に深いため息が流れた。
黒岩は思わず遠近両用の眼鏡を外して、大声を出した。
「部員六百人を超すこの事業部の売上の半分以上を、正岡君が売っているのか?」
黒岩は正岡の売上が多いのは知っていたが、実際に事業部売上に対するアジア・アフリカ市場の売上構成比を聞き、背筋が寒くなった。
国内営業の売上が少なく、海外営業が売上の九十%を占め、その内の六十%をアジア・アフリカ市場で売っているという事は、事業部売上の五十四%を平社員の正岡が売っている事になる。
社長から事業部長以下の各管理職は何をしているのかと言われかねないのだ。重い沈黙の後、「磯部君。では正岡君と相談して、向こう六ヵ月間の販売計画を提出してくれ」と言ってその場を繕った。
出席者全員が席を立つと、黒岩は技術部長の武田を呼び止めた。
「武さん、売上が増えてきたのはうれしいが、難題が持ち上がってきたね」
武田は国立工科系大学の電気通信学部卒で、身長百六十センチ台半ば、頭部は禿げ上がり、体重八十キログラムを超す肥満型である。
本人は豪放磊落を装っているが、実は小心者だと揶揄されていた。
「正岡地域の売上単価は他地域より遙かに高いようです」
「経理部に地域別の利益を計算させてみてくれ」
黒岩は経営の基本は詰まるところ、利益だと確信している。
翌日、経理部が提出した資料に記載されている地域別利益額と利益率を見て、黒岩は絶句した。
国内営業、欧米は赤字で、正岡地域だけが利益を出していた。事業部売上の構成比の五十%強ぐらいで驚いた自分の不明を恥じた。
他地域の赤字を補い、更に事業部の利益の全額をはじき出していたのだ。武田を事業部長席に呼び資料を見せた。
「これがうちの事業部の利益構成の実態だ」
武田が「これほどとは……」と驚きの声を上げた。
黒岩は事業部長としては異色の製造現場出身だ。ゼネラル・オーディオ製造部計画課長時代に事業部制が導入された。誰が事業部長になるのかな、と思っていたが、意外にも登用されたのは自分だった。推薦してくれたのが製造部長の進藤である。進藤は本社の品質管理部長に転出した。
ゼネラル・オーディオ事業部は社内で最小の事業部としてスタートした。その後の業績の飛躍的拡大で、売上は中規模クラスに、利益は稼ぎ頭に成長した。その自慢の利益の全額を、海外営業部の平社員が稼ぎ出しているのだ。他地域の赤字を補って尚且つ……。
内心、焦りにも似た気持に襲われたが、事業部長としての威厳を損なわないように言葉を選んだ。
「事業も人間も成長できる時に成長しておかないと大きくなれんからな。売上はできるだけ伸ばそう。正岡君が大きな顔をしない限り組織は守れる。肩で風を切り出したら、そのときまた考えよう」
4
二週間後、貿易本部アジア部課長の湯本が、磯部の海外出張中にゼネラル・オーディオ事業部がある昭島工場に現われた。
貿易本部は新宿駅から徒歩で十分ほどの所に立つ、十階建て本社ビルの二階の全フロアーを占めている。
湯本はゼネラル・オーディオ事業部海外営業部の前課長で、正岡の前の直属の上司である。独断専行型で、次長の磯部と衝突が絶えなかった。
黒岩は湯本をこう諭して、貿易本部に転出させていた。
「はっきり言うが、今の段階で磯部君と君のどちらを選ぶかと聞かれれば、僕は磯部君を選ぶ。君は国内営業出身で貿易実務に疎い。
僕は英語のことは分からんが、海外営業に回って二年しか経っていない君が上手なわけがなかろう。
貿易本部で暫らく勉強してはどうか。将来必ず呼び戻す」
黒岩の席は事務所の一番奥にあり、机の前には、部員との打ち合わせ用にパイプ椅子が二つ置いてある。その横に人事部が配置されている。
湯本はその椅子の一つに腰を下ろすと黒岩に真剣な眼差しを送って来た。
「事業部長、正岡は元気ですね?」
黒岩は不愉快だが、うなずくことにした。
湯本が身を乗り出した。
「武田さんから伺って驚きました。事業部売上の五十%以上を正岡が売っているとか。こんな話が上層部に伝わると面倒なことになりませんか?
最近、本社では事業部長の評判が急上昇していて、他の事業部長達が神経を尖らせているようです」
「正岡君の売上が事業部の売上の二割や三割なら問題はないが、半分以上にもなると厄介だな。過ぎたるは及ばざるが如し、だ」
黒岩は正岡のことを考えると憂鬱である。
持ち駒の部下を自由自在に動かし、業績を上げることが俺の仕事だ。優秀な手駒は大切にしなければならない。
しかしこの俺が霞むような実績を上げる駒は不要というより有害だ。
何とか口実を見つけて他部門へ放出したい。
課長以上の役職者の人事異動は容易である。部長クラスに根回しすれば、雑音は出ない。理由は幾らでも探せる。
だが正岡は労働組合員だ。労働組合に説明できないような人事異動をすれば、自分の首を絞めることになる。
「君も知っているように、二年前、貿易本部のアジア部長が、正岡君をシンガポールの駐在員に出して欲しいと言ってきたが、うちの事業部に必要な人材だ、と断った。
あの時、出しておけばよかったのかも知れんな」
「今からでも遅くないと思います」
「どこへ出す? いまさらシンガポールの駐在員にどうか、などとは言えんぞ。国内営業に回すことも出来ない。だが課長にする手は、あるにはある」
「彼はまだ二十九歳です」
黒岩は正岡を課長にする気など全くない。そんなことをすれば、公に功績を認めることになる。
「分かっとる。事業部内のバランスも考えんといかんしな。いくらなんでも三十前では課長に出来ない。
主任がやっとだ」
湯本が顔面を引き攣らせて食い下がってきた。
「何か失敗をすれば?」
黒岩は湯本の変化に気がつかないように振舞うことにした。
「平社員の異動先は幾らでも見つかる」
湯本が目を輝かせた。
「手はあります」
黒岩は湯本が何を言い出すのか聞いてみることにした。
「いいアイデアがあるかね?」
湯本が急に小声で話し始めた。直ぐ後ろにいる人事部員に聞こえないか、気にしているようだ。
「トラの尾を踏ませます」
「どういうことだ?」
「ご存知のように、インドネシアへはシンガポール経由と香港経由の二つのルートで売っています。シンガポール経由は幾つもルートが分かれていますが、香港経由は代理店の王徳学さんが香港の貿易商に卸し、貿易商がインドネシアのパートナーの李慶祥さんに出荷しています」
「それで?」
「李さんは儲からない、利益を増やすために、直接取引をしたいと申し出ています」
何だ、そんな話か、湯本はまだ貿易を良く知らないな、今日は暇だし説明してやるか、と黒岩は考えた。
「そんなことをしたら、王さんが怒るだろう? あの人は我が社と親会社の森山電機両社の香港の代理店で、森山電機の森山名誉会長と友人関係にあるといわれる人物でね。
僕の手に負える相手ではない」
「正岡にその直接取引をやらせましょう」
「具体的にはどうするのかね?」
「来月、私がインドネシアに出張します。正岡もその時一緒に出張させてください。そこで、ちょっとした芝居をします。
後はお任せください」
「正岡君がそんな手に、やすやすと乗るかな?」
「事業部長が承認すればいいだろうと言えば、いやだとは言えないと思います」
「何だと。それでは責任が僕に来るじゃあないか」
「李さんにプレゼントを用意させます。正岡が知らないようなブランドの高額な時計とか何かを。
そうすれば、それに釣られて直接取引をしたことになります。俺も貰ったよ、と言えば、安心して事業部長に報告しないと思います。
李さんに私には安物を用意するよう頼んでおきます」
「それから?」
「一度だけ、李さんに出荷をします。その後で、元香港駐在員の磯部さんが王さんにこう言うのはいかがですか。
