46 長い一日は始まる。
「さすが、アーガンソン商会ね」
クレオリアは、敷地内にある厩舎や倉庫を眺めて、お茶を飲んだ時と同じような感想を漏らした。
この世界の、しかも辺境の商家として考えると随分設備も整っているし、管理保全されている。
歩いている途中、いくつかの視線は感じたが、物珍しげにまじまじとしたものはなかったし、仕事の手を止めるものもいなかった。
「敷地も広いし、設備も整っている、自給自足できそうだわ」
腕につかまったままのナタリーを見下ろすと、嬉しそうに微笑んでいた。実家を褒められると嬉しいのだろうか。あまり言っている意味はわかっていなそうだが。
「あれが、工房?」
クレオリアがレンガ造りの小屋を指さすと、ナタリー頷く。
「アーガンソン家の鍛冶工房としては、少し小さい気もするわね」
厩舎や倉庫などと比べると、その小屋は二回りは小さい。従業員の数などからしても、少し小さな気がした。
クレオリアも知っているのは工人十二家の一つであるシクロップ家くらいしか知らないので、自分の感想が的はずれかどうかはわからなかった。今いるのはナタリーの他には赤毛の少女メイドだけなので、誰もクレオリアの疑問には答えてくれない。
「見学できるか聞いてみます」
それまで後ろを歩いていた少女メイドは入り口まで来ると、二人に声をかけて、そのまま工房の中に入った。入り口に扉はなく開け放たれているが、仕切りがあったり、薄暗さも手伝ったりで中はよくわからない。
「お父さん」
メイドが中にいる鍛冶師の一人に声をかけていた。
「お父さん?」
ナタリーに説明を求めると、彼女は鍛冶師がウォルコット姉弟の父親で、名前はウォルボルトであると教えてくれた。ついでに少女メイドの名前がミラということも分かった。
「ウォルボルト・ウォルコット?」
変な名前だとおもったが、口には出さず、少女メイドが戻ってくるのを待つ。
鍛冶師がこちらを向いた。
年の頃はアラフォーの、髭面の中年だ。
ウォルボルトはこちらに目を向けると、一瞬驚いたようだったが、すぐに立ち上がってやってきた。
「公爵家のお姫様?」
のっそりと出てきたオヤジは、身長はクレオリアよりも当然高い。同じ鍛冶師のシクロップ家当主タンガンよりは随分背は低いし、ひょろりとした印象があるが、それでも筋肉はしっかりついている。茶色の髪は短いがボサボサで、髭面。だが荒くれ者というより、ズボラな男であると思った。
パンパンと埃を落として身なりを整えているが、そういうことは近くに来る前にやって欲しかった。
「あなたが、ウォルコット兄弟の父親?」
「ウォルコット兄弟? ヴィーとエドのことか……ですか?」
「子供になれない敬語を使ってもらう必要はないわ。あなたここの責任者?」
身長は百二十センチと、六歳児にしては背の高い方だが、それでも明らかに幼い少女の、予想外にしっかりとしたしゃべり方にしばしウォルボルトはぽかんとしていた。いや、しゃべり方だけでなく、その雰囲気も含めて少し圧倒されているようだった。が、すぐに「そう? それじゃあそうするわ」と頷いた。随分いい性格をしているのかもしれない。
「で、公爵家の姫さんが、工房を見学したいって? うちの息子達のことはどこで?」
「クレオリアよ」
クレオリアは工房の中をのぞき込んだまま、ウォルボルトの方は見ずに答える。
「あなたの息子が作ったっていう、挽き肉機? それを見たシクロップ家の人間から噂を聞いたのよ。ねぇ、本当に弟の方は頭がおかしいの?」
「そんな噂が?」
恐る恐るという感じでウォルボルトが尋ねるが、やはりクレオリアは工房の中に視線をやりながら答える。
「肥溜めの中に刺さっていたり、貧民街で毒を撒き散らしたり、色々奇行が多いみたいね?」
クレオリアの一連の言葉に、ミラがムッとした表情をしたが、後ろに下がっているので気が付かなかった。目の前であったとしても気にはしないが。
「いや、まぁ、ガキのころの男なんてそんなもんじゃねぇかな。女の子にはわからんかもしれんが」
「そういうもの? 毒の話なんかは犯罪以外のなにものでもないけど」
「それは噂のほうが間違ってるんで」
「じゃあ、肥溜めに刺さっていたのは?」
「もっと小さい時の話ですよ。それこそ男ならよくある話さ」
「そうなの?」
ようやくクレオリアは視線をウォルボルトの方へ見上げた。父親は頷いているが、はっきりと嘘だとわかった。
