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MOB男な灰魔術師と雷の美姫  作者: 豆腐小僧
第二章 MOB男の人言奸計と片隅の原始星
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41 だから貴様はそうなのだよとベッドで悶えるような話







 幼児の足で、歩いて十五分ほどに川があった。


 この川を下っていけば、海へ辿り着く。つまりこの用水路は街の北側から南側へと流れる用水路だ。

 数本ある流れは南に行くほど合流し、数は少なく幅は大きくなる。

 北西部にある貧民街と一般市民居住区の間にあるのが娼館。そこにも一本流れている。

 南に行くほど大きくなる用水路だが、ここは、貧民街を隔離する意味もあるので、川幅が一番大きく、整備されていた。


 堤防の上から水を捨て、その後石階段を使って、川辺に降りる。

 井戸は店のそばにあるのだが、飲料水なので掃除や洗濯にはつかえない。この用水路の水を使うのだ。

 この街の汚水が流れ込む川の水質は、日本の都市部に流れている川よりはましだが、決して飲もうという気にはなれない。だが、当然貧民街の人間にとってはこの川が飲料水用も兼ねている。貧民街に井戸は殆ど無いし、あっても盗賊ギルドが管理しているので普通には使えない。そこに汚水を流すのは考えると躊躇われるが、本来の用途であるので致し方無い。


 薄暗さを残す町並みの中で、朝焼けに川面だけがギラついている。

 冬は終わり、春になったが、早朝はまだ寒い。

 反対岸に数人の人影が見える。洗濯をしていたり、飲水を汲んでいたり。言えるのは向こう側に広がっているのは貧民街で、向こう側に立っているのが市民権のない住人だ。

 

「……」

 朝陽が濃いオレンジ色に染まり始めた街は美しく見えるが、実際は酷い臭いが漂ってくる。

 貧民街が垂れ流す腐肉の臭いだ。

 エドが屋敷の外を歩けるようになって一年ほど立つ。肥溜めの臭いも平気なエドだが、ここの空気はこの世界でも最低最悪だ。糞溜めを腐敗させて、そこに独特の生臭さを加えてある。


 それでも朝陽に照らされるとそれなりに美しく見えるのだから、ウンザリした。


 一方の桶を川面に放り込んで水を汲んでいると、背後で気配がしたので思わず振り返った。

 どこかの殺し屋のように過剰にハッとなっていしまったが、いつものことである。


 エドは優れた魔力感知の『目』を持っている。それはつまり生命探知のセンサーを持っているのと同じである。エドの魔力感知の『目』は、対象者に染み付いた魔素の意味まで判別できるほどだ。つまり、行為の残り香が染み付く職業的殺し屋であれば、見ただけでそれと判断できるほどに。


 しかし、エドの魔力感知は文字通り身体器官の眼球に依存している。ナイジェルの話では、第六感のように、『虫の知らせ』のように感じるがことができる灰魔術師もいるので、タイプの違いだろう。

 そんなわけで、エドは視覚での探知能力が優れているだけに、視覚外から接近されると驚くことになる。


 見れば、自分と同じように水を汲みに来た少女だ。

「……」

 少女は、ビクッとしたエドの様子を黙ってじっと見つめていた。


 白人種だが、肌の色は若干、褐色を帯びている。

 髪は黒に近いブラウンで、瞳の色も同じだ。顔立ちは鼻が高く、眼窩が深く、一見異民族の血が混じっているかのようにエキゾチックな顔立ちだ。貧民街にいるせいで痩せて洒落っ気がなく鼠のような顔立ちになっている。もう少しふっくらとなって、着飾れば美人になるのかもしれないが。


「珍しいところで会った、ね。イザベラ」

 少女の姿を確認して、エドはホッと息を漏らした。


 それは見知った少女だった。

 ただし、会ったのは貧民街でのことで、それ以外で会ったことはない。

 歳はエドより二歳年上だったはずだ。貧民街に来てからは一年に満たない。

 彼女は貧民街の住民だが、盗賊ギルドの人間でもないし、悪い人間でもない。それどころか善人であったが故にエドと出会い、命を繋ぎ止めた。


「……」

 善人だとは思うが、愛想は悪い。というか、反応が薄くて、エドには難易度の高い人種だ。

「あー、おはよう、イザベラ」

 何の反応もなかったので再び声を掛けたが、やはり答えずに階段を降りてくる。

 この街にきて一年。少々ひねくれてしまうのも致し方ない時期だ。もう少しすれば、現実に打ちのめされて下手な矜持もなくなり媚びへつらいを覚えるか、さらに刺々しくなるか、または二度と会うことがなくなるだろう。


「……おはよう」

 なんで、お前がこんな所にいるんだ。

 そういう斜に構えた目つきで見られたが、大分打ち解けてきた方だろう。

 貧民街で出会ったのは、風邪と栄養失調の治療をしてやった時だったが、その後時々顔を合わす間柄だ。最後に会ったのは貧民街で世話役をやっていた老婆が病死して、その遺体を焼却処分しに教会まで行った時以来だから、三週間ほど前か。