インドネシアは正岡に任せていました。気がついたときには、直接取引をしていました。直ぐに止めますのでご了承いただきたい、と。
王さんと磯部さんの関係は良好だそうです。いいだろうということになると思います。
どう転んでも、事業部長が責任を問われることはないでしょう。
その後で、磯部さんが正岡に因果を含める段取りです。
王さんが高級時計を貰ったのは直接取引の賄賂だと怒っている、だから、どこか他に配転するから我慢しろと言えば、黙って従わざるを得ないと思います」
5
正岡はジャカルタに着くと、一日前に到着した湯本と同じホテルにチェックインした。
このホテルはカジノに近く、一流ホテルが立ち並ぶジャカルタの中心街にあった。
数年後、賭博禁止令により、カジノは禁止される事になるが、当時はまだシンガポール、マレーシアなどからの旅行者を集め、賑わっていた。
翌日、湯本と一緒に、旧知の李慶祥の自宅を訪ねた。
李の家はジャカルタの中心街に近い高級住宅街の一角にある、約七百平方メートルの大きな建物だ。その中に、会議室と事務所がある。
李はインドネシア生まれの華僑で、中国のユダヤ人とも呼ばれる客家である。三十歳代前半で百八十センチ近い長身、細身だが精悍な風貌の男だ。
華僑とは中国大陸、台湾、香港、澳門以外の国若しくは地域に在住するが、中華人民共和国の国籍を持つ漢民族である。
李は正岡、湯本の二人を会議室に案内すると、顔に似合わずこぼし始めた。
「幾ら売っても儲からない。儲けているのは王さんばかりだ。王さんを外してクレストと直接取引をしたい」
正岡は儲からなければ商売はしないだろう、とクールに構えていた。
ところが湯本は「いいですね。貿易本部は市場管理が担当で、販売は各商品事業部の仕事だ。商売の大半を占めるラジカセを扱っているゼネラル・オーディオ事業部が同意すれば、直ぐにでも取引を始めます」と乗り気である。
正岡は慌てて、湯本に日本語で自分の立場を説明した。
「そんな事はできません。だいいち商業道徳に反します。
王さんは大物で、外したら大事件になります。一部員の私が決められる話ではありません」
湯本も日本語で切り返した。
「海外に出張して来れば会社の代表だ。役職者も平社員もない。お前も今まで、そうしてきただろう。OKすればいいんだ」
「お断りします」
「黒岩事業部長が承認すれば、文句はないだろう?」
正岡は黒岩の名前を出されてひるんだ。平社員の分際で事業部長が何と言おうと私は反対です、などと大口は叩けない。
「まあ、そうですが」
「事業部長に電話しろ」
正岡は何とか、時間稼ぎをしたかった。
「今日は決められません。日本に帰って、相談した上で返事をします」
「直ぐに、電話しろ」
正岡は湯本の強引さに憤然とした。
「まるで交渉相手が湯本課長みたいじゃあないですか。私の交渉相手は李さんで、課長ではないでしょう?」
湯本は李に向かって英語で言った。
「正岡は黒岩さんがOKなら問題ないと言っています。電話を使わせてもらえますか?」
李は快く応じた。
「どうぞ。どうぞ」
正岡は逃げ道を塞がれた思いで、腰を上げた。電話機は会議室にはない。隣室の事務所に設置されている。
その時、李がぼそっと呟いた。
「黒岩さんはOKしないだろうな」
正岡はこれに乗じ、なおも湯本に抵抗を試みた。
「李さんも無理だろうなと言っているでしょう?」
湯本が目を三角にして正岡を睨んだ。
「うるさい。電話しろ。黒岩さんが承認すれば文句はない、と言ったじゃあないか」
正岡はしぶしぶ事務所へ行き、電話のダイアルを回した。昭島工場の電話交換手が出た。
だが直属上司の磯部を無視して、事業部長の黒岩に直接電話をするわけにはいかない。
「磯部次長をお願いします」
電話交換手が磯部に電話を回した。
「おう。ご苦労さん。どう、ジャカルタは?」
「実は、李さんが直接取引をしたいと言い出して、困っています。湯本さんが悪乗りして、貿易本部はやりたい。事業部長の許可を取れと言って、うるさいのですが」
磯部が「うーん」と唸った。が、その後は無言だ。
正岡は「次長が反対していると言ってもよろしいですか?」と探りを入れた。
磯部が「俺が、か? うーん」とまた唸った。
「私が事業部長に伺いましょうか?」
磯部の声が弾んだ。
「そうしてくれ」
正岡は安堵した。
これで直属の上司を無視したことにならないし、黒岩が承諾するはずもない、と。
電話から黒岩の声が流れた。
「どうした?」
「李さんが直接取引したいと言いだして困っております。湯本さんがどうしても事業部長の許可を取れとうるさいのですが」
「直接取引をしてもいいよ」
正岡は吃驚した。
「王さんが怒りますよ」
黒岩の言葉に抑揚はない。「怒ったって、構わん」と事もなげな返事だ。
正岡は焦った。
これは困った事になったな、何とかしなければならない。そこで、はっと思いついた。
価格の決定権は俺が握っているのだ。王の売価と大差のない価格を出せば、この取引は成立しない。
成約せずに帰国して黒岩や磯部と相談するのが得策だと判断した。
「そうですか。分かりました」
正岡は会議室に戻った。
湯本が吟味するような顔つきで「どうだった?」と聞いた。
「承認されました」
湯本がニヤッと笑ってうなずいた。自信満々の面持ちだ。直ぐに、李に向き直った。さすがは決して手柄を譲らない男だ。
「黒岩さんがOKしました」
李が小躍りして喜んだ。が、正岡は不安に駆られていた。
湯本は正岡を見つめると、英語で話し出した。日本語の分からない李に話の内容を知らせるためだ。
「王さんに出している価格を李さんにそのまま出すんだろ? 香港向けの価格表は李さんにすでに渡してある」
正岡は思いも寄らない話に愕然とした。李が王の買値を知っているのだ。が、黒岩が承認した、と言明した直後だ。
いまさら、直接取引はできないとは言えない。こうなれば、王の粗利分を等分する以外の選択肢はない。
それにしても、香港向けの価格表をインドネシアの李に手渡すなど利敵行為である。李と湯本との間で密約があるのではないかという疑心を抱いたが、口には出来ない。
正岡も英語で湯本に強い口調で言った。
「何でそんなことをするんですか? 同じ価格で取引するのであれば、私の判断でやめます。王さんの粗利分は両者で折半しましょう」
李は「現在の粗利は少ない。王さんの粗利の半分が入ればありがたい」と喜んだ。
正岡は李に王の価格表の提出を求めた。
李は「OK」と言うと秘書を呼んだ。テーブルの上にある書類の中から一枚の紙を取り出し、「これをコピーして正岡さんに渡してくれ」と指示した。
正岡は王の価格表を見て驚いた。王が約二十パーセントの粗利を取っている。再輸出は香港内の取引に比べて販売経費が少なくて済むし、宣伝費やアフターサービス費が不要だ。その再輸出の粗利としては異常に多い。
――これでは李はもうからないな。
だが、湯本が正岡を更に驚かせるような言葉を発した。
「お前の事業部は儲かっているだろう。全部値引いてやれよ」
正岡は、湯本さんは何処の社員ですか、と問い詰めたい思いを堪えた。
「できません」
湯本が正岡をじろっと睨んだ。
「値引いてやれと言っているんだ。俺が事業部長に電話しようか?」
正岡は憤然とした。李は粗利の半分の値引きで十二分に喜んでいる。それ以上の値引きは不要だ。全額値引けば、会社は目に見える利益を得られなくなる。黒岩事業部長に相談するまでもなく、会社の利益に繋がらない商談をするつもりはない。
誰がこんな奴を課長にしたのかと思った。
「だめです。全額を値引きするのであれば、何の為に直接取引するんですか?」
湯本が憮然として腕組みをした。李は正岡と湯本の顔を交互に見ている。
