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怒りを以て武器と為し、恐怖を与えて平定す。此れ即ち人類最後の赦し也

作者: 多里弥翔馬

プロローグ


 人類は知った――蹂躙される恐怖を――

 

 数の暴力でも抗えぬ――圧倒的力を――

 

 力に対抗するには相応の能力が必要――

 

 編み出したるは人間が個に持つ能力――

 

 

 すなわち――『感情』――




第一章


 四月――

 春麗らかなるこの季節。学生にとってはつい最近、六年ないし三年、つき合った仲間と別れたばかりだというのに、初っ端から新しい仲間と出会うことになる。

 俺が通い始める壮黎学園高等部も例外ではなく、もう次なる土地でスタートを迎えていた。

 今は学園長なる人の良さそうなおじさんの挨拶が終わるころだった。

『――ではこれで私の話を終わります。皆さん、良い学園生活を送ってください』

 たっぷり十分以上、体感では倍にも感じる御高説が途切れ、八割ほど埋まった大講堂のあちこちで安堵のため息が零れていた。五百人収容の八割、四百人ほどの生徒が高等部と中等部、合計の人数だった。

 それが、東京市で唯一存在する対魔物専門機関『壮黎学園』である。

『次は生徒会長のお話です』

 スピーカーから聞こえてくる女性のアナウンスにより、舞台袖からひとりの少女が歩み出す。

 本当に小さかった。遠くからなので目算でしかないが、身長百四十あるどうか、というところ。それ以上に目立つのは、真っ赤な髪。さすがに染めているのだろうが、校則にないのだろうか? その赤髪の先をゆるふわカールでまとめ上げるのも印象的だが、やはり一番は……

「ちっさ」

 思わず声に出てしまった。もちろん小声だったはずで、大講堂の真ん中あたりに陣取る俺から舞台を歩く少女に聞こえることはないと思ったのだが……袖から演説台まで歩を進めるあいだ、一度だけちらっと全生徒を見渡す。その視線が一点に止まった、つまり俺のところで。……いや、気のせいだろう。いくら静まり返っているとはいえ、距離的に無理がある。

 そう思っている間にも少女は台に辿り着き――の直前に、黒子っぽい恰好をした何者かが木箱を抱えささっと出てきて、台に一瞬隠れ、またささっと袖に引っ込んで行ったのも気のせいだろう。当然の如く、木箱はもう抱えていない。

 そして少女は話し出す。

『みなさん、おはようございます。はじめましての方もいらっしゃいますので、自己紹介をさせていただきます。この壮黎学園で生徒会長を務めさせていただいております、武城茉璃と申します』

 なんかものすごく堅苦しい生徒会長だった。見た目の愛らしい姿とは裏腹に、その後も先の学園長と同じような話が続く。だがなぜかはわからないが、全体的な張りつめた空気はない。微笑ましいものを見るような、始業式には似合わない雰囲気が漂っていた。

 が、編入生である俺にとっては事情がわからないので、演説中は気怠く、大半を聞き流していた。だから、少女の最後の一言を聞いたときは声が上擦ったのは仕方のないことだ。

『――以上で生徒会長からの話を終わります。あっ、あと最後に……高等部一年Cクラスの宗多利人くん』

「は? ……はひっ?」

 二秒間呆けたあと、さらに上擦った声でほぼ全生徒の注目を集めてしまう。

『後日、生徒会室に呼び出しさせていただきますので、覚悟のほど、よろしくお願いします、ね?』

 最後にひとつ、満面の笑みを入れると、一礼をして壇上から舞台袖へ下がっていった。

『え……っと、で、ではこれで壮黎学園第六回始業式を閉幕します。生徒の皆さんは各自の教室に戻り、担任の指示に従ってください』

 再び、進行役の女性の声がスピーカーから流れると、俺に集中していた視線は一斉に外れ、後方にあるドアに近い生徒から順々に退室していく。それを目の端で感じながらもたまたま真ん中の席に座っていたため邪魔にはならず、不本意ながらも存分に呆けていた。

 と、後ろから肩を叩かれ、意識が呼び戻される。

「えっと、ソウダリヒトだっけ? なんか事情はわからんが、敵にまわしちゃならん人を怒らせちまったな」

 振り向くとそこには、明らかに洗髪に失敗したであろう半茶髪の生徒がいた。

「ん? ああ、オレか? オレは山崎大地。武城会長の話通りだと、お前と同じ一年Cクラスな」

 第一印象チャラ男、とまではいかないものの少々軽薄そうなやつだと思った。だが、別にそこまで悪い雰囲気を放つ男ではなさそうだ。純粋ゆえの興味津々キャラっぽい。

「で、なんだ?」

「そうツンケンすんなって。とりあえず教室に行かないか、って話だよ」

 親指でドアを指す山崎大地に従って周りを見渡すと、すでに大半の生徒が動きだしており、大講堂の前方に座っていた中等部の中にも退室する者が出始めていた。このままの流れだと明らかに出遅れそうだったので、彼の言葉に従うことにし席を立つ。

「で、お前、会長に何したんだよ?」

 教室に行くのは初めてなので、いろいろ聞かれることを覚悟の上で案内役を頼んだのだが、早速だった。

「心当たりはねぇな」

「そんなわけはねぇだろ。あの天真爛漫な会長さんは他人を悪意に満ちた目では絶対に見ない人だぞ? その人があんなに怒ってたんだから、お前が何かしたはずだ」

 そんなこと言われても知らないものは知らない。

「やっぱりあれ怒ってたのか……でも害悪が目的じゃねぇんじゃねぇの?」

「ん~まぁそれなら可能性もなくは……いやでも、わざわざ始業式の最後に言うんだぜ? ほんとに心当たりねぇのか?」

「ねぇよ。だって俺編入生だぜ? 何かをする暇もねぇっての。……まぁ一つ言えば会長が出てきた時に『ちっさ』って言っちまったことくらいだけど……でもあんな距離で聞こえるわけが――」

「あちゃ~やっちまったか」

 彼は手の平を額に当て悔しそうな表情をするが、いまだに事情はわからない。

「なんだ? 何の話だ?」

「……この学園で生きていくなら絶対に気をつけなければならないことがある。その一つが会長の背の話に触れないことだ」

 なんだそれは? 学園の不思議や星が入ったボールみたいに七つあるのか。

「いや、俺編入生だから知らないし、第一俺の席から舞台までとても小声が聞こえる距離じゃ……」

「ばっか、お前知らないのかよ? あの人はこの学園唯一のAクラスなんだぞ?」

 馬鹿とはなんだ馬鹿とは。一言前に知らないって言ったばかりじゃねぇか。

「いいか? Aクラスってことは悪魔クラス。悪魔ってのは地獄に住んでて……」

「要するに会長は地獄耳だ、って言いたいのか?」

「言いたいんだから、先に言うなよぅ」

 泣きながらも肯定の意を示す。もはや泣きつくレベルだが。ご丁寧にハンカチまで取り出している。

「お前、ちゃんとハンカチ持ち歩いてるんだな」

 俺の何気ない質問に山崎は泣き止んで手に持っている物をかざす。

「これか? これはFWだけど?」

「おまっ、そんなことに使っていいのかよ……」

「いいって、いいって。練習だよ、練習。いざって時に取りこぼしてたらみっともないぜ?」

 そう言って元の携帯端末ほどの大きさに戻し腕のホルスターにしまう。確かに使い込むほど道具は応えてくれるとは言うけどな。

「お前は感情豊かそうだから、無駄に使い込まれてそうだな」

「無駄とか言ってんじゃねぇよ。無駄かどうかは、戦いになったらわかる」

「まぁそうか。そのための養成機関だし」

 壮黎学園が他の学校と違うのは、このFWにある。

 正式名称は『感情によって不可能な変化をする物質』だったか。とある戦争中にとある科学者が生み出した、特定の存在にしか通用しない武器となる。FWとは、感情により移ろう武器――フィーリングウェポンと、前線に立って戦う者――フォワードの両方の意を含む造語だ。

「にしても、会長、とても堅苦しかったけど、ああでもしないと悪魔クラスにはなれないのか」

「あれは式典だから儀礼みたいなもんさ。学園で過ごしてれば色々とわかるようになる」

 ふ~ん、と相槌を打ちながら、先程の姿を思い出す。確か彼女はホルスターを右脚ふとももに付けていた。右利きだろうか。山崎は右腕、そして俺は左腰に巻いている。それは利き手や選んだ武器によって変わってくるので、一概に正否は問えない。

 と、不意にか細い声が近くから上がった。

「……兄さん」

 大講堂と教室がある校舎は別塔で、二つは渡り廊下で結ばれている。その廊下を渡りきったところで陰から声を掛けられたため、山崎は声の主を探すのにきょろきょろとしていた。が、俺は三年ぶりに聞くその声に反応し、すぐにその場に佇む少女に目がいった。

「おう、柴乃か。久しぶり。相変わらず髪長いな。前髪で顔がわかんねぇよ」

「……ええ、お久しぶり。兄さんも変わらずね」

 軽く挨拶を済ますと、ようやく主を見つけた山崎が割って入る。

「………………」

 が、無言のまま、固まっていた。俺と柴乃を交互に見やり、魚よろしく口をパクパクさせている。

「……昨日の夕方、荷物が届いていたわ。一応リビングにまとめて置いているから、早く片付けてね」

「悪ぃな。編入の手続きが思いの外、手間取っちまってよ」

 ちらり、と山崎に視線を送りながらもマイペースに会話を続ける柴乃に従って俺も返す。

「……じゃ、先に教室に行くわ。帰り、校門のところで待っていて。家まで案内するから。まぁもっとも生徒会長の呼び出しが今日でなければ、だけれど」

 確かに『後日』とは言ったが、今日ではない、とは言っていない。今から校内放送で呼び出されてもおかしくはないが……大丈夫だろ。

 と、まったく根拠のない自信を持っていると、『それじゃ』とだけ言い残し、彼女は去っていった。

「相変わらず暗いなぁ。まぁ一緒にいたのは一ヶ月くらいしかないけどさ」

 などと独りごちていると、いきなり胸座を掴まれた。

「おい、宗多? お前、間宮さんとはどういう関係……どぅわ?」

 咄嗟に防御本能が働いてしまった。胸座を掴まれながら後ろに体重移動させ、山崎の足を払いつつ、横に引っ張り倒す。ここ数年メジャーになった護身術だが、もちろん床に叩きつけるまではせず、彼の体勢を崩すだけにとどめた。

「なんなんだ、いきなり……どういう関係も何も、柴乃が俺を『兄さん』と呼んだのが聞こえなかったのか?」

「それは聞こえてたけども? そういう話ではなくて……のわっ?」

 それでも突っかかってくる彼にもう一度同じ、倒す方向が左右逆の技をかけてしまう。咄嗟に、だよ? 咄嗟に。

「あいつは義妹だよ」

「いもうと、だと……。ならなぜ、名字が違う?」

「柴乃が父親の連れ子だからだが、この学園でも間宮で名乗っているのは、再婚話が入学の直前で、手続きが間に合わなかったから、って言ってたかな」

 俺もそこらの詳しい事情を完璧に把握しているわけじゃないが、母からそう聞いた。だから、義兄弟になって一緒に暮らしたのは中学入学前の一ヶ月程度しかない。

「でも……でも! 家に案内する、って言っていたぞ? まさか、一緒に住むのか?」

「義兄妹が一緒に住んで何か不都合があるのか?」

 いやしかしだな……といまだに反論点を探そうとする山崎を置いて先に歩き出した。まだ柴乃は遠目に見える。同学年であるし、義妹の後を追えば教室にもたどり着けるだろう。

 追い始めた時、零れ日のような光の筋を見た気がするが、それを一瞬で原因まで突き止めるには至らなかった。


 壮黎学園の校舎は出来てまだ六年目。当然真新しさがところどころに見受けられ、全体的に白を基調としており、ナノリウムの床もきゅっと心地よい音が鳴る。校舎は正門から見ると横に長い長方形、右に中等部、左に高等部の教室、それぞれ一階が一年、二階が二年、三階が三年と分かれている。そのさらに左に大講堂の――入り口が見える。上空から観察すると、校舎と大講堂や図書室が入った別塔はL字型になっており、くぼみにグラウンドやテニスコートなどがある。

 実にわかりやすい構造をしていた。よって、特に案内役は必要なかったのだが……場の流れかな。一人ぼっちの寂しがり屋が声を掛けられて有頂天、といったところか。

 その案内役を薄情にも置いてきぼりにし、一路教室を目指す。が、ものの数秒で着いてしまった。引き戸を開け、中に踏み込む。

 と、瞬間静まり返る教室内には、パッと見て八人ほどのクラスメイトが席に座っていた。一クラス単位の人数が少ないので、教室もそれに合わせるような大きさ。頑張っても二十人入れるかという広さに、十人分の机と椅子が並べてあった。残り二つが俺と山崎だとすると、どちらだろうと周囲をぐるっと見渡すと、黒板に一枚の紙、そこに席順が記してあったので従い席につく。

 一分ほどしてようやく山崎も入室、空いていた残りひとつの席に陣取った。

 今朝、やっと最寄り駅に着き、そのまま直行する形になったので、とりあえずの手荷物は駅のロッカーに預け、すかすかの学生カバンのみ持ち込んだ。それを机の横のフックに掛け、暫し待つ。程なくして担任と思しき教師が引き戸を開けて入ってきた。

 ビシッとスーツで決めており、スタイルの良いボディラインはより強調されている。黒縁の眼鏡をかけ、黒のストレートヘアは腰まで届いているだろうか。いかにも厳格という雰囲気を醸し出す女性であるはずなのに……前髪を止めている赤のヘアピンが異常に可愛らしく感じた。

「今年も高等部一年Cクラスの担任になった、藤林南波だ。中等部から通っている貴君等は何度か授業を受け持ったことがあるので知っている者も多いだろう」

 教壇に立ち朗々と喋りだす藤林先生はやはり厳格というイメージの方が強かった。

「貴君等は私を知っている。私も貴君等のほとんどを知っている。だがこのクラスには編入生がいるのでな。自己紹介でもしてもらおうと思うが……どうだろうか、宗多?」

 年度の始まり、クラス替えなどを行った時など互いの自己紹介をやり直す、という場面が度々あるが、まさか俺だけとは。が、まぁ文句も言っていられまい。第一印象が大事(すでに致命的なものを背負っている気がするが)なので、俺という人間をアピールするにはちょうどいい機会だ。

 そう考え、立ち上がり自己を紹介――

「皆さん、はじめまして。俺の名前は――」

「ああ、待て、宗多。前に出てしてくれ」

 ――しようとしたところで、先生に止められた。

「貴君の字は珍しいからな。音だけでは覚えにくいだろうから、黒板に書いて皆に示してくれ」

 まぁ、一理ある。文字もそうだが、音も珍しい方だと自覚しているので、素直に自席から教室前方へ向かう。黒板にチョークで『宗多利人』と書いたところで、もう一つ先生から注文があった。

「うむ、では始めてくれ。氏名・年齢・職業・家族構成・愛用している靴のメーカー・好きな異性のタイプ、こんなところか? ああ、あとひとつ。今までで一番恥ずかしかった体験を大声で暴露したまえ」

「………え?」

 もはや、注文一つというレベルではない。てか、むしろ自己紹介の範疇を超えている。

「聞こえなかったか? ではもう一度言うぞ」

「あ、いえいえ、聞こえなかったわけではなく、耳を疑っていただけです。なぜそこまで言わなくてはならないのか、と」

「ふむ。理由は一応あるぞ。いずれ誰かから強制的に発覚するより、自主的に暴露してしまった方がキズは浅かろう」

「発覚すること前提ですか。すでに強制的だと感じるんですが……せいぜい将来の夢とかでしょう?」

 俺の反論をどう受け取ったのか、藤林先生は暫し考え込むと再び口を開いた。

「では、それも追加しよう。年齢と職業は省いてやるから、夢も一緒に紹介してくれ。恥体験も忘れずにな」

「……それは絶対なんですね」

「ここではな。というか私のクラスではな。世間一般がどうとかは知らん。ここでは私がルールだ」

 横暴にもほどがあるが、口答えしてさらに増やされても面倒だ。覚悟を決めるしかないらしい。

「……ええと、はじめまして。宗多利人といいます。家族は地元に両親が健在で、今はこの学校に義妹も在籍しています。えっと、靴のメーカーはそうですね……まちまちですが、アデダス製品が多いでしょうか。で、好きな異性のタイプ? うぅ……家庭的な娘? 少なくとも料理ができることが最低ラインですかね。将来の夢は、この学園に入ったからには、人類世界の解放ですか」

 ここで俺は言葉を切った。紹介項目は残りひとつであるのに、そのひとつが最大の壁として立ち塞がっていたためだが……もちろん理解している上で、先生は俺をおちょくってくる。

「どうした? あとひとつだぞ」

「……本当に言うんですか?」

「仕方ないな。では無事に暴露出来たら、褒美に優先権をやろう」

「優先権?」

 そこで先生はにやりと笑った。何を企んでいるんだ?

「貴君が指名した生徒に、同じことを言わせられる権利だ。これは強制ではなく、自分の権利を行使しただけだから何の問題もあるまい?」

 なるほど……恥ずかしいのは俺だけではない、という話か。確かに人間という生き物は同意者がいればいるほど、つけあがるものだ。今回は威張れるものではないが、道連れという考えもありなのかもしれない。そう無理やり納得し、ちらっと教室全体を見渡すと、素晴らしい連携で全員が全員、目線を伏せたりあらぬ方向へ飛ばしていた。

「が、まぁそれも貴君が言えたら、の話だ。まず自分が踏み込まねば、誰もついて来ぬぞ?」

 なんか丸め込まれているような気もするが、後々味方を得られるのならば、一時の恥くらいどうということはない。抗う理性の最後の砦を、意を決して打ち破ると、息を吸った。

「今までで一番恥ずかしい体験は……小学校五年の時、同級生のルリちゃんに告白してフラれ、次の日には全校生徒がその出来事を知っていたことです!」

 一階のホームルーム中の一年生、ともすれば真上の二年Cクラスまで聞こえているんじゃないか、という音量で声を発していた。

 言い切った後は、将来の夢とか吹っ飛び、『なんかもう世界とかどうでもいいや』という気分に浸っていたが、隣に控えていた先生の忍び笑いが俺を引き戻した。

「くっくっくっ……小学校五年、というとまだ侵略ギリギリ前か。実に、小学生らしくていいじゃないか。その娘も家庭的だったのか?」

「い、いや、その頃はまだそんなこと考えてませんよ……」

 改めて指摘されると色々な気恥ずかしさが舞い戻ってきた。今鏡を見せられると、真っ赤な顔面の自分が映っていることだろう。

「まぁよく言い切った。貴君は今、自分で恥ずかしさの壁を破ったのだ。これからは何でもできるようになるだろう。試しに全裸で校庭を三周してきたまえ」

「行きませんよ、絶対に! それはもう恥ずかしさとは無縁の領域です」

 出会って数分……もうこの藤林先生が掴みどころのない人だと理解した。

「くっくっくっ……まぁいい。さて、ちゃんと言い切ったことだし、誰かを指名してもいいぞ」

 そうだった。俺には道連れという褒美があったのだ。もう一度、ざっと教室内を見渡す。先と同じく、連携技が発動し全員視線を逸らしていた。さて、誰に当てようか、と思案するも俺はこのクラスの九割を知らない。となれば、数十分前とはいえ知り合った奴に意識はいく。

 その奴、山崎に目を向けると、意外にもこちらをまっすぐ見返していた。いや、まっすぐではない。俺を見ると左、俺を見ると左、を繰り返している。そして山崎が左を向く、ということは俺の右側、つまりは――藤林先生を指しているものとみた。そこで俺もピンときた。そう、これは権利を行使するだけだ。決して軽い復讐とか考えているわけではない。

 そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと先生に対峙する。

「では、藤林先生を指名します」

 途端、教室内に溢れる安堵のため息。視界の端では山崎が小さくガッツポーズしているのが見えた。お前の意志は受け取ったぞ。

「私でいいのか?」

「はい。むしろ先生がいいですね。では氏名・年齢……は飛ばして、愛用のカバンのメーカーや将来の夢、好きな異性のタイプ、そして恥体験を大声で暴露しちゃってください?」

 さあ、どうぞ! という風に両手を室内に向けて広げる。が、先生の答えは簡素なものだった。

「もう皆知っていると思うだがな。私の名前は藤林南波だ。以上」

「………へ?」

 あまりにも早く終わった自己紹介に、呆けた声が出てしまう。

「ちょっ、先生、どういうことですか?」

「なんだ? 強制力はないと言ったはずだが?」

「いや、そうですけど? 権利を行使しているのですから、受けてもらわないと」

「ああ、その話か」

 と、もう一度忍び笑いをした先生は、驚くべき言葉を発した。

「貴君はちゃんと私の話を聞いていなかったようだが、私は『指名した生徒に』と言ったはずだ。貴君からみて私は生徒に見えるのか?」

「……いえ、見えません」

 絶句とはまさにこのこと、と言わんばかりに言葉が何も出てこなかった。

「それともう一つ。時間も時間だし、貴君の指名権は破棄させてもらう。これはルールである私が決めたことだから文句は言わせんぞ」

 なるほど、今理解した。なぜ皆から安堵のため息や山崎のガッツポーズが生まれた訳が。もう自分には回って来ないからだ。おそらく通過儀礼のようなもので、幾度か繰り返された行事の一つなのだろう。編入生としての洗礼を受けたのだ、と無理やり自分を抑え込まないと、哀しみか怒りでFWが暴走しそうだった。

 促されるまま席に戻り、半分放心したまま話を聞いた。前から渡されたプリントも流れのままに自分の分を取り後ろに渡す。

 そのまま数分か数十分か経った、という頃になって、今日何度目かという驚愕が舞い込んできた。乱入者、いや闖入者の来訪である。

「こんちわ~、っとここ南波ちゃんのクラスか」

 元気いっぱいの声音で入ってきた闖入者は、先ほどの演説とは打って変わった雰囲気を醸し出す武城生徒会長だった。

「武城、変なあだ名は止めたが、先生をつけろ、と言わなかったか?」

「まぁまぁいいじゃん。南波ちゃん先生、ってのも可笑しいしさ」

「ちゃん、を止めればよかろうに……」

 すごい。俺が一瞬で厄介だと理解した藤林先生を軽くあしらっている。これが会長の天真爛漫モードか。

「で、何しに来た? 武城」

「あ、うん。このクラスの編入生を呼びに来た。宗多くんは、えっと……君だね?」

「え、あ、はい」

 思わぬ指名に反応がたどたどしくなってしまう。というか、教室内の生徒十分の一をぴったり当てるなんて、この人もしや全校生徒の顔を覚えているんじゃないだろうな。

「君を呼び出すの今日に決めたから、今から生徒会室にレッツゴー?」

「は? え、ちょっ……」

 会長はスタスタと近づいてきて躊躇いもなく俺の腕を取ると、引っ張り上げる。がしかし、身長が身長だけに腕だけが上がる一方で、身体は座ったままだった。

「武城、まだホームルームが続いている。後にしろ」

 すかさず先生が助け船を出してくれる。この場合、助け船となるのかは定かではないが。

「でももう、伝えるべきことは伝えたんでしょ? なら、いいじゃない。っていうか、その時間を狙ってきたんだし」

「はぁ……相変わらず自由なやつめ……」

 藤林先生を翻弄するとは大したやつですよ、会長ってのは。

「まぁいい。宗多、特別に早退を許すから武城についていけ」

「はぁ、わかりました」

 俺を引き留める最初で最後の牙城が崩れ去った。

「ほらほら、南波ちゃんの御許しも出たことだしぃ、早く行くよ~」

 もうあとは腕を引かれるがままだった。プリントを持つ右手を封じられていたので、立ち際に左手でカバンを引っ掴む。早く早く、とせがまれるのは、妹を連れてどこかへ遊びに来た兄のような気持ちになったが、義妹はいるがこんなにも懐かれた記憶がないので、やっぱりわからない。

 失礼します、もろくに言えずに閉まりかけた引き戸の隙間から最後に見た光景は、呆けたままの九人のクラスメイトと、やれやれと首を振る先生の立ち姿だった――


 行先は生徒会室、と分かっていながら、その生徒会室がどこにあるかも知らないので、ただ会長について行くだけ。しかし、今は腕を取られているのではなく、なぜか手を繋いでいた。その道すがら――

「宗多くんさぁ、大講堂であたしのこと『ちっさ』って言ったでしょ?」

「ぎくっ」

 わざわざ声に出してしまうほど、ピンポイントな詰問だった。

「な、なんのこと……」

「嘘ついたらもっと重い刑に処すけど……いい?」

「よくはないです。すいませんでした?」

 手を繋いだまま器用に頭を下げる。っていうかなんだ? 軽い刑ならあるってのか?