「イザベラも娼館で働いているの?」

 エドは彼女が持っている桶を見ていった。それはエドの持ってきたものと同じだ。この辺で同じ桶を持って、早朝から水汲みをする仕事といえば娼館ぐらいしかない。もしかしたら周辺で娼館の客を目当てに開業している飲み屋かも知れないが。


 大分健康状態は回復しているらしい。まだまだ痩せてはいるが、血色は大分良くなっている。

 そう言ったことから判断しても、イザベラが娼館にスカウトされたのは間違いないだろう。

 貧民街出身の女の子が、急に栄養状態がよくなる理由なんてそれほど多くはない。


 エドの質問には答えず後ろに並んで待っている。

 別に川辺なのだから一緒に水を汲めばいいのだろうが、これはエドに対して「さっさと去ね」という意思表示だろうか。


 なんで、助けてやったのにこんなに警戒されなければならないのか。


 不満に思わなくもない。が、反対にイザベラの賢さに敬意を持ってもいる。貧民街の子供では珍しく読み書きもできる。恐らく没落貴族の子供か何かだろう。いつも首から下げている聖印は大地母神教団の一派の物だと推測できる。警戒心も『普通じゃない』子供であるエドに対するものだ。麺麭を与えれば涎を垂らす他の連中に比べれば随分と知恵があるだろう。少なくともベックなんかと比べれば愛想はなくても好感度はずっと高い。


「桶貸して」

 いつまでも後ろから無言のプレッシャーを掛けられても辛いので、手を差し出す。

 話しかけても無反応の少女の水桶を、半ば奪うように受け取り、水を汲み上げる。自分の水桶に手早く流し込むと、イザベラから受け取った水桶にも汲んで、彼女の足元に置いた。


「じゃあ、頑張って」

 投げやりにそう言うと、エドはさっさと天秤棒に水桶を二つ引っ掛ける。何を言っても無反応なイザベラにさすがにうんざりして、コミュニケーションを諦めた。


 今日はやらなければならないことも多い。クレオリアに会いに行くなら、その後のことも考えなければいけない。いや、会うとは決めていないが、たぶんヘタるが。


 彼女がどういう行動にでるのかは、エドの今後にも大きく影響する。六年前の二人の関係を考えれば方針の決定権は彼女にある。別にクレオリアの意志に従う強制的な理由はないが、彼女を日本に帰すことも大きな目的の一つだ。


 エドがクレオリアに再会すれば、事態は一気に流れだしそうな気がする。しかし、エドにもやりたいことはあって、それらをどうにかコントロールしようとすれば、細心の注意が必要だろう。そう思うだけでげっそりとする。話しかけてもうんともすんとも言わない少女にこれ以上労力を使うのも馬鹿らしかった。


 フラつきながら、天秤棒を肩に担いで、石階段に向かう。

 エドは、はぁとため息を吐いて、担いだばかりの天秤棒を下ろす。

 この石階段を水桶二つ担いだまま上るのは、バランス的に無理だ。一個ずつ上まで上げる必要があった。


 クイクイと袖が引かれた。

「?」

 振り返ると、イザベラが人差し指と親指の二本で服の袖を摘んでいる。

「えっと、なにか?」

「手伝うわ」

 そう言って、天秤棒を指さす。階段の上まで運ぶのを手伝ってくれるらしい。


「あ、いや、いい」

 思わず断ってしまった。いや、断ったのは上に揚げる方法があったので断ったのだが、ちょっとツンケンとした返事になってしまった。イザベラの方も申し出を断られて、思わず硬直している。


「いや、そうじゃなくて、上に簡単にあげる方法があるから大丈夫なんだ。い、イザベラの水桶もあげてあげるよ」

 しどろもどろになってしまうのが情けない。エドは慌てて、懐から一本の細い綱を取り出し見せた。麻製のもので太さもないが、水桶を引っ張りあげるには十分だ。


「ほら、これで上から引っ張れば簡単だろ?」

「ああ、なるほど。スゴイ」

 イザベラが目を大きくして、素直に感心している表情を見せる。いつもは無愛想なので、無防備な表情が魅力的に見えた。


「そういうわけですんで」

 綱を水桶の取手に結ぶと、その反対側を掴んで、慌てて石階段を登っていく。八歳の女の子との会話に動揺している自分も情けないが、私生活での自由会話に慣れてないんだから仕方がない。