正岡は忸怩たる思いである。
――王の粗利を李と山分けする交渉ならだれでもできる。
数カ月前、李がふと漏らした言葉が脳裏を過った。「香港でラジカセの完成品をばらしてSKDにしている。だが、工賃と作業中の部品の破損、紛失などの費用が七パーセント掛かっている。これが俺の利益を少なくしている原因の一つだ」
この頃、インドネシアの輸入商は低い関税で輸入するために、香港やシンガポールでラジカセの完成品をキャビネット・アセンブリ―、カセットメカや基板などにばらしてSKDにしていた。いわゆる完バラである。この費用に目を付けた。
「七パーセント支払って頂ければ、我が社がSKDで出荷します。それを日本から直接インドネシアに送れば、李さんは輸送費が節約できますし、香港で積荷を揚げ下ろしする費用が要らなくなります」
李が目を見開いた。
「クレストがSKDにして出荷してくれるなら、七パーセント出す」
正岡は約束を取り付け満足した。が、クレストがSKDで出荷した場合、品質管理のために技術者を駐在させて、現地で組み立て指導をしなくてはならない。その契約は海外営業部ではなく事業部長が直接管轄する仕事だ。
「ただしSKD、CKDで出荷する場合は、技術援助契約を締結して頂きます。それまでは完成品で取引しましょう」
CKDは部品を輸出し、現地で組み立てる。一方、SKDは半製品で輸出し、現地で完成品にする方式である。
湯本に目を転じるとあっけにとられているのか、何か言いたいのか分からないが、口を半開きにしている。その瞬間、一つの条件を思いついた。
「王さんにも継続して、発注してください。直接・間接の比率は直接交渉する李さんにお任せします。王さんにばれたら、直接取引は継続出来なくなると思ってください」
李は右の握りこぶしでテーブルを叩いた。
「それは任せて欲しい」
正岡は勢いに任せて、言ってみた。狙いは四カ月先行発注を了解させることだ。
「それから、直接取引分は六カ月先行発注でおねがいします」
「了解した」
正岡は李があっさりOKしたので拍子抜けした。
会議が終わると湯本がトイレに立った。
李は二人になるのを待っていたかのように、正岡に透明のビニール袋に入った時計を差し出した。「ありがとう。正岡さん。これはお土産です」
ブランドを見たが聞いたことのない名前だった。時計には興味がない正岡は、オメガ以外の外国ブランドを知らない。箱も付いていない時計だ、安物に違いないと、にっこり笑って受け取った。
ホテルへ戻る途中、「おい。完成品よりSKDの製造コストが高いなんて話は聞いたことがないぞ。何も知らない李から七パーセントせしめたな」と湯本が言い出した。
完成品をばらしてSKDを作れば、分解費用が掛る。が、東京クレストの工場では、SKDは半製品である。当然その製造コストは完成品より低い。
正岡は「そういうことになりますか……」と、とぼけた。
湯本は探るような目つきだ。
「これから戻って李に教えたら、お前はどうする?」
正岡は磯部と湯本の確執を利用するのが上策だと判断した。
「磯部次長に報告することになります」
湯本の顔色が変わった。
「さっきの電話の相手は事業部長だろう? なんで磯部さんに報告するんだ?」
「最初は磯部さんに電話をしました。磯部さんが事業部長に電話を回したんです」
湯本はしばし呆然として立ち尽くした。が、急に親しげな顔をして正岡の肩を抱いた。
「ところで、時計を貰っただろう? 古いデザインだな」
正岡は湯本の親しげな振る舞いに不審の念を起し、返す言葉が出て来ない。
湯本が正岡の顔を覗き込んだ。
「俺も貰ったよ」
正岡にとっては、そんなことはどうでも良かった。黒岩事業部長がなぜ簡単にOKしたのか、湯本がなぜあれほどしつこく、直接取引を迫ったのか、考えていた。
実は二人で、出張前に打ち合わせをして直接取引を決めていたのではないか、問題がおきた時には責任を自分に押し付けるのではないか。その疑いが浮かんでは消え、消えては又浮かんだ。
帰国時、羽田空港の税関で、李から貰った時計を申告した。役人が関税と物品税を含めて四万円を超す税金になると言った。予想外の高額に驚いて、放り出したくなった。が、李の好意を無にする訳にもいかないと仕方なしに支払った。
役人にチェック・プライスを訊ねると十一万円を少し上回った金額が返ってきた。平社員には分不相応な品物である。しばらく箪笥にしまい込むことにした。
出社後、正岡は磯部に報告しようとした。が、磯部は「事業部長に報告しろ」と逃げた。やむを得ず事業部長席に向かった。
黒岩は笑顔で迎えた。
「おう、君か。どうだった?」
「ご承認どおり、李さんと直接取引することに決めましたが、ばれないよう王さんにも継続して発注することを条件にしました。直接・間接の比率は交渉する李さんが判断するのが最適と思い、任せることにしました」
黒岩は「うーん」と唸ったが、コメントを出さない。
正岡は前の直属の上司である湯本をあからさまに非難できない。だが湯本が
香港向けの価格表を李に手渡していた件を、黒岩にはっきり伝えておかないと将来に禍根を残す事になると思い、語気を強めた。
「湯本さんが香港向けの価格表を李さんに渡していましたので、王さんの粗利約二十パーセントを李さんとクレストで折半することで、折り合いがつきました。
SKDで出荷する場合は七パーセントを頂くことにしましたので、結局王さんの粗利のほとんどは、わが社に入ることになります」
黒岩は聞き終わると、一瞬顔を曇らせたが、ねぎらいの言葉を返してきた。
「正岡君、さすがだね」
正岡はこんな交渉が出来るのは俺だけだな、と自賛した。
6
黒岩は正岡が立ち去ると、磯部を小会議室に呼んだ。
「正岡君の報告を受けたが、直接取引は継続する話になっている」
「私が李さんに直接取引は一度だけだと断りの電話を入れます」
黒岩は取締役の地位を何が何でも手に入れたい。自分には学歴がない。あるのは実績だけだ。取締役になるには実績を上げ続けるしかない、と思った。
「待て。SKDのコスト計算はこれからだが、概算で粗利が二割も増えるんだぞ。こんな仕事を手放す手はない。王さんにばれたらその時はその時だ」
磯部がいぶかしそうな目をした。
「それでは、しばらく様子を見ますか?」
「そうしよう。ところで正岡君は李さんから貰った時計をはめて来ていない。現段階では処罰できないな。
しかし時計の話を誰かに漏らしたら、即座に怒鳴りつけて地方の営業所に飛ばしてやる。二度と本社関連部門に戻れないようにな」
「それは……、可哀そうじゃあないですか」
何が可哀そうなものか。ああいう生意気な奴には世の中の厳しさを教えてやることだ。それと毎日恨めしそうな顔で見つめられるのも不愉快だ。
「君は甘いね。部下を干す時は徹底的にやるもんだ。いい加減にすると、思わぬ意趣返しをうけることになる。中途半端が一番悪い」
磯部が神妙な表情で低頭した。
黒岩は磯部に、「武田次長を呼んでくれ」と指示した。事業部次長兼技術部長に昇進した武田にも知らせておきたいと思ったのだ。
武田はすわ何事か、といった面持ちですぐに現れた。技術部がある二階から駆け下りてきたのか、肩で息をしていた。
こういうところがこの男の良いところだと思い、笑みをたたえて事の次第を説明した。
武田が黙ってうなずいた。
黒岩は武田の目の前で湯本に電話を入れた。
「正岡君は君に警戒心を抱いていると思う。今後はできるだけ仲良くするように。それと、彼の言動には注意を払う必要がある。不穏な動きがあれば、逐一報告しなさい」
以後、何事もなかったように事業部の運営に力を注いだ。ただ正岡の勤務態度に注意を怠らないように心がけた。