「素直な後輩、っていうのもいいけど、もうちょっと反抗してくれた方が面白かったのになぁ」

 なんなんですか、もう……俺に何を求めてるんですか? とは言えず、哀しみと呆れの涙を流しながら引っ張られていく。

「そういえば、生徒会室ってどこにあるんです?」

 今はちょうど一階から二階へ上がったところ。だが、その階では止まらずさらに上への階段へ足を掛ける。

「この校舎が左右で中等部高等部に分かれてることは知ってるよね?」

「ええ、それはまぁ」

 それくらいはパンフレットで確認済みだ。が、生徒会室を見落としていたのは、ただの失態。

「そのちょうど真ん中に位置するのが、委員会室なの。一階が風紀委員室で、二階が保健委員。で、三階が生徒会ね。厳密にいうと、生徒会は委員会とは言わないのかなぁ?」

 なんか自問自答し始めた武城会長。

 まだ学園のすべてを把握したわけではないので、はっきりしたことは言えないが、正門から見る限り、この本校舎が普段から生徒の利用する場所が集まり、渡り廊下で繋がっている別塔に特別な行事で使用するような大講堂やその他の特別室があるのだろう。

「あ、ちなみに風紀委員が一階にあるのは、登下校を見張りやすくするためね。別に何か問題があるわけでもないのだけど、恐怖政治ほど上がやり易いものもない、ってことよ」

 ふっふっふっ、と可愛らしく不敵に笑う会長。全然迫力がなかった。こういう面も生徒の人気を集める所以だろうか。

 と、先程、気になったことを質問してみる。

「武城会長はもしかして、生徒全員の顔と名前を憶えているんですか?」

 二階と三階のあいだの踊り場で立ち止った会長は、くるりと振り返り、きょとんとした表情で告げた。

「当たり前よ。生徒の長たるがあたしなのよ? すべてを把握してないと意味ないじゃない」

 それを威張るでもなく、さも当然のように話す武城会長。確かに、こういう人は好かれやすい。恐怖政治とか言っていたが、恐怖を与えている、と勘違いしているのはおそらくこの人だけだろう。生徒は皆、いや、先の反応を見るに教師も含め、この会長には頭が上がらない。むしろ嬉々として従っている様にさえ思う。

「さ、行くわよ」

 そう言って再び俺の手を引いて階段を上りだす。

 この小さな掌が壮黎学園のすべてを包み込んでいる。見た目だけで好かれ中身を知ると離れていく関係や、見た目はイマイチだけどいい人なのという繋がりがそれこそパターン化された世界で、外面内面ともに好かれる人はもはや希少価値。そんな彼女に人類の未来が一身に託されているかと思うと……感慨深くなり、思わず握る手に力を込める。

「? な、なに?」

 俺はほぼ無自覚の動作だったため、途中で止まった会長にまたもやすぐに反応できなかった。

「……はっ! いや、これはですね……この学園が会長の力で成り立っているのかと思うと、すごいなぁという感心とか、さすがだなぁという尊敬とか、自分が支えてあげたいなぁという素直な気持ちとかが出てきまして…………」

 二人してたっぷり十秒以上は固まっていただろうか。

 俺は自分で何言っているのか自覚がないし、その言葉に目の前の会長はみるみる頬を紅潮させていくしで、この場だけ時が止まってしまったかのように錯覚した。

 と、不意に会長が手を離したことにより、時の魔法は解ける。

「あ、あはは……何言ってるかな、この後輩は……もう、そういうこと言ってると、本気にしちゃうゾ?」

 きゅるん、という可愛らしい擬音が出そうな仕草をすると、一目散に階上へ消えていってしまった。残された俺はその後も立ちつくし……と、ちょうどいいタイミングでホームルーム終了のチャイムが鳴り響き、本格的に魔法が消え我に返ることができたので、会長を追って三階へ上がる。

 階段から廊下へ曲がると、三年生が教室からぞろぞろと出てきていた。その中を進むのは多少勇気が必要だったが、なんとか自分を奮い立て先へ歩く。途中、いくつかの視線を感じながらも進むと、高等部Fクラスの教室前の少し先に、グラウンドに面する窓から外を見やる会長を見つけた。

「……武城会長」

「ん? おう、やっときたかね。待ちくたびれたゾよ?」

 声を掛けられたことに気付くと、わざわざくるっと一回転してこちらを向いた。どこの方言ですか……それ。

「ささっ、ここが生徒会室だ。入りたまえ」

 そう促す彼女の手の先には、教室と同じような引き戸があった。そこ、開けてはくれないんだな。

 まぁそこまで甘えるわけにもいくまい、と覚悟を決め取っ手に手を掛け、一気に横にスライドさせた。

 するとそこには――

「………………」

 ――誰もいなかった。てっきり他の役員が待ってくれているものと……いや、そこまでは期待しすぎか。

「あれ~? まだ誰も来てない? ホームルーム終わる前に抜け出すように、って連絡したのに~」

「いえ、この場合、会長の方がイレギュラーでしょう……」

「うぅ~……なんだよ、なんだよ、もう!」

 この身長だとどんな仕草も可愛くみえる会長に続き、俺も生徒会室に足を踏み入れる。

 二十人限界の普通教室をさらに半分にしたくらいか。事務的な机が奥の窓際に一つ、少し離れて四つの机が二つずつ向かい合うように並ぶ。おそらく窓際の机が会長席だろう。その予測は間違いではなく、武城茉璃はたったったっとリズムよい小走りで椅子に座った。

「ささっ、君の席はそこだよ」

 そう言って会長から見て右手、ドアに立ちっぱなしの俺から見て左手手前の席を指す。

「俺の席って……どういうことですか?」

「まぁそういう質問も出るよね。会長、まず説明してあげないと」

 首を傾げる俺の後ろから突然声が上がったので、なぜか必要以上にびくっとしてしまった。

「あ、ダイテンくん。遅いよ~」

「これでもホームルームが終わってからすぐに来たんですよ」

 言いながらも俺の横をすり抜け、ドアから右側の奥の席に座る。

「だから、抜け出してくるように言ったじゃない」

「それが許されるのは会長だけです……」

 それは肯定します、と先輩らしき男子生徒に心の中だけで頷く。と、さらに後ろから押されると同時に新たな女の子の声。

「すいませ~ん、わたしは抜け出してきたんですが、部室棟に寄ってきたので遅れましたぁ」

「……テルテルも十分自由だと思うんだけど?」

 会長と似たような元気な声音だが、会長が天真爛漫なのに比べて、少々狙ってやっている感じがする。まぁ一言だけで判断するのも無理があるが。

「さぁさぁ、こんなところに突っ立ってないで、入った入った」

 ていうか、後ろから押されているからいまだに顔が見えない。そしてそのまま身体は自動的に前に進み、会長から示された席にすとんと降ろされた。と――

「ナイスだ、テルテル? これでタッタくんも生徒会の一員だ~?」

 会長がいきなり諸手を挙げて叫んだ。

「タッタ……くん?」

 俺が会長の発言に疑問を持つあいだに、俺を押していた女性が隣の椅子をひいて座る。笑顔でこちらに振り向いて一言。

「ところで……君、誰?」

「知らずに部屋に押し入れたんですか?」

 ……いや、一瞬驚いたけど、知らないのは当たり前だ。横に座った茶髪セミロングの女性は初対面なのだから。まぁ今朝、東京市に着いた編入生の俺にとって九十九パーセントが初対面なのだが。

 ネクタイの色から見れば、一つ上の二年生みたいだ。黒の瞳は大きめで人懐っこいイメージがある。身長は俺より少し小さいくらいだが、胸の膨らみは段違いだ。……いやまぁ、当たり前なのだが、それにしたって膨らみ過ぎている気がする。会長が年相応、じゃなく身長相応なので、羨望の的かもしれない。

 その彼女に相対する形で向かいに座る白縁眼鏡着用の男子生徒も二年生だ。秀才然とした、肩口できっちり揃えた黒髪や何もかも見通しているような眼は、自由行動が基本の会長の理解役にはうってつけだろう。副会長っぽい、見た目だけど。

 ちらちらと二人を観察していると、会長が立ち上がり両手を広げ、俺の紹介をしてくれた。

「ふふふっ……何を隠そう、この子が今年から高等部に編入してきた期待の新星、タッタくんなのだよ?」

「だから、タッタくん、って誰ですか?」

「そっか、タッタくんか~」

「納得するんですか?」

「よろしく、タッタくん」

「ちょっ、受け入れんの早すぎです?」

 この生徒会、ツッコみどころが多すぎる……

「……よろしく、タッタ兄さん」

「…………って柴乃? どうしてお前がここに!」

 義妹であるはずなのに、彼女のステルスに気が付かなかった。いつの間にか、俺の向かいの席に佇んでいる。

「やぁ、ミャーノも遅いよ」

「……ごめんなさい。兄さんを呼びに行こうと思ったら、もういなかったから」

「あっ、そっか。ミャーノに頼んでたんだっけ? ついつい先走っちゃったよ」

 あはは、と後頭部を掻く会長。これで生徒会室の全席が埋まった。……生徒会の一員ではない俺はともかく。

 この中で俺が知らないのは二人。いや、三人か……いまだ謎の解けないタッタくんも含め。

「会長……あの、とりあえず俺が呼び出された理由を教えてくれませんか?」

「うん、そだね。じゃあ、みんなの自己紹介から――」

「いやだから、先に理由を……」

「……兄さん、物事には順序というものがあるの。それを守らない人に神秘は答えてくれないわ」

 よく意味がわからない。我が義妹ながら言動に不思議が多々ある。

「ほんじゃま、ミャーノからどうぞ~」

 我が義妹ながら、呼ばれ方も不思議だ。

「……高等部一年Bクラス、ミャーノこと、間宮柴乃。生徒会書記。以上」

「えらい簡素だな」

「……後のことは家に帰ってから教えてあげるわ」

 なんだ? 何を教えてもらえるんだ? ……と期待すべきなのか、ここは?

「呼び出しが今日じゃなければ校門で待つ、ってこういうことか」

「……ええ、そうね。生徒会室で会うなら、わざわざ校門で再度待ち合わせする必要がないもの」

 そりゃ柴乃が生徒会員だと知っていれば、あの時に理解できたことだが、今はどうでもいいことだ。

「さっきから『兄さん』とか『家に帰ってから』とか言ってるけど、二人は兄妹なのかい?」

 眼鏡二年生(名前はまだ(わから)ない)の質問に二人して頷く。

「うちの両親は再婚してますので。手続きが間に合わなくて柴乃は旧姓なんです」

「ええ~じゃあ、ミャーノじゃなくなっちゃった~」

 会長が不思議に嘆き悲しむ。ああ、なるほど。ミャーノとは名前の前後から取ったあだ名だったのか。

「いや、大丈夫じゃないですか? ここでは『間宮柴乃』ですし」

 自然とフォローを入れていた。なんか助けたくなって……俺もすでに会長にメロメロということだろうか。

「……ミャーノもそれでいい?」

「……ええ、いいですよ。会長だけ特別です」

「やった~ありがと、ミャーノ」

 そう言ってミャーノ――柴乃のところへ来て後ろから抱きつく。おっ、義妹が照れている。一ヶ月の間もまったくデレたことのなかった義妹のこんな一面が見られるとは……畏れるべきは会長か。

「じゃあ、次は会計Ⅰさん、どうぞ~」

「い、Ⅰ……わたし、モブキャラっぽくなった……」

 隣に座る茶髪二年生の気がずーんと沈んだのも束の間、すぐに立ち直り、びしっと俺を指差した。

「負けない……負けないんだから!」

「え、え? なんですか……?」

 半泣き(本物かどうか要検証)の状態で、自己紹介をする茶髪二年生。

「わたしは高等部二年Cクラス、松輝照美。生徒会会計、Ⅰ……です。部活はテニス部やってます。よろしく、会計Ⅱくん」

 なんか不穏な単語が聞こえたような聞き流したいような……が、それよりもまずは――

「生徒会役員も部活に入らなきゃいけないんですか?」

 普通の学校、俺の中学校では生徒会と部活は別々というか、同じ立場というか、生徒会の仕事が忙しくて部活に行けない、というのが現状だった。

「一応、身体強化も兼ねてるからね。だからこの学園に文化系の部活はなくて、全部運動系、しかも強制参加。生徒会だろうが風紀委員だろうが関係なく、ね」

 確かにFWだけで彼奴等に勝てるとも思えない。やはり武器は扱う者がいて初めて効力を発揮する。

「タッタくんは中学の時、何部だったの?」

「…………」

「タッタくん?」

「え、俺ですか?」

 松輝先輩が俺の方を向いて知らない人の名前を呼ぶので、数瞬、反応できなかった。いや別にタッタくんに反応したわけではないが、覗き込んでくるのでしかたなく。

「宗多の『ダ』って、多い、って字書くでしょ。だからタッタくん」

 補足説明は会長からされた。これでタッタくんの謎は解けたわけだが……どうやら流れからして、やはり俺のことで間違いないらしい。

「会長のあだ名はよくわからないわ。ちなみにわたしはテルテルね。松輝照美の『輝照』がテルテルと読めるから……」

 解けたとしても受け入れるのは、呼ぶのが会長だから、という理由だけのようだ。

「で、何部だったのさ?」

「サッカー部ですけど」

「やった~新戦力ゲットだぜ~」

 またまた会長が諸手を挙げる。解放された柴乃は……なぜかジト目でこちらを見ていた。察するに、柴乃は違う部活かもしれない。

「会長はサッカー部なんですか?」

「うん、女子のだけどね。しかも男子に全戦全勝中!」

 Vサインでポーズを決める。まじか男子サッカー……まぁ女子でも足元が上手い人はいるし、組織力も高そうだ。身体の差は十二分に埋められる。

 松輝先輩の紹介が終わったところで、武城会長は再び会長席に戻っていった。

「さて、これで今の生徒会メンバーの紹介も終わったことだし。タッタくんにも自己紹介してもらおうかな」

「………………」

 空気が微妙に固まった。ある一点で……言わずもがな、眼鏡二年生のところだけが。

「……会長、誰か忘れていませんか……?」

 絞り出したようなその声は、ある種哀愁を誘い、山崎と同じようにハンカチを作りそうになって危うく抑える。

「ん? ああ、そうか。じゃあ、会長Ⅱさん、はりきってどうぞ!」

 副会長という予測は外れた。まさかの会長Ⅱとは、誰か予想できようか、いや誰にも出来ない(反語)。

「会長Ⅱの犬飼幸太郎だ。部活は卓球部……女子には全戦全敗だ」

 大丈夫かな、壮黎学園の男子……まぁ数年前から女子のスポーツも男子並みかそれ以上に話題になっていたけど、まさかもう抜かすほどとは。

「それより犬飼会長Ⅱのあだ名は何ですか?」

「そ、それより、だと! ……まぁいい。あだ名は、ダ、ダイテンだ……」

「ダイテン……それはまた呼びにくいことで」

「ぼ、僕が付けたんじゃない! 文句は会長に言ってくれ」

「犬飼先輩も会長の一人ですが?」

「うぐっ……僕の役職は副会長だ。さっきは武城に乗っただけだから」

 やはり予測は合っていたのだ。ひと安心したので文句を言う気も失せた。

「だって『犬』も『太』も、『大』に点つけた字でしょ? あんまり名前に揃ってる人見たことなかったから、ついねぇ」

「つい? ついでつけたんですか? 僕のあだ名」

 こくっ、と頷くだけの会長と、がくっ、と項垂れる副会長。これが力の差というものか。

「じゃ、気を取り直してタッタくん。自己紹介をどうぞ~」

 気を取り直せるかは微妙な空気がいまだ漂っているが……会長に逆らってもいいことはなさそうだし、簡単に済ませてしまおう。

「ええ、タ、タッタくんこと、宗多利人です。えっと、俺が会計Ⅱだそうですが……そういえばなぜ会計が二人なんですか?」

「部活が基本的に男子女子両方ともあるからね。テルテルは女子部、タッタくんは男子部を担当してもらうのさ」

「なるほど、そういうことですか。もう完全に決まったことなんですね……」

「うん、そだよ。そこの席に座った時から運命だったんだよ?」

 俺の運命は松輝先輩に握られていたのか。

「部活は、そうですね。中学でもやっていたので、強制というならサッカー部にします」

「うん、それも知ってる」

「まさか!」

 会長のしれっとした反応に驚くが……

「だってさっき、あたしが『ゲットだぜ~』って言ったでしょ? だからあれでもう決定していたんだよ」

 会長はマスターボールを無限個バックに所持しているようだ。バグではなく純粋なチートとして。俺の運命はすべて他人に決められるものだったのか……と、嘆いてみたが、ふとした疑問を口にする。

「そういえば、会長にあだ名はないんですか?」

「あたし? う~ん、だって自分のあだ名を自分で決めるのもねぇ……」

 見れば、松輝先輩も犬飼先輩も腕組みして真剣に考えているようだ。柴乃は……いまだに俺にジト目を向けていた。さすがに心の中すべてまでは見通せないので、何部なのかまでは聞かなければわからない。

「ふむ……じゃあ、タッタくんに生徒会初任務だ」

「へ?」

 突然の指名に面食らう。が、俺以外は会長の言動を一瞬で把握したようで、頷きあっている。

「あたしのあだ名を考えること。期限は今すぐに?」

「い、今ですか! えっと、うんと……」

 生徒会初任務がこれかよ、とツッコむ間もない。世間一般に広まるあだ名とは、出会ってすぐに『じゃあ、○○ちゃんって呼んでいい?』とか聞いて決まるもので名前からストレートにつけることが多い。が、会長のつけるあだ名が妙に凝っているため、俺もそうしなければ……とテンパりまくって、逆に見た目通りの呼び方をしてしまった。

「あ、じゃあ、チビッ……」

 カチャッ――

「タッタくん……あたしね、あんまり笑顔で怒るってしないんだぁ……だってあれはよく知る者同士なら通じる手でしょ?」

 ひとつ瞬きをする間に窓際の会長席から彼女の姿は消えていた。その代わり、背後に忍び寄る……という表現ではもはや足りない、明確な殺気。

「やっぱり恐怖って目に見える形じゃないと、初対面の人とかビビらないと思うんだよね……だからぁ……」

 カクカク、とオンボロロボットのような動きでなんとか首を回す。すぐ近くに聞こえた武城会長の声。そして――限界まで回してから瞳だけ上に向けると見える、拳銃――映画などしか見たことがないが、ぱっとだけでもすぐにわかる回転式拳銃、所謂リボルバー。

「期限を明日まで延ばすから、可愛いあだ名を考えてきてね♪」

 めっちゃ笑顔だけど、言葉とは裏腹だけど、そういう前置きをされるとやっぱり怖すぎる。

 心からの恐怖の叫びは、目の前の怒気に圧され発されることはなく、コクコク、と全力で首を縦に振るのが精一杯だった――。




第二章


 始業式の二日後――

 今日は、学園全体でオリエンテーションなる行事が開かれる日だ。

 その準備のため、登校した時点では教室に集合だった。まぁジャージに着替えるだけだが。

 それでも、十時から開始予定のオリエンテーションには、いつもの授業時間に登校させられた俺たちにとって長すぎる時間だった。

 皆して着替え終わった後に暇を持て余していると、ガラッ、と教室の引き戸が開かれる。

「よし、貴君等、席につけ。全員揃っているな」

 入ってきたのは、藤林先生だった。普段通りのスーツ……ではなく、真っ赤なジャージを着込んでいる。スーツでも強調される部分がさらに上積みされているので、止めてほしい。

「ではこれよりオリエンテーションを開始する」

 そう先生は宣言した。

「南波先生、グラウンドに行かなくていいんですか?」

 俺の素朴な疑問に、しかし先生は呆れたように首を振った。

「宗多、貴君はプリントを見なかったか?」

「プリント、って……始業式の後に渡されたやつですか? ……会長闖入事件ですっかり忘れていました」

「ふむ。まぁあれでは無理もあるまいな」

 苦し紛れの言い訳が通じてしまった。いやまぁ、半分本当なので苦し紛れというわけでもないのだが、それでも驚く顔でバレやしないか、ヒヤヒヤものだ。

「確かに十時グラウンド集合だが、今はまだ八時半だからグラウンドに行かなくても良い。これで理解したか?」

「いやまぁ、それはわかりますが……要は教室で何をするのか、ってことです」

 すると先生は、一緒に持ってきた名簿らしき紙にチェックを入れながら話し出した。

「このオリエンテーションの目的は認識の共通化にある」

「共通化、ですか」

 チェックが終わり顔を上げると、まっすぐに俺を見詰めてくる。

「そうだ。この壮黎学園に在学している以上、魔物の知識は欠かせない。半年もいれば相応のものが身についてくる。だが、そうでないのは新中学生と、貴君のような編入生だ。……時に宗多。貴君は『人魔間戦争』についてどこまで知っている?」

 『人魔間戦争』――読んで字の如く、人類と、魔物の戦争。

「教科書で習ったことしか知りませんよ」

 そう前置きして語りだす。

「今から七年ほど前……銃火器などが一切通じない魔物の出現により、一年で人類の人口が七十億から十億に減少。滅亡かと思われたその時、救世主が現れ、このFWを発明。なぜか絶大な効力を発揮したその武器により人類の反撃が開始。さらに一年をかけ領地を回復、しかし失われた命は戻らず。五年前、残った人々でアメリカ、フランス、ブラジル、エジプト、オーストラリアと日本、六か国周辺に寄せ集まり、『対特殊生物対策チーム』を結成。以降、この壮黎学園と同じような機関を設立し、フォワードを育成している――以上です」

「本当に、民間の教科書そのままだな……」

 丸暗記には自信がある。何せ、中学三年間、毎日この手の授業があったのだから。もはや刷り込みだ。

「概要だけはだいたい合っているな。しかし、まぁやはりと言うべきか、人類が攻勢だった時の話ばかりだ」

 それはイメージ戦略の一環というか、新政府が作った教科書だし、あまりマイナスの要素は排除したいところだろう。

「魔物侵略時の情報はないのか?」

 先生も分かって聞いているのだろう。魔物が出現し始めたのは七年前。ということは、一応七歳以上は全員、あの侵略を体験済みだ。良くも、悪くも……。

「それはまぁ、侵略時は俺も小学校五年でしたし、記憶がないわけではありませんが」

 歯切れが悪い俺の言葉にも、誰も何も言うことはない。この学園中、学年、クラスの中にも、悪い意味の体験をしたものはいるだろうから。すなわち、近しい人の死。

「一昨日にも言いましたが、俺の両親は健在ですし新しい家族もできました。親戚は何人か亡くなったと聞きましたが、目の前での死というものはないんですよ。なので、この学園に入っても魔物の恐怖に対して実感が湧かないのが事実ですね」

 俺が何を言っても誰の心にも響かない。それはそうだ。脅威を知らずに過ごしてきた俺が人類のプラスイメージを刷り込まれたのと同じで、壮黎学園では魔物への恐怖と怒りを刷り込むのだから。相反する者が相入れないのは世の理、水と油、猿と犬、人類と魔物のように。

「まったく……新入生と同じことを言うのだな。面白みの欠片もない」

「何を追及してんですか……いらないでしょう、戦争に、面白さなど」

 数瞬か、数秒か、はたまた数分か……俺と藤林先生は妖しく見詰め合う。が、そう思うのは、状況を知らない外部の者だけで、このクラスの皆は分かっている。俺たちがただ見詰め合っていたわけではなく、互いにFWを構築し、向け合っている光景を見た者ならば。

「ほう……日本刀か。武器としては定番の部類に入るが、定番は定番になるほどの魅力がやはりある。イメージする時、直接触ったりしてみたのか?」

「まさか。一介の中学生がそう易々と手にできるものでもないでしょう。近所に古書店があって参考にしただけです。先生の言うように定番だから、ですよ、一番の理由は」

 不敵な笑みを浮かべ批評する先生に対し、俺もありったけを絞り出して笑みを浮かべる。正直言うと、一昨日の会長に勝るとも劣らない怒気に、腰が砕けそうになるのを堪えるのがやっとだ。

「先生は……如意棒、ですか。リーチの長さは同じですが、突に特化した槍と違って殴打を目的とした武器。しかも槍は穂先に集中しがちですが、棍はすべての部分が武器となりうるもの」

「ふん、よく勉強しているじゃないか。私がこの武器を選んだ理由は、生徒を殴っても体罰にならないからだが」

「実にいやな理由ですね」

 教師と思えぬ発言だった。だが先生は俺の感想を聞くと、ふっと少し和らいだ笑みに変えFWも元に戻した。

「嘘だよ。生徒を殴りたい、という理由なわけがないだろう」

 心なしか、クラス全体の雰囲気もどことなく安堵したため息が漏れた気がした。みんな、本気で信じてたの?

