51 事変 後編
アーガンソン邸を出て、ディガンはゴンズレイと娼館へ向かう。
その馬車の中で、ディガンはゴンズレイに今回の行動について尋ねた。
「五年ほど前か。エドゥアルド・ウォルコットというあの子供が、ソルヴの隠し子だという噂が流れた。確か、領主令嬢誘拐事件の時だったかな」
部下の質問に、ゴンズレイという老人は、一つ一つ自分で確認するためのように話し始めた。
ディガンは白髪坊主頭の、妙な小僧のことを思い出していたが、口は挟まなかった。
「実際のところ、確証はないが、当時のアーガンソン商会の動きから考えれば有り得る話だ」
そうして話し始めたことを聞いて、ディガンは後悔した。聞かなければもっと後悔しただろうが。
「要は、潰し合いをさせたいわけか」
娼館の連中が帰ってからもジガは、応接室のソファに腰掛けていた。
「いや、そこまで頭は悪くあるまい。儂らにギルドの現執行幹部連中を潰してもらい、その隙に利益を掠め取るといったところ。どのみち儂らには関係のない話じゃな」
一人で呟いていると、部屋にメイドが一人入ってきた。
ウェーブのかかった絹糸の束のような艶やかな金の長髪。女性らしい柔らかでほっそりとした曲線と輪郭を描く長身。潤んだ大きな瞳は星蒼玉の青さと光。メイドの服装でなければ由緒正しき貴族の細君とも見える二十代半ばの女性だった。
「おばあさま、どうぞ」
言って女は、持ってきた湯のみをジガの前に置く。ジガは「ん」と短く返事をして、一口お茶を飲んだ。
「聞いておったな、グウィネス」
名を呼ばれた女性は頭を下げて頷く。
「監視者の話では、また見失ったそうです。ですから今エドがどこにいるのかは把握できていません。あのかたたちの言うとおり、貧民街に行ったことまでは確認できていますけど」
グウィネスの答えに、ジガは溜息をつく。
「まったく、手のかかる童じゃな。魔術探知が効かぬ上に、落ち着きもないからの」
「好奇心旺盛ですからね」
グウィネスがニコニコと答える。
「さて、お主は汚染源の元へ単身で向かえ」
グウィネスはジガの『単身』という意味を正しく理解する。だから黙っていた。ジガの言葉は続く。
「エドの身柄はこのままジャック達に任せておけ。お主はエドがおらんことをジャックたちが確認するまでは待っておれよ」
「ナイジェルさんがエドと別行動していた場合はどうしましょうか?」
「気にするな」
一言だった。これがナイジェルのアーガンソン商会における立ち位置でもある。
「エドの教師役なのでしょう?」
グウィネスも疑問を差し挟むが、口調は特段抗議する風でもない。
「それだがな。いい機会じゃから、エドの判定を前倒しで済ませる」
ジガの言葉に、珍しくグウィネスが眉を顰める。
「お主は掃除が終われば、エドのもとに向かってくれ。お主が連れて『帰るかどうか』判断せよ」
「おばあさま……」
ジガは、グウィネスの言葉を無視して、また湯呑みを口に運ぶ。
「そうなった時はソルヴの方も儂がなんとかしておく。ウォルコット家には申し訳ないが、な」
グウィネスはそれ以上何も言わずに頭を下げ、部屋を出ていこうとした。
その背中をジガが呼び止めた。
「グウィネス。単独行動で、しかもイーネの事があるとはいえ、ほとほどにな」
グウィネスは扉の前で頭を下げた。それが了承の意味だったのか、退出の礼だったのかは分からなかった。
「鼠の大群ですか?」
支配者の最後の勢力である領主。つまりオヴリガン公爵、実際にはその公舎に知らせが届いたのは、ジガとゴンズレイ達が会っていた時刻である。
領主の補佐官。実質的、実務上の最高責任者である治副司クレアが知らせを聞いた時の反応は、盗賊ギルドの幹部たちと同じ反応だった。
公舎の執務室にうずたかく積まれた書類を処理しながら、話を聞いていた。
仕事は相変わらず書類の数と同様山積みで、鼠の大量発生もその一つにしか思えなかった。