ゼネラル・オーディオ事業部の売上が急拡大し始めた。国内営業部は相変わらずの苦戦で、売上が増えているのは海外営業部だけである。
黒岩は海外営業部長に昇格した磯部を自席に呼んだ。
「どこ向けが増えているんだ?」
磯部は黙って取引先別売上表のコピーを差し出した。
李慶祥向けの売上だけでなく、シンガポールの白文徳向けの売上が急増している。
黒岩は磯部を詰った。
「なんだ。増えているのは正岡地域だけじゃあないか?」
磯部は苦笑いを浮かべた。
「ええ、まあ」
「白さんはどこに売っているんだ?」
「主にインドネシアですが、最近はタイ、ビルマ等にも再輸出しているそうです」
黒岩は二メートル先で部下に指示を与えている経理部長を手招きした。
「先月決算の結果は出たか?」
「はい。ゼネラル・オーディオ事業部の利益は急増しております」
「どのくらい増えた?」
経理部長は顔をほころばせた。
「去年の三倍余りです」
「地域別利益明細を出してくれんか?」
翌日、経理部長が提出した地域別利益一覧表を見て黒岩は言葉を失った。ゼネラル・オーディオ事業部の利益増は全て正岡の売上によるものであった。
三ヶ月後、李が来日した。
その翌日、湯本が電話で黒岩に連絡して来た。
「明後日、李さんを事業部にお連れします。会議に出て頂けないでしょうか?」
「君も知っているだろう。僕は外人との商談には出ないことにしている」
「李さんは事業部長に直接取引のお礼を申し上げたいと言っております」
「そうか、そういうことなら」
会議当日、黒岩は武田、磯部、正岡と一緒に、ショールーム兼会議室で李を迎えた。この部屋には長方形のテーブルと十二脚の椅子がある。
李は包装紙に包んだ土産を大切そうに差し出した。
黒岩は丁重に礼を言った。壁側の中央の椅子を李に勧めて、その正面の椅子に腰を下ろした。背後のショーケースに商品が展示されている。
黒岩は磯部の左隣に座っている正岡に目を向けた。
「向こう六カ月間の受注はどうなってるんだ?」
正岡が立ち上がって黒板に向かった。完成品、SKDとカセットメカやキャビネット・アセンブリ―などの補充用半製品を含む約三十の価格と六カ月間の受注台数を書いた。その間、ノートも見ず、わずか五分足らず。出席者が口々に感嘆の声を上げた。李はノートと黒板を交互に見ていた。
黒岩は湯本の通訳で李に確認した。
「内容に間違いはありませんか?」
二、三分後、李が口を開いた。
「間違いありません。驚きましたね。正岡さんは凄いですよ。私も各モデルの仕入価格は覚えていますが、月別の注文台数までは記憶しておりませんでした」
あいつは只者ではない、と黒岩は唸った。が、自分の能力を取引先の前でひけらかす奴は許せない。腹いせに声を張り上げた。
「正岡君。君は準備が悪い。受注表は事前に紙にでも書いておくもんだ」
正岡は一瞬困ったような顔をした。が、直ぐに笑顔を浮かべてうなずいた。
黒岩は冷笑されたような気がして睨みつけた。が、正岡は素知らぬ顔で席に戻った。
――あいつ、天狗になってやがる。実績が自慢か。お前一人で売っているとでも思っているのか。販売は事業部の総合力だぞ。それとも有名私大出が自慢か。そんなものが何になる。お前を生かすも殺すも俺次第だ。もっと敬意を払わないと後悔することになるぞ。
黒岩は無性に腹が立つが、客の前で怒鳴りつけるのも大人気ないと気を変えた。正岡の通訳で李に質問を始めた。
「王さんは直接取引に気づいていませんか?」
「大丈夫です。従来とほぼ同額の注文を出しています」
「直接取引の注文の方が多いようですが?」
「今や、クレストは私のドル箱です。他の商売を一時停止して、直接取引に回転資金を集中しています」
「王さんはもっと注文を増やせと要求してきませんか?」
「税関と問題が発生し、しばらく通関が止まりそうだ、とか、今年の米の収穫は良くない、インドネシア国民の大半は農民で、彼らの購買力が低下している、などと適当な説明をしてしのいでいます」
黒岩は王にばれる恐れは当分なさそうだと安堵の胸をなでおろした。
会議終了後、正岡に「李さんを工場に案内してくれ」と指示した。
李と正岡の姿が消えると土産の包装紙を開いた。
箱の中にホワイトゴールドのスイス製腕時計が入っていた。文字盤にはダイヤモンドがちりばめてあった。湯本に「このダイヤは本物かな?」と意見を求めた。
湯本は「本物でしょう。高そうですね。デパートに問い合わせてみます」と言って、時計のブランド名とモデル名を手帳に控えた。
武田と磯部は驚きと好奇心の入り混じったような顔つきで時計を見ていた。が、直ぐに二人は互いに目配せして席を外した。
二十分後、湯本が帰ってきた。鼻を膨らませて、「八百万円だそうです」と報告した。
黒岩は全身の血が真下に落ちて行くような思いがした。「そんな高額な時計だと知っていたら受け取らなかった。然るべき人と相談する。それまでは時計の話は口外しないでくれ」
黒岩は胸の内で舌打ちをした。正岡は運の良い奴だ。これで時計を理由に処罰できなくなったな、と。
小一時間後、李と正岡がショールーム兼会議室に戻ってきた。黒岩は室内の置時計を見遣った。午後五時を五分ほど過ぎていた。
午後七時にホテル近くの有名和食料理店で接待したいと李に提案した。同席者を磯部、湯本、正岡の三人に決めた。一旦、李には湯本と一緒にホテルに帰ってもらい、有名和食料理店で待ち合わせることにした。
正岡と共に玄関で李と湯本を見送った。二人を乗せたハイヤーが守衛所を過ぎ、工場の敷地の角を曲がり、視界から消えた。
正岡は議事録の作成に取り掛かると言って、海外営業部に戻って行った。
黒岩はなぜか急に正岡の扱い方が気になった。社内で正岡の評価は高まるばかりだ。このままでは、磯部の後継者にせざるをえなくなる。それでは湯本が納得しない。
黒岩は磯部を自席に呼んだ。
「海外営業部の課長を空席にして置くのは危険だな。誰か適任者はいないか?」
「貿易本部の船積業務課長の南原君はいかがでしょうか?」
「正岡君の抑えは利くのか?」
「問題ないでしょう。南原君は正岡君と同じ大学の五年先輩です」
7
正岡はシンガポールの白文徳に電話した。
「近々シンガポールに出張する予定だ。ついでにスマトラ島の最大の都市であるメダンで販売先を見つけないか」
従来はジャカルタの輸入商がジャカルタの一次問屋に卸し、一次問屋がメダンの二次問屋に卸していた。輸入商と一次問屋の口銭の削除、物流コストの低減が狙いだ。
中国人は利が薄くても確実に利益が出る商売を選考する。シンガポールの輸出商は大きな取引ともなれば、利益が一パーセント以下でも成約に持ち込む。
単価二百シンガポールドルを優に超すラジカセの取引で、輸出商の利益が一台あたり五十セントという事例もある。
似た事例は日本にもあった。第二次世界大戦後の新橋で、ビールを大量に売りさばいている中国人がいた。ある日本人が調べてみるとなんと仕入れ単価と販売単価が同価格である。こんな商売は長続きがしないと思ったが、なかなか倒産しない。やがてカラクリが判明した。
当時、ビールメーカーは木枠のケース入りで出荷していた。この中国人の取引先は一本、二本と小口仕入れの飲食店が主力だ。物不足の時代である。残った木枠は飛ぶように売れたという。
この薄利が先行ブランドのクレストに幸いした。中国人も売れるかどうかわからない後発ブランドには高率の粗利を求めるからだ。
シンガポールの輸入商、輸出商、インドネシアの輸入商、一次問屋、二次問屋、小売と六段階を経ている内に末端価格で後発ブランドと大きな価格差を生んでいたのだ。クレストが市場占有率で七割以上取れた理由はここにある。