「殴りたいものはもっと別にある。不良生徒でも比べられないほど、凶悪なものだ」

 それは別に南波先生だけではない。この学園にいる全員が同じ気持ちなのは明白だ。

 俺もFWを戻し、腰のホルスターにしまう。

「ふう……ああ、なんか疲れた。じゃあ、ヤマザキくん、あと説明してあげて」

 俺の斜め後ろの席で、ガンッという音が響いた。机に頭を打ちつけた山崎大地が、額を摩りながら反駁する。

「……藤林先生……オレの名前はヤマ『サキ』です……」

「む、そうか。ではヤマサキくん、よろしく」

 そう言って窓際まで歩き、少し窓を開けそこに腰掛ける。

 ちなみに……このやり取りは昨日からずっと続いている。自然、彼のあだ名は一瞬で決定した。曰く『ザキ』。

「それじゃ、ザキ、頼むわ」

「これから頼むやつを殺してんじゃねぇよ。いやむしろ、その言い方だとオレに誰かを殺してくれ、って言ってるように聞こえるぞ」

「おお、なるほど。じゃあ、フォワードにうってつけのあだ名だな」

「……オレの名前はヤマサキだけどな」

「一気に微妙になった。残念なやつ……」

「リヒト、お前……」

「山崎、あと三十分だから早めに頼む」

 俺たちのじゃれ合いは、妙に冷めた声に遮られた。見れば、南波先生のジト目が俺たち二人を射抜いている。もう一度武器を抜かれるのも面倒だから、真面目に話をするとしよう。

「つってもなぁ……どっから説明すればいいか、わかんねぇし……そうだリヒト、お前が知っている情報を順に話していってくれよ。間違っていたら訂正するから」

「ああ、それもありだな。じゃ、えっと……七年前のちょうど今頃だったな」

 当時のニュースを思い出しながら、歴史を語る。

「十三年の五月、N県の山村で集団失踪が発生。現場は生活感に溢れていたのに、失踪の原因がまったく残されていなかったために捜索は困難を極めた」

「ストップ」

 開始三十秒で止められた。

「そういえば当時の放送は甘かったなぁ」

 ザキも思い出しているのか、宙の一点のどこかを見ている。

「なんだよ?」

「細けぇっちゃ細けぇんだが、捜索が困難になった理由は別にある。ニュースでは映像が補正されていてな。実際には手がかりはゼロではなく、複雑怪奇すぎたんだ」

「怪奇だって?」

「そう。現場の集落には、家の壁や井戸の縁、畑のど真ん中の至る所に血がべったりついているのに、死体がひとつもなかったことが問題だった」

「なっ……そんなの初耳だぞ」

「だから甘かった、って言ったろ。テレビで流すときは血とかそういうエグイとこを消してたから」

 報道機関は真実を伝えるものだ。しかし――著しく視界を汚すような絵は規制がかかる。今回は旧政府がその指示を出したのだろう。

「魔物とは無縁なやつに知らせても、余計な不安を煽るだけだったろうしな」

「たしかに。当然、最初は魔物の仕業なんて考え、及びもしなかったし。それがわかったのって、八月ごろに住民捜索中に自衛隊が異形の姿を見止めたから、だったっけ?」

「ああ……それもちょっと違うんだよな」

 ザキは苦虫を噛み潰したような表情を作る。

「えっとまずは……最初に失踪した村の人間って、魔物にどうされたかわかるか?」

「どうされたって……血が流れた、ってんなら、大人しくさせるために殴られてどこかに連れ去られた、とか?」

「うんまぁ、それも考えとしては間違ってはいないんだが。現場を捜査した自衛隊によれば、明らかに致死量あるだろうって血を調べたところ、一人分のDNAしか出てこなかったんだよ」

「ん……それで?」

 なんとか声を発せたのはそれだけだった。次のザキの言葉にまた黙らされたのだから。

「魔物がどういう行動原理なのか完全にはわかってないけど、それでもわざわざ殺してから連れ去る、ってのは考えにくかった。つまり自衛隊が出した答えは、人間は魔物に喰われた、ってことだ。骨も残さず、な」

「なっ……喰わっ…………」

 ザキの表情の理由を理解した。ただでさえ生が終わる瞬間と言うのは目を反らしたくなるのに、死に方が惨すぎる。想像できないし、したくない。

 口をパクパクさせたまま固まる俺を放って、ザキは続ける。

「で、少し戻るが、自衛隊が捜索中に発見したのは異形の者じゃない。血の海に沈むとある局のカメラと、そこに映った魔物の姿だ」

「じゃあ……その、カメラマンとかは……」

「ああ。撮るのに夢中で別のやつに気付かなかったんだろう。映像は、数メートル先に魔物を捉えている時にいきなり途切れていたからな。まっでも、これで犯人は魔物だと断定できたわけだが」

「断定、するのか? それだけで? あまり考えたくはないが、村を襲ったのは魔物だとしても、カメラマンを殺したのは人間である可能性もあるだろ」

「いや、ないね」

「どうして言い切れる?」

「カメラを持ち去ってないからさ。もし人間が犯人の一味なら何かが映っている可能性のあるカメラをそのまま放置するとは考えにくい。ならば、犯人は何も考えていない、本能のまま衝動的に行動する魔物だとすることができるってわけ」

「まぁ断定できたのも、後々の研究で魔物の行動原理を少し理解した上での結論ではあるがな」

 と、その時、藤林先生が割って入った。

「今日はそこまでにしよう。また説明する機会もあるだろうしな。しかし今はもう十時まで十分を切っている。皆、グラウンドへ移動を開始してくれ」

 手を二回、パンッパンッと打つと、自ら率先して教室を出て行く。

「しゃーねぇか、途中だけど。リヒト、何かわからないことがあったら聞いてくれ。知ってる限りで答えてやるぜ」

 ザキも椅子を引き立ち上がる。俺もそれに倣いながら感謝の意を示した。

「ありがとう、ザキ。でももういいよ。後は柴乃に聞くから」

「なっ? き、貴様、それは自慢か? 可愛い妹と一緒に住んでいる、という自慢なのか~?」

 教室のど真ん中で訳の分からない文句を叫ぶザキは放っておいて、俺はクラスメイトの後を歩きグラウンドへ向かった。


 東京市にたった一つの学校である壮黎学園の敷地は果てしなく広い。と、言いたいところだが、復興途中であるこの国では普通の高校より一・五倍大きいくらい、が関の山だ。それでも中等部高等部合わせて四百人ほどしか生徒が在籍していないこの学園では、グラウンドで飛んだり跳ねたり闘ったりするには十分な広さがあった。

 今は、丁寧に区分けされた敷地にそれぞれの学年で分けられて端に座っていた。

「多くの生徒は毎年やっている行事だが、一応オリエンテーションの説明をしておく」

 ひと学年七十人前後、という少ない生徒の前で話すは学年主任の須藤先生。体格は大きく強面だが、決して横柄ではない性格で、彼を嫌う生徒はいないだろう。

「全統試では魔物の擬似表皮を攻撃することで適性を判断するが、このオリエンテーションは単に互いの武器の確認だ。誰がどういうFWを操るのか、それを知り魔物との戦いを優勢に進めるためのもの。人間同士の闘いであるので、決して相手を傷つけないことが条件となる。FWは人間には効力はなくとも実体のあるものなので、切り傷や打撲などの傷害となる可能性もある。必ず寸止めを心がけるように」

 FWは魔物専用の武器ではあるが、須藤先生の言う通り、斬れば傷ができるし殴れば痣になる。これは相手を倒すことが目的ではないのだから、寸止めは当たり前だろう。

 ちなみに、全統試というのは『全世界統一試験』の略称である。年二回、三月と九月に行われる試験で、魔物と戦える新たなフォワードの発掘を目的としている。もちろん既存の適性者も受け、クラス分けという意味では大事な試験だ。

 簡単に説明しておくと、壮黎学園を例にすればクラスはA~Fまである。Aが最強、Fが最弱と構成は分かりやすい。それぞれに名前が振ってあり、Aは神悪魔クラス。順に、Bが鬼、Cは超人、Dは異物、Eは平凡、Fは落人クラス。名前は日本式だが、強弱は世界共通である。Aクラスの神と悪魔のみ正と邪で区別がつけられているのだが、別に神が正しく悪魔が悪いわけではない。すなわち、プラス感情で最高の武器形成に成功した者は神、怒りで形成した武器が最高値をマークした場合は悪魔と呼ばれる。そしてこの学園にAクラスはたった一人、武城生徒会長のみ。海外には何人かいるそうだが、怖いので会いたくはない。

「ではこれから一対一で模擬戦を行ってもらう。組み合わせはこちらで決めているので、呼ばれたものから前に出るように。まず田無と掛村」

 二人の男子生徒が呼ばれ所定位置につく。それぞれ左腕につけたホルスターからFWを取り出し武器を形成。西洋風の剣と刃の大きい斧が須藤先生の開始の合図で交錯する。

 俺は意識を仕合に向けながらも、気になっていたことを隣のザキに質問をした。

「なぁ、ザキ。始業式の時の廊下でさ、柴乃をだいぶ気にしていたようだけど、あれってどういう意味?」

「どういう意味とは?」

「いや、ただの勘なんだが……その、お前の反応には気に掛ける以上の感情が含まれていた気がしてな。兄としては少々気になっていた」

「シスコンか?」

「黙れ」

 あまりの暴言にひと睨みすると、ザキはまぁまぁと俺を窘めた。

「別にいいじゃねぇか。オレが誰に恋をしようと。それにおそらくだが、この学園の生徒で想いを寄せてないやつなんていないと思うぜ。男女関係なく、な」

「……それこそどういう意味だ? あんな暗いやつのどこを好きになると?」

 俺のジト目がどう映ったのか、彼は途端ににんまりとイラつく表情をした。

「あれ~? お前、兄貴なのに知らないの? 間宮さんの美しさは見るものにしかわからないんだが。兄貴なのに妹のことがわからないのかな?」

 ザキの冷やかすような声音に、俺は少なからずダメージを受けていることに自身で驚いていた。わかっていたことなのに、改めて言われると悲しいという感情が浮かぶことにも。

「少し言ったと思うが、あいつが義妹になったのはここに入学する一ヶ月前だ。交流する暇なんてなかったし、三年以上一緒にいるお前らの方が繋がりは上なんだよ。癪だけどな」

 自嘲気味に笑う俺を見て、ザキは肩に手を乗せてきた。

「リヒト、それは違うんじゃねぇか?」

「なにがだ?」

 ザキは純粋に優しそうな笑みを浮かべていた。こいつ、こんな表情もできるのか。

「時間が絆を作るんじゃねぇ、って話。たとえ三年間同じ学年でもまったく喋らないやつはいるだろうし、そいつと同窓会で会っても『三年間同級生だったね』とか話すか? 無意味だろ」

 なんか誰かの話を投影しているような設定だが、黙っていた方がいいのだろうな。な、柴乃と一度も話したことがない、ザ○くん。

「中学の時はまったく連絡してなかったのか?」

「いや、手紙は毎月送り合っていたけど」

「……えらいアナログだな」

「俺がいた地域は復興途中で電波がなかなか入って来なかったんだよ。携帯は持っていたけどあまり使った経験がない」

「この最先端の時代になんて悲しい奴……」

「やめろ、同情なんていらねぇ。今は皆同じ立場だろ」

 まぁな、と言って肩から手を離す。

「それで、その手紙には、兄貴のことなんかどうでもいい雰囲気が漂っていたのか?」

「……それはなかったかな。むしろ自分のことばかり書いて、必ず三枚以上は毎月届いていた。俺も似たようなものだけど」

「………………」

「どうした? 今度は苦瓜でも噛み潰したか?」

 顔をくしゃくしゃにしてこちらを見るザキ。目が細められているため、感情が読み取れない。

「リヒト……ちょくちょく妹自慢入れてくんの、やめてもらっていい?」

「? 特に自慢したつもりは……」

「自然にやってのが、一番ムカつくんだよ?」

 なんか泣き出してしまった。またハンカチが出るのか? と思って見ていると、どこかから誰かを呼ぶ声がしている。

「おい、山崎大地。お前の出番だ、早く出てこい」

「ザキ、須藤先生に呼ばれてるぞ」

 こちらに歩み寄りながら名簿を確認する黒髪角刈り教師。二、三回ほど名前を呼んだあとなのか、少々怒気が窺える。

「あ、はい、すいません?」

 嘘泣きのはずの目元を拭い、急いで位置に走るザキ。左利きの彼が右腕のホルスターから取り出したるは、かなり大型のハンマー。重量感のあるフォルムは一撃必殺の打撃を思わせる。対する相手は長槍。リーチでは負けているが、さてザキがどう闘うのか見物だ。

 今までの仕合を観戦していると勝負は三本、先に二本取った方が勝ち、というルールらしい。寸止めでも決まるが、どちらかの優勢だと先生が判断した時点で止め勝者を決める。無駄な怪我を増やさないための措置だろう。

 ザキの仕合は二勝一敗で終わった。先手を取られ大振りの隙を狙われたが、二戦目で修正、防御も優秀である点を活かし、カウンターが上手く決まって二勝。第一印象は軽いチャラ男だったはずだが、なかなかどうして繊細なやつだった。

「よし、勝ったぜ」

「お疲れ。ハンマーの使い方、うまいな」

 隣に戻ってきたザキに労いの言葉をかける。

「サンキュ。だけどまぁ、相手はEクラスだしな。負けたらオレのプライドが……」

 ザキのプライドが粉々に砕けようが心底どうでもよかったが、気になる一点だけ質問する。

「他クラスと仕合もありえるのか?」

「そりゃそうだ。むしろ同じクラスのやつとの仕合はない。オリエンテーションはABCクラスの危機感維持とDEFクラスの奮起も兼ねているんだ。上は下に負けたくない、下は上を潰したい、ってな」

「なるほどな。最低でも半年間一緒にいるクラスメイトの武器を今更見ても、ってことか」

 頭だけ上下に動かし肯定するザキ。その間も次々と他の生徒の名前が呼ばれ、仕合が消化されていくが、なかなか俺の番が来ない。柴乃もまだかな……と思ったところでついにその時は来た。

「では最後の仕合だ。まずBクラス、間宮柴乃」

「……はい」

 瞬間、周りの空気が一変した。それまでいい感じの緊張感が保たれていたのだが、柴乃が位置につくまでの間でも色めき立っているのが分かる。心なしか他の学年からも視線を向ける生徒や教師もいた。

 さて相手は誰だ? と周りを見渡そうとするが、そこで一つの考えに至った。須藤先生は最後の仕合だと言った。そして俺はまだ呼ばれていない。ということは……

「もうひとり、Cクラス、宗多利人。前へ」

 マジか~~~~と絶叫する勢いだった。でも他の皆は終わっており代わってくれとも言えない。まぁ別に嫌ではないしな。俺はすっと立ち上がると所定の位置に向かう。

「生きて帰ってこいよ」

 背後でザキが不穏な発言をしていたが、気にしない気にしない。

 仕合開始前、五メートル先に佇む義妹と対峙する。依然として周囲からの注目度が半端なく、ちらっと隣を見ると、仕合は終わったのか武城会長もこちらを見ていた。親指を立てて、おそらく応援してくれているのだろう。

「……兄さん」

 と、不意に声を掛けられて前を向きなおす。

「……さっき私のことを『暗いやつ』と言っていたわね」

「聞いてたのかよ」

「……聞こえたのよ。近くに座っていたから」

 知らなかったわけではないが、聞かそうとも聞こえないようにとも思っていなかったため、気にしていなかった。

「で、なんだ? 癇にでも障ったか?」

「……まさか。否定する気もないし、兄さんがそういうなら私は『暗い』のでしょうね」

「じゃあ、なんだ?」

 俺は戦闘準備のため腰のホルスターの物質に手を当て、武器をイメージする。より精錬された、日本刀を。

「……でもやっぱり兄さんにマイナスイメージはあまり持たれたくない。だからもう言わせないようにしてあげる。……実力で」

 そのセリフと同時に俺と同じ右腰につけられたホルスターからFWが形成される。FWは形を変え、二つに分かれ、彼女の両手に納まった。日本の短刀として。

「二刀流か。やっぱり兄妹似た者同士、連想するFWも似ているな」

「……ふふっ」

 互いに笑い合う。兄妹でする笑いとちょっと違う気もするが。

「……それじゃ、行くわよ」

「よし、はじめ?」

 須藤先生の合図で身構える。とその時、吹いた一陣の風が対峙する柴乃の髪を舞い上げた。

 途端、俺の動きは止まった。目の前に身構えるは義妹のはずなのに、短い時間ながらもそれなりに通じ合っていると自負としていたはずなのに。そこにいる少女が自分の知らない人に見えたためだ。

 それほど彼女の闘いに臨む姿勢、闘気とでもいうのか、それが神々しく美しいと感じた。

「それまで?」

 と、須藤先生の終わりの合図で意識が戻される。

 気付けば、日本刀を片手に棒立ちする俺の喉元に、刃が突き付けられていた。周囲からは音がなくなっていた。誰一人、音を発しようとしない。仕合中であるはずなのに武器の摩擦音もしない。まるで目の前で俺に刃を向ける少女がそれを決して許さない鬼かのように。

「……兄さん、やる気あるの?」

 近くから上がる声にやっと覚醒した。

「あ、ああ、すまん。一瞬、柴乃に見惚れてた」

 仕合中に意識を逸らすなど相手に失礼だと思い、素直に謝った。だが、柴乃は目を見開いたまま動かない。

「……そう。次はちゃんと動ける?」

「ああ、もう大丈夫だ」

 俺が答えると、柴乃は突き付けた刃を外し、振り返り戻る。いや、先生のところへ歩いていた。

「……須藤先生、今の仕合、無効にしていただけませんか?」

「なっ!」

 が、驚いたのは俺だけだった。周りの人は皆、客観的に見て俺が不自然に止まったことに気付いていたのだろう。

「大丈夫? タッタくん」

 いつの間にか、傍らで武城会長が心配そうに見上げていた。

「ウーミン会長……まぁなんとか」

 ちなみに、会長のあだ名問題は昨日解決していた。俺が中国に興味があったおかげで。『武』は中国語で『ウー』と読み、茉璃の『茉』はジャスミン茶を意味する『茉莉花茶』の一部、という素晴らしいこじつけで、最終的に『ウーミン』で落ち着いた。『初めてあだ名つけてもらった~』と喜んでいたのを見て、琴線に触れなければなんでもよかったんじゃ……? と疑問を持ったが、一晩寝ずに考えた俺の努力が水泡に帰しそうだったので思考を止めた。

 そのウーミン会長はまだ気にしているようだ。

「体調悪い? どこか痛む?」

「いえ、病気とか怪我ではないです。ただあいつの闘気に気圧されました」

「ミャーノも伊達に鬼じゃないからねぇ」

 先生に抗議する柴乃を二人して眺める。やがて柴乃が離れ、先生が右手を挙げ宣告した。

「ただいまの仕合は間宮柴乃の提案を受け入れ無効とします」

 パチパチ、と柏手が聞こえてくる。提案を受け入れた先生に対してか、将又、勝利を取り消した柴乃に対するものか。どちらにしろ、俺に向けられたものは皆無だろう。

「じゃあ、次は頑張ってね。善い仕合、期待してるよ~」

 そう言って手を振って去っていく会長。善戦とは大抵、負けた方にかける慰めに用いられる気がするが、それとも他意はないのか。

「……このままじゃ、終われないよな」

 一度、深呼吸して気合を入れなおす。無効になった一戦目。俺が止まったことを抜いても柴乃のスピードは大したものだ。五メートルの間合いを一瞬で詰める脚力、隙を見逃さない戦術眼、喉元を狙う正確さ。どれを採っても俺に勝てる要素はない。

 だが、それで諦められる性格はしていないつもりだ。

「……次はいい仕合が出来そうね」

「ばかやろ。俺の勝ちだよ」

 そう言って強がってないと、柴乃の闘気にまた呑まれそうだった。

「では、仕切りなおして一戦目、はじめ!」

 須藤先生の合図で幕が上がる。

 今度は互いに集中しているため、初手は見合った。が、先に動いたのは俺。持論が『攻撃は最大の防御』なんでな。

 左手は刀身に添えるだけで、右手で握り込んだ刀を逆袈裟の要領で斬りあげる。それを柴乃は右の短刀で受け、そのまま滑らすようにして流した。そして目の端に映る左の短刀。俺は添えていた左手を柄に当て、流される刀を無理やり戻し短刀を防ぐ。両手を活かして力で思いっきり弾き、流した右手、弾かれた左手で左右に開いた柴乃の頭を目指し振り下す、が寸前で戻ってきた両刀に交差で止められた。鍔迫り合いになるか、というタイミングで柴乃を押し、反動で俺も下がる。再び数メートルの間隔が開き、互いに見合う。数瞬の刻を経て今度は柴乃から動く――

 という攻防を実に二十合は打ち合っただろうか。最初はついていけると思った柴乃のスピードは次第に速くなり、十合目を過ぎたあたりから押され始めていた。

「はぁ……はぁ……」

「……ふぅ……」

 肩で息をする俺と違い、柴乃はひと呼吸だけで整えている。これは体力の差というよりも経験の差というべきだ。闘いの緊張感が対人戦闘経験が皆無な俺の体力を余計に奪い、柴乃が余裕というよりも俺が疲労困憊し、彼女のスピードが上がっているように感じているのかもしれない。

「……次で、終わり」

「ああ? まだだろうが。勝負はまだついてない」

 ただ負けることは俺のプライドが許さなかった。格下の相手と闘ってプライドが傷つくと言ったザキを笑えない。俺だって義妹に負けたくない。なにより、護る、と誓った相手に易々と屈したくはなかった。

 もう言葉はない、刃を交えるだけ。そうアイコンタクトを交わし、互いに蹴りだす。俺は前に、柴乃は後ろに。

「!!」

 刹那の刻、打ち合いを想定した俺の踏込は虚しく空を斬り、狙った柴乃は薄く笑い、半歩だけの躱しからすぐに戻ってきた。力で押し込もうと完全に振り切った俺の刀は間に合わず、再び喉元に突き付けられる短刀。

「それまで!」

 勝敗が決しても、数瞬、間が空いた須藤先生の声を合図に、歓声とどよめきが巻き起こる。

「すっげぇ仕合!」

「さすが、鬼クラス最強と謳われるだけはあるな、あの娘」

「それにしても、間宮さんと打ち合うなんて……誰、あの人? 見掛けないけど」

「今年の高等部に編入してきた、間宮の兄貴らしいぜ」

「ソウダリヒト? なんで名字が違うんだ?」

「んなこと、知らねぇよ。でもやっぱり兄弟だけはあるよな」

「……ちょっとかっこいいかも……」

 喧々囂々、うるさいったらありゃしない。もう誰も彼もが俺たちの仕合を見に来ていた。

「だぁ~ちくしょう。負けたぁ~」

 FWを突き立て、その場にへたり込む。が、義妹がそれを許さなかった。

「……兄さん、まだ仕合は終わってないわ」

「……くそ。現実は酷だな」

 周囲の歓声をまったく気にしない風の柴乃は、尚も俺の近くに立ち続けている。もしかして俺を心配してくれているのか? と思ってみるが、彼女の足元には初期位置の印。つまりは、私はもう準備できているから、早く戻ってくれないかしら、というわけだ。我が義妹ながらまったく……などと言っていても仕方ない。ちょいと苦労しながら立ち上がり、俺も位置に着いた。

「宗多、大丈夫か?」

 と、須藤先生が声を掛けてくれる。

「ええ、大丈夫です。まだまだいけますよ」

「うむ、そうか。じゃあ続けるぞ」

 簡単な確認だけだろう。先生も審判の所定位置に戻っていく。

 さて、この間に対策を立てねばなるまい。問題は柴乃のスピードだ。二刀流は伊達ではないらしく、左右から連続で繰り出される斬撃は正直捌くだけで精一杯。反撃の糸口はあれしかない。先にザキから聞いていたルールの一つ、体術の許可。といっても、怪我をさせてはならないのは大前提なので寸止めが当たり前だが、刀一本だった先とは異なる闘い方を見せることができるだろう。しかも打撃系統は寸止めだが、搦め手の体術は普通に使っていいそうだ。

 勝機は、柴乃の両手が塞がっていることに対し、俺が片手持ちなこと。どちらかを封じてしまえば、力では負ける気はしない。

 そうイメージし、しかし悟られぬように先程と同じ構えを取る。

「二戦目、はじめ!」

 今度は両者ともすぐに動いた。俺も、少し慣れたとはいえ体力の減り方は柴乃よりも早い。早期決着が望ましい。

 そう考えた俺は、一合目から実行に移すことにした。

 まず右手が柴乃の初手だと判断し刀で弾く。続く左手を返し刃で止め、弾いた右手が戻ってきたところで、柴乃の手首めがけて空いた左手を放った。ガシッと完全に掴み動きを止める。少し驚いた顔の柴乃の左手を刀で弾――こうとしたところで宙に浮く身体。状況を理解する間もなく、世界は反転し背中から地面に叩きつけられ――はしなかった。投げ技ならぬ、転がし技とでもいうのか。怪我をさせてはならない、というルールに則った柴乃の体術。事実、少々汚れはしたものの、身体に痛みはない。

「……残念ね。作戦まではよかったけど、相手が悪かったわ」

「それまで!」

 本日三回目の突き付けられた刃は、俺の完全敗北を物語っていた。

「どう、なったんだ?」

 仰向けの状態から見上げながら、説明を求める。

「……兄さんは頭がいいから、何かしてくると予測して仕合に入ったの。その予測通り、体術で動きを止めてきた。だから柔軟に対応して逆に投げ技を仕掛けたの」

「投げ技、ってお前、両手塞がってんじゃ……」

「……捨てたわ」

「は?」

「……右手を掴まれた瞬間、両方の刀を手放したの。兄さんの刀は外側を向いていたから安全だったし。転がしてから悠々とまた拾って突き付けたわ」

「さいですか……」

 我が義妹ながら素晴らしい身体能力の持ち主で。兄ちゃん、感心しちゃったよ。

「……でも」

 FWを戻しながら、柴乃は屈み込んで瞳を真正面に見据えてくる。

「……兄さんをよく知る私だから勝てたけど、他の人が相手だったら兄さんが勝ってたんじゃないかしら」

 あの柴乃が笑っていた。今まで笑っても挑戦的な笑みしか浮かべなかったあいつが、普通に可愛いと思える笑顔をしている。

「お前、前髪切ろうぜ。せっかく可愛いんだから勿体ないだろ」

「!!」

 唐突な俺の提案にまたもや見開く柴乃の眼。さっきとの共通点は俺が褒めたことだが、それだけで驚くってどうなんだろう。そんなに珍しいかね。

「……兄さんは切った方がいいと思う?」

「あ? ああ、だからそう言ったじゃねぇか」

「……そう」

 表情を戻し、しばらくそのまま体勢を維持する。が、急に立ち上がり一言だけ言って立ち去ってしまった。「……検討、してみるわ」と。

「お疲れさん。まさかあそこまでやるとは、さすがに驚いたわ」

「ははっ、やった自分が一番驚いてるさ」

 差し伸べられた手を取ると、ザキが引き上げてくれた。と同時に群がってくる足音が多数。

「宗多、お前凄いじゃないか!」

「どうやったらあんな動きができるんだ?」

「わたしも同じFWなんです。先輩、今度修行つけてください」

「お前、マジで編入生かよ! なんで五年前に適性なかったんだ?」

「あなたたち兄弟がいれば魔物なんて恐くないですね」

 喧々囂々、しかし先程とは違い、どよめきではなく歓声が俺だけに向けられている。人だかりの中心というのは、慣れていないと気苦労するだけだ。よって、早めに脱出するに限ると決め、コースを見極めたのだが……ラグビープレイヤーよろしく築かれた人の壁を容易に突破することは許されず、プラスザキは質問攻めに合ったりもみくちゃにされたりと散々な目に合った。目の端に二条の光が波打っているのを捉えた気もするが、確認している余裕などありはしない。

 おかげで柴乃と話す時間がますます無くなってしまったではないか!




第三章


 学園に編入して初めての日曜日。俺と柴乃はとある目的のため、東京市学園区のとある場所に来ていた。

「……兄さん、どうして私たちはこんなところにいるのかしら?」

 黒のワンピースに黒のカーディガン、長い黒髪の柴乃が呆れ満載のため息とともに、黒に対する白のポロシャツに紺のデニム姿の俺を見上げる。

「だめじゃないか、柴乃。こんなところとか言ったら。お店に失礼だぞ」

「……別に場所に異論はないわ。私としては、理由の方に重きを置いた質問だったのだけれど」

「それこそ愚問だろう。そんなもの、柴乃の矯正という理由以外にありはしない。それに手を繋いでいるから逃げようとしても逃げられないだろ?」

「……まさか、ここまでを見越しての下見だったのかしら?」

 俺は不敵に笑って見せる。

 この場所とは、学園区に唯一存在する美容院。俺は昨日の土曜日、いろいろと町を見て回る、と言って一人で下見をしていたのだ。

 そして今日――柴乃が『……下見していたなんて、まるでデートみたいね』と呟いたのと同時に『じゃあ、デートっぽく手でも繋ぐか』と柴乃をなんなく確保。下見通りに、今に至るのである。

「……本当に切るの?」

「数秒前に柴乃は言った。『別に場所に異論はない』と」

「……私は検討します、としか言ってないのだけれど」

 いまだ渋る柴乃に対し、少々罪悪感のようなものを覚える。騙すような形で連れてきているからだ。

「……尤も」

 が、柴乃の話はまだ終わっていなかった。

「……兄さんがどうしても、と言うのなら、切ってあげなくもないですが」

「!!」

 デレた! 柴乃がデレたよ! 一ヶ月まともに話したこともなかったあの柴乃が!