「仕事を中断させて悪かったわね。ついでにちょっと仕事の様子も見ていいかしら?」
クレオリアの言葉に、ウォルボルトは無精髭を弄りながら上を見上げる。
「うーん、火も扱ってるからなぁ」
「そう? 私は構わないけれど、確かに客人を火傷させたならマズイものね。わかったわ、ここから中を覗くだけにしておくわ」
そこまで言って、何かいい考えが浮かんだかのように、クレオリアはツイと指を立てた。
「ね、鍛冶工房なら武器の類も置いてある? あったらちょっとだけ触らせてくれない?」
だが、ウォルボルトは慌てた様子で首を横に小刻みに振る。
「それこそ、持たせるわけにいかねぇよ。それに今はないしな。ここは修理が主で、生産はやってねぇんだ。机や椅子くらいなら作るけど」
「なんだ、つまらないわね」
そう言ったクレオリアの態度はようやく幼い物が見えた。言っている内容はそうとうおてんばだが。
「あの、クレオリア様」
それまで黙って二人の会話を聞いていたナタリーが脇から顔を出すように見上げてくる。
「ごめんなさい、ナタリー。放っておいて。珍しかったものだから」
「ううん、そうじゃなくて。エドとヴィには会わなくていいの?」
「ああ!」
ウォルボルトが喋りやすい性格だったので、ついつい話が脱線してしまった。
「ありがとう、ナタリー。ウォルボルト、あなたの息子のヴェルンドがここにいると聞いたのだけれど」
「ああ。いますよ。エドの方も働いていたことはあったんだけどね」
「そればっかりね」
「は?」
「いいの、気にしないで。仕事中に申し訳ないのだけど、お話させてもらってもいい?」
「別にかまやしませんが、あんまり喋るのは得意じゃないですよ?」
「いいのよ、噂の天才児に会ってみたいだけだから」
そう言って、再びクレオリアは工房の中を覗きこんだ。暗がりの中に仕切り板で区切られた作業場が見える。入り口からの光が一番当たっている真ん中の作業台はさきほどまでウォルボルトがいた。
残りの二つ。右側の作業台では小さな背中が何かを懸命に磨いている姿が見えた。少年のようだ。あれがヴェルンドとやらだろうか。反射的に反対側の作業台に目をやる。こちらは工房の中でも最も薄暗い場所で、釜の近くらしく、煌々とした火の色が、周りの黒とコントラストをなしている。そのせいでそこにいる人物まではよく見えない。
だが、よく見えないが、クレオリアは目が惹きつけられた。
小さな背中だ。だが分厚く岩のような背中だった。明らかに幼子のそれではない。全体のフォルムから見ると人間の大人にしてはずいぶん小さく、しかし巨大な歪な体格だ。乾燥しひび割れた感じも子どもとは明らかに違う。つまりヴェルンドではない。にもかかわらず、クレオリアは目が離せなかった。背中にではない。その人物はこちらを振り向いていた。闇の中に、ランランと目が光っている。
その光を見た途端、いや、その背中を見つけた瞬間から、クレオリアは奇妙な感覚に囚われていた。エドの兄のことなど頭から消え去っていた。
立ちくらみとは違う。しかし何か、変な感じとしかいいようのない、しかし、違和感とは全く違う感覚。
殻が破れた、または夢から覚めたような感覚。
それが何だったのかを確かめる前に、その目は仕切り板の影に隠れてしまった。その途端に感覚も消える。
「姫さん?」
クレオリアの異変に気がついたウォルボルトが声をかける。ナタリーも気がついたのか、ギュッと腕を掴む力が増した。
「なんでもないわ、ごめんなさいぼうっとして。あの奥にいるのは?」
「一番奥の? ありゃガーランドっていうドワーフの爺さんだよ。この工房の中じゃ一番の古株でね。ただ人とはまったく話そうとしないけどな。それが?」
クレオリアは少し自分の中にあった感覚を探ろうとしたが、まったく異物は感じられない何時ものままだった。
「ドワーフを見るのは初めてだったからそれより、息子さんを紹介してくれる?」
「ああ、ちょっと待って下さいよ。仕事中は声かけるだけじゃ気が付かなくてね」
それ以上ウォルボルトは聞かずに、工房の中に入っていった。
うーん。
クレオリアはすっかり消えてしまった感覚を探るのを諦め、記憶の中にあるそれを思い返してみる。
何か以前にもこういった、これと同じ感覚を感じたような。
コテンと、首を横に傾けて思い返してみた。
エド?