一週間後、白と一緒にメダンへ出向いた。午後、メダン空港に到着し、有力な取引先を探し歩いた。その日の夕方には一店に絞り込んだ。翌日の午前中にその店との商談を終えた。
インドネシアの華僑の過半は、白と同じ福建である。白には比較的簡単な仕事だったようだ。
その夜、店主が夫人同伴で、正岡と白を映画館へ招待した。映画はインドネシア語だった。正岡が喋るインドネシア語は片言程度で、映画が理解できるレベルとは程遠い。
映画を見た後、店主が正岡に聞いた。
「映画は面白かったですか?」
「会話が難しくて理解できませんでした」
店主は驚いたような顔をした。
「貴方がインドネシア語を話しているのを聞いて、映画が理解できると思いました。お詫びに明日、トバ湖へ招待したい。この国で最も大きな湖で、有名な観光地です」
正岡は招待を受けるべきかどうか躊躇った。
白が正岡にウインクして英語で、「本人が行きたいのだ。受けてやれ」と言った。
翌日は土曜日である。正岡は招待を受けることにした。
店主が何事か夫人に話した。福建語のようだ。夫人が疑わしそうな顔で言い返すと店主は大声を出した。日本からの来客を接待するためだとでも言ったのだろうか。夫人は不満そうな顔を見せたが、うなずいた。
翌朝十時にホテルを出発した。車で約二時間の行程と聞いていたが、昼食を含めて五時間ほどかかった。トバ湖に着くと日本の観光地と見紛う程に小奇麗な場所であった。
午後三時頃には、観光船でトバ湖を周遊した。湖の中央にサモシールという名の大きな島があった。独自の文化を持つ部族が住んでいると説明され、大いに好奇心をそそられた。
店主が正岡に笑顔を向けた。「今日は時間的に無理だが、明日上陸しますか?」
正岡は日曜日中にジャカルタへ行きたい。やむなく上陸を断念した。夜は湖畔のホテルで一泊し、明くる土曜日の朝メダンに向かうことにした。
夕食後、店主が「女を買いに行こう」と言い出した。
正岡はこの瞬間、白のウインクの意味を理解した。俺をだしに使ったな、と。
「僕は行かないよ」
ところが、白は首を横に振った。
「観光客は自分の車で来る。だからここにはタクシーがない。一緒に行こうぜ」
やむなく三人揃って車で売春宿へ出かけた。ガラス窓越しに六人のインドネシア人の若い女が見える。客が女の品定めをして、呼び出せるシステムだ。その中に十人並以上の女がいた。
正岡は思わずインドネシア語で、「チャンテイック(綺麗)」と口走った。
店主は遠来の客に、気に入った女を世話しようとした。が、正岡は新婚ほやほやで浮気をする気にはなれない。
それに加えて、一年に六、七回も東南アジアに出張で来ているのだ。客あしらいの上手い中国人に女を世話されていると社内で噂が立てば、あいつは何が目的で海外出張をしているのか、と口さがない連中の餌食にされる。
そんなことにでもなれば、自分の将来に響く、と警戒した。「僕は女房以外の女とはしないよ」
店主の反応は実にあっさりしたものだ。「あ、そう」と言うと正岡を無視した。
白と店主の二人は女を見つけてそれぞれ別の部屋に入った。車は一台だ。正岡は待つしかない。応接室から見晴らし台に出た。夕闇の湖畔に浮かぶ小舟を見ながら、時にタバコをふかして時間を潰すことにした。が、二人は部屋に入り込んだままなかなか出てこない。
約一時間後、一組の男女の交わす声が漏れてきた。正岡は応接室に戻ることにした。
直ぐに白が笑みを浮かべて女と一緒に別室から出て来た。
「いい女だ。結婚後すぐに子供が出来て、暮らせなくなったそうだ」
正岡は好奇心にかられた。
「亭主はどんな仕事をしているの?」
「タクシーの運転手だ」
「どこで?」
白は丸いテーブルの周りに置いてある六脚の椅子の一つに腰を下ろした。「メダン市内だ」と答えて、一息入れた。
「彼女はメダン市内で仕事を見つけたかったと言っていた。子供に会えるからね。だが、身体を売る以外の仕事は見つからなかったそうだ。亭主の運転手仲間を客に取りたくないからトバ湖まで来たんだって」
「ふうん、可哀想に」
「貧乏だから仕方がないさ」
その女は白の両膝の上に、横向きに腰を乗せた。顔を見上げると直ぐに首に手を廻してしなだれた。顔には笑みさえ浮かべていた。
本当に可哀そうなのは彼女の亭主かもしれない、と正岡は思った。
これ以降、正岡に女を世話しようと言う中国人はいなくなった。
8
昭和四十八年、第一次オイルショックが起きた。原油価格の高騰による先進国から産油国への所得移転で、中近東の人口の少ない国々の市場が急拡大した。
正岡は中近東を重点市場に設定した。
この頃、欧米の一流ホテルチェーンが、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦等ペルシア湾岸諸国に進出し始めた。サウジアラビアのホテルのサービスの質に劇的な変化が起きた。エアコンは利く、お湯の蛇口からは、ちゃんとお湯が出るようになった。
東京クレストの規定で出るホテル代・日当はシンガポール、マレーシア等東南アジア諸国と同額だった。が、湾岸諸国のホテル代は軒並み高い。泊まるだけで足が出た。差額と食事代は自腹である。
正岡は平社員で安月給だ。自腹金額を少なくするために、出張時にカップヌードルを持参せざるを得ない。が、ゼネラル・オーディオ事業部の部員と委託生産の下請け会社の社員の生活を背負っているとの自負心を胸に、不平も漏らさず、一年に五回、六回と出張を繰り返した。
市場拡大の恩恵は正岡の市場開拓と相俟って、ゼネラル・オーディオ事業部にも及び、売上、利益は急増した。その結果、正岡の売上の事業部内構成比は七十%を越し始めた。
ゼネラル・オーディオ事業部の役職会で経理部長が発表した。
「東京クレスト全社の利益とゼネラル・オーディオ事業部の利益が、おおよそ同額になりました。他の事業部は黒字の事業部と赤字の事業部があり、合計するとほぼゼロになったからです」
その話を人伝に聞いた正岡は、満足感に浸った。一介の平社員の俺が、ゼネラル・オーディオ事業部の国内営業、欧米地域の赤字をカバーして更に、東京証券取引所一部上場企業の全社の利益をはじき出している、と。
利益急増を背景に黒岩、武田が、業界初の一体型ステレオラジカセの企画にゴーサインを出した。
生産開始後一年近くの間、受注に生産が追いつかないほどの大ヒットだった。市場占有率の低い中近東からも注文が殺到した。
正岡はこの機会を逃さず、東南アジア向けを抑えて中近東向けに出荷を集中した。
売れ筋商品を握った中近東の各代理店は、強気に転じ、ステレオラジカセと一緒に二、三機種のモノラルラジカセを電気店に売り込んだ。一年も経たないうちにクレストは中近東市場でも一流ブランドの仲間入りを果たした。
インドネシアの李とシンガポールの白が来社してクレームをつけた。
「一体型ステレオラジカセの物不足がひどくて取引先が怒っている。何とか供給を増やしてもらえないか?」
この頃、武田が「売れているだけで正岡が売っているわけではない」と言い出したが、正岡は気にも留めなかった。
9
翌年九月。目が眩むような日差しの中、機体はジャカルタ空港に到着した。
正岡とゼネラル・オーディオ事業部長の黒岩がタラップを降りた。先行集団はすでにビルの中に吸い込まれていた。
二人が先行集団に追いつくと、入国管理のカウンターの前に、背広を着込んだ貿易担当常務取締役の長田、貿易本部アジア部次長に昇格した湯本、香港駐在員の関口の姿があった。
正岡は回転式のベルトコンベヤーから黒岩と自分のスーツケースを降ろし、カートに乗せて、次のフロアーに向かった。
長田が税関吏の前にある細長い木製のカウンターの上でスーツケースを開いていた。荷物検査である。