「……早く行きますよ」

「お、おう」

 照れ隠しのつもりなのか柴乃は先に入店し、いつの間にか俺の方が手を引かれていた。

 カランカランと美容院には妙に似つかわしくないドア開閉音がなると、元気な声が聞こえてきた。

「おかえりなさいませ! ご主人様、お嬢様」

「……兄さん」

「待て、その先は言うな。俺も思ったけど」

 お店の扉を開けておいて二秒で回れ右、とかさすがに失礼過ぎだろう。

「……まさかこのようなお店を勧められるとは」

「いや、俺もまさかって気持ちだよ。外から見たかぎりじゃ、違ったんだけどな」

 昨日の下見で見つけたこの美容院の表看板には『カフェテリアスペースあります。お連れ様でどうぞ』と書いてあったので、待つにはちょうどいいと思ったんだが。メイド喫茶風とは普通予想しないだろう。だって主は美容院だし。

「今日、理髪するのはご主人様ですか? お嬢様ですか? それとも……両方ともですか……?」

 黒を基調としフリフリのたくさんついた白のエプロンを身に付けたメイド、もとい店員が、新婚家庭にありがちな嬉し恥ずかし三択で迫ってくる。速攻でメイドの定義を忘れている気がする。

「ああ、こいつだけ頼む」

 繋いでいた手を離し、柴乃を指す。

「一名様、ごあんな~い!」

 メイド服そのままの店員に導かれ、三脚ある散髪台のうちの真ん中に座らされる柴乃。完全なる人見知りモードの義妹は不安そうにこちらをちらちら見ている。あの様子では仕上がりを聞かれても答えられないと思い、仕方ないので店員に告げてやった。

「店員さんおすすめコースってありますか? 基本的にその子の意見は無視してくれていいので、可愛くみえるように仕上げてください」

「なるほど……やっちゃっていいんですね?」

 俺がこく、と頷くと、任せちゃってください? と大張り切りで柴乃に向って行った。当の彼女は涙目になりながら俺を見ていたのを、強制的に鏡に顔を向けさせられていた。怒るなよ、柴乃……兄とは時に妹を叱咤せねばならぬ時があるのだ……と感慨深げに唸っていると、いつの間にか近くに寄って来ていたもう一人の店員に案内された。

「彼氏さんはこちらのカフェテリアでご休憩なさっていてください」

「あ、どうも」

 案内されたスペースは入り口から左手の壁に並ぶ散髪台とは逆、窓際に面したところで、一台の机と四脚の椅子が並べてあった。その一つに座る。

「ちなみに彼氏ではありませんけど。あいつは義妹です」

「な、なんと? …………禁断ですか?」

「……なぜそういう結論に?」

「だって手を繋いで来店なされましたから」

 ああ……まぁ、そういう誤解を招いても仕方はない。俺ら自身デート感覚でスタートしたのだから。

「あの長髪でわかる通り、なかなか髪を切らないやつですから、無理やり来させようと捕縛目的で繋いでいただけですよ」

「なるほど~そういうことでしたか~。で、ご注文は何になさいます?」

「えっと、それじゃ……紅茶ストレートで」

「かしこまり~」

 メイドにしては軽いあいさつで去っていく店員。話題の転換の速さに驚くが、それ以上に紅茶が運ばれてくるのが早かった。

「お待たせしました~」

「これはまた、随分と早いですね」

 紅茶、って本格的に淹れようとするといろいろと手間がかかる、と柴乃が言っていた気がするのだが。

「ご主人様とお嬢様がおかえりになられた時から準備は始めておりましたので。主人の要望にいち早く応えるのも、メイドの嗜みですゆえ」

 理髪店のメイドなんか、本場イギリスはもちろん、旧秋葉原に多数存在したという喫茶よりも劣るものではないか、と勝手ながら想像していたが……彼女たちなりにプライドがあるようだ。――と思いきや、

「でも結局、散髪の方が大分長時間かかるので、飲み物もたくさん頼んでもらう、という考えの方が根幹ではありますが」

 実に嫌なプライドだった。実際、戦争前は小学生で、本場もアキバも行ったことはないので、このプライドが本物か偽物かは計りかねるが。

 ごゆっくり、と言って下がるメイドを他所に、熱々の紅茶を啜りつつ窓の外を見やる。

 四、五年かけてようやく昔の面影を取り戻しつつあるビル群が道の先に見える。

 学園区、商業区、居住区に分かれる東京市は、やっと人口が二百万弱まで回復した。しかし二年前から生存者の増加率は著しく落ち、これ以上はもう見込めない、というのが皆の見解だ。町自体も全盛期に及ぶべくもなく、コンクリートジャングルは以前の五割ほどしか広がっていない。

 人魔間戦争で失ったものの代表はやはり人だった。それまでそこにいた人がいない。それだけで精神的に参った人が続出した。

 彼奴等の主食が人自体であったこともあるし、混乱の極みにあった当時は、逃げ惑う最中に事故死する者、他者を貶めて自分が生き残ろうとする者さまざまで、減った人口の約三割は魔物以外が原因ではないか、とも言われている。

 その中で生き残った人々が寄せ集まり再び活性化した場所が、東京市をはじめとする世界各地の大都市である。

 東京市をはじめとするには理由がある。それは、ここが人類反撃の地、つまりFWの開発が成功した地であるからだ。厳密にいうと成功ではなく、他の兵器を開発中の失敗から、偶発的に発見できたものがFWであり、そのため、資料を基に大量生産したのはいいが、いまだ謎の底が知れない武器でもある。

 噂では東京市地下で、いまだFWの研究が行われていると言われているが、一般人に真偽は公開されていない。

 魔物によって壊滅させられた政府機関も、今では新政府が本拠とする国会議事堂と防衛相専用の詰め所が学園区の一部になっているだけで、議員は他の人々と同じように居住区に住み、商業区で買い物し、学園区にもう一つある一般向けの学校に子供を通わせている。そうした行動も、戦争時に食料備蓄庫を開放したことと同じくらい、新政府への信頼を募らせている原因だ。

 だが、備蓄庫にも限界はある。他都市との輸送もままならぬ状況で、備えとして居住区の外側の廃墟を潰し田畑を耕した。はじめは魔物に怯えてなかなか小作人が集まらなかったが、一年二年経ち、そのあいだ魔物の目撃例が一件もない、となれば率先して田畑に出て行く者も増えた。

 ――そう、不気味なのはそこだ。俺たち人類が魔物を撃退してから五年……そのあいだ、全世界合わせても目撃談はひとつもない。突然現れ、蹂躙し、追われて消えた――魔物とはいったいなんなのか? 一部では、火口に沈んだとか、海溝に潜ったとか、途方もない噂が駆け巡っているようだが、目にしたのが数人ではやはり噂の域は出ず、捕えた、または殺した魔物の生態の研究も行っているが成果は報道されていない。

 五年という歳月……当然と言えば当然だが、人々の記憶は薄れていくものである。俺たち壮黎学園に関わるものにしてみれば、魔物の存在を忘れることなどできようもないが、それは一般人には当てはまらない。この理髪店にしてもメイドカフェとセットにしようと考えだすほど、少々毒気が抜かれているという雰囲気が否めない。

 物思いに耽っていると、何かの反射なのか、金色の光が目に入り我に戻される。はっとして店内を見渡すと、ちょうど柴乃の散髪が終わったところで、最後のドライヤーをかけてもらっているところだった。考え事のせいか、結局紅茶は一杯しか飲まなかった。

「はい、もういいですよ。というか、いい加減、目を開けてください」

 どうやら、切ってもらっている間、ずっと鏡を見ないようにしていたらしい。極度の人見知りらしく、自分でさえも初めて会ったような気がしたようだが、意見を聞くな、というアドバイスが裏目に出たようだ。

「仕方ないな……じゃあまずは彼氏さんに見てもらいましょうか」

 そう言って柴乃を無理やり立たせ、こちらへ歩かせるメイド。

「だから、彼氏じゃなくて兄弟ですって」

「……禁断の?」

「なんで、そうなるんですか?」

 自分で誘導しておいての反論ではない気がするが、二回も言われると辟易する。

「ままっ、そんなことは置いといて」

 置いとくんだ……というため息は発されず、代わりに感嘆が漏れる。

 ――紛う事なき美少女がそこにいた。

 いつも腰元まで伸びていた黒髪は肩口辺りで綺麗に整えられ、前髪もセンター分けで白肌の額が見えている。固く結ばれた唇はほのかに紅く、小さめの鼻や頬には特別サービスなのか薄く化粧も施されているようだ。いまだ開かない眼は少しツリ目気味で、切れ長で瞳は大きいのだろうと想像させてくれる。

 もし血が繋がっていたのなら、その繋がりをとことん疑ったところだ。疑うこともなく血は繋がっていないのだがな。

「柴乃、目を開けて」

 俺の懇願を聞き入れてくれたのか、柴乃はゆっくりと目を開けて一言。

「……兄さん、それはいじわるというものではないかしら?」

「何を言う? 俺はただ柴乃にも自分の可愛さを自覚してもらいたかっただけだが?」

 俺は柴乃が目を瞑っている間にメイドから手鏡を受け取り、柴乃の顔の前に設置していたのだった。当然、柴乃が初めに対面する相手は自分自身ということになり、結果、彼女はむくれてしまった。

「……商業区へ行ったらまず、大きめの帽子を買ってもらおうかしら」

「オーケーわかった。……でも二人で巻けるマフラーはあるとしても、二人の頭が入る帽子なんて売ってるか?」

「それは斬新な発想ね……」

 柴乃を連れてきてくれたメイドが俺たちを微笑ましく見るような俺に呆れているような眼で割って入った。

「ありがとうございました。これで義妹も変わってくれると嬉しいのですが。で、お代ですがいくらです?」

「ああ、はいはい。えっと、散髪代が四千円で、紅茶一杯で千円ですから、合計で五千円ですね」

「紅茶で千円? いくらなんでも高くありませんか?」

「そりゃ、カフェテリアは飲み放題千円からだから」

「そんなの聞いてませんよ?」

「うん、言ってないからね」

「店員にあるまじき発言?」

 驚きの値段設定。ぼったくりにも限度がある。

「……嘘ですね。表の看板には『飲食無料』と書いてありました」

「えっ? そうなのか?」

 こくっ、と頷く柴乃はやっと目を開けていた。想像通り、ツリ目でも瞳は大きくずっと見ていると吸い込まれそうだ。

「あちゃ~バレちゃいましたね」

「素直に白状しましたね。どうしてそんな嘘を吐いたんですか?」

「それはもちろん!」

「君のキャラが面白そうだったからさ!」

 二人のメイドは身体をクロスさせポーズを決める。もはや、ここが何の店か、わからなくなってきた。

「……兄さんの本質を見抜くとは、やりますね」

「そこ? わけわからん協定を結んでんじゃない?」

 メイドと握手を交わす義妹。俺だけ敵地に乗り込んでいたのか。

「というわけで、お代は半額でいいよ」

「いやえっと、どういうわけですか?」

 握手から柴乃を引き寄せたメイドは堂々と宣告した。

「だって君たちが初めてのお客さんだからね?」

「……まじっすか?」

「まじっすよ」

 自分でツッコんだ回数を数えられなくなってきていた。心なしか喉も痛い。

「実は、一週間前にオープンしたばかりなんだよね。商業区で土地が買えなかったから学園区に出したんだけど、周りに時間潰す場所がないっしょ? だから、休憩所も兼ねた店にしたんだけど……みんなメイド姿見て帰っていくんだよね……」

 我慢できたのは俺たちだけ、ということか。それは普通の恰好にすればいいものを……とは言わない方がいいのだろう。

「じゃあ、半額でいいんですね?」

「ああ、待った待った。もう一つ条件」

「? なんです?」

「今後もうちでカットしてくれないかな~。もちろん少年も歓迎するよ」

 なるほど、今回のお代は半分だが、今後ともよろしく、というわけだ。

「柴乃はいいか?」

「……うん。特に問題はない」

「よっしゃ~! お客ゲット~?」

 諸手を挙げて喜ぶ二人の姿に誰かが重なった気がするが、確かに雰囲気は似ているかもしれない。

「これで数ヶ月に一度……ハァハァ……この綺麗な黒髪がいじれると思うと……ハァハァ……」

「いやいや、次は私でしょ……フフ……丁寧に梳いてあげるからね……フフ……」

 ……行きつけの店が見つかったことは、後悔はしなくていいんだよ、な?


 妙なテンションの二人のメイドに見送られ、俺と柴乃は学園区から歩いて商業区へ向かう。

 東京市は半径十キロほどの円状で、中央に国会議事堂、北東に居住区、北西に学園区、そして南側に商業区がある。それぞれを繋ぐ公共バスも走っているが、歩けない距離でない場合はなるべく歩くようにしている、と柴乃の意見があったため、行きは歩きで、帰りは荷物の関係上バスに乗ろうという話になった。

 魔物の主食が人であることが幸いしたのか、町や物はそんなに壊れてはいない。しかしやはり破壊衝動は起こるらしく、時折、魔物が蹂躙した町では家々に大穴を開けられた地域もあるそうだ。東京もその例に当たり、戦争直後は倒壊したビルの撤去作業から行ったものだ。

 商業区での目的は一つ、俺の日用品の購入である。そのため、街で一番大きい交差点の角に陣取る大手デパートの前に来ていた。大手と言っても今や企業も何もないため、名前も『東京市デパート』という味気ないものだが。しかし、六十坪の敷地に納まるだけあって相当数のブランド店が軒を連ね、正直このデパートだけで基本的な雑貨は事足りる。もちろん独自の流通ルートから仕入れ店を出している人もいるので、商業区としての体を保っていた。

「やっぱりここは大きいな」

「……ここも下見に?」

 柴乃は恥ずかしげに俯きながら俺の手をぎゅっと握ったままだ。まぁ街行く人々ほとんどが柴乃に注目するのだから、人見知りにはちとキツイ。

「当然。さすがに全部は回りきれてないけど、だいたいの地図は把握したよ」

「……それもデートのため? 少し念入り過ぎないかしら?」

「まぁそう言うなよ。デートのためというか、柴乃のためだと思ってんだからさ」

 俺を睨む形に見上げていた柴乃は再び地面を向く。どういう表情をしているのかは見えないが、握る手の力が少し強まったことから何かに対する思いも強まったのだ、と判断した。

「……そういうのを押し付けがましい、と世間では言うのだけれど」

「手厳しいね、柴乃は。まぁ言葉としては間違っちゃいないけど」

 苦笑いをする俺に、柴乃はまた見上げる。少し口角が上がっているようにも見えるが……。

「……世間では、と言ったでしょう。押し付けられる相手が嫌がっていなければ、問題はないと思うわ」

 これはつまり――そういうことだと納得していいのだろう。本日二度目のデレ柴乃発現。いやむしろ、今日いちにちがデレの日だといいな。

「よし、じゃあ、行くか――」

 と、その自動ドアへの一歩目を踏み出した瞬間、

 キキキ――ドーン

 という高らかな死の音色が後ろから鳴り響いた。

 市で一番の交差点だけあって交通量もそれなりに多い。当然、事故の可能性も高くなるのだが、まさか目の前で起きるとは。

  反対側の横断歩道で人だかりができていた。遠目から状況確認をするかぎり、車の運転手が信号無視をしたのではなく、歩行者の方が赤信号だった。戦争前まで、車は強者、歩行者は弱者、という考えから、どのような形の事故でも優先的に車が悪、と道交法で決まっていたが、一度政府が瓦解したため、以前の法律が意味をなさなくなった部分も多く、法が大きく変わっていた。もちろん悪漢に対する裁きは早々に決まったが、それ以外の日常生活に関するものの整備に時間がかかっていた。よって今は目撃者の証言からどちらに非があるか、を判断するようになっている。

 今回の場合、轢いたのは中型のトラックだが、明らかに歩行者が信号を無視したようなので、運転手には注意が飛ぶだけだろう。

 一分もかからないうちに、パトカーのサイレンが聞こえてくる。聞き分ける限り救急車も出動しているようだ。それはそうだろう、中型トラックに轢かれたのだ。人間なら無傷で済むはずがない。

 現場に到着した警察官が周りの人にいろいろ聞き回っているのを対角の角から見詰める。と、そこに動揺の声が上がった。

 野次馬根性を働かせて柴乃と一緒に見えるところまで移動すると、驚愕の光景がそこにはあった。

 なんと、轢かれた男は無傷のようでピンピンしている。そしてそれ以上におかしいのが……トラックの前方、おそらく男が当たった部分が少し凹んでいるように見えた。

「……兄さん、あれは……」

 柴乃が何かを思いついたのか、しかし少しうまく表現できないようで言葉は少ない。俺も同じ考えだった。

「ああ、まだおそらく、としか言い様がないが。あいつは……」

「……でも、なぜこんな場所にいるの? しかも人の形をして」

「さあな。一つわかるのは一般人に相手はできない、ということで、俺たちがやるしかなさそうだ。周りに危害を加えない理由もわからないが、直接聞いてみればいいんじゃないか」

 柴乃も一つ頷くと信号が青の方へ渡りだす。

「……買い物はまた今度ね」

「俺の日用品よりも危惧すべきことができたからな。しょうがねぇさ」

 そう言い合いつつ、対象との距離を徐々に詰める。人混みの中でも目立つ男の赤髪は見失うことはないだろう。視線を逸らさずに観察していると、どうやら運転手が平謝りし、男が宥めているようだ。道交法は以前と異なるというのに、車が強者という意識が染みついている様子で、なかなか頭を上げようとはしなかったが、目撃談が加わって運転手も謝罪をやめ、男と和解の握手を交わしていた。

 通例だと男の方が連れて行かれそうなものだが……運転手があまりに謝罪を繰り返すので、警察もどちらが悪いのか判断がつかなくなったのだろうか。が、今回はその方がこちらとしても都合がいい。下手に連れて行かれて、折角見つけた手がかりを失っては困る。

 野次馬の一番外周で見ていると、一頻り騒動も治まり、人と車の波が動きだした。あの赤髪も逆の方向に進んでいる。俺たちは一定の距離を保ちながら尾行を開始した。

「……誰か学園の先生に連絡を入れた方がいいかしら?」

 柴乃が尤もらしいことを提案してくる。俺はそれについて逡巡した。

「…………。どうだろうな、彼が本物だという証拠は何もないし、俺たちも遠目から見て、ただ感じただけだ。いくら学園で学んでいようと、人間の姿をした彼奴等の話は聞いたことがないし、俺たちの信用云々の問題以前に、まず確かめるべきじゃないかと思うんだ」

 別に先生を信用しないわけでもないし、俺たちが信用されていないとも感じていない。だが、学園中で最も彼奴等の生態に触れる機会が多い俺でさえも、人型になれるとは聞いておらず、今は状況を理解すべきと判断したことを間違いだとは思わなかった。

 実際に結果が起こるまでは……。

 尾行を開始して一時間――商業区南端の、東京市と廃墟の境目まで来ていた。

 この辺りまで来れば、大きな店はなく、物好きな奴らが物好きな商品を売って物好きな奴らが買いに来る商店しか並んでいない。自然と人通りは少なくなり、路地に死角が多くなる。

 そのうちの一本に赤髪の男は入っていった。

「もうさすがに尾行はバレているかもな」

「……だからさっき連絡しておけばよかったのよ。今からでは誰も間に合わないわ。ここまでバスも走っていないのだし」

「結果論だろ。それに物好きな奴らの一人かも、という可能性も残っているしな」

 町はずれだけあって、公共バスでさえ運行ルートを外れた場所。昨日の下見でも見回れなかった土地の一つなので、その路地に何があるのかもわからない。だがここまで追跡しておいて今更手ぶらで帰れない、と要らないプライドを発揮している自分に気付いてはいたが、プライドゆえに言い出せなかった。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、ってね」

「……無駄足にならなければいいけど。それじゃ、兄さんは一つ手前の路地を曲がって先回りを。私はあいつを追うから」

 そう言って先に行くため手を離そうとする柴乃を引き留める。

「いや、だめだろ。二手に分かれるのは、土地に精通していて相手の情報がいくらかでもある場合で使える手だ。今はまったく逆。むしろ虎の巣かどうかも分からない状況だから、分かれるのはなし」

 互いの瞳がぶつかり合う。人見知りで真面に自分の顔さえも見られない柴乃だが、意見をぶつけ合う時、眼力は凄く強くなる。これまでも大抵俺の負けで決着がついていたが今回は俺の方が正しい、と判断してくれたようだ。

「……わかったわ。そのかわり、私の足を引っ張らないでね」

「そりゃこっちのセリフだっての」

 憎まれ口を叩きあいながら、男が消えた路地の入口まで歩き覗き込む。が、そこにはもう男の姿はなかった。

「ちっ……もうどこかに曲がったのか」

 俺は舌打ちすると、猛然とダッシュした。この路地の奥は袋小路だが、手前に二、三本狭い脇道がある。走りつつ確認するも、やはり人っ子ひとり見当たらず、気付けば一番奥の脇道まで来ていた。

「……兄さん、やっぱり何かおかしいわ。引き返しましょう」

「おっと。そうはいかねぇなぁ」

 追いついた柴乃が俺の腕を取るのと同時に、後ろの、路地の入口を塞ぐ形で二人の男が現れる。うち一人は赤髪、俺たちが追っていたやつで間違いなさそうだ。もう一人は緑色だけど。

 こいつら、どこに……と思う間もなく、赤髪と緑髪は嫌らしく笑みを浮かべる。

「あんたらでしょ? 事故現場からずっとオレッチの後をつけてた人間は」

「予定にないことだが……まぁいいだろ。学生二人くらい消えたって誰も気にしないさ、今更な」

「そうそう。大人しく捕まってくれよ」

「オレタチしばらく人間喰らってないから腹ペコでよ」

「?」

 目の前の赤と緑以外にも真横の脇道から……今度は青と黄色の頭をした男たちが現れた。これで俺と柴乃は完全に袋小路に閉じ込められてことになる。

 改めて見ても、外見だけでは本当に判別がつかない。少し肌が色黒なところを除けば、探せばどこにでもいそうな若者だ。

「お前たち、本当に魔物なのか?」

 じりじりと後ろに下がりながら、情報だけでも引き出す。なんとか柴乃だけでも逃がすことができれば、俺の犠牲も役に立つだろう。

「あれ? 確信はなかったのか? なんだよ、じゃあ本気で巻けばよかったな」

「ったく、お前がノロマだから人間ごときにつけられんだよ」

「な、なに? わざわざ人間が多いところで騒ぎを起こしてノコノコついてきた奴を喰おう、っつったのはお前じゃねぇか」

「まぁまぁ、割れんじゃねぇって。立案と実行で仲良く折半しようぜ」

「……お前たちは何もしてないよな?」

「いやいや、俺たちがいなけりゃこの路地を塞げなかったろ?」

 喧々諤々、何か事情はわからないが彼奴等は揉めているらしかった。この隙に、と二人で武器を展開する。

 と、赤髪がそれに気付いた。

「ああ、それ知ってるぜ。フィーリングウェポン、ってんだろ?」

「なっ……なぜ魔物がこれを知っているんだ?」

 俺は日本刀を、柴乃は短刀二本を魔物に向けながら、相手を凝視する。だが――

 これまでの五年間、魔物についていろいろ勉強し、武器の扱いにも慣れ、自信はついていたはずだった。しかし、実戦というものはこうまで違うのか。自分の中で魔物への恐怖を抑え刀が震えないようにするだけでも限界に近かった。半身で背を合わせる柴乃からも同様の振動が伝わってくる。仮に柴乃は怯えていなくても、恐怖は伝染する。――俺はなんて情けない兄貴だ?

「あんたら、オレタチの研究をよくやってんでしょ? それはオレタチも同じだってことだ。むしろ被害者側だから、あんたらよりもそのFWの効力について知ってるかもね」

 目の前のこいつらは何を言っているんだ? 魔物、というのは本能で人を襲い喰らい蹂躙する生物ではなかったのか?

「まぁ俺たちも、どうして感情ってもんでそいつが発動するかはわかんなかったけどさ。どうしてそれがオレタチに、昔のオレタチに効いたのか。あんたらはまだその答えに辿り着いちゃいないみたいだよな」

「どうして……なんだ?」

 思わず、としか言いようがないが、思わず口を突いて出た質問に、彼奴等は一瞬きょとんとするも、すぐに邪悪な笑みに変えた。

「はぁ? 教えると思ってんの? ぎゃはははは」

「そうだな。お前が土下座して媚びて、そこの女がオレタチと遊んでくれるっつーんなら教えてやらんでもないぞ」

 ゲタゲタ、と下卑た笑いを繰り返す魔物。俺はすでに、こいつらと自分自身にハラワタが煮えくり返っていたが、膠着状態の最中、彼奴等の後ろのもう一色、金色が加わったことに気付いて自制していた。

 が、隣で身構える義妹は違ったようだ。

「……兄さん、早くこの雑魚を倒して先生に知らせましょう」

 明らかに魔物にも聞こえるように言った言葉に、当然彼奴等はキレた。

「なんだと? この女、オレタチが雑魚だと?」

「その雑魚に追い詰められているオマエラはなんなんだ、って話じゃねぇか」

「いや、オレタチを雑魚と認めてどうすんだよ」

「まぁそんなことはどうだっていいだろ。とりあえず……」

 四人(匹?)が一斉にこちらに咆哮を轟かせた。

『ブッ殺してから決めるぞ?』

 赤が俺、緑が柴乃の正面から青と黄が後詰として突進してくる。後ろに逃げ場がなければ前に活路を見出すしかないのだが……

「……兄さん、とりあえず目の前の一匹だけに集中して。無力化するだけならいくらでもやりようがあるわ」

「お、おう。わかった」

 やはり情けない声しか出せない。だが、今はそれを気にする時ではなく、柴乃の言う通り、まずは先行二人押さえる必要がある。

 見たところ、武器は持っていない。しかし彼奴等は仮にも魔物だ。戦争時、銃火器が効かず四苦八苦した相手に、このFWは本当に通じるのか? もし通じなかった場合、目の前のやつらの餌になり、柴乃も多勢に無勢で遊ばれるのか?