数万匹ほどの鼠が貧民街の地下下水道から溢れだして来たという。
クレアの反応は「だからどうした」というもの。
貧民街はクレア達の管轄でもない。正式には帝国領土内の都市でのことだから、管轄外ということはないのだが、実際あそこは盗賊ギルド達の縄張りだ。
だから、知らせを持ってきたのが都市守備兵の一人だけでなく、大地母神教団の司祭、ビアーセを連れていたことにも不思議に思っていた。守備兵が自分のところに来るのはわかるのだが。しかしビアーセ司祭が話の持ってくる場所としては違うのではないか。「それは盗賊ギルドの管轄です」などとは立場上言えないが、実際はそうなのだし、クレアより長くこの街で活動しているビアーセ司祭が知らないわけはあるまい。
「ビアーセ司祭まで、どうして?」
その質問には、兵士が答えてくれた。どうやら知らせを持ってきたのはビアーセ司祭だったらしい。貧民街の大地母神信者からの知らせだったようだ。
貧民街でも、信者なんているのね。
口には出さないが、そんな呑気なことを考えていたクレアは、やはり口に出したことも呑気だった。
「うーん。川を越えてくるようでしたら、面倒事になりそうですね。堤防があるから大丈夫なのかしら? でも鼠って壁を登れますよね?」
「そ、それが」
兵士が少し焦った様子で話す。
「人を喰っているんです!」
「はぁ?」
兵士の言葉が理解できなかった。
「鼠って肉食でしたっけ?」
穀倉地帯である中央地方の男爵ホーキンス家に生まれたクレアである。鼠はそれほど縁遠い生き物ではない。
「巨大鼠の類ですか?」
ただそれだと数万匹規模という発生はありえないだろう。巨大鼠は体長四十センチ以上の鼠のことで、時々赤ん坊や家畜を食べたという事件が起こる。中央地方ではよく見る動物だが、食べ物の少ないサウスギルベナで大量発生するような生き物ではない。
「魔物です」
ビアーセが少し苛立ったように口を挟んだ。
「軍隊鼠(MGR)という瘴気生物です」
「えむじーあーる?」
軍隊鼠(MGR)は瘴気化した『魔粒子溜まり』から発生する群生魔法生物らしい。
瘴気に侵された動物が凶暴化するのではなく、万能エネルギーである魔力の残滓である、魔粒子から生物化したものだ。発生した生物の行動目的は魔粒子がどういう風に蓄積していったかで様々に変わる。
「貧民街で発生し、人を喰っているということから恐らく魔粒子は『飢餓』でしょう」
「それが、数万匹規模で?」
クレアの顔が歪む。ここにきてようやく事態の深刻さが飲み込めてきた。
「魔物ということは通常の鼠よりも強いのですか?」
「いいえ。一匹一匹の強さはそれほど変わりません。しかし軍隊鼠(MGR)は群生生物ですから、固まりが一個の意志として動きます。だからこそ大きな被害が出るのです」
「司祭の知識はどこから? MGRと固有名があるということは対処もあるのでは?」
「教会の記録に百五十年ほど前にも発生したといいます。魔物といえども対処法自体は変わらないようです。百五十年前に使った方法は焼却処分と発生源の浄化です」
まずい。これは、思っているよりまずい。
クレアは机から背後に並んでいる書架へ向かい、そこからバインダーを取り出すと乱暴に机の上に放り投げた。目的のページを開いて、そこに挟まれていた書類を取り出す。
「クレア補佐官。お願いがあるのです」
ビアーセ司祭が口を開いたが、クレアは無視した。
とにかくこれは時間との戦いになる。クレアは所在なげに立っている兵士に命令を出す。
「都市緊急事態宣言を発令します。私は今から公爵家へ向かい、サインをもらってきます。貴方は公舎に残っている兵士を使ってサウスギルべの貴族家全てに招集を。それが終わったら予備役の兵士の招集準備にとりかかります。その為に全常備兵を一階に招集して置いてください。アーガンソン商会への徴収、要請は公爵閣下の許可が下りた後に行います」