税関吏が綺麗な包装紙に包まれた荷物を指差して「オープン」と指図した。が、長田は開けようとしない。荷物は親会社の森山電機の現地法人社長に持参した土産だ。
税関吏はじっと長田を見ている。湯本と関口の二人は後ろで、おろおろして見守っているだけである。
正岡は苛立った。湯本は何度もジャカルタには足を運んでおり、空港の税関がどんなものか熟知しているはずだ。
税関吏が再び土産を指差した。正岡と長田の間は約二メートル離れている。
正岡は湯本と関口に視線を送った。
長田は直属部門の上司ではない。出来れば二人に任せたいが、何の動きも示さない。
税関吏が包装紙に手をかけた。
堪りかねた正岡は、販売促進用のライターを取り出すと、税関吏に「マイ、フレンド」と呼びかけ、カウンターの上を滑らせた。
ライターを受け取った税関吏は、長田を見てにっこり笑い出口を指差した。
長田はスーツケースを畳むと手ぶらで出口に向かった。
湯本が包装されたままの土産を抱え、関口が三つのスーツケースをカートに乗せて、後を追った。
翌日から四日間、長田の指示の下で、正岡、湯本、関口の三人の市場調査が始まった。黒岩は正岡と行動を共にした。
夕食後、長田のスイートルームで湯本が代表して報告した。
長田は不備な点を見つけると鋭い質問を湯本に浴びせた。湯本が沈黙すると正岡、関口に質問を飛ばした。
正岡は国内営業部員から聞いた長田の経歴が頭に浮かんだ。
黒岩より十歳年長で、後身が公立大学になっている旧制高商(高等商業学校)の出身である。
長期間、国内営業本部長として国内営業関係者の上に君臨し、恐れられた。販売実績のある営業マンは年齢、経験に関係なく昇格させたが、無能な営業マンは使い捨てにした。
育てた営業部長、営業所長が東京クレストの国内営業を支えており、長田学校の異名を得ている。
更に、森山電機の創業者の森山太郎と国内営業について議論を交わしたが、一歩も引かなかったという武勇伝により、森山電機グループ切っての販売のプロ、論客として、その名を馳せているという。
シンガポール駐在事務所長の石山が一日遅れて到着した。
長田は正岡達との質疑応答を中断して石山の報告を聞いていたが、突然怒り出した。
「何でお前が俺の招待客を決めるんだ?」
長田は帰途シンガポールに立ち寄り、代理店、生産協力会社関係者等を宴会に招く予定で、場所の選定を石山に指示していた。
ところが、石山は勝手に招待客を決め、場所、日時を案内した後で報告したようだ。何事か小声で言い訳をした。
だが長田の怒りは収まらない。
「お前は招待客のリストを作って、俺の決裁を仰ぐべきだろう?」
以後、石山が口を開くたびに、指導という名のしごきが始まる。叱られ方を知らない石山は、理解に苦しむような説明を繰り返す。
長田は弁解と受け取るのか、追及を強める。
こうなるともう誰にも止められない。深夜十二時前に指導が終わる事はない。毎日、朝の二時、三時まで続いた。
付き合わされている正岡は部屋に帰って寝たくても、上司の黒岩が席を立たない。
朝八時にはレストランに集合である。睡眠時間は四時間か五時間だ。四日後には、心身ともに疲れ果てていた。
最終日に、長田は香港の代理店である九龍電業有限公司会長の王徳学と李慶祥を招き、市場調査の結果を報告した。
その夜、長田は王と李をジャカルタのナイトクラブに招待した。同席者は正岡、黒岩、湯本、石山、関口の五名である。
全員がデザートを食べ終えた頃、スポットライトが当たった舞台で一人の女が踊り始めた。数分後、急に座席が暗くなった。正岡はそこまでしか覚えていない。
照明の明るさに気がつき、はっと目を覚ました。慌てて周りを見回すと長田が笑っている。長田の笑顔を初めて見た驚きで、思わず俯いた。これはまずい。
長田が笑みを浮かべて冗談をたたいた。
「正岡君、女の子が股を開いているときぐらい、目を開けてやれよ」
王、李、黒岩が爆笑した。続いて石山、湯本、関口が笑った。
他の席の客達が何事かと正岡達の席に驚きの視線を送ってきた。
その翌日、正岡は、黒岩、湯本と共に長田のシンガポール出張に随行した。シンガポールでは現地生産協力会社の社長との会談が、行われる予定になっている。
現地生産協力会社との折衝はシンガポールの技術駐在員の仕事だ。が、一応
黒岩にお伺いを立てた。
「私は出席したほうがよろしいですか?」
「常務が君を出席させろ、と言っている」
長田に気に入られたようだと、ほっとした。
10
シンガポール滞在中、常務取締役の長田が黒岩に話しかけてきた。
「正岡君は販売実績抜群だ。インドネシア、シンガポール滞在中ずっと見てきたが、なかなか優秀な男じゃあないか。
どうしてまだ平社員なんだ?」
「実は本人にも内緒にしていますが、彼は主任です。他の海外営業部員と比較し、給料、ボーナスで厚遇しています」
「そんな姑息な人事があるか。課長にしたらどうだ?」
「まだ三十二歳です。課長にはまだ早過ぎます」
「早くない。国内営業を見ろ。販売実績を上げた奴は三十歳そこそこで課長になっている」
「国内営業は販売子会社の課長ですね。うちの事業部では一番若い課長が三十五歳です。
事業部内のバランスを崩すような人事は、ちょっと」
「それなら、貿易本部に出してくれ。シンガポールの所長にする。石山君はあの体たらくだ。帰国させる」
黒岩は動揺した。
正岡を貿易本部の課長職に昇格させる話は迷惑だ。
正岡はシンガポールの所長になれば、テレビやオーディオなど他事業部の商品を一生懸命に売り始める。ゼネラル・オーディオ事業部にとっては何のメリットもない。だが本人は輝きを増し、社内で引っ張り凧になる。
それを見た他の海外営業部員も貿易本部を向いて仕事をし始める。
黒岩は腹を決めた。
「正岡君は事業部に必要な人材です。ご勘弁ください」
「君は有能な部下を飼い殺しにするのか?」
「事業部内で相談させていただきたいと思います」
人事異動は社長決裁である。が、窓口は本社の人事部だ。役員、事業部長、本部長は昇格推薦者の決裁願いを本社の人事部に提出しなければならない。
帰国後、黒岩は正岡の人事権を握っているのは俺だ、長田ではない、時間を稼ぐに限ると高を括った。
だが本社の人事部の話に驚いた。
長田は正岡をシンガポールの駐在事務所長に、二歳若い関口をインドネシア駐在事務所長に昇格させる決裁願いを本社の人事部に提出し、ゼネラル・オーディオ事業部と調整して欲しいと指示したというのだ。
黒岩は自問自答した。長田の横槍は不愉快だが、相手は常務取締役だ。喧嘩できる相手ではない。
貿易本部所属である香港駐在員の関口が昇進するのだ。正岡の昇進を見送った場合、インドネシア開拓の功績は関口すなわち貿易本部だと認めることにならないか。
これはまずい事になりそうだ。正岡の功績を軽視するつもりが、却って自分を殺す事になりかねない。観念して、本社の人事部に回答した。
「正岡君を海外営業部の課長に、課長の南原君を次長に推薦します」
11
正岡が課長に昇格する二年前に、黒岩は理事ゼネラル・オーディオ事業部長に昇格していた。
念願の取締役のポストをなんとしても手中に収めたい。実績は十分だが、問題は旧制中学卒の学歴だ。
日頃学歴無用論を口にしている森山電機の森山名誉会長に会う方法を模索したが、子会社の事業部長には、無理な願いだった。
近道は王徳学だと思いついた黒岩は、海外営業部長の磯部に「久々に王さんと二人で飯が食いたい」と指示した。
二週間後、黒岩は都内のステーキハウスに王を招待した。
しばらく歓談の後、王が言った。
「黒岩さんは私より一歳年上でしたね。戦後は食糧難で苦労しましたが、こんな旨いものが口にできる時代になりました」