 不安だけが頭を過ぎる中、俺の横から気合を入れる声が上がった。

「……はあぁぁぁああ?」

 柴乃が地面を駆って緑の魔物に相対する。二刀流の速さを活かし右左左右、と連撃を決め、あっという間に攻勢にした。

「ひゃはは、どうしたどうした? 兄ちゃん、ビビってのか?」

 赤髪は突進を止めない。どうやら斜め後ろになった横の戦場の状況が見えていないようで、俺が動かないのを見て得意になったらしい。

「弱っちぃなら、ここで死んどけ?」

 赤髪が右腕を上げ振り下そうとしている。その動作がスローモーションになった。

 俺が弱い? 確かに五年前の適性は落人、最低クラスだった。期待外れだと母さんに言われた。新しい父さんにも接してもらえなかった。そして義妹は一発で超人クラスの成績を出し、一足先に学園に入学した。明らかに俺は落ちこぼれだった。でも――義妹を、家族を護れない自分を恥じた。恥じたからこそ、懸命に努力した。情報が集まっていない薄っぺらな資料を読み、魔物の研究は欠かさなかった。護りたい、という意思の元でFWの扱いを昇華させた。五年かけて手に入れた結果は、柴乃の近くに行ける、彼女を護れるということ。それを成し遂げられないまま、俺はこんなところで終わるのか? こんな何もない俺のままで……

 

 『それは嫌だ?』

 

「うおぉぉぉぉおお!」

 目の前に振り下される手を、目一杯の力を込めた日本刀で弾く。

「なっ?」

 赤髪が驚愕した表情を浮かべるが、俺は手を止めなかった。

 柴乃には及ばないものの、的確に正確に相手の急所を狙い、確実に着実にその身を削っていく。庇った腕も下がろうとした脚も振り返った胴も、そしてがら空きになった首も、関係なくすべてを切断していく。まだ動く部分があれば容赦なく、それこそ細切れになるまで。

 そんな作業を幾分やっていただろうか。気付けば辺りは魔物の黒い血で水たまりが出来ていた。柴乃の方も終わっており、相手は五体不満足、両手両脚が離れ、かろうじて息をしているようだ。

 そこでようやく残り二人いたことに思い至り顔を上げるが、妙に静かだ。そこに佇むは、二節棍、ヌンチャクを両手に足元を睥睨する一人の少女だった。

「……やっぱりあなただったのね、深妃」

 ミキと呼ばれたその少女は、やっと顔を上げ柴乃に駆け寄る。

「お姉さま? 御無事だったのですね。お怪我はありませんか?」

「? ……お、お姉さまぁ?」

 金髪ツインテールのこの娘が、さっき彼奴等に加わったと思った五人目である、という納得は一瞬で吹き飛んだ。

「ちょっ、深妃、離れなさい」

「嫌です。これは危険を冒してアタシを心配させた罰ですから離れません?」

 おうおう、あの暗い義妹が動揺してやがる。、と、ぽかんと見ていると、当の本人から目線で救援要請があった。

「えっと、君は……ミキちゃんでいいのかな? そろそろ柴乃から離れてもらっても……」

「臆病な方は黙っていてくれませんか? お姉さまをお守りできない方は兄を名乗る資格はございません」

「ぐはっ?」

 柴乃の時とは態度を豹変させた彼女の辛辣な言葉に、がくっと項垂れる。

「それに気安く名前で呼ばないでいただけます? 先に教えておきますと、アタシは速水深妃。お姉さまの一つ下の壮黎学園中学三年。そして現在は同棲相手です?」

 ……そういえば二年前に、後輩に懐かれ家に上がり込んできて苦労している、と柴乃が手紙に書いて寄こしたことがあった。この一週間、姿を見たことがなかったのだが、このない胸を張り堂々と公言するこの少女がどうやらその後輩らしい。

「……深妃、いくらあなたでも兄さんを侮辱することは許さないわ」

「いやですわ、お姉さま。アタシは侮辱したつもりはございません。ただ事実を申し上げただけです」

 うぐぅ……それはそれで堪える。俺自身、自覚したことなので反論もできない。

「……でも深妃、どうしてあなたがここに?」

「ふふっ、お姉さまのあるところ、常にアタシもいるのです。何も不思議はありませんよ」

 と、言いつつ、柴乃の腕に巻きつき続ける速水。さっきまでの殺伐とした雰囲気はどこへやら……魔物が全員気絶以上の状態になっているからこそ、邪魔が入らない二人の空間。……俺は邪魔にさえなれなかった。

「それはそうと、これだけの事実が揃えば先生に連絡しても問題はないだろう」

 速水の登場で忘れかけていた魔物の処理を思い出す。が、

「そのことでしたら、すでにアタシの担任の鎌田先生に連絡をしてありますわ。何人か連れてきてくれるそうで」

 俺の発言に対し、深妃は思いっきり柴乃に話しかけていた。

「どうです? アタシ優秀でしょ? 褒めてください、お姉さま!」

「……偉いエライ、深妃は偉い子」

 ほぼ片言で深妃の頭を撫でる柴乃。確かにあれは苦労するだろう。特に柴乃にとっては一番苦手な人種のはずだ。

 頭を撫でてもらって気持ちよさそうにする速水深妃。見た目はとても可愛い。柴乃と微妙にタイプは異なるが、万人受けする柴乃に対し、特定の嗜好の異性から猛烈に好かれる顔、体格、口調、雰囲気。俺自身の知識は少ないが、ツンデレと呼ばれる部類だっけか。ただしこの場合は、俺に対してツンツン、柴乃に対してデレデレ。しかも雰囲気で読む取扱い説明書に『混ぜるなキケン?』の文字。彼女が同居人とは……先が思いやられる。

 そうしてしばらく、壁にもたれながら一方的にいちゃつく二人を見ていると、路地の入口からいくつかの足音が聞こえてきた。

 十人ほどだろうか。四人は学園の教師のようだ、中には南波先生の姿も見える。真っ先に速水に声をかけた男性がおそらく鎌田先生なのだろう。

 残り六人は皆、白衣を着ていることから研究所の役員であることがわかる。そしてその中に見覚えのある人を見つけた。

「か、母さん?」「……香澄さん」

 柴乃も同時に気が付いたようだ。

「魔物に挑んだ学生、って貴方たちだったの?」

 俺は父親の血を多く受け継いだのか、母さんとはあまり似ていない。それでも目元はそっくりだ、とよく言われる。十年前に研究中の事故で父さんが死に、五年前に再婚し新しい父親と義妹ができるまで、俺の唯一の守護対象だった人。尤も母さん自身も強力なFWの適性があったため、俺が護るまでもなかったが。しかしそれゆえに落人の適性は母さんを失望させ、俺が地下研究所で強くなろうと誓ったきっかけでもある。

「まったく……利人が関わっていたなら出てくるんじゃなかったかしら?」

「……えっ……?」

 思いがけない母の言葉に、息が詰まった。が、すぐに近くから声が上がる。

「そんなこと言っちゃって。宗多博士、ずっと息子さんのこと気にしていたでしょうに。戦った学生が利人だったらどうしよう、って」

「え?」

 先は絶望が混じった驚愕。今度は喜びが混じった驚きの声が出た。感情は正直だ。

「もう……坂上さん、バラさないでくださいよ……」

 そう言いながらも、心なしか顔がほんのり朱に染まっている。

「自分の子供を心配しない親はいないわ。ほら、柴乃もおいで」

 速水深妃から解放され、その言葉に応じ近づいた柴乃を、俺諸共、思いっきり抱きしめる。

「もう、ほんとに心配したんだから? こんな無茶して、怪我で済まなかったらどうするつもりだったのよ……」

 顔は後ろにあり見えないが、言葉から母が泣いていることがわかる。それに釣られるように俺も、柴乃も、共に目尻に雫を溜めていた。

「ほんと……無事でよかった」

『……ごめんなさい』

 自然と、俺と柴乃の声は重なって母さんに届いていただろう――




第四章


 魔物襲撃事件のあった日――

 気絶した魔物二匹と青色吐息の一匹、そして細切れになった魔物だったものを研究員に回収指示を出しながら、母さんは『とりあえず今日は帰りなさい。こっちでも色々と調べてみるから、また何かわかったら連絡するわ』と言われ、俺と柴乃は家路についた。

 ちなみに速水は、ここ数日、友達の家々を回って泊まっていたらしい。どうやら、俺がどんな人物なのか、柴乃に相応しい兄なのか、という事柄を見極めるためだったそうだ。結果は――何も言われていない。それを合格と採るのか、様子見と採るのか、もしくは帰ってきた暁に正式に言い渡すのか……とりあえずその日も泊るつもりだったようで、日曜日には帰って来なかった。

 一夜明け、月曜日――早速、俺は放課後、生徒会室に集まるように、と会長から連絡を受けた。なぜ会長から来たのかはわからないが、学園のトップでもある生徒会役員にも話を聞かせようという先生の計らいかもしれない。

 そして放課後。教室の掃除当番だったので、少々遅れ気味に到着し扉を開けると……

「タッタくん、あたしは怒ってるんだよ?」

 扉のすぐ近くで腕組みして頬を膨らましているウーミン会長がいた。

「ああ、すいません。掃除当番でしたので遅れました」

「そっちじゃないよ?」

 俺が素直に謝っているのに、会長はまだご立腹だった。

「昨日のことだよ。南波ちゃんに聞いたよ、無茶してミャーノと一緒に魔物を追いかけた、って」

 南波先生が? と思って室内を見渡すと、いつもの生徒会室よりも少しばかり人数が多かった。

「南波先生と速水はわかるとして、どうして母さんが?」

 母さん――宗多香澄と南波先生は来客用のパイプ椅子に座っていた。もちろんそれはいいのだが、なぜ速水は俺の会計椅子でふんぞり返っているんだ? と俺の疑問が解消される暇もなく、質問を受けた宗多香澄――母さんが話し出す。

「そりゃ調べてわかったことはまだ何もないけれど、情報の共有は早い方がいいと思ってね」

「なるほど……」

 一つ頷いて納得していると胸元から会長の声が聞こえる。

「そういうことだから、昨日のこと話してもらうよ。とりあえず自分の席について」

 そう言って会長は会長席に戻っていくのだが……如何せん、俺の席は占領されている。

「俺はここでいいですよ。罰として立っています」

 俺は扉のすぐ横の壁に背をもたれかけさせる。全員の視線が一点に集中する中、その視線を一身に受ける速水は自分の両腿を叩いていた。

「そんなところに突っ立ってないで座ったらいいじゃないですか。ここは先輩の席なのでしょう?」

「なっ、お前の上に座れってか?」

「ささっ、どうぞ遠慮なく?」

 定位置から半分、回転式椅子を回しこちらを向く。何か企んでいるな、という勘は見事に当たり、速水は股のあいだにハサミを仕込んでやがった。もちろん刃を上にして。

「いや、遠慮しておくよ。逆に速水が俺の膝に座るか?」

 ハサミを使えなくして、逆襲のつもりでそう言ったのだが……

「はっ? 俺の上に座れ、って? 後輩にそんなこと求めるとか変態ですか? 引きますね、これは」

 呆れ・失望のため息とともに首を横に振る速水。

「え、いや今のはお前への復讐で言ったのであって本心ではないよ」

「……疑わしいものですね」

 速水は以前として警戒を解かない。誰か彼女を説得してくれ、と生徒会室内に視線を送るが、理不尽な反俺思想が広まっているようだった。

「タッタくん、今あたしの怒りは境界線を超えたよ」

「まさか利人くんがそういう趣味だったなんて……」

「宗多、お前というやつは……昨日の功績が水の泡だ」

「息子の心配なんてするんじゃなかったかしら」

「…………」

 女性陣から総スカンを食らった。唯一の男性であるダイテン先輩にも、気持ちはわかるが助けると僕も被害を受けるから、と悲しそうな目で見棄てられた。その代わりなのか一応空気を換えようとする。

「そ、そんなことはどうでもいいから、話の先を続けよう」

 その瞬間――すべての矛先が犬飼先輩に向かった。気持ちは一様に『どうでもいい、だと?』と推察できる。まぁ直接的なものは視線以外にはなかったが。

「そうね。それが目的で来たのだし、研究もあるから早めに終わらせましょう」

 先輩に乗ったのは母さんだった。その一言で皆も意識を集中させる。

「さて……じゃあ、利人に話してもらおうか。昨日、商業区に行って、私たちに会うまでをな」

 俺はひとつ頷き、母さんに言われるままに語り出す。

 美容院のことは伏せ(いや言う必要はない)、デパートの入り口正面で事故を目撃し、歩行者が無傷で車が凹んでいることに疑問を持ち、自分たちで追跡することを選択し、結果、危険に陥ったこと。

 俺が語り終えても誰も何も喋らなかった。と、しばらく包んだ静寂を破るように会長がポツリと呟いた。

「……で、いつなのかな?」

「? いつ、って何がですか?」

 質問の意図が読み取れず聞き返すと、会長はバンと机を叩いて立ち上がった。

「いつ、ミャーノと散髪デートに行ったのかと聞いているの?」

「そこ気にしますか?」

 魔物に追い詰められてヤバかった、という話よりも柴乃が髪を切った方が重要だったらしい。

「柴乃を散髪に連れて行ったのはデパートに行く前ですけど……それが何か問題でも?」

「罰として今度はあたしを連れて行きなさい」

「はぁ……まぁいいですけど。てか何で罰なんですか?」

 だが、会長は俺の答えを聞くと椅子にもたれ掛ってしまい、目を閉じて動かなくなった。

 再び静寂が満ちる室内。俺と会長のやり取りを見詰める者、呆れる者、動じない者それぞれだったが、また誰もしゃべらないので、次は俺自身で空気を破る。

「それで、母さん……いや宗多博士。FWについて知りたいことがあるんですが、聞いてもいいですか?」

 一同皆ぎょっとして俺を見るが、母さんだけは予想通りとでも言わんばかりに冷静に対応する。

「いいわよ。質問の内容は……FWの魔物への効力、かしら?」

「……おっしゃる通りです」

 母親の勘なのか、博士としての知識からなのか、質問内容を鋭く言い当てられた。

「そうは言ってもね、私たちも所詮は推測の域を出ないのよ」

「それは理解できる。あいつらも、自分たちが魔物だからわかることだ、って言っていたし」

 昨日の夜からずっと頭の中を反芻する彼奴等の下卑た笑い、その直前に言っていた言葉もまた、俺の疑問付きで繰り返されていた。

「まずは、人間と魔物の、姿かたち以外の違いはわかるな?」

 俺だけでなく全員に向けた質問返しに、犬飼先輩が答える。

「我々人間は感情で理性を働かせ行動を決めますが、彼らは本能のみに従っている、ということですね」

 肯定の意を示す頷きをひとつ全員で行う。

 もちろんそれは一般的な総合的評価でしかない。人間でも本能に従って動くやつもいるし、魔物の体長は二メートルを超えるとか、体表が固くナイフは通らず銃火器も効かないなどの見たままの事実でもなく、内面的な違いを端的に表すとそう評価される。

「そうだな。もっと言うと魔物には自我がない。あいつらが人間を敵として認識しているのか、食料としか見ていないのかはわからないが、自分たちとは異なるものとして排除するか取り込もうとしていたのは確かだ」

「取り込む……ってどういうことですか?」

 松輝先輩が当然の疑問を口にする。確かにこの先は、壮黎学園の生徒と言えど一般人は知らないこと。

「ああ、我々対特殊生物対策チームでは戦争時に数匹の魔物を捕えることに成功していてね。魔物の生態を知るために色々と実験を繰り返しているんだ」

 母さんの説明に、松輝先輩と速水は嫌そうな顔をした。少々女の子には酷な内容かもしれないが、柴乃と会長は知っているようであまり表情に変化はない。

「その過程で知るに至ったことがいくつかある。その一つに細胞の人類化とでも呼ぶべき現象があったんだ」

「細胞の……人類化、ですか」

「そうだ。実験に際し……と言っても、別に人間をひとり喰わしたわけではないから安心してくれ。捕えた魔物の皮膚をFWで切り取り、それに少量の人間の血を垂らしただけだよ」

 どっちにしろ、イメージしたくはない実験だから、安心しろ、の意味がわからないけどな。

「それを顕微鏡で観察すると、どういうわけか、細胞レベルで人間と似たものに変化したんだ。だから我々は『取り込んだ』と表現した。でもまぁ、それが偶然で個体差があるかもしれないから、敵としての認識を考えとして捨てきれないんだがね」

 彼奴等も意識せずに人類化しているとすれば、己のチカラを振るうべき相手として人間を喰らっているのであり、こちらとしても純粋に対抗する者として魔物を認識できるが……

「もし魔物が人類と同化しようとして喰らっているのだとすれば……」

「おそらく、大変なことになるだろうな」

 俺の言葉を南波先生が引き継ぐ。しかしその先は言わず黙ってしまい、しびれを切らした松輝先輩の質問が飛ぶ。

「大変なことって?」

 それに答えたのは今まで喋らなかった柴乃だった。

「……魔物の人類化」

「じんるい、か?」

 言葉を繰り返す松輝先輩に、柴乃は続ける。

「……私と兄さんと深妃と、香澄さんと先生は昨日見たけれど……彼らの見た目は人と変わりませんでした。だから私と兄さんは通報せずに確かめることを優先したのです」

「つまりは、家で、街で、学校で……自分の隣に立っている『人間』が、実は魔物が変化した奴かもしれない、ってことですよ」

 今度は俺が言葉を引き継いだ。

 昨日の魔物は、研究成果を知っている俺と柴乃だから気付けた違和感だ。いくら事故で無傷でも、強い生存意識により奇跡的な回避力を発揮することもある。でも俺たちはその無傷が体表の固さによるものだと判断できたのは、母さんが対策チームの研究員だったからだ。

 もしも俺たちが研究成果を知ることないただの生徒だったら……事故を奇跡的な場面とだけしか思わず、擬人化に気付かなかったかもしれない。それでも車が凹んだのには何かしらの違和感を覚えるだろうが、魔物の仕業とまでは思わないだろう。

 魔物が人間と同種になって何がしたいのか?

 その問題は、まだ言葉を理解した魔物の実験はしていないので人間側の誰も知るところではないが、彼奴等は昨日言った、『オレタチだからわかることもある』と。

 まぁそれも時間の問題ではあろうが。対策チームが、実験という名の拷問という名の研究を進めれば自ずとわかること。

「日常生活に潜む魔物……」

 速水の呟きが室内を満たす。それに思わず俺はツッコんでしまった。

「なんかそういう言い方をすれば、別なものに聞こえるな。明日から食べちゃいけないケーキとか、小金稼いだあとのウマい話とか、モテない男子に迫る妖艶な手とか……」

「空気読まない人に向ける銃口とか?」

「ごめんなさい。謝りますから、FWをしまってください」

 部屋の対極から向けられるリボルバーに対し、全力で両手をホールドアップしていた。それを見てもなお、ぷんすかと頬を膨らませる会長を可愛いと思う間もなく、やっぱり痛い視線は俺に向けられていた。

「でもそれだけのスペックを持ちながら、どうして魔物は逃げて行ったんだ?」

 犬飼先輩が、空気を換えるためか話を元に戻す。先輩が質問をしたのは俺だったが、答えたのは母さんだった。

「そこから利人の最初の質問に戻るわけだが」

 それにより俺への視線は緩和され、すべては母さんに向かう。

「魔物に対してのFWは物理的にも銃火器に勝る強さを見せ、彼らの体表を銃で穿ち剣で捌くことも出来た。だが、それ以上の理由があってな。魔物に自我がないというのはさっき言ったが、それは感情がない、ということと微妙に違っていて、ない、というよりも欠落しているんだ」

「欠落、か……」

 誰かが呟く。それは意外にも南波先生だったが、強く意識することもなく、母さんが先を続けた。

「そう、欠落ならば、感情が入る余地がないわけではない。魔物がどういう世界で生き、あの体格や体表を手に入れたかはわからないが、感情が欠落しているだけ、と考えれば内面的な部分では人間と変わらないということ。そしてそれを補うのがFWだったというわけだ」

 そう締めくくっても、犬飼先輩、松輝先輩と速水は反応できていないようだった。

「補う……? というわけだ、と言われても、いまいちピンと来ないのですが」

 首を傾げる三人を代表して犬飼先輩が説明を求める。

「まぁそうだろうな。それについては我々でも、はじめの方に言った通り推測の域をいまだ脱していないのだから」

「え? あ、そうなんですか」

 母さんの思わぬ返答に、松輝先輩の言葉もつんのめった形になった。

「言ったろう? 言葉を理解できる魔物の実験はこれからだ、と。昨日捕えた魔物たちが何かの役に立てばいいがな」

 そう言いつつ、母さんはふと窓の外を見やる。皆も釣られて向くと、すでに外は夕焼けのオレンジ色に染まっていた。

「さて、話はこんなものでいいだろう。これを全生徒に伝えるかどうかは武城会長や先生方に任せるよ。ではこれで失礼して私は研究に戻る」

 その言葉を最後に生徒会室から退室する。ドアの脇に立ったままの俺に一瞬視線を向けるが、結局何も言わずに出て行った。

「私も仕事に戻るか。一週間後には実力テストがあるし、問題を作らねばならん。お前たちも早く帰るように」

 ヒールをコツッコツッと鳴らしながら、南波先生も部屋を出て行く。残された生徒会メンバープラス速水は誰も立ちあがることなく呆然としていた。

 と、何度目かの静寂を次は速水が破る。

「一つ、腑に落ちないことがあるんですが……宗多博士や先生、武城会長が色々と知っているのは理解できるんですが、どうしてお姉さまや宗多先輩が何も驚かずに平然としているんですか?」

 これには速水だけでなく、犬飼・松輝両先輩も不思議そうに頷き速水に賛同する。

「理由は簡単だろう。俺たちは博士の子供だぜ。研究内容を知っていてもおかしくないと思うが?」

 俺は真っ当な返事をしたと思ったのだが、先輩たちは納得していないようだった。

「いや、おかしいだろう。いくら子供とはいえ、世間一般に認知されていないこととも全部話すとは考えにくい」

「それに、今日宗多博士がここに来たのも疑問よね。あんな機密事項をいち博士が喋っていいのかな?」

 その二つは確かに初見で感じるだろう疑問だったが、対する俺は答えを持っていた。

「まぁ確かに俺がただの息子だったら知らされる情報は少ないでしょうが……ある実験に俺も関わってますんで、その延長線上で。それに母さんは実質的なFWの開発者ですからね。責任者としてここに来てもなんらおかしいことはありません」

「ある実験、って何?」

「FWの開発者は九条泰成博士じゃなかったっけ?」

 先輩は矢継ぎ早に質問を重ねてくる。それに対しても遅れることなく返した。

「実験内容については何も言えません、それこそ機密事項ですので。開発者についても九条博士は研究所の所長的立場なだけであって、実際に見つけたのは母さんなんですよ。まぁそれも、いち博士の失敗作が人類反撃の武器、というのは不安を煽るだけなので、研究所所長が開発した、って筋書きに変えられましたけど」

 俺の淀みない返答に首を傾げていた三人は、なるほど、と納得した顔をする。

 時計の針は午後五時を少し回ったところを指していた。春先の部活動は終わるのが早く、もうグラウンドからの喧騒も聞こえない。生徒会室もまた静寂が満ちる、という雰囲気でもなくなっていた。

「じゃあ、今日はこれでお開きにしようか。下校時刻が迫ってるしね。みんな付き合ってくれてありがとう」

 会長の言葉にやっと全員の腰が上がる。特に何も作業はしていなかったため、時間がかかることもなく、すぐに部屋を後にした。

「あたしはカギを職員室に返してくるから、みんなは先に帰っちゃって。じゃ、お疲れさま」

 そのまま薄暗くなり始めている廊下を歩く会長。その後ろ姿を見送っているうちに、自然と犬飼先輩に声をかけていた。

「会長、って普段あんなに天真爛漫なのに、どうして悪魔クラスなんですか? ちょっと想像ができないんですけど」

 悪魔クラス――全統試における最高基準値だが、悪魔はマイナスイメージ、要するに怒りの感情で評価されるクラスだ。俺は一度その怒りオーラを喰らっているが、よくよく考えればそれが本気なのかの判別がつかなかった。

「う~ん、どうしようかな……こういうことは本人に直接聞いた方がいいのだろうし、会長でも許さないと思うんだけど……」

 それは尤もな意見だ。やはり個人の情報は個人で扱うべきで……

「まぁでも触りだけならいいんじゃないかな。君たちも僕が喋ったって言っちゃだめだよ」

 ――こうして個人情報は流出していくのだった。聞いておいてなんだけど。

「でも、そんな複雑な話でもないよ。君たちは魔物に、近しい人を殺された、って経験はあるかい?」

 犬飼幸太郎の精一杯とも感じる神妙な面持ちで語りだしたが、ぶっちゃけ、先輩のその解答だけですべてを物語っていた。

「いえ、俺も柴乃も魔物に殺された人はいませんね。病死とか事故死ならありますけど」

 俺の父親も母さんと同じ研究員だったが、六年前、とある事故に巻き込まれ死んでいる。柴乃の母親も小学校に上がる直前に死に別れたそうだ。だからこそ、再婚しているのだけれど。

「ああ、そうだったのか……聞いちゃいけない部分だったかな?」

「いえ、特には。俺も柴乃も気には留めていますけど、気にしてはいませんし」

 新しい家族と生きると決めた俺たちは、別れた家族を忘れる必要もなく生きている。蟠りがあるわけでもないし、両親が二人ずついるというのも新鮮だ。まっ、互いの死に別れた父母を知らないので、結局父二人母二人の感覚だが。

「ということは、会長は魔物に家族を……?」

 おそるおそるの俺の質問に、両先輩は神妙な顔をする。

「ああ、そうらしい。僕も聞いただけだから、それがどんな感情を生み出すのかはわからないけど、武城会長の原動力は間違いなく怒りだよ」

 俺に対し会長は笑顔で怒った。でもそれはやっぱり相手が人間だったから。もしも魔物に相対した時、会長はどうなるのだろう。怒りで我を失った会長を俺たちは止められるのだろうか。それとも自分で理性を働かせることができるのだろうか。

 怒りという感情は最も本能の根幹に近いものだ。しかし魔物とは違い、自我がなくなるわけではない。だがそれゆえに、どこかで理性のブレーキが働き、最後の詰めが甘くなる、なんてことは人間同士の社会でもよくあることだ。ましてやそれが、生死を賭けた戦争の時に働いてしまっては大変だ。俺も戦闘時に非情になれる自信はあるが、実戦は昨日が初めて。必死だったし、正直次も同じようにいくとは思わない。護るものがあればチカラを出す自信の方はあるけれど、その護りたい対象の筆頭は我先にと突貫していたし。

「まぁ今言ったことは会長には内緒で。銃撃はされたくないしね」

 そう言い手を振って去る犬飼先輩。それに合わせて松輝先輩もこの場を去っていく。残された俺と柴乃、速水の三人は互いに顔を見合わせ頷く。

「帰るか」

 俺を先頭に二人も続く。学園に入学してから一週間、はじめて三人が集うシェアハウスへの帰路についた。


 帰り道の途中で商業区と学園区の境目付近にあるスーパーへ寄る。小さいながらも居住区のすぐ外で収穫される新鮮な食材を仕入れているため、ほぼ産地という立場で堪能できる。

 そこで大量の食料を買い込み、各自で持てるだけ持つ。割合は俺六・二人四。かといって体力がないわけでもないので、慣れてきた道のりを息をそれほど切らすこともなく家の前に着いた。

 すでにここで寝泊まりし出してから一週間、表札はいまだに俺の名前『宗多』を入れていないが、特に必要とも思っていないので今のところは追加する予定はない。

「ただいま~」

 返事を期待するでもなく、三人で帰宅の挨拶をする。

 シェアハウスは二階建て。二階に三人それぞれの部屋がある。が、本来は四人が住める家なので今は一つ余っている状態だ。共用スペースは一階にすべて集まっており、玄関を入ってすぐ左手に和室の扉がある。物置と繋がっているのだが、人数も少ないのでその二部屋を使用することはほとんどない。和室の前を通り過ぎ階段の脇の廊下を奥に行くと、洗面所、脱衣所、浴室がある。和室とちょうど反対側にはリビング・ダイニング・キッチンがまとまった大きめの部屋。基本的に自室とリビングを行ったり来たり、時々浴室を繰り返す生活だ。