エドと同じ……、いや違うな。
六年間会っていなかったが、エドと話してきた時と同じ感覚ではない。似ているがもっとエドの方が『点』に近い。言葉にするとそうとしか言えない。こちらはもうちょっとぼやっとした。そしてエドよりもっと似た感覚があった気がする。
「連れてきやしたぜ」
それが、なんだったか思い出す前にウォルボルトが帰ってきた。いや、時間があっても思い出せた可能性は低い。
すぐに頭を、目の前の少年に戻す。
栗毛の少年が、ウォルボルトの前に立っている。父親と同じ髪色だが、こちらはキレイに短髪に揃えられており、清潔感という意味では全く違う。身だしなみも埃にまみれて入るが、きっちりとズボンにインされており着崩したところがない。顔立ちはそれほど特徴のある顔ではない。少し年の割には目力があるくらいか。まだ幼いために彫りが深くないことも原因だろう。
「息子?」
思わず正直な感想を漏らしてしまった。
「母親似だよ」
ウォルボルトは言いたいことがわかったようで、端的に返してくれた。そして息子の髪をかしがしとかき回す。息子の方はなすがままでされており、気にしたふうにも見えない。嬉しいというより気にしていないだけだ。いまいち焦点が合っていない感じだ。
「なるほど、少し変わってるわね」
クレオリアがそう言うと、初めてそこにクレオリアが立っていたことに気がついたかのようにヴェルンド少年が視線を上げた。
「?」
じっと見つめてくるヴェルンドをクレオリアは見つめ返す。彼女は凝視されたからといって動じるほど人の視線に耐性がない人種ではない。
「どした?」
息子の様子がおかしい事にウォルボルトも気がついたようだ。
だが、ヴェルンドはそれに答えず、父親から離れて傍にやってきた。ナタリーが腕を掴む力がますます強くなった。クレオリアは落ち着かせるように、彼女の髪を撫でた。
「よろしく、ヴェルンド。クレオリアよ」
寄ってきた少年に声をかける。しかし、ヴェルンドは返事を返さず、そっと瞳を閉じた。
「うん、きれいな声だ」
ごく自然な感じでそう漏らした。そして目を開けてまたじっと見つめてくる。
これが適齢期ならぽっとなるような台詞だ。だがしかし、相手はクレオリアである。六歳児に言われて心を動かされるわけもない。大体ヴェルンドがそういうつもりで言ったのでないのは声質でわかる。どちらかというと数学者が公式の完成度を評する時のようだ。
「なるほど、ナタリーが気持ち悪がる理由がわかるわ」
ヴェルンドはクレオリアを中心に半径五十センチほどの円を描いて、三百六十度から眺めはじめた。当然密着しているナタリーもその中心にいることになり、明らかに怯えていた。
「殴っても?」
一応父親に確認をとってみた。本気なのがわかったのだろう、慌ててウォルボルトが息子の肩を掴んで止めさせた。
父親に押さえられた後も、ジロジロと黙ってクレオリアを観察している。
「すまねぇな姫さん。別に悪気があるわけじゃないんだ」
「悪気がなければいいってもんじゃないけどね」
「悪かったよ、殴らないでやってくれ」
「嘘に決まってるでしょ」
「まぁ、そりゃそうか」
「頭が消し飛ぶくらい蹴りつけるつもりだったのよ」
「ほんと、すんません」
ウォルボルトは息子の頭を掴んで自分と一緒に無理やり下げさせる。
「スケッチしたいなぁ」
ぽっつりとヴェルンドが呟いたが、クレオリアの方はおおよそのキャラクターを掴んでいた。いわゆるコイツは『馬鹿』というやつだ。愚かという意味ではなく周りが見えなくなるというタイプの『馬鹿』。
だから、特に気にすることは止めた。
「この街の六歳児ってのは、変わってんな」
自分の息子を見下ろしてウォルボルトが呟く。
「それはナタリーに失礼よ」