黒岩は「今まで苦労の連続でした」と応じた。
王は「大変でしたね」とため息を交じえて呟くように言った。
「それに私は旧制中学卒の学歴で人に言えないような悔しい思いもしてきました」
「そうでしょうね。私も自慢できるような教育を受けておりません。黒岩さんのお気持ちは御察しいたします。しかしクレストに入社されたのは正解でしたね。森山電機グループは学歴に関係なく出世できるでしょう?」
「それが、なかなか……。名誉会長がおられる名古屋から遠いせいか、取締役を前にして理事で足踏みしています」
「そうですか」
「王さんは森山名誉会長とご昵懇だと伺いましたが」
「まあね」
「黒岩は旧制中学卒のハンデを乗り越えて貿易で成功している商売人だと名誉会長にお伝え頂くわけには?」
王は黒岩の手を握った。
「黒岩さんはクレストの商売の大半を占めるゼネラル・オーディオ事業部の事業部長さんだ」
翌年六月の株主総会で、黒岩は取締役ゼネラル・オーディオ事業部長の地位を射止めた。
12
二年後、黒岩はオーディオ担当取締役兼オーディオ事業部長として、立川工場に転出することになり、ゼネラル・オーディオ事業部長の人事を取締役会の議題に乗せた。
「事業部次長の武田君はまだ若いので、私が兼務したいと思います」
常務取締役技術本部長の野村が「技術者に年はない」と異論を唱えた。野村は前身が帝国大学である名門国立大学の工学部出身で黒岩より一歳年長である。
黒岩は野村のコメントにむっとして押し黙った。
野村が自分を「技術の分からない職工上がり」と罵っていることを聞き及んでいるからだ。
人事担当常務の進藤が「社長、武田君で宜しいですね」と決裁を求めた。
社長の山形は黙ってうなずいた。
取締役の一人からこの話を耳にした武田は、それ以降、野村の部屋である常務室に足繁く出入りし始めた。
ある日、武田は本社で行われた会議の合間を縫って常務室に出向いた。
野村が武田に疑問をぶつけた。
「黒岩君が森山名誉会長の推薦で取締役になったという話を知っていると思うが、二人はどういう関係なんだ?」
「香港の王さんに頼み込んで、森山名誉会長に取り入ったと聞いています」
「王さんと黒岩君はそんなに仲がいいのか?」
「いやあ、取引だけの関係です」
武田は少し間をおいて、続けた。
「実は……。王さんを外してインドネシアの商売をやっていまして、それがばれたら大変ですね」
野村がにんまりと笑った。
「そうか。そこが黒岩君のアキレス腱だな。消えてもらうには、そこを突くしかないな」
武田は何か言うべきだと思ったが、適当な言葉が浮かばない。沈黙することにした。
野村は諭すような口調だ。
「何時までも金魚の糞みたいに、黒岩君にくっついてばかりいては芽が出ないぞ。独立することを考えろ」
武田は野村が自分を気に入ってくれているのは分かるが、黒岩との関係を切るのはまだ危険だと思った。
「あの方にはお世話になっていますので」
野村が武田の肩に手を置いた。
「君は今日からは俺達の仲間だ」
俺達とは、同じ常務だが野村より五歳年上で人事担当の進藤と本社の人事部長の佐橋を意味することは、東京クレストの人間であれば、誰でも知っていることだ。
彼らは同じ大学出身である。進藤と野村は技術者から累進して今日の地位を築いた。佐橋は警察庁から転職してきていた。仲間に入れて貰える等という僥倖は願ってもないことである。
武田は腹を決めた。
「インドネシアの商売で王さんを外したことが森山電機に伝わるよう考えてみます」
武田は事業部長になると、事業計画や実績の説明で常務取締役経理部長の久保と会う機会が増えた。
工場の移転を来年の事業計画に組み込もう。黒岩がいる立川工場から遠くなれば、自ずと親離れできるというものだ。
ついでに、正岡も利用しよう。
親会社である森山電機出身の久保常務にそれとなく直接取引の話をすれば、森山電機に伝わる。森山電機に伝われば、香港の王にも伝わる可能性が大きい。王に伝われば、黒岩追い落としは向こうがやってくれる。
無手勝流だ。
十歳年長の黒岩が、順調に常務に昇格して、内規の六十二歳まで在任したら、俺も五十二歳になってしまう。
競争の激しいオーディオ機器業界で、十年以上も順調に、事業部を運営できるかどうか分からない。
あの人はもう念願の取締役になったのだ。早く消えて貰うのが一番である。今度は俺の番だ。
気がついてみるといつの間にか鼻糞を穿っていた。みっともない。事業部長にあるまじき悪癖だ。
慌てて周囲を見渡した。
正岡と目があった。が、彼はすぐに目を逸らした。
あいつなら、まあいいか。人事権を握っている俺の悪口を言い触らすほど馬鹿ではないだろう。
他に気がついた者はいないようだ。ふっと息を吐き出した。
武田はゼネラル・オーディオ事業部の経理部長を呼んで、現在空いている工場用地を調べさせた。千葉県の君津市にあるテレビ事業部の分工場が、事業不振で稼働率が激減し休眠状態に近い、という報告が返ってきた。
生産部長を君津に送り、工場見学させると、意外に少ない投資額で稼動できそうだ。
テレビ事業部も部員を引き取ってもらえるなら、工場運営から手を引いてもよいという、内々の話も漏れ聞こえてきた。
黒岩から引き継いだ内部留保は潤沢にある。早速、経理部長に工場移転計画を盛り込んだ翌年度の事業計画書を作成するよう指示した。
事業計画書ができれば、作戦開始だ。直属上司の黒岩に、先に報告するのが筋であるが、反対されては元も子もない。
武田は十二月初旬、久保を昭島工場に招いて欲しいとゼネラル・オーディオ事業部の経理部長に頼んだ。
一週間後、久保が本社経理部主計課長の加賀を連れて昭島までやって来た。
武田は経理部長の耳元で訊ねた。
「どうやって常務を引っ張りだしたんだ?」
「工場の近くに美味しいうどん屋があると言っただけです」
なるほどそんな手があったのか、と膝を打った。
武田は「黒岩取締役の承認前の事業計画案ですが」と前置いて資料を手渡した。
説明終了後、久保は明言した。
「利益は前年比二十%アップか。悪くないな。君津に工場を移転する計画には賛成だ」
久保がゴーサインを出した案件を黒岩は反対できない。黒岩にはたまたま工場見学に来られた久保常務にお話ししたところ、内諾をいただきました、と説明すれば良い。
昼食に久保を老舗のうどん屋に招待した。ゼネラル・オーディオ事業部の経理部長と加賀も同席した。
武田はとくとくとして説明した。
「ここの鴨鍋うどんは逸品で、脂が乗った冬が一番おいしい時期です」
久保は満足そうにうなずいた。
「これはうまいな。時に、君の事業部はずいぶん利益率が高いが、何か理由があるのか?」
この質問を武田は待っていた。
「インドネシアの市場占有率が七十%位あります。黒岩さんが事業部長時代の話ですが、香港の王さんが取引していた相手と直接取引を始めました。
王さんの粗利をその取引先と、山分けにしたうえに、SKDの費用を七パーセントも上乗せした正岡というやり手のアジア担当課長がいまして、利益が急増しています」
「あの王さんも形無しか。そいつはすごいな」
武田は内心で、しめた、作戦通りだ、と叫んだ。
そして、自画自賛した。褒めて人を陥れるなんて芸当は俺しかできないだろう、と。
三ヵ月経ち三月になってもインドネシアの件で王が怒った、という話は一向に聞こえてこない。
武田は焦り始めた。久保が先日の話を覚えている間に、もう一押ししないと忘れられてしまう。二週間後には、決算報告で本社の経理部に行く用事があるが、待ち遠しくて仕方がない。何か口実を見つけたいと思うが、なかなか見つからない。じりじりとしている内に、二週間が経った。
武田は久保常務に決算報告をした。