 買った食料をとりあえずリビングの机に置き、ひと息つく。藍色のカーテンの向こうはもう真っ暗で、LEDライトに照らされた室内は、中央のテーブルと角のテレビ、壁際のタンス以外にモノがないため異様に広く映る。

「しっかし、また買い込んだな。何日分だ、これ?」

 ざっと五袋。それぞれパンパンに詰め込みビニールははち切れそうだ。

「そうですね、三日……いえ二日でなくなると思います」

「二日……ふつかぁ? この量だぞ。誰が食べるんだ?」

「アタシですが、何か?」

 鼻息荒く公言するが、いったいその身体のどこに入るというのか。

「とんだ大食漢だったのか」

「失敬な? よく食べよく寝よく殺す、と言ってください」

「それは女子の評価としてどうなんだ……しかも昨日は殺してないじゃねぇか」

「昨日は昨日で、臨機応変に対応すべき場面でしょう? 魔物を細切れにしてしまった誰かさんとは違うのです」

「うぐっ……」

 それについては返す言葉はない。怒りと恐怖の感情に任せ、初めて見る擬人化のサンプルを壊してしまったのだから。

「さて、それではすぐに夕食を作ってしまいますね。お姉さま、少々お待ちくださいな」

 そう言ってタンスの引き出しから黄色いエプロンを取り出す速水。

「なんだ? 速水は自分で作るのか」

「もちろん。自分で食べる料理は自分で作らなければ。特にアタシは食す量が多いので」

「……だとさ、柴乃」

「………………」

 奮起を促す意味で視線を送ってみたのだが、柴乃はソッポを向いたまま、微動だにしない。ここ一週間の食事は、主に近所の総菜屋で買ったサラダやインスタント食品だった。

「お姉さまはいいんです。アタシが心を込めてお作りしますので」

「……柴乃の料理スキルがまったく上達しなかったのは、二年間も速水が一緒にいたからかもしれないな……」

 俺が記憶にないが想像が容易い場面を遠い目で考えていると、いきなりずいっと速水が身を寄せてくる。

「と、特別に、お兄ちゃんにも作ってあげるわ。か、感謝しなさいよね」

「お、おう……」

 なんだこの展開? 俺たち義兄弟に対して、兄ツン妹デレだと思っていた速水が俺にデレ……

「ってか、お兄ちゃん、って誰だ? お前にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはない」

 やはり咎めるべきはこちらが先。

「いいじゃないですか。お姉さまの兄なんですから、妹分であるアタシが『お兄ちゃん』と呼んでも」

「え、そういう問題なのか? いやでもこれはこれで……」

「あ、勘違いしないでくださいね。たとえあなたを『お兄ちゃん』と呼ぼうが、超人としての尊厳も、男としての魅力もこれっぽっちも感じていませんので。つまりアウトオブ眼中です」

 デレもへったくれもない言葉を吐きキッチンに向かう速水を、俺は呆然と見送るしかできなかった。

「……なんだろう、この感覚。『お兄ちゃん』と呼ばれながらもまったく慕われない悲しさ。勝手に妹に嫌われていく……他に類を見ない寂しさが湧き出てきそうだ」

 顔に両手を当て自失していると、左肩に手が置かれ、帰宅してからはじめて柴乃が喋った。

「……兄さん、大丈夫。私は兄さんしか見ていないから」

「ありがとな、柴乃。でも、それはそれで、速水がかわいそうに思えてくるよな……」

 自分を取り戻し、キッチンへの食材の整理を手伝う。夕食ができたら呼びに来るというので、速水の言葉に従い、俺と柴乃はそれぞれの自室で待つことにした。


 ――夕食後――


 速水は、彼女自身の宣言通り、俺たちの二倍……いや、三倍近くの量を、俺たちとほぼ同じ時間で平らげていた。ほんと、あの細身のどこに入るというのだ……と軽く、本当に流し目で見ていただけなのに、それに気付いた速水は身体を掻き抱くように身を丸める。瞳は当然の如く、疑心に満ち満ちていた。そんなに妖しい目線になっていただろうか。

 俺は他意はないように自然と、夕食を作ってもらったお礼として皿洗いを申し出たのだが断られた。理由は――

「アタシたちが見ていない時に、お箸とか舐めまわされるかも知れませんからね」

「するか、んなこと?」

「……兄さん、むしろ私が使ったお箸を、あ~んしてあげるわ」

「待て、柴乃。お前はもう少し節度を……」

「お兄ちゃんが嫌がるんだったら、是非アタシが?」

「……グサ」

「ぎゃー? 目が、目があぁぁ?」

「おい柴乃……目潰しはちょっと……」

「……大丈夫。峰打ち」

「ああ、そうか。なら、よかっ……」

「……眼球の表面を疵付けただけ」

「って、全然よくねぇ」

「うぅぅ……アタシ、傷物にされてしまいました……」

「おい、大丈夫か? 速水……」

「こうなったらもうお嫁にもらってしまうしかありません! お姉さまに?」

「発想が突飛すぎる?」

「……それはダメ。私の身体は兄さんのモノ」

「ちょっと待て。その発言の方が問題――」

「(きっ)」

「ほら見ろ。あらぬ誤解を生んでいるじゃねぇか」

「……? 私としては狙い通り」

「それがカオスを引き寄せてんだよ?」

 その後も、騒ぐ速水を宥めたり箸を二刀流に持ち替える柴乃を抑えたりと大変だった。三人で迎える日常の初日がこれとは、先が思いやられる。

 とりあえず柴乃に風呂に入るように言い、速水には食洗機の使い方だけ教わるという形に落ち着かせた。

「――で、このボタンを押せばあとは自動的に洗浄してくれますので」

 そうして速水の説明は終わる。だが、俺はまだ腑に落ちないところがあった。

「なぁ、速水。お前ってここ一週間、友達の家に寝泊まりしていたんだよな?」

「ええ、そうですけど。なんですか? 突然」

 食洗機のボタンから目を離し、訝しげにこちらを見る。

「いや、そこでも三倍の量を食べていたのかな、と」

 気になることを正直に聞いたつもりだったが、どこか癇に障ったらしい。

「失敬な? 食べてもせいぜい二倍くらいです」

「それでも十分だろう……」

 頬を膨らませる速水を呆れた瞳で見る。

「それよか、食費とかって」

「先輩は知らないんですか? 壮黎の学生とその家族には現物が支給されてるんです」

「現物?」

「そう、現物。家とかもそうですけど、金銭面でも工面してもらってるんですよ。現ナマと言い換えてもいいですね。だから食費も自腹、と言っていいかはわかりませんが、友達の家には迷惑かけてません」

「ああ、あそう……」

 速水は右手の親指と人差し指で円を作り(おそらく小金とオーケーサインの両意味)、そこから覗き込んでくる。

「で、実際なにしてたんだ? 一週間も転々として」

「それはもちろん、お兄ちゃんの監視です」

 丸めていた指を伸ばし俺にビシッと突き付けてきた。

「監視ってなんだ、監視って……あと、指を向けるな」

「先端恐怖症ですか?」

「違ぇ、礼儀だろ」

 とは言っても、なぜ指でさすことが失礼に当たるのかは知らないが。

「ふむぅ、それは失礼しました」

 そう言って指を戻し……握り拳で俺を指していた。これも変な構図だな。

「こほん。で、監視の目標はお兄ちゃんがお姉さまの兄として相応しいかどうか、です」

「相応しいかどうか、って言われても、俺と柴乃が一緒に居る時間はまだ一ヶ月とちょっとしかないんだぞ。兄としての尊厳とかないしな」

「そう、そこなんですよね。ずっと張り付いていてもお姉さまと特別なことを何もしませんし、一緒に登校していても兄と弟どっちとも取れましたしね」

「張り付いてた、って最近ちらついていた金色の光はお前だったのか……」

 始業式後の廊下、オリエンテーションの仕合直後、そして美容院と、頭の隅に引っ掛かった金色の光の元は速水だったことにようやく納得できた。

 それにしても、顎に手をやって悩む速水の金髪は室内灯の下でも十二分に映える。材質がなんなのかと問いたいが、どうせ俺では触らせてもらえないので今は捨て置こう。

 ため息を吐きながらも皿をさっと濯ぐため、水道の蛇口を捻る。

「どいつもこいつも、どうしてそんなに柴乃に心酔しているんだ? あいつは確かに鬼クラスで強いとか、顔は結構美人だとかあるけど、普段は根暗だし料理も真面目に出来ないし、なにより重度のブラコンだぜ?」

「………………」

 水音で聞こえないのか、速水の反応がない。一度、止めて彼女を見ると泣きそうな顔をしていた。

「なんですか? 最後のは自慢ですか? ええ、そうですとも。アタシたちがどれほどアピールしようともお姉さまは見向きもしませんでしたよ。中学三年間、誰とも関わろうともせず、ひたすらにFWの練習に打ち込む姿にみんなが惚れましたけど、結局お兄ちゃんと再会してからの一週間の方がテンションが高まっていたのは見え見えでした。アタシたちは悔しくて悔しくて……このシスコンッ?」

 えぇぇぇぇ……なんか謂われのない罵倒をされた。

「……結局お前は何が言いたいんだ?」

「ただ単に羨ましいんですよ、憧れの人の愛情を一身に受けるお兄ちゃんが。憎らしいほどにね?」

「いや、そんなこと言われてもなぁ……」

 柴乃の感情は柴乃のもので、俺に憎しみを向けられたとて、どうすることもできないのが現状なのだが……

「で? 俺にどうしろ、っつーんだよ」

 呆れのため息を再び吐きながらも、今度は一気に皿を洗い、順次洗浄機に並べていく。残すは肉と野菜の炒め料理を乗せていた大皿五枚(うち三枚は速水が平らげた)、というところでやっと速水が口を開いた。

「お兄ちゃんは特に何もしなくてもいいですよ。もうターンはアタシたちに移っていますから」

「? ターンってどういう……」

 カチャカチャと皿を並べながらも首だけ速水の方を向く。と、彼女はにっこり笑いながら徐々に後ろに下がっていた。

「お兄ちゃんのターンは最初に出会った一ヶ月、最近の一週間はお姉さまがお兄ちゃんにアピールするターン。で、アタシたち憧憬組がついに行動を起こす時がやってきたんです。そのためにアタシたちはマモノになる覚悟があります」

 正直ツッコみどころ満載だが、俺はそれら以上にマモノという言葉に反応してしまった。

「おい速水。今の状況を知らないわけでもないのに、どうしてそうマモノになるなんて軽々しく――」

「お兄ちゃんにはわからないんだ? 好きな人にずっと無視され続ける悔しさと悲しさは……だから、今からアタシが風呂場で証明してやる? マモノになれる、ってことを?」

 途端に走り出す速水。俺は最後の一枚を並び終えるところだったので咄嗟に行動できなかった。

「は? 風呂場、って今柴乃が入ってるけど……? ……って、おい? それはマモノじゃなくて、ただのケダモノだ?」

 追いかけないとヤバいことに、と思い速水の後に続くも、彼女はリビングのドアを開けたところで止まっていた。

「あ、お兄ちゃん、せっかくお皿並べたから、食洗機のスイッチも忘れずにね」

「お、おう、そうか。動かさないと意味ないもんな」

 俺は急ブレーキをかけ振り返ると、さっき習った通りの順番でボタンを押していく。

「えっと? まず『電源』で、洗浄項目を『濯ぎ+乾燥』に合わせて、蓋を閉めて『開始』ボタン、と。よし、動き始めた……じゃねぇぇぇ? 早く速水を止めないと……」

 俺は何をしているんだ? と自分自身に問いかけるも、答えが返ってくるはずもなく……などと考えている時に、ガンッ? という凄まじい音が響いてきた。

 それが何の音なのか、詮索する時間もない。だって風呂場まで短い距離だし。だからついつい確認もせずに脱衣所の扉を思いっきり開けてしまった。

「大丈夫か、柴乃? 速水に、襲わ、れ……」

 少し考えれば、何も着ていない柴乃がそこにいるかも、と予測できただろうに。

 髪を切っただけでは知ることのできなかったそのボディラインは、強調するところはしっかり強調し、くびれるところはくびれ、日焼けをまったく知らなさそうな純白の肌はまるでウェディングドレスをそのまま着ているように美しかった。

「……兄さん……深妃を嗾けたのは兄さん?」

 若干、怒気を含んだ無表情は恐い。が、まったく隠したり恥ずかしがったりしないのはなぜだ?

「ああ、まぁ、そうなるのかな。直接、行って来いとかやってみろとは言ってないけど、突っ込んでいく速水を止められなかった、って点ではすまなかった」

「……そう」

 彼女の無表情からは、いくら兄でも気持ちは読み取れなかった。

「……時に、兄さん」

「? なんだ?」

「……兄さんは妹の肢体に欲情はしないのかしら?」

「……激しく誤解を招く言い方をやめようか」

 今はわかる。何かに期待したような瞳が浮かんでいるからな。だがそれには応えられん。

「……兄さんは義妹の肢体に興味はないのかしら?」

「実妹から義妹に変わっただけじゃねぇか。そこを変えても答えは変わらずノーだ」

「…………」

 無言で俯く。こうはっきりと動作で表現してくれればわかりやすいんだが。

 だが、兄としてではなく、宗多利人として応えねばならない場面でもあるかと思う。

「でも、俺個人で興味があるのは、現状で間宮柴乃ただ一人だよ。欲情はしねぇけど」

「? ……? ……現状で?」

 嬉しそうに顔を上げたと思ったら、言葉の途中を気にしてか少し表情を曇らせた。

「ああ、そうだ、現状、な。俺だってまだ十五、六だし、これから柴乃以上に好きな人が出来るかもしれない。柴乃にも俺以上に好意を寄せる異性が現れるかもしれない。でも今女性として見ているのは柴乃だけだということは断言できる」

「……そこは嘘でも『ずっと愛してる』と告白するべきところでは?」

「柴乃には一時の慰めが必要か?」

「…………」

 今度は無言で首を振る。寂しそうな表情をさせるのも気が引けるが、糠喜びさせるための言葉は持ち合わせていない。

「まっ、そういうことだ。わかったら早く身体を拭け。風邪ひくぞ」

 そう言いくるめて退散しようとする。正直、彼女の身体が眩しすぎて直視するにも限界だった。が、柴乃はカゴにあったバスタオルで濡れた身体を拭きながら俺を引き留める。

「……兄さん」

「? なんだ?」

「……これ、片付けていって」

「?」

 柴乃が半開きの浴室のドアを全開にすると――金髪を振り乱し身体を大の字に投げ出し気絶しているらしい速水深妃のあられもない姿がそこにあった。近くには凹んだ洗面器。さきほど響いた音は、柴乃が闖入してきた速水を気絶させた時のものらしかった。

「え? 俺に部屋まで運べ、と? なんで?」

「……義妹の、愛する女性の裸を見た対価。または深妃を止められなかった罰」

 服を着付けながら極めて冷静に判決を下した柴乃。彼女は、俺が速水を(裸のまま)運んだと後で本人に知られるようなことがあった時の、速水の怒りを想像できているのだろうか。

 だが今の俺に逃げ道がなかった。

「はぁ……わかったよ。対価でも罰でもなんでもいいけど、このことは絶対に速水には言うなよ」

「……どうして?」

「やっぱり気付いてなかったか。想像してみろ。もしも速水が俺に肌を触られたと知ったらどれだけキレるか? その場合、俺の身が危ういんでな。まだ勘違いで柴乃が運んだ、と思ってもらっていた方が……まぁ速水が鼻血で失血死、なんてこともありえそうだがな。俺への危険性が減る」

「わかった。黙っておく」

「お、おう。頼む」

 常にない柴乃の即答に一瞬面食らったが、早速行動に起こすことにする。柴乃が黙っていても運んでいる途中に速水が目を醒ましたら、結局殺されそうになるのは俺の方だ。

 せめてもの処理として手近にあったバスタオルを取り、速水の身体に巻く。お姫様だっこの要領で持ち上げようとすると、軽すぎて数歩後ろへよろけてしまった。歳も一個しか違わないその少女は、とても戦場の前線で戦うフォワードには感じなく――もしも魔物が襲ってこなかった時代に生きていたなら、もっと別の夢とかあったのだろうか? などと柄にもなくそう思っていた。

 その作業の間に寝間着に着かえ終わった柴乃が俺を先導し、二階の速水の部屋へと向かう。はじめて入る彼女の部屋は、同年代の中学生と比べても簡素な部屋のコーディネートで、ベッドと机椅子とタンスが一つずつのみ。一色に染まっているわけでもなく、俺の部屋と同じベージュの壁紙がそのまま。その壁に掛けているものとタンスの上の写真立てに入っている盗撮したような誰かの写真は抜きにして、とても女の子の部屋とは思えない光景だった。

 これは、魔物に何かを奪われた復讐心からなのか、それともフォワードの矜持からか、……柴乃への愛情という線も残っている、か。いずれにせよ、この部屋を平和の象徴とするには無理がある。

 ならば――ここから変えていけばいい。

 一番の象徴とされる純白の鳥はもういない。廃墟と化した町では餌にもありつけず死滅した、という見解が出されていたはず。街中を漂っていたあの愛くるしい姿はもう見られない。

 では、みなが平和を感じるためにはどうすればいいか?

 街の様子、様変わりした風景を取り戻す。目に見える形で活性化させる。いち学生には荷が重いかもしれない。でも俺は一人でやるつもりはないし、共感してくれそうなやつが最低でも一人以上はいる。

 諦めてなるものか?

「ぅ……ぅん……うぅ……」

「ぉぅ?」

 と、その時、ベッドに寝かしつけた速水が呻いた。もうすぐ洗面器気絶が切れる頃合いだろう。

「じゃあ、柴乃。下着とか寝間着はさすがに任せるぞ」

「……そうね。もしも兄さんがする、と言い出したら、目を潰さねばならなかったけど」

「はっは、その心配は怖いからやめろ」

 俺は早々に立ち去ることに決め、部屋を出る。ドアを閉める間際、もう一度軽く見渡してから、平和への決意を新たにする。

 この部屋から変える――実質、魔物を駆逐した後になるため、ここが最後になるのかもしれないが、意識はこの部屋、この家から。折を見て妹二人にも話さないといけないが、今日はもう無理だろう。

 俺は着替えを取りに自室に戻り、決意表明として冷水でも浴びるか、などと考えながら浴室へと向かった。――寒かった。




第五章


 魔物襲撃事件から幾日か経ち、特に何事もなく平穏と言える日々が過ぎていった。

 一般教養の授業も、FWの特訓も、部活での修練も滞りなく経験を積み重ね、次にいつ襲撃があっても動けるような面持ちで励んだ。

 時は週末、明日の土曜日も柴乃と、速水も誘い、買い物の続きをしようか、と考えていた金曜日の夜、午後九時を回ったところ。小説を読んでいた俺の部屋のドアをノックする音があった。

「はい?」

『……兄さん、ちょっといい?』

 柴乃の声だ。こんな時間に何用だ?

「どうした? 柴乃……と速水もか」

 ドアを開けると、そこには外出着を身に纏った柴乃と速水がいた。

「……ちょっと深妃が学校に忘れ物をして。週末にしなければならない課題らしく今から取りに行ってくるから留守番をお願いしたいの」

「むぅ……」

 速水は自分の失態を恥じているのか、拗ねたように唇を尖らせている。が、腑に落ちない。

「なんで速水の忘れ物を、柴乃も一緒に取りに行くんだ?」

「……私が申し出たの。夜道は危険だって」

 俺の疑問に、柴乃はさも当然のように答えた。というか、そういう理由なら――

「俺も行こうか?」

「結構です。お姉さまだけで十分ですから」

 俺と柴乃の間に割って入ったのは速水だった。

「せっかくのデートを邪魔しないでもらえますか?」

「デ、デートってなぁ、お前……」

 相変わらずの速水の失言とも言える言葉に、こちらも失笑が漏れるが、あくまで彼女自身は本気のようなので大っぴらにも笑えない。が、やはり柴乃は空気を、いや速水の気持ちを読まなかった。

「……最初は、夜に一人で外に出るのが怖い、ってずっと深妃が言うから」

「お、お姉さま?」

「なるほどね。柴乃が申し出た、っていうより、速水が誘導した、ってのが正しいみたいだな」

「くっ……」

 ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうな表情で俺を睨む。やっぱりツンツンは理不尽な怒気を受けることが多いのか。

「わかったわかった、そんな顔するなって。柴乃、速水を頼むぞ」

「……ええ、もちろん」

 二人の頭にポンッと手を乗せると、軽くワシャワシャと撫でてやる。柴乃は嬉しそうに目を細めるが、速水の方はコンマ数秒で弾かれた。

「アタシに触れていいのは、お姉さまだけです」

「お、おう、すまん。つい、な」

 やっぱり風呂場の件を黙っておいてよかった。もしもバレたらFWでボコボコにされること請け合いだ。俺も甘んじて受け入れる覚悟は……多少はある。

「んじゃ、いってらっしゃい」

『……いってきます』

 二人分の声が重なる。一応、玄関まで見送りに行き、手を振って別れた。

 治安国家の体裁がなくなったこの国では、人々の反抗期という概念は薄くなっている。法に縛られるから逆らいたくなる。では縛りがなくなった今、暴徒は発生するか、と心配されていたのだが……今のところは杞憂で済んでいる。もちろんこれから心境の変化がないとは言い切れないし、一度線を踏み越えればどこまで行くかも見当が付かないのは確かだが、現状では外敵がはっきりしているため、内なる敵は潜んだままだった。

 それでなくても、柴乃は強い。伊達に鬼クラスに在籍していないし、体術面でも俺より勝る。速水の良きボディーガードとなるだろう(デート相手かどうかは本人が決めることだ)。

 ちなみに、速水深妃も中等部三年Bクラス、実は柴乃と同じ鬼であるということを昨日知った。実はボディーガードも要らなくね? と思わなくもないが、当人たちが納得済みならばそれでもいいか、とも思った。

 ひとまず心配することを放棄した俺は自室に戻り、小説の続きを読み始める。

 ――彼此、数十分は経とうか、という時節。そろそろ二人が学校に着いた頃か、と思いを馳せていたところに、脇に置いていたスマートフォンが音を立てて震えた。

 画面を見ると、『母親』の文字とその下に緑と赤のマーク、メールではなく電話のようだ。

 こんな時間に何の用だろうか、と訝しながらも緑のマークをタッチする。

「はい、もしもし」

『もしもし、利人か? まだ起きていたのか。早く寝ないと大きくなれないぞ』

「電話かけてきた方が、そのセリフはなくない?」

 開口一番で説教じみたことをされ、少々癇に障った。が、母さんはマイペースに先を続ける。

『まったく……研究所にいたころは可愛かったのに。たった一週間でどうして反抗期になんか……』

「何を言っているの? 地下にいた時は実験続きで疲れて何もする気がなかっただけだって。それに、別に反抗でもないだろう」

 その実験を主導していた人物が言う言葉ではない。完全に母親だけの目線だった。

「で、なに? こんな時間に……ってまだ十時にもなってないけど、電話してくるんだから、重大な用事でもあったんじゃ?」

『ん、まぁ、な。時に利人……』

 なぜか歯切れが悪い。言いにくいことを黙っているような……

『妹ふたりとの新生活はどう?』

「な、なぜそれを? どうして速水が俺を『お兄ちゃん』と呼んでいることを知っているんだ?」

『…………。利人はシスコンだと思っていたが、まさか本当に速水まで……』

 ん、あれ? なんか会話が噛み合っていないような気がする。

「嵌められたぁ?」

『利人が勝手に暴露したんでしょw』

「笑うなっての!」

 いらないところで親子の絆発動。電話口の向こうで大爆笑している母親の姿が目に浮かぶ。

「速水の場合はあいつが勝手に呼んでいるだけで、本人も兄妹としての意味はない、と言っていたし、俺に罪はない」

『どうにも判断がつかない時に、罪とか言っちゃう時点で自分の中で後ろめたい気持ちがある証拠でしょう』

「くっ……」

 血の呪いとでも呼ぶものか。自分の考えが親兄弟には筒抜けという……柴乃とは血は繋がっていないのだけれど、彼女は例外的に意思疎通が可能だ。

『で、どうなの? もうハプニングとかで裸とか見た?』

「なんで知って? ……いやなんでもない。ナニモオコッテイナイ」

 半端ない洞察力に自然カタコトになる。その時点で肯定しているのはバレバレだったが、そう易々と認めると思って――

『うそ……我が息子ながらここまで手が早いなんて……』

「ダカラ、ナニモナイ、ト……」

『無駄な抵抗は止しなさい。子供が親に勝てると思って?』

「……わかったよ、わかったけど。それこそ俺のせいではない」

 ――認めざるを得なかった。自室で一人項垂れる、という構図に自分で辟易しながらも尚も弁解を試みると、母さんはため息を吐きながらも納得してくれたようだ。

『まぁ一応信じてあげる。利人にそんな度胸がないのは、私が一番知っているから』

「その納得の仕方も嫌なんだけど……」

 抵抗を止めたら止めたで、精神的に蹂躙される。親とは最大の理解者であり、最大の敵という一面もあるのだ。

「で、そろそろ用件を話したら?」

『ええ、そうね。息子を弄るのにも飽きたし』

「飽きるなよ? じゃなくて、最初からするな、って」

 しまった、また釣られるところだった。

『しょうがないな。話っていうのは、捕まえていた魔物が逃げてしまった、ってことなんだけど』

「……………え? ええぇぇぇぇ??」

 俺より暴露レベルがどう考えても上だと思うんだけど? そんな大事なことをすんなりと言った?