自分を入れていないところが奥ゆかしいと事故判断もとい自己判断をかます。
いい考えが浮かんだ。
「ねえ」
と、腕にというよりほとんど胴体にしがみついている少女に語りかける。
「はえ?」
会話の流れについていけていない幼女が異音を発した。
「今度は私の家に来ない?」
クレオリアの言葉は、お嬢様を一気に正常に戻した。
「い、いいんですか?」
「もちろん」
それからクレオリアはウォルボルトの方を見上げる。
「息子さんを、一緒に我が家に招待したいんだけど」
「ヴェルンドを?」
「それとエドゥアルドもね。同じ六歳同士みんなで親交を深めようかと思ってね。仕事の都合はつけられないかしら?」
この世界において労働者階級の間では定期的な休日というものはない。毎日働かなければならないのが普通だし、休日は雇い主に特別に許可を得なければならない。
「公爵邸へねぇ。まぁ、ヴェルンドは問題ないと思うが、エドは出向先の都合もあるからちょっとわからねぇなぁ。だが出向先の仕事も昼までだし、その後なら公爵令嬢のお願いとくれば一日くらいなんとかなると思うが」
「それは結構。そういうことでお願いね」
後半の言葉は、ヴェルンドではなく娘でメイドのミラに言ったものだ。
「じゃあ、ナタリー。そろそろ部屋に戻りましょう」
「おべんきょうですね」
散歩をして、打ち解けやる気も戻ってきたのだろう。勢い込んだナタリーの言葉を、クレオリアは首を横に振って答えた。
「素晴らしい心構えね。でもその前に、手紙を書かなきゃ」
「おてがみ?」
「ええ。会えなかったエドくんに愛情たっぷりの招待状をね」
はたしてこの後、クレオリアが招待状という名の暗号文兼死刑執行書をしたためることは、しかしてなかった。
ナタリーがクレオリアの「お手紙」を羨ましがり、欲しがり、クレオリアが『元クラスメイト』に送るのとは違う、親愛の情を込めた手紙を贈ることを約束したことも、はたしてこの日は果たされることはなかった。
それはエドにとって幸運だったと言えるのかは微妙なところだ。
手紙が送られるかどうかはエドゥアルドに対するお仕置きという名の暴力とは無関係であったし、本邸に戻ったクレオリア達に届いた一報から流れ出す事件は、まさに正真正銘それどころではなかったのだから。
それは言うなれば、一言で言うなれば、後始末だった。
後始末をできるだけ先延ばしにしたいエドと、さっさと面倒臭いことを片付けてしまいたいクレオリア。
二人の性格の違いは、結果の違いに何の影響ももたらさない。
エドが言い出せない理由も、言い出せないエドが許せないクレオリアも、どちらも相手に対する誠意の現れだけど、往々にしてそういう事は人間関係を気まずい、分かれ道へと誘うことはよくあることだ。
あの時、自分たちがしっかりと手をとって、この先も歩いていけると思ったことは間違いではない。
あの時心に置いてあったものを見れば、そう確信して然るべき判断だった。
二人にとって、二人だけが、この世界で唯一の存在だったのだから。
けれど目の前の景色が変われば、人は変わる。
二人はまさに何もかも違う世界で生きているのだし。
誰とも関わることなく生きてきた無起動な彼が、社会で関わることに強制された六年間。
いつも誰かに関わりを提示されて選択してきた彼女が、小さな家の中で孤独を強制された六年間。
それで変わるなという話も、それで留まっていろという話も、それは無体というより無理な話だ。
別に彼と彼女に当てはまるとは言わない、単なる一般論としての話だけれど。
そして、彼ら二人にとっても、この街全体にとっても、決められた時間が積み重なるいつもと同じ二十四時間の、だけど何故か長い一日がこうして始まった。