同席者は主計課長の加賀とゼネラル・オーディオ事業部の経理部長である。
久保は武田の実績を「売上、利益共に計画以上だな。ご苦労さん」と褒めた。
武田は久保が前回のように達成理由を聞いてくれるのを待っていたが、久保は無言で持参した書類に目を通している。
焦れた武田は切り出した。
「計画より売上、利益が増えたのはインドネシアが貢献しています。王さんを手玉に取った正岡というアジア担当課長が頑張ってくれまして」
加賀が武田の顔を見てニヤッと笑った。
武田はその反応を見て腹の底を読まれたか、と思ったが、久保は気がついた様子もなく、うどん屋での会話を思い出したようだ。
「ああ、あの正岡君が頑張ったのか」
作戦成功だ。が、武田は二歳年下で高卒の加賀が気になった。黒岩に心情的に近いのでは、と心配したのだ。
決算報告が終わると武田は加賀に声を掛けた。
「加賀さん、笑ったね」
「大丈夫です。黒岩さんに近いと思われるかも知れませんが、経理は中立です。業績を上げるための協力は惜しみません」
武田はそれでも気掛かりだ。黒岩に御注進されたら大変である。サラリーマンは皆人事で動く。自分に靡かせるには、昇進という果実をちらつかせるに限る、と思った。
「一言言っておくが、俺は野村さんの後押しで、事業部長になったんだ。お仲間の一員に入れて貰ったということだ。君のこともよく頼んでおくよ」
加賀の頬に赤みが差し、顔全体に輝きが表れた。次の瞬間、加賀は武田に向かい、深々と頭を下げた。
13
四月末の良く晴れた日だった。
武田はドーメルの背広を洋服ダンスから取り出した。工場での勤務中は制服の下のネクタイだけがおしゃれポイントだが、今日は本社で事業部長会が開催される日だ。背広とネクタイの色を入念にチェックした。
社長以下の役員も出席する会議に遅刻は厳禁である。いつもより早めにタクシーで昭島駅に向かった。
会議後、経理部の動きや雰囲気を把握するために足を運んだ。
常務の久保が武田を手招きして役員室に呼んだ。
「僕は昨日まで名古屋(森山電機)へ行っていたんだ」
森山電機の本社は戦前に会社を設立して以来、名古屋市の中区にある。
「何か特別なご用件でも?」
「森山電機グループの経理責任者会議に出席したんだよ。この会議は毎年五月中旬の決算役員会に先立って、各社の経営状況を把握する目的で開かれているんだがね」
「何か面白いお話がありましたか?」
「あったさ。僕はこの会議の目玉に、ゼネラル・オーディオ事業部に焦点を当てて説明したんだ。名古屋がラジカセで大赤字を出したことを知っているからね。
会議の後で、名古屋の経理担当副社長が、ラジカセで利益を出しているそうだね。うちは赤字だ。なんか秘訣でも、と声をかけてきたんだ」
武田は嬉しくなった。
「それは、それは」
「それで、僕がインドネシアで稼いでいますと答えたら、インドネシア? うちの現地法人もラジカセを売っているが、大赤字だ。どうなっているのかな、と聞いてきた。
久しぶりに教えることが出来た、と思って調子に乗ってね。マーケット・シェアーが七割で、何でも香港の王さんを外して直接取引を始めたのが、利益増に繋がっているようです、と言ってやったんだ。
副社長は目を白黒させていたよ」
「それは面白いですね」
「その後で、あの王さんを外して大丈夫か、何時ごろの話だ、と心配そうに聞いてきたんで、五年ほど前の話です、と答えた。
そうしたら、五年もばれていないのか、中国人のネットワークも噂ほどではないようだな。
そいつは面白いや。それで、王さんを外したのはどんな男だ、と興味津々だった」
武田はぞくぞくしてきた。
「はい、はい」
久保は笑みを浮かべた。
「ゼネラル・オーディオ事業部のアジア担当課長です、と言ったんだ。
副社長は、課長が? クレストでは課長に、そんな権限を与えているのか、と驚く事頻りだったよ。その後で、副社長は森貿(森山電機貿易)のインドネシア担当に発破を掛けなくちゃ、と言っていた」
武田は噂が瞬く間に森山電機グループを駆け巡るに違いないと確信した。
14
昭和五十三年の第二次石油ショックは、人口の多い産油国にも大きな恩恵をもたらした。
急増した外貨準備高を背景に、アフリカ大陸最大の人口を有するナイジェリアが、電気製品の輸入を再開した。
正岡はナイジェリアへ頻繁に出張し始めた。
この国の不衛生さは大市場の中では、群を抜いていた。北部の都市カーノでは、マーケットの溝という溝に人糞がたまっていた。
トカゲが異常に多い。餌となるハエが人糞で大発生しているからだ。
当時の首都ラゴスでも、二流ホテルにでも泊まろうものなら、何時断水するか分からない。正岡は歯磨き中に水が止まり、やむを得ず口の中に残ったものを飲み込んだことがある。
一流ホテルでも、エアコンが常に利いているとは限らない。エアコンが止まると、その暑さは凄まじい。ドアを開けて眠れば、物が盗まれる。チェーンを掛けてドアを開けると、多少涼しいが、蚊は入り放題になる。マラリア予防の錠剤は必需品だ。
昭和五十四年一月中旬、正岡が乗った飛行機は朝早くラゴスに到着した。
空港の到着ゲートでは案内放送がある。東京クレストの名前を呼んだと思って、案内嬢に確認するが、「呼んでない」と答える。その内に、スピーカーがはっきりと「東京クレスト」と告げている。
再び案内嬢に「誰か来ているのか?」と確認する。
彼女の指差す方向を見ると、みすぼらしい身なりの現地人が立っている。
思わず彼女を振り返るが、「大丈夫だ」と保証した。
念のためにどこの社員か、と聞くと「東京クレストナイジェリアの社員だ」と返事をする。
「お前のボスは誰か?」と問えば、「日本人だ」と応答する。受け答えに、そつがない。
だが、東京クレストはナイジェリアに、現地法人なぞ作っていない。この現地人を追い払った。
うっかり迎えとやらの車にでも乗ろうものなら、身ぐるみ剥がれたに違いないと身震いした。
ラゴスからの帰途、シンガポールに立ち寄った。白文徳が了解を求めた。
「ナイジェリアから引き合いが来ている。売っていいか?」
アフリカ諸国に販売ルートを持つ印僑(在外インド人)が、数多くシンガポールに本拠を構えている。
正岡は市場急拡大期の販売戦略は、販売チャンネルを同業他社より多く持つ事だ、シンガポールの中継貿易を利用しない手はないと、OKを出した。
約一年後、ナイジェリアでクレストはナンバーワンブランドの名声を享受し始めた。特に六インチ、九インチの楕円スピーカー付のモデルが電気店の店頭を埋め尽くした。
ナイジェリア市場での躍進、中近東市場の拡販実績を背景に、正岡は山友商事の安田社長に代理店網見直しを迫った。
山友商事にとってラジカセは最大の商品に成長していた。
安田は正岡の要求を聞き入れ、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦等主要国の代理店を変更した。東京クレストは業界屈指の販売網を手中に収める事が出来た。
数々の実績を背景に、正岡は自分の前途は洋々だ、と思い込んだ。
昭和五十年代初頭まで、東京クレストのビデオ事業部は万年赤字で、常に事業廃止の瀬戸際に立たされて来た。
経営陣が事業廃止に踏み切らなかった最大の理由は、ビデオ事業の将来性とゼネラル・オーディオ事業部が安定的に稼ぎ出す利益であった。
昭和五十二年、そのビデオ事業部が新機種の開発で、一躍表舞台に躍り出た。日、米、欧だけでなく、アジア、アフリカ市場からも注文が殺到し、昭和五十三年、五十四年と倍々ゲームのように売上を伸ばした。
ゼネラル・オーディオ事業部は長年維持してきた輸出トップ事業部の座をあっさりと明け渡すことになった。