「いやいやいや、それを先に言ってよ。俺たちの生活とか気にしてる場合じゃねぇし」

『だからこそ聞いたんだけど? どうせこの時間帯は二人で仲良く風呂にでも入っているんだろう?』

 時間の話をされ、ふと時計を見ると喋っているうちに十時を回っていた。確かに平時なら柴乃が入浴しているところに速水が闖入しようという時だろう。仲良くかどうかはさて置き、母さんの言う通りだった。が……

「いつもならね。でも今は速水の忘れ物を取りに学校に向かっている。今頃はもう着いてるかも」

『え……本当に?』

「本当だよ。速水ひとりの話じゃなく、柴乃も一緒に報告に来たから嘘じゃない」

 柴乃も速水も強いし、二人とも魔物の人類化を見たことがあるため大丈夫だとは思うが、何より実戦経験がほぼない。俺も他人のことは言えないが、不意打ちに十分に対応できるとは考えがたい。

「研究所から何人か応援は来ているんだよね?」

『それが……研究員は夜通しで作業に入っていたんだけど、戦闘専門の人員が出払っていて、近くにいないの。数人に足跡を辿らせたら、学園区に向かっているようだ、と報告はあったけど……』

 母さんの語尾は縮小されていった。この通話の初めの方に感じた、言いにくいことがあるような間。

「? 何か気になる事でも?」

『その報告の中に、誰かが手引きした可能性がある、って。それが本当だったら、内通者がいるのか、あるいは……』

「人類化した魔物がまだほかにもいる、ってことか」

 親子の絆で、母さんの無言に肯定の意志を読み取る。

『で、とりあえずあなたたちの安否確認だけでも、と思って電話したんだけど』

「わかった。二人は俺の方でも確認してみる。また状況がわかったら連絡して」

 ひと言だけで親子の確認を済ますと通話を切る。間を置かず、柴乃の携帯にかけるが電話に出ない。羽織るものだけ手に取り、部屋を飛び出したところで、隣の部屋から微かに音が漏れ聞こえる。

「まさか……」

 そう思いながらも部屋のドアを開けると、暗闇の中でぼぅっと光るものが。近づくと案の定、柴乃の携帯が転がっていた。

「まったく、柴乃のやつ、ちょっとしたところが抜けてんだから。かといって、速水の番号は聞いてねぇし……仕方ない、走るしかねぇか」

 俺はポケットにスマホをしまうと、ジャケットを羽織り直して、一目散に夜の学校を目指し駈け出していた。


 全力疾走で約五分。家から学校までの時間を半分以上縮めて着くと、門扉の横にある守衛室に向かった。

「おや、また忘れ物の子かい?」

 そこには創立以来変わらずに、柏和義という人物が守衛の任に就いている。もちろんフォワードの一員で異物レベルだという話だ。

「すいません。これ学生証です」

「今日は多いね。君で四人目だよ」

 学生証の確認を取ってもらいながらの何気ない会話に、俺は違和感を覚えた。

「四人、ですか? あとは誰です?」

「ん? ああ、えーと、高等部の間宮柴乃に中等部の速水深妃、それに、生徒じゃないけど藤林南波先生もだね」

「南波先生……も?」

「うん。週明けに抜き打ちでテストをするらしくて、その資料を机に置き忘れたんだとさ。……おっと。これは生徒に内緒にすべきだったかな。はいこれ」

 俺は学生証を返してもらい、柏さんに一礼をする。

「みんな来てからそんなに時間は経ってないけど、なるべく早めにね。僕も早く休みたいし」

「はい、わかりました」

 もう一度、頭を下げる。振り返ると聳える校舎の昇降口へと向かった。

 この言い知れぬ予感はなんなのか? 悪寒と言い換えてもいい、背筋を冷水が伝うようなぞっとする感覚。十五年という短い生では味わったことのない戦慄が走る。

 原因はおそらく……南波先生だ。ただ単に、本当に忘れ物を取りに来た、という話で済む可能性ももちろんある。むしろそちらの方が、大半の生徒、教員が思うところだろう。だから柏さんも疑いもなく通した。だが、俺が先生をまだあまり知らないせいなのか。彼女が説明するためとはいえ、どこかから漏れては困る情報を軽々と口にするとは思えない。現に、柏さんは普通に喋ってしまっていた(それはそれで柏さんにすべての原因がある気もするが)。

 言い知れぬ悪寒は、俺の脚を自然と速めていた。普段は開けっ放し、夜間は守衛室からオンオフが可能な昇降口の自動ドアを潜る。速水の教室は中学棟三階。昇降口のすぐ横にある階段から昇るのが最短ルートだと判断し、足を運ぶ。

 と、ちょうどグラウンドに面した窓の真正面に達した時――


 グラウンドの真ん中あたりで、フラッシュのように光が瞬いた。


 柴乃や速水にしても南波先生にしても、グラウンドには用はないはず。中学棟はこの上だし、教員室も別棟だ。だとしたら、あとの可能性は……

 俺はさっき脱いだばかりの靴を戻って取ってから、手近な窓を開け、そこから飛び出した。切羽詰った状況かどうかは遠目からは確認できないため、とりあえず一旦、靴を履きなおす。窓から出るとすぐにグラウンド、という形ではなく、あいだに通路を挟み仕切りとしての低木も植えているため、そこに一時期身を隠す。

 月明かりに照らされた人らしき影は三つ、いや四つか。腕を伸ばして何かを持っているやつ、その腕の先に両手をあげているやつ。構図的には、持っているやつの何かとは拳銃で、相対する方を脅している、と見られる。その銃を構えている影の後ろに控えるようにもう一人、そして銃口を向けられている影と被るように、座り込んでいる影もある。

 そして、そのうちの一つの影に見覚えがあった。いや、確信はない。どちらかというと、そう強く感じるのだ。その人影は――俺の最愛の人だ、と。

 そう感じると同時に俺は駈け出していた。だだっ広いグラウンドでは奇襲は到底できない。ならば、こちらに注意を向けさせ、柴乃から銃口を放すしか手立ては思い付かなかった。

 距離的に半分ほど詰めたところで、四つの影が俺に気付き、順次こちらを向く。柴乃、速水、黄髪、そして南波先生。

 さっき考えた構図はやはり間違いではなかった。拳銃を構えているのは南波先生で、それを向けている先は柴乃と速水、いや俺の突撃が功を奏し、今は俺に向けられている。

「止まれ! ……と、誰かと思えば、宗多じゃないか。どうした、こんな時間に?」

 俺に背中に再度、戦慄が走った。この、夜の学校で、生徒に銃口を向けながら、いつも通りに話しかけてくる藤林南波、という影に。

「……兄さん、どうしてここにいるの?」

 銃口から解放されたからか、幾分か余裕を取り戻した感のある柴乃が俺に相対する。

「いや、母さんから電話をもらってな。ある事件が発生したと。……どうやら、真実だったようだな」

 ここにいる全員に見覚えがあった。柴乃、速水、先生はもちろん、四人目の黄髪も。

「あんた、俺たちが捕まえた魔物のうちの一人だな」

「ん? ああ、お前はあんとき、コウを殺してくれた学生くんじゃねぇの。なになに? 今度は大人しく殺されに来てくれたの?」

 けっけっけっ、と肩を揺すって笑う姿は、やはりどう見ても人間と変わりなかった。

「ゴン、少し黙れ」

「……はいはい、助けてくれたのは事実だし、ここは大人しく従っときますよ。ヘキのように後ろから撃たれたくはないんでね」

 そこで俺ははじめて気付いた。先のフラッシュが銃口から発せられたものならば、誰かがケガを負っているのではなかろうか、と。そこで見つける、グラウンドに横たわった緑髪の五つ目の影を。

「こいつもあの時の……」

「その通り。時に宗多よ、君は自分の母親、宗多博士から何か聞いてここに来たのか?」

 銃口を向けながら歩み寄ってくる先生。だがいつものヒール音がしない。

「先生、今日はヒールを履いてないんですか?」

 特に重要な事案ではなかったが、気を逸らすため、とこちらからも投げかけてみた。

「質問を質問で返すのは非常識ではないか? まぁいい、それくらいなら答えてやる。窮屈なんだよ、あんな靴。よく人間はあんなもん履いていられるよな」

 立ち止り地面を蹴る。ヒールを、というより何も履いていないようだ。

「人間……は、だと?」

「お前の疑問をひとつ解消してやったんだ。次はお前が答えるべきなんじゃないのか?」

 再び向けられた銃口に委縮したわけではないが、俺はまだ目の前の誰かにあまり刺激を与えるべきではないと判断する。

「……母さんからは、捕えていた人類化の魔物が逃げ出した、と。そしてそれを手引きした者がいる可能性がある、とだけだ」

「ふ~ん……やっぱ実の息子にも言えないことはある、ってか? いや、確信がなかったから濁しただけかな」

 意味深な言葉を吐きながら、くっくっ、と忍んで笑う誰か。本当にこいつはあの藤林南波なのか? いや疑問なんて今更なのかもしれなかったが、何せ見た目は変わらない。疑いたくなるのも信じたくなるのも半々という気持ちだった。

「次は俺の番だな。……で、あんたは誰なわけ? 本物の南波先生はどうしたんだ?」

「質問ふたつかよ。どんだけ欲張りなんだ?」

「前者に答えてもらえれば、後者もだいたい想像がつく」

 月明かりの中でも光る彼女の眼を、俺もまっすぐに見詰める。しかし、それだけでは彼女の真意は測れない。

「まぁよかろう。私の名前はナンと云う。察しの通り、魔物だ。お前らが言うように人類化した、な。一年ほど前からは『藤林南波』と呼称されていたが」

 堂々と、その魔物は名乗った。当に、一年間同じ教員や生徒たちを騙した通した自信のままに。

「ナン……さっきも赤髪をコウとか、緑髪をヘキとか呼んでいたが、魔物にも個を分けるという考えがあったのか」

「まぁ元々はなかったけどね。手に入れたのはお前ら人間から『感情』ってもんを押し付けられた時だったな」

「押しつ……え?」

 見詰めていた光から漏れた憎悪に、俺は一瞬面食らった。

「博士は生徒会室で『補った』とか言っていたけどね。それは人間から見た話だろ。私らからしたら押し付け、よく言っても勝手に与えられた、ってだけのもんだ。おかげで皆殺しする前に本能に反して逃げ出しちまった」

 よく言っても同じ意味じゃ……とか思ってもツッコめなかった。それほど、ナンから発せられている憎悪は暗く深く、俺はそれこそ本能で気圧されていた。

「今のでだいたいわかったと思うけど、私ら魔物に押し付けられた感情は『恐怖』。野性的危機感って言い換えてもいいかな。とにかく、『人間はおそろしく自分達より強いモノだ』って刷り込まれちまったんだよ。それが一時的なものとも知らずにな」

 俺たち三人は絶句したまま、膠着するしかなかった。人間にとって『感情』があるのは当たり前のことだ。時々、本能で動く、という感覚を体験することもあるかもしれないが、基本的に理性で自分なりの善悪を判断し行動する。だがそれを日頃意識することはほとんどない。だから、自分の行動に賛辞や後悔することはあれど、感情をどうこう思うなど皆無に等しい。

 とそこに、黙らされていた黄髪が、同じく憎悪を身に宿しながら割り込んできた。

「ったく、迷惑千万ってやつだよな。本能で人間襲ってた方が気楽だったってのに。今じゃ純粋な本能よりも先に思考が――」

「黙れ、って言わなかったか?」

 パンッ――と、乾いた音が月明かりの校庭に響く。あまりに自然な動作での不自然な出来事に、俺たちは何が起こったのかわからなかった。

「あ~あ、やっちまった」

 スーツ姿で銃を持つ腕をまっすぐに伸ばしながら、先生もどきは軽くため息を吐く。それと同時にどさっと倒れ込む影。元々は黄髪のゴン、だった魔物。

「せっかく研究所から逃がしてきたってのに。これじゃ頭領に怒鳴られちまう。……まぁここにいるやつら全員消せば問題ねぇか、目撃者消せば証拠もなし、ってね」

 黄髪を撃ち殺したことさえ自分の予定調和、とでもいうように、ごく自然に彼女は俺に向き直った。

「どうして……」

「あ?」

 目の前で起こる出来事に頭がついていかない。そもそもなぜ銃火器が効かない、ってのが売りだった魔物が拳銃ごときで死んでいるんだ?

「どうして、銃で魔物が死ぬんだ……?」

 思考が独り言として出ただけだったが、ナンは自分への質問と勘違いしたのか、律儀にも答えた。

「ぶっちゃけ言うと、感情を入れられたことによって体表の攻防面が著しく下がっちまったんだよ。これは頭領も理由が分からないらしいんだが……もしかしたら感情を持つがゆえに人間って脆いのかもな。本能だけで生きてたら自分や誰かのことなんか気にせずに暴れられるからか?」

 残忍、という言葉がよく似合う、そんな表情を浮かべたナンは、もう問答には飽きた、という風に夜空をひと仰ぎすると右腕を真っ直ぐ俺に向けた。当然その先に持つものも一緒に。

「じゃあとりあえず……年長から先に死ぬのが、人間のセオリーってやつだったっけね?」

 バイバ~イ、と小声で呟く表面だけの笑顔は、銃口から発せられた光によって見えなかった。そんな思考は、刹那に襲いくる激しい痛みによって中断させられることになった。

 声を上げる暇もない、気力もない、お金……は知らない。眉間から頭の芯を抜け、後頭部まで達した激痛は、一瞬で俺の意識を飛ばすのには十分だった。

「兄さん?」「お兄ちゃん?」

 珍しく慌てた柴乃と、この瞬間にも兄扱いしてくれていないであろう速水の叫び声がかろうじて耳に届く。

「あはははは…………さあて、あとはあんたらも殺せば目撃者もなし。まっ、たとえ仲間殺しだとか言われても、フォワードを三人も消したんだ。むしろ褒められんじゃねぇの? おお、まじか? 昇進もありえるな」

 ナンの高笑いが遠くなるのと同時に、不意に光が陰る。頬に水滴をぽつぽつと感じた。ドラマとかでよく見たけど、やっぱり誰かの死に際って雨が降る確率が高いのかな? と的外れもいいとこの推理をしていると、今度は上から啜り声が注ぐ。生涯絶対に聞くまい、と決意していたはずの最愛の義妹の声が。

「……うぅ、ひっく…………兄さん……に……さん……ひっく……」

 まさか自分の死の瀬戸際に聞くことになるとはな。冥途の土産にしても趣味が悪い。

「いつまでも泣かれるのも面倒だからね。さっさと終わらせてしまうよ」

 音的に軽い、しかし状況的に重すぎるチャッという音で、ナンの銃口が柴乃を向いたことを察す。それと同時に柴乃の啜り声も弱まっていく。……柴乃が何も考えているか、手に取るようにわかった。

 だから俺は……柴乃の叫び声を遮れるほどの大声を出さねばならなかった。

「よくも……よくも兄さんを!――」


「柴乃!!」


 まさに鶴の一声。それだけで空気が一変、緊迫から驚愕したことを感じ取る。

 この場面、動く人影は俺だけだ、と感じながら、うっすらと目を開き、状態も徐々に起こしていく。

「あいたたた……まったく、勝手に俺を殺すなって」

 愚痴を零しながらも首を鳴らしたり、腕をクロスさせたりして身体の自由度を測った。そして完全に立ち上がると、三人が三人ともゾンビでも見るかのような表情を浮かべていた。

「え? うそ……なんで――」

「どうして貴様が生きている!」

 最初に呟いたのは速水だったが、それを遮る形でナンが見開いた眼で俺を凝視していた。

「はは、俺が眉間を撃たれたくらいで死ぬかっての」

「いや死ぬだろう、普通? そこのヘキやゴンも頭を撃ったんだぞ?」

 常日頃と変わらぬ俺の態度を見て、短いながらも一週間、俺と教室で過ごしナンと俺を観察していた速水は、いまだに事態の変化について来られていないようだ。だが、二人に反して落ち着きを取り戻した柴乃は飛び出す途中の中腰のまま、前を向いていた。

「速水にもまだ説明してなかったんだけどな。つーか、柴乃。さっきのが演技だったら、お前、劇団とかに入れる実力だよ」

 おそらく、思いっきり拗ねているであろう柴乃の心中を察しながらも、皮肉を送ってみるが反応はなし。これは事後処理が大変そうだ、主に俺の膝頭と額と、財布の中身が。

「宗多、説明しろ? この至近距離から外すわけもない。貴様が死んだのは絶対だったはずだ?」

 ようやく脳内の整理が終わったのか、いや喚き散らすところをみると、理解も納得もしていないのは明白だった。ということで――

「まぁその話は置いといて……まずは無力化させてもらう、ぜ?」

 腕を思いっきり振り回しての抗議ゆえ、銃口が俺や柴乃に簡単には向かないと判断し、FWを武器化しながら地を蹴りナンに肉薄する。

「っ……このっ?」

「当たらないよ、そんな見え見えの動作じゃ!」

 咄嗟の防衛本能か、それとも俺たちが押し付けた『恐怖』という感情からか、抗議を止め、視線と銃口を俺に合わせようとするが、先ほどと違い『殺意』の感情が丸見えだった。カタカタとブレまくる標準から大きく回避してもナンは対応できず、弾は数刻前まで俺が確かにいた場所に突き刺さるが、当然、当たりはしない。

「シッ?」

 鋭い息とともに右腰下段に構えた日本刀を逆袈裟の要領で斬り上げる。三年間修練した型は、狙い違わず拳銃を持つナンの右腕を肘からふっ飛ばした。

「うぐっ……く、くそぉぉぉぉぉ!」

 唯一の絶対的武器を失ったナンは自棄になったのか、左腕を振りかぶる。が、利き腕ではないらしく、殴ろうとする動作さえたどたどしい。俺はFWではなく体術でそれを躱し、隙だらけの左肘に再び日本刀を振り下した。切り離された左肘から先は右腕同様くるくると宙を舞い、数メートル離れた場所に落下する。

 両腕を失い、身体を支えること叶わなくなったナンは、膝から崩れ落ち体勢を保つことなく俯せでグラウンドに沈み込んだ。

「ふぃ……散々銃弾見切る練習しておいてよかったよ。正確に言えば、銃口の向きと相手の観察だけど」

 一連の戦闘が終わったとみた俺は、刀を右下段に一閃し刃についた血を払う。そのまま、FWの武器化を解除し、元のポーチに納まる程度の大きさに戻すと、深くため息を吐いた。

「うぅぅ…………なぜ……なぜだ! なぜ貴様は生きている?」

 その刹那に響いた大音量に一瞬FWに手を伸ばすが、その音源が足元のナンからのものだと察すると、今度は感心のため息を出した。

「さすが、というべきなのかな? 魔物の生命力ってのはすごいね。なぜ……か。理由を問われれば、それは『実験が成功したため』としか答えようがないな。実際に俺は死ぬかと思うほどの痛みを味わったわけだし、我ながらよく意識を保った、と自賛してやりたいよ」

「実験……だと……?」

 見下ろす形から質問に答えると、痛みを堪えているのといまだ腑に落ちない表情を浮かべながらも、気になった単語を聞き返してくる。

「さっきお前が『母親が実の息子にも隠す話がある』って言ってたけど、同じように信用がない人間にも話すことがなかったりするのは当たり前だということだ」

「なん……だ、それは……?」

 いくら生命力がすごい、といっても生物である以上、死に至る怪我を負えば死ぬ。ましてやそれが、治療の見込めない敵地にいる場合はほぼ百パーセントで死ぬ。まさに今のナンがその状態で、まさに今、死に至りそうな生物に無意味な説明を俺はしていた。

「母さんが隠した内容は『一緒に研究所にいたはずの藤林南波も魔物とともに消えた』ってことだろ? 研究所に出入りできる権利を持ちながら俺の実験内容を知らないとなれば、あんたは所詮、表層面しか調べられていなかった、ってことになる」

「…………」

 俺の話を聞くために目線は俺を捉えているが、その実、身体の芯は死を間近に感じるまでになっているだろう。月明かりでもはっきりとわかるくらいに、抉れた傷口から魔物特有の黒血が噴き出している。

「あんたらが手に入れた感情を理解し制御するようになったのと同様に、俺たち人間側もFWだけに頼っていこうと思ったわけじゃなかった」

 ここから先は速水にも説明をする必要がある部分だったので、速水とナンの間を行ったり来たりする風に歩きながら言葉を紡ぐ。

「それが『魔物の皮膚を埋め込んだら人間はどうなるのか?』。要は人体実験、ってやつだ。俺のでも試作段階だけど」

「魔物の皮膚を……埋め込んだ?」

 呆然と、言葉を発したのはナンではなく速水の方だった。正直彼女の瞳から放たれる視線も、俺には耐えがたい。ナンの憎悪とは異なる、純粋な驚愕と困惑と畏怖と、少しばかりの嫌悪が混じったそれ。覚悟して研究所から出てきたつもりであったが、実際に直面してみると精神的苦痛は否めなかった。

 それを無理やり意識下で振り払い、先を進める。

「ああ、そうだ。俺が埋め込んだ魔物の皮膚は頭のてっぺんから足の先まで、計八十ヶ所。それぞれで異なる変化はあるのか? 一番馴染みやすい部位はどこなのか? また魔物と人間の皮膚は融合現象がありえるのか?」

「融合などできるはずがない? 我々は人間とは違う。開発という自己満足で己の星を削り取っていくような野蛮な輩とは!」

 今度はナンの番だった。くるりと百八十度回転した俺は、ナンの憎悪に加え、軽蔑と恨みさえ混じった視線を受け止める。それだけ人間を滅ぼせそうなほど、眼光の鋭さは半端がない。

 本当にこの『魔物』という存在はなんなのだろうか? ただ単に人間を恨んでいる、というわけでもなさそうで、答えは恨むよりも深いところにありそうな気がした。

 彼女はなおも感情の奔流を切らさない。最後の力を振り絞ってでも俺たちに、人間に抱く想いの丈をすべてぶちまけんとするかのように、首だけを擡げ俺に、いや俺を代表とした人間に宣戦布告した。

「ぐぅっ……われわ……我々はこの星の意志そのものなのだ。最も初めに誕生した生物で……くっ……最も長い時間見守ってきた……我々こそが、生物の頂点に立つ存在だ! 貴様ら人間ごとき、この星にとっては異物。滅ぶべきは貴様らだ! 我々は………がはっ!」

 そこでナンは明らかに致死とわかる量の血を吐き、突っ伏したまま動かなくなった。

 死に際の呆気なさも、感情の奔流も、本能を失った脆さも、最期の彼女はどこを採っても人間に似すぎていた。流れ出る血が黒くなければ、俺も柴乃も速水も、学園の生徒も、フォワード各員も、FW適正者でないその他の十億人も、人間同士の戦争と錯覚したことだろう。それゆえに戦意を喪失する者、魔物側に寝返る者が出てもおかしくない。そう考えるまでに、現実の静寂の中、最期の言葉が繰り返されていた。

「どうやら、すでに終わったあとのようだな」

 その時、頭の中が静寂ではない静寂を破ったのは、聞き慣れた母親の声だった。彼女の後ろに数人の研究員らしき人たちもいる。まるで一週間前の商業区の再現のようなタイミングだった。

「母さん……ごめん、全員殺してしまったよ」

 元より助けるつもりなど毛頭なかったので、研究材料を失くしてしまった意を込めて謝罪しておいた。

「ああ、別に構わんさ。まだ青い髪のやつが研究所に残っているからね。あいつをちょうど調べていた時にこの事態が起こったものだから、やつだけは事なきを得ている」

 俺の真意を表に出さなかった質問にも、母さんは意味を違えずに正確に答えた。すぐに後ろに控えていた研究員に指示を出し、魔物だったモノを運び出させた。

「柴乃は……大丈夫なのか?」

 指示だけ出すと、俺の横に佇む柴乃に向き直る。もう中腰ではなく、むしろ腰を抜かしたようにへたり込んでいた。

「……ええ、一応。怪我はありません」

「そりゃ俺が護ったんだから外傷はないだろうけど……問題は内側だろ」

 そう言いながら右手を差し伸べる。柴乃はずっと警戒を解いていなかったのか、発現しっ放しのFWを元に戻し、俺の手を取った。

「……私は大丈夫。それより……」

 立ち上がった柴乃の目線は……もちろん速水に注がれていた。

 母さんたち増援部隊とも言える人たちが到着しても、放心状態から戻って来ておらず、瞬きすらせずに俺を見ていた。俺が俺ではないナニカにも映っていることだろう。

「柴乃、頼めるか? 速水のこと」

「……そうね。無駄に恐怖心を煽るよりも、まだ私の方が信頼は上でしょう」

 速水とまっすぐ目線を合わせつつも今の俺では救えないと判断し、彼女が最も信じられる義妹を仲介にした。時間しか癒せないキズもある。おそらくまた一週間は速水に会えないだろう。

 速水に近づいた柴乃は、彼女の眼を覆い隠すように無言で抱きしめた。言葉少ない柴乃だからこその手段だが、今の速水に何を言っても無駄な気がするため、効果は抜群といえる。

「で、利人は丈夫なのか?」

「なんか質問の意図がズレて……いや、研究者としては正しいのか」

 息子の身を案じているようで、実は結果が気になって仕方がない、宗多香澄という人物らしかった。

「はいはい、眉間に一発、銃弾喰らっただけでピンピンしておりますとも」

 俺なりに精一杯の皮肉を込めて返したつもりだったのだが……ふわりと鼻腔を擽る匂いは、慣れ親しんだものでありながら驚きを隠せなかった。なぜなら――

「普通なら死んでいるぞ、まったく……平然と言ってくれる。これでも心配した方なのだがな」

 驚いた理由はただ一つ、俺は今まで母親に抱きしめられたことがあまりなかったから。柴乃と一緒、という条件付きなら一か月の間でも、つい一週間前にもあったが、俺単独では初ではなかろうか、と思うくらい記憶にない。別に辛く当たられた、というわけでもないのだが、元来が両親ともども研究の虫で、父さんも研究中の事故で亡くしているし、その後の母さんの没頭ぶりも正直引くほどだった。ゆえに、五年前の俺の適性が落人クラスだったことに心底呆れられたことと、その反面に嬉々とした表情を浮かべていたことを覚えている。

 呆れられたことは当然ながら、なぜ喜んだのか?