 河の堤防はほぼ垂直なので、水が溢れる心配はない。勤務初日に苦労したので、それ以降は自分で用意したこの綱を使って水汲みをしていたのだ。

 引っ張りあげた水桶から、綱を外して階段の下に投げると、イザベラが残った水桶に結んでくれた。

 一人の時はそれでも面倒くさい作業だったが、二人でやると階段を降りる必要がないのであっという間である。


「やあ、助かったよ」

 エドは礼儀として、イザベラに礼を告げると、天秤棒を担いで娼館への道を歩き始める。

 イザベラは水桶を一つ両手に下げて隣を歩く。

 相変わらず無言だ。


「……」

 仕事と割り切れば愛想を振りまくのも平気だが、それ以外だと自分の立ち位置に悩む。他の子達はどうやっているのだろうと思うと、ストレスは溜まる一方だ。なにか話しかけたほうがいいのかと罪悪感が沸々と湧き上がる。または意味不明の敗北感か。


 チラリと隣に歩く少女を見ると、ガッツリとこちらを見つめてくる。

 思わず視線を前に戻し、黙って歩く。まだまだ痩せているせいか、瞳が大きくギョロリとしているので余計に視線に圧力がある気がした。


「イライザも娼館で働いているの?」

 たまらず、尋ねた質問は、同じ言葉だった。

「この前から」

 返事が返ってきたことに拝みたくなる。答えるならなんでさっきは何も言わなかったのかなどとは微塵も思わなかった。


「へ、へえ。おめでとう。いい働き口が見つかったね」

 とりあえず褒めておけとばかりに口から出る。

 その言葉にイザベラはさして大きく表情を変えなかった。


 貧民街出身者の女の子が、娼館の雑務をするのは、男の子であるエドが同じような仕事をしているのとは意味が違う。彼女たちは成人である十五歳になると娼館専属の高級娼婦として勤めるために、娼館雑用係として育てられるのだ。


 サウスギルベナの売春業は、原則店に所属している娼婦というのはいない。娼館はあくまで場所を提供することを基本としてる。それに伴う身の安全や、トラブルの仲裁も行なっているが、娼婦たちは個人事業主なのである。だから客は娼館に対して紹介料を払うが、娼婦たちも店側に対して場所代を払うのだ。


 例外が、数名いる高級娼婦達である。

 彼女たちは大半が子供のうちから、将来紅裙の女性に育ちそうな少女を集めて育てられた者達だ。


 店側がこういう娼館専属娼婦を抱えている理由は、商品価値の高い(つまり美人の)、売りになる者を一定数抱えておきたいということ。また容姿は勿論だが、商売柄病の危険性に対して店側が管理して保証できることも大きい。彼女たちの存在は店の看板でもある。特に未通娼婦の『初物』は一般客に降ろされることはなく、盗賊ギルドの大幹部などに『貢物』として差し出されるのが常だ。


 イザベラが娼館の雑務の仕事に雇われたということは、この高級娼婦として育てるために、娼館に買い上げられたということだ。

 彼女がこのまま成人を迎え、目論見通りに婀娜な女性に育てば、その後女性の盛りを過ぎるまで専属の娼婦として娼館内で暮らすことになる。正確な契約期限があるわけではなく、商品価値がなくなったと判断されるまでだ。帝国の価値観で言えば、三十路前後までが相場である。


 こう説明されると、かなり厳しい待遇のように思える。しかし、サウスギルベナの貧民街で、女性が選べる選択肢のうち実入りがいいのは娼館での売春である。専属娼婦たちはそれほど金銭がいいわけではないが、衣食住は保証されており、病にかかる確率も低い。契約終了後も、それまでに培った縁故によってまともな生活をおくれる可能性が一番高いのは彼女たちだ。なにせそれまで生きている可能性が格段に高いのだから。


 そういうわけで、エドの褒め言葉も決して的外れではない。イザベラは行き倒れから、もっとも幸せになる可能性が高い選択肢を掴みとったのだ。

 だが、その幸運もイザベラには何の喜びもないように見えた。少なくともエドがちら見した限りではない。


「あー、うん。やっぱり、ね。ほら、イザベラって美人だもんね」

 エドは自分を納得させるように言った。実際は八歳児の少女が美人かどうかなんて気にもならなかったし、少なくとも今のイザベラは慢性的な栄養失調で愛らしさなんて感じられない。それでも娼館の雑用として雇われたのなら、将来は美人になるというプロの視点があったのだろう。

 イザベラがジッと見つめてくるのは相変わらずだが、少し表情に変化が見えた。瞳を大きくして、険がとれているように思える。


 うん、これはいいかんじだ。


 褒める部分はここかと思い、言葉を続ける。


「イザベラは梟みたいに目がランランとして可愛いよ。夜道で出会うとビクッとするくらい」


 うん、おかしなこと言った。


 言ってすぐに間違ったとわかった。その証拠にあっという間にイザベラの眉間に深いシワが刻まれているのが見えた。もっとうまい例えはなかったのかと思案するが、何が正解だったのかは出てこない。


「あ、うん、なるほどね」


 吐血しそうなくらい空気が悪くなったのは分かった。







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