「ぜ、全員ですか? 門の警備も全てですかい?」
「全てと言ったでしょう! とにかく、貴方はまず貴族を全員ここに集めてきなさい!」
クレアが怒鳴りつけると、兵士は転げるように部屋から出て行った。
クレアは壁際に置いてあるコートハンガーと、鎧や剣の置いてあるキャビネットの前に立つ。
「クレア補佐官。クレアさん!」
「なんです」
クレアはようやく、ビアーセ司祭の方に顔を向けた。鎧を着込む手は止めない。
「公爵様の兵士を幾人か借りたいのです」
その言葉にも手を止めなかった。
「借りてどうするのです?」
ある程度予測はついた。
ビアーセ司祭が盗賊ギルドではなく、クレアのところに助勢を求めたのは何も盗賊ギルドが非合法の集団だからというわけでもあるまい。大地母神教団の教義は、太陽神教団ほど人法順守に重きを置いていないし、この街で長く暮らしていたのなら尚更だ。
なら、ビアーセ司祭がここに来たのは盗賊ギルドの幹部のところにはすでに行ったが断られたか、探せないほどすでに事態が悪いかのどちらかだ。
「感染源の浄化に向かいます」
だが、その目的については少し意外なことを言ってきた。貧民街の住民の避難か救助を求めてきたのだと思っていたからだ。解決法を持たないクレア達、行政機構がこれから行おうとすることはビアーセ司祭のそれとは相反する。だからこそ、先程から無視していたのだが。
「浄化ですか?」
「ええ、数万匹規模というのが本当なら、相当に高濃度の瘴気溜まりがあるはずです。根本を断たねば、この街自体も滅ぼされてしまうかもしれません」
「また新たに、魔物が発生するのですか? 枯渇することなく?」
「枯渇して消滅はしないでしょう。瘴気溜まりは樽のようなもの。吐き出せば一時期は収まりますが、その後はまた瘴気が溜まっていきます。それに一度発生した場合は、一定量の蓄積なしに魔物を発生し続けます。もちろん数万匹というのは最初の段階だけでしょうが」
その答えを聞いて、クレアは考えをまとめる。
「残念ながら、司祭の希望にはそえません」
「元を断たねば、事態は収まりませんよ」
クレアは舌打ちした。そんなことは言われなくとも分かっている。
「兵士を数人貸したところで、数万匹の大群を避けて発生源にたどり着けませんよ」
「悪魔探知を使えば、位置の捕捉も、発生源もわかると思います」
クレアは魔法のことはよく知らないが、専門家であるのならそうなのだろう。そこに反論はしない。
「それでも、やはり兵士をお貸しすることはできませんし、貴方の身柄は拘束させていただきます」
そういってクレアは剣を腰に差し、準備を終えるとその柄に左手を置いたままでビアーセ司祭の方へ向いた。
ビアーセ司祭のいつも穏やかな表情が歪む。
「どういう意味です」
「誤解なきよう。拘束すると言っても、縄で引っ括っておこうというのではありません。必要とあればそうしますが。貴方には私と一緒に公爵邸へ行っていただきます。そして公爵閣下から戒厳令の発令がなされ、事態が落ち着くまでは管理下に置かせていただきます」
ビアーセ司祭の魔法技術については知らないが、本人が言うように本当に発生源の浄化まで出来るのであれば、彼女はこの事態を沈静化するための現時点での切り札になる。
「それで?」
ビアーセ司祭は警戒するように、椅子から立ち上がってクレアから距離をとった。
クレアは言い方が不味かったかと思ったが、後悔している時間もない。話を続けた。
「それから、サウスギルベナの魔道士ギルド、つまりアーガンソン商会へ助けを求めます。彼らなら白魔法の浄化とは別の手段も持っているでしょう」
つまりそれまではビアーセ司祭に勝手な行動をされては困るのだ。
クレアは剣の柄から手をどかせて、机の上の書類を鞄に放り込んで扉へ向かう。
「さあ、行きましょう」
誘いではなく、命令の意志を込めて言った。