 それが『魔物の皮膚を埋め込む実験』に繋がっていく。俺に中学時代がないのは反抗期だから、とかそんな人間らしい事情ではなく、人間離れするための必要期間だったからであった。

「……母さんが初めてデレたね」

 もう一度、皮肉たっぷりな言葉を吐くと、母さんはあくびれることなく耳元で囁き返してきた。

「私はいつでもデレているよ。ただ世間一般とはやり方が異なるだけさ。それとも何か? 会うたびに頬にキスでもしようか?」

「いえ、全力で拒否します」

 見える限界の視界の端で、微妙に唇を窄める自分の母親を引き剥がすのに、戦闘以上の精神的疲労を感じた。

 去年の誕生日を迎えた時点で母さんの身長は抜いてしまったため、背中に回した手を名残惜しそうに離すと踵をとんっと下ろす感じになる。そのままの勢いで数歩後ろに下がった時には、すでに母親から研究員の顔になっていた。

「さて……そろそろ回収し終えただろうから私は地下に戻ることにする。あの青髪が逃げたという情報はないから心配はないと思うが、利人は二人をしっかり家まで連れて帰るように。夜も遅いから寄り道するんじゃないぞ」

「あっ、母さん」

 立ち去ろうとする母親を思わず引き留めてしまう。だが、何を言いたいのか、言うべきなのか、思い付かないままだったため、挙動不審者っぽくなってしまった。

「え、っと、その……」

 感謝? いや、今更言っても何に対してなのか、俺自身判断がつかない。

 怒り? こんな身体にしたことを――それこそない。俺も納得済みなことだ。

 憧憬? 別に将来の夢が研究員ってわけでもないし……まぁ子供を実験対象に選んだことはある意味で尊敬に値するものかも……しれない。

 俺が言い淀んでいると、母さんはすべてを見透かしたような瞳を浮かべ、再び歩き出す。

「わかった。本物の藤林南波のことはこちらで調べておこう。諸々含め何かわかったら連絡を入れる」

 悟られていた俺の心中は穏やかではない。が、この場合に限り、それはとてもありがたいことだった。

「うん……ありがとう」

 今度は素直に感謝の言葉を口にする。何に対してか? そんなこと決まっている。

 すべてだ。今日ここに来てくれたことも、一番に電話をくれたことも、丈夫な身体にしてくれたことも………心配してくれたことも――

 論点をずらされた会話だったが、想いはしっかり伝わっている、と信じて俺も母さんに背を向け、柴乃と速水の元へと歩み寄る。

 二人はいまだ抱き合ったまま……いやどう見ても、速水が思いっきりしがみつき、柴乃が苦しんでいる構図にしか見えないが、とりあえず速水に俺の存在を感じさせないように柴乃の肩をぽんっとだけ叩き、帰るか、と手と視線だけで合図した。肯定の意を示した柴乃は速水に優しく語りかけ行動を促す。極力視界に入らないように身体を動かすのに苦労しながら、一瞬立ち止り辺りを見渡す。

 どう処理したのか、そこにあったはずの黒血溜まりも消え去り、柴乃と速水の影以外、常の姿に戻っていた校庭。月明かりに聳える校舎は閑散とした情景を守っている。夜に血が流れれば次に昇る太陽は真っ赤に見える、というが、流れた血が黒ければやはり太陽は黒に染まるのだろうか? それこそ人間の終わりというより、世界の消滅というファンタジーっぽい。

 俺にはどうしてもこの一連の出来事が、長い長い物語の序章に思えてならなかった。五年前がスタートとすれば再開と言うべき……いや、今までの人類史すべてが幕開けすらしていない、準備段階であるような気がする。

 やっと始まったのだ、人間と魔物の生存本能を懸けた、戦争が――




第六章


 そして次の日、土曜日――

 俺はなぜだか休日登校をしていた。

 昨日の件で疲れて爆睡し、朝十時にやっと目が醒めたタイミングを見計らったようにかかってきた電話で、『今すぐ学校に集合ね』と呼び出されたからだ。

 速水が心配で夜通し傍に居た柴乃に一声謝る。先週の買い物の続きの約束をしていたからだが、状況が状況なので、柴乃も納得してくれた。

 学園に入るためには絶対に制服でなければならない、という校則もないので、普段着として薄手のジャケット、ポロシャツ、ジーンズと軽装で家を出る。もちろん守衛の柏さんに見せる学生証は忘れずに。

 が、いざ校門前に着くとでっち上げる理由が思いつかなかった。昨日に忘れ物を理由にするのは使ってしまったし、二日連続で同じというのも気が引ける。

 などとは要らぬ心配だった。

「ああ、宗多利人くんだね。武城生徒会長から聞いてるよ。話があるとかなんとか。校庭にいるから来てほしいそうだ」

 柏さんからそう聞き、生徒会室集合ではなかったのか、と思いつつも、本校舎をぐるりと迂回して裏側に回る。昨日の、校舎の窓から飛び出すルートは正規ではないので、普通は使わない。

 さすが休日の校庭。生徒は誰もいないため、ど真ん中に立つ会長を見つけるのに苦労はしなかった。

 はず、なのに……

 俺の脚は校庭に踏み入る直前で止まる。なぜなら、会長の立つ位置が、昨日死闘を繰り広げたその場所だったのだから、俺が心中でこう呟いたのも無理はあるまい。

 ――まさか、武城会長も魔物が人類化した姿なのか?――と。

「あっ、お~い、タッタく~ん。早くこっちこっち~」

 死闘場所に立ち、地面を見詰めていた会長が顔を上げ、こちらに気付くと手を振ってくる。

 だが……ここで人間の持つ『感情』が俺を躊躇わせた。

 すなわち、疑念。一度、疑ったものを無条件ですぐに受け入れられるほど、感情は簡単ではない。それが例え会長であろうと。いや会長だからこそ、天真爛漫モードと悪魔モードの二重人格を疑ってしまう。

 俺の静止をどう捉えたのか、会長自身が近づいてくる間も、そんな思考ばかりで進むことも逃げることもできなかった。

 やがて目の前で止まる小さな身体。

「もう? 呼んでるのにどうして来てくれないの?」

 頬を膨らませて拗ねる会長。見た目はいつも通り、編入してから二週間見てきた姿そのものだ。なので、ここは一旦でも信用することにした。

「すいません、昨晩の戦闘を思い出して、ちょっと足が竦んじゃってました」

 後頭部に手を当て苦笑い。我ながら下手な演技だと自覚はあるが、どうせ気持ちを偽っているのだから演技でもなんでもするさ。

「まぁそうだよね。あたしは聞いただけだけど、やっぱり生死の境目となるとね」

 俺の演技に気付いているのかいないのか、やはり平静通りに振る舞う会長。

「会長は誰に聞いたんです?」

 ただ一点、気になったことを聞いてみると、彼女は少し神妙な面持ちでFWをポーチから取り出した。

「ん? 聞いたのは宗多博士からだよ。昨日の夜はあたしも研究所に寄っててね。まぁでも身体検査中だったから、事件が起こっても出られなかったんだけど。で、その結果によると……あたしの負けらしいよ」

 そう言って、自然に不自然な動作をする。FWを展開、リボルバーを俺の眉間に押し当てる、という。

「かい……ちょ……?」

 まさか、本当にそんなことがあるのか?

 この壮黎学園自体が、適性のある子供たちを育成する形を見せておきながら、その実、未来の種を潰す機関であり、すべては人類化した魔物が取り仕切っている。教師も会長も上位に属する、俺たちと同じ姿をしたヒトは魔物で……となると、『母さん』と呼んでいる宗多香澄博士も魔物、あるいは魔物と繋がる人間であり――

「どしたの? タッタくん。顔色悪いよ?」

 銃の下から覗き込んでくる会長の言により、疑心暗鬼の思考が一時中断される。そうだ。学園がどうというよりは、まず目の前の危機を乗り越えねば……

「もしかして、あたしも魔物が人類化した姿、とか思ってる?」

「?」

 心内を見透かされ、恥ずかしさよりも恐怖が先立ってしまったため、噛み噛みで応じてしまった。

「そ、しょんなこと、ありましぇんよ。まさかきゃいちょうがなんて……」

 言い切ってからは恥が上澄みに出てきて、顔が赤くなるのを自覚する。その俺の変化を見た会長はくすくすと笑いながらFWを元に戻した。

「まぁそうなるよねぇ。やっぱりタッタくんは面白いなぁ」

 今度はお腹を抱えてまで笑う姿を見て、俺は疑念を忘れ少々むっとした。

「そこまで笑うことはないでしょう。その……本当に怖かったんですから」

 素直に拗ねてみせると、さすがの会長も罪悪感が勝ったのか、普通に謝ってくる。

「ごめんごめん。ちょっと悪ふざけが過ぎたかな。はい、じゃここで種明かしぃぃドンドンパフパフ~」

「…………は?」

 唐突なテンションに面食らう。いやこれが会長の本質というべきだが、話が三百六十度変わった気分。元に戻ったのではなく、丸っきり違うような。

「種明かし、とは……?」

「うむ、では教えてしんぜよう。これを知らぬは対象の本人たちのみ」

 仙人然として長いアゴヒゲがあるように振る舞う会長。

「本人、たちということは複数ですね。対象って何のですか?」

 会長の説明に質問を加えながら促す。種明かしと言っているからには教えくれないこともないのだろうが、自分の中でも理解しながらでないと納得できなさそうだから。

「うん、実はね……あたしたちは賭けをしてたんだよ」

「賭け、ですか。誰と誰が?」

「あたしと、宗多博士」

「何を対象に?」

「タッタくんの実験の成功と、ミャーノの悪魔進化計画」

「何のために?」

「う~ん……人類の存亡のため?」

 一番肝心な理由の部分を疑問で返された。が、他には聞きたいことはあるので、順を追おう。

「ってか、柴乃の悪魔進化計画、ってなんですか」

「悪魔クラスの認定ってどういう意味かわかるよね?」

「それはまぁ。マイナスイメージ、最も強いものでいうと、怒りによって発現されたFWが最高クラスであること」

 神悪魔クラスは、学生教師その他諸々合わせて、世界中でも十人いるかどうか、という少人数で、言うなれば最強の戦士だ。発現条件は悪魔が怒りならば、神は……という問題はいまだ解消されず。怒り以外で既定以上の力を発揮したフォワードがいないからだ。

「そ。悪魔は怒り。でもミャーノの実力は悪魔のはずなのに、なぜか鬼。というわけで、『悪魔進化計画』が発動したんだよ」

「何が、というわけ、ですか。全然わかりません」

「で、その計画に利用されたのが、同時に進行していた『魔物化実験』。タッタくんのやつだね」

「無視ですか? まぁ今更いいですけど」

 俺は嘆息するも、会長の反応は一言分遅れていただけだった。

「タッタくんは、わからない、というより、認めたくないだけだよね」

「…………」

 再び心中を読まれ押し黙る。おそらく会長は読心術を会得している!

「それで、『計画』に賭けていたのがあたし、『実験』に賭けていたのが宗多博士。だからさっき、あたしの負けだって言ったの。おわかり?」

 わかりたくはないが、理解するしかないのだろう。『実験』については俺も納得して母さんに従った。だがそれが『計画』に利用されていたとは知る由もない。さっき会長は『知らぬは本人たちのみ』と言っていたから、俺と柴乃だけ――

「ちょ、ちょっと待ってください。俺と柴乃だけが知らない、ってことは他のみんなは……」

「うん、もちろん協力者だよ」

「学校のみんなも?」

「直接知ってるのは、先生たちとあたしだけだね」

「速水は?」

「彼女ももちろんそれでミャーノに近づいた。今じゃ本気で慕ってるみたいだけど」

「もしかして人類化したあの赤髪たち、それに……南波先生も……?」

 矢継ぎ早の質問にも遅れることなく返した会長だったが、ここで一拍置いた。

「……タッタくんが彼らを殺したことについて、何かしらの後ろめたい気持ちを感じているなら、それは消してもいい。彼らは確かに協力者といえばそうなるけど、事情を話して協力してもらったわけじゃなく、泳がせて利用しただけ。だからタッタくんは魔物の脅威を取り除いたんだよ。みんなを、護ったんだ」

 そう諭され――俺は自分でも気付かないうちに、頬を水滴が伝っているのを感じた。今日は晴天、雨など降ろうはずもない。これは――涙だ。

 堪えようとしても止めどなく溢れてくる水滴に、ただただ困惑する俺に、会長はしゃがむように言ってくる。自失している俺は素直に従った。

「恐かったんだね、タッタくん。いくら頭では魔物だと思っていても、実際に斬ったのは人間に限りなく近しい存在だったし。優しいね、君は」

 ふと光が遮られる。少し意識を戻すと、会長は俺の頭を抱きかかえてくれた。不思議と落ち着く感覚があったのだが、よく考えてみれば会長は低身長なれど、実際は年上だ。頭を撫でてくれる感触は、それまで、甘えることを知らなかった俺にとって、とても心地よいものだった――


 土曜日が会長の呼び出しで潰れてしまったため、俺は仕方なく、日曜に一人で街へ買い物に繰り出そうと計画していたのだが……

 なぜか――地下研究所会議室にいた。柴乃と速水付きで。

「速水……その、もう大丈夫なのか? 俺と面と向かい合っても……」

 しばらくは顔も見たくないだろう、と勝手ながらも予測していたため、ここに同席していること自体が不思議だったのが、意外にも速水は普段通りと感じられる応対をした。

「え、なんです? そんなにお兄ちゃんはアタシに嫌われたいのですか? まさか真性のマゾッ子?」

「てめっ」

 普通といえば普通。喜ばしきことのはずだが、そう思うには言葉遣いが悪すぎた。

「仮にも心配してやったのに、その言いぐさはねぇだろ」

「へぇ……心配してくれていたんですね……」

 な、なんか急にしおらしくなった。速水も本調子ではないのか、こちらも調子が狂う。

「そりゃまぁ、な。お前が沈んでたのだって、俺の実験成果を目の当たりにしたからだろうし」

 目の前で死人が生き返れば、誰だって目や自分や、世界を疑う。そんなはずがないだろう、と。たとえ実験や計画の内容を事前に把握していたとしても。

 速水も、もちろん柴乃も俺も、まだ中学高校生なのだ。十五、六の子供がゾンビ現象を実際に見て正気を保っていられるか、と問われればだいたいはノーと答える。『ありえない』と本能で感じるのだから。

「いや~、自分でもあそこまで絶望するとは思ってなかったんですが……先輩があまりにも気持ち悪くて」

「…………そこはせめて『先輩の実験が』と濁してくれないかなぁ……」

 見た目軽く、気持ちは重く沈んでいると、俺たちを呼び出した張本人、俺と柴乃の母親で、魔物研究の第一人者で、武城会長との賭け事の勝者が会議室の戸を開けた。

「ごめんね。遅くなって」

 謝りながらも一緒に持ってきた手元の資料から目を離さない。今は博士モードらしかった。

 白い蛍光灯に照らされた長方形の部屋を、そのまま縮小した形で並べられた長机。ドアから遠い位置に座っていた俺たちの相対する側に母さんは腰掛けた。

「さて、呼び出した理由は他でもないのだが」

 そう前置きして母さんが語った話は、驚愕を通り越して困惑の部類だった。

「正式に速水深妃がうちの娘になったから」

「……………………は?」

 たっぷり数秒か数分か、数時間呆けていても問題はなさそうな、意外過ぎる内容だった。博士然とした態度から、思いっきり身内の話だったことも驚きを増長した。

「いやいやいやいや、ちょ、ちょっと落ち着こう」

「……兄さんがね」

 思いっきり慌てふためく俺に対し、柴乃は当然とでもいうように態度に何の変化もない。

「って柴乃は知ってたのか?」

 首肯ひとつだけ返した柴乃に、驚いたのは俺だけではなかった。

「え、柴乃はなんで知ってたの? 伝えた覚えはないのだけど」

 母さんが向かいのパイプ椅子から少し身を乗り出すほど意外だったようだ。

「……深妃自身から聞いた。というか、問い詰めた」

「と、問い詰めたってなぁ……」

 柴乃を挟んで俺の反対側に座る、問い詰められた金髪ツインテールを見るが、ソッポを向き表情は読み取れない。

「……ついでに『計画』と『実験』の内容も両方知っている。知らぬは当の本人のみ」

「な、なんだって~~?」

 かなり大仰に驚いてみせる。そうでもしないと、昨日会長から言われたことの、複数形を抜かれた文章に打ちのめされそうだったから。

「なんだ、知っていたのなら話は早いな」

「いや、俺知らないから。『実験』と『計画』の方はともかく、速水の件については初めから話してもらわないと」

 平然と納得する母さんに、今度は俺が問い詰める。と、実に簡潔な答えが返ってきた。

「速水深妃は戦争孤児なんだよ」

「…………うん、それで?」

 理解できないのか、したくないのか、自分の気持ちもわからぬまま俺も簡素な質問を投げかける。

「なんだ、察しが悪いな。彼女は直接は見ていないそうだが、両親を魔物に殺されている。しばらく親戚を頼っていたそうだが、怒りは静まっていなかったようで、第一回の全統試でいきなり鬼クラスになってね。それで地方に住まう親戚よりも東京市の学園区に移ってきたんだ」

 なぜか母さんがそう説明した。本人は固く唇を結んだまま開こうとしない。

「……それから二年前に、私の『計画』に深妃を送り込んだのは香澄さんですか?」

 珍しく、柴乃が怒っている風に空気を震わせた。常人ならビビって声も出せなくなる状況下で、母さんは何食わぬ顔で肯定した。

「そうだが、それが何か問題でも?」

「問題でも、って……そんな速水を今頃自分の娘にするメリットってなんなの?」

 涼しげな顔で応じる母親に、俺も少々イラッときた。

「母親としては、年ごろの男女が一つ屋根の下で暮らすことへの、せめてもの抵抗だ」

「……研究者としては?」

「いまだに柴乃の『進化計画』は終わったわけではない。もしも悪魔化した時のブレーキ役として深妃と利人が傍にいればいいと思う」

 目の前の研究者こそが魔物が人類化した姿ではなかろうか――不謹慎にも俺はそう思った。かろうじて口に出すことは控えたが、ハラワタは煮えくり返っている。

 が、俺以上だと思われる少女、話が本当ならば新たな義妹に確かめなければなるまい。

「速水、お前はいいのか? 母さんに……宗多香澄に良いように利用されるだけだぞ」

 もはや実の母親とか関係なかった。邪悪なる研究者の魔の手から逃れることができるのは今しか……

「家族になりたい、と申し出たのは、アタシですから」

『…………な、なんだって~~?』

 今度は俺だけではなく、柴乃も叫んでいた。

「ちょ、ちょっと待ちたまへよ。お前は『実験』開始当初から関わっていたんだろ。じゃけん、母さんの性格の悪さも知っているはずじゃ。なしてわざわざ自分から言い出す理由がある?」

 自分は一体どこ出身なのか。聞いたことのある方言を無駄に織り交ぜられるほどの困惑は、やはり速水の一言によって封殺された。

「先輩たちは大切なものを得る嬉しさも、失う悲しさも知っている、と思っていましたが」

「…………」

 絶句、のち静寂。誰も何も音を発せなかった。なまじ地下研究所の会議室などにいるものだから、外の喧騒とやらも期待できない。

 失念していた、とはただの言い訳にしかならない。聞いたのは数分数秒前なのだ、速水が両親を失っている、という話を。戦争孤児なんて今のご時世それこそゴマンといる。皆一様に家族を魔物に殺された、という理由ばかり。速水が彼ら彼女らと異なる点は適性があったこと。明確な共通点が見つからないため、適性の有無の謎は解けないままだが、少なくとも彼女は“選ばれた”側だった。卑怯な手段で強さを手に入れた俺とは違って。

 適性条件は哀しみか怒りか、将又、孤独がそれなのか……孤独?

「でも速水。お前には地方に親戚がいるんじゃ」

 すると、速水はますます落ち込んだように俯いた。

「確かに、死亡した、という連絡等は来ていませんが……巻き込みたくないんですよ。ただの一般人を。アタシはもう歴としたフォワードですから」

 理由としてはわかる。が、それが彼女が俯いていることの関連性がない。と、思ったが、話には続きがあった。

「それに……身内をあんな目で見れる人たちと薄くでも血が繋がっているなんて思いたくもありません」

「? は、速水?」

 何やら周囲の空気が変質しているように感じる、彼女を中心として。

「あの人たちはアタシにFWの適性があるとみるや、掌を返して……いえ元々厄介者を押し付けられた感はひしひしと伝わっていたんですが、それをはっきりと表に出してきまして。仕舞いには『出て行け、この鬼!』ですからね。そりゃもう怒りを通り越してFWで殴り殺してやろうかと」

 ふっ……ふっふふふふふふふ――と歪な笑みを浮かべる速水に、さすがの柴乃も母さんもドン引きしていた。

「お、おい速水さんや……?」

「というわけで!」

「おう!」

 精神面で心配し恐る恐る声を掛けた俺を跳ね除けるように、彼女は元気いっぱいに上体を起こした。

「これからよろしくお願いしますね、お兄ちゃん、お母さん、そして……お姉さま~~」

 妙なテンションですぐ隣の柴乃に抱きつこうとする速水――いや義妹になるなら深妃と呼んだ方がいいのだろうか。

「……深妃、妹になってしまえば私と結婚できないわよ?」

 それを見事にかわした柴乃は、椅子から少し離れ深妃に語りかける。厳密にいうと義理ならばできなくもないが……いやまず姉妹がおかしい。だが、深妃にそれすらも明るく振る舞うだけの材料と化した。

「……お姉さまと……アタシの……禁断の姉妹モノ…………萌えるじゃないですか?」

「燃えてたまるか?」

 再び柴乃に向かう深妃の頭を片手で押さえつける。

「なんですか、お兄ちゃん。アタシとお姉さまの愛を邪魔しないでください。それとも混ざりたいんですか?」

「んな? なわけねぇだろ。そんな兄妹モノになんか……その……」

 尻すぼみになった。全力で否定できない自分が恨めしい。そして右手への抵抗がなくなった。見れば深妃は固まっている。見渡すと柴乃も母さんも固まっていた。

「い、いや待て。今のはだな。深妃に対する当てつけというか、本心ではないというか、兄妹モノもいけなくはないんだが、いやそれも違うくて、距離を取らないでくれ柴乃、お前だって俺のこと大好きだろうが」

 自分でも意識せずに捲し立てる。が、別に言葉の通じない相手にがなり立てているわけではないので、言葉を紡ぐたびに温度が下がっていくのを感じながら。

 その下がった温度を、さらに凍りつかせたのは深妃だった。

「わかりました。お兄ちゃん。アタシと付き合いましょう」

『…………は?』

 これにはさすがに母さんも虚を突かれたようで、動揺に素っ頓狂な声を上げていた。

「いや深妃? どういう理屈……」

「アタシとお兄ちゃんがラヴラヴしているのをお姉さまに見せつけて、嫉妬したお姉さまがアタシを攫いに来てくれる、というシナリオです」

 突拍子もない計画だった。そもそも本人目の前にして話す話題じゃない。

「それに……」

「? それに?」

 なぜかもじもじとする深妃。嫌な予感しかしない。

「さっきからお兄ちゃんがアタシを名前で呼んでくれてます。これはもう家族として認めてくれたということで、公認のカップルといっても過言ではありません」

「過言だよ! 既成事実が無理やり過ぎるだろ! 名前呼んだだけで公認、って世の中の男女ほぼカップルだらけじゃねぇか。義妹としては認めてもその先は認めないぞ!」

 深妃の天然か狙い通りなのかのボケと、俺の喉が枯れるまのツッコみの応酬は、その後も数十分続いた。

 ――数時間後――

 喉の快復に少々時間を費やし、やっと帰路につこうという時には夕刻も迫る時間だった。

 忙しいはずであるのに、新しい家族関係を存分に楽しんだらしい母さんと俺たち三人で出口に向かう。その道すがら、ずっと気になっていたことを母さんから打ち出した。

「そういえば、藤林南波の件だが」

「何かわかった?」

 前を歩く母さんの表情は窺えない。が仮にも血が繋がった親子だ。その背中だけでも雰囲気は伝わってくる。

「いや、残念ながら。目撃証言などを総合してみると、確かに一年ほど前、数日間姿をくらましていた時期があるんだが……何食わぬ顔で戻ってきたそうだ」

「そう……か」

「おそらく姿が見えなかった時期に連れ去られて、潜入のためにいろいろ情報を聞き出したり性格を真似てみたり、あのナンとかいう魔物が研究するためだったんだろう。その後も藤林南波を二人見た、などの証言もないため、その時に。まぁ普通用済みの検体は捨てるか喰らうかするだろうからな」

 平然と話すこの人は、研究者の姿をしていた。だがまぁ、そこまでは俺でも想像がつく範疇だ。できても認めたくはないけど。

「これ以上捜査しても無駄だとは思うが……どうする?」

 まるで決定権が俺にあるような、まぁ俺が頼んだことだから当たり前なのか。

「そうだな。一人の失踪者にいつまでもかかずらっている状況でもないし……母さんたちには研究に没頭してほしいし」

 そこで一度切り、左右の妹二人の意見を視線で求める。それに対し、首肯一つずつだけで返された。

「うん、藤林南波の捜査は打ち切りでいい。でも……もし何か些細でもいい情報が入ったらまた連絡を頼みたい」

 煮え切らない言い方。だが、少しでも可能性があるのなら、俺はそれに賭けたいと思う。

「ふっ……わかった。気に留めておこう」

 母さんも満足気に頷く。今のは母親目線だった。息子の決断を暖かく見守るような。

「それはそうと、実際、魔物の研究の方は進んでいるの?」

 地下に来たからには、と思いながらも今まで黙っていた質問だが、俺はこの時初めて母親の新たな姿を目撃した。

 諦めかけている、研究者という――

「“わかる”、ということがわからないんだよ。はぁぁぁ…………」




エピローグ


 ――地球上のどこか、としか形容しようのない場所――

 つまりは周りを木々が取り囲む、森林のぽっかりと開けた空間に、十数人の人型が集まっていた。

「頭領。東京市とやらに潜入していたナン以下四名の仲間が殺されたそうだ」

 報告するのは円状に座っていたうちの一人、濃い青髪をした青年の姿。目を閉じそれを聞くのは、頭領と呼ばれた黒髪の少年の姿。人間に換算すれば、十二、三というくらい。

 皆が皆、同じような恰好をしていた。頭領と呼ばれた少年も報告をした群青も、色とりどりのTシャツにジーパン姿。場所が特異でなければ、人間の集会だと言われても違和感はない。

「ふ~ん、人類化した僕らを見破るなんて、存外頭は回るのかもね」

「元々、脳の発達によりのさぼり出した連中だからな。知恵、という面では我々は一歩遅れを取ろう」

 頭領と呼ぶ少年に対しても特段敬意を払う様子を見せない。少年もそれを気にする素振りを見せないので、彼らに横はあっても縦の繋がりはないのだろう。

 そうしてまた一人が言葉を発する。

「しかし、人間の持つ固有の『感情』というものを手に入れてから、我々は連敗続きだな」

 それに同意する幾人かも続く。

「左様。なまじ欲張るものだから」

「いやしかし、これは我々が願ったことではなく……」

「どちらにしろ、根源的恐怖とは消えぬものだな」

「我々は攻めていた時分も人間はこのような感情を感じていたのか」

「同情、しているのか?」

「まさか。人間ごときの生命、気に掛ける価値もあるまい。ただ『意思様』がこのような感情を抱いておられたのかと思うと……」

 その言葉で場に静寂が満ちる。先までとは打って変わった口調に、彼らの本当のトップがその『意思様』なのだと納得させた。

「ふん、何にしろ我々がやることに変わりはない。人間を滅ぼす。それが我々に与えられた至上命令なのだから」

 頭領の締めの言葉に、全員で右手の平を地に向け叫ぶ。

「我らガーディアンズは『意思様』の御霊と共に!」

 この異様とも思える集会に、周りの動植物すべてが、何も反応しなかった。

 まるでその光景は、自分たちの日常の一部とでも云うかのように――